深い口付けの後

その唇がゆっくりと離れていく

まるでの生気を吸い取ってしまったかのように

僕の体は甘く疼き、体中の血液がドクドクと熱く脈打っていた


それは、全ての不安を吹き飛ばしてしまうくらいの――



「僕には、が、…君が、いる。」


















HOLD ME
















細く小さな肩を抱き、もう片方の手での髪を何度も撫でる。
頼りなさそうに立つを支えていると、彼女は恥ずかしそうに目を伏せて僕へすり寄ってきた。


「慧、…なんか、いい匂いがする。」

「……え?」


それはこっちのセリフだと、僕は微笑まずにはいられない。
けれど、はそんな事そっちのけで、僕から少し体を離してあたりをキョロキョロと見回している。


「なんだろう、この辺り全体から香ってくる。」

「…もしかして、あれかな。」


心当たりといったらひとつしかない。
玄関に置いたままの、メンバーからもらった花束。
僕がそれを指さすと、その先に視線を向けたは嬉しそうに目を輝かせた。


「すごいきれいな花束!これ、どうしたの?」

「ああ、今日の帰りに、カズ達から貰ってね。」

「そうなんだ。置きっぱなしだと萎れちゃうかな…。ね、これ活けてきてもいい?」

「そうしてくれると助かるけど。」


『こんなにたくさんの花見るの久しぶり』そう言い残して
は楽しそうに花束を抱えながらリビングへと向かって歩いていく。

さっきまであんな熱い口付けを交わしたというのに、花に誤魔化され邪魔されてしまったような
なんて、罪のない花にも嫉妬してしまいそうだ。
自分の思考に苦笑しながら、僕はそんな気持ちを胸にの後を追った。


















どこからか花瓶を見つけたは、ニコニコと幸せそうに花を挿していく。
そんな彼女の脇に、ケーキの入っているであろう箱を見つけた。
きっと彼女の事だから忙しい合間を縫って作ってくれたに違いない。
もう、それだけで、そう思うだけで胸がツキンと痛んだ。

今の僕でも、こうやって想われているとの側で実感できるなら
何もいらないと、心の底からそう思える。

過去の事なんか忘れて、厭われる事なんか気にせず……

それなのに、どうしてこんなにも胸は切ないのだろう。



「あ、そうだ。慧、ケーキ作ってきたの。」

「ああ、その箱だよね。今、僕も作ってきてくれたのかなって思ってたんだ。」


ちょうど花を活け終えたが、僕の方を振り返りそう言った。


「でも、晩ご飯はどうなるか分からなくて用意してないの、ごめんね?」

「その気持ちだけで十分だよ。まだ時間も早いし外で食事しよう。」

「うん。慧の食べたい物食べようね。」


の笑顔が、声が、僕を愛してくれる。
どんなに苦しくても、君がいれば乗り越えられる気がする。
飾らない自然のままの僕が、唯一さらけ出す事の出来る場所。


愛しくて

愛しくて

苦しいくらい

愛しくて

僕は、片付けを始めるの背中を見つめるだけじゃ足りなくて
もっと近くに感じたくて、彼女を背後からそっと抱きしめた。


「…誕生日を祝える年齢なんてあと少しなんだろうな。」

「……え?」

「若い時と違って、あとはどんどんおじさんになっていくばかりで。」

「…そう?」

「あ、…いやごめん。ちょっと感傷的になっちゃったかな。」




この、焦燥感に似た切なさの理由は、……恐怖だ。
確証のない未来の愛の行方。

僕が道に迷った時、は再び離れて行こうとしてしまうんじゃないか
道を選んだ時、両親達を傷つけてしまったように、彼女が心を痛めてしまうんじゃないか
僕は、それをつなぎとめる事が出来るのだろうか

ありもしない事実に落ち込むなんて、…馬鹿みたいだ。
けれどそれほど、歪んでしまいそうなほど、が大切で愛しくて離したくないんだ。




「この先もずっと同じように祝えると思うよ、むしろ年を重ねるごとにもっと深く。」



抱きしめる僕の腕を、がそっと触れてそう言った。
温かい手のひらから伝わる彼女の熱が、僕の腕から心の中にまで入り込んできて

何もかもを吐き出して楽になりたいと、僕は切望していた。


「こうやって側にいてくれる事も、色んな過去の思い出も、全部10月5日に起こった出来事のおかげでしょ?」

「うん。…これからもずっと一緒にいて欲しい。」

「慧が、私をすごく大切に思ってくれるのすごくよく分かる。」

「それは本当に大切だからね。」

「今を大切にしてくれる慧とだもん、必ずこれから先だってずっと一緒だよ。」

「…もし、これから何かに苦しむ事があったとしても、…だけは傷つけたくない。」

「苦しむ事があっても、きっと色んな事を学ぶチャンスにつながってるんだから大丈夫。」


『そんなに柔じゃないわ』そう付け足して振り返り僕と向き合うは、優しい笑みを浮かべていた。
もしかしては超能力があるんじゃないかというくらい、僕の欲しい言葉をくれる。
僕が塞いでいる事も、実は気がついているのかもしれない。
それでも、ただの日常のように接するは、ただの日常の中で慰めを与えてくれる。


「私もね、そう思ってるの。」

「…うん。はすごいね。」

「慧が教えてくれた事なんだよ。」

「そうなの?」

「慧がね、全ての期待に応えたいとか、守りたいって思ってくれる事はすごく嬉しい。」


の細い腕が僕の背中に回されて、胸には静かに顔をうずめてくる彼女の体温。




「でもね、少しは気がついて欲しいの。」



胸に響くの声が、僕の鼓動とシンクロしてひとつになってしまいそうだ。



「慧が想ってくれるように、あなたがあなたである事だけで大切に想っている人はたくさんいるから。」

「……それは、とか?」



の頬を両手で包んでこちらを向かせれば、純真無垢な彼女の瞳が僕を見つめ返してきた。




「ふふっ、そう、私とかね。…きっと誕生日はそんな無償の愛が始まった日なんだよ。」






君の言うように僕が僕であるだけでいいのなら

間違っていなかったのだろうか。

許されるだろうか、今まで僕が裏切って来たであろう


両親からの期待

周囲の人々からの評価

僕はしがらみから抜け出して、過去の全てを失ったと勘違いをしていたのかもしれない。

あの留守番電話のメッセージにさえ耳を塞いでいたのは、僕だ。


期待から逃れる事で過去の愛情も消えてしまうのではないかと目をつぶっているのも、僕だ。


この目できちんと確かめなければならないんだ。

僕は、まだ両親達から愛されているかどうか。

今ならまだ間に合う気がする、のおかげで…。





必要以上に力んでいたらしい僕の体は、見事にの体にもたれてしまい
支えきれないごと床に倒れこんでしまった。

一瞬の沈黙の後、僕とは笑い合って

寝転んだまま、まるで子犬がじゃれ合うように僕はに口付けを繰り返す。





「ケーキどうしようか、後にする?」

「そうだね。後で、僕がケーキのおいしい食べ方、教えてあげる。」



君ごと食べたい

なんて言ったら、恥ずかしがって逃げ出してしまうだろうからその時まで内緒にして

の体を両手両足で塞ぐと、疑問符を頭にのせて笑うが再び口を開いた。



「でも残念。」

「何が?」

「小さい頃の慧にも会ってみたかったなって。」

「…………。」

「可愛かっただろうなぁ…。」

「……そんなに知りたい?」

「うん、知りたい。」


にきっかけを貰うのは一体何度目だろう。


「だったら今度、アルバム見せてあげるから家へおいでよ。」

「…え?……家?」

「ちょうど実家の方に連絡しようと思っていたんだ、頼んでおくよ。」

「……え、え、え?」



の事、両親に紹介したいんだ。もちろん僕の生涯大切な人として。」


思いもよらなかったらしい僕の言葉に、は目を丸くしたまま固まってしまう。
体を起こして、の答えを急かすように『…だめかな?』と呟くと
スイッチの入った玩具みたいに、もつられて起き上がる。


「だ、ダメじゃないけど、その…びっくりで……あの…、よろしくお願いします。」


カチンカチンに緊張しきったが、三つ指ついてお辞儀をしてきた。
以前、琉に『彼女、面白いね。さすが兄貴の選んだ人だよ』なんてからかわれた事を思い出し、苦笑する。




「…ついでに、両親とも和解できたらな…なんて打算もあるんだけどね。」

「……慧。」


ああ、なんでがそんな嬉しそうな顔をするのだろう。
まるで自分の事のように、涙までためて。


「こんな優しく素敵に育ってくれた慧を簡単に疎まないと思う。」

「…ありがとう、そう言ってくれるを両親も歓迎すると思うよ。」



「…うん。あ、そうだ。慧にちゃんと言ってなかったよね。」

「ん?なに?」






そう言って、は自分のバッグの中から綺麗に包装された物を取り出し

そしてそれを、僕の前に差し出して微笑んだ。




「誕生日、おめでとう。」








お金や物よりも、もっと大切で素晴らしいものを教えてくれる君と

とこうやって過ごせる事が、僕にとって一番かけがえのない幸せなんだ。




やっぱり、君となら一人で乗り越えられなかった事も乗り越えられる。そう思うよ。





いつまでも




いつまでも




そんな君を









愛してる――。





















あとがき
……慧サマの一人称は難しい、そして難産でした…_| ̄|○
ちゃんに対しては『僕』、男衆に対しては『俺』でしたよね。
じゃあ、自分では自分をどう呼んでいるのか…ああ、もう自分で何言っているのかすら分からなくなりました(笑)。
慧サマは一生懸命人を愛そうとするが故にその真っ直ぐさが
自分も同じように愛されているという事に気がつけない人なんじゃないか、と。
打算のない愛はすぐそこにあるよと、気がついて欲しくてこんなお話に出来上がっちゃいました。
最後まで読んでくださりありがとうございました。

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