冷めていた胸が急に締めつけられていく

閉ざされた感情が迷い出す

何故こんなことになってしまったのか

考えるほど深みにはまっていく

身体が……熱い

壊してしまえ、と頭の中で誰かが叫んでいる――。











breaker













「中沢さん、こんにちは。」

春風のような暖かい笑顔で、は俺のもとへやって来た。

……ただ、状況と場所はいつもと違う。

いつも取材に来るサーキット場ではなく、ここはメンバーで合宿しているペンション。
いつもメンバー揃って会っていた状況が、今は二人きり。


加賀見さんは、スポンサーの人間と打ち合わせが入った。
カズは、タイヤの調達で朝からいない。
疾斗は、…アイツはどこに行ったのか分からないが、
このペンションが静かなことを想定すれば外出しているのだろう。

「……おう。」

目と目が合い思わず視線をはずす。

……まずい。
すでに俺の頭の中で警報が鳴り響いている。
いつからかなんて分からない。
気が付いたら、もうの事を目で追っている自分がいた。

コイツが他の奴らと楽しそうに笑っていれば、いたたまれない気持ちになる。
誰かがコイツの話をしだせば、黒い感情があふれそうになる。

ただ、俺にはそれを止める権利なんてない。

俺とコイツの関係は、ただのレーサーと記者というだけだ。







「せっかくのお休みのところすみません。」

俺の態度を勘違いしては勢いよく頭を下げる。

「いや……。ただ、俺以外誰もいないんだが…。」

上手く感情を言葉に表せない自分が歯がゆくてしょうがない。


「あ、加賀見さんや岩戸さんの事はうかがっています。鷹島さんも…ですか?」

「あぁ、一応部屋をノックしてみたけど反応はなかった。それに、アイツがいるならもっとうるさいはずだ。」

俺の言葉には『なるほど』といって目を細めて笑った。

が来る事は疾斗も知っていたはずだ。
それなのに姿を見せないアイツに苛立たしさを感じていたが
この笑顔を独り占めできたことに、少し優越する。


「……とりあえず部屋に行くか?」

「え!よろしいんですか?」

「ああ。この前来た時、見せてなかったしな。」


は嬉しそうに瞳を輝かせた。
自分のプライベートルームに入れるのは少し抵抗がある。
初めてここへ訪ねてきた時とは違う、……理性という部分で。
ただ、部屋に誘った事に対して、困ったり嫌な表情を浮かべなかった事に安堵した。
”仕事である”ということは分かってはいるが、
どうであれ俺はにとって、嫌な存在ではなさそうだった。





誰もいない静けさと、階段を上る二人の足音が、余計に緊張を高める。






「……きゃっ!?」

突然が悲鳴を上げたと思うと、右腕に柔らかいものが絡み付いてきた。
一瞬何が起きたか理解できずにいたが、
大方、階段につまずいたか、滑ったか…、そのあたりだろう。

反射的にもう片方の手で、の肩を支える。
温かく、柔らかい感触に、抱きしめたくなる衝動を必死で抑える。



「……大丈夫か?」

「すすすすみませんっ!?つまずいちゃって…。」

見る見るうちに顔を赤くさせ、はつかんでいた俺の腕からすかさず離れた。

まったく、どうしてコイツは俺の感情を揺さぶるのが上手いのか…。
離れてもなお俺の身体は、わずかに残る感触に甘く痺れる。

やっぱり、部屋に上げるなんて言うべきじゃなかったかもしれない。



くそっ、心臓がうるさい……。







それを誤魔化すために、わざと大きな音を出して部屋のドアを開ける。
そして、まだ顔のほてりが抜けないらしく、少し赤い顔をしたを招き入れた。


「失礼します。」

興味深そうに辺りを見回すを見ながら、後ろ手にドアを閉める。
けれど、警戒のけの字も見せず、楽しそうに持っていたバッグから数枚の書類を出していた。




その腕をつかんで
俺の方を向かせ
無理やりにでも抱き寄せて
触れたい
触れたくてしょうがない
……。



頭をよぎる不誠実な思考を、思い切り頭を振って捨て去る。

何考えてるんだ、俺は…。
そんなことをすれば、せっかく築かれた信頼が崩れ去ってしまうのに。
……そんなことをすれば、確実にもうコイツに会えなくなるだろう。

俺は、頭を冷やすためにが視界に入らない窓の外を眺めた。

ちょうど駐車場が見える。
…………。
おかしい…。
見えないはずの物まで見える。
アイツのFD……。
いるのか?




「素敵なお部屋ですね。……あの、中沢さん?」

「ああ…、悪い。疾斗の車が駐車場にあるんだ。どこかにいるのかもしれないな…。」

「えっ…?あ、本当ですね。」

俺の言葉に導かれ、は隣に来て同じ窓からFDを探し出す。
位置的に少し見づらいのか、爪先立ちで首を少し伸ばしてきた。
そのとたん髪が揺れ、甘い香りが鼻をくすぐる。
眩暈がして、思わず倒れてしまいそうになる。


「……探してくる。」

足早にそこから離れ、早口でそう告げると『え……』とは不安気な表情を見せた。

「……すぐ戻る。適当に座ってくつろいでろ。」

目も見ずそう言い残して部屋からでると、閉めたドアに寄りかかり天を仰ぐ。



何やってるんだ俺は……。

こんなあからさまに変な態度をとって…。
疾斗を探そう。
アイツがいれば、何とかなるだろう。

二人きりで部屋にいたら、気が狂ってしまいそうだ。

正直それはそれで、そうなってもいいんじゃないか?
なんて考えも及ぶけれど……。

だが、探してくると言った手前、戻るに戻れない。







コンコン
とりあえず、疾斗の部屋をノックしてみる。
が、やはり反応はない。





頭を冷やすのもかねて一階へ降り、
食堂から談話広場からいそうな場所を見回す。

……いない。

外靴に履き替えて庭へ出て、
ガレージの中も捜してみたが

……いない。




くそっ。


だんだんイラついてきた。



まさか…




三階にある風呂か?

いや、最初に探した時からかなり経っている。
俺じゃあるまいし、湯船にゆっくりと浸かっているなんて
アイツに限ってあり得ない。



ちっ。

念のため、見に行くか…。


再びペンションの中に入り、階段を上る。
半分くらい上ると、何だかもうどうでもいいような気になってくる。

大体なんで俺が、アイツを探さなきゃいけないんだ……。


…………。


しかも、せっかく足を運んだ三階にもいない。


……戻ろう。


これ以上待たせておくのも悪い、それに疲れた。















部屋のドアを開けるとは床に座っていて
『おかえりなさい』と俺を見上げて言った。

その瞳が、唇が、上目遣いの所為か妙に色っぽい。

「鷹島さん、いましたか?」

の言葉に我を取り戻し、気持ちを入れ替えるために大きく息を吐いた。

「いや…、どこにも見当たらないんだ。」

「……そ、そうですか。」

「……悪いな。」

「いえいえっ!だ、いじょう…ぶです。……っ。」




……様子がおかしい。
平静を装ってはいるが、一瞬の眉間にしわが寄ったのを見逃さなかった。

しかも、さっきから身動きひとつしていない。
具合でも悪くなったのかと思ったが、ふとさっきの出来事が頭をよぎる。
つまづいた時、足を痛めたのだろうか。

なら、何故すぐに言わないんだ。
俺に助けを求めるのが嫌なのか?
いや、コイツの事だ、俺じゃなくても隠そうとするだろう。
まったく、強いのか弱いのか……。


「……足か?」

は俺の言葉に身を縮ませ『へっ?』と、とぼけているのか引きつった笑顔をつくる。
やはり、何かを隠しているのは歴然。

「見せてみろ。」

近くまで歩み寄り、その場へしゃがみ込む。

「あの…、本当に大丈夫ですから。」

視線をそらしながらこぼしたその言葉に、半ば意地になりながらの正面に膝をつく。
スカートから覗く両足の隙間に一瞬目を奪われるが
その先に視線を移して、足首を見つめる。



腫れてはいないようだが、表情から察するにかなり痛そうだ。
少しためらって、の足に触れる。








「いやぁっ、ダメ〜ッ!」







突然、はそう叫ぶと同時に、両手で俺の胸にしがみついてきた。

その弾みで俺の身体は不安定になり
意思とは全く関係なく、を下にしてその場に倒れこんでしまった。




寸前での頭を支え、反対の手を床につけ衝撃を抑える。

息が止まりそうだ。
これじゃあ、まるで俺が襲いかかっているみたいだろ……。

『…悪いっ』そう言って慌てて身体を離そうとしたが
胸にしがみついたままのの手がギュッとより強く力を込めてきた。

「……おい。」

そんなに痛むのか?
それとも……。

「もう少し…、このままで…いて下さい。」

乱れて床に散らばった髪が…
濡れた瞳と震える唇が…
コイツの全てが俺を壊そうとする。

「……病院行った方がいいじゃないのか?」

赤らんだ頬に思わず唇を寄せたくなる。
それを抑えるのに必死で、自分で何を言っているのかすら分からなくなる。

「へ?あの…違うんです。その…足が……れて…。」

「……?悪い、よく聞こえなかった。」

「足が……しびれた…だけ…。」






あの叫びも
俺にしがみついているのも
このままでいてくれと懇願したのも
その潤んだ瞳も
その震える唇も

全部……。






「……俺は、くつろいでろと言ったよな?」

「……はい。」

「何で……。」

何でくつろいでいる人間の足が痺れるんだ、…そう言いたかった。
けれど、あまりにも間抜けな理由に、それはため息で終わる。




「す、すみません。待っている間に書類にもう一度目を当していたらつい…。」

つい…。
ついってなんだ?
つい集中しすぎて足が痺れたのか?

その上

つい俺の胸にしがみついて
つい俺に押し倒されて
痺れの衝撃から逃れるあまり、
ついこのままでいたいと…。

それで
つい俺に襲われてもかまわないっていうのか?

俺以外の男の前でもそうやって無防備なのか?





「お前は…相手が誰でもこうなのか?」

「え?」

怒りにまかせてぶつけた言葉は見事に空回りした。
それが余計に胸をじりじりと焦がしていく。

「……なんでもない。」

「あの、もう治まりましたから…。」

『本当にすみませ…』と続ける言葉を遮って
全ての感情を押し付けてやろうとに吐き捨てた。

「このまま俺が退くと思うか?」

案の定、は戸惑いの表情を浮かべて押し黙ってしまう。

「…俺は男だぞ。」

お前の事が好きで好きでしょうがない。
吐き出しそうになるその言葉を噛み殺して、少しずつ顔を近づけていく。











「アル〜、いるか〜?わりぃ、ついウトウトしてたら爆睡しちまった!

  ってか、お前の大好きなちゃんはまだ来て……って、えぇっ!?」









驚きで見開いたままのの目を無視して唇に触れようとした瞬間
ノックと同時に無遠慮に開かれたドアから、今頃疾斗が現れた。


寝ぼけ腐った声で話しかけてきた疾斗は
今、目の前に映る場景に驚いて間抜けな面を見せいてる。

「……目、覚めたか阿呆。」

体制を崩すことなく顔だけ疾斗に向ける。

昼寝してただと?
ガキかてめぇは…。

言いたい事は山のようにあったが、はっきり言ってどうでもいい。
今は、組み敷かれたままピクリとも動かないが先だ。


「……もしかして俺、ものすごい邪魔?」

「……わかってるなら出て行け。」


真っ赤な顔で目をそらしながら
疾斗は『ごめん!』と言いながら慌てて部屋から出てバタンをドアを閉めた。
廊下をものすごい勢いでドタバタと走る音がした。






チッ。
思わず気分がそれてしまった事に舌打ちする。

すると、小さな声でが『中沢さん』と俺の名を呼んだ。


驚いた。


目を向けるといつの間にかコイツの表情から恐怖が消えていた。
そのかわりに、真っ直ぐと俺を見つめ何かを期待するような目を向ける。

解放してもらえるとでも思っているのだろうか。
たとえ邪魔が入っても離すなんてできるわけない。

ずっと望んでいたんだ。
……触れたい、と。


「どうしてなんですか?」

「……何が?」

「どうしてこんな事……。私が"女"だからですか?」

「何を言って……。」


正直何が言いたいのか分からなかった。
必死に言葉を紡ぎ出そうとしているの瞳にうっすらと涙がたまっている。


「中沢さんは"男"だから"女"の私にこういう事……。」

震えた声でそういうと、目じりからひとすじの滴が流れた。

男だから?
女だから?

お前が好きだからに決まってるだろ…。


「だけど…、さっき鷹島さんが言った言葉が気になって……。
  わからないんです。もしかして中沢さんも私と同じなのかもって……。」


アイツの言葉?
俺も…何だっていうんだ?

「…アイツの言葉?何だ?はっきり言えよ。」

「だ、だから……、中沢さんは…。」

「………俺は?」

「私の事をす、好き……なんでしょうか……。」


ちょっと待て。
どういう意味だ。
心臓がうるさくて考えが上手くまとまらない…。


"もしかして中沢さんも私と同じなのかもって……"


同じ?
俺がを好きな事と?
それはまさか……。

「……つまり。」

ポツリとそう呟いて、俺はごくりとのどを鳴らす。

「つまり、私は…、中沢さんの事が……。っじゃなくて、中沢さんがどうなんですか?」


は恥ずかしそうに、ずっとしがみついていたままの俺の胸に顔を隠してしまった。

なんだ。
そういう事なのか…。
思わず安堵のため息をこぼす。

「……。」

ずっと、ずっとそう呼びたかった名を呼ぶ。

おそるおそる、こちらをうかがうようにして見つめ返してきたを強く抱きしめた。

「な、…なか、ざ…わさん…。」

「…そうじゃないだろ?」

腕を緩めて、そう言いながら顔を近づける。
唇が触れそうになる。

我慢しろ。

そう自分に言い聞かせて『名前で呼べ』と囁く。
ユラユラと揺れる瞳に、吸い込まれそうになる。






「……航河。」






それを聞いて、俺は呟いた言葉ごと奪うようにの唇を塞いだ。


ビクンとはね上がる身体を押さえ込んで
柔らかくて暖かい唇を
俺はただ夢中でむさぼる。





粉々に破砕されたのは俺の理性と、くだらない建前。

苦しそうに嬌声を上げるの目から再び滴がこぼれた。

扇情的な表情に、心を奪われる。









「……好きだ。」






ずっと

ずっと

好きだった。

その感情が、意思とは関係なく俺の口から自然とこぼれた。




が微笑む。



そういえばきちんと思いを告げる前に触れてしまった。
これじゃ、順番が逆じゃないか。

今さら浮かんできた言葉に、自嘲気味に笑う。



しかし

思いもよらずふってきたこの幸福に比べればどうでもいいことじゃないか。




俺は幸せを噛み締める為に、再びの唇に口付けをした――。







あとがき
はい、どうも〜!!うちの航河はカワイイです(笑)。
こんな風に想いが通じ合えたらいいな〜…。
と、ヨダレを垂らしながら書き上げました。
そして、疾斗ファンの方、今回はすみません(笑)。
楽しんで悶えていただけたら嬉しいですヾ(≧▽≦)

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