おりこうさん

「僕、ふたなりだったらよかったのに」

 彼らはまだ学生なので、学校に行く。ラムザもディリータも、まだほんのティーンエイジャーの入りたて、であるからして、第一義は勉学に励むこと。保健の成績ばかりが良くたって自慢にはならないのである。その保健の成績だって良くないのだから、ラムザには学校に居る間ぐらい、しっかり勉強に打ち込んで欲しいとディリータは思う。だが、昼休みにふと、中庭でサンドイッチを食べ終えたラムザは、隣のディリータに聞こえないぐらいの声で言った。

 それは完全に独り言だった。雨を呼ばない東風の音にすら、掻き消されてしまうような小さな声だった。春から夏へ移ろう季節の気まぐれに、何日も続く晴天の、見晴かし遥か彼方往った春の尾も見えるような、青黒く透明な正午過ぎの空の下で。

 しかし少年の隣に居るのは他の凡庸な男ではない、ディリータ=ハイラルである。少年の肛門の中に日々押し入るという、極めて粗暴なやり方を択びつつも、穏やか過ぎる「二人」で在ることを、ラムザの口の横に付いたパンくずを指で摘んで食べられるという立場で主張する、ディリータ=ハイラルである。

「……ふたなりって?」

「ん?」

「ふたなりって?」

「……ふたなりは、ふたなりだよ」

「……ふたなり……」

 勉強に対しては怠惰なところの多いラムザに対して、勤勉なディリータは早速その昼休みのうちに図書館へ行き、ラムザが今更絵本を借りる手続きをしているのを横目に、辞書を引き、「ふたなり」を調べる。その単語は「ぶたにく:(1)食品としての豚の肉 (2)うりぼうの肉」の一つ手前に在った。

「おっ、お前はっ、学校で何てことを口走ってるんだ!」

 静閑なる図書室でそんなことを、辞書の頁が何枚も捲れるような鼻息とともに口走ったから、司書の白魔道士に叱られた。ラムザが借りっ放しの絵本をまだ返していないことで叱られている最中だった。

「……お前は余計なことばっかり知ってる。どうしてもっとこう、健全なことに興味を持てないんだ。いろいろあるだろう、政治のこととか経済のこととか法律のこととかっ、自分のいる世界のことだぞ、健全な知識欲ってものはないのかっ」

「ないよ」

 ラムザは平気な顔をして笑う。

「今僕らの生きている世界は、今のままで一番素敵だと思う。その世界を形作ってる僕が、そんなに大きく変わる必要もないと思う。でも、もっと素敵なればいいなとも思う。そう、出来れば、この世から戦争が無くなれば良いな。差別が無くなればいい。こころない言葉で悲しむ人が居なくなればいい、だけど誰もが自由に物を言えるのが一番いい。抽象的な要件でも具体的な要件でも、人と人とを分ける必要なんてないと思うし、どんな人だって、言葉が通じ合わなくたって、……これが理想論に過ぎなくたって、みんな知らない誰かを憎むこともなく、初対面の人とも打ち解けて、笑っていられればいいな」

「……そのために健全な知識だって必要だろう」

「知識なくても出来るさ、……僕と君がそうだろ?」

 ラムザはどこまでも飄然と、理想論を言ってのけるが、それと学校で「ふたなり」という単語を口に出したこととは、全く関係がない。

「……何処で知ったんだ、そんな言葉」

「この間教室でアンディとジェフが話してたの聞こえてきたんだ。女の子におちんちん生えてるのがふたなりなんだって。だから、僕もふたなりだったらよかったなあって」

 この少年は、こうまで爛れきっていながら、実はとても純情である。悪意と欲望の化身のように思える瞬間の非常にしばしばあることも、ディリータは主張するが、それでも純粋であることは認めざるを得ない。真っ白な、透明な、ハートでディリータを思っている。自分たちの良い形が、今の形でないことは、悲しいくらい判っているのだ。

 例えば僕が女の子だったら。

 ディリータは、ラムザが時々そう考えていることを知っている。

 いつだったか、女装をしたことがあった。それはセックスに発展することのない、他愛のない遊びに過ぎなかったが、アルマとティータと三人並んで、本当に女の子の顔をしていたラムザを見て、何故だろう、ディリータの腹の中で、くるりと何かが鳴いた。

「……お前はお前のままでいいよ」

 なんだかわびしいような、かなしいような気持ちになったことを、認める。ラムザが女の子だったら?そんなこと、思ったことなんてなかったつもりの他方、その可能性を常に探している恋人が、切なく思えた。

「俺は、……その、男の子のラムザが好き」

 廊下をてくてく歩きながら、ラムザは十センチほど高いディリータの目を見上げた。しばらく、見上げて歩いていた。頬が、自然と綻んだ。

「ありがと」

 ラムザは指先だけを、少し握った。

 本気の言葉だった。ディリータは、今のラムザで過不足ないと思っている。いや、不足はないが、自分には勿体無いという気はある。こんないい、可愛い子、心に幾つも芽が萌え出ずる。心も身体も、自分を充足させる、かけがえのない恋人だ。

そもそも、ラムザを淫乱呼ばわりするディリータだって変態を自認している。授業中、ラムザの項を見る。そこにキスすることを想像する。ラムザのためだけにディリータの脳は回転数を増し、難しい単語の綴りなんてどこかへ弾き飛ばされてしまう。ラムザが大好きだ。男の子であるからという理由ではなくて、ラムザが大好きだ。女の子だったらまた違う在り方があったかもしれない、だけど、ラムザは男の子で、ダカライマガアル、……ラムザが、大好きだ。

「ラムザは、そんじょそこらの女の子より可愛いと思う」

 真顔でそんなことを口走ったものだから、ラムザは呆気に取られる。周りに人がいなくてよかったねと、石畳を歩きながらラムザは思った。心が温かくなったのは、事実だ。早く家に着けば良い、しっかり部屋で抱き合えば良い。だけどこうして並んで、穏やかに歩くのも悪くない。少年二人の歩調は速まったり緩んだり。でも、同じように過ごす十数分。

 ベオルブ邸に戻って、まずはうがいと手洗い、その後、さてどうするか。宿題?今日は好運にも出ていない。ならば一つしかない、しかしそれだって夜にはまたするもので。……ラムザがしょっちゅう裸になって、ディリータを困らせているという誤解がある。これはラムザの名誉のためにディリータが言う、「いつもだ」。どこでもそこでも、中でも外でも、平気で裸になれるというのは、神の与えし天賦の才か。抽象的に言えば、ラムザはディリータを困らせることなどお茶の子で、だが困惑は常に幸福と薄い紙の裏表に在る。ラムザが裸になって嬉しい部分があることは、ディリータだって認めている。珍しくスパッツを穿いたまま――一週間に一度か二度しかない、貴重なことである――ディリータのベッドに横たわり、借りっぱなしの絵本を飽きもせず、また読んでいる。こんな日に、ディリータも安心して読書に励むことができる。時折、目線をラムザの下半身にやる。紺色のスパッツを、まだ穿いたままだ。かけがえのない平和な景色なのだと思い込む。

 ラムザはあのスパッツが好きだ。ぴったりと身体に添うライン、ディリータにはどうも、あれが窮屈に思えるのだが、ラムザは平気な顔をしていつも穿いている。自分が穿けば股間の部分が妙に膨らんでしまうように思えてしまうディリータだ。

 ラムザが穿いたって膨らむものは膨らむのだ。大小の差はあれ、そこに在るものは在るのだ。どこまでも利己的に言ってしまえば、ラムザのスパッツ姿は大変に可愛らしく、出来れば学校などには穿いて行かないで欲しい、自分の前でだけたまに穿いているところを見せてくれれば一番いいなどと、狭量なことをディリータは思う。多くの場合、丈の長いシャツやセーターを合わせて来ているから、注視しなければその場所を把握することなど出来はしないし、いかにラムザが愛くるしい相貌をしているからといって、ディリータ以外にラムザの下半身を注視する人間などそうはいない。だから単にディリータの器の小ささを露呈するだけのことではあるのだが、くっきりと現れてしまう尻の、腿の、桃の、ラインは大変危険であるので取扱注意の札でもぶら下げておくべきだと主張したい。

 実際、うつ伏せに横たわって、足をぱたん、ぱたん、気侭に動かしながら、何度だって絵本を読み返すラムザの尻を見ていて、ディリータは無事では済まないのだ。何度だって生で見ている、触っている舐めている、きれいな双子の丘の谷間にまで押し入っているくせに、衣服ごしのラインにだって、鼓動が早まる。

「お尻見たいのー?」

 ラムザは絵本から目線を反らさぬままに、そう言った。身を強張らせたディリータは、さっきからずっと頁を捲る音を立てていないのだ。なんとも答えかねているうちに、

「いいのにー。君のものだよ」

 そんなことを言う。フリーパスならいくらだって脱がせてしまったっていいものを、ディリータには妙な健全への憧れが先天の心芽として在り、その誘いがどんなに魅力的であっても、はいわかりましたお言葉に甘えてと立ち上がることが出来ない。このことが何よりもラムザを淫乱化させていることに、当の本人は未だ気付いていない。

「……違う。俺は……、お前のそのスパッツ、ほんとにお気に入りなんだなって……」

 そんな言い訳をしてまで保たんとするほど、もう体面など残ってはいないのだが、どうしてもディリータはそう言いたかった。

ラムザはそんなディリータを肯定する。絵本を閉じて、ころんと仰向けになる。無防備に開かれた足の間には控え目に、それでも確かに男であることを教える膨らみが在る。

「うん、お気に入り。楽だもん、動きやすくて」

 ディリータは何故だかそこから目を反らす。自分の意志とは違う動きをするのだから、首はぎこちなく軋む音を立てる。

「……そう、か。まあ、うん、似合ってるからいい」

 ラムザは仰向けのままにっこりと笑い、「ありがとう」と言う。

「でも、君が言うほどいっつも穿いてるわけじゃないよ?」

「……そんなことないだろ。さきおとといだって穿いてた」

「さきおととい?んーん、穿いてないよー」

「……穿いてたよ。忘れたのか?」

 ああ、とラムザは笑った。

「気付いてなかった?」

 よっこらしょと起き上がって、裾を摘んで引っ張った。細い太股にぴったりと吸い付くような布には、普段着としては不必要なほどの艶かしさがあった。

「穿いてなかったんだよ、さきおとといは」

 ラムザはいつもの穏やかな笑顔だ。セックスの時を除けば、あまり表情を劇的に変化させることはしない。恐らくは育ちの良さから生まれ出る、穏やかでのんきな、余裕のある微笑みを、ディリータは見慣れていた。心和むその笑顔は、平時のラムザのとぼけた甘味をそのまま示していると、周囲に誤解をばらまく。内部に秘めているのは、不意に鋭く、ぎらり、刃のようにきらめく計算高さである。裏腹な内と外が、奇妙な威圧感すら孕む瞬間がある。

「穿いてなかったって……」

 化かされたような気になって、ディリータはぽかんと聞き返した。

「んー。ときどき、穿いてないの。……やっぱり気付いてなかったんだね」

 えへへ、と悪戯っぽく笑って、

「青と黒の絵の具混ぜて、塗って、穿いてるみたいにしてたの」

 言葉で衝撃波を作り出し、ディリータを椅子から転落させる。

「父上がね、舶来ものの絵の具をくれたんだ。何度も重ねて塗ると、布みたいな光沢が出てね、ぱっと見穿いてるみたいに見えるんだ。だから朝、出かける前に穿いてるところに塗って、乾かして」

 わなわなとディリータが唇を震わせる。ラムザは己が狂気を矜持と踏まえて、平然と言い切る。

「おま、おま、おまえ、は、っ、まま、まさかっ、学校へっ、学校へちんちん丸出しでっ」

「うん。でも、もうあんまりどきどきしないよ。だーれも気付かないんだもん。ディリータくらい気付いてくれたっていいのに。せっかく僕、椅子に座ってお尻冷たい思いして頑張ってるのにさ」

 言うべきことが何だったか、ディリータには判らなくなった。床にぺたんと尻をついたまま、立ち上がる気力もない。ただ椅子の足にしがみ付いて、オイオイと泣きじゃくりたくなった。結局出来たのは、呆然と中空を見上げて、

「……ばれたら、どうする、つもりだったんだ……」

 そう言うばかり。

「そのときはそのとき」

 「お願いですから」、土下座して頼んだって、「もうやめてください」、ラムザはやめることなどしないだろう。ディリータはただ、これからは毎朝ラムザがちゃんとズボンを穿いているかどうかを確かめなければならないことを、理解するのみだった。

「おしっこのときとかね、ばれないようにするのがちょっと大変だったかなあ。ズボン下ろさないままでもおしっこ出来ちゃうし。すっごい便利だよね」

「……そう、……便利だな……」

「ちなみに今はちゃんと穿いてるよ、ほら」

 ウエストを引っ張って見せた。ディリータは自分のネジがどこへ飛んでいったか探しながら、曖昧に微笑んで、「それは、とても、よかった」などと訳の判らないことを言いながら頷いた。

 多分ラムザと共に生きるというのは、太陽の前に身を縮ませる月として自分を定義することに近い。太陽はどこから見ても、すなわちどこに在っても太陽のままで、月は晒す顔を変えることを強いられる。極めて抽象的なことを考えていたところに、ラムザが笑った。

「……ひょっとして、信じちゃった?」

「……え……?」

「僕がおちんちん丸出しで学校行ってるって……」

 キープマイペース、隣にいる愛する者の心を、指先一つでくるくるくるくる、ラムザは自分のはしたないことを気に止まぬ代わりに、恐るべき支配力を手に入れる。

「さすがの僕でもそこまではできないよー」

 笑い声はどこまでも和やかに楽しげに、その心ころころ転がす音。始まりはただ二人の簡単な出会い、歴然たる立場の差はあれど、同じ年の。

 ディリータは口を開けたまま、膝を抱えて座るラムザの、腿と腿の間を見た。ふっくら、ふんわり、膨らんで、それはただそこに在るだけで、ディリータに数々の困惑を齎す。

「でもねえ」

 ラムザはひょいとベッドから降りると、くるりと背中を向けて、自分の太股から尻にかけて、指でなぞって見せた。その動きは滑らかである。

「わかるー?」

 ラムザの問いに、……ディリータはこっくりと頷く、頷いて、両手で顔を覆った。「わかるよう」とくぐもった声を出した。「すごくわかったよう……」、それはほとんど泣き声だった。それはもう、楽しく笑いながら、スパッツのウエストに指を入れ、するり、引き摺り下ろす。紺色のスパッツと鮮やかなコントラストを為す、真っ白いラムザの臀部が明らかになる。

「これくらいなら、いいでしょ?」

 うん、うん、とディリータは顔を覆ったまま頷く。もう、お好きにどうぞいくらでもどうぞ、死なないでどこにも行かないで俺の側にいてくれるんなら。

 ラムザの尻はスパッツのウエストが横に食い込んで描くラインで、その柔らかさを主張する。ディリータが顔を開くと、半分だけ晒した尻、シャツで隠れないようにとウエストを押さえ、ここに据え膳有り、ラムザは主張する。

「パンツ穿かないの、あんまりどきどきしないけど、うっとうしくなくっていいよ」

「そう……」

 重要な部分の欠落があることは否めない。ただ、そこに何か、もっと性質の悪いものが新しく居座っていることまで、ディリータは思い描く。

「ね、ディリータ」

 肩越し振り返って、……金色のテールが揺れる。

「僕のお尻見たい?」

 しかし何処に悪意が在るのだろう?……何処にもないのだ。恐らくは、真っ白、ただ、ラムザはあくまで自然のまま、足りないものも余るものもなく、ラムザがラムザとして在るだけのこと。

「……見たい」

「僕のおちんちんも見たい?」

「……うん」

「僕のおっぱいは?」

「……見たいよ」

 うん、とラムザは納得したように頷く。

「つまり、僕が裸になることに、何の異論もないわけだね?」

 不承不承の態度も装うことは出来なくなって、ディリータはこっくりと、頷いた。

「じゃあ、正直に言ってみましょう」

 スパッツを上げて向き直れば、それはごく普通よりもずっと高貴な、美少年の立ち姿でしかないのに、この少年はスパッツの下に何も身につけていないのだ、誰に陰茎を見られたって平気なのだ、どこでもそこでもおしっこをしてしまえるのだ、尻の穴に男根を挿されるのが嬉しくてたまらないのだ。

「……ラムザの、裸が、見たいです」

 くすっと笑って、「よくできました」、ラムザはディリータの髪を、くしゅくしゅと撫ぜた。


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