二人で食事をした後はいつもゆっくり話をするのが常であり、それが一番幸せな過ごし方と俺は信じきっているのだが、そうではないときも当然ある。俺の恋人は、旦那様は、いわゆるサラリーマンであって、俺には尊敬するしかないような生活を毎日送っている人であり、その身体は残念ながら彼と俺だけのものではなくて、月末になると会社からなかなか返してもらえないときが在る。
そういうときは当然、寂しい思いを強いられるわけで、何も思いつかなければ古い自転車を漕いで、一番近所の喫茶店に行く。コーヒーを飲みたくて行くんではない、ケーキも別に、紅茶ならうちでも美味しいのが淹れられる、そうではなくて、本を読みに行く。本だって勿論、うちにあるのをわざわざ持って出かけて、向こうで読むのだから、その手間は馬鹿馬鹿しいものではあるのだろうが、十一時まではやっているこの本屋は、駅からウチまでの帰り道にあるので、窓際の席に座った俺に気付いてくれたなら、一緒に帰る事も出来る。本は要するに、暇つぶしに使われるわけだ。
でも、最近は読書が好きになっている。武者のお陰で志賀も読んだ。ただ、いわゆる現代の作家の方が、やはり文体の面で、或いはもっと初歩的に、漢字の面で、ありがたい。しかし、どこかに妙なプライドというのが俺の読書には介在していて、あまりに最近の作家は敬遠している。例えば春樹、例えば江国、例えば京極。また、俺は読者の側で勝手にレッテルを貼っている――恐らく全ての読者がそうだろうが――ので、例えば赤川次郎や西村京太郎もほとんど読まない。何となく、読んでいる本で自分を高めたいと想っているふしが在る。そんなふしがあるのなら日本文学なぞ切り捨ててしまうべきかもしれないが、翻訳された文章は生っぽさが無いような気がして、馴染めない。だから今日は北杜夫。ちゃんとした小説のほう。鬱になりそうな、だけど外でコーヒーを飲みながら、有線のジャズピアノを聞きながら、彼を待ちながら、だったら何とか、いけそうだ。
時間を意識しないで、窓際の席に座って、ページを開く前にまず、煙草を一本吸う。どうせコーヒーは熱くて飲めない、煙草を一本ゆっくりゆっくり吸い終わったら、それからようやくページを開く。深刻な話で、どうも、なかなかページが進まないなと想っているうちに、入り込んでいく。活字ばかりを追っているのだから、当然目は疲れてくる。顔を上げて、ぎゅうっと目を閉じて、煙草に火をつける、そしてそこで初めて、雨が窓を叩くのに気付くのだ。
常日頃行いのいい彼の帰りを雨が襲うなんてと恨めしい気にもなるけれど、行いのいい彼のかばんの中にはちゃんと折りたたみの傘が入っているはずだ。
行いの悪い俺は、だから、傘が無い。手ぶらで、ポケットに文庫本と財布と煙草だけ押し込んで出てきてしまった。どうしよう、と一瞬戸惑った、今ならまだ小降りだから走って帰ろうか?
そうしないで、また本に目を落とした。
これでもし、彼が俺に気付かなかったり、この店の閉店時刻までに彼が通らなかったりしたら間違いなくびしょぬれになる。そして帰る頃にはものすごい不機嫌になっているんだろうと想像する。だけど俺は自分のコントロールをサボタージュした。そして、彼を信じた。彼は必ずここを通る。傘を差して、やや急ぎ足でここを通る。気付けば今は九時五十分、どんなに遅くとも、十時半には通るはずだ。窓際の俺に気付いて、にっこり笑ってくれることを、俺はもう過去に何度も経験していたから、これから起こることすらも、既に起こったこととして認識し、ただ、楽しみに思い出すことが出来た。
だから俺は本に目を落とし、煙草を灰皿に押し付けてすぐ、次の一本に火を点けた。
憂鬱な文体と格闘しつづけて、どれくらい経ったろう? 隣りの椅子が動いた、俺は無意識に、壁の高いところの時計を見た、もう十時半になろうとしている。
あったかい、ミルクの匂いが鼻先に漂って気付いたのは、そう言えば俺ぜんぜんコーヒー飲んでないや。
「……ほしいな」
「もう一つ買ってこようか?」
「いや……、一口だけでいいんだ」
恋人は、自分で買ってきたホットミルクに、俺が勝手に砂糖を入れて、先に一口啜るのを、穏やかに微笑みながら見ている。
「どくとるマンボウ?」
「違うよ」
俺は言下に否定した。ここまで、何とか読みきって、この小説の作家はどくとるマンボウではなく、「北杜夫」なのだと。
それから二人で、煙草四本分の時間を費やして、ゆっくり立ち上がって、帰った。彼のスーツの右肩は、少し濡れてしまったけれど、乾かないものではないのだしと、手を繋いで。こんな夜なら暗くも無い。