僕らのヒストリー

予想通り、中の中という、全く可も不可もなく面白味も、怒られるネタにも誉められるネタにも事欠いた、つまらない答案をバルバネスに見せる。

「55点か……」

答案を、少し離して見る。

……もう少し、頑張って上を目指しなさい」

……はい」

一応素直に返事はするが、多分次回も同じ点数。

「少しはディリータを見習いなさい。……あれは、自分の身分を弁え、しかしそれでいて、上へと向かう心を忘れていない」

ディリータは優秀だ。それは元来の天才という訳では無く、努力の賜物、結果である。どんな石でも磨けば光る、逆に、原石は磨かなければいつまでも原石のままだ。仮にそれが宝玉だとしても、他の石に埋もれたまま見つけ出されることはない。

……また夜、ディリータの所に遊びに行ったらしいな」

バルバネスは溜め息交じりに言った。ラムザが頷くと、父は苦笑した。

「あれだけ夜中に出歩くなと言っておるのに。……昼間だけでは満足出来ないか」

「はい」

ラムザはきっぱりと応えた。

彼らの関係を知って以来、バルバネスは、彼らにこれといって口出しをすることはなかった。ディリータが勉強に精を出すのも、ラムザを守ってゆこうとする意思の影響が大きいことを知っていた。たとえ生物学的に非生産的な関係であろうとも、そのような「生み出すもの」はあると言えるだろう。仮に、二人が未来永劫、互いだけを見て生きてゆくというのなら、それもまた構うまい、バルバネスは思う。ラムザ自身がベオルブ家を継ぐ必要は今のところない。そんな重たい荷物をこの細身の息子に持たせるのなら、代りが二人もいる。寧ろ、この子には平凡で――といっても、客観視されてなかなか平凡とは言えないだろうが――幸せな人生を送って欲しい。

「お前は……私にも似ているが、お前の母さんにも良く似ている」

バルバネスは懐かしむように言って、目を細めた。ラムザを手招きで手許に呼ぶと、その髪を撫でる。

こんな風に、父から愛情を貰うとき、ラムザはいつもどこかぎこちなく、緊張して、縮こまってしまう。それは、父に認められた時以降、段々と芽生え始めた感情だった。ひどく、自分が悪いように感じられる。

「ダイスダーグとザルバッグはもう、さすがに私に甘えてくれることは無くなってしまったからな。すでに、親子と言うより、同じ公に使える家臣でしかない。……だがお前はまだ、私の、ただの息子でいて構わないのだからな」

……はい」

バルバネスはそして、穏やかに笑う。

「まぁ、……そうだな、無理をせず、……たまには勉強も頑張るのだぞ。して、損はないのだから」

こく、とラムザは頷いた。

 

 

小さい頃の記憶は殆ど残っていない。辿り着く、父との一番強い思い出は、やはりあの夜。父の書斎に、ディリータとともに呼び出された時のことだ。その事を思い出すたびに、自分は正しいのだと、しっかりと理解するコトが出来る。少なくとも、味方がいるのだ、支えがあるのだ、と。しかし、父が本来望んでいた自分の姿を今になって理解する、父との距離が開くにつれて、自分が間違っているのではないかと、漠然と悲しくなる。父が認めてくれた今の形がイチバンしあわせなのに。やっぱり父上を悲しませているのではないかと。

妙に静かなのが気になる。また悪いことでも企んでるのかもしれない。……悪いこと、と言っても、結果はいつも一つだから、そう気にする必要は無いのだが、やはり、笑顔が見えないのは寂しい。ひとりで黙ったまま頭を洗っている横顔は、試験前のそれよりも更に暗く憂鬱そうだ。

浴槽の中、ラムザの入るスペースを明けてやる、いつものように、湯も入る隙がないくらい抱き締める。

……どうした?」

訊ねても、首を振るばかり。本人が「何でもない」というなら、それ以上詮索するべきではないけれど、首を振ったあと、「はぁ……」と溜め息をされたなら、それは立ち入らずにはいられない。

「やっ……」

いつも、「しよう?」と言われて、色仕掛けにも似た卑怯な手で落されているお返しを篭めて、自分から。……考えてみれば先週の深夜だって、ラムザは結局のところ、ディリータが匂いに気付かなかったら自分で誘ってやるつもりだったのだ。たまたま、ディリータがその匂いに欲情しただけであって、要するにいつも二人はラムザが主権を把握している。

「石鹸の匂いだ。……綺麗だぞ、ラムザ」

くすっと笑って、首筋に唇を。そして、水中の右手はその仄かに色づいた太股を撫でる。触れると、微かにそこが緊張する。反対に、唇からはだらしない声が漏れ始める。

「あ……あ…………っ」

するところまではいつもラムザが引っ張って、さながら強姦の逆立ちのようだけど、し始めるともう、ラムザはなされるがまま。たとえ嫌で恥ずかしくても、ディリータのもたらす熱が欲しい気持ちに負けて、理性を自ら断ち切ってしまうのだ。

が、今日に限ってラムザはその薄弱な理性でもって、ディリータの、下半身に廻った手を止めた。

……ラムザ?」

ディリータが訝って、ラムザから身を放すと、ラムザは俯いたまま、その手を握ったまま、動かない。ぼそっと唇が紡ぐ。

……ごめん」

ディリータは、いつもとは違った意味で力のないラムザに、慌てた。

「いや……俺の方こそ、ごめん。……嫌だったんだな、気付けなくて、ごめん……」

ラムザは力無く首を振る。

……いいんだ、してくれても、いいんだ。……けど……」

何だか僕はしちゃいけないような気がする。

 

 

二人が今のように、何の挨拶も無くキスをして、或いはその延長線上にあるようなことをするようになったのは、二人が出会って一年も経たないころから。まだ二人とも僅か十二歳の時が、最初だった。

中庭の木の下、二人並んで座って、ラムザは絵本を読み、ディリータは歴史の書物を紐解いていた、その時が始まりだった。

……ラムザ?」

痛烈な感情がラムザを突き動かしていた。その一瞬、一瞬を手放したくない。手放したら全てを壊れてしまいそうだったから。ディリータが文字を追うのに気を取られているとき――ディリータが最初の頁のの四行目にさしかかったとき。

不意に触れた唇に、手にしていた本の頁を風に捲られた。一瞬体を強張らせたが、ディリータは再び触れた唇を、抵抗することなく受け容れた。抵抗することを許されていなかったから、というよりも、抵抗することを思い付かなかった。

顔が少し離れると、ラムザは、泣きそうな顔になって、言った。

「我慢、出来なかったんだ。……ディリータ、見てたら……」

ディリータは動けないまま、ラムザの瞳に行き場を失っていた。年中いっしょに居るのに、こんな、鼻先僅かな距離でその顔を見るのは初めてだった。ラムザの、泣きそうな目の奥の奥まで、その時は見透かせるような気がした。

……変だよ……何か、僕……。こういうの、女のひととすることだって、解かってるんだけど、けど、……僕……ディリータが、好きだ」

そこまで言って、ラムザは自嘲気味に笑った。

……ごめんね、変なこと言って。……ディリータは、僕とは違う、普通だもん……。そんなこと言われても、迷惑、だよね」

無理に笑った反動で、また泣きそうになる、今度の涙の発作は大きかった。

ディリータは、ラムザが涙を零す前に、その体を抱き寄せていた。

考えてみると、逢ってから今まで、予感というか、想定出来ていた感情だった。十二の年になっても、っしょに風呂に入って背中を流し合ったり、水を掛け合って遊んだりしてる。遊びに夢中になって帰るのが遅くなって、いっしょに怒られたこともある。泣かせたり、喧嘩したり、仲直りしてまた遊んだり。高い木に昇って降りられなくなったラムザを助けに行って転げ落ち、したたかに背中を打ったこともあった。大袈裟にラムザが泣き喚いて、傷がある方が介抱する方を慰めていた。

ラムザは――ディリータは、考えていた。弟みたいなものだと。同い年だけど、どうしても自分の方が頑丈だし、背も高い。精神的にも、ラムザはまだまだ子供っぽい。夜、ときどき一人で眠れなくて自分の部屋に寝に来るほどだ。

だが、ラムザは、弟じゃない。友達というには近すぎる。今の今まで、自分たちの関係なんて考えたことも無かった。ただ、当たり前のようにいっしょにいすぎて。

ひょっとしたら自分の中に、「男同士だから」という訳の解からない枷をはめていたのかもしれない。男同士だから、友達、親友が一番いい、それ以上にはなれない、そんな風に決め付けていたのかも。

自分はラムザといて幸せだ。今日も明日も明後日も、ラムザといっしょに遊びたい、笑っていたい。その気持ちは、友情だけなんかじゃない。もっと、もっと、もっと。

恥ずべきことじゃない。

ラムザの嘘じゃない気持ちを否定する方がずっとずっと恥ずかしい。少なくとも俺は、そういう生き物なんだ。

……俺も、お前のこと大好きだよ、ラムザ」

ラムザの、涙と鼻水を拭いてやる。こうやって見てみると、今は赤い鼻と赤い目だけど、ラムザは意外とかわいい。そう言えば、今でもたまに、女の子と間違えられたと腹を立てていることがある。……だけど、俺は違うと思う……ディリータは内心、自分だけしか気付かないことに微笑む。

ラムザは、女の子よりもずっとかわいい。

「アイシテル、大好きだ、ずっといっしょにいよう」

ディリータがそう言うと、ラムザはまた涙を溢れさせて、こくん、と頷いた。

……そんな事があってからおよそ一年、二人はただ、キスをするだけで満足の恋人同士として過ごした。ただ、他の誰にもバレないように人目を気にしながら、学校の帰り道ふたりきりになると、すぐにラムザは口付けを乞うた。

「幸せそうだな、ラムザ」

口付けたあと、誰にも見られていないことを確認しつつ、抱きしめてやりながら、ディリータは苦笑。

「幸せだよ。……今、僕、世界で一番幸せ」

反面、ディリータは、そう誇れるほど幸せでは無かったりするのだ。

少しずつ、体に変化が起こり始める。ディリータは十二の時に精通を迎えていた。自らの力で解放するとき、頭の中にあるのは当然ラムザの裸。未だ一緒に風呂に入り、背中を流し合うようなことを平気でし合うから、それを想像するのは容易なことだ――問題は、入浴中に発情しないように理性を高めておくことだ。ラムザの白い肌、細い首、金の髪を、頭に描いて、途方も無く汚く思えるその行為に没入していく。まだ、性的な行為に罪悪感を感じずにはいられないのだ。

何せ、ラムザは同じ年なのに、全くそういう雰囲気を持たない。心体何処を見ても、純粋で透き通っていて、天使のよう、本当に、純真な子供そのものなのだ。キスをするだけで幸せだと彼は言う、彼が望んでいるうるわしい関係は、ディリータにとって次第に苦痛を孕むものとなっていた。

今も、抱き締めながら、少し腰を引いている。もし此処が屋外ではなく、自分の部屋だったとしたら、理性を保てるかどうか解からない。

手を繋いで歩く、帰り道。アオスジアゲハを見つけたと微笑む恋人とふたりで。

焦れながら、諦めに近い感情を抱いて手淫に走る自分がひどく滑稽だ。心の何処かで望んでいる、きっと――。

きっと、ラムザももっと大人になったら、俺と同じ気持ちを抱くようになるだろう。

とは言え、それは何時の日の事か分からない。自分の知っている限り、ラムザは「性」という言葉とは全ての意味でかけ離れて生きている。そもそも、男性なのか女性なのか、それすら定かでないときがあるのだから、性欲を抱いているはずもない。風呂に入ってふと見る彼の下半身は、どうも、そういう機能を持っていないのではないかと疑ってしまう。

ぐったりとベッドの上に体を弛緩させて、また自己嫌悪に陥ってしまう。飛び散った自分の欠片を拭き取って、ますます沈んでしまう。何をやっているのか解からない、意味の無いこととしか思えない、想う気持ちに代りはないのに、一年前より何故だか不幸。体のつながりなど一時的なもので何の証にもなりはしない。寧ろ低俗で、それでしか愛を感じられなくなったらお終いだと思う。大切なのは相手を思う気持ち、その心のハズだ。だからこんなもの、塵紙に包んでごみ箱の中に捨ててやろう。そうすればもう、何も迷うことなどない。あとはまたいつか、そういう風に思うとき、幸運にも成長したラムザがいてくれることを願えば。

だけど。

この胸の中の寂寥感は何だろう。それを感じてると認めることは即ち、自分が愚かだということを認めることに。

ディリータは溜め息を吐き、天井に視線を写す。そこには何も見えなくても、ラムザがいた。自分のこんな汚い面を知らずに自分を愛してくれるラムザが。

こみ上げるのは愛しさだけで良い。余計なものは何も……。

時計を見る。まだ九時だ。そろそろラムザが、トランプやチェスを持って部屋にやってくる頃。ディリータは首を振って立ち上がり、部屋の鍵を開けた。後は、両手一杯に玩具を持って扉を頭でノックするラムザが来るのを待つばかりだ。どうやったって負けるくせに、それでも何度でもやりたがる幼稚な遊戯に耽る方が、よっぽど健康的だ。

扉を見つめながら暫く待ち続けたが、ラムザのノックの音はしてこない。ひょっとしたら、両手両足に抱え、その上頭の上に何か乗せて居て、辿り着いたは良いが身動きが取れない状況だったりするのかもしれない。まさかとは思うが、確率をゼロと断定するコトは出来ない。そういうことをするのがラムザなのだ。一つ一つ挙げていったらきりがないが、例えばその性格は数年後にも時に顔を出し、仲間の命を奪う事すらある。

とにかく、扉を開けてみたが、薄暗い廊下にノブを捻った音が響いただけだった。人の気配はない。もちろん、あの小さな影も見えない。

或いは、もう寝てしまったか。だが、昼間も学校でたっぷり睡眠をとっているラムザだから、よほどの事がない限り、まだ起きているはずだ。夜遅くまで起きているから、睡眠が足りず、学校で寝ることになっているのだが、その悪循環を治そうとしない。その辺りも、身体の発育を妨げているようにディリータには思えた。

そこまで考えて、不意に、いやな予感が過ぎる。「よほどの事」がラムザの身に起きたのでは、ないかと。

昼間、そういえばキスをした時も、いつもより顔色が悪かったような気がする。抱き締めた身体が熱っぽかったような気がする。夕食をいつもより多く残していたような気がする。どことなく元気がなかったような気がする。

全て「気がする」という頼りない推測でしかないが、恋人の身を思うと、その「気がする」ことも恐ろしいまでの現実味を帯びて、ディリータの脳裡には今まさに熱に浮かされて自分の名を呟くラムザの姿が浮かぶ。

決して丈夫ではない、病気に好かれやすい体。

ぞっといやな風に体を撫でられて、やや急いだ足で恋人の部屋へと向かう。もう頭の中では「ラムザが病気」という想像でいっぱいで、どうかどうか、この廊下のどこかで玩具をいっぱいに抱えたラムザに鉢合わせますようにと願う。「あっ、ディリータ、ねぇ、頭の上のチェス盤ちょっと持ってくれない?」と、本当に切羽詰まった状態のラムザに会いたい。……薄弱な根拠の仮定はひんやりした廊下よりもずっと、ディリータの心を冷やした。

しかし、廊下でラムザに出会うこともなく、とうとうその扉の前に。そして、いつもだらしなく少し開いたままの扉が、今日に限ってしっかりと閉められていることに、また気分が沈む。

ノブに手を掛けかけて、一瞬、躊躇った。もしラムザが伏せっているとしたら、恐らく側には侍女が、或いは彼の父か兄がいるはずだったからだ。夜に互いの部屋を行き来することに、彼らは基本的に否定的な立場だ。何をしているか――せいぜいチェスとトランプくらいで、合間に多少、キスをするくらいだが――はバレてはいないが、子供たちがこんな遅くまで遊ぶなどもっての外のことらしい。ここでもし自分が入っていったとしたら、ラムザにも余計な心労をかけることになる。

仕方なく、ディリータはノブから手を離し、無作法だと知りつつもラムザの為を思ってのことだと正当化して、鍵穴から中を覗くことにした。視界は狭いが、薄暗い部屋の中の様子を窺うことは出来そうだった。

小さな背中がベッドの上に座っているのが見える、ラムザだ。辛うじて見えるのはそこだけで、それ以外は視野の都合で全く見ることは出来ない。

咳き込んだりしている様子はない。しかも、ちゃんと起きている、ということはどうやら風邪にかかったというわけではないらしい。とりあえずディリータは胸をなで下ろす。

次に気になったのは、やはり中には彼の家族がいるのではないかということだ。特に、バルバネスがいる可能性が高かった。というのも、先日の、惨澹たる成績だったテストの得点を、ラムザは偽って父に報告して誤魔化していたからだ。ひょっとしたら、こっぴどく叱責を受けているのかもしれない……。だとしたら、今すぐ入っていって、「それは自分がやれと言ってやらせました」と庇ってやらなくては。

が、中からは声はしない。ラムザの謝る声も、バルバネスの叱る声も聞こえては来ない。

ひょっとしたら、既にバレた後、しぼられた後なのかも知れない、ディリータは思い当たった。それで酷く泣いて、紅く腫れた目を自分に見せたくなくて、一人で泣いているのかもしれない。……一人で無くなんて、馬鹿なことを。何のために俺がいるんだ。

自分に心配をかけまいと、一人で耐えているラムザがいとおしくて、ディリータは覗き見などやめて、部屋に入って抱きしめてやろう、そう決めた。その決定には、ただ愛だけが関与して、性欲の付け入る隙などなかった。

……が、ディリータはふと浮かんだ疑念に、覗きを終了するチャンスを逸していた。

「ん」

耳に入ったラムザの声、独り言かと訝るが、その声は、いつも聞いている声とは少し異なった。泣いているとしたら解かるが、それともまた少し違う。

……っ……はぁ、……ディリー、タ」

薄暗いせいで解からなかった事だが、初めてそこで、ラムザは下半身に何も身に付けていないことに気付いた。白肌色の臀部を晒している。……そして、右手は忙しなく何かを擦るように、動いている。

…………ラム、ザ?」

ディリータは呻くようにその名を呼び、視線を鍵穴の奥の光景に釘付けになっていた。

やがてラムザは甘い声とともにぴくんと体を震わせて、到達した。暫くベッドに横になり、その行為の余韻に浸っている。

ディリータは、その一部始終を見届けると、得体の知れない溜め息を吐いて立ち上がると、そっと自分の部屋へと戻っていった。

 

 

性行為をするためにいっしょにいる訳ではない、それはもちろんのこと。セックスは一つの手段でしかなく、それに頼ることはどこか違う。そう思い込んでいる。

今でもそれは間違えていないと思う。けれど、互いが互いの体を求めているという事実がありながらそれを否定することは、果たして正しいと言えるのだろうか。

ラムザの自慰行為の様子を目にした次の日は、休日だった。二時過ぎにラムザの部屋を訪れた。

すでに、何をするかは決めていた。自分の思っていることを、格好付けずにラムザに教えるのだ。きっとラムザも、それを望んでいるだろうから。

「遊ぼう」

言うと、嬉しそうに頷いた。

ベッドの上座り込んで、昨夜出来なかったトランプを始める。ババ抜きだ。

「さぁ、ラムザ。どっちかがジョーカーだからな」

「うー……」

ベッドの上に二枚、伏せられたカード。ラムザの残りは一枚、スペードのエース。

「どうする?右か左か」

「うー……」

こういうとき、伏せた二枚のカードのうちジョーカーをわざと自分に近づけた場所に置くと、ラムザは絶対にそちらを選ぶ。一応、「大事にしているカードは取られたくないカード」と読んでいるのだろうが、それは甘い。同じやり方で、もう十回は負けている。

……こっち!」

そして、今回もラムザはジョーカーを選んだ。ディリータがニヤと笑ってひっくり返し、死神を見せると、がっくりとうな垂れる。ラムザの手許にはジョーカーが、ディリータの手許にはハートのエースが残った。

「さぁ、どっちだ〜」

ラムザも同じように、カードを二枚置く。先程の裏返しで、ラムザはジョーカーを絶対自分から離して置く。ディリータがラムザの膝そばにある方を裏返すと、案の定スペードのエース。勝負ありだ。

「これで俺の通算二百七十五勝だな」

ディリータが言うと、ラムザはむーっと膨れる。

「だってッ、ディリータ本気出すんだもんっ」

本気も何も、自ら進んでババを引き続ける相手には本気の出しようもない。

「もういいっ、今度はチェス!」

……チェスも、ラムザは勝った試しがない。

散らばったトランプを片付けないまま、棚からチェスのボードと駒の入った箱を取りだそうと立ちあがりかけたラムザの手を、ディリータが引いた。

「な、なに」

ぺたん、とまた座り込んだラムザを抱き寄せて、ディリータは耳元にそっと囁く。

「キスしよう」

「えっ……」

少し赤くなったラムザに、もう一言。

……それから……キスだけじゃなくて、もっと、しよう」

「え?」

ラムザの疑問符に答えは帰ってこなかった。唇が重ねられて、反射的に目を閉じる。温もりに無防備になったラムザの体を、ゆっくりベッドに横たえる。

……ラムザ、俺としよう。お前の事を、抱きたい」

突然のことに、唇を離されたラムザは呆然となる。この上なくガードの甘い顔で、ディリータを見上げる。少し染まった頬で、濡れた唇で。

理性は砂のように風に吹かれて飛んでいきそうなほどに軽かった。

……う、わっ……」

耳朶をペロリと舐められて、ぞくぞくと背中に何かが走る。驚いた声を聴き、ディリータはそこにふっと息を吹きかけ、軽く噛んだ。

「な……っ、何して……っんっ」

思わぬ事態に、ラムザは暴れて、ディリータから離れようとする。しかし、その力の差は歴然としている。ディリータの片手一本でベッドに釘付けにされ、されるがままに。絶対的優位のディリータは舌を耳から首筋へと移動させて行く。途中、何箇所も吸い上げて、紅いあとを付けながら。吸うたびに、ラムザの身体は微かに震えた。

「やだ……っ、離してよっ」

「嫌がるな。……お前が俺のこと欲しがってること……知ってるんだ」

苦しげな声で、ディリータが囁く。

「いやっ……やだぁ……っ……やめて……」

「ラムザ……知ってるんだ。お前が……俺のこと、欲しがってるって事をな」

恥ずかしがらなくていい、今はもう俺のために俺の汚らしい欲求のために踊って見せてくれ。

「ラムザ……なあ、愛してるんだ」

だが、ラムザはただ首を振るばかり。身体を震わせて、涙を零して。

……ラムザ……? ……俺が嫌なのか?俺にされるのが嫌か?」

予想では、そろそろ、ラムザも自分にからだを許してくれるハズだった。というよりも、ラムザも自分のことを求めていると知っていたからこそ、こんな大胆な行動に及ぶことが可能だったのだ。だから、この過剰な拒絶反応は予定外だった。

一旦身を放して、ディリータはラムザを見下ろす。怯えきったような瞳、戦慄く唇に、ディリータは再び、自分の中で暴走した汚物を憎まずにはいられなかった。ディリータの声を聴くたびに、首を振る。

……ごめん」

もう遅いと感じながらも、ディリータは言った。ラムザはまた首を振る。

「ごめん、ラムザ……。ごめん、俺……ムリヤリしたりして」

ラムザは両手で涙を拭う。そんなラムザを抱きしめてやることは果たして正しいことなのかどうか、甚だ疑問で、迷ったが、結局その身体を抱き起こして、抱き締めた。優しく頭を撫でてやる、耳元で呟きながら。

「ごめん、……ごめん」

その言葉をかけられるたびに、ラムザは首を振った。

「ちが……っ、ディリータ……がっ、悪いんじゃ……な、いっ……」

泣き声の隙間、細切れの言葉を並べては、首を振る。

……気に……しなくていいから……っ」

「ラムザ……」

深く深く傷つけてしまった相手に償いのしようが見つからない。けれど何とか抱きしめてその涙を止めてやれば少しは癒すことが出来るようなそんな気がした。ディリータのシャツに涙を沁み込ませ、しばらくラムザは泣き続けた。

……泣き止んで、一杯の紅茶で心を落ち着けた。ベッドの上に向かい合って座って。

……ディリータのことは、大好きだよ」

紅い目をしてラムザは言った。

「世界でいちばん、好き。他の誰よりも好きだよ。……でも」

俯いて、また泣き出すのかと心配になってディリータが身を寄せるとびくりと顔を上げる。泣いてはいなかった。少し笑って。

「ねぇ、ディリータ。僕は……僕らは、最初から少し変だったんだよ。僕が変だったから、君のこともおかしくしてしまった。僕たちは、普通じゃない、ちょっと、おかしいんだ」

それは、要するに、互いに愛し合うことを否定しなければいけないという事実を知ってしまったからだ。単純に、本来愛すべき残り半分を愛せない自分の異常さは、自分で認識していた。それを承知でディリータに対して嘘を吐かず、想いをぶつけたのだ。それは、自分で納得して、自分の中ではちきれそうな想いを信じて、したことだ。だから、ディリータがそれに応えてくれて、自分にキスをしてくれたりするのはすごく嬉しいし、幸せなことなのだとラムザは思っている。

「否定されるのって、悲しいよ。すごく、辛い……」

ラムザはディリータに、もっと身を寄せてぽつりと呟いた。

……ダイスダーグ兄さんが、僕たちがキスしてるところ見てた」

…………何……?」

「お前はおかしい、って言われた。間違えてるって」

自嘲気味に言うラムザは、その時の悲しみが甦るのを感じ、震えていた。自分の想いと、恋人、――自分を形成する要素の半分以上を否定されたという事実が、堪らなく怖かった。

頼りない自分の決心などより、優秀な兄の一言の方が、はるかに重いもののように感じ取られた。元々感じていた異常性が致命的な輪郭を持って迫ってくるのを感じた。

キスをするだけで、幸せ。他には何も要らない。

「変なんだ。……ディリータのことをいつもずっと想ってる。そのことが変だって言われて、でも、変でもいいから、ディリータの側にいたい。でもそれは間違ってる――」

悩むに連れて、自分の中に積み上げた防壁が少しずつ崩れて行くのを感じた。全て取り払われたあとには、ただ寂しさだけが残る。間違っていようと、万に一つ正しかろうと、自分が頼れるのはディリータしかいないという結論に達する。

が、それは間違っていること……。そのあとはただくり返しだ。

悩むのに疲れる、与えられた答えに逃げ込むのが一番楽かもしれないと思う。自分などより賢く偉大な兄の言うことに、間違いはきっとないのだから。この想いは自分の中に秘めて、ただ隠れるように交わすキスだけを生きがいにディリータの側で、友達として。

「ディリータが、僕のことさっきみたいに、抱きしめてくれたり、キスとか、いろんなことしてくれるのは、すごく嬉しいよ。……でも、それはしちゃいけないんだ。僕たちは、どう足掻いても友達でしかないから。友達以上になっちゃいけないんだ」

そこまで言って、ラムザは堪えきれなくなってまた泣き出した。

だが、ディリータはラムザが俯くのを許さなかった。その頬に手を当て、自分の目を真っ直ぐ見させる。

そして唇を重ねる。

「お前はこれが、間違ってるって言うのか」

「ディリータ……?」

「勝手に言わせておけばいいじゃないか。俺からしたら、あの人たちはお前のアニキかもしれないけど、別にどうってことない、偉そうにしているだけの、大して価値もないヤツらだ。そりゃ確かに戦争には向いてるのかもしれない、ああいう人たちはな。だけど」

口汚なくダイスダーグと、ついでにザルバッグまで罵る。だが、彼の言葉は、大体において的を得ていた。

「あの人たちより、俺はお前のことを愛してる。兄弟のことを、他人よりも愛せないような奴の言うことなんか信じるな。お前は、俺を見ろ。俺を見て、俺を信じろ。つまらないことで悩むな。お前は間違ってなんかいない。俺はお前のことを信じてる、お前は正しいって。お前にとっての正義は、俺にとっての正義でもあるんだ。それを否定するのか?俺の事を愛してるって言う、事実を……正義を? ……いいかラムザ、思い出して見ろ。お前が、教えてくれたんだろう、お前が泣きながら俺にキスして、俺のことが好きだって、間違っててもいいから好きだって。それだけでいいんだ。俺にはその事実だけあればいいんだ。それ以上は何も要らない。俺はお前に、俺がお前を愛することは正しいことで、それが一番なんだって教えてくれたんじゃないか。もしそれが、回りから見て歪んでても、悩む必要なんてない、他の奴の目なんて要らない。俺はお前を信じた、お前だけを見てる。それだけで満たされて行くんだから、それでいいんだ、って。同じように、お前は俺を見てれば、他に何も気にならない。お前の事を誰より思ってるのはこの俺だ。他のヤツらがいってることなんてどうせ嘘っぱちなんだ」

同じ疑問はディリータの中にもあった。人目を気にしながらのキス、すればするほど自己嫌悪に陥る自慰、それらが何に起因するかと考えれば、それはやはり、自分たちが認められざる関係だということにあった。それでも、ラムザの心を、身体を、ここまで貪欲に求めるのは何故なのかと考えて出てくるその結論と、世間体とを天秤にかけたとき、出る答えは明白だった。ディリータには妹しかおらず、身分も低い。だから、ラムザよりも揺れ動く必要はなかったから、結論が容易に出たのかもしれない。

「お前が望むんなら、お前と俺が自由にしたいことが出来る場所に二人で一緒に逃げよう。どこでもいい、お前の欲しがってる自由がもしこの城の中で手に入らないのなら、逃げ出せばいい。その場所でなら例えば、お前とおおっぴらにキス出来るし、……仮にお前が望んだとしたら、お前を抱いて、多分もっと幸せにしてやれる」

そこまでいい終えて、ディリータは、大きく溜め息を吐いた。

正直、ラムザを簡単に否定するダイスダーグを許せない気持ちはあった。それを諦めてしまうのが正しいのか、それともラムザを傷つけたことに抗議すべきか、解からなかった。ただ、意味のない――少なくとも、ダイスダーグ自身にとっては何の意味もない言葉で、安易にラムザを傷つけられたことに、酷い無力感を感じた。大方、異端な者が家の中にいると世間体が云々という理由だろうが、そんなことで自分の弟を傷つけられるのだろうか。

……今日は悪かった。もうしないよ」

もう一度謝って、ディリータは再び大きな溜め息を吐いた。ラムザに、またそっと口付けをして、もう泣き出さないのを確認する。

……ディリータ」

立ち上がりかけた彼の手を、ラムザが触れた。

……ごめんなさい」

何で泣きそうになっているのか解からなかった。

 

 

 

 

ほう、とバルバネスは送られてきた書簡に当てていた視線を、長男に向ける。

「なるほど、ラムザとディリータが?」

「正直、吐き気を覚えました。私には理解出来ません。二人を引き離すべきです。ディリータと、妹を、この家から外に出すべきです。でないと、……ベオルブ家の名を汚すことにもなりかねません」

ダイスダーグは、父の返答を待った。

バルバネスは、厳しい表情のダイスダーグを見詰め、やがて頷いた。

「お前の意見は分かった」

「では……」

言葉を手で制する。書簡を机上に置き、瞼を抑える。いい加減、文字がちらついて見えるようになってきた。年齢だな、と自ら認めるのはなかなかに苦しいことだ。神経を摩耗するようなことが多すぎる。

「そうか……ラムザが、な」

目を開き、背もたれに身体を任せる。

大人しいばかりの三男が、珍しく兄を煩わせている。そうそう見られるものではない。ダイスダーグは今や遅しと父の決断を待っている。この兄たちは、何によるものか、ラムザをことごとく低いものと見るきらいがある。その傾向はこと、長男ダイスダーグにおいて顕著だ。年が離れていることもあろう、それに、確かにラムザは優秀な子供ではない。戦に向いていないのはすぐ解かる。体つきは華奢で、剣を振るうよりも植物の世話でもしていた方がずっと生き生きして見える。生粋の軍師の目から見ると、その、別の方向に向いている才能は要するに無能と同じなのだ。戦場で花を愛でる暇などあろうはずもない。父は、ラムザのその穏やかな気質を、決して悪いものと考えてはいなかった。自分や、ダイスダーグ、ザルバッグには無い物を持っているというだけで、家族としてラムザを敬愛する理由に足る。それに、頼りなげに見えて、兄として、幼い頃から、たまに修道院から帰ってくるアルマの面倒だけはしっかりと見ていた。かまってやる暇の無い父に代り、小さな頃から妹を慈しみ、手を繋いで庭園を散歩する光景は微笑ましいものだった。最近はアルマも大きくなったから、あまりそのような風景を目にすることはなくなったが、今でもアルマはその優しい兄の事を信頼していた。

考えると、そう言えばラムザにとってディリータは、確かに誰よりも側にいることの多い存在だった。幼な馴染みとは言え、ディリータは誰かに意見したり、時には争ったりする殆ど唯一の相手だったのだ。父と兄たちの言うことには反抗せず、妹の面倒を見、自分の内面を晒す機会は、確かにディリータと接するとき以外には有り得ない。心の底から信頼する相手に友情、そして、また何かが生まれたとしても、それは不思議なことではない。その状況を作ったのは、他ならぬ自分たちだという考え方も出来る。ラムザにとっては、ディリータしかいないのだ。

「対処しよう」

バルバネスは一言だけ言い、ダイスダーグに下がるよう命じた。

一体何が出来るというのか、父は自問する。すぐに、何も無いと答えが出る。

 

 

それから暫くの間は、臆病になっていた。学校帰りにキスをするのもやめた。部屋に遊びに行き、身を寄せ合ってラムザの好きな絵本を読んでも、どこかでダイスダーグの目が光っているように感じられた。

「こうして、白雪姫と王子様はいつまでも幸せに暮しましたとさ」

最後の一頁で、心から安堵の満ち足りた微笑みを浮かべることを幼稚と取るか純粋と取るか。

きっとラムザの兄は前者を取り、俺は間違いなく後者だ、ディリータは思う。こうして、ラムザの良いところを誰より知っているのは俺なんだという気持ちになる。

「よかったねぇ」

三角帽を被って、幸せそうな二人の回りを回る小人たちを嬉しげに見ている。

他の誰から見ても、幼い。けれどそれだけじゃない。

その事を知っているのは。

……ねぇ、ディリータ」

腕の中、見上げて言う。

「この間のこと」

…………ああ」

あれだけ偉そうなことを言っておきながら、自分もまた世間体を気にする部分に同調している。実際、ラムザがそれを望んだとして、本当に自分はラムザとここから逃避出来るかどうか甚だ疑問だ。妹を独り残すことも心配だ。それに、自分の名前は誘拐犯……つまり、異端者としてイヴァリース中に知れ渡ることになろう。そんな状態でラムザを幸せになど出来るのだろうか。

「忘れてくれ……。言い過ぎた」

言い訳がましい科白に、ラムザは首を振った。

「忘れない。……僕、決めたんだ。僕は君に、何回ありがとうって言っていいか解からない。僕は……ただ、自分のことしか考えてなかったかもしれない。自分の不幸を恐れてた。……でも、今はディリータ、君の不幸の方が、僕はずっと怖い」

遠慮がちに、恋人の頬にキスをする。

……僕は、誰よりも君のことが好きだ。兄さんたちや父上、……自分よりも。……この気持ちだけは、絶対間違い無いから、だから、僕がこれからすることを、許して」

ラムザは並んで座った椅子から降りると、形式ばった気を付けをして、最敬礼。

「僕は、ディリータ=ハイラルの恋人です」

突如として、大きい声で。部屋中響き渡るほどの。部屋の扉を超えて、廊下まで響き渡っているかも。

「ラムザ!?」

ダイスダーグに……或いは、ザルバッグやバルバネスに聞かれて叱責を食らうのはラムザであり、結果的に責任を問われるのはディリータだ。嬉しい言葉だがどうしても焦ってしまう。

「僕は、君を愛してる。歪んだ形だとしても! 他の誰かが認めていなくても! 僕は、ディリータ、君の事を永遠に、どんな事があったとしても、神に誓って愛し続ける! 神様は僕たちのことを祝福するだろう、愛する者たちに罰など与えようはずもない。寧ろ祝福された恋人である僕たちを否定する者は、等しく地獄の業火に焼き尽くされることだろう!」

最早、廊下いっぱいに、その高い声は響き渡っている。

そしてその声は、戦略会議の真っ最中だった、軍師たちの集まる部屋にまで届いていた。高く、澄んでいて、良く通る声が、微かに何やら宣言めいた物を怒鳴っているのは、そこで卓を囲んでいた彼らの動きを留めた。断片的に、「認めれないとしても」とか、「僕たちは男同士だけど」とか、……たまに「結婚」などというケッタイな単語まで挟まれている、その宣誓に、会議は中断せざるを得なくなった。

……何ですかな、あれは」

一人の要人がアカラサマに不快そうに。

「アイツは……!」

ダイスダーグ卿は席を立つ。が、その背後にバルバネスの声がかかる。

「会議の途中だ」

「しかし!」

……聞こえないのか?……祝福された恋人たちの邪魔をしたら、地獄の業火に焼き尽くされる……と」

よくも、そんな大それた事を言ったものだ。神など。

だが、内心ほくそ笑んでいた。

父の内心にも、確かに、二人の関係をこころよく思わない部分があるのは事実だ。ただ単純に否定することはさすがにしかねるが、やはり首肯しかねる。何より非生産的ではないかと、当然の如く思う。三男坊、屈強で堅実な二人の兄がいるにいるが、それでもその兄たちを支える役割をきっちりこなして欲しい、将来的には、ちゃんと子を設けてくれることが望ましいと考えるのは、当然のことだ。

しかし、優秀な長男が顔を顰めてそれを報告するのを見たのちに、何故か解からぬが、父の内心にはどこか悪戯めいた感情が芽生えてくるのだった。たとえ、ラムザがそのような、確かに「異常」と呼べるかもしれない恋愛をしていたとしても、それは自分で選んだ道であるのならば、嬉しかった。まだ小さいラムザが、自分でそこまで考えているのだと考えると、本当に嬉しかった。これまで、兄たちの影に隠れて、悪いことも良い事もせず、ただ大人しいだけだった子供が、自己主張をしている。成長している証拠を鮮烈に焼き付けられた印象だ。

そして、ラムザの側に、自分や兄はいることは出来ない。妹が居るとしても、それは真の意味でラムザを理解してやることは出来ないだろう。だが、ディリータにはそれが出来る、それは誰よりかけがえのない存在であり、真実だ。ラムザが、今も聞こえている、あのように大声で、自分の存在と、ディリータの存在を否定しないで欲しいと叫んでいる、つまり、ひとりにしないで欲しいと叫んでいる。なのにどうしてディリータを彼から遠ざけることが出来ようか。

「自分の愚かさを棚上げにして、言い訳に神を持ち出すなど言語道断!」

ザルバッグも立ち上がる。信者の手本のような意見。だが、バルバネスは長男次男の激昂に僅かも動じることなく。

「何処がどう愚かなのか、教えてもらいたいものだな」

バルバネスは、湯気の立たなくなった紅茶を一口啜ると、ザルバッグとダイスダーグを順に睨み、口を開きかけたザルバッグを制止し、言葉を続ける。

「あれが、間違ったことを言っているようにお前たちには聞こえるようだな。……妙なことだ。私には、至極真っ当な宣誓に聞こえるが。神が認めた幸福を、誰が侵すことが出来るのだ?お前達にはそんな権利はない」

「しかし……男同士でなど」

「そんなことはどうでもいい」

「な……」

「私は別に何も気にはせん、寧ろ私はあれを肯定する、あれのすることを、父として肯定しよう。……だからそれ以上、ラムザにそのような態度を取り続けることは私が許さぬ。……あれを愚かだと言うことは、父親である私を愚かだと言うことだ。そして、更に兄弟であるお前達も愚かだと言うことだ。私はまだ自分を未熟だと思っているが、愚かとまでは思っておらん」

叱責された軍師と騎士は、立ったまま。相変わらず、――恐らく、聖書の一節を勝手に脚色したものだろう、よく考え、そして覚えたものだ――を喋っているラムザの声が、部屋に木霊している。

他の客人は、その自分勝手な宣誓に、不快の色を隠すことなく顔に浮かべ、腕を組んでいる。

バルバネスは咳払いをひとつして。

「……大方、芝居の真似事であろう、そのようにささくれ立つ必要もあるまい。……座りなさい。会議の途中だ」

 

 

「よって、僕、ラムザ・ベオルブは、神の名のもとに於いて、ディリータ・ハイラルと生涯幸せになることを誓います!」

五分以上にも渡る長い宣誓を終えた頃には、少し興奮で顔が赤らんでいた。ディリータはただもう呆然とラムザを見ていることしか出来ない。

……大好きだよ、ディリータ」

もう全てを諦めぽかんと口を開けて見ていたディリータだったが、遅れて溢れてくるのはどうしても愛情。

「ラムザの……馬鹿」

今の幸せを永遠に繋げるために、神の名を持ち出して濫用してまで、大声で、全ての障壁をぶち壊す勢いで。

もう、何も恐くないと。怖れる必要などない。自分には、自分の目の前には、好きな人がいる。好きな人を見ているときには、他の邪魔なものは見えない、ただいとしい気持ちだけが溢れてくる。その気持ちは、誰が何といおうと嘘になりようがないものだから。

「また新しい絵本を読んで」

元の通りに、ディリータの隣に座る。

……ああ。今度は、小人の国に迷い込んだ男の話にしようか」

この日常が続いてくれることを祈る。続いてくれる限り、お前と恋人同士でいられる。お前の宣誓を許さない奴は……まぁ、神様は無視するかもしれないけど、俺が何とかしてやる。

そして。

その日の夕飯を済ませた後、彼らは二人とも、同じ部屋に同じ時刻に呼び出された。二人とも自室で食休みの最中であり、いきなりバルバネスから呼び出されたのだ。思い当たる節、というか、確固たる理由があるから、内心ビクビクしていはいたが。

部屋の前で鉢合わせたラムザの、いささか無理のある笑顔で、少なくともディリータの不安は霧消した。

「平気だよ。あれは全部僕が言ったことだ。それに、お芝居の練習だとか言えば、きっと父上も解かってくれる」

ならば、そのお芝居をやろうと言い出しのは俺だと言おう。

いや、本当は言い訳の必要など無いのだ。なぜなら、お芝居などではないから。

面と向かって言おう……、僕は、俺は、この人が好きだとアイシテイルと。

「父上、ラムザです。……ディリータも一緒です」

中から、入りなさい、と厳しいバルバネスの声。ゆっくりとまずラムザが入室し、続いてディリータが。二人は横に並んで、やはり緊張している様に見えた。

……私は」

バルバネスは手にしていた書物を閉じると、溜め息交じりに言った。

「ラムザ、お前の実の父親であるし、ディリータ、お前の父親のかわりだと自覚している」

そうして立ち上がり、本を戸棚に戻すと、腕を組んでゆっくりと歩く。

そして、また重々しく溜め息を吐く。

「父として、息子たちに、して良い事と悪い事の区別をつけてもらえないというのは、非常に悲しむべきことだと考えている」

圧倒的な威圧感。ラムザも、ディリータも、先程の意気はどこへやら、ただ硬直したまま一言も発せずにいる。

「善悪の判断というものは、人間にとって最も簡単で、最も重要な選択だ。どうということの無いように見える些末な選択を誤っただけで、命を失ってしまうこともある。それほどに重要なことなのだ。……だが具合の悪いことに、その選択は、選ぶ時には本当の姿を隠しているのが普通だ。だから人は軽率な判断しないよう、常に考えていなければならない」

ムズカシイ単語が並ぶ。ますますラムザは気おされてゆく。すごすごと顔を上げ、父を見る。父はじっと自分を見ている。真っ向から視線がぶつかり、また慌てて俯いた。

何で父上はこんな……怖いんだろう。

「例えば戦場で、兵を動かす時だ。右に動くか、左に動くか。その時に正しい判断がどちらかということを判断するのはなかなか難しいものだ。先見性というものが重要になる。自分の起こした行動がどのような結果を招くか、極限まで考え、その結果に責任を持たねばならん」

何の話だか、もう全く解からない。ラムザはちらりとディリータを盗み見る。ディリータは沈痛な面持ちで下を向いている。そこから察するに、やっぱり怒られているのは確かなようだ。

……然るにお前は」

二人の真っ正面に立って、歩みを止めた。

「人の迷惑というものを微塵も考えず、あのような大声で喚き散らし、会議の邪魔をした。それによって、一時にしろ重要な会議の進行は滞った。結局大した話し合いにもならなかった。その責任を取れるのか」

咄嗟に、ラムザが用意していた言い訳を。

「で、でもあれはっ、ディリータの僕がやろうってお芝居を言い出してっ」

結局言い訳に頼るが支離滅裂。

「言い訳をするな」

一言で、黙りこくる。

「今日のことが原因で今後の戦線に支障が出たらどう責任をとるつもりだ」

言い放ち、バルバネスは大きく大きく溜め息を。眉間を押さえて、言った。

「だいたい、ラムザよ。『地獄の業火』ではなく、『裁きの業火』ではないか。基本的なところが間違えている。神が裁くのに何故『地獄』などという単語が出てくるのだ。聖書をもう一度はじめから読み直せ」

そして、肩を竦めて言う。

「それだけだ」

ふん、と形ばかり不快そうに。

「後は概ねよろしい。……今日の面子では、どうせ退屈な話し合いしか出来なかっただろう。暇つぶしにはなったし、なかなか楽しませてもらった。……たとえ、芝居だったとしても、な」

ディリータがびくっと顔を上げる。それに倣って、実は大して意味も分かっていないのだがラムザも顔を上げた。

「風はお前たちのような人間に冷たいかも知れん」

またゆっくりと歩き出し、父は言った。

「覚悟をしておくのだ。私は手助けはせん。お前たちの行く末が幸せであることを祈ろう。……ただ、父として、必要な口出しはさせてもらおう」

……バルバネス、様?」

少し気まずそうにバルバネスは頬を掻いた。

「構わないと言っている」

「ですが……」

「ダイスダーグたちが何を思うおうが知ったことか。だいたい、ラムザは自分で、『誰が何を言おうと関係無い』と宣言したのだ。その言葉を誰が否定出来る」

ディリータはラムザを見た。

ラムザは相変わらず、意味が分からないままぼぉっと父を見ている。

「少なくとも私は、お前たちを認めよう、祝福しよう。別に業火が怖いからではない」

そこでようやく表情を和らげ、ディリータの頭に手を置く。

「よくもまぁ、ラムザをここまで大人にしてくれたものだ。感謝している」

……父上?」

ラムザにも同様に、手を置く。

「ディリータ。ずっとラムザの側にいるのだ。……裁きの業火に焼かれたくないのならな」

二人の、不出来ながら愛すべき息子たちの成長を、バルバネスは、今後楽しく見守ることが出来そうだと喜んでいた。

彼らの純情は幼いから不器用で、いくらでも壁にぶつかるだろう。ダイスダーグとザルバッグは恐らく今後も認めることはないだろうし、他にもいくらでも邪魔は現われるだろう。だが、父は、彼らの純情を、見守り、応援して行くことが出来るのを、何より嬉しく思っていた。あまり面倒を見てやれなかった三男への償いの気持ちもあったかもしれない。

父は二人の手を繋ぎ合わせ、なにゆえか胸中に溢れる充足感に酔いしれる。

「幸いあれ」

恐らく神父は、このようなことを嫌がるだろうから。自分がかわりに。

「わざわざ呼び出してすまなかった。部屋に戻りなさい」

手を繋いだまま、ぽかんとしたラムザと、最上級の敬意と謝意を込めて頭を垂れるディリータ。まだ事態は飲み込めないが、どうやら父に誉められたらしいということだけを理解しているラムザは、首を捻りながら、一緒に自分の部屋へ。

いつもの通り、トランプをして遊ぶのだ。

そんなラムザだから、平気でさっきの意味をディリータに質問する。

……あのなぁ」

「なぁに?」

この子は二重人格だ、間違いなく。ディリータは確信した。或いは、知識の種類に差があり過ぎる。

「要するに……」

考えると、ちょっと頬が紅くなる。

「俺たちが、お互いのこと好きでいていいって、言ってくれたんだ」

ラムザは目を丸くする。

「え? ……そうなの?」

「現に、あの方は、お前が大きい声出して会議の邪魔をしたことしか怒らなかった。お前の宣言の内容に注釈を加えただけで、それを否定したりはしなかった」

だから、ラムザの言い訳は支離滅裂な以上に、全く意味の無いものだったのだ。

「だ、だって、僕、会議してるなんて知らなかったんだもん……」

「だから……その事もそんなに問題にはしてなかったんだってば」

逐一通訳してやると、ラムザはようやく理解したようだった。座ったまま呆然としてしまった。

「あんまり、悲壮な決意を固める必要はなかったみたいだな。出て行くとか、神に誓って、とか」

父は、ちゃんと解かっていたのだ。

「父上…………」

息子の想いが歪んでいても、信じた末に出した答えならば、それは否定しない。息子の成長材料としては、多少歪んでいた方が或いは好都合かもしれない。

「お前の親父さんは、お前に、俺のこと好きでいていいって言ってくれたんだよ。何しても、お前の自由なように、な」

……父上……」

「明日、二人でお礼を言いに行こう」

「うん」

ディリータは、立ち上がると戸棚からトランプを取り出す。久しぶりにババ抜きじゃなくて、ジジ抜きをするのも面白いかもしれない。そんなことを考えながら。

「ディリータ」

ラムザが背伸びをしなければ届かない戸棚から、軽く手を伸ばして取ったトランプを片手に振り返る。

ディリータは動きを留めた。

……ラムザ」

ディリータは、トランプを側の机の上に置いた。

「本当に、僕は君のものになっていいの?」

妙な質問だが、まだ残る戸惑いはよく分かった。昨日までの重苦しく悲しい悩みは、実はすぐ側にいた隠れた理解者によって打破された。だが、その事にまだ現実感がない。ある日突然また、自分たちは否定されてしまうのではないかという漠然とした不安がある。

ディリータは、頷いた。

「俺たちは、自由だ」

はぁ、と溜め息を吐いて、ディリータは何故だか、穏やかに微笑んでしまう。

ラムザの脱いだシャツと、ズボンが、彼の足元に散らばっている。皺になってしまうじゃないか、場違いなことを考えた。

「俺の方こそ……。俺は、お前の事を、壊してしまうかもしれないぞ、愛し過ぎて。……誰かのことをこんなに強く想うのは初めてだ。加減が分からない」

ラムザの美しさ、可愛らしさ、今に始まったものでもないし、その裸も、今まで幾度も見てきたものだ――風呂場で。

「あの時、嫌がってごめんね」

「しょうがないだろ、あの時は」

苦笑して、言う。

「ディリータ」

ラムザはただ愛しい者の名を呼び、その呼ぶ行為にすら感動に近いほどの喜びを覚えずにはいられなかった。ただ目の前に、何の境目も無く、障壁もなく、ディリータがいるという、事実が、幸せで、幸せで。

名を呼ばれた方は、ゆっくりと恋人に近づき、温かな身体をそっと抱き締めた。

もう、その間には何も……空気さえも、存在しない。

――あの日から、身体と身体を何度絡ませてきたことだろう。本当に解けなくなってしまえばいいのにと、たまに思う。

「父上は」

タオルで頭を乾かしてもらいながら、ラムザが溜め息交じりに。

「許してくれたんだよね、僕たちを」

……随分昔の話しをし出すんだな」

ディリータは苦笑する。

「ああ。お前の親父さんは、俺たちがこうやって、幸せになることを望んでくれた。兄貴たちが嫌がっても、親父さんは俺たちに味方してくれる……それが、どうかしたのか?」

ラムザは首を振る。

「父上は、本当に望んでたんだろうか。僕たちが……こうやってキスしたり、えっちしたり、することを。……僕はもちろん、父上のことが好きだけど、父上が解からない」

「ラムザ……?」

「なんか、何ヶ月かに一回くらい、恐くなるんだ。僕たちはやっぱり、どうしても、他の誰かから見たら、ちょっと違う関係じゃない。だから、父上は、父親だからって理由だけで、無理矢理僕たちを認めたんじゃないかって」

はぁ、と溜め息を吐く。

何ヶ月に一回……自分の、やはり期待外れなところを認識する。自分はディリータの側で一生幸せに暮していくのだから、これでいいんだと思いつつも、父がやはり悲しく想っているのではないかと考えてしまう。

「だから……。なんか、寂しくて」

ディリータですら癒すことの出来ない寂しさ、どうしようもない。

「勉強、頑張ろうかな」

……そう、……だな」

上手い言葉が思い付かず、ただそう言う。

ラムザの気持ちはよく分かった。確かに、……一応、バルバネスの、息子としての立場は自分も同じだから、恋人と同じようにかけられる期待と現状の落差は残酷だ。やはり、自分はラムザの恋人としてではなく、一人の騎士として居る方がいいのではないかと、考えることがたまにある。そう考えると、何だか辛くなるから、勝手に結論づけている。多分本当にバルバネスは俺たちを認めてくれているのだ、と。

「大丈夫だよ」

その憶測の基盤の上で、でも今、仮にも幸福なのであれば、それで父が文句を言うハズがない。父の思惑と、今の自分たちは違うかもしれない。けれど、父は、今の自分たちが幸せなら、悲しむ理由はない。そう考えるのが、一番建設的に違いない。少なくとも、自分たちにとっては。

「俺たちは、愛し合っていい。……あの夜、親父さんは俺たちの事を祝福するって言ってくれた。お前が言った宣誓を認めてくれた。だから、あの人が俺たちにとっての神様だって考えればいいんじゃないか?俺たちの愛を、解かってくれる数少ない人なんだから」

ディリータは、湯気を立てるラムザの身体を抱き締める。

「俺は今幸せだ、お前は俺が幸せじゃ悲しいか?」

当然ながら首を横に振る。

「だろう? ……きっと親父さんも同じ気持ちさ」

愛するに理由がいるなら、それはあくまで内的な感情でしかない。それ以外の要素なんて存在するはずがない。自分が愛するのだから。愛することによって他の誰かを傷つけることは、もちろん避けられないことだ。けれど、神はそれを、本当に愛し合う恋人の仕業だとしたら、きっと、傷付いた者たちを上手に治すだろう。

バルバネスは、こんな遅い時間に、寒い中庭を散歩する二人の影を見つけて、微笑んだ。

確かに、ラムザは自分の想った通りの子供ではない。寧ろ、心も身体全く反対の形をしている。けれど、素晴らしいことだ。

私のこどもたち。風呂上がりに散歩をして、湯冷めをしないように。しっかりと上着は着ているようだが。……ちゃんと、風呂上がりに膝から下に冷水をかけるのを忘れてはいないだろうか。

年老いた父は、その、既に自分の手を離れて幸せを見つけようと模索する恋人たちを見て、確かに寂しいような気持ちを覚えてはいた。しかし、いいのだ。それでも微笑みが浮かんでくる。繋ぎ止めたのは自分だし、こんな風にして、あの頼りなかった子も自立できる。それは、嬉しいというほか、どのように表現すればいい気持ちだろう。

ダイスダーグ、ザルバッグも、大切なバルバネスの息子だった。だが、考え直してみると、彼らは、父に、父としての機会を与えることなく成長してしまった。だがラムザは、一番手がかからないように見えて、父親としての役割を一番必要とする息子だったのだ。ディリータという存在があったために。

そう、先の長くない自分を、満たせてくれる息子を、とても愛しく思った。そしてこれからも祝福し続けようと、そう考えるのだった。

「父上」

扉のところに、ザルバッグが立っていた。

……どうした」

「ラムザと、ディリータがまた……」

ああ、とバルバネスは言い、窓の外を見たまま答える。

「あそこにいるよ」

「風邪でもひいたらどうするのでしょう」

ザルバッグが眉間に皺を寄せる。

バルバネスは、白い息を流しながら歩く二人を微笑んで見守っていた。

「意外と、暖かそうに見えるぞ」

……困ったものです。いくら言っても」

振り返り、苦笑して父は言った。

「私たちの目を気にしているのだろう。夜は彼らのものだ」

ザルバッグも、父の隣へ歩み、窓から覗いてみる。暗闇に紛れて、小さなラムザをコートの中に包んで歩くディリータの姿が見える。少し紅い頬に、笑顔がほころんで。……どこも可笑しなところなど無いように見える。

「あの日、父上は」

眼下の二人は、もちろん、誰にも見られていないと思い込んでいる様子で、キスをした。

「私におっしゃいました。ラムザは愚かではない、と。……間もなく気付きました。やはり愚かなのは私の方です。神の御名を持ち出すのは、今でもあまり感心しませんが、ですが、それほどまでの純粋な想いを無碍に扱うことは、やはり愚かなことです。……私も、出来うる限り、彼らを見守っていきたい」

父は頷いた。

……今夜は、冷えるな」

「そろそろお休みになられては。もう遅いですし」

……そうだな」

今しばらく、恋人たちの語らいを覗き見ていたい気もした。

父の幸せそうな横顔に礼をして、ザルバッグは退室しようとした。

「ザルバッグ」

「はい」

……私は、お前やダイスダーグ、アルマには、父親らしいことは殆どしてやれなかった。……ラムザに対しても、してやれたかどうかは甚だ疑問だ。そんな男が息子の幸せをこんな風に自ら……」

ザルバッグは、首を振った。

「父上は、ラムザを幸せにしました。……ことによっては、ディリータ以上に。ラムザの幸せを、私が願わないことがありましょうか?……兄上も、アルマも、きっと、同じお気持ちです」

ザルバッグはそう言って、退出する。

……良い子供たちを持ったものだ」

バルバネスは言葉に圧倒されたようにぽつりとそう言い、確かにそろそろ寝た方がよいかもしれぬと思い始めた。

 

 

 

 

いくら大好きだ大好きだと想っていても、時にそれは言葉の意味でしか感じられなくなってしまうことがある。目の前にいる存在が、外的な見えない干渉によって離れて行くように感じられるときがある。

特に、それが本来認められざる形であった場合。無償で強烈な愛情を、彼らに注ぐことの出来る人間が、ひとりは必要だ、彼らを受けいれ、頷く人間が。

拠り所になるための、かけがえのないひとりが必要なのだ。


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