姫君の愛する王子の本性 「こんにちは、今日はよろしくお願いします」 は、オングストロームの合宿先のペンションへ訪れ、迎え入れてくれた航河にニッコリと笑顔を見せた。 ダイニングの隣にある談話室のソファーで、ゆったりと読書をしていた航河はあまり見せる事のない優しい表情で静かに本を閉じた。 もしかして、自分が来るのをここで待っていてくれたのだろうか。 そんな考えが頭をかすめると、は温かい気持ちに包まれる。 カメラや書類を持つ姿もだいぶ様になったと、今日、伊達さんに褒められちゃいました。 などと、は嬉しそうに航河に話しかける。 「相変わらず、敬語が抜けないな」 航河は自らの元へ歩み寄って来るを見て、そう困ったように笑った。 思わず『あっ』と口元を押さえてみるものの今更で、はどうしていいのか分からず頬を紅く染めた。 航河に『好きだ』と思いを告げられたのが数日前の事。 別れ際に急に停止した車を心配して、航河の元へ行った時の 突然抱き締められたあの感触と衝撃は、今でも忘れられない。 「言っただろ?二人の時は敬語なんか使うな…って」 「…分かってるんですけど、…うう」 恥ずかしそうにうつむくは、『まあ、座れよ』と自分の隣をポンポンと叩く航河に促され、静かにソファーへ腰掛ける。 するとは隣で微笑む航河から、甘く優しい香りがする事に気がついた。 「なんだか…、中沢さんとってもいい匂いがしますね」 「……何でか知りたいなら、ちゃんと俺を名前で呼ぶ事だな」 「…だって、その…き、今日は仕事で来てる訳だし…照れるし」 「…早く慣れろよ、」 俺はちゃんとお前を名前で呼んでるんだ。不公平だろう? まるでそんなふうに言いたそうな、意地悪を含んだ口調で航河はの耳元でそう囁いてみせる。 より一層近づいた航河と、航河から香る甘い香りに、はクラクラと目眩を起こしそうなくらい胸をときめかせた。 言葉を吐き出すことすら出来ず、は頬を染め高ぶった感情に瞳を潤ませて、ただ小さく頷く事しか出来ない。 そんなの仕草に航河は愛しさを隠しきれない様子で、甘い香りの原因であろう事を白状し始めた。 「…多分、アップルパイだ」 「え、アップルパイ?」 「ああ、昨日オーナーが知り合いから沢山のリンゴをもらったらしくて、もしよかったらどうぞってな」 「そうなんだ」 「それで、さっきキッチン借りて作ってたからだろ。匂いの原因」 さっき作っていたという言葉を聞いて、は思わず目を輝かせる。 元来こだわりを持った努力家の航河は、料理においてもそれを発揮する事を、は知っている。 が家庭的であるとすれば、航河は本格的なのだ。 「しかもカスタード入りだ」 うっとりとしたに、航河はそう焦らすのを楽しんでいるようにそう付け加えた。 「食べたいか?」 「えっ、いいんですか!」 「ああ、でもお前今、仕事中だったよな。残念」 先ほどの『中沢さん』発言を根に持っているのか 航河は、意地悪くそう呟いてニヤリと口の端を少しだけ上げて笑う。 「…い、意地悪ですね」 「だって同じだろ」 名前を呼んで欲しいという気持ちを、恥ずかしさですり抜けている事が 航河にとっては縮まらない距離のようで、歯痒くてしょうがなかったのかもしれない。 もしかして拗ねているのだろうか? は恐る恐る航河の様子をうかがい見る。 端正な顔立ち、吸い込まれそうなほど綺麗な瞳、優しい微笑み。 「こ…航河が、こんなに意地悪だったなんて知らなかった」 そんな些細な不安を与えたいわけじゃなかった。 は、少しだけ痛んだ胸に勇気を降り注いで、『航河』と恋人の名をやっと口にした。 少し呆気にとられたような表情で、航河はしょんぼりとするの一生懸命さを感じ取る。 「…こんな事、好きなやつにしかしない」 そう歩み寄ってくれたの態度が嬉しくて、航河は嬉しそうにの髪に触れ優しく撫でた。 「凄く、甘い美味しそうな匂い」 「……俺が、か?」 「ふふっ、そう、……航河が」 少し戸惑ったような航河が可笑しくて、は堪えきれず笑い出す。 なかなか表情を崩さない航河のこんな時の態度が、なんだかとても愛しくてしょうがない。 ふわり、と優しく微笑んでくれる回数も日に日に増えるのが、は何よりも嬉しかった。 もう一度はクスリと笑いをこぼすと、突然航河の腕がの腰へと回される。 航河の手に力が込められ、は航河の元へと引き寄せられた。 突然の出来事に、はどうしていいのか分からず体を固める。 航河の体温が、力強さがリアルに伝わってきて、どうにかなりそうだ。 「じゃあ、…食べてみるか?」 「え…っ…、あの…」 「美味そう、なんだろ?」 「ち、…ちがっ」 「になら食べさせてやってもいい。俺の体中、どこでも…好きな場所」 「へ、…んな事…言わないで…くだ、さい…」 食べてみろと言いつつ、まるでを食べてしまいそうな航河に の頭の中はよからぬ事でいっぱいになって、そんな自分が恥ずかしくて目頭が熱くなる。 ちょっとからかうつもりだっただけなのに、いざのそんな態度を見るとやめられなくなりそうだ。 航河はそんな事を思いながら、自嘲気味に笑って見せた。 すると、その時タイミングよく玄関から、面白いおもちゃを見つけたような表情をする疾斗が入ってくる。 「アルゥ〜?こんな所でなに口説いちゃってんの〜やらし〜ぃ」 「ちっ違います。違うんです鷹島さん」 は疾斗の姿を確認したと同時に、勢いよく航河から離れ誤魔化そうとする。 「うるさい、邪魔だ」 が離れてしまった事が何より悔しくて、航河は露骨に嫌な表情を浮かべ疾斗を睨みつけた。 しかし、そんな態度にひるむ事なく、疾斗は航河に対して悪態をつく。 「は俺達の取材に来てるんだよ。アルだけの為に来てる訳じゃありませーん」 「気くらい使えないのかって言ってるんだ、アホ」 「なんだとっ〜!そんな事言うと加賀見さんにチクるぞ、仕事中のにセクハラしてました〜って」 この二人のやり取りもだいぶ慣れてはいたものの 一体どうすればいいのか分からずはただおろおろする事しか出来ない。 「勝手に言え。…お前こそ、こないだカズがいない時また工具を…」 航河は冷たい視線を疾斗に送りながら、腕を組み呆れた口調でそう言葉にすると みるみるうちに疾斗の表情が青ざめていく。 「わーっ!ちょっと待った!なんでそんな事知ってんだよ!?」 今回は航河の圧勝らしい。 勝ち誇った表情をして、航河はフッと鼻で笑う。 「疾斗」 「……なんだよ」 「黙っててやろうか?」 「…………」 「ガレージにいるんだろ?二人」 「だからなんだよ」 「十分くらい足止めしてから、が来たって言って二人にこっちに来てもらえ」 「ちっ、ちくしょう分かったよ」 まるで、少しの間いかがわしい事をするから近づくな。 と言っているような航河の口調に、疾斗は悔しいのか恥ずかしいのか顔を赤くして外へ飛び出した。 突然の嵐のようなやり取りにアタフタするしかないは、航河の言葉のせいで体を強張らせる。 クルリとの方を向く航河に、思わず後ずさりする。 『逃げるな』という言葉と同時に、航河の両手がの逃げ道を塞いだ。 再び距離がぐんと縮まって、の心臓は破裂しそうなくらい高鳴る。 「…、こっち向け」 「…そういう事…言わ…ないで」 「なんでだ?」 「免疫ないから…困る…」 動揺したは、不安な表情を浮かべて伏し目がちにそう小さくこぼせば 覗き込むように近づいてくる航河の顔が、真剣な表情に変わった。 「じゃあ、…目を閉じてろ」 息遣いを感じる距離で航河はそう囁くと、驚いて逆に目を丸くしたの唇をゆっくりと優しく塞いだ。 微弱な電流が体中に流れたように、は体をビクッ体を震わせる。 「な、…中沢さん…待って…こんな…、私…」 堪えきれず唇を離しうつむくは、言葉にならない言葉を呟いて再び黙り込んだ。 そんなが焦れったくもあり嬉しくもあり、教え甲斐がありそうだと小さく笑った。 「、どうだった?」 「えっ?」 「俺は…甘くて美味かったか?」 航河の言葉に、は体中の血管が沸騰しそうなくらい熱くなって、航河の唇の感触を思い出させた。 熱く優しい唇は、好きだと言葉を紡ぐように、を包み込んでいた。 「し、知らない、…わかんないそんなの」 思わず思い出してしまいハッとするに、航河は愛しい眼差しを向けて口を開く。 「じゃあ、もう一回。今度はゆっくりと味わえよ」 航河の唇が、再びの唇を塞いだ。 おまけ (それから十分後) 慧「やあ、さんいらっしゃい」 和浩「あれ、どうしたの?さんなんだか顔が赤い」 「い…いえ、大丈夫です」 慧「どうした疾斗」 疾斗「へっ?なんですか加賀見さん」 慧「今日は随分大人しいな」 和浩「本当だ、いつもならさんの事からかうのに」 疾斗「なっ、何言ってるんですかカズさん。俺がそんな事するわけないじゃないですか」 航河「してるだろ、小学生みたいに」 疾斗「…っく、アル、てめぇ…」 航河「何か言ったか?」 疾斗「……っうう」 和浩「もしかして航河に何か弱みでも握られた?」 慧「なるほど、そういう事なのか疾斗」 疾斗「いえそんな事!カズさんの工具をまた蹴散らして内緒で片付けたとこを航河に見られてたなんて事…」 和浩「……なるほど?そいういうわけなんだ」 航河「真性のアホだな」 疾斗「って…しまったぁ!うおぉぉ…カズさんごめんなさい!」 慧「ごめんねさんいつもやかましくて。さ、気にしないで取材始めようか」 疾斗「か、加賀見さん助けて!」 なんだか突然思いついて、だだだだだーっと書き上げちゃいました。 甘いんだか笑えるんだか分かりませんが、読んでくださりありがとうございました^^; ←BACK |