ひかりと影

男と男の間にも愛が生まれるというのは証明出来た二人ではあったが、彼らの間に正しい形の性行為というものがあるのかどうか、その事は未だ未解明のままであった。痛くされたところでそれが快感に直結しているラムザだからこそ可能な態勢であると考えられなくも無い。ただ、生殖器官とは呼ばない以上その部分は一部の例外を除き、正常な生殖活動の際は隠匿しておくべき部分なのだということは忘れてはいけない。希にラムザが調子に乗って、ディリータのそこに蛇苺色の舌を這わせるとき、ディリータは「きゃっ」と、まるでラムザのような声を上げて喚くのだった。何に使っているところなのか、そう問いただそうとしても、常にそこを舌で濡らし味わう自分を顧みては何も言えない。努力して態勢を逆転させ、その細い腿の間に顔を入れ、反撃をしてやるばかり。真冬でさえも少し汗ばんで汐の味がする窪みに、舌を吸わせるのだった。

しかし自分たちの行っている行為が、正常ではないのかもしれないことは、彼らにとってはどうでもいいことだったかもしれない。大事なのは情念的な物であり、「今」「この瞬間」「からからに乾いて」「あなたの身体が欲しい」という欲求に、「愛しい」以外理由はないと信じていた。無論、根底には思春期におけ

る発情の起伏や時間帯、精神状況など多角的な理由を孕んでいることでは在ったのだが、彼らにはそれが嘘で、言葉そして行為によって成る「愛してる……大好き」こそが本当だった。そして得られた幸福感こそが本当だった。幸福なことに、二人はそう信じていられるほどにまだ幼かった。その行為の過程が仮に常態とは違うものだったとしても、構わないと思えるほど、彼らの壁は脆く低かった。欲求を停める力が無かったのも事実だが。

当然の如くディリータはラムザを愛しんだが、それは心身共に。ラムザの優しさと同じほどに、ラムザの尻が大好きだった。

ラムザは優しい。小さな彼が、小さな草花を無碍に扱う乱暴者に、口には出さないが烈しい怒りを抱いていることをディリータは知っていた。まだ幼い頃から、多忙により家を空けることの多い父と兄に代わり、メイドよりも先に妹の世話をしてきた。その優しさを、最も間近で見てきたディリータもまた、その優しさをあたたかな雨のように嬉しく感じて生きてきた。どんな場合でもディリータを一番にして考える。ベッドの上ですら、自分勝手に強請っているだけのように見せて、ディリータを幸せにする事ばかり考えているのだ。ディリータが悦ぶポーズを、恥じらいつつも進んで見せるのだった。

そして、今日も。

身体に限っても、ラムザの全てが愛しいディリータではあったが、中でも後ろから見るその裸身には格別の魅力があるのだ。ディリータはラムザの尻が好きだった。見た目もいとおしい、瑞々しく甘い桃のようなフォルム。白い肌は何処も彼処もすべらかな触り心地だが、密かにその臀部が最も滑らかだとディリータは考えていた。誘い込むように括れた腰のラインを辿っていくと、カーブが少しばかり膨らんだところに雪のように白い尻がある。中央に段々と深くなる谷が走り、底に皺が一点に集う、ひそやかな菊の花の蕾が眠る。

滑らかな肌に触れる。ディリータが見やすく、触りやすいように高く上げられた尻の両方の新鮮な肉を、微かになぞられることにラムザは敏感な反応を示す。手のひらで、あわい刺激を加え続けると、ラムザは余計にディリータを喜ばせる言葉を漏らし出す。

「おしりの、穴も、してぇ」

こうしてラムザが恥ずかしそうに、しかし狡猾に、強請り、尻を揺する様を見ることは、ディリータにとって至福だった。胸の奥がざわつき、唇に不遜な笑みが浮かんで消せない。両手で尻を開き谷底の菊花を覗くと、他の場所に比べくすんだ色の蕾は触られるのを今か今かと期待して、音も無く締まる、それにあわせて尻の肉も窄まる。思い付きで、蕾が恐る恐る緩んだところにふっと息を吹きかけてみれば、再びぎゅうと力を篭めるのだ。くすりと笑うと、すぐにラムザは耐えられなくなる。尻を強請るようにふって、更に高く上げる、ディリータの顔に少しでも近づけるために。

「やだやだぁ、舐めたり指入れたりしてよぉ」

「指? 指だけじゃ満足しないだろう」

「んん、指で、かきまわして、それから、おちんちんも入れて欲しいよ」

「その単語あんまり使うなって言ってるのに」

自分で言うように仕向けたくせにそんな事を言って困らせる。なかなか弄ってもらえないで尻も困っている。男の性で、困られると図に乗ってもっと困らせたい欲求がディリータの中で蠢き、胸の中が痒くなった。尾骨を上からなぞったり、何度も尻に口付けたりして、時間を潰す。痒さは残る。仕方が無いので本題に入る。

複雑な味に触れる。強く引き締められた穴が、舌から伝わる唾液で濡れる。指の腹で押し込むように触れれば濡れた音を立てる。入口から、指先で優しく刺激するのが、いつものやり方だった。第一関節まで入ったら、そこで暫く音を立てて遊ぶのだ。その間ラムザは艶めかしく腰を揺らがせつつ、シーツに爪を立てる、涙を浮かべる。浅い海を行きつ戻りつする指一本に翻弄され、全身に血液が行き渡らなくなり、気が遠くなる。思考することを諦めれば、その血潮は全て快感へと走り出し、より甘く喉の乾く濃厚な蜜の壷へダイヴ出来るのだ。

「もっと……」

掠れた声では伝わったかのか自分でも分からない。高く震えてしまう声を叱咤する努力のためだけに、ラムザは快感から目を、一瞬逸らした。

「ディリータ、もっと…! 奥こすって……ねぇ」

声はすぐに声ではなくなるのだ。元々低くない声が上擦って、裏返る。ディリータが言葉に応じ、指先を奥へ押し進めて直腸内に働く肉に抗う。吸い付く肉を意地悪く、指で左右に刺激して広げる。一部分、触れただけでラムザを激しく痙攣させる場所を見つけて、少し戻って指先で突く。そこはラムザの摂護腺に最も近い場所だ。ディリータからは股の間から携(さ)がる鞘の影になって見えない脆弱なペニスは、ディリータの指がその部分の肉壁を押すたびに、殻を突き破ろうとする雛鳥の嘴のように前へ突き出すような動きをする。先端に浮かんだ涙が一滴執着するように亀裂から雫型を形作り、何度目かのペニスのバウンドの衝撃で更に溢れる淫蜜の力によって、シーツへと零れて小さな染みを作ったことは、二人の意識外の事だった。

「もう、……ぁあん……、出していい、でしょ、お尻のぉ、そこ……っ、ぅん! いい……」

「っと。まだ出すな」

伸ばした手を止められて、恨めし気に涙目で睨む。その、強いはずの視線も、端から蕩ける。

「シーツ濡らすのはやめておこう。今日汚したら…今週三度目だからさすがに、まずいよ」

メイドたちに自分たちの無作法の後始末をさせるのは心苦しいものがある。それに、シーツの選択の回数は即ち二人の愛交の回数であり、メイドたちに今更とは言えそれを晒してしまうのはやはりきまりが悪いところがあった。

「でも、我慢出来ない……出させてよ……」

ラムザは、こびり付くのが自分の精液であって、それをメイドたちに洗わせているということに何ら問題は無いと考えている。このあたりがお坊ちゃん育ちらしい所なのかもしれないとディリータは思った。

指を中で回転させ、ラムザの身体も仰向けに寝かせる。そこで初めて見たラムザの砲身は完全な状態に成長していた。とは言えまだ成長途上、陰毛も生えていないそこを見て、ディリータはふと恋人自身がそこを握り、動かす姿を見たいと思った。 その思い付きを口にする。

「そ、そんな……、いやだよ、ディリータ、ディリータの手でするから、いいの……自分のじゃやだ」

「でも、お前のかわいいところに入ってるのは、誰の指だ?」

「……ディリータの……」

また少し指を動かす。何度も肉壁を収縮させ、ペニスを連動させる。

「わ、わかったよぉ、自分で、いじって、出すぅ……」

「そう。いい子だな。可愛い顔を見せてくれたら、ご褒美にお前が欲しがってるもの、嫌ってほど入れてあげるから」

「ん……、約束」

「ああ。俺も正直、入れたくてしょうがないからな」

ならばすぐに挿入することだって可能なはずだが、射精にいたるまでの一連の欲求の推移は、遠回りであればあるほど好いのだ。幸運なことに、ディリータは性的に強い男だった。小さい頃から、絶世の美少年の傍らで過ごしてきたから免疫があるのかも知れない。反面ラムザは興味津々、自ら快感を乞うような性格のくせに、そちらの方面にはからっきし弱いのだった。小さな手のひらで腫れぼったく苦しむ幹をつよく握る。僅かに開いた隙間からはあかあかと燃える果肉が覗け、細い亀裂からは汁が零れる。ラムザはディリータの、己を見る目を、刺さった指を、そして自分自身の愚かしい男根を順に見つめ、最後にもう一度ディリータをちらりと見た。到底耐えられそうにない。

ラムザは握り締めた物を上下にこすり始めた。まだ晒す訳にはいかない敏感な肉とその根本の境目を、手のひらと、連動して動くそこを包む皮とで刺激するのだ。ディリータが内部の柔壁を少し力を篭めて無理矢理に抉じ開けようとすると、ラムザは強い痛みと常にそれを超越する快感に苛まれ、尋常でないほど艶のある溜め息交じりの声とともに背を仰け反らせ、存分に射精した。妖しげに粘つく指を坩堝から抜き、ディリータはラムザを余韻に浸らせることを許さず、顔をその白い腿の間に埋め、蓋を求めて蠢く壷の入口を舐める。既に充分濡れていたそこに、さらに唾液を含ませ続ければ、そこは動かすたびに糸を引く液を零し、さながら生殖器と成り得たようであった。人間の感ずる五感に応じてラムザに下卑た幸福感を齎すならば、そこから微かに聞こえる粘液性の音は、少年の研ぎ澄まされた視覚、触覚に加え、聴覚を満足させることになる。思い付いて、ディリータは顔を上げると恋人の身体を眺め、その臍の、白く濁った小さな水たまりを吸い上げた。口に含んだまま、顔を更に上に移動させ、引き結ばれた唇に辿り着く。青臭く辛苦い舌を圧しつけても、ラムザは頑なに拒む。淫乱と言うに相応しいラムザではあったが、自分の排出した精を飲むことだけは、耐え難い苦痛だったのだ。ディリータにもその故はよく解かったが、拒む仕種が余計に、喉の奥に潜む蛇のような悪意をのさばらせる結果となっているのだった。なかなか唇を開かないラムザに内心微笑み、片手で尖った乳首を抓った。一瞬隙間の空いた所を見逃さず、舌を入れ、唾液と混ぜた精液を流し込む。

「んっ、くぅ、っ、っ」

唇を押し当て、吐き出すことを許さない。ラムザは結局、自分の出した精液を嚥下させられた。目に涙を浮かべ、ディリータを怒ろうとするのだが、上手く言葉にならない。口の中に広がった青臭い匂いに顔を顰める。それでもディリータの瞳が、嬉しそうにきらめく理由は知っているつもりだったから、反抗らしきことはそれで終わった。五感。味覚と嗅覚まで支配して、ディリータはようやく腰を起こし、赤紫色にぎらつく自身をラムザに見せてやった。ラムザは甘い香りに引き寄せられる蝶のように、目つきから怒りを一瞬に消してよろよろと、その肉塊に縋り付き、キャンディバーを味わうように、ちゅばちゅばと音を立てて吸い付いた。味も中身も同じ物でも、恋人のなら何より美味しい蜜なのだった。唇から涎が流れ落ちることも気にせず、柔らかな口腔で包み込み、時折頬を窄めて強く吸う。ディリータはその淫らな口と舌の動きを暫し楽しんだが、やがて腰を引き口から抜くと、後ろを向くよう指示する。

「なか……、ディリータ、中に、出してね。こないだみたいに、背中にかけたりとか、しないで……」

この間、とは、先週の事だ。今日と同じように後ろから抱いていたディリータだったが、行為が進むにつれ、桃を思わせる形の良い尻に、自分の迸りをぶちまけてやりたくなってしまい、射精は外でしたのだ。背中を濡らされた上に、ほしかった場所にもらえなくて、ラムザは随分機嫌を損ねたものだった。 ディリータは苦笑して、広がる金糸を優しく撫ぜて、既に緩んだ穴に、腰を進めた。

「あ、うっ」

開拓される悦びに息を詰まらせ、紅潮した滾りを一層際立たせ、何度も何度も、ディリータを締め付ける。もう絶対外には出さない、そんな風に言われているような気になるその動きに、ディリータは動かずにはいられなくなった。

「ああ!」

腹の底から強く突き上げられる衝撃に、ラムザは一際大きな嬌声を上げた。そしてその波が去らぬうちに、なおも肉を擦られ、普段は閉ざされているはずの最深部の扉をノックされ、気が狂いそうになる。加速するディリータの吐息に合わせ、破裂しそうになる脈拍。ディリータの手が前に回された頃にはもうすでに、自分でそこを触れていた。嘲るように先の蜜の粘り気を伸ばそうとするだけで、擦ってくれない意地の悪さに、ラムザは手をそこから離すことは出来なかった。ディリータの指が、腰を振りながらだというのに器用にラムザの手を取って、退けた。熱された砲身を握り締め、手のひらに湿り気を感じて満足げに微笑むと、二人の終点は近かった。

身を繋げたまま、ベッドに横たわる。沈み込んだままでゆっくりと腰を引き、ほどいた。ラムザは空白を嫌がって、身体をディリータに向けると、まだ荒く動く胸に、額を付けた。

「あ……」

ディリータがはたと起き上がった。ラムザは芒洋とした視線を彼に投げただけだった。

「……しまった…。布団、汚しちゃった……」

先程ラムザに、自慰行為を強要したときに言った言葉を、簡単に反故にしてしまった。しかしラムザは「あー…」と額に手を当てるディリータを見て、少し可笑しそうに。

「なんだそんなこと」

「そんなことってな。ラムザ、恥ずかしくないのか?」

「ぜんぜん。……だってさぁ、あの人たちは僕のオムツだって変えてるんだよ?…もう今更恥ずかしがることなんてなぁんにもないよ」

「そうかもしれないけど」

ディリータは大きく溜め息を吐いて、ぱたんと仰向けになった。ラムザは腹ばいのまま、その胸の上に乗る。ラムザは現在、身長百四十三センチ、多少苦しくもあったが、しかしその三十一キロの重さは、幸せのものであると思うことも出来た。 だが、その恥知らずさに関しては、やはりディリータは、頭の痛むところが多いのだった。

「どうせ汚れちゃったなら、さぁ」

ラムザはディリータの顔を覗き込んだ。顔の横から、月の光をぼうっと光らせる髪が垂れ、神々しいほどに美しい。

「ん……?」

「もっと、汚したって一緒でしょう? 今夜は、もっと一杯、触わって」

この子の見せる表情の、一体何割が本気なのかディリータには解からなかった。あるいは、全て俺を奮い立たせる為の演技なのかもと思えることがたまにある。その心とろかすような表情、声、視線、――胸に乗せた指の動きも絡ませた足の位置も、そして計算ずくとしか考えられない腰の揺らめきも――全てがつくりものなのでは、と。

「ディリータ……」

しかしその思い付きはやはり冗談に過ぎない。

「それに、まだ『嫌』って程はくれてないよ、ディリータの大きなおちんちん」

復活の悦び、溜め息を一つ。

「……しょうがない子だな」

この子に、毫も嘘が無いことを、ディリータ自身が一番知っていた。嘘をつくのが下手だから、言っていくうちに瞬きの回数が増加し、唇が尖る癖を、幼い頃に見つけたのは、彼だったから。

 

 

 

 

天下に名立たるベオルブ家の末弟の顔は、イグーロス城下の界隈というごく狭い範囲に限られていたが、しかしよく知られていた。長い睫に縁取られた瞳、透き通るようできめ細やかな肌と桜桃のように艶やかな唇、全体として聡明で温和な雰囲気を醸しながらも、幼さという酒樽に浸かったその顔と、滑らかなラインであくまで細く括れた腰、華奢な腕が、騎士団長の弟であると一見で信じる者は少ないという結果を招いていた。話しをすれば、その上品な言葉づかいに家柄の良さは窺わせるものの、しかしその物腰の柔らかさと公式的には控えめな性格は、余計に貞淑な生娘を思わせるのだった。無論、内面に流れディリータを惑わせる媚液に気付くものは誰もいない。だから、この高貴なる痩身少年の公的なイメージは、大人しく優しく、どこか少女じみたところのある男の子というところだった。常に隣を歩くディリータには特段の感心も向けられなかった。 道を行けば、何となくではあるが、誰もが曖昧に頭を下げる。ラムザは馴染みの本屋の主人と挨拶を交わし、先月の半ばから探していた絵本がもうすぐ手に入りそうだという朗報を聞き、顔を綻ばせる。

「そう、ありがとうございます。じゃあ、本が届いたら教えて下さい。僕、すぐに取りに来ますから」

笑顔でそう言うラムザの傍らで、白髭と皺の混じった顔の老店主はくしゃくしゃと礼を言う。

「行こう、ディリータ」

『ディリータ』という名前をひょっとしたら店主は知らないんだろうと思案すると、さながら自分はラムザの影になっているようで、心が躍った。ラムザのボディガード、その身に危険が降掛ったなら――この狭い街ではまずありえないけれど――いつでも脇差を抜き放つ覚悟は出来ている。十二の年で、ラムザとの間柄をバルバネスに打ち明けた直後、彼は寛大なる義父から帯剣を許されていた。

「お前の他の誰が、ラムザの隣にいよう」

父は刻まれた皺を一層深くして、愉快そうに笑った。

「それで。どこに行くんだ?」

「んー、どこでもいいんだけど。昨日の夜はたくさん触わってくれたからね、今日は手を繋がないで街を歩いてみるのもいいんじゃない?」

誰かに聴かれないとも限らないのに、この子はさりげなく危険要素を会話に取り入れては、ディリータを驚かせる。城内はプライベートだから、多少のボロが出たとしても大目に見ては貰える。しかし二人の関係が公になっては、ベオルブ家の者として適合するとは言い難いのだ。

度々鳴らす警鐘を、また鳴らしかけたが、ラムザは一歩二歩と先に行ってしまう。いつもならこっそりと手を繋いで欲しがるのに、やはり昨日、その身体を飽くまで抱いたことが功奏したらしかった。ただ置いていかれると別種の不快感が生じた。ディリータは大股で、すぐその隣に辿り着き、偶然を装って、その手に触れた。細い手首と指は弱々しくも見えたが、触れてみるとやはり柔らかく親しみを感じられ、その手のひらは自分に触れるためだけにあるような気にすらなる。感謝の念無しでは影になれない。

よく晴れた冬の休日に、ディリータはラムザの左隣、ほとんど言葉を発することなく、気ままな主人が雑貨屋や洋服屋を廻るのに従った。コートの中、いつでも抜き放つことを前提として帯びた剣と彼の視線は、清冽な冬の空気よりもなお、透き通った緊張感を漂わせていた。だがその緊張感を、主人自身が無意識に溶かしていては意味が無い。街の外れに来て、最後の家を通り越し、あとは平原を望むだけというところまで来て、それまでそれぞれ孤立して、別の生き物のように歩いてきた二人の影が重なった。ラムザのほうから、ディリータに擦り寄る。すっかり冷たくなった手のひらが、元のような柔らかさ暖かさを取り戻すようにディリータは包み込んだ。ラムザは小さく笑って、自分の手のひらを真剣に見つ

める頬に背伸びしてキス。

たまたま身体が別になっただけで、心はいつも同じ所にある。光と影のように表裏一体なのだ。光と影は切り離すことが出来ない。光ある所には必ず影がある。光は影を生み出し、影は光を証明するのだ。 抱き寄せた体温同士が求め合っている。

無理矢理に秘匿され、行き場を求めていたエネルギーが滲み出す。ディリータは咎めるように、

「たった一時間だけだったのに」

「僕にとってはすごく長いよ」

「じゃあ学校なんてもっと大変じゃないか」

「学校は寝てる間に終わるもん。ディリータの夢、見てる間に。知ってるでしょ? 僕が夢精してるの」

「……初耳だ」

ディリータは背中を丸める。背の低いラムザが、その首に縋り付きやすいように。抱き留めてもらえたら、目を閉じて合図。また、唇を重ねる。 キスと、セックスは違った。セックスに至るための手段がキスなのではない、これは二人共通の認識だった。唇が触れ合う瞬間は、下半身が繋がる時よりも更に満ち足り、下手をすれば艶めかしい。また、触れ合うのが唇だけであるゆえに、それは直接的快感ではなく、想像力によるところの大きいものであるからだ。寄り添いあった二人はもう、光でも影でもなく、二人でもなく、一つの侵されない魂の彫像になっていた。言葉を発するところを封じ合うと、その人の自由を奪ってしまったみたいで気が咎めるけれど、ご覧、僕も、もう何も言えない――、彫像になって、固まってしまった。冬風が彫像の描く複雑怪奇なラインを撫でて抜けていく。どうせ通り抜けられないのなら、いっそ止まってしまえば、二人はより完璧なオブジェになる。

「……ディリータ、暖かいね」

言葉を解放する。何でもない言葉が生まれる。

コミニュケーションひとつひとつに、俺たちほど幸せを感じられる人間もいないだろう。価値を知る、幸福感にディリータは知らず、顔を綻ばせた。

「くっついてるからだよ。お前の身体も暖かいよ」

「ずっとこうしてたい」

ディリータが何か言いかけたのを、再び止める。そして、

「……ちょっとで、いいから。もうちょっと。今離れられたら、何だかさみしいよ。こんなに幸せなのに」

こんな風に考えられるお互いが、何だかくすぐったくて、せっかく固まった世界を震えて壊してしまう。「そうだな」と笑い、大馬鹿者であることを自認しているから何の衒いも無く一つ覚え、キス、キス…キス。

そしてその言葉しか知らないみたいに、愛してる、…大好き。

唇が離れた。離れたというよりは、剥がれたと言うべきかもしれない。光と影に戻った二人の唇は、冬だというのに潤い、艶があった。 額を恋人の心臓に当てて、満足気に一つ息を吐き、一歩身を引いた。

「僕、どうしてこんなに君といたいんだろう。一緒にいればいるほど、もっとくっつきたくなる」

「その答えは俺も知りたいよ。……多分、多分な、最初から一緒になるように出来てたんだよ、お前と俺とは、一つところにしかいられないんだ。それに、願は叶えば叶うほど、他も叶えたくなるもんだから、…俺ももっとお前と、くっついてたいよ」

ディリータは外套をラムザの肩にかけ、手を引っ張った。

「早く帰ろう、誰にも遠慮することなく抱き合えるとこが、俺たちにはあるだろう?」

誰にも邪魔されないで、裸になれる場所。キスはセックスに繋がっていない、しかし、彼らの心はあらゆる甘さを好み、一つだけでは満足しないのだ。冷えてしまった体を、布団の中で絡ませながら、存分に熱を放射する。その瞬間瞬間は早すぎて、彫像にするには向いていないようだった。終いには真冬に汗を流す、季節はずれで無粋、且つ生臭い、つがいの堕天使になるだけだった。いっそ、悪魔と呼ばれても構わない――今の記憶を引き摺ったまま明日死んで違う世界でまた会えるのなら、死んでも構わないとすら思っていた。この愛の前では、命すら大したものではないと思える。ただ、自分の身体に対する執着だけ

は譲れない。この身体を美しいと思うのではない、互いに求めてくれる、それが嬉しいのだ。ラムザは、男子でありながらも、この平坦な胸を小さな乳首を、節操無く射精を繰り返す陰茎を、愛してくれるのがとてもとても、嬉しかったからだ。仮に来世でまた会えても、この身体に生まれてきたいと、切実に願っていた。こんな形であったとしても、自分を愛せる――何て素晴らしい、ラムザは両手両足を恋人と絡ませながら、思った。そして、安らかな眠りにつく時、今一緒に死んでまた明日、互いに同じ身体で、光と影のように約束された一組として生まれてくるのだという、彼らにとっての定義にもなりそうな事を当たり前のように考えた。

俺は――ディリータには一つの危機感がある。

俺は――、ラムザ無しでは生きられない、ラムザの影だから。ラムザひとり、いれば、いい。

その信念は、自己の喪失に直接つながっているようにも思えるのだ。光無ければ影は無い、ラムザがいなければ自分は存在出来ない。ラムザという太陽が朝を告げない限り、月も夜に上がることは出来ないのだ。ラムザと自分の関係は、さながら主と従。もともとがそうであるべき関係なのだから何ら不自然はないものの、ラムザが良いと言えば全てが正解になってしまう自分の価値基準には多少の疑問を投げかけないでもない。ラムザの出す答えが、実際全て自分にとっても正しいものであると理解していてもだ。

ラムザが欲しがっていたものを、ディリータがその隣で共に手にしたとき、同量の感動が生まれる。自分の幸せのために生きているつもりは毛頭なかったが、ラムザの為に生きて、その結果に不意の幸せを得られるのならば、それはそれでいいと思っていた。

だから、頻繁に漏らさざるを得ない溜め息と、その瞬間に詰まる胸の奥は、幸せの証であると考えなければならないはずなのだが。

 

 

 

 

イヴァリースの冬は冷たい。

昨夜遅くに降り始めた雪が、眩しく窓の外を覆っている。カーテンを開けて、二人はしばしぽかんと口を開けて、その純潔なる光景に見惚れた。中には一面が真っ白で、背の高い銀杏が裸の枝に重たげな雪をいっぱいに抱えているのが一際目立つ以外は、一切合切が白い衣に埋もれており、噴水も凍結している。ラムザのくしゃみに我に帰ったディリータは、慌てて裸のラムザの肩にシャツをかける。

「きれいだねぇ」

「……ああ」

暖炉に火を点し、きちんと服を着、二人は雪景色に見入った。少年達にとって、雪とは神聖なるものだ。仮に彼らの地方に積もる雪が、大人達にとって疎むべき厄介者であったとしても。朝食を摂りに向かう途中、城外の様子を覗いて見る。既に子供たちが、色とりどりの毛糸の帽子と手袋に身を包み、雪だるまを転がしたり、空の木箱で作ったソリを引っ張ったり、思い思いに冬と戯れているのが見えた。彼らほど幼くはないが、やはり雪というものに心惹かれる二人は顔を見合わせ、微笑んだ。

「父上、あとで、本屋さんに行ってまいります。探してた本が見付かったそうなんです」

ふくよかな湯気を上げる紅茶を啜っていた父は、三男の言葉にカップを置くと、内心の苦笑を顔に出さぬよう努力しながら、ふむ、とひとつ溜め息を吐いた。

「こんな雪の日にわざわざ出向くことも無かろう。あとで使いを出せばよい」

そう言ってやると、ラムザは一瞬言葉に詰まった。しかし思い直して、再び言う。

「でも、他の人が行ったって同じです。寒さに変わりはないし……、誰かが風邪を引いたりしたら、その分、お城の仕事に障ります。だけど僕が行くぶんには……今冬休みだし、平気だと思います」

バルバネスは目を細めかけたが、気を緩めることなく言った。

「彼らはこの城に属している以上、主人の言うことに従うのが仕事だ。私の言うことに従えぬのなら、出ていってもらうまでのこと」

三男坊は、いよいよもって打つ手がなくなる。

父には、この息子が、雪の街を歩きたいという切実な欲求を抱いていることを知っていた。雪の街を、ディリータと肩を寄せ合って歩きたいという気持ちは、よくわかった。だから、本が届いたというのは疑わしかった、仮に本当だとしても、それも口実に過ぎないのだろう。

「……そもそもお前は、一体何の本を注文していたのだ?」

う、とラムザが言葉に詰まる。一瞬、学術書だとか医学書だとか、絶対自分が欲しがらないような本を並べようとも思った。しかし勘の良いこの父に、そんな嘘が通用するとは思えなかった。

「……絵本、です」

「絵本だと?」

「す、すみません……」

父は大袈裟に溜め息を吐いた。

「十三歳にもなって絵本とは……。だから成績が良くならないのだ。大体私はお前が机に向かって勉強している姿を見たことが無いぞ、いくら末弟であると言っても、いつかお前がこの家を継がねばならん時が来るかも知れんのに、そんな体たらくでどうするのだ」

ラムザは縮こまるしか出来ない。父は肩を小さくして俯く末弟を可愛く思いながら、また紅茶を一口。何だか苦みが強い、背徳の味だ。

「……お言葉ですが」

声を上げたのは、それまで義父と恋人の遣り取りを、カップに咲く花の数を数えながら聞いていたディリータだった。

「父上は、絵本を読むことと勉強が出来ないこと、そしてベオルブ家を継ぐことが、一つの鎖になっているとお考えなのでしょうか」

「……無論、そうだが」

父は、その反論を心待ちにしていた。この賢い子供が、いったいいつになったら私に刃向かってくれるか、楽しみにしていたのだ。ラムザを庇う時の瞳の輝きが、そのまま剣を振るうときの視線になっているに違いなかった。

「絵本を読むということは、心を育てることだと思います。ラムザは、私の知りうる限り、世界でいちばん優しい人です。その優しさは、幼い頃から花や小さな動物を愛する心を、絵本を通して学んできたからではないでしょうか。絵本を読むことで想像力を培い、誰かを傷付けることの辛さを知っているからだと思います。……残念なことに私には、その能力がありません。どんなに勉強が出来たって、人間として最も大切な物を忘れていては意味がありませんし、優しさのない人には誰もついてこないでしょう」

「ディリータ……」

焦ったような目で、ラムザがディリータを見る。机の下に手を伸ばし、心配そうに向こうからも伸ばされていた手のひらを優しく叩く。

「……風邪をひいても知らんぞ」

父はぶすり、そう言って立ち上がった。さっさと振り返ったのは、浮かんでは消えぬ笑みを見られるのが恥ずかしかったからだ。足を速めて、食堂から出て行く背中を、ディリータはやれやれと背中をもたれさせ、ラムザはびくびくしながら見送った。

「……お、怒ってるよ、父上……」

「あれくらいで怒るわけないだろ。……お前には怒れないんだよ、あの方は」

ディリータは小さく笑って紅茶を飲んだ。

ラムザが最後の一口を飲み終わったそのタイミングで、メイドたちが食卓の片付けを始める。行こうか? 二人で立ち上がったところに、メイドの長が満面の笑みで立ちはだかった。

「マリアさん……」

「坊ちゃんたち、お部屋の方にコートと手袋をご用意しておきましたよ。それから、毛皮のブーツもね。外で雪遊びもいいけど、あんまりお父様に心配かけちゃあいけませんよ」

「……はぁい」

ラムザが困ったように笑って答えた。

「それから、シーツも取り替えておきましたからね」

父に対しては強気の姿勢だったディリータも、ラムザの手を引っ張って逃げるように退散するのだった。

 

 

 

 

着込んで繰り出した街路の除雪は遅々として進んでいなかった。しかし、それは多くの子供たちにとって都合の良いことだった。ブーツの底が雪を踏み固める音さえも楽しみながら、雪球を放り、だるまを転がす。二人は石畳だった道の、まだ誰も汚していないところを選んで歩いて疲れながら、本屋の前を通り過ぎる。

「それで。どこに行きたいんだ?」

「別にどこでも。雪の中歩きたかったんだ。……そうだね、うん、まだ誰も触ってないまっさらな雪のあるところに行きたいな」

処女雪に一番最初の足跡を付けることに、子供は驚くほど拘る。侵されていない領域に忍び込み、そこを一人占めしたいという欲求は、ある年齢になって急に生まれるものではなく、その種は幼い頃から誰しも胸の中に抱いているものなのだ。

二人はあの平原に向かって、普段の二倍は歩きにくい雪道を歩いた。どうかまだ、誰も僕らの雪に触れていませんように、そう願いながら。

彼らは町外れまで来て、再び呆然と立ち尽くした。

「誰も」という訳にはいかなかった。点々と、けものが走り抜けたらしい小さな穴が空いている。しかし、銀野原。もうすこしもすれば、嗅覚の鋭い子供たちがここを見つけて汚してしまうのだろう。だから、それだけにこの雪原は神々しく輝いていた。薄雲の合間から覗く陽光が眩く照らす。

「……ちょっと、歩いてみない? 向こうのあの、杉の木の所まで」

「え? あ、おい」

冷たい足の指先が雪を圧し固める歯ぎしりの音を楽しみながら、ラムザは答えを待たずに歩き出した。焦って、足をとられがちになりながら、ディリータは追いかける。全くラムザは本当に子供なんだから――そんな風に思いながら、心から羨み、そして、いとおしく思う。ラムザはたっぷりと雪を抱いた杉の木に近づくのが恐くてディリータを待ち、そして急襲、押し倒してそのまま冷たい口付け。耳に雪片が滑り込み、ディリータはびくびくと震えたが、ラムザは止めない。雪の中で凍死兼窒息死させんばかりの勢いで、頬を押さえ、深々とその唇を支配した。凍り付きそう、本当に氷の彫像になっちまう、何とかディリータはラムザを押し退け、耳の中の水を叩き出した。ラムザは雪に塗れて、えへへと笑う。例の如く、言いかけた言葉は蒸気のように上の方へ消えて、へたりと座ったラムザの隣、雪の中に自分もへたり込む。自分が押し倒された所が一呎ほどめり込み、あたたかな下土が露出していた。

「汚れちゃうだろ……」

「ディリータこそ」

地面に張りついて生きる影は、汚れるのなんて恐くないんだよ、言いかけて、そんなことよりもとコートを脱いで広げた。

「座るんならこの上に」

「マリアさんに怒られちゃうよ」

遠慮がちに身体を乗せる。

「俺がドジやって転んだとでも言えばいいさ」

俄か風呂敷きの上に二人向かい合って座る。自分より一枚薄着になったディリータの体温を、北風に奪われてしまうのが恐くて、ラムザは自分より二回りも大きいディリータの身体を胸に抱き寄せた。窮屈そうに抱かれ、一人分の外套で肩を包れたディリータは、その胸いっぱいに、なまあたたかなラムザの香りを存分に含んだ。

「優しいな、ラムザは……」

まだ見ぬ春に吹雪く桜のはなびらを、目覚めるけものたちのざわめきを、醒めない眠りを、感じた。 背中に回された手を感じて、ラムザはその頭を、抱き締めた。足の指先がかじかんできた、だが、いっそ本当に凍死してしまうまで、このまま抱き合っていたいと願えば、二人で同じ天国に行ける気がしてならない。 二人が撫育する喜びは、二人の身体いっぱいに成長する。春になっても、雪は永遠に解けない。滅び

ぬ純潔、永劫、破れぬ約束、抱き締め合う腕は鎖のように強固な証だ。

「どうして僕らは、こんな風に同じ事ばかり繰返せるんだろうね」

首を屈めてラムザはその耳元に囁いた。

「……他にやり方をよく知らない。俺たちの中に、気持ちが一つか二つくらいしかなくて、……ん、それを、何とかして伝えようとして、もがいてる。……いまのところこうやって、くっつくことが、やり方だと思ってるからな。……ちょっと苦しい」

もごもごと言い終わり、胸の中で顔を上げたディリータの顔は熱で赤味が差していた。暖かそうで、ラムザはその頬に頬を寄せる。

「原始的なやり方かもしれないけど、でも俺はこのやり方が一番好きだな」

ラムザが同じ気持ちであることを、聞く必要もなかった。

再び雪が降り出した。風も少し強まり、すぐ側の杉の枝から雪塊が崩れ落ちた。

「……ラムザ。寒くないか、大丈夫か?」

頷く角度が浅い。瞬間だが、その目が彼自身の靴へ向けられたのを、ディリータは見逃さない。

「足見せろ」

「……いいよ、平気」

「言うこと聞くんだ。見せて見ろ、冷たいんだろ。……ほら、濡れてるじゃないか。毛皮のブーツとか言ってたけど、…俺のもしみてる。水はじかなきゃ意味ないよな…」

これならまだ、履き心地の悪いゴム加工の靴の方がよかったというものだ。偉丈「婦」マリアの心遣いは空振りに終わったがディリータは一応の礼を心中で言い、ラムザの靴紐を解いた。この紐は自分が停めたものだ。ラムザが蝶結びも出来ないわけではない、いつも彼が結ぼうとすると、反射的に手を伸ばして結わえてしまうディリータだった。だから蝶の向きはいつも逆なのだ。

「靴下もびしょびしょだ。冷たかっただろ、可哀相に……」

「い、いいよ、ディリータ、そんなわざわざ」

靴下を脱がせようとする手を、制止する。だがディリータは聞かない。白く冷たく濡れた左足にあたたかな息を吐き掛け、手袋を外した手で包み込む。この犬は、主人に対して、攻撃的なまでに従順なのが常だった。ラムザの足が正常な温度まで戻ったことを確認すると、ディリータはすぐに反対の足も裸にして、両手で包んで暖める。

「……暖かいだろ、こうすると……」

戸惑ったように、ラムザは頷いた。

「お前、靴下一枚しか履いてないんだものな。俺みたいに二枚履いてくればよかったのに」

「う、うん……、ディリータ、その…、もういいよ、暖まったからさ」

ディリータの手が退けられると、ほっとしたようにラムザは自分の手で何度か足を揉み、靴下に手を伸ばす。しかし手袋の中からも解かるほど、水を吸ってじっとりと濡れて重たい。

「俺の内側の靴下貸してやろうか。ちょっと大きいかもしれないけど、濡れてないから」

「そんな……いいよ」

「別に水虫なんかかかってないから」

「そうじゃなくて……。ディリータだって寒いでしょ」

「俺なんてどうでもいいんだ。つまんないこと気にするなよ」

僕にとっては全然つまんなくないことなのに。

ラムザは言えなかった。ディリータがすぐに裸足になって、小さな足に大きな靴下を被せてしまう。ラムザは何だか俯いてしまう。優しさが逆に痛かった。

「……ディリータの足だって、真っ白だ」

片足、恋人の靴下に包まれて、居心地の悪い人心地をついた。履いた靴下は、決して暖かくない。二枚目にもしみてしまったのか、微かに冷たい気もする。これでは裸足同然、いや、裸足の方がいいのかもしれない。だがディリータの優しさを無にする事は出来そうもなかった。

「俺のはいいんだ」

「……よくないよ……、かして。暖めてあげる」

ラムザは屈み込み、予想通りひんやりと冷たい足の指に白い息を吐き掛け、手袋を外した手で包み込んだ。その体温が心地よかった、ディリータは抗わなかった。

「ありがとう。……もういいよ、今度はお前の手のほうが冷たくなるから……。お前は優しいな、ラムザ」

「……ディリータがやったことじゃないか」

「でも、お前がやってくれる方がずっと上手だし、優しいって思えるよ」

従僕が主人の身を案ずるのは当たり前のこと、その逆だから、大きな意味があるのだとは言わなかった。だから、自分のもう片方を履かせようとした時に、ラムザが足を引っ込めて言った言葉に、ディリータはやはり強く胸をうたれた。一生、この人のそばにいたい、一日に何度も零す無意識の慈愛に満ちた言葉に彼は、一日に何度もそう思い、この人を幸せにすると誓うのだった。

「半分こしよう。僕は右足暖かいから、君は左足……ね?」

立場では圧倒的に上に立っているのにも関わらず、ラムザは縋るように願う。その瞳にほだされて、ディリータは左足に再び靴下を戻した。

「ディリータ、あのね……そんな、心配しなくてもいいよ。僕はそんな簡単に壊れたりしないから」

嘘を付け。お前は俺の両腕で、強く抱きしめただけでも壊れてしまいそうだ。冬は簡単に凍ってしまいそうだ、春は風に飛ばされてしまいそうだ、夏は太陽で燃えてしまいそうだ、秋は心の痛みで眠ったまま目が覚めなくなってしまいそうだ。そんなお前を…。

「心配しないなんて、無理だよ、ラムザ」

抱きしめる。仔猫、雛鳥、華奢で柔らかで優しいものを抱きしめる腕には、恋人を溶かして亡くしてしまうほどの熱が篭り、それを必死に抑制する情が篭っている。 ラムザは腕の中で困ったように笑うしか出来ない。

(もう、ディリータは……)

 大好きだよ。 言葉にはしなかった。ただ喉の奥から想いを解き放っただけだ。しかし、歯磨き粉の香りの白い息が、ディリータの目の前を通り過ぎた。それだけで、伝わるのだった。

「大好きだよ、ラムザ。大好きだよ……、大好きだよ」

呼吸をするように当たり前なその言葉に、全身が熱くなる。ラムザは頑丈な体に、頓着することなく縋り付く。大好き、大好き、大好き、……大好き、何でこんなに……嬉しくて大好きで好きで痛いんだろう、ずっとあなたと、痛いと想うんだろう、願うんだろう。何度も聞いてるはずなのに、頭にこびり付いて一生剥がれない声なのに、何で一秒もするとまた、もいちど言って欲しくなるんだろう? ラムザは泣きたいような気持ちになった。喉の奥まで鳴咽が溢れかけた。衝動を、大きくその香りを吸い込むことで回避しようとする、余計に溢れそうになる。焦ってその胸から顔を話し、目を閉じて開く。何度も瞬きをする。少しだけ潤んだディリータの顔が戸惑っていた。

「……どうした?」

「ん、セーターの、毛玉、目に入った……」

「大丈夫か? ……見せて見ろ」

「大丈夫だって。もう取れたよ」

にっこり笑う。恋人の表情が、明らかに安らぐ。僕の安らぎは、この人の願い。やっぱり、僕らは同じ。 初めて読んだ活字ばかりの本に、オシツオサレツという名の不思議な動物が載っていた。彼らのように、一生つながっていたい。ただ、お尻とお尻がくっついていては、えっちは出来ないし、同じ物を見ることが出来ないけれど。

「ディリータは心配症だね」

肩を竦め、恥じることなく言う。

「一生治らないだろうが、これはこれでいいだろう? その分お前は何の心配もしなくていいんだし」

「たまにはディリータの心配だってしたいよ」

「そんなことに神経使うなよ」

言いながら、ディリータは手を伸ばして裸足に触れる。再び冷たくなり始めている。ラムザは再び包み込まれて、もう諦めの笑いを浮かべていた。その真剣な表情、視線に、ラムザは鼓動が少し早くなるのを感じた。

ディリータにとってラムザが、セックスアピールの塊であるのと同じように、ラムザにとってもディリータは全てに感じる危険物だった。ディリータに淫乱だと呆れられるほどにカラダを求めてしまうのは、ディリータの見せるふとした仕種に、幼い性欲が簡単に燃えてしまうからだ。額に下りてしまった髪の毛を面倒そうにかきあげる、コーヒーを呑んで目を閉じて覚醒の吐息、勉強するときの細めた目、当たり前のことにまで、ラムザは欲情出来た。ディリータも当然、同じ気持ちを抱いてはいたが、彼のほうがそういった事に関しては、やはり打たれ強いのだった。

優しさに満ち、自分だけを見つめる、真剣な瞳。短い時間に、これだけ浴びせられれば、もう立ち上がれない。本当は……、大好きだと、あたたかな腕で抱いてくれていた時から君に感じていたと言ったら、君はやっぱり僕を淫乱だと笑うのだろうか。

「ディリータ、ねぇ、寒いのは足だけじゃないよ」

「……ん?」

いたずらっぽい微笑みで、コートのボタンを全部外す。セーターとベルトの中からシャツを持ち上げ、白い臍を見せつける。ディリータは呆然とそれを見た。

「カラダ中、さむいよ。遭難した人みたいに、人肌であっためて」

「……そんな……」

「いいじゃない。してくれない?」

ディリータは表情を曇らせて、雪原の向こう、最後の一軒の陰から見え隠れする小さな子供たちの遊ぶ姿を指差した。

「見えるだろ、あそこから」

「見えやしないよ。見たってあの子達には意味もわかんないさ。ほら、さむいよディリータ、ちゃんとあっためてよ」

と言いながら、ラムザはセーターを、シャツを、下着を、次々と脱いでしまう。続けてベルトを外し、ズボンと下着も一時に。本当に寒いのだろうか、しっかりと熱を集めた茎が見えるところまで下ろし、強請る。

「ねえ、ディリータぁ、寒いから、あっためて」

「お、お前なぁ……」

「あっためてくれないなら、今すぐあの子たちの前まで走ってくよ」

この子ならやりかねない。立ち上がりかけた肩を慌てて止めて、

「わかったよ……」

この弱さは、立場だけの問題ではなかった。決して、そんな単純なものではないのだった。寒い寒いと言うくせに火照るからだ、結局ズボンも完全に脱ぎ、片足だけのブカブカ靴下という姿で、ディリータに纏わり付く。ディリータは胃痛を感じながら、それまでとは質の違うキスを一つ、赤らんだ頬に。北風に耳が千切れそうになる、この子のあそこも、しもやけになってしまうんじゃないか、そう考えて、慌てて他のところよりも明らかに体温の高そうなペニスを握った。

「きゃん!」

冷たい手に包まれて、ラムザが一声、跳ねた。

「つ、めたいよぉ、ディリータ、ねぇ、手じゃなくて、お口でして、お口のほうがあったかいでしょ?」

「あ、ああ……」

ディリータは少し残念そうに手を放した。握った瞬間の暖かさが、冷え切った手に心地よかったのだ。ラムザが自分で、先端の皮をめくって見せる。後ろに手をつき、足を大きく開く。ディリータは中心に顔を埋め、謝罪するように何度か舐めてから、口の中で果実を転がしはじめた。ラムザは恍惚として、意識の外を動く右手の指で、乳首を摩っていた。

「……んん! ……はっ、……あったかい、きもちいよぉ、ディリータ、……ん! あ、……はぁ、あ、んぅ」

屋外だということを忘れているのか、あるいは屋外故にか、妖艶な声をそのまま流す。ディリータは眉間に皺を寄せつつ、しかしこの美しさを神は許すであろう、そんな事を考え始めていた。人の子よ、この美しさの前に跪くがいい。全ての美という美はここに集約され、一人の美少年を、神へと近づけた。この少年の前では、全てが赦される。さあ、祈りなさい。天上の舞を覗き見し罪もこの裸身に祈れば、口を封ずることで償えるであろう。

つまるところ、ディリータも激しく興奮しはじめていたのである。

「ディリィ、ねぇ、出したい、いきたい……、呑んで……、あ、あ……あっ」

立ち上がった乳首をつねり、吸い上げるようなディリータの口の中に、彼は三度四度震えて解き放った。自分の精を満足げに呑み込むディリータに見惚れる。嬉しさに痺れる。再び感じる。

「ありがとう……。すごい、よかった……」

「……ああ……」

ディリータの吐いた溜め息に、ラムザはどきりとして、思わず訊ねる。今更の気がしたが、射精直後に生まれる焦燥感と微かな後悔の念がそうさせた。

「ごめん……、ディリータ、その……ひょっとして、怒って、る?」

ディリータは答えない。そのかわり、再び頭を股の間に入れて、くたりと首を下げ、再び顔を隠してしまった性器を素通り、太股に舌を這わせ始める。

「ディリータ……」

「……今更になって謝るな。やっぱりやめようなんて、言うなよ?」

まるで太くない太股を舐め、吸い、秘密の印を付けながら、ディリータの口は再起するラムザのペニスから徐々に遠ざかる。太股に満足したら、足を担いで膝の裏を舐める。ラムザは仰向けに寝かされて、左足を湿らせていくディリータを見上げているほかない。快感もあるのだが、それ以上に奇妙な感じだ。普段はそんな拘泥されるような場所ではない。

ディリータは、膝から脛、脛から足首へと舌を映していく。ごくごく薄くだが、ラムザの脛にも発毛があった。しかし髪と同じく、神々しい黄金色のそれは、口にして初めて解かるという程度の物に留まっており、やはり造形美ここに極まれり、ディリータは悦に入る。 踵まで舌が達し、ラムザは思わず足をずらした。

「そんなとこ、舐めるの…?」

「キタナイ、とか言うなよ。汚さで言ったらそこやお尻の方がずっと、なんだからな」

そして、ディリータはラムザの足を下ろす。半身を起こしたラムザの前に跪いて、再び体温を無くした足の指を口に含む。ラムザは目を強く閉じて、耐えることを

余儀なくされた。 もっと幼い頃に、じゃれあって足の裏を散々くすぐられて、泣くほど笑ったことがある。ラムザはセーターのタグも着る前に切ってしまう程のくすぐったがりだ。だが、今咥えられ、舐められて抱く感触の中に、くすぐったいという種類のものはなかった。

「い、やぁ……」

辛いはずなのに、裸身の中央で、ペニスは勢いづく。ディリータはラムザの足指を、親指から順に、慈しむように咥え、舐めて行った。続けて足の裏、土不踏、そしてもう一度親指を舐めて、ようやくラムザの足を解放した。その頃にはラムザはすっかり、その舌の感覚に酔うばかりだった。

「……触ってないほうの乳首も、真っ赤だ。苺みたいに」

ディリータは笑って言う。手近な白雪をそこに乗せる。ラムザが小さな悲鳴をあげた。雪はすぐに溶け出して、透明な水になって流れた。

「氷イチゴ」

「んん、ばかぁ……」

「冗談だよ。……ラムザ、すごく身体熱いよ。もう寒くなんかないだろ」

「やめちゃやだよぉ」

「止めないって、俺が止まらないし。……お尻見せて」

動物の格好で、ディリータに晒す。当てられた舌がひんやりと感じられるほど、身体が火照っていた。指で入口を左右に引っ張られ、空間に舌を差しこまれると、ラムザはツンと尖った性器を擦りたくて仕方が無くなる。何だか、胸とあそこがしみるのだ。だがディリータに咎められ、欲求の津波を、微かな理性の薄氷の上で踏みとどまる。だが、恋人の指が二本になり、三本になると、もういけない。

「いきたいよお、もう、弄って、いいでしょ……?」

「……まだ駄目だ。指よりもコレのほうがいいだろ」

こちらを向かせて、ピンク色のペニスを突つく。尻に何度も力が入り、震える。ラムザは「いじわる」と潤んだ瞳でなじり、ようやくディリータが取り出した男根の上に、自ら腰を下ろす。接合して、一つ桃色の溜め息を吐いてから、気付いた。ディリータは全く服を脱いでいない。ズボンのベルトを外して、性器を出しているだけだ。セーターも着たまま。それに対して自分は、屋外だというのに裸体を晒し、その上尻に同性の性器を咥え、自分のそれは感じすぎて破裂寸前まで追い込まれている。ありえないものがここにいる、大きなギャップが、ラムザをさらに盛らせた。

「ディリィ……早く、動いて……。お尻の、お腹んなか、あつくて、ムズムズする、ディリータの、欲しい、白いの一杯……、ねぇ、頂戴」

ディリータは笑うと、背中を倒し地に付けた。

「好きなだけ、な……、絞り取ればいいじゃないか。お前の欲しいだけ」

言うと、ラムザはこっくりと頷いて、膝で体を支えて体を上下に揺さ振りはじめた。体内の挿入角度がちょうど直角になるように体の位置を調整し、往復のスピードを増していく。斜め下から、自分の媚態すべてを見られているということに激しい感動と興奮を覚えるのだ。いやらしい表情を、長く弄って腫れあがらせた乳首を、艶めかしく蠢く腰を、さらにはペニスの裏側までも晒すことが、心底に露出の趣味を隠蔽して生きるラムザには至上の快感を与えていたのだ。ラムザは弱い握力を全て注ぎ込んで自分の茎を潰さんばかりの勢いで強く握り、たどたどしい手つきで擦った。ディリータが戯れに、一瞬腰を動かし、ラムザの往復のペースを乱す。ラムザのペニスの先がひくひくっと動き、皮の隙間から曇り空と雪に向かい、射精した。雪の垣間を縫って放たれたそれは湿り気を帯びはじめていたディリータのセーターに付着した。ラムザは今しばらくは止まらない快感に震え、陶酔しきったような表情で放たれたばかりの証を見つめていた。

「……もう、汚れたってしょうがないよな。気持ちいいんだもんな?」

ディリータが、代わりに言い訳をした。 ラムザはとろんとした目でディリータがそれを指で掬い取り、唇に運ぶのを見ていた。自分もディリータのその液体を、僕も早く自分の腸壁で味わいたい。衝動に駆られて、再度尻を左右に揺らし始める。 自分の二発分がディリータの一発分であるという法則に、うすうす感づいてはいたから、次は我慢してでも、いっしょに終わりたいと思っていた。ラムザは無論のことだが、ディリータもまた精力に関してはかなりの強さを持っている。そのことを知らないラムザではなかったが、いいかげん吹雪になりはじめた雪景色の中での交渉を長く続けることを、ディリータがどこまで望んでいるかは知れなかった。倫理観の強い人だから、恐らく到達したあとには強い後悔の念が生まれてしまうだろうから。

「ディリータ、抱いて、ほしいよ」

身を起こして、抱き寄せる。ラムザはその首に顔を押し付ける。

「俺、何か……、着てるからかな……、すごい暑い。汗臭いかもしれないぞ」

ラムザはそのまま首を横に振るう。

「いいにおい……興奮するよ」

「……ありがとう。俺もラムザの出したやつの匂いですごく興奮してる。何か、生臭くって。……足の指とか冷たくないか?」

「ん……。まだ平気、ちょっとひんやりするけど……」

「きっと全身の血行がよくなって、足の先まで行き渡ってるんだろうな」

ディリータはラムザの顔を起こさせ、口付ける。ほぼ本能的にと言っていいほどの理由で唇を開いたところに、舌を忍ばせる。生ぬるい舌を味わい、互いの唾液を流し込み合い、いっそ切ないほどに甘いキス。徐々に唇を放しながらも、舌だけは絡ませ合いながら、ディリータはゆっくりと、広げられたラムザの太股を支え、ゆすりはじめた。ラムザは離れそうな舌が我慢ならなくて、再び唇を重ね、噛まれても後悔しないと、恋人の口腔奥深くまで舌を挿入する。迎え撃つ舌の動きが生なましい。

「んん、んっ、はっ……んんん、ぅん!」

呼吸するのももどかしい。粘つく唾液を存分に絡ませあう、舌が少し冷たい。自分のはまるで感じないのに、ただの唾液、なんであなたのはこんなに、美味しい? そして、こんなに、盛ってしまうんだろう? ディリータに触れられてもいない幼根が不規則に震える。

――ディザイア――

こみあげてきた液体にぶるりと震える。零さないよう必死に脱力するが、ディリータの男根に奥を強く突かれ、反射的に肉の芯に力を込めた。ぐ、ぐ、とディリータの肉棒を肛門で味わい、耐えられず締めてしまった括約筋、前立腺が全身を支配して、桃色の亀裂から雪色の濁水を射出させたその最中、温くなめらかなものが心臓に向かって放たれるのを感じ、すべての誇りを捨ててまで求めていた快感に、舌も収縮も忘れ、淫らな吐息と、ただ射精だけ。遠くなった意識は、頭を抱き寄せたディリータの腕によって何とか飛ぶことなく保たれた。気付けに、キス、キス、キス。薔薇色に染まり涙が零れ落ちた頬に、涎に濡れた唇に、むきだしの鎖骨に。しゃぶりつくように。

「あぁ……あー……ぅん…」

ラムザが一つ震え、初めて、この雪原の、殺人的な寒さを感じたのは、ディリータが自身を彼の坩堝から抜き取った時だった。

「……さあ……急いで。早く着ないと、……ちょっとこの寒さは、まずいぞ」

分かっている。分かっているのだが、体は動かない。大きすぎる余韻、くちゅんと音を立てて溢れ、外へと戻っていく液体の感触がたまらないのだ。ディリータは冷や汗もので、ラムザの体をコートで包み、もう片方の靴下、それから両手の手袋をはめさせ、自分の物を終いベルトを締め、急病人を運んでいる風情でラムザを担ぎ上げ、足を取られる新雪の上を大股で歩きはじめた。

「……なんか…興奮するよ、ディリータ、すっぽんぽんで、コートだけなんて、変な人みたい」

「黙ってろよ。言わなきゃバレやしないんだから……」

とにかく、暖かいところへ……早く。急速に熱を奪われ、顔色が白を通り越して灰色になり始めたラムザに焦りながら、ディリータは老いた店主がストーブにあたる、書店に転がり込んだのだった。

「……んん、あったかぁい……」

ラムザが寝ぼけたようにつぶやいた。

「すみません。ちょっと、休ませてもらえますか」

店主はディリータの担いだ金髪を薄目に見た。

「ラムザぼっちゃまですか。……いかがなされました」

ディリータはコートのすそから覗く、艶めかしく白い足を目立たぬよう隠した。

「雪遊びをしていて……池に落ちてしまったんです。少しだけでいいので、休ませていただけませんか」

店主は立ち上がり、恭しく礼をする。

「承知いたしました。いま、あたたかいお茶と毛布をご用意いたしますよ」

店主が店の奥へ消えたのを見届けて、ディリータはほっと息を吐く。ストーブの前に積まれた古本の山に、何とかラムザを座らせ、自分はセーターとシャツを脱ぎ去り、抱き寄せる。恐ろしいほど冷たい体に、自分を呪った。

「んー……ディリィ、あったかいよぅ……」

「……大丈夫。すぐ、暖かくなるよ」

冷たい体よりもなお、ディリータの心は凍り付いた。何て無鉄砲で愚かな俺。ラムザの背中を摩る。ラムザの頬に赤味が射し、その目が冴えはじめたのをみて、ようやく安堵の吐息。ラムザが「だいじょぶ」と座り直し、ほぅと一息吐いて、「あったかいねぇ」とストーブに手を翳したのを見て、ディリータは正直、その場に昏倒してしまいたかった。

「……なんか、ほんとにへんな趣味の人みたい。こんな、すっぽんぽんに靴下と手袋だけつけてさ、それでコートなんて」

クスクスと笑う。ディリータが思っていたほど、ラムザの体は冷えていなかったようだった。この少年が絡むと、ディリータの判断能力はひどく鈍ってしまうのだ。

「服は?」

「ここにある。池に落ちた割にはあんまり濡れてないけど」

雪と土で湿っぽく、うす汚れている。片手だけで自分を担げるディリータの腕がいとおしかった。ラムザはすがりついて、嗅いだ。

「ディリータもなんか冷たい」

「そりゃあ……、冷めたからさ、冷たくもなるよ。気がつかないんだな、やってる間は、熱いっていうしか頭に無い。知らない間にどんどん冷えてくんだ。気を付けなきゃいけないな……この季節外でやるときは」

「またやる?」

「……出来れば御免こうむりたいけど」

ラムザは邪気のない笑みで、少しだけ、もう「冷めた」ディリータの部分をズボンの上から手のひらで包んだ。

「ラムザぼっちゃま、毛布と、暖かいお茶ですよ。…ディリータさんも」

「あ」

ラムザは手を離し、座り直した。

「どうも、ありがとうございます。すみません、迷惑かけて」

老人はにっこりと首を振る。カウンターに乗せた一冊の本に手を伸ばす。

「おいしい……。本当に、すいません。でも、人心地つきました」

「それはようございました。……実は、すぐお城の方にお持ちしようと思ったのですが」

と、それを丁寧に差し出す。ラムザが口実に使った、絵本だった。

「つい昨日、届いたのですよ。今朝にでもお渡し出来ればと思ったのですが、なかなかこの老いぼれにはきつい朝でした」

目付きのよくない猫が描かれた、大きな絵本に、ラムザがぱっと微笑む。そして、三度すまなそうに、頭を下げる。

「……いや、本当に、僕、取りに来ましたよ、教えていただければ。……勝手に頼んだのに、申し訳ないですよ、届けていただくなんて」

カップと毛布で手のふさがったラムザに代わり、ディリータがそれを受け取る。

「しかし、ぼっちゃま直々に取りに来ていただくなど、恐れ多くて出来ませなんだ。わたくしがお父上に怒られてしまいますよ」

茶色い紙をディリータに手渡す。ディリータはそれで手際良く、絵本を包んだ。包み終えてから、湯気を浮かべる紅茶のカップを手に取った。

「その紅茶の葉は、わたくしの息子の農園で栽培しているものでしてな」

白いカップにたたえられた、限りなく透き通った赤紫の液体は、一口飲むと確かに、上品な香りが静かに広がる。かすかに感じられる甘みと苦み、そしてその静けさが、その茶の質の良さを語っていた。

「……私の名前を、ご存知だったんですね」

ディリータは室内でも白い息を一つ吐いて、老人にたずねた。

「ええ。存じ上げております。ご幼少の頃に何度か、お目にかかったことがございます。まだお二人が四つくらいの時でしたから、覚えておいでではないでしょうが」

四才の頃、克明な記憶は少ないが、いつも知力体力に優ることを盾に、ラムザをからかっていたような気がする。その頃はまだ、今のような複雑な形の想いなど、抱いてはいなかった。ただ、夜が来て、ラムザと別々の部屋で寝なくてはならないことが悲しかった。

「わたくしはそのころ、お城の厨房でコック長をしておりました。ラムザぼっちゃまが五つになられるのと、ほぼ時を同じくして引退して、この店を開いたのです」

記憶を手繰ってみる。四才までと、それ以降、食事の味が変わったか? そんなこと、幼児に理解できようはずも無い。だがここにもまた一人、幼い自分の姿を知る者がいるという事実を知り、ディリータは急に居心地が悪くなった。

「……すみません、そうだったんですか……。思い出せなくて……」

ラムザも同じく、その事実をたった今知ったようだった。名前も知らない、ただ「本屋の主人」という認識しかなかったこの老人と自分の、重要かつ見えない接点を見つけて、急にこの書店の一角が、自分の家であるかのような親近感を覚える。

「でも……どうして、コックさんから本屋さんに?」

空になったラムザのカップを受け取り、主人は懐かしむような目で答える。

「旦那様から、ぼっちゃまのご覧になるご本を手配するようにと召し使ったのです」

元コック長の彼は、バルバネスのことを「旦那様」と呼んだ。

「わたくしは、隠居して、息子の農園に厄介になろうとも思ったのですが、お城とこの街と、そしてお二人と離れるのが寂しかったのですな。ありがたいことに旦那様は、退職金がわりとして空き家だったこの家をわたくしに下さいました。そしてこの店を、ご主人と、そしてぼっちゃま御用達の本屋としよう、とおっしゃっていただいたのです」

「僕、御用達の……?」

老人は笑う。

「ぼっちゃま、わたくしも絵本は大好きです、優しい気持ちになれますからな。……ですが、この店にはぼっちゃまに読んでいただくための、たくさんの本があります。たまには、文字ばかりのご本も、お読みになった方がよろしいかと存じます。そうすればきっと、旦那様も喜ばれますよ」

ラムザはばつの悪そうな、曖昧な微笑みを浮かべた。老人の話のおかげで、体は、芯まで温まってきた。

「お召し物の方はいかがいたしますか。ぼろきれですが、わたくしのものでサイズがあればお貸しいたしますが」

「いえ、……もうあらかた乾きました。お気遣いありがとうございます」

ディリータは、ラムザを立たせ、手早く服を着させていく。あらかた、どころではない。湿ってすらいない。ラムザはひんやり冷たいシャツに背筋を伸ばした。片方だけのぶかぶか靴下は、仕方が無く脱がせた。ラムザの靴下だけが、唯一まだ乾いていないのだ。かがみ込み、ブーツの紐も全て結ぶ。家を出た時とまったく同じ格好のラムザに戻った。ディリータが、ラムザを甲斐甲斐しく世話する様子を、老人は、二人の父が抱くものと同じ気持ちを抱いていた。

「あの、……僕、一つ謝らなきゃいけない……」

恥ずかしそうに、ラムザが切り出した。

「僕、今日、どうしても外で遊びたくて……。父上に嘘ついて出てきたんです、本屋さんに行く、って……」

「お気になさらず。実際こうして、寄っていただいた訳ですから」

老人の優しさに感謝して、ラムザは立ち上がった。申し合わせた訳でもないのに、ディリータも同時に立ち上がる。ラムザの一挙手一投足、その動き全てを知り尽くしているのだ。

「本当に、お世話になりました。……その……、はしたない格好でお邪魔しちゃって、ごめんなさい」

老人は目尻に皺を寄せる。

「今度、わたくしのアップルパイをご馳走させて下さい。お二人が美味しいと言ってくださったことのある、自慢の品でございますよ」

ディリータの畳んだ毛布を受け取る老人の言葉に、ラムザははっきりと頷いた。

「必ず、お伺いします。……ご主人も、ぜひまたお城に、いらしてください。……僕、何かおもてなしを考えておきますから」

「楽しみにしておりますよ。……小降りになってきたようですな、お風邪など召されぬよう、お気を付けて」

二人は丁重に礼を言い、書店を辞去した。室内が暖かかった分、外の冷気は二人にこたえた。しかし老主人はわざわざ扉の外まで出て、二人を見送る。もう一度、二人は頭を下げて、あとはまっすぐ城へと向かった。老主人の言葉どおりの記憶を、二人ともたどる努力をしていたから、自然と言葉は少なくなった。

「……アップルパイは、僕覚えてる」

「……俺は覚えてない。……でも、目玉焼きの乗ったハンバーグ、……あれ、ここ十年ちょっと食べてない気がするのは、……今のコックさんたちが作ってないからか?」

交わした言葉はそれだけで、また冷たくなってきた足を急がせた。

 

 

 

 

絵本のタイトルは「百万回生きたねこ」とある。ラムザは読み終わった後、枕に顔を押し付けてしばらく動かなかった。はじかれたように立ち上がった後は、傍らで読書をしていたディリータにすがり付いた。

「この猫ね、百万回生きて、ずっと生き返って、だけど最後に好きな人が出来て、もう生き返れなくなるんだ」

「……? ……うん」

ラムザの目がきらきら光っていることに気を取られるせいで、その言葉の大意が飲み込めない。

「僕は初めて生きてるつもりなんだ。ディリータに、初めて会った。ディリータのことがこんなに好きで堪らない。わかんないけど、愛してるって言うしかない…。僕にとって最初で最後の生……」

「……?」

ディリータはラムザに請われるまま抱きしめて、震えるその髪を、とにかく優しく、あらん限りの愛を込めて撫でた。

人は何度でも生き返る。愛する人に出会うまで、何度でもそのチャンスを与えられる。産声を上げるのは、喜びと歓喜ゆえだ、その涙を零すのだ。初めての生で、愛する人に出会えた、幸せになる切符を手に入れた、自分たちにはもう次はない。今、この生を存分に生きること。 誰もが当たり前のように生きている、そんな事実を忘れている、今気付いた、こんな何でもない当たり前の幸せに。

「君に抱かれて、あんなに泣いてしまうのは、きっとそのせいだね」

死んでしまったら、生き返れなくなったら、もう君に出会うチャンスはないだろうから。

でも。どこかで信じたい、僕たちは死んでも、生き返れなくても、その先にある何処かで、永遠を手に入れられる、永遠に一緒にいられる、二度と離れない。

光と影のように切り離せない魂として。大丈夫、だと思いたい。

もちろん別の解釈もある。死んだからこそ、一緒になれる、と。

誰にもその先にある場所のことなど、わからないけれど。 自分の死に場所を選びたい。出来るなら、しわくちゃのおじいさんになってからでもいいから、この人と抱き合って、最期を迎えたい。そうしたらきっと神様にも祝福してもらえるだろうから。仮に僕らの形が、ちょっと変わってたとしても。同じ場所に行きたいと願う。 光と影。鏡のようにまったく同じ動きをするもの。いや、そうでなくても、せずにはいられないのだ。相手が手を伸ばしたら、こちらからも。

 

 

 

 

「……おかしいなぁ……、去年湖行ったときはひかなかったのに……」

「……吹雪の中に裸でいりゃ……そりゃひくさ。……でも何で俺まで……」

「でもさぁ、馬鹿なんだから風邪はひかないはずだよ……なのに」

父と次兄とマリアに「別々の部屋で休みなさい」と言われているにも関わらず、だるいからだをならべて体温のうつしあい。さすがにラムザも、この状況では性欲を興す気にはならないものの、布団の中で手を繋いでひっつきあうのは楽しい。 熱に愚痴をこぼしたいディリータではあったが、同じ体温を、心の何処かで歓迎しなくも無い。以前ラムザのわがままにより湖畔で愛し合った翌日、彼だけが風邪をひきラムザは無事、ラムザがひどく胸を痛めたということがあった。あの時のラムザの痛みを知るよりは、こうして一緒に風邪を治した方がいい。出来れば、こじらせる前に。

「……あー……なんかぽーっとするよ……」

ラムザは何度瞬きしても定まらない焦点をディリータに当てる。赤い頬のディリータも同じような状況だった。じっとりと汗はかいているから、薬は効いているらしいが、それにしたってこのだるさは何とかならないものか。ラムザは半身を起こし、枕元の水を口に含み、半分飲み込み、残りをディリータの唇に当てた。ディリータはラムザの頭を抱いて、けだるく好きだよと言い、再び病魔との闘いに戻る。ラムザも「うう」と答え、仰向けに寝そべる。このまま死んじゃうかもしれない、だけど、左手で繋いだ体温はきっと、次に持ち越すことが出来るだろうと考えた。


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