仮託の人。

自分以外の誰かの言うことに耳を傾けて、その価値観で物を考えることは大切だ。だが、そこに同居する安易さが即ち「思考停止」という言葉で批難される可能性があることを俺たちは忘れるわけには行かない。

 俺の場合はヴィンセントに寄り添って物事を考える。ヴィンセントの提示した問い、答え、に、必要以上の従順さで俺は考える。幸いなのはヴィンセントが決して俺に答えの全容を明らかにする事無く、少なからずの思考の余地を委ね、俺に考えることを求めていることだ。恐らくそうではない人間は確かに増えている。会った事もない誰かの言ったこと唄ったこと書いたこと、にべったり寄り添って甘えかかって、そうだその通りと頷いて安心する、愚かさよ。誰かが言ったこと「素敵」、誰かの唄ったこと「素敵」、書いたこと「素敵」。信じきった危うさよ。

 そう言う意味では宗教も怖い。武者小路実篤とヴィンセントの狂信者であり、マキハラさんのシンパであるからして、そういう怖さを俺も持っている。ただ、「本当」と何処まで信じきれるかと問われれば判らない。実篤は性愛を何処までも肯定する存在ではないからして。

 誰かが何らかの形で公開したことは例外なく全て物語であることを自覚しなければならない。俺もつい最近それに気付いた。生活の中で零れるヴィンセントの言葉は物語になる猶予もなく口に出され俺の感情を左右する。狂信的な言い方だという評価を甘受して言えば、ヴィンセントの言葉は俺にとって唯一素敵な本当だ。仮に物語だったとして、しかしそれを全部鵜呑みにしてしまうことに何のためらいもない。ただ、べったり寄り添って頭を止めた人々が、そこまで考えているかということには疑問符がつく。誰も口に出して物を言う時、それがどういう意味で受け取られるかを念頭において考えないわけには行かないはずで、俺もまた例外ではない。俺がこういう風に物を書いて物を言って、がなりたてて、いるときに、俺の言葉を聞いた誰かがどう思うかを十分に意識していることは認める。それは人間誰しもが無意識に持つ頭の良さであり、また計算高さと言えるだろう。その一方で、その計算高さへの思慮深さは人間、先天的に持っているものではないらしく、だから幾多もの捏造された物語に安易に感動したり騙されたりする。人を騙すことが罪になると知り、騙されたくないと思い、ながらも、純真に頭を一色に染めてしまう人々の哀れさよ。

 他の人に較べれば明らかにテレビを見ない俺はそのあたりで救われているかもしれない。誰かの言うことを初めからある程度の嘘だと思うヘソの曲がり加減は、冷静さを保つのには不可欠だと思っている。

 社会に出て、疲弊して、帰ってきたヴィンセントの顔を見るたびにそう思う。彼は彼の肌を汚す社会の中、一日の半分を過ごさなくてはならず、人々の騙る物語に、必要に応じては翻弄されなければならない。そうして帰ってきて、俺を抱き締めるヴィンセントに、俺は心から「お疲れさま」と言いたくなるのだ。

 毒々しいライムの刃。曲がりつづける思想を認める機構が成立したらいいなと掲げる理想。

 俺の流す一滴の涙を水分としてヴィンセントが生きるなら俺も同じことを考える。つまり俺とヴィンセントは、そういう物語を紡いでいる、と、俺は物語を紡ぎながら、策を練る、騙しのテクニック。こういう俺たちに騙されたいと思うような人の少ないことは初めから判りながら、他の誰よりも幸せな在り方そして訪れるのは最高に納得できる未来、多数決に二人だけで反対することに意義がある、痛みを堪えながら笑う、空っぽでもなお、満たされる、底なしの、其処にある、スキル。

 二人だけで世界から切り離されたときにも、言える自信がなぜかある。

「よかったね僕たちは……、ここまで来られた。辿り付いた。頑張った甲斐があったね。誰にも騙されないで、罠を掻い潜って……。僕たちが本当に幸せで二人いられる場所を見付けられた」

 息を弾ませて笑う顔は、まるで子供のように無邪気なものになる。

「大丈夫。ここがきっと、一番安全だ。もう危険なことなど何もない、起こらないし、仮にその種があったとしても僕が起こらせない。君を護るよ。君と僕の幸せな日常を誰にも壊させはしない。自信を持って胸を張って生きていく」

 力強い腕が俺を抱き締めるのだ。

「僕は君と在りつづける限り、誰かに許しを請う必要を感じない。この罪を償うつもりもない。捏造された罪や罰が、より以上に汚い捏造された英雄を作るならそんな茶番はない。君と僕はもっと普通で、だから幸福な、文化を作って行こう、この星の上で」

 俺はその頃になってもまだ、肉体と魂と、切り離さずに、ヴィンセントとセックスをするし、美しい身体だから、時には「抱かれてくれないか?」、そんな無茶なお願いをするかもしれない。彼が苦笑いをして、「僕を抱きたい?」、聞き返して、頭を撫でながら「物好きな子。いいよ、どうぞ」、俺を飲み込むことを知っている。

 誰にも判断を仮託しない、自分たちの中から、俺たちは生み出す。俺たちが薄汚れて見える? 紅く染まって見える? あのさあ、お前さあ、その眼鏡外しなよ、……すごい似合ってない。

 こっちの水は甘い。ヨダレ浮かべて羨むことくらいは許してやる、絶対に舐めさせやしないけれど。仮託マニアック、を挑発する頭髪、ワックスつけて、残らず寝かす俺の金髪、スライムつけて、尖らす、立たす、黒い短髪。

平均の長さ、七センチ。苦手でも社会に適合するが迎合はしない姿に、俺は俺は、そりゃあもう、心の底から。「血塗られた」「呪わしい」物語、振り返って「今在る俺たちはこんなに幸せ」「克己した俺たちは(密かに勇者)」、馬鹿らしい物騙り、真実の皆無さに気付き、此処に在り、自分たちで紡ぐ、続く線上、在る俺ラの現状、見上げれば青天井、さらに上目指す肉体は健康、だから打破できる虚飾の元凶、言葉の戦場に立てば誰も戦闘する気なくし無抵抗。

 歴史も全て「物語」ならば、俺ラの生きる今この世もまたそうでないはずがないのであって、無敵の理論引っ提げ、しかしそれを使う暇さえ惜しんで、ただ俺ラは自分に一番近い肉体を心を舐め合い撫で合い愛で合う目出度い文化創造。そして継続、し生れた力。


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