小さい頃から、自分は愛されて生きてきたと思う こうすればいいだろうとか ああなるなら、こうあるべきだとか 頭の中でいくつかのシミュレーションをして、どれが一番最善か自分はどうすべきか選んできた 誰かの期待に応えて、それに喜びを得て そう、あの素晴らしい感情を生む、成果を収めるために 落ち着いて、取り乱す事などなく冷静に いつもそうだった。 HOLD ME 二週間ぶりに戻ったマンションの鍵を開け、まだ体から抜けきらないレースの高揚感を連れて 静まり返ったリビングまでの道を静かに歩いて行くと 窓から入ってくる夕焼けの色が部屋中を染めていて、ためらいつつそこへ足を踏み入れた。 家を出た時と同じ、何の変化もないリビングのソファーにジャケットと車の鍵を放り投げ 自らの体も同じようにそこへ沈める。 耳にはまだ、あの低く唸るエンジンの音が刻み込まれ、時折頭の中に響いて 背もたれに体を預け息を吐き出すと、今までの疲れがどっと出てきたのか体中が重く感じられた。 このまま動きたくないなんて思えるが、そうもいかない。 玄関に置いたままの花束や着替えの入った鞄を何とかしなければならない。 意を決して立ち上がった瞬間、家の電話が点滅している事に気がついた。 一気に気分が張り詰める。 この家の電話にメッセージを残す人物なんて、大概決まっているからだ。 『……母さんです、どう?元気にしている?慧、あなたったらいつも連絡よこさないで。 お父さんも心配してるんだからたまには顔を見せなさいね。……それじゃ。』 五日、午後、八時、三十、五、分、デス。 ……今更。 今更、どの面を下げて会いに行けばいいのか。 大学まで上げてくれた両親を裏切って、土壇場で自分の道を方向転換したんだ。 レーシングドライバーとして進んだ道を後悔はしていない、だから余計に。 自分のした事がどう思われているのか、恐れているのかもしれない。 反対され、ぶつかったのはあれが最初で最後だ。 怒り悲しみ苦しみ全ての負の感情を、自分に向ける両親達の顔が忘れられない。 あれ以来、実家へ戻る事もほとんどなくなり、両親の期待に背中を向けて。 こんなどうしようもない自分が 今更、どんな顔をして会いに行けばいいのか ……もう、あの頃の期待に応える事など出来ないのだから。 メッセージが終わってもなお、静まり返った部屋で『留守』の文字を点滅させた電話をただジッと見つめる。 太陽が沈んで暗くなっていく部屋と同様に、自分の心の中にも闇が広がっていく。 ジリジリと まるで、導火線に火がついて、どうしようもなくなってしまった状態だ。 どうすれば、消し去る事が出来る…。 その時、インターホンが鳴った。 。 咄嗟に頭に浮かんだのが彼女の顔だった。 5日は互いの仕事が忙しく会えず、 土曜と日曜の今日も、伊達さんの部下の一人が倒れひとみが助けに出る事になって。 会いたくて会いたくて会えずにいる恋人、もしかしたらに会えずにいた事が ネガティブな思考を掘り下げてしまっているのかもしれない。 救いを求めるかのように、玄関へ歩き出し、祈るように扉を開ける。 『もしかしたら』は『やっぱり』という、嬉しい感情を生み出して確定に変わった。 そこには、息を切らして微笑む……ずっと求めていた人の姿。 「、…走ってきたの?」 「慧、ごめんね。誕生日会えなくて…それに今日もそっちに行けなくて。」 「そんな事、いいんだよ。それより、伊達さんに頼まれた突発の仕事は終わったの?」 「うん、なんとか。だから、急いで慧の家に忍び込んで驚かそうと思ったんだけど…。」 「僕の方が先に帰って来ちゃってた?」 「そう。下の駐車場で慧の車見つけて、あーもういるんだ!って…残念。」 導火線を踏み消して、の言葉に耳を傾ける。 他愛のない言葉がとても優しくて、柔らかい笑顔が愛しくて、胸の中に切なさが押し寄せる。 こらえるように自分の手をぐっと握り、力を込めても押さえ切れなくて 『お邪魔します』と言って部屋に上がるを引き寄せて、自分の腕の中へ閉じ込めた。 「……今夜は、ずっと一緒にいてくれる?」 これ以上抱きしめたら折れてしまうんじゃないか、というくらい強くを抱きしめると 心地良いいの香りに包まれて、そう呟いていた。 それに答えるように、背中にの腕が回されるのを感じ安堵する。 嬉しそうに微笑むと目が合うと、たまらず自分の唇を押し付けるように彼女の唇を塞いた。 全てを受け止めてくれる彼女の存在が、いつも救ってくれるんだ。 あとがき 話の背景が分かりにくくてごめんなさい。 とりあえず、慧の誕生日の週はレースがあってちゃんもお仕事で行けなくて 週末にやっと会えた二人がお誕生日のお祝いをするというお話なんですが…。 いろんな意味で溜め込むのは体によくないから、今夜は二人でスッキリしちゃってください。 みたいなお話です(笑)。後編に続きます。 ←BACK NEXT→ |