多数決に二人だけで反対する。

 ここは民主主義の国だから、決まり事は何でも多数決。

 民主主義のシステムに関して文句を言うつもりは無い。これからも多数決で決めていけばいいと思うし、それが崩れてしまった時、馬鹿らしいことが起こるであろう事は想像に難くない。機能しつづけていってくださいよと思う。

 民主主義の国に生きていると当たり前のように民主主義が頭に刷り込まれていく。マジョリティとマイノリティと在ったら、マジョリティの方が正しいって言う考え方が、この国に生きる頭に定着していく。それだけ集団を重視する「民」というのは要するに個体ではなく群衆を表す。残念ながら少数の弱者の存在が黙殺されてしまうシステムではある。多数決の結果、少数派意見は「正しくない」というレッテルを貼られてしまうと、反論の手段がない。

 俺たちなど、社会的に見たら本当にまだ、ごくごく少数派に過ぎない。それゆえ、白眼視とまでは言わないが、どうにかすると、あまり良い思いを出来ないポジションに置かれてしまう。ゲイだし、俺は働いてないし、本ばかり読んで理想主義振りかざして、二人でいるときはセックスばっかりして。手を繋いで歩いているだけなのに、近所の奥さん連にひそひそやられるっていうのは、相当に俺たちがマイノリティであって、認められない存在であるということだろう。

 人間が一人、ただ自分の思ったとおりに生きるそれだけのことを、誰かが貶したり蔑んだりすることは無いと思われる。だが実際には嗜好や価値観、或いはその人間の外見に至るまで、あらゆる理由でもって、「少数派」と判断されて、正義の「多数派」に叩かれる危険性がある。

 一体何が「少数派」になるかは判らない。例えば、何かひとつのものに熱中する人が、或いは弱小球団を熱烈に応援する人が、或いは、或いは、或いは。

 しかし「少数派」と言えども「人より金を多く持っている」とか「人よりルックスがいい」とかの少数派は歓迎される。いささか不公平であると言える。

 言うまでも無く「ヒトと違う」の「ヒト」は個人ではなく「群衆」である。「自分と違う存在」として、一人称的に自分を群衆に同化させて、個人であることは代わらない誰かを、自分だけ群衆の立場から蔑むのだ。これを「いじめ」という。

 群衆の評価としては、例えば自分らの属する社会への寄与の度合いの多寡が指標となるケースが多いらしい。自分だってその社会から逸脱したい、誰だって不良願望的な解脱欲求は持っているくせに、すでに逸脱しているマイノリティを謗る。要するに、羨ましいのだ。これを「嫉妬」、もしくは「羨望」という。

 俺たちの場合、俺たちは幸せを目指している。今で十分幸せである、それを認めつつも、より大きな幸福へとダイヴしたいと思っている。そして出来ればこの幸せを全ての人へ。その為には、俺たちはやっぱり、「争わないこと」が一番だと思っている。だけどこれは、「争いたい」という人を抑止する力にはならない。ただ俺たちが、誰とも、なるべく、争わないで穏やかに色いろな物事を解決していけたら。それは俺たちと争おうとしていた人を萎えさせることが出来る、争いが一つ減る。影響力は要らない。ただ、俺たちは二人でそう信じることで幸福がより大きく地球を覆うことを確信しているから、そうしているだけで。

 多いほうが正しいって国。だけど、わかっているよね、「正しい」っていうのは、「正しい」とは限らない、本当の意味で言えば「正しい」って言葉ほど希薄なものは無い。悪人の正義、犯罪者の正義、独裁者の正義、いくらだって正義と名づけられるものが在る。そうじゃなくて、決してそんなんじゃなくって。

 正しくないとわかったなら俺たちは徹底抗戦の構えを見せる。戦争じゃなくても、言葉として通りがいいなら、「戦争」だ。俺たちは負けないぞ。

 まず、戦うべき相手は自分。間違いを起こさないように。

 そして、狭隘な視線しか持てない周囲。

 俺たちは俺たちの信じる俺たちお互いの為、多数決に二人だけで反対する。そして、それだけで十分に満足する。

 歪んだ正義にある程度のバランスを保ちながら適当なこと言って「正しい」と信じている連中相手に最後まで反発して手を焼かせてやるのが俺たちには痛快だ。と言って、これを「迷惑行為」と誤解してはいけない。己が信念を矯められてなるものかという、人間として真っ当な憤怒である。これは人間として、せざるをえない、或いは、せねばならない。人間の本来の形というのは個なのであって、群衆の中に埋没するものでは決して無いと思うからだ。

 人間らしく生きたい。

 その為に、群衆の意図と、多少ならば反発することが在っても仕方は無いのではないか。そこに争いが生まれるのではなく、そこからより高いものが生まれるのならば、それでいいのではないか。俺たちはそう考えているが、正しいかどうかは判らない、判らないけど、信じている。信じる力が、俺たちには強い、強く、そして掛け替えが無い。

 


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