ボクと魔王はお互いに

 下斜め四十度から見上げる、ルカの尻が一番いいと、普通はそんな角度から人の尻を見上げるようなことなどないものだが、スタンは信じて疑わない。ペラペラの芥紙の如き影魔王としてルカの下で過ごした時代があったからこそであって、そもそもルカの影の中にスタンが入れたのも、ルカの尻の形がスタンの潜在的な嗜好と合致したからであることは言うまでもない。だから今も、スタンは事あるごとにルカの尻を愛でて遊んでいる。

 ルカは身なりに頓着しない、と言って、不潔な格好もしない。あえて着飾ることを考えないのだ。元々が目立たないわけではないのだ。顔は、エプロスに言わせたって整っているのであって、それ相応の格好をしてそれ相応の場に出せば視線を集めぬはずがない。だけれど、当人にその自覚がないし、欲もない。ルカ自身の「僕は地味だから」、そういう自覚が何よりも、ルカを地味な存在にしていた。スタンがルカの頬を撫ぜ、尻を撫ぜ、胸や性器を舐め、「お前は可愛いな」、そう言うのも、自分が可愛いのではなく、スタンにとってのみ自分が可愛いのだと思っている。そして、スタンは特殊な嗜好の持ち主なのだと思っている。

 本日のルカの尻は黒のジーンズである。一年前にも穿いていたもので、恐らくは来年も穿いている。どこかに穴を開けてしまったら自力で繕ってまたもう二年くらいは穿く。成長しないに等しい肉体であればこそ、そういう穿き方が出来る訳だが、世間の流行というものを一切考慮しない姿勢が共感を呼べるかどうかは微妙なところである。とは言え、スタンには見慣れた尻、足が細く尻も小ぶりであるため、レディースサイズがしっくりくる。窮屈なポケットに指を入れれば、忽ち二枚の布を挟んで瑞々しい尻が判ることを知っている。昼、仕事と称して玉座にふんぞり返りながら、スタンはずうっとそんなことを考えていた。夕食を食べる前に沸かした浴室の脱衣所、やはり裸の尻に優るものなし。二人しかおらぬのに、余はお前の夫なのに、そういつも言っているのだが、腰にささやかなタオルを巻くことで、ルカは貞淑を主張する。だが、後ろに立てば、薄く白い手ぬぐいの裾、尻の割れ目も顕わであって、ちらりちらりと見ながら、「これもいい」、要するにルカの尻ならば何でもいいと思うスタンである。

 とりあえず尻を目で愛でることが出来れば一つの満足を得て、大人しく風呂に入り、夕食を済ませる。もちろん、夕食時にはまたジーンズ姿で、あの二枚下には、などと下品な想像をする。まったりと食後のお茶の時間を過ごした後には、もう頃合いの時間であって、寝室へ妻を抱き上げて、スタンは向かうことになる。

「どうせ脱がすのだから良いではないか」

 いつも言うことを、今日も言う。「ダメ」とルカはにべもなく、パジャマに着替える。スタンは既に半裸の状態で妻を待っている。

「それに、誰も脱がしていいなんて言ってないよ」

 ルカの言葉に、顔を顰める。

「……余に命令をするつもりか」

 ルカはパジャマ姿で広すぎる寝台に上り、スタンの憮然とした顔をもう怖れず、優しく微笑んだ。手を伸ばして、ほのかに温かい手のひらを、険のある頬に当てた。それだけでスタンの顔は綻びそうになる。優しい顔のスタンでいてくれれば一番楽だと思うルカだが、険しい顔のスタンでも仕方がない愛していると思って、実際に言って、いる。

 ルカは一番上のボタンを一つ外して、布団の縁を引き寄せ、滑り込む。とにかく広大なベッドであって、入る場所に困る。ベッドヘッドに沿って枕を並べて寝るのは当然にしても、平面的には深い海のようなもので、布団に潜ったら、どこまで行っても這い出てこれないような奥行きがある、「魔王」の褥である。最も、スタンはルカを抱いて眠り、その腕枕から逃しはしないのが常だった。

「スタン」

 腕を引いて、スタンを誘い込んだ。相変わらずむっつりとした顔のまま、それでも優しく腕を出す。ルカはそこに頭を載せた。少し硬いが、丁度いい高さの枕であって、一応はルカ用の枕も、先述のとおり並べてはあるが、まず使われない。

「脱がすぞ」

 焦れて、スタンは言った。ルカはノーリアクションで、安らぎの表情を浮かべ、スタンを見ている。スタンとしては、苦しいし、悔しいが、

「……こら、何とか言え」

 プライド以外のものを優先させざるを得ない。ルカを裸にして、尻に触りたくて仕方がないのだ。寝室で出来ると思っていたからこそ、浴場で欲情しなかった訳であるからして、それが覆るとなると堪らない。ルカの尻には、大魔王スタンの心をかき乱す魔力が宿っているのだ。

「大好きだよ」

 ルカは悪戯っぽく微笑んで言い、

「……余も同じだ」

 スタンは律儀にそう応ずる。

「脱いだ方がいい? スタン嬉しい?」

 そう、突然に譲歩され、自由を与えられると、言葉が引っかかって出てこなくなる。元来、スタンは素直でない、そして大人気ない。大人気ないくせに、大人っぽくありたいなどと思うから、無理が生じる。

 恋人のそういった部分も判っているからこそ、ルカは優しく微笑み、スタンの頬に、また触れた。

「脱がせてくれる?」

 もう、答えは待たなかった。折角潜った布団から抜け出て、正座する。スタンは下唇を突き出して、じっと見つめていたが、やがて同じように布団から抜けて、ルカを横たえる。

 そして、素直に、ズボンから脱がしにかかった。指を下着に挟ませて、二枚一緒に、引き下ろす。

「……上は……?」

 僅かに戸惑ったような声を聞いたが、気にはしなかった。尻だ、尻だ、ルカの尻だ。うつ伏せにして、申し訳程度、左手の指先を舐らせながら、とにかくまず、尻を触った。

すべすべしている、自分の指の力一つで輪郭を変える、自分を受け容れてくれる場所だ。判りきっていたそんなことに、胸がときめく。執念深く何度も撫ぜたら、ルカが密やかに一つ震えた。

 判っていた、判っていた、よおく判っていた、それでもやっぱり、どうしたって、誰が何と言おうと、

「……いい尻だ」

 口に出して言ってしまってから気付く。しかし、仕方がない、本当にいい尻なのだから。

「ん、っ、……ヤダよ、なんで、そんな……」

 いつもならば順番がある。上からそっと脱がせて行き、キスをしながら、手のひらを胸や腹に這わせ、十分にテンションを上げてから、下半身へと向かうのに。

 戸惑うルカの頭をくしゃくしゃ撫ぜた。

「いい尻だと言っているのが判らんのか」

「……意味が判んないよ……」

 スタンはぴしゃ、と優しくその尻を叩いた。

「それはそうだろうな、お前の尻の良さを知っているのはこの世に唯一人、余だけなのだからな。他の奴がそんなことを抜かしたら、その時には……」

 言って、もうひと撫で。白い、小ぶりな双子の丘、芸術品よりも実益の伴う、スタンにとってまたとない至福の肉。

「……お尻、そんなに好きなの?」

 すぐに答える、

「好きだ。何故なら、お前の尻は形がよく、締まっていて、余のことを受け容れる器としての役割を十二分に果たすからだ」

と、理由までつけて。

 下半身を丸裸にし、スタンはルカの尻を、本格的に責め始めた。深い谷の底、割り開き、顔を近づける。その後の過程、結論まで、ルカは知っていたから、腹の底、膀胱の裏の辺りが疼き出す、尿道が熱いような気がして、括約筋を閉めた。プロセスはともあれ、スタンにはルカの誘いと受け取れるから、尻をまた一つ撫ぜて、舌を伸ばした。

「う……」

 広大なベッドが納まっている部屋だから、当然、部屋自体も広い、体育館ほどの大きさがあり、入り口から枕頭まで、寝起きの状態では随分と遠く感じられる。つまり、「寝室」としては不要なほどの解放感があり、いつもながら、スタンと二人きりと判っていても、恥ずかしい格好をしたり濡れた声を出したりするのは、ぎこちなく感じられる、……はじめのうちは。無論、ルカもそう強い理性を持っている訳ではないから、まもなくそんなものは意味を持たなくなったが。

「ん、……んっ……、……はぁ、……はあ……」

 いつまでも、尻ばかり。

 ルカは切なくなって、自分の手を下腹部に伸ばした。尻を撫ぜられている段階からして、既に甘い硬さを孕んでいた場所は、もう完全に雄性を主張し、反り返っている。

 スタンがセックスをしたがらない夜などというのはほぼ無く、一緒に寝るという時点で反射的に、ルカの内奥にはその準備が整う。そして、スタン同様魔王の身体であるから、性欲は人間よりも強い。淫乱と言われようが、スタンを好きと思うからそうなるのであって、誰かに文句を言われるようなものではないと自己主張する。

「焦るな。今にしてやるのだから……」

 スタンが喉の奥で少し笑い、もう一度舐めてから、指をそっと差し入れた。

「んん!」

「……素直な邪悪さで快感を求めるお前の姿というのは、本当に秀逸だな」

 そう、一人、微笑み、思いつく。

「そうだ、……また、見せてもらおうか。お前の淫らな姿を……」

 スタンは、ルカに入れた人差し指をかすかに、折り曲げた。それから、そっと抜き取る。

「ひゃ……あっ……やっ、やだ……!」

 透明な、蜜のような粘性を持った液体が、抜かれたところからとろりと溢れた。ルカがそれを零さぬように括約筋を閉ざすのに伴って、ちくちくと音を立てる。それでも堪えきれずに、緩むと、またとろりと溢れる。

 ルカの胎内に、蜜壺を設けたのだ。その身体の官能に反応し、言わば「愛液」を分泌し、内部をしとど濡らし、蕾から溢れ、太股を伝う。

「やだぁ……っ、これ、……っ」

 ひどいことになってる、平時ならば青ざめてあたふたするところ、感じきっている今はただ、自分の身体の淫らさを表す蜜の量が、不快ではない、スタンの目を楽しませ、心を刺激する材料になるとわかるから、「やだ」と言いながら、従順にただ、感じている。

 濡れてすべりが良くなるから、当然、行為のスムーズさは普段と比ぶべくもない。スタンが指を二本に増やす際、いつものように慎重になる必要もないのだ。スタンは暫し、露を垂らすルカの媚態を眼で舐ってから、

「はぅ……」

 ぬるりと指は飲み込ませる。ルカはぎゅっと目を閉じ、恥ずかしさを堪えると共に、スタンを味わう。スタンが戯れに中を掻き混ぜ、指を引くと、つうっと絹のような糸を引いた。果ての無い快感にルカが酔いきっている何よりもの証明だった。我を忘れそうなほど興奮し、スタンはすぐに三本目の指を入れた。一瞬だけ身体を強張らせたが、ルカはすぐに、その瑞々しい声を溢れさせるようになった。

「ダメっ……、すたんっ……! ダメだよぉっ……」

「何が? 何がダメなのだ、申してみよ」

「……ッちゃう……から、っ、ぼく、一人だけ、ヤダよぉ」

 甘い。

 まだ射精もしていないのに、満悦に浸る。ルカは総じて、甘い。果物にとろりと蜂蜜をかけたような、幸せな甘さだった。肩越しに、涙目で振り返られて、スタンは自分が男に生れた幸福に震えそうになる。

「……一緒、が、いい……」

 スタンは表情を無くす。責める時の笑顔は楽に浮かべられるのに、単純な微笑みがなかなか現れないのがもどかしかった。

「何故だ……?」

 スタンは一つ、唾を飲み込み、聞いた。

「いきたければ一人でいけば良いだろう」

 ルカはふるふると首を横に振る。

「そんなの、ヤダっ……、僕はっ……、君のっ、恋人だからっ……」

 あらゆる暗闇を貫いて全ての世界に届く光を、その言葉に見た気がする。もう、ちっとも魔王ではない彼は、初めて恋した子供のような表情になる。ルカをただ好きなだけの、小さな男になる。スタンを彩る装飾記号のいくつもが意味を失う。

「……馬鹿者が」

 無理して出した声は、辛うじて震えなかった。

「恋人などではなかろうが、もう……」

 溜め息がふわりふわりと浮かぶ。戸惑うようなルカの顔を見下ろしながら、裸になる。完璧な男性美は威圧的ですらある、そうでなくていい、もっと、優しければよかった。詮無い事を考え、ルカを仰向けにする。

「とうの昔に、そんな次元は超えたろうが。お前は何だ? ……ただの恋人か? 違うだろうが。お前は余の妻だ。永劫お前以外に要らぬ」

 そして、どこか臆病な口付けをした。その様は、彼がどう否定しようと、年若い恋人のそれだった。

「堪える必要はないぞ」

 滾る熱い肉を、ルカの後孔に当てる。

 ルカは、手を伸ばす。彫りの深い、スタンの顔、頬に触れ、微笑む。

「出来るだけ、我慢、するよ」

 「恋人」の心を無碍にするような言葉も、スタンを不条理に満たす。茶色い髪の中に指を泳がせる。指と指の間を埋めるルカの柔かい髪を感じてかきあげる。愛らしい額が微かに汗ばんでいる。暑くもない部屋で、スタンも同じように、薄っすらと汗をかいていた。

 ゆっくりと腰を進める。二ミリごとにルカが震えるのを、眼で、肉で、感じながら、納めきるまで、スタンは気を緩めることもなく、進んだ。ほんの微かなルカの表情の変化さえ見逃さないつもりだった。もう、尻ではなく、ルカの全身に興味津々な自分に、気付きもしないで、愛情と同時に募り火を噴きそうな性欲を、瀬戸際でコントロールする。

 奥底に辿り着き、スタンが深い息を吐く。ルカは両手でスタンの頭を抱いた。抱いているのは自分のはずが、視界を奪われ、支配しきられ。さほど広くないと自覚のある心の中は、ただこの少年一人に埋められる。そしてその瞬間、性欲と愛情が絡み合い、「離したりするものか」、もう彼らにちょっかいを出すものなど何もありはしないのに、そんな言葉を思いつき、「俺はこの子を誰にも渡さない」、子供のように、誰かに、出来れば世界に、言ってやりたい衝動に駆られる。

「好きだよ……、スタン、好きだよ……」

 ルカにきつく抱き締められたまま、無意識のうちにスタンは腰を降り始めていた。接合する部分がとめどなく水音を立てる。卑猥さも痛みも超えて成立するようなバックグラウンドサウンドエフェクト、熱さと冷たさに苛まれながらルカは声を上げて泣く。美しさ、崇高さ、一切合切排して、自分たちが最高、そう、信じられるパワーを感じる。そして、津波に押し流されるように理性が去り、射精。

 毎夜こうまできつく絡まりあってなお、互いの身体を貪欲に欲する背景に、愛情があることは当然として、もっと物理的な側面、肉体的な問題。スタンが大魔王ならルカも子分魔王なのであって、この後更に二度三度と夜を先延ばしするのに必要な体力も性欲もしっかり持ち合わせている。最近はルカまでも、そういう自分の身体を好都合と思って憚らない。

「淫乱な子分よ。まだし足りないか」

 スタンにそんなことを言われて、首を振らない。認めるのも癪なところ、ただ、ぎゅっと手を握り、キスを強請る。同じだろ? 君も。ああそうだ、同じだと、互いに声なく言い合う僕と魔王は魔王と魔王。

 

 

 

 

 さて、何時に寝たのかも覚えていないが、目が醒めたのはいつも通りの時間。この辺りも魔王の体力のなせる技か。ルカが起きる一分前に、その気配を察し目を醒ましていたスタンの右手は、当然のようにルカの尻。当然、寝ている間も延々触っていたわけだ。ルカは少し複雑な気持ちになっておいてから、「でもスタンが愛してくれるなら」と、余計に幸せになる。

「眠いならまだ寝ていても良いのだぞ」

 言われて、目を閉じないで、しかし甘える。ルカは頬をぺたりとスタンの胸板につけた。

 スタンの好きなルカの場所が「尻」ならば、ルカはスタンの広い懐が好きだった。

元々、影の中に宿り、傍若無人なる振る舞いをするスタンに、この世で唯一と言っていいであろうが、「恐怖感」を抱いていたのが現在スタンに心を許しきっているルカであって、初めてこの「実体」を目の当たりにしたときには、それまで以上の恐怖を感じた。獅子の鬣の如き黄金色の髪、端正な若き相貌は却って邪悪に思えたし、何よりその体躯。「あんなのが入ってたのか」、愕然とした。

そして初めて上に圧し掛かられたとき、ルカの恐怖はピークに達した。身長百八十超、筋肉質ゆえ見た目以上の重量を持つ身体が、自分を操縦しようとする意思が、大体全部、怖かった。スタンの肉体はルカにとってそういう対象から始まったはずだ。

ところが今は、少年にとって一番落ち着く場所となっている。筋肉質である以上は、硬い身体で、スタンが賛美するルカの尻のように柔かくはない。しかし、ルカとスタンの興味の対象が一致しないのは当然といえば当然。ルカはスタンの立派な胸板を、嫉妬心なき憧れと共に、ベッドにすることも出来るのだ。

言っても伝わらないだろうな、さほど失望感もなくルカは思う。いいんだ、僕だけ知ってれば。

 居心地がよく、優しく、いやらしい胸だ。いやらしいと感じるのは世界に僕一人でいい。大好きな大好きなスタンの胸の中でこうやっていられるのは、僕だけだ。……スタンが時としてするように、ルカも、対象も定かでないまま、とりあえず「世界」に対してそう誇った。そしてほとんど息をするような自然さで、スタンの胸にキスをした。ずっと尻に手を置いていたスタンが、指を一つ、ぴくり、動かす。ルカがもうひとつキスをしたのをきっかけに、スタンの手も動き始めた。ルカが自分の胸板に胸ときめかせていることなどスタンは知らないし、ルカも、スタンがいくら理由を並べたところで、「やっぱり僕のお尻なんてただのやせっぽっちなんじゃないか……」。ただ、いい、それでも、いい、それで、いい。互いが互いを求め合うその気持ちが、他のどれより必要だと思う以上、性欲という形にしろ、目に見えて現れる感情が、いとおしく思われる対象であり、愛情と並立する。二人して、相手の性器が硬くなってきたのが、嬉しい、それは、自分で大きくなってくれた、まさにその証明だと信じられるからだ。

 愛し合う、それが、一つに実る瞬間、恍惚が始まる。


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