ボクと魔王の世界定義

 つい先日のことだが、久々にルカは「里帰り」をした。ユートピア回廊の最奥、元「世界図書館」現「魔王城」に、形だけ見れば攫われて幽囚され、しかしその場所の居心地がルカにとってはとても良く、スタンと日長一日一緒にいるだけで日々に少しの不満もなく過ごせるから、実家に帰る機会はあまり多くない。それでも「たまには様子見に行きたいな」と呟けば、その翌日は少し早起きをしたスタンが、「何をしている、さっさと支度をせんか」、既に外出出来る格好でルカをせっつく。

 そんな次第で、およそ半年振りの「里帰り」をした。相変わらずの村は相変わらずの時間が流れていて、一つだけそれが問題に感じられるのは、「自分がいなくとも村が『相変わらず』を保っていた」という点についてだ。

「や、やあ、あの、久しぶり……」

 相変わらずの影の薄さ、一学年上がった学校の仲間たちに挨拶をしても、「……ああ? ああ、なんだルカか」、ルカが半年も居なかったことなど、誰も意識していないのだ。それが元よりルカを軽んじていた学校の仲間たちばかりなら、まだルカも傷つかなくて良かったろう。家に帰って、「ただいまあ……」、言っても、気付いてくれたのは祖母だけだ。廊下を歩いていたらバタンと急に妹の部屋のドアが開き、それに弾き飛ばされる。弾き飛ばした当の本人は少しも気付いていない。

「……相変わらず……だな、お前の『薄さ』は……」

 影の中からスタンはにょっきりと顔を出し、改めて感心したように呟く。悔しいし悲しい、けれど、事実はそうなのだ。

 この分では、家族に自分の帰宅を認知させるのに何時間もかかってしまう。それから母に自分の分の夕食をせがむのは申し訳ない、「帰ろう」と、悄然とした声で言ったルカに、溜め息混じりに実体化して、宿主とはまさに天と地の差の存在感、それまでエントランスホールのど真ん中に立っていたルカには誰も気付かなかったのに、スタンが現れた瞬間に全員が一斉に振り向く。

 そういった次第で、ルカもスタンも、どうにか「実家」での団欒を愉しむ事が出来た訳だが、改めて自らの存在の愁うべき軽さ薄さに、溜め息の幾つかは吐きたくなるルカだ。

 「それにしてもお前はどうしてそんなに地味なのだろうな?」「……さあね、悪かったよ」「いや、余の眼にはそうは映っておらんのだがな、……まあ愚昧なる者どもの眼はお前の裡に秘められし鈍い輝きを見抜く力が無くとも不思議は無いが」「……いいよ、どうせ……、地味なものは地味だし、実際僕が地味だから君に択んでもらえた訳だし、……もう、それ以上はいいよ、返られないんだ」「ヘソを曲げるな、子供かお前は」「曲げてないよ、別に」「知っているぞ、お前が機嫌を損ねるとすぐそうやって唇を尖らせる。まるで余の唇を求めるかのようにな」「そんなの……」「否定したところで仕方あるまい、そう感じ、そう定義するのは余だ」「……知らないよ」「余はお前が地味であろうと何であろうと、お前をお前のまま愛しているつもりだ。側に置いておくことに第一の意味を持っているつもりだ。それ以上にお前に何も求めはしない。ただお前が必要だと言うならば、……そうだな、お前に何らかの記号を着せることは吝かではない」。

 城に戻って、そんな遣り取りをした。そしていつものようにセックスをした。

「余しか見つけられぬところにいるなら、それが理想だとは思わぬか」

 スタンはそんなことを言った。「あのとき」は見つけてもらえなかった、そう、またかすかに唇を尖らせたルカの心を読みきって、スタンはくしゃくしゃと茶色の髪を撫ぜた。

「お前がどこかに行かぬ限り、余はお前の傍から離れたりはしない。もうあのときの余ではない、あのときのお前でもない。ベーロンの秘術にも打克つ我らに怖るべきものなど、何一つあるまい」

 本当かな、と思った、一秒後に、本当だ、と思う。十六歳の身体で全体重を委ねても、少しも苦しいという素振りを見せない屈強な広い胸に頬を寄せていると、包み込まれるような安心感も信頼感も、自然と生まれてくるのだ。行為を終えて身体を拭き清められて、なお服を着る気にはならない。素肌をスタンの肌に重ねているだけでいい。

「解けたとは言え、『分類』の影響力は否定しづらいな」

 ふと、スタンは言った。

「余もまた、その力を抱いて生きているかも知れぬ。余は『魔王』の自覚がある、そして力を授けたお前もまた『魔王』だと思っている。他の連中も自分を『何か』と定義し、自分と関連する誰かを『何か』と定義する。『分類』は管理者の側のみならず、『分類』される側にも整理しやすい情報の材料として大いに役立つからな。同族意識、敵対意識、そう言ったものを植え付けるに一番手っ取り早いのは何らかの『分類』であろう」

 ルカは聞きながら、少し納得をする。スタンと出会う前、どの程度の深さかは今でも推し量れないものの、『友達』らしき存在は廻りに居た。そして、その『友達』の中においても、タイプが分かれていて、例えば『乱暴』、或いは『狡猾』、『気弱』、『陰険』、などなど。自分は当然彼らにおいては『地味』だったのだと想像出来る。

「学問の大半を『分類』が占めるという話もある。『分類』するのは安易だ。恐らく厄介なのは、その『分類』を踏まえて出来る『記号』、レッテルだろう」

 『友達部・乱暴科・短気コース』、そんな風に細分化され、結果的にこの場合はルカという主体にとっての、レッテルの貼られた一人の人間が出来上がる。

「ただ、そのレッテルというのは、多くの場合不要になろうな。余の場合、お前に対して『子分』というレッテルを貼った。この世の人間全てが余の『支配下』であり、その中で特定の『子分』だ。ただ、その分類に囚われて、永遠にお前を子分扱いしていたなら、今のような日々を手にすることは不可能だった。そしてそれは……、お前も同じなのだと思う。お前が余を怖れていたのは明らかだった。恐怖の対象の『魔王』としてのみ余を捉えていたなら、余にこうして心を許し側に在り続けることも無かったろう」

 髪の中に大きな手の指が、もはや意外でも何でもない繊細な動きで泳ぐ。安心しきってルカは在る。スタンの肌が、体温が、ルカにとっては冬の毛布のように安らぎを生む必要不可欠な存在になっている。ルカにとってスタンは『恋人』だった。或いはその段階を超越して『夫』だった。

「それは『分類』の力からの解放と無関係ではなかろう。だが、柔軟さの問題でもあろう。余はお前のことを、……第三者から見れば何の特徴もないかもしれない、地味かもしれない、存在感は希薄かもしれないし、半年居なくたって気付かないような存在かもしれない」

「……いや、あの……、うん」

「だが、余にとっては……、一秒でも離したくはない。余はそうお前を定義しよう」

 相変わらずここは、エプロス的言い回しをすれば『世界の外』かもしれない。ルカは半年ぶりに戻った村で社会で、流行っている曲を知らなかった。かつての学友たちが聞いていた曲を、特に「いい」とも思わなかった。けれど、それが何だとも思えるなら、そして彼らが彼らの在る場所を『世界』と呼ぶなら、ここは少なくとも、世界ではない。とは言え、そういう場所が存在して悪いこともない。

 ルカは何も言わずにスタンにキスをした。それからベッドの上に起き上がり、

「ねえ」

 スタンの性器に手を伸ばす。

「……お前の正体は余が決める。単純に、お前は可愛い」

 スタンは笑って、起き上がり、ルカの髪を改めて撫ぜた。


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