俺たちに壁なんかない

 今年の夏はいつになく長かった。

暦を捲ってもまだ暑い日が続いて、それを口実にラムザはいつまでだって裸でいたし、ディリータはそれに付き合わされた。

幸いにして、この週の頭あたりからは、朝晩に涼風が舞うようになった。

「仮令家の敷地内であっても噴水で泳ぐときには水着を穿く」「着替えは部屋か浴室でのみ行なう」「寝ている人の顔を跨がない」「廊下でオナニーをしない」「バルコニーでオナニーをしない」「玄関でオナニーをしない」「おしっこはトイレでする」「食事中に服を脱がない」「勉強中に服を脱がない」「飴は最後まで自分で舐める」等の、規則、ではない、常識を、逐一規定しなければならないような恋人を持つディリータは、一先ず「暑いから」という口実で服を脱がれることはなくなったと、小さな安堵の息を吐く。無論、冬は冬で「人肌の方が温かいよ」などと、風邪も恐れぬ気概を見せるから、油断するわけには行かなかったが。

ラムザは頭も悪いが意地も悪い子で、ディリータがどんなに懇願しても、多くの場合自分の我侭を押し通す。つまり、いつだって全裸で泳ぎたがったし、バルコニーで自慰行為をした。

「だってさあ、訳わかんないよ」

 窓から吹き込む、澄んだ風に髪を泳がせるラムザは華奢な肩を竦める。まだ、シャツ一枚しか着ていない。

「俺からしたらお前のしてることのほうが訳わかんないけど、まあ聞こうか」

「裸になるの、気持ちいいじゃない」

 露出狂の快楽至上主義、非常に悪い少年の性質が、時としてディリータを喜ばせることがあるからこそ、矯正しようとは思えないのであって、ディリータ自身も相当に狡猾に、「ラムザが裸になれば俺が気持ちいい」、スマートな流れを見出しているのだ。

「……気持ちいいから何したっていいって法はない」

 散々ディリータが頼み込んだから、さすがに夏の終わりの十日ほどは水着も穿いていた。学校で遠泳の授業の際に穿くもので、地味な紺色、生地だって良いものではない、ただ、「穿いてくれている」ことがディリータには重要だった。あとはこれで、廊下やバルコニーで自慰をせず、ちゃんとトイレで排泄し、服を着て食事や勉強をし、飴を舐めている最中人に押し付けたりしなくなれば普通の十四歳の少年である。要するに、大変なことになっている十四歳の少年だった。

「んー……、でもさあ、人間ってね、やっぱり気持ちよくなかったら動けないって思うんだ」

「何で急にそんな根源的な話をはじめるんだ」

 ラムザはいつだってマイペース。白いシャツのボタンを全部留めないから、風に弄ばれて、小麦色に焼けた肌に浮いたり張り付いたり。エロチックだとディリータは思う。

「悪いことするのはもちろん気持ちよくなりたいからだろうけど、いいことするのだってそうだよね。悪いことしたら心が気持ち悪くなっちゃうから、いいことして気持ちよくなっておこうみたいなところあると思う。極端なこと言ったらね、人を好きになるのも、気持ちいいからさ。僕はディリータがおちんちんくれるの幸せだよ? 気持ちいいからね。もちろん、それだけじゃなくって、心。心が気持ちいい。心は声出して喘いだりしないけど、でもディリータが僕の心を善がらせてるの、僕は判るもの」

 傲慢と言ってもいいような言い回しをして、ラムザは微笑む。微笑んだその顔は、いつものように幼く少女じみて、桃のように瑞々しい。

「話を広げすぎだと思う。お前が廊下でオナニーしたり人の部屋の窓からおしっこしたりする理由にはなってない」

 ラムザは首を傾げる

「そうかなあ? 僕、いいことしてるつもりなんだけど」

 頭痛と付き合うのも上手にならなくてはと、ディリータは思う。ただ、ずきりと感じる痛みの原因が自分ではない以上、それも愛さなければならないのだ。

 開け放った窓から、また風が巻いた。

「ディリータが僕のそういう事するとことか見て、おちんちん硬くしなかったら僕だってそんなことしないよ?」

 そんなことを言って、飄々とシャツのボタンを外す。

「ディリータ、ずるいんだもん。僕に全部準備させて、自分は悪くないって顔して……、でも、いいよ、そういうところも好き、僕、おちんちん見せるの好きだし……」

 ベルトも外す、ズボンを下ろし、下着の隙間から、自分の幼茎、取り出して、撫ぜて見せた。

「君だって、僕のおちんちん、大好きでしょ?」

 好きじゃないと首を横に振った瞬間、無理な動きの報いとして、頭が転がってどこかへ行ってしまうんじゃないかと危惧した。

 だからディリータは首を横には振れなかった。

 ラムザはクスッと笑って、するりと尻の下、下着を潜らせて、ころんと横になった。ベッドの下へと折れる膝で止まったズボン、太股で巻かれた白い下着を見るほうが、却って官能が刺激された。

「白いでしょう」

 ラムザは天井に向かって言葉を投げた。

「水着、ちゃんと穿いたから、ここだけは日に焼けなかった。悪くないよね、こういうのも……。僕はお尻の穴まで太陽に晒したって平気だけど」

 右手が少年自身の茎を摘んで揉んだ。包皮の先端を引っ張って、もちろんディリータがそれを見ていることを前提に、えへへと笑う。それは例えば妖精と表現することも出来ただろう。しかし実際には、淫乱以前、人間としては異常な様だった。ただ、ディリータはそれを認める異常さを持ち合わせているのであって、ラムザが自分の性器を手遊む様子を見て、ラムザの言った通り、胸のくすぐったい思いをし、やがてズボンがきつくなる、心拍数が上がる、ベルトなんてしていられなくなる。

「剥けないなあ……」

 今度は皮を摘み下ろし、生々しい色の亀頭を中途半端に覗かせ、……ディリータはそこがどんな味か知っている、そこがどんな匂いか知っている。

 自分の手であっても、それだけ弄べば勃起する。心臓の音が形に顕れるのをディリータは異様に良くなっている視力で見た。俄かにそこが陰性の毒を帯び、男を自己主張する。

「……手は綺麗なのか」

 ディリータの問いに、ラムザは首を傾げた。

「と思うけど。どうして?」

「汚れた手で触ったら病気する」

 ふうん、とラムザは納得し、手を離す。

「ディリータは手ぇきれい?」

 三十分前に用を足した後、石鹸で洗った。潔癖症ではないが、トイレに行けば必ず洗うようにはしている。他でもないラムザの身体を触る手だからだ。同じ手で、恐らくはラムザの一番不潔な場所を触っているにしても。

 頷いて彼は立ち上がり、ラムザのズボンを全部脱がせる。下着は膝に絡んだままだ。

「ラムザは……、お前は……、人生気楽だな」

 半勃ちの性器に指をかけた恋人の髪をひとふさ掴んで、ラムザは笑う。

「うん、気楽だよー。悩みの種はあっても、花は咲かさないようにしてるし。でも、どうして?」

 恋人の目は確かな興味が篭って、自分の性器を見つめている。まだ手つきは穏やかだが、既にラムザの先端の亀裂は清澄な蜜が浮かんでいる。それを舐めるともなく、撫ぜるともなく、ディリータはじっと見ながら、

「俺、まだお前と同じで、十何年しか生きてないから、判んないけどさ。……こういうことを出来るってのは、今、もちろんすごく幸せで、今だけじゃなくって、それこそ、兄上や父上のような年になっても、同じように考えるんだろうと思う。それこそ……、互いに……、お前の快感が俺の快感と繋がってる訳で、形的にも……。射精するのは、気持ちいいし。だから、そうできる相手はすごく大事だし、商売でそういうことしてる人たちは高い金を取るんだろうと思う。それだけの価値があるから。しかも、そういうのって、秘密にしておかなきゃいけないようなことだ、そう簡単に喋っちゃいけないような……、恥ずかしいこと。だけどお前は、恥ずかしいって思わないで、何でも出来る。それこそ俺の見てる前で裸になることなんてお茶の子だろ? 幸せのステージにスムーズに上がれるなんて、本当に気楽じゃなきゃ出来ないよ」

 ラムザが頬を少し染めて、ディリータの頬に手をかける。

 ディリータは構わず、性器を口に含んだ。

「君……も」

 声がかすかに揺れそうになるのを、堪える。

「君も、おちんちん好きだろ? 僕の、しゃぶるの、好きだろ?」

 ディリータが一度口から抜く。その唇の形、ああ、僕のってやっぱり小っちゃいな……。

「しゃぶられるの、好きなんだろ?」

 そうとだけ言って、また咥えた。舌が、味わうように絡みつく、その動きはまだ、ラムザを射精へと追い詰めるものではなく、指で袋を摘んだり揉んだりされて、またふわりと息が下腹部に這うのを感じて、ディリータが素直ではないことをラムザに教える。

「そうだね、僕が……、淫乱、だから……」

 だから、君はそれに付き合って、してくれるんだよねと、嘘をつく。

「僕の……、ねえ、精液、は? 白いの、は、嫌い?」

 舌の動きが途端に卑猥になった、――「そんなわけないだろ」――ディリータはラムザの袋を通り過ぎ、会陰を撫ぜて後ろの皺に指先を当てた。擽るようにさらさらと指先を這わせながら、ほのかに塩辛い蜜がまた少し溢れたのを感じる。

 そして、かすかな、躊躇うような空白の後に、ディリータの口へ、たっぷりと蜜が溢れた。

 「お前は射精するのが好きなんだろう?」、意地悪く言うことは幾らだって出来た。しかし、ディリータだってラムザを射精させるのが好きだった。お互いの好きなものを与え合っていれば十分に恋愛だと思っている。

 もちろん飲み込んで、口から抜いて、見下ろす。

「……目立つな……」

「ん……?」

 ディリータはラムザの腰、陰と陽を分つラインを指で辿った。

「お前は肌が白いから、本当に目立つな」

 そこから上は小麦色で、そこから下はくっきりと白。

「ああ……」

 未発達な体幹の中でとりわけ未発達に見える部分が、こんなに目立ってしまっては、普通の神経ならば羞恥心を覚えようものが、ああ、普通って何だ? そんなに美味しいものか?

「きれい?」

 ラムザは悪戯っぽく笑い、聞く。ディリータが素直に頷いたのを見て、下着のひっかかったままの両足を上げて、抱える。

「ここは?」

 足の付け根の一番真ん中、深淵に眠らせておくべき場所を、晒す。

 ディリータはいちいち答える手間を省き、そこに顔を近づけて舐めた、清潔だし綺麗、そう思うから舐める。舐めて、ふと顔を上げた。

「……まだ、パンツ穿いてる」

「こういうの、穿いてるって言うの?」

「シャツ、脱いでない」

「うん」

 そうでないときは、幾らだって自分から脱ぐのに。

 些細なことに思えた。それよりも綺麗なものを美味しく味わうのが勝ちだと思った。脱ぎたいなら脱げばいいし、面倒なら着ていればいい。別に脱がなくたっていいのだ。ラムザがしたいように出来る世界を構築することが自分の存在理由であればそれで良く、くよくよ考える時間すら惜しい。

 以上のような裸の感情を持つディリータは、要するに嘘吐きで、普段は倫理や道徳を味方につけて、頼むから服を着てと懇願する。全てをラムザに委ねて、満悦を得る。そうしたいなら、そうすればいい、自ら悪者を、少しの恐怖心もなく、演じることの出来る恋人がいるから、そうできる。ディリータのほうがよほど気楽だった。

 楽しそうにラムザの後ろを舐め、指を差し入れる。

「……淫乱だな、本当に……」

 そう、喉の奥で笑う、ディリータが嬉しそうで良かったと、ラムザは、自由には微笑むことの出来ない快感をもどかしく思う。

「いれて……、君の欲しい、中で出して」

 そう言って、ディリータの服を一枚ずつ脱がせ、……腰を振るのはディリータだ。

 ディリータ自身も、ラムザが自分にそうさせるが判る、自分のための淫乱だと判る。ラムザが自分の奥底の「変態」を歓迎するのと同時に、自分もラムザの表層にある「淫乱」を賛美する。「変態」「淫乱」、罵りあいにすら聞こえる言葉で互いを高め上げ、快感に口を濡らし、射精する。

 そうする自分たちはルールも何もかも超えて、きれいだと思う。


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