箱の内外。

 最近、テレビを見なくなった。以前はヴィンセントが会社に行っていて手持ち無沙汰な時間に、よく下らない番組などを見て時間を潰していたものだが、このごろはそれをしなくなった。元々夜の時間帯も、二人で入るときは雑音がないほうが好ましいから点けていなかったのだが、そう言えば今日で三日間テレビのリモコンにも触っていないと思った。どこへやったかなと思ってソファから立ち上がって新聞と新聞の間に潜り込んでいた。引っ張り出そうかとも思ったが、億劫で、そのままにしておいた。もしもチリ紙交換に一緒に出すことがあったとしても、集積所で困るだろうが、俺たちは別に困らないだろうなと少し思った。それでも、集積所の人に迷惑になるのはいけないなと、やっぱり引っ張り出して、新聞の上に置いた。明日にはまた、行方が知れなくなるのだろう。

 見たい番組がなくなったのが大きい。野球がやっていれば、彼が仕事から帰ってくるまではチャンネルを合わせていたが、もうシーズンが終わって大分経つ。年が明けて来年の四月まで中継はない。ほかのスポーツ、例えばサッカーやラグビーなどはこれからが本番だが、生憎興味を抱かない。それ以外の、例えば顔と名前が一致しないような俳優の出ているドラマは、あまり代わり映えのない内容ばかりをやっているようだし、見たところで何かの足しになるとも思えない。これは俺がちゃんと見ていないからこういうことを言ってしまうのかも知れないが、まずちゃんと見ようという気にならないのだから仕方がない。俺みたいなやつは相手にされていないのだろう。音楽番組、音楽は嫌いではないが、最近は歌の上手い人が少なくなったなと思うし、詩に響くものが少ない。音楽番組ほど当たり外れのある番組はないだろう、俺のように事前情報の殆どない者が見て、果たして「いい」と思うような歌にめぐり合えるかどうかはギャンブルだ。音楽番組に出るような歌手と言うのは、要するにCDが売れている連中であって、そのCDの売れ行きを知っているのが音楽番組の対象とする視聴者であって、視聴条件でもある。俺はそれからも除外されているのだろう。バラエティ番組となると一層見る気がしなくなる。いつも誰かを笑いものにしている。最近の芸人ってきっと面白くなくなってきたのだろう。と言って、昔の芸人について特段の知識があるわけでもない。ただ、自分の内奥から発される何かで笑いを呼ぶのではなく、他者に肉体的・精神的な負担をかけて笑いを呼ぶ行為には、確かな不健全さがあって、見ていて苦痛を伴う。しかし、大勢の人間はそれが本当と思っていて、寧ろ愉快なのだろう。だから今日も彼らは人を叩き、悪口を言う。

 となると、俺が見られそうなのはニュース番組か料理番組。しかし、ニュースも良質のものでないと不必要な情報が流入しがちだ。唯一料理番組のみは、当たり外れなく、役に立つと思っている。しかし、このごろは俺でもある程度のレパートリーと言うものが出来、冷蔵庫を覗いただけで何を作るか考え至ることが多くなってきたため、見るチャンスも少なくなった。ニュースも、新聞二紙を併せて取っているから、見なくても世情に疎くはならない。

 テレビから離れたそのかわり、本を読む時間が倍増した。昨日は武者小路実篤の『愛と死』を読み終わった。と言っても、再々読なので、筋はわかりきっている、だがやはり泣いた。

武者小路実篤の本に関しては、死ぬまでに何百遍だって読み返したいと思っている。できれば俺の棺に入れてもらおうと思っている。それだけの価値があると思っているが、こうまで実篤に傾倒する奴は少ないのだろうなということくらい、俺にもわかっている。だが俺は好きだからいいのだ。テレビは見ない実篤は好き。きっと、これだけでテレビに出るような芸人は、俺を笑いのネタにする事ができるんだろう。

ヴィンセントも、俺の読書趣味は珍しいものだと言う。

「君や僕の世代で実篤を好きっていう人はあまりいないよね。僕の若い頃、それこそ、まだ実篤が生きていた三四十年前にも、あまりいなかった。実篤っていう人が、いわゆる『文学史』の上で、重要な位置にいるとはされていないからね」

 実篤の著書の総数は、五百とか、七百以上とか言われる。有名なのは『お目出たき人』『友情』『愛と死』あたりだろう。それだけの創作をしながらも、素人の俺から見ても、決して巧みでない文章のせいであろうか、ヴィンセントがいった通り、武者小路実篤は文学史上で重んじられてはいない。実篤の親友である志賀直哉が「小説の神様」とまで言われているのとはあまりにも対照的だ。

 しかし、

「実篤は言文一致を完成させた。文体を、ある意味では発掘して、今の人間に相応しい形にしたのは実篤だった」

 と俺は言った。

 ヴィンセントは頷いた。

「うん、その通りだ。文学的価値として実篤がもっとも評価されるとしたら、その点においてだろうね。実篤の篭めた、君が大好きなメッセージは、人によって受け入れられなかったりもするだろうけれど、言文一致大成の仕事に限れば、もっと正当に評価されていいものだろうと僕は思う」

 俺は思い出したように「言文一致」を引き合いに出したけれど、俺が実篤を好きなのは、要するにその「言っていること」が凄く素敵だと思うからだ。実篤以外の誰かが同じことを言っても、俺はここまで共鳴しなかっただろう。実際にそれをやろうと努力して、出来ないかもしれなくてもやりつづけて、九十歳まで生きた人の言うことだから、俺は心の底から尊敬して、信仰に近い気持ちで以って実篤の言葉を一つひとつ刻み付けていくのだ。

 俺はこれまで、たくさんの罪を犯しながら生きてきた。たくさんの人を傷つけながら、生きてきた。今も多分たくさんの罪を犯している。でもそれを、少しでも、一つずつでも、浄化するために、俺にできるのはいま、実篤を読んで、彼に学ぶことのような気がする。こうなると一つの宗教のようだが、でも、今の俺にはそれくらいしか出来ないように思う。

「いいと思うよ。いっしょに、正しい生き方を探していこう」

 ヴィンセントも、実篤が大好きだ。

 実篤が大好きな俺から言わせてもらうと、どうもやっぱり、最近のテレビは無価値のように思える。功罪いろいろあって、俺にはどうも、罪の部分が押し付けられているように思える。一方で、功の部分を得ている人の数が圧倒的に多いから、やっぱりテレビはみんな見るし、俺が無価値と思えるものに人気があったりするのだろう。

 人間らしくないんだよみんな。そう俺は思う。

 叩かれたら痛いってことを、テレビを見ているみんなは知っているはずなのに、テレビの中では今日も笑いながら人を叩く、苦悶する表情を見てまた笑う。言葉だって同じ。背が小さい髪の毛が薄い太っているめがねをかけているアイドルの追っかけだ、そんなことがどうして馬鹿にされる原因になると言うのか。ゲイであることなど、まだまだ「被虐」対象の中にあって、俺はまだそういう視線に対して非常に臆病で、神経質な部分があるから、でゲイを色眼鏡的に扱っているような番組を見るたびに、腹を立てて、哀しくなってしまう。

 だったら見なければいい、と言われるだろう。大きなお世話なのであって、実際に見ていないのだ。

 しかし、俺はこれから先、もっと酷くなるだろうと思っている。ああいった無神経なものに、心が何とも感じないひとたちがもっと増えていったら、エスカレートするばかりだろう。俺は暴力も卑怯な心も、人間には備わっているものだと思うし、性欲の存在を否定したらそれはもはや人間ではないと思っているほどだが、虐待とも受け取られるような行為は、創作の枠を飛び出してはならないものだ。全て「ツッコミ」で許してしまえるようなリアルな世界は恐ろしいし、その恐ろしさに気付かないで安穏と見ていられる神経も恐ろしい。

「僕はね、一日に五分でも、自分のしていることを顧みる時間があれば、戦争は少なくなっていくと思うんだ」

 ヴィンセントは言う。

「五分、たったの五分くらいなら、捻出できると思うんだみんな。歯を磨きながらでも、お風呂に入っているときでもいい。頭の中に、自分の心を置いて、隅々まで歩き回ってみる時間。自分がやってしまった、ちょっといけなかったなってことが、きっと見えてくるはずなんだ。例えばね。

 僕は昨日、遅くなったよね。君に心配をかけてしまった。それを僕はまず反省した。

 それだけじゃなかったんだ。昨日遅くなったのは、君に話したとおり、会社で飲み会があったから」

「うん、あんたにも付き合いがあるのはわかってるから、怒ったりしないよ、構わないよ」

「ありがとう、心から嬉しい。

 それでね、その飲み会の場で、その日の飲み会に来なかった人の話になったんだ。僕は隅っこのほうで、じっと黙って煙草を吸いながら聞いていた。

 ある人が言った。『あの人っていっつも飲み会来ないよね』、それを聞いて、またある人が頷いた、『ほら、山倉さんってマイホーム主義なのよ。奥さんに頭が上がらないの』、そしてまたある人が言う、『うそ、ほんと? 情けなーい、でも、そうよねそんな感じよねあの人って。尻に敷かれてるっていうかさ』、僕は黙って聞いていた、『そう言えばさ、石本課長』、また違う人の話になった、『あの人、ほんっとにうざいよねー、大して仕事も出来ないのにさあ』、そろそろしんどくなってきた、『あー、わかるわかる、超わかるそれ、何よあの頭、潔くないよね、あれ、完全にキちゃってるじゃない』……、僕は、時計を見て立ち上がった、ごめんそろそろ、僕も帰らないといけないから。ここに二万置いておくから、みんなで楽しんで行ってね。そう言うと、みんな口々に惜しむんだ、『えー、係長代理帰っちゃうんですかぁ』、『つまんなぁい、もっと飲んでいきましょうよー』。僕は彼女たちを宥めて、ごめんって帰ってきた。すごくむしゃくしゃしていた」

「……昨日の飲み会って、女の子ばっかりだったの?」

「……うん、……まあ、そう……。ごめんなさい」

「いや、いいよ。あんたが女の人に興味ないのは知ってるから」

 ヴィンセントは少し気まずそうに微笑んで、気を取り直す。俺は先回りして、言った。

「酷いな」

「うん、酷いよね。だけど、僕はあの場で『酷い』って言えなかった。言ったら場の雰囲気が悪くなる。どうして悪くなるか? それは、僕の意見が少数派だからじゃない。みんな、その場の雰囲気を壊すことを酷く恐れているから。僕はちっともそれを恐れないけれども、壊さないのが一種の配慮なんじゃないか、そうも考えた。だけど」

 ヴィンセントは苦笑した。

「誰かを非難して盛り上がるような場なら、そんなもの無いほうがいい」

 俺も笑った。

「彼女たちの楽しみを、僕は理解できるつもりだ。誰かのことを、他人である自分が勝手に評価して、ああだこうだと決め付けて批評するのは、確かに楽しいことさ、その人に対する、圧倒的な優越感が生まれるからね。でも、それが人間としてどうなのかということは、一考の価値があると思う。僕は、『人間らしくないこと』だと判断した。彼女たちは判断しない。それは自由だ。ただ、テレビによって、ああすることが別に『人間らしくないことだとは思わない』人たちが増えているのは確かだと思う。

 ただ、蛇が自分の尻尾を飲むような話でね。僕も彼女たちのことをこうして、ああだこうだ言ってしまうんだな。まあ、どこかで自分が正しいと信じたいからなんだろうけれど」

 自分がされて嫌だと思うことは人にはしないように。これは、幼稚園くらいで教わることではないか。忘れてしまっているわけではないだろう。

「それこそね、僕は帰り道、むしゃくしゃしながら、怖かった。きっと僕も、『係長代理って、ホモらしいよ』とか言われてるんだろうなあって。僕は自分が同性愛者であることに誇りを持っているし、君と言う恋人を宝物だと思う。だけれど、誹謗中傷の目や言葉に対しては、十人並みに怖いと思う。なんだか、本当に怖くなった。でも、帰って君に『遅くなってごめんね』って、僕は本当にすまない気持ちになって言いながら、ああ、僕には君がいてよかったな、君がいてくれてよかったなって思ったんだ」

 俺たちの考えるような事を差して、「そんなのどうだってよくない? だってしかたないじゃない」と言う人は多い。しかし、どうだってよくないし、しかたないとも思えないので、俺たちはこういう話をすることに時間を割く。そもそも、「しかたない」と思えるほどまで考えていない人の方が圧倒的に多いことは、火を見るより明らかだ。無論、今のひとたちに余裕がなくて、忙しくて「しかたない」のはある程度、妥協するが。

 しかし、今のひとたちが、会社から帰って、疲れた身体で、ソファに崩れて、刹那的で残酷な笑いによって癒されているのかと思うと、俺はちょっと、本当に怖い。

 別に、実篤を読めば社会が変わる、戦争がなくなるとは、俺は言わない。しかし、ヴィンセントの言うことに耳を傾けていれば、答えは見えてくるように思う。決して的外れではないだろう。


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