抜き足差し足歩く夜の廊下は静寂に包まれ、白い吐息もあっという間に闇に呑み込まれる。寒さで身体が震え、暗闇で寂しさだけがこみ上げる。やがて彼は目的のドア付近へ辿り着いた。月明かりだけを頼りにノブを探し当て、捻る。
「誰だッ」
反射的に、剣を抜く音がする。彼は、その真剣な眼差しを見て、微笑んで言った。
「だ〜れだ?」
「……ラムザ」
ディリータはふぅ、と息を吐き、剣を仕舞った。
「気配を消すのが上手くなったな。全然解からなかった」
隙間風入るドアを閉める。
「えへへ、もう父上に見つかったりなんかしないよ」
ディリータは嬉しそうに笑うラムザに、苦笑。……要は、夜遅くに俺の部屋に来なければいいのだ。けれど、無理をしてまで会いに来てくれるラムザに愛しさばかりが溢れてくる。
ゆっくりと抱き締める。
「……こんなに体冷やして……」
身を放すと、自分の机の上にあったミルクティーに砂糖を入れて、ラムザに渡す。一口飲んで、にっこり笑う。
「あったかい。おいしい」
無邪気なのはいいけれど、元々そんな強くはない痩せた体、その有限の体温を自分のためなんかに使って欲しくはない。
「お勉強?」
「ああ。……お前は、してないのか? ……テストは来週だぞ」
飲み終わったカップをディリータに返し、ラムザは肩を竦めた。
「やっても解らないし。だったら、ディリータの側にいた方が楽しいし。……いざとなったら、カンニングするからいいよ。今日みたいに気配消して、先生のうちに忍び込むから」
実行しかねないところが危ない。やれやれ、とディリータはノートを取り、ラムザに手渡す。
「赤線の引いてあるところだけでも憶えろ。そうしたら半分以上は取れるはずだから」
「えー、いいの? ありがとう!」
けれど、傍線の引いた言葉だけ憶えるのは学習ではない。……ただ、毎回その断片的な知識だけで、何とか平凡な成績を取ってごまかしているラムザだった。ディリータはテキストを閉じると、ラムザの座るベッドの隣に。
「ラムザ、ひとりでしただろ」
いきなり指摘されて、ラムザは反射的に首を振った。
「し、してないよっ」
しかし、ラムザの癖を誰よりも知っているディリータはすぐに見破る。嘘を吐くとき、ラムザは必ず唇が尖がるのだ。まるでキスを乞うているかのように。
その癖を、以前ディリータは教えたハズだったのだが、相変わらず、嘘が下手だ。ラムザは自分で、唇が尖がっている事に気付いているのだが、治せない。墓穴を掘る結果に。
「な、なんで解るのさ」
ディリータは、ラムザを抱き寄せて、首筋の匂いを嗅ぐ。
「さっき抱き締めたとき、匂いがした。ラムザの匂いが」
見る見るうちに真っ赤になる。
「……してたんだろ?」
クスッと笑って言うと、ラムザはやがて恥ずかしそうに頷いた。
「だ、だって、……一応、僕だって勉強してたんだよ? ……でも、でも、ディリータのこと考えてたら、集中出来なくなって……それで、その……」
言い訳になっていない。
ディリータは耳元にふっと息を吹きかけて、囁いた。
「……俺も…勉強しながらずっとラムザのこと考えてた。だから、会いに来てくれて、嬉しかった」
ディリータはそう言うと、ゆっくりとラムザの体をベッドに横たえる。優しく口付けて、手のひらを重ねる。ラムザは早くも、目を少し潤ませて、さっきの恥ずかしさとは違う理由で頬を上気させた。
キスで、唇が少し濡れた顔は、蕩けそうな幸せに酔っている。
「ディリータ」
「出来るか? ……したばっかりなんだろ?」
ラムザは答えるかの如く、覆い被さるディリータの頬を、冷たい両手で包んで、もう一度口付けを求めた。
「平気だよ。だって、ひとりでしても、寂しくて……、それで、君に会いに来たんだから。君に、触ってもらうために」
ひとりで、ディリータの事を考えながらする。左手がまるでディリータの右手であるかのように、自分の頬を、首を、胸を、後孔を撫でても、それはどうしても自分の手、指でしかない。
ディリータしか持っていない暖かさとは比べられない。彼に触れて欲しい――仮に、そのままひとりで達したとしても、それはただ、寂しさだけを運んでくるもの。
自分の慰めにもならない。
「んっ」
首に、ディリータの唇。吸い上げられて、思わず仰け反る。シャツを捲くられて、胸の弱いところを彼の指で。
自分を悦ばせる要素を全て持ったディリータに翻弄されるのは、眠りにつくことよりもずっと安らかだ。
鼓動は高まるけれど、それでも、愛しさに、眠ってしまいそうになる。愛してる愛してると寝言を呟きながら。
やがて冷えていた体は芯から熱い炎で暖められる。
胎内に与えられる熱の熱さに、自分が生命体である事を証明するかのような息吹が漏れる。痛みと、安らぎが自分の中で交じりあい溶け合い、ただ抱き合うだけで、やがて吐息だけしか唇が紡がなくても、言葉よりもずっと明快な形で愛が満ち溢れて行く。
それが、一人で夜を過ごせない理由なんだとラムザは考える。
ディリータの与えてくれる熱が愛しくて愛しくて、それだけで生きていけそうなほど自分にとって重要なものだから、自分は一人ではいられないのだと。
「寒いだろ、服着なきゃ」
脱力した体、未だ絡み合ったままで。
「仕方ないな」
苦笑して、ディリータはラムザに服を着せていく。
眠さに体を支配されて、夜、し終わったあとは大抵後始末もせずにそのまま眠ってしまうのだ。
「でぃり……た」
寝言で、求めている。 ディリータはまた、幸せな苦笑いを浮かべて、その手を握る。乾いた唇にキスを。
「……全く。親父さんに怒られるのは俺なんだぞ」
もぬけの殻のラムザの自室、起こしに行った侍女がまた大騒ぎを起こす。何故お前のところに居るのだとバルバネスの雷。
「別に、それくらい構わないけどな」
それよりももっとずっと重要なのは、同じベッド、同じ空間に、二人だけで居ると言うこと。また少し冷えてしまった体を抱いて、自分の温もりを贈れるということ。
全く、停めようのない苦笑。お前が居るから、俺はどうしようもないじゃないか。初めて会った日から、今日まで、一体どれほどの時を共有しているのか解らない。
そして、これからどれほどの時を共有出来るのか解らない。やがて大人になって、騎士たちのトップに立つであろうこの子の隣で、守り続けることが許されるかどうかさえ解らない。
自分は、元はと言えばただの平民、身分は、天と地の差なのだ。だけど、お前を思う気持ちはどうしても停められない。
お前の事だけで頭はいっぱいだ。
本当は、勉強なんかしないで、お前のことだけ考えていたい、どこにも行かず、ただ息だけをして、お前と一緒に、ずっとお前と一緒に抱き合っていられればいいのに。
「おやすみ、ラムザ」
柔らかな髪を撫でて、目を閉じる。夢の中でさえ一緒に居る。