「変態」という言葉を言ってしまえばそれまでだし、自分はそのラムザと同じ気持ちでいたいと思い続けるのだから自分も「変態」だ。だけど自分のことを「変態」だと考えるのは非常に心苦しいので、ラムザが仮に「変態」であったとしても、「変態」だとはおもわないようにしよう。 それがやっぱり好都合、思い込むことで、今日もラムザに、求められるまま。
「……ラムザの……えっち」
白く瑞々しい肌のどこにも、黒い霧が吹き出そうなところはない。甘い蜜を零して喉を潤してくれる、幼い鎌首を口に含み、愛をいっぱいに受け入れるのが第一義に成り果てた蕾に指を押し入れる。喉は妖魔の笛、切ない音色を奏でては、思い通りにディリータを操って、悦楽を生み出す。眉間に皺を寄せ、頬を薔薇に染め、細い腰を艶めかしく揺らし珠の汗に濡らし、この夜にこの世の全ての美を吸収して、そこにある裸体、たった一人の為に存分に晒して、彼の、欲をまた満たしていく。
「……んん、えっちで、……いいよぉ、……あ、……はぁっ……ぅん!……」
それだけの力を持ちながら、一人の想い人に全てを捧げようとしてしまう恋心。感動的な程の、「愛してる」の数に、繋がりを深めていく夜の繰返し。口腔に包まれて張り詰めた茎に、熱い舌が絡み付いては昇天。だが上り詰めたとしても、妖魔はまた淵に下りて、再び天を目指す。耳元に吹きかけられる吐息に神経を張り詰めて。何度だって言われたはずの「好き」を、聞き逃さぬように。
ラムザは、妖魔の如きその美しさを研ぎ澄まし、ディリータを狩る。ディリータも、自ら獲物になる事を求めている。互いに、届かない天国を目指して、少なくとも蜘蛛の糸よりは頑丈なリィドで、つながっている。愛と共に互いも利用しあいながら。 最も、最中はそのような事など意識せず、盲目。涸れそうな吐息と、頬を伝う涙と、幾度も零す精液だけを感じあう。神々が作り給うた男としての身体を、異端的な使い方で愛し崇めあう、邪まである自分たちを肯定出来るのは、自分たちの他にはいないのだから。だから「変態」だろうが何だろうが、愛し合う、愛してる、大好きだ。
けれど、我に帰ればいつも思う。ラムザの身体は見目麗しいかもしれない、優しくて穏やかな心根をしている。けれど、この、夜になれば研ぎ澄まされる危険な欲求、これは、何故生まれてしまったのか? 愛し合う形は一つではない。言葉を交わすだけでも一つの形になるはず。身体は、それが正当な答えではなく、幾つかある選択肢のうちのひとつでしかない。確かに快楽は得られよう。だが何故に、ラムザはそれを求めるようになった?
(っていうか、はじめはそんな、欲しがらなかったよな……。大体、俺が「しよう」って言ってた。今みたいに自分から「してよぉ」なんて言うこと、なかった。俺を拒むことすら、あったっていうのに……)
ディリータは眠りに落ちた癖毛を抓みながら、ふと思う。二年前、お互いまだ十二歳、そう遠くない昔の、しかし現実感に乏しい、昔むかしの話。ラムザが呑み込んだ甘く、愛しい味の、毒の話。
手を繋ぐ時の、緊張感が何とも言えない。ドキドキを、互いに見透かしあって、意識しあって、そっと手のひらを重ねる。誰かに見られるのが恥ずかしくて、身体の陰に隠して歩く。触れ合う前は普通に続いていた会話も、途端に途切れがちになる。間に流れる居心地の悪い空気が、そのまま初々しい恋心。一度二度と身体を繋げたとは言え、やはりそう言ったことに対して罪悪感を感じずにはいられぬ年頃だ。青春にすら、まだ早い。幼い恋人たちの恋心は、鳳仙花の実のように、沢山の想いと言葉にならない言葉が詰まって、弾けそうなところで、風に揺れている。
けれど、恋愛衝動が直結しやすいのが男の性というもので、ラムザに比べて発育が良く、精神年齢などもラムザの遥か上を行くディリータにとって、この関係はどこかじれったく感じられた。ラムザはまだ子供で、つまり恋愛そのまま性欲という、あまり感心出来ない図式は成り立たなかったが、既に二次性徴が完了して、身体ばかりは完全な大人に変わりつつあるディリータからすれば、一度やれば二度、二度やれば三度と、ラムザの裸体を欲する心がますます留められなくなるのだった。
だから、寄り添いあえば、身体に触れたくなる。くちづけをすれば、手がシャツの裾へと。幼くだらしなく、興奮しながら、「愛してる」を理由に、行為に及ぼうとする。「可愛い髪」 解かれた金糸は陽光を吸収したかのように艶やかに映える。指を通せば音もなくしっとりと絡み付き、柔らかく零れ落ちる。僅かに巻いた一束を掬い、くちづけては、蜂蜜色の匂いを嗅ぐ。
「お前の髪は、本当に綺麗なんだよ、ラムザ。……つやがあって、さらさらで、いい匂いがする。こんなに……優しい。……そんな顔をするなよ」
ラムザは少し憂鬱そうに、遠くを見詰めていた。ディリータが案じて顔を覗き込めば、すぐにまた笑顔を見せるけれど。
「ありがとう。嬉しいよ、ディリータ。でも、君の髪の毛だって、綺麗だ。暖かい色をしてる」
「……俺のなんか。くすんでるよ。お前の、本当に誰よりも綺麗な、いとおしい髪に比べたら。……宝石や、太陽みたいだ。全身が、神様が作った芸術品だよ。お前の身体は、全部、完璧だよ。……心も、身体も、完璧だ」
耳元で低く囁く。ラムザが肩越しに振り返ると、それを待っていた唇に捉えられる。場の空気と同じ程に甘い接吻を交わし、見詰め合って、事前に打ち合わせていたかのように、ラムザはディリータの胸に顔を埋め、ディリータはラムザの頭をそっと包み込む。衝動的な愛の交わし合いは、ラムザの中では当時、この程度に収まっていた。ただ、ディリータの中ではそのまま、また一つ先へと進みたい欲求も、存在していて、いつもならその髪に留めておくはずの手を、その耳へと、泥棒の足取りでそろそろと移動させてゆく。
「ラムザ」
震えた体を、無視するように、小さな耳を指先でなぞる。触れそうで触れないあたりを、産毛を辛うじて揺らすように。心臓が駆け出す音は、ラムザの耳にもちゃんと届いているはずだ。その、危険な兆候が。
「ディリィ」
「ラムザ……、大好きだよ」
胸の中の項へと手をずらし、首筋へと指を繋げて行った。ラムザが顔を上げて、抗う瞳で見詰めても素知らぬ顔で、片手では頬を、もう片方は襟を開いて、薄い胸板へ侵入していく。 淡く実った粒状の果実に手を届かせた瞬間、ディリータの身体はぐらり、と傾いていた。
「……いや、だ」
ラムザが両手で、その身体を引き剥がしたのだ。何処か怯えたような、悲しいような、目をして。 ディリータは内心で舌を打った。心臓が未だ、馬鹿のようにハイテンポで走り回っている。
(――また、馬鹿やった)
ラムザは胸元をかき合わせて、俯いた。
「……ごめんね。したく、ないんだ」
ディリータは首を振って、ぽん、と頭に手を置いた。
「悪かったよ」
「……ううん。ディリータのことは、好きだ。誰より大好きだよ。だけど……ごめん、したくない。愛してるから、しなきゃいけないものでもないでしょう?」
愛してるからしたいと思うんだ、そう言いかけて、ディリータは溜め息と共に飲み込み、苦笑いをして、「そうだね」と。金の前髪をかき上げて、額に。接吻と性行為との間に、一体どの程度の差異があるのか、ディリータには解からなかった。延長線上にあり、またそれはごく至近の距離に位置するものだと、思っていたから。
思春期の少年特有の、幼く危険な性欲。性欲の発展を、愛情の成長だと思い込んでしまうから、愛は暴走しがちになるものだ。
しかし、首を傾げる正当な理由も、ディリータにはあった。ついこの間まで、三日に一度とは言わぬまでも、一週間に一度は繋がりを持てたのに、何故ここに来て、ラムザは俺を拒むのか? 正常な形態ではないにしろ、恋愛感情を互いに抱きあう仲であり、またそういった行為の準備は整っているのに、それを回避し続けるということにどんな意義があるというのか。それともラムザは、俺のことが嫌いなのか。
セックスレスという言葉など知らない、まだ十二歳と十ヶ月。奇妙にませて微妙に知らない分だけ、暴走する精神もある。外見は十五にも十六にも見えよう、しかし中身はやはり、まだまだ子供。
「俺はね、ラムザ。いつもラムザのことが欲しいんだ」
弁解するように、またその髪に触れて、言った。 ラムザは首を振って、困ったように笑うばかり。そして、残酷な一言を、巧まずに、愛らしい唇から零す。
「僕は、君と手を繋いでいるだけでも、幸せなんだよ」
それだけで満足しないで欲しい、もっと、もっと良い方法はあるはずなのに。
けれど、それが清潔なやり方ではないことを、ディリータも良く知っている。自分の異常性はとうに受け入れられたが、ラムザがそれを受容出来るかはまた別のはなしだ。異性に対しての行為とあまり変わらぬかたちの自分に対して、ラムザは完全に、男としてはありえない形で行為に及ばねばならないのだから、呑み込めぬというのも頷ける。 だが、それも愛と片付けられぬものか。
ディリータはもう一度、その胸元に、そして可能であればその細い腰に、なだらかな臀部に、指を這わせようと思案した。しかし、ラムザが尚漏らす、言葉に想いを折り畳んだ。
「心が繋がりあうだけじゃ、いけないのかな」
まるで俺が、変態みたいじゃないか。
無理に「そうだね」と笑う、自分はあくまでも不潔なのだ。男相手に性欲を抱くなんて、間違ってることなんだと、今更ながらに気付いて、いやになる。しかしそれでも、脳裡にラムザの裸体を浮かべれば、それだけで胸の奥が痺れる自分は、変態だろうが何だろうが、やはりラムザが好きなのだ。 好き、がそのままセックスにつながっているという考え方で、何が間違っているのか。その答えを
自分では見つけられない、まだ、未熟な子供。
かつて、他の十二歳よりも多少知識が豊富であるに過ぎなかった少年が、何故これほどまでに爛れた性生活に自ら身を浸すようになったのか。当時のラムザは、正常な欲求を持ち、またそれを正常に発散させる術を会得していた。自慰だけで十分に自己をコントロールすることが出来ていたのだ。だが、今では自慰などでは物足りない。確かに手の中に握り込めば他者に触れられるよりも遥かに強い快感を得られるかもしれない。しかし、それだけでは心が満足しなくなってしまったのだ。接続によって得られる充足感を、欲して止まない。淫乱だろうが変態だろうが、濡れたくちびるは毎夜の如くに「入れて」と喚き、昔では有り得ぬ程の淫猥な姿を進んで晒し、理性すらもかなぐり捨て、ただ唯一、感じられるだけの神経だけは残して。
宿るのだ、得体の知れぬ、危険な妖力を秘めた魔性の星が。
「ディリィ…、開いて。ねぇ、僕、を…君で。君ので」
言葉は蜘蛛の糸のようにねっとりと絡み付き、その瞬間から操りの糸と化す。もっとも、操られることを至上の悦びとする愛玩奴隷のごときディリータにしか、効かぬ呪術ではあったが。フェロモンが走る腰は誘い、匂い立ってはくらくらと、陰性の、夜属性の、それでも強引に「愛」と言って押し通せる欲求を引き出す。ディリータはくらく、やさしく、微笑んで、請われたままにラムザの直腸へと、自身を押し入れていく。受精卵ではないものを作り出して、絆を、契を、想を、深めんと。
そう、いつから、こうなったのか。
ディリータもラムザも、忘れるほど昔の話ではない。だが、今が幸せすぎれば、それを形成する一要素は一瞬の刹那でしかなく、今後続いていく吐息一つ一つがその十倍百倍の力を持っているから、やはり遠く霞んでいく。
それでも、その霞んでも素敵な思い出が無ければ、いまのように無我夢中で愛し合うことも出来ないのだが。
自慰行為を覚えた年齢は平均的だと思われる。いとおしいと思う人の事を考え続けていたら、身体の一部が変になった。触れればいとおしさが広がり、そして震えるほどに気持ちがいい。はじめは恐る恐る
だった動きが、徐々に烈しくなり、やがて、一点に蓄積された感情とともに、白濁が排出された。
ラムザがそれを覚えたのは、ディリータと恋人同士という関係になった直後だ。まだ恋愛行動と言えばキスくらいしか知らない当時ですら、訳が分からないなりに、罪悪感を覚えつつも気持ちの良いその行為に、僅かながら傾倒するきらいはあった。
しかし、初めてつながってからは、ラムザにとって自慰行為は、それまでと違った意味を持つようになった。
愛、繋がり、心の孤独は癒され。しかしながら、赤面し顔を覆っても嫌なものは嫌。いつもは使わぬ心と身体の一部分を無理矢理引き出されて晒し者にされているような錯覚を覚えるようになったのだ。他の少年たちが覚えるのと全く同じ罪悪感と羞恥心を、ラムザもまた、覚えていた。ディリータが既にそれを感じぬようになっても、当時は初心だった彼は、未だ「少年」のままで、その後の変化からすれば、ほとんど嘘のような純粋さだった。ふたりのそんな立場は、簡単に逆転する。後に悔やんだとしても、責任は、ディリータにあった。だがそれも、健全な少年から青年への過程に抱く、勘違いしがちな自作の愛の方法論ゆえに。
ラムザが現在のような、火種を常に宿したまま歩くような子になったのは、運命とも言えるかもしれない。愛の化け物、しかし愛の欠片を集めて完成したものだから、美しくないはずがない。
しかし。繰返しになるが、当時は、この考え方に基けば、「美しくはない」ラムザだった。
「風呂……、何だ、もう」
「うん。先に入ったよ。ディリータ、ゆっくりどうぞ」
「……一緒に入ろうって思ってたのに」
「……ごめんね」
美しくなりようが無い。
俺が、美しくしてやろうにもその機会がない。
最も、こんなことを考えていたわけではないが、しかし遣り場の無い思いが募る。怒りでも悲しみでもなく、蔑ろにされている気分に苛まれる。
しかし彼自身にも、何故人が――自分が、繋がり合いを、みっともないほどに欲するのか、ラムザを納得させられるほどの確たる理由は解からなかった。
「愛してるから」を理由にするのは片手落ちらしかった。ラムザは、いつもこう答える。
「うん、僕も、愛してるよ」
意味は分からない。だが、それは一つの、コミニュケーションの形ではあり、そしてそれ以上のものでもなかった。
どれを取ったって一つの形。だから性交だって、一つの形であるはずなのに。
「たまに」では嫌なのだ。
「今日だけ」で終わらせてほしくない。
明日以降も続く関係でありたい。
大人の視点からすれば、性的な事に憧れる少年たちというのは、甘えん坊で、苦笑いせずにはいられないような、こそばゆい存在だ。しかし自分も潜り抜けた路であるゆえに、その苦笑いは何とも甘やかなものではある。
そして、そんな話題を振り掛けてみることは、大人からすればなかなかに心愉快なものなのである。
(風呂……、何だ、もう)
(うん。先に入ったよ。ディリータ、ゆっくりどうぞ)
(……一緒に入ろうって思ってたのに)
(……ごめんね)
廊下の曲がり角一つ手前でその遣り取りを聴いていたバルバネスはくすぐったそうに笑って、踵を返した。二人の意図が共に露になっているのは、正直な彼ららしい事だった。
俗物の凝固した姿だと、嘲笑を注ぐのは容易なことだ。しかしそれを受け容れてやり、また、健全なる成長の助けになってやるのが大人のやるべきことだ。現に、自分自身何も無く、四人の子を産ませた訳では無かった。
憂鬱そうに、風呂から連れてきた湯気を纏わせながら、一人で廊下を歩くディリータに、声をかけようなどと考えた自分を、誉めてやりたいような、笑ってしまいたいような、気持ちになった。
「ディリータ」
はっと顔を上げて、慌てて居住まいを正そうとする。しかし、風呂上がりの姿に貴も賎も無い。
「ち、っ、…父上っ」
「固くならずともよい。楽にしてくれないか」
せめて首からかけたタオルだけは外し、背筋に一本入って、ディリータは「楽に」した。正直、「気を付け」を「休め」にした程度のこと。
ラムザと同じ「息子」として扱われるようになって随分経つが、未だこの天騎士の前では緊張を禁じ得ない。自分から「父親」として見るには、あまりにも偉大過ぎるのだ。男ならば、一度は憧れる、力と知恵と優しさを兼ね備えた者が、実際に目の前に立っているのだ。
その完璧な義父でも、半分以上は俗物で出来ているなどとは、考えられようもない。
「湯加減はどうだった」
「ゆ、湯加減、…ですか?」
しどろもどろに応じるディリータにしわりと笑む。
「私は少し熱めが好きなのだが」
後にこの父は、自分のこの後にかける言葉によって「奴らの後の湯は温くて入れぬ」と一人愚痴を零すようになるなどとは思わなかった。最も、彼の意図としては、やはり風呂の湯を温くしても、身体同士で暖めあえるほど仲の良い夫婦もどきになって欲しいというところがあったのだが。
「ちょうど、よかったです」
「そうか、有り難う」
会釈をして、自室に戻ろうとしたディリータの背に、もう一声かける。
「苦労しているようだな」
瞬間、何を言われたのか理解出来なかったディリータが振り返ったところに、バルバネスはここ数年浮かべていなかった、矢鱈と若い、悪戯心をふんだんに篭めた笑みを口元に。
「何に、ですか?」
「……男というのは情と動の位置が近い動物だからな、お前のような年頃ならばなおのこと」
クックッと笑われて、ディリータは固まるしかない。
「ちちう」
「隠さずとも良いよ。別に、咎めはしない。正常な成長をしている証拠だ、嬉しい限りだよ。……いや、それだけではない、ラムザのことを、それほどまでに愛してくれて、感謝しているよ、ディリータ」
頬を紅蓮に染めて立ち尽くすディリータの頭をぽんぽんと撫でて、ディリータの中の自分には無い姿を、ちらりと覗かせた。
「厄介なものよな、性欲……。だが、恥ずべきことではない、それは愛の一つに違いない。ラムザはまだ、羞恥心に遮られ、本質をつかんでいないだけだ。あまり欲さぬことだ。欲されれば、羞恥心は余計に募る。お前の望む形は遠ざかるばかりだ。だから、待つのも、肝心だぞ。ラムザとて、お前に欲されるのは、恥ずかしいことには違いないが、しかしどこかくすぐったく嬉しいと思う気持ちはある」
ぴん、と指を立てた、手品師のように。
「一週間も間を置かれれば、ラムザの気持ちに変化が訪れるだろう。そして、あれの方からお前を欲するようになるだろう。騙されたと思って、一週間、欲するのをやめてごらん。きっとお前の思うよう、なるから」
短い講義を終えて、咳払いをひとつすると、
「では、私も風呂に入らせてもらおう」
と言い残し、消えた。
ディリータは今の言葉を反芻する余裕も無く、我に帰ると、くしゃみを一つ。そして極普通の歩調で、自室へと向かっていった。いつもは寝る前ギリギリまで長居する、約一名の部屋にも寄らずに。
上に年の離れた二人の兄、すぐ下には妹、母は夭折、父は多忙。普通に考えれば早くに独り立ち出来そうなものだが、ラムザにはディリータという、心身共に一歩も二歩も先を行く幼なじみがおり、幼少の頃からずっと、そのシャツの裾を掴んで生きてきたから、独りで過ごす時間をどううっちゃるか、その知識には非常に乏しかった。 以上のことを、ディリータは承知している。なるほど、確かにバルバネスの提示した「作戦」は功を奏しそうだ。
苛立ちは当然ある。ラムザになるべく寂しい思いをさせるために、風呂に入ろうとか一緒に寝ようとか、そういうことは一切言えなくなった。本当にバルバネスが言うように、ラムザは胸の奥のどこかで俺のことを欲してくれているのだろうか、そのうち「もうあんなことしなくたって平気だよね」なんてにっこり笑って言い出すのではないだろうか。いても立ってもいられなくなって、何度も、臨戦態勢で彼の部屋の扉の前まで歩いたこともある。しかし、鍵穴から覗いたラムザが何となくつまらなそうに天井を見上げていたから、考え直して自室に戻るのだった。バルバネスの言った通り、ラムザはちゃんと、一人の寂しさを感じており、つまり潜在的には自分を求めているのだ。
不満感溢れる満足感を覚えること四回、念を入れて一日長くして、八日が経過した。めげそうになったけれど、安易な自慰行為に走ることもしないで、健全なる十三才にはやや辛い日々ではあったが、それはラムザにも同じ事だったらしい。
さみしい気持ちの我慢比べだったのだ。どちらが先に音を上げるか。恋愛などそれの繰返しだ。そして、負け続けて成立させていく。ただ、一人の方が楽であるという前提を忘れないように、二人でいることの意義を探すための愛し合いの毎日のこと。
ふたつ続いてそれでも出ずに、しばらくしたら、拳で、少し力を篭めて、扉を揺らした音に、ディリータは寝台から下りて扉に。ノブに手をかけて、止めた。
「……誰だ、こんな時間に」
低く、少しだが怒気を含んだ声。これでもしバルバネスであったら? そんな事など考えない。
(俺の勝ちだ)
知らず、満足げな笑みが浮かんでくる。
「……僕……、ラムザだよ。ディリータ……ごめん、開けて」
「……寝てたんだぞ」
「……ごめんなさい」
扉を引くと、顔色のすぐれないラムザが俯いて立っていた。腕に、大きな枕を抱えている。部屋に入れて扉を閉めて、鍵を掛ける。必要なことだけして、自分はさっさと寝台に収まった。
「ディ、リータっ」
びっくりしたように顔を上げて、一歩、踏み出した。
「……何だよ、開けて、入れてやっただろう。まだ何かあるのか?」
「……お、怒ってる……の?」
「別に」
溢れそうな愛情の、仮面は堤防。
「……何しに、来たんだよ」
乱暴な言葉、向こう向きで言わないと、その表情がばれてしまう。声音からして既に違うものではあったが、ディリータが怒っているということで微かに気が動転しているラムザは気付かなかった。
「……その……、あの、夢……怖いの、見て……だから、……一人で寝るのが怖くて……」
「ラムザ」
わざとらしい大きな溜め息を吐いて、少し乱れている後ろ髪を掻いた。
「お前も、十三歳だろう。……いつまでもそんな子供みたいなこと言ってるなよ」
「っ……、ごめんなさい……」
ディリータは再び真顔を作り、立ち上がって振り返った。
「……入れ」
ラムザはこくんと頷くと、素直にディリータの布団に潜り込んだ。不安げな瞳で見上げてくるのを弾き返せるよう精神を統一して、自分は背中を向けて、横になった。
まだ、まだ。理性はまだ、必要。背中からふわりと、嗅いだことがないようなハーブの甘く澄んだ香りがする。ずっと一緒にいなかったから、鼻がもう、ラムザの香りを忘れてしまっているのかもしれない。
「……ディリータ」
名を呼ばれても答えない。ここで妥協しては駄目だ。ラムザが自分から、俺を欲してくれるまで。
背中にぴったりとラムザが張り付いた。額を当てて、ディリータに熱を移そうとしているかのように。ディリータは唸り声を上げる狂犬のような性欲を抑えるのに精一杯だ。ラムザが来るまでだって、ラムザのことを考えていたのだから。
「ねえ……」
答えない。三秒に一回の呼吸では苦しいほどに鼓動は早いが、我慢が肝要。
「……寝ちゃったの?」
「…………」
こんなドキドキしていて、眠ることなどできるはずが。
そんな気持ちを知らず、ラムザは続けた。
「……寂しかったんだよ、君が、いなかったから」
一人には、部屋も家も、世界は広すぎた。自分にとって、唯一の存在は、自分と同じほどに大切な存在だったのだ。その存在が無い生活はすなわち、自分を欠損しているのと同義だ。目を瞑ったら本当に真っ暗で、そこにやさしく抱きしめてくれる笑顔がない。
「君のことが好きだ。なのに、小さな事ばかり気にして、馬鹿みたいだよね」
自分が酷く悪いことをしているような気になりながらも、ラムザの告白を最後まで聞く気になってしまったディリータは動けずにいた。
「……君の気持ちに答えるためなら、僕は何だって出来るよ」
喉の奥が詰まった。泣きそうになっている自分を何とか抑えて、ディリータは平静の寝息を続けた。
「ディリータ、………セックス、しよう?」
「…………」
「起きてるの、知ってたよ」
ラムザは半身を起こして、向こう向きの、不機嫌を装う頬にくちづけた。そこまでなら、ディリータにも耐えられた。しかしその直後、同じ場所を舌でぺろりとやられてしまったから、思わず目を開けてしまった。
「……ラ、ムザ……」
「……夜遅く、来ちゃって、怒ってる?」
「…………」
ラムザはようやく振り向いてくれたその顔を覗き込んで、寂しそうに訊ねた。ディリータからすればそんな事など、ついさっきラムザが言ったことに掻き消され、音でしかなかった。
「……な、……に」
きっと、すごく馬鹿な顔をしているんだろうな。ディリータはそう自覚。そして。
「……ディリ……」
ラムザにすがり付いていた。寂しかったのは自分も同じ、いや相手以上だったかもしれない。胸いっぱいにその香りを吸い込んで、虚しい日々を吐き出す。
「……ラムザ、俺も、愛してるよ。怒ってなんか無い、……来てくれて嬉しい」
嘘の無い気持ちを言うのは、狸寝入りの三倍は楽だった。ラムザはにっこり笑って、頷いた。
「……もう、変な事考えるのはやめたんだ。僕は、いい、君が愛してくれるんなら、どんなやりかたでもいい、嬉しいって、思った。だから、君のしたいように、して」
「ほんとうに、いいの?」
「うん。……君に愛して欲しいってことが一番だから」
ラムザはディリータの額にキスをして、身を引いた。細い身体を横たえて、手を広げ、純粋で、しかしこの当時から既にどこか妖しさを含んでいた瞳でディリータを見上げ、
「いいよ」
と言った。
翌朝から揃って、しかも手を繋いで家の門を出てゆく背中を見下ろしながら、バルバネスは満足げに微笑んだ。
(……ディリータが、冷たいんです)
積極的に事に望んでみればよい。多少の痛みや苦しみは、やがてお前に最高の喜びをもららしてくれるだろう。
詐欺師だ、わたしは。バルバネスは嬉しげに、笑顔の戻った息子たちを見送っていた。
三本の矢という話がある。一本では容易に折れてしまう矢でも、三本集まればそういうことはない、という。ただ、ラムザは一本として数えられるのだろうか? 身体も心も細い、優しさだけは人一倍だが、繊細な彼に剣を振るえるだろうか、それは父にとって大きな不安だった。
だが、ラムザの愛するディリータは、ラムザを守ってくれるだろう。ラムザのことを誰よりも思いやって、三本め、いや、もっと強い力で、この家を守ってくれることだろう。
自分の終わりを見据える物思いが、こんなに幸せなものになると誰が思っただろうか。
彼らが末永く幸せに生きてくれれば、自分も永遠に続いていくかのように思えるのが、論理的では無く、しかし確実なことのように、感じられた。
四つん這い、淫らな体勢、自ら臨む、邪淫の夜。
「あっ……ぁん!」
辱められるのが好き。表情は嫌がって涙を零す、しかし身体は心は、芯からそれを欲する。反り立つ淫茎溢るる淫蜜が何よりの証、奮えながら、動かせない体を存分に晒し、その視線だけでじりじりと、逝きそうになる夜の天使。
「……おねがい、見てるだけじゃなくてぇ……お尻入れてよ……、ディリータ……」
両手を首の前で一つに縛られ、両足は焦がれる人の手であられもなく広げられ、情けない脈動を繰り返す男根を、何気ない風で見つめられる。見つめる側の心中とて穏やかではない、命じられるままに縛り、すぐには入れないでと秘密裏に請われ、自分の欲求は一先ず後回し、まずは飽きるほどの羞恥心を贈るために。
「……ラムザのここ……、まだ毛が生えそうな気配ないな。……まあ、余計な物が無い方が有り難いけど。……可愛いよ、お尻も……いや、お尻だけじゃない、全部、可愛い」
これほどの関係を誰が望んでいたわけではないのだが、しかし本人たちが幸せだと胸を張って言えるうえ、それを父も、苦笑いで見守れるのだったら、それはとてもピュアと言えるはずだ。愛し合いたい。寂しさに耐えられなくて、二人でいる辛さを選んだ、そんな生き方しか出来ない、不器用な、彼らの、ヒストリー。
「俺が……欲しい? ラムザ」
「ん……、僕はね、ディリータ、……いつだってディリータのことが、欲しいんだ」