本人が言うことだからどれほど当てになることかわからないが、俺は面食いではないと思う。いいなと思う芸能人やスポーツ選手は、別にキャーキャー騒がれる程のレベルじゃないし、どちらかというと脇役の、目立たない連中の方が好みだということが、徐々に解ってきた。
と言って、ヴィンセントが間違いなく美形であるということは、今更顧みるでもない。しかし、黒髪にはスーツ姿が良く似合う、ストイックな外見は、そうそうすれ違う誰かの目に留まるということは無い。少なくとも派手ではない。ふとした時に見せる仕種、それこそ傾城の指先、傾国の眼差し、ではあるのだけど、それを自発的に外へ晒してどうのこうのという類の美しさではないのだ。
ステーションワゴンは音を流しながら冬枯れの野原を轢き走る。空は寒そうに明るい灰色をした雲に包まれて、太陽の回りだけが怪しげに光っていて、要するに外はとても寒い。土曜日にいつもよりちょっとだけ早起きをして、朝市で野菜を買い込んだ帰りに、帰るどころか逆方向へ車を駆けながら、遠くを見る、速度の割に、丁寧な運転に、俺は意外と酔わない。気を使って、車の臭いがこもらないようにいつも消臭剤を欠かさないでいてくれる。ときどき、助手席の俺をちらりと見て、文字どおり顔色を伺っている。その度に目が合っていては気まずい。俺は乗り物酔い予防も兼ねて、地平線をずっと見ていた。
二十分も走って、人っ子一人通らない荒野に止まった。ニブルヘイムから南西に十キロは来ただろうか? 遠くに地狼がいたようだが、車が近づいたので逃げてしまったようだ。
「ここなら、いいね」
キーを回して起動機を止めると、音楽が馬鹿にうるさく聞こえて、ボリュームを絞った。うるさいバラードなんて興ざめだしかも、朝から。
「……遠すぎだ」
言わなくてもいいような不平をついつい漏らしてしまいながら、シートベルトを外して扉を開けて、自由になる。一歩外に立つと、実際かなり寒い。雲の向こうの太陽がえらく遠く感じられる。空気が、何だか鋭い匂いがする。遅かれ早かれ雪が降るんだろう。
「だって……」
彼も、シートベルトを外した。
「だってさ……、やっぱりなあ、あんまり、ねえ」
歯切れが悪い。きまり悪そうに笑う。
あんまりに寒いので、すぐにまた車の中に戻った。
「普通、こんな時間にやることでもないだろうし」
「……暗かったら解んないだろ、……誰かに見られたって俺はいいんだ、俺たちの幸せをちょっとでも分け与えることは出来るだろうし」
「気持ちは解るつもりだけど……。でも僕は、知ってるかもしれないけど独占欲が強いから。ほんとは君の姿を他の誰にも見せたく無いんだ」
煙草をポケットから取り出して、カーライターで火を点火して吸い込み、ちょっとだけ開けた窓の隙間めがけて息を細く吐き出す。そういった一連の動作を、流れを、滞らずにやるというのは、ご存知の通り少しく努力を要することだった。
灰が伸びてきたから、灰皿を出そうとして、手がちょっと震えて床のカーペットに落とした。拭こうと思ったら、いいよと言われた。
「どうせ近々洗車しなきゃいけなかったしねー……」
確かに、フロントガラスにはワイパーが運転した跡がくっきりと扇を広げている。
「綺麗にした車の方がよかったんじゃないの?」
煙を外に出してから首を振った。 時と場所は選ばない、状態だって別に不問だ。言えば、きっと「そんな風に想ってもらえて僕は幸せだよ」と言うに決まっている、そして言われて感じるむず痒い幸福はちょっと苦手だから、俺は何も言わないでおいた。
煙草を揉み消した。
車の中は、狭い。
助手席から運転席へ移動するのにも、身体全体を使わなかったらいけない。
だけど、目的の場所に着いたとき、身体が半回転して、ちょうど覆い被さるような形になっていたのは好都合だった。
「……僕も、したことないんだけどさ」
「俺も無い」
「カーセックスって、何処でやるのが妥当なんだろうね。後部座席広くして使った方が楽なような気がしないでもないんだけど」
「……正しいやり方なんてないだろ。あったとしても、マニュアル通りする必要なんてない……」
そう言って、もう、無遠慮に唇を圧し付けて吸った。急襲気味の接吻に、ちょっとたじろいだだけで、すぐ背中に手を回す。舌は、彼の方が先にミントの味のを出してきた。俺の舌は苦いかもしれないと、ふと思ったけれどすぐに、いとおしげに舌先が俺の舌を蛞蝓のように這い回る。耳の奥に早くも生じはじめたもやもやと、鼓膜を揺らす唾液が弾ける音に耳を澄ませるのに邪魔なカセットを、ちょっと唇を離して後ろ手で止めた。そうしてまたすぐ、音を立てて口を吸い合う。彼の手が、腰に回り、ベルトにしまったシャツを引きずり出して背中に、ひんやりとしたてのひらを差し入れる。
「……で、……どうするの?」
「俺だってわからない」
「じゃあ……、僕がやりたいようにやっちゃうけど構わない?」
「寧ろそっちの方が有難いね」
といってもこのスペースではやれることだって限られてくることを彼も解っている。ちょっと考えてから、少し甘えるような声音で、もう一度キスしようと求めた。
キス、俺にとってはオードブルも同じ。誰に見られたって構わない事の極致みたいな。それだけれど、やはり、家の中でやるのとここでやるのとではだいぶん違う。さっき逃げた狼、群れを引き連れておいで。発情するということがどういうことか教えてあげるから。
オードブルでも、執拗に食らわせられていれば、俺もさほどひねくれた性格ではないと思うし、身体も心も従順に依存したくなっていくのだ。
「しかし……」
唇が離れる。
「狭いね。座席倒してこれじゃあ……。やっぱり後ろに移ろうか?」
「任す」
「じゃあそうしよう。……一旦降りて」
傍から見たら滑稽な図かもしれないと、そんな考えが去来したが黙殺。
身体が火照りはじめているからか、さほど寒さも感じない。彼はトランクを開けて、中の野菜を運転席と助手席に移動させ、後部座席の背ずりを前に倒した。
「ステーションワゴンだからね……、こういう機能を使わない手はないよ」
すっきりと広い、けれどあまり寝心地の良くなさそうな簡易ベッドに、靴を脱いで上がった。
「……それでも狭いけどな」
「贅沢言わない」
マットレスなんてない、固い『ベッド』に仰向けになった。俺は据膳だ。彼はちらりと俺を見て、それからちょっと不安そうな顔できょろきょろと回りを見回して、意を決したように俺に覆い被さってきた。
「……閉めないのか、トランクの扉」
冷たくなった指が腹の筋肉の筋を辿った。背中にぞわぞわと走った。セーターとシャツを重ねて捲り上げて臍の当たりから上へつまりは普段と逆の手順で、舌が上って来る。右利きだから、という訳でもないだろうが、左の乳首を吸って右手でもう片方を摘む。冷たい風が俺の身体の熱を嫌うように抜けていった。
「寒いの?」
わざととぼけたことを言う。じゃあもういいや。そんなことよりも舌の使い方のやらしさを味わうのだ。
「あと、何処して欲しい?」
顔を上げて見下ろして言う。ちょっと長い前髪が垂れ下がるのはセクシーだと思う。
「あんたがしたいと思う所を」
「君が好きな所を僕はしたいと想うから。駄目かい?」
「要するに俺に言わせたいのか」
彼はにっこりと微笑んで答えなかった。そんな行為が俺をちょっと感じさすことを良く知っていて、気持ちよくしたいと願ってのことだ。
「……下の方もしろよ」
「おっぱいだけじゃ良くならない?」
「……昔はそうだったかもしれないけどな。今は下の方がやっぱりイイ」
ふうん、とヴィンセントは俺のズボンのボタンを外して脱がせはじめた。尻を上げて手伝ってあげる。と、太股の当たりで止めるのかと思ったら、一気に下半身に身につけていたもの全部、いや、靴下以外、脱がされてしまった。上半身も腹と胸は丸出しで、衣服に覆われているのは肩と腕だけ。要するに全裸になってしまったほうが楽であるのは事実で、俺は自分から全部脱いだ。足先の靴下も。
「こんな外で裸になれるんだ?」
別に恥ずかしいことでもなんでもない。どこにいようとヴィンセントが共に在れば状況はまるで違うのだ。
足を、言われるままに曲げて股を広げた。
「……昔はおっぱいだけでもいってたの?」
「かもしれない」
濡らした指があてがわれる。
「そうか……。そんな君も見てみたかったな……。きっと可愛い子だったんだろうね」
皮肉っぽい笑いが浮かんで消えた。実態を知らないから何とでも言えるのだ。もちろん彼に罪はない、可愛い子じゃなかった俺が悪いのだ。
「セフィロスに……、ルーファウスに……、あと、ザックスか」
下で俺の肛門をぐりぐりやりながら、耳元で昔の男の名を列挙する。懐かしい音の響きはかつては自分で自分の声を聞いていたから。塩辛い疼きのような感じ。
ヴィンセントはちょっといじけたように言った。
「……今でも彼らのことは好きかい?」
指が止まって、俺をちょっと脅迫してるようにも取れた。
ヴィンセントの表情は寂しそうに見える、怖がっているように見える。
何を怖がることが在るんだろうあんたほどの人があんたみたいに素敵な人が俺なんかの何を恐れる必要があるってんだろうだって俺にはあんたしかいないけどあんたにはたくさんいるだろうに。
怖がる必要なんて何もない。
「ずっとあんたのことが好きだよ、ヴィンセント」
彼の顔に広がる安堵の表情を見ると何だか胸が締め付けられた。
「君と付き合ってきた人に、……なあ、みっともないってわかってるつもりなんだけど、僕はすごい嫉妬してしまってる。君に僕だけを見ていて欲しい、って。そんな考え方が間違っていて、そういう人間になりたくないって思ってるくせに」
そんな言葉は聞きたくなかったから、縋り付くように差し込まれた指を俺は抱きしめた。
「あんたが一番好きだ」
「……『今』は?」
「違う、今までも、これからもだ。俺は、あんたしか見てない。あんたが俺を嫌いになっても、あんたのことしか俺は見られない」
俺の目を、覗き込む。
「……ほんとう?」
「本当だ」
即答。
「……愛してるよ、愛してるよ。愛してるよ」
何が怖いのか俺にはわからない。だけど彼は俺を痛いくらい抱きしめる。俺も抱きしめかえして、そして不真面目に、
「入れてよ」
と言った。
目尻に涙が浮かんだ。
うん、と彼は肯いて、ズボンから鋭く勃起したペニスを取り出す。
「……ねえ、クラウド」
「うん」
「……この体勢だと、君の背中が痛くないかい?」
「気にはしないけど」
でも、さっきから何気にゴリゴリしてはいる。ここで寝るときはもちろん寝袋を使うのだ。 ヴィンセントは中途半端にペニスを零した状態のまま身を引いた。
「……バックからの方がいいんじゃないかな」「そうするとあんた頭ぶつけないか?」
彼はちょっと考えた。
「気を付けてやれば……。クラウド?」
俺は起き上がった。寂しがりやのヴィンセントを安心させるようにキスをして、靴を履いて、大地に降り立った。全裸で靴だけ、何というか、絵になるといえばなるし、唾棄すべきといえばすべき。ヴィンセントがこんな俺の姿を見て、ちょっと顔を赤らめたことが、俺の胸を躍らせた。
「外でやろう」
「……結局?」
言いつつ、彼も靴を履く。
「どうせ洗車するんだから、手、ベッタリついても構わないよな?」
彼が肯いたのを見て、俺は足を肩幅以上に広げて、尻を向けた。
「はー……」
きょろりと回りを見て、まあいいやと彼は口の中で呟いた。
「……いっそ、出たの、かけちゃっていいよ。いや……洗うの勿体無くなるけど」
「こういうのもカーセックスっていうのかな」
「さあねえ……。青姦……いや、やっぱり車だからカーセックスかな……。わかんない」
息を呑むほど熱い物体の突入を許すのは慣れているとはいえこの肉体に結構な負担。膝が震えるのは仕方がない。風はもう、冷たいとか冷たくないとかじゃなくて、陰毛が揺れて気付くくらい。
「大自然の中で、どういう感じ?」
ゆっくり味わうように、腰を動かしながら、彼が聞いてくる。
涙を零しながら、俺は答える。
「別に……。どこでも、いっしょだよ……。あんたが一緒ならどこでも、一緒……」
ただ胎内に突き入れられた熱の塊がすごく熱いことから推せば外はやっぱりかなり寒いのだろうか。白い息も確かに流れている。ペニスを包み込んだ彼の掌も、冷たかった。だけど、それは感じないのだ。温かいというその気持ちが、体温すら上下する。好きだという、この気持ちが、俺に熱を与えるのだ。誰かに見て欲しい、誰かに、俺たちがこんなに愛し合っているということを晒して、羨ましがられたいと、そう思った。とても素直にそう思った。
「……濡れてるね」
「お蔭様で……」
指摘されたとおり液を分泌する所を指先で、ぬるつかされて、声が泳ぐ、腰が喘ぐ、心が溺れる。
「クラウド、……僕で、こんな風に乱れてくれる君が、堪らなく嬉しい、堪らなく愛しい。君が好きだ。クラウド、僕は君が、好きだ。道徳的じゃないかもしれないこんなことでも僕は何も気にならない君がこうして僕とこうして二人でこうしてずっとこうしていられるのなら十分すぎるほどに幸せだからどんな正義だって殴り殺してしまえる僕は、君の為なら。君が愛しいから」
呪文のようにその言葉は俺の鼓膜を揺らし、かつて呼んだ名を記憶していた場所の上に座っていく。そしてそれが今の俺にはとても心地よく感じられる。酔っ払って前後不覚になって、何かとりかえしのつかないことを気付かないまましてしまっているかのような、危ない快感だ。戻らなくていい戻れなくたっていい、もう。そんな乱暴な想いが、黒い色をして俺の耳の奥を支配するのだ。俺にはもう、過去なんて記憶なんてのも、きっといらない……。だけどそうすることには、涙を流すくらいでは足りないのだ。
だから残念かもしれない悲しいことかもしれない不実なことかもしれないけれど、忘れることは出来ないのだ。
「クラウド……、出して」
「……うん……、もう、出る……」
「じゃあ、一緒に行こう」
「ああ。……一緒に……、な」
ずっとずっと俺たちは一緒に、生こう。