いずみ。

「君の身体の隅から隅までを僕は見ることで知る。けれど君の全部を知るわけでは全くなくて、君の身体のある部分の、例えば色や形、どうしてそうなったのだろうと、僕は想像することしか出来ない。例えばね、そうだな」

 恋人は俺のペニスに手をかける。

「君のここが他の場所と違う色をしている、他と比べて、明らかに色が濃い、それはなぜか。きっと正解に近いものを想像するけれど、事実とは違うかも知れない。あと、そう、この膝の古傷、幾つくらいの時につけたのかな。きっと転んで擦りむいたんだろうと思うけど、その時君の膝からどれくらいの量の血が出たのか、君が泣いたのか、何処で転んだのか、そういうことを僕は知らない。君の経験までを僕は知りたいと思っても、届かない」

 俺の膝へ降り、また、太股へ戻った。

「しっかりした、いい足だ。こうなった過程を僕は知らない。昔はどれくらい細かったんだろう?見てみたい気もするけど、叶わない。ね、君のおちんちんだって、昔は毛も生えてなくって、皮も剥けてなくって、きっと可愛かったんだろう、でも、それをリアルなものとしては捉えられない。……だけど、ね、この紅い跡は判るよ。昨日の夜、僕がこのベッドで、射精したばっかりの君のここを吸ってつけた跡だ。それ以外のなにものでもなくて、それ以外だったら僕は気が違っちゃうな」

 空白はどうしても存在する。仮に二十四時間目を開けたまま側に居たとしても、相手の全てを把握し切れる訳ではないから。相手の細胞の一つひとつまで知りたいと願っても。

「だから僕は君のことを心から愛しているけど、君の全てを知っているわけじゃない。……君の、うん、声だったら、僕の名前を呼ぶ声、不機嫌なときや、嬉しいことがあったときの声、寂しいときの声、笑ってる声、泣いてる声、セックスのときにえっちな言葉たくさんばらまく声、僕のことを好きって言ってくれる声、……他にもたくさん知っているけれど、まだまだ僕の知らない声を君は持っているはずだよ。そして、それは君がどんなに意図したり工夫したりしても、僕の耳には届かない声なんだ。そしてそれは僕の声だって同じ。君と話すときと、君以外の人と話すとき、全然違うはずだろうからね。僕は君以外の人と話すように君と話すことは出来ないから、当然声だって変わってきてしまうだろう、つまり、ね、君も僕の全てを知っているわけじゃないんだ」

 俺たちはこんなに似ているのに一つじゃない。同じような身体の作りで、しかし解けている。

「知らないということは不安の種になる。君が僕の知らないところでどういうことを考えているか。……側に居るときだって、君が考えていることを判るはずもないのだけど、……僕以外の奴とどういう声で話をするんだろう、それが僕と話すときよりも可愛い声だったらどうしよう。もちろん君も同じ不安を抱えているかもしれない。だけど、信頼し合っているよね。僕は君が僕のいない間に悪いことをしていないと信じることが出来るし、君も僕が会社で君の嫌がることをしていないということは信じてくれるだろ?」

 頷いた俺に、満足げに微笑んだ。でも、寂しげに言う。

「僕の名を呼んで。君の声で、ね、僕を好きだと言うのが聞きたい」

 一つ、唾を飲み込んだ。

「ヴィンセント、好きだ」

 もっと、とヴィンセントは黙って俺を見つめている。

「好きだ、好きだ、あんたが好きだ、あんたが好きだ、ヴィンセント、あんたが好きだ、ヴィンセント、あんたのことが大好きだ、好きだ、愛してる」

 俺の恋人であるヴィンセントはそう言う俺の顔を見て、誰より一番、優しい笑顔を浮かべた。そして言う、言う、言う。

「大好きだよ、クラウド」

 何度も、

「僕のクラウド。……大切なクラウド、大好きなクラウド、……愛してるよ、ずっと一緒にいよう、ね、大好きだよクラウド、愛してる、クラウド」

 俺も飽かず言う。

 俺たちの声は絡まりあってやがて声ではなくなった。音という領域をとうに超え、声も超越し、言葉でもない。とても聖なる響きとなって反響し、宇宙に言っても伝わるような、一種特別な波長と化した。誰かの心を貫いてもなお伝わるのだ。

 俺たちは大いに満足し、互いのペニスに手を伸ばす。ベッドの上にいるはずだが、ここは宇宙かも知れなかった、海底かもしれなかった。そして間違いなく中心だった。

 ヴィンセントと俺と、ペニスの色が違う。人種が違うからだ。それ以上に、擦った回数が違うからかもしれない。彼のほうが永く生きている、けれど、擦られた回数は俺のほうが多いように見える。彼のはまだ彼の腹や胸の色を想像させるが、俺は色白なくせに退廃的だ。ヴィンセントは俺がザックス=カーライルたちと、或いは、意識の外でティファやユフィと、何度セックスをしたか知らない訳だ。しかし、概数をこの色から導き出すのだろう。そして想像の中で嫉妬し、どす黒くなってもまだ俺を愛すると平気な顔で言ってくれそうな気がする。それは俺も同じ気持ちで、ヴィンセントの綺麗な其処が俺でどんどん廃れていくのを、罪悪感と共に見てみたいと思った。

「愛してるよ、クラウド」

 言って、息を吸って、吐いて、笑う。俺の崩れかけの身体すら美味しそうと笑うような人だ。確かに腐りかけのほうが美味しいのかもしれないが。俺の中身の、汚れた性根もまた欲しがってくれるのだ。

 俺が俺のまま今在り、今後もこのままありつづける予定でいる。寧ろ、在り続けなければならない。そう俺に思わすのはただ只管に、ヴィンセントの笑顔であり、其処に付随する言葉だ。ヴィンセントの内奥から、滾々と湧き出る言葉。昔に比べて、遥かに饒舌になった。一緒にいるとき、セックスをしている時間を除けば、延々喋っている。俺も喋るようになった。このそんなに広くはない二階建ての家は、二人でならばいつでも賑やかだ。

 キスをした。

「よく喋る舌だ」

 絡んだ舌から引いて言った。ヴィンセントは俺の後頭部に手のひらを当て、くしゃくしゃと撫ぜる。

「君にキスをするための舌だ、君の身体を舐めるための」

 そう言って、何度も何度も、俺の唇を舐める、頬を、それから耳を。

「君にたくさんの感情を送る、そのための舌だよ」

 昔は無表情だった、寡黙だった。嘘のように今は、たくさん笑ってくれる、色んなことを言ってくれる。つられて俺も笑う、喋る。

彼の内部でどんな変化があったかを、俺が全て語りきることなど到底不可能だ。俺は彼の全部を知っているわけではなく、経験には手が届かない。口調が変わった、浮かべる表情も変わった。だけれど、だからどうした。彼が在りたいのはそういう彼なのであって、今後それを変えることがあったとしても、俺は問題なく受け止めるだろう。

ただ今は彼の柔らかな声と言葉を身体に浴びて、俺も一緒に微笑んでいればいい。色いろを超えて俺が彼に許された、彼からの贈り物だと思う。いとおしく思う気持ちに、永劫、変化の訪れることはないと信じられる。

「君が時に気にするように、僕らが今こうして幸せに暮らしているということは、相当ずるいことをしてきたからだと責める人たちもいるだろうと思うし、許され様のない罪を犯してしまったのも事実かもしれない。だけれど、君も僕も二人でなら上手にそれをやり過ごしていける。だって僕たちは、僕たちが、僕たちでいるっていうただそれだけで十分過ぎるほど幸せなんだからね。でも僕は、僕らがそんなに大きな力を持っているものでもないと思ってる。かえって普通過ぎるくらい普通だと思ってる。だからね、逆に、そんな僕らに惑って悩んで苦しむ人たちは、やり方が悪いだけだ。僕らはそういう人たちにそこまで優しくも出来ないし、する必要もないんだと思う。僕は自分の悩みの種をもうどこかに棄てて、君がくれた幸せの種に水をやって育てていくことを選んだ。もう僕の中には君しかいない。これは自分で決めた正義だ。僕らの世界で通用し尊重される価値観であり倫理観だ。悪いことをして、許されたいと思ってうじうじして時間を無駄にするなら、自分なりの格好というか、整理をつけて、前を向いて、一番大切なものが何なのか決めて、それに邁進して生きる方が、僕は素敵だと思った、だから、選んだ。ね、だから、愛してるよクラウド。僕の心の中は君でいっぱいだ」


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