雨に濡れた体を、大丈夫と抱き締めたとき、震えていたから、暗闇を突き抜ける苦しみを知る。殺ぎ落とされていく不必要な脂は、本質を覆い隠す。無音の中で洗い流されて此処へ辿り着いた心に、虚飾はない。汚れているところは汚れ、醜いところは醜い、しかし、それらを包含しているから美しくないということもなく、それを裸として、受け容れれば。
此処に価値を見出す。
俺らは、此処でいい。
今の俺たちが醜くとも、これ以上格好良くならなくてもいいし、着飾る必要も感じない。俺らのアウトラインは服の輪郭じゃない、この肉体。それ以上でも以下でもない。誰かに語られたいとも思わないのは、恋人と俺と、生きるこの道は、誰にも改竄されたくないからだ。或いは俺ら以外の誰かなら、もっと上手に語り、俺らを美化するだろう。しかし、それは騙りの手法の産物に過ぎない。俺らにとって俺らは俺らが語る姿こそ本当だ。
恋人が言うように、多くの人々はそうは考えない。だが、恋人が言ったように、俺らもそれを否定はすまい。否定する、と、面と向かって言うことは、少なくとも控えるだろう。内心で色いろ考える、それを違う語り方で発露したくなるときもあるだろう。しかし、それを否定して欲しくはない。在るがままに在るために、狭く、寂しく、平坦ではない道を歩く俺らを、そう理解できるはずも無いのだから。
苦しかろうと、恋人と二人なら構わない。痛みを感じながらも、そう思う俺らが共に在る、生きる、歩く。俺らの前にはまた相変わらず暗闇が広がり、後ろに残った足跡は風で消えてしまう。だが、二人なら、もう、いいね、うん、ここで明かりを点けて、ずっと二人で暮らしていこう、この場所で。どこでも、二人でなら、そこが一番幸せ。
戦わなくてもいい、殺さなくてもいい、ドラマは創るものではなく、生まれるものだ、俺らが俺らで共に在るだけで、びっくりするくらい多くのドラマが起こる。俺らを観ている誰かのために、俺らの苦しむ理由は、もうどこにもありはしない。この素晴らしき毎日、いとおしき恋人と、果てなく、果てなく、果てなく、……願わくは、このまま形を変えず、永遠の時を。
ひとり晩飯作る俺が、ここまで考えられるのに、どうして、人は。
大概人の騙りたがり解釈したがる物語、色恋沙汰か刃傷沙汰か。俺らが語るのは専ら前者で、何故って、俺らは深々と恋愛生活に浸りきっているからだ。俺の作る、一人にだけは美味しいご飯、その一人のためだけに費やされる時間、それを意識した瞬間に疼き出す股間。二人で暮らす家のリビングはモダン、ソファに座って未来を相談。
小さな世界の王様である互いに被せる王冠。
俺らを満足させるためだけに観衆を召喚。
俺らの愛し合い書くのは基地外沙汰。でも俺らを満足させるオーディエンスのためだけに、今日も俺らは叫ぶ、ただの油の味すら変える異世界文化概論。