ボクと魔王の新居探し

「うむ」
 と、スタンは満足げに頷いた。ルカは足元にビニールシートを広げて、かばんから弁当の包みを取り出した。
「ここがよいな、うむうむ、ルカよ、余は決めたぞ、偉大なる余の本拠はここに構えることにする! ……っておい、おまえ、聞いとるのか」
「聞いてるよ。昼ご飯の準備してるんだよ。スタンだって食べるでしょ?」
「うむ、当たり前だ」
 現在の彼らは、大魔王スタンリートリニダードハイハット十四世及びその片腕の子分魔王(仮)ルカの世界征服計画の第一段階として、
「魔王たるもの己の牙城なくしてならぬ。それも余に相応しい壮麗かつ威厳あるものでなくてはならぬ。まずは我らの城を置くに相応しい場所探しからはじめるのだ」
「はあ……、要するに新居の土地探しってことだね?」
「……、まあ、そういう言い方も出来るか。……新居、か、……うむ」
 という訳で、世界中をうろつきまわり、城を設置するにあたり、いくつかの候補地を丹念に見て回っていた。リシエロ北部の石柱が群立する遺跡や、閉ざされた洞窟の敷地を丸ごと使う、また、アダッシュの中央部に広がる大迷路を基盤に使う、など、いろいろのアイディアはあったが。
「眺めも良いし、風も心地よい。やはりここしかあるまい。さすが余だ、ナイスディシジョンだ」
 前回ルカの自宅を出て、まず辿り着いたマドリルにおいて二人は、勇者ロザリーが魔王スタンを捜索しているという情報を得た。では迎え撃つにあたって、居城を構えることは急務であり、また魔王としては常套手段であるわけだ。結局はここ、ユートピア回廊に浮かぶ島の一つに居城を据えるということに相成った。多分にラスボス的な発想だとルカは考えたが、黙っておいた。スタンはビニールシートの上にあぐらをかいて、ルカの作ったサンドイッチをほおばった。
「……、子分よ、余には考えがあるのだ。初めてここに来た際に、我々は非常な手間をかけさせられたであろう。覚えているか? まずは幻影魔王……、エプロスのいる歯車タワーに入るためにアホかと思う程広い墓の中に潜り三十二体の壺を叩き壊し、歯車タワーではエプロスと相対し、ハイランドではラスボスが放った吸血魔王と戦った。これはハッキリ言って、いま振り返っても大変な面倒であった。……そこでなルカよ、余は余を倒さんとやってくる量産型勇者どもに同じ面倒をくれてやろうと思うのだ。同時に雑魚どもは篩いにかけ、歯ごたえのある連中を選別する。指一本で逝ってしまうような勇者ではつまらぬからな」
 口の端に玉子のフィリングがついているな、と思いつつ、ルカは疑問を口にした。
「でも、エプロスさんや吸血魔王さんが協力してくれなかったら意味なくない?」
 スタンはにやりと笑った。昔はそれに背筋が凍ったものだが、いまではさほどの脅威とも感じなくなったルカである。
「吸血魔王には余が魔力をくれてやれば簡単に言うことを聞くであろう」
「……またハイランドの人たちに血を……?」
 ルカは無意識的に上目遣いになってスタンに言った。
「うむ……、いや、お前が嫌というならばそれはやめさせてもよいが……。エプロスの奴も同様にな。奴など魔力を欲していたし、余が魔王として君臨した暁には余こそが世界よ、奴の知りたいことをすべてくれてやることも出来る。この条件ならば抗うまいよ」
 スタンは唇の端の玉子を指で拭って食べた。
 腹がある程度膨れると、ごろりと横になって、よく晴れた空を見上げ、太陽にまぶしげに手をかざす。
「もうすぐだ。余がこの世界に君臨するまで、あともうすぐだぞ」
 ルカの表情は翳る。マルレインとは離されてしまったし、ロザリーと敵対しなければならなくなったことなど、未だに悪い夢と信じたいようなことだ。自分が確かに「魔王」という存在になってしまったのだと認識して、辛い。しかし、どこかでむずがゆいのは、おそらくはスタンと共に在ることで味わうことが出来る「悪の味」というものの快楽を求める気持ちが、十代後半の男子としてそれなりに存在しているから、そして、やはりスタンの言っていた通り、自分には「スタンを影とすることに耐え切った」から、魔王としての素質があるゆえなのだろうか。
 だとしたら。
「浮かぬ顔だな。我が暗黒の栄光を喜ばぬか」
「……うわーい」
 まっとうな人間として生きているつもりのルカにとってはスタンと共に在ることによるどんなことだって、喜ばしいことであるはずもない。
 僕と魔王の在るところには常に、恐怖と悲鳴とボケとツッコミがあるのだろうと思うと、ルカは気が重くてしょうがなくなる。しかし、出来ればその場に、マルレインにもロザリーさんにも、みんなにも、いてほしいと思うのだ。どんな形でも良いから、ちょっとでも平和に。
 スタンがそれを認めるはずがないだろうが。
 おずおずとルカは口にした。
「ねえ、……世界征服って、しなくちゃいけないのかな。魔王だからって、しなきゃいけないことでもないんじゃないの?」
 スタンは一瞬、凄いような目をしてルカを見た。久々にルカは恐怖感を覚えた。それからスタンはフッと余裕のある微笑をした。
「別に自分の肩書すなわち分類に囚われている訳ではない。ただ、余がそれをしたいというだけだ。分類の力が解ける前も後も、余は変わらぬ欲求を抱きつづけている。この世界を我が手に掌握したい、ただそれだけだ。余が未だ手中に収めていないのは、もうただこの世界だけだからな」
 そうして起き上がり、ルカの肩を掴んで寄せる。
「もう余はおまえも手に入れているしな、あとはこの世界だけなのだ」
「……僕がいつからスタンのものに……」
「はじめからだ。忘れるなよ? おまえは余の子分なのだぞ、しかもただの子分ではない、この偉大なる余に一番コキ使われる、スペシャル子分という栄えある立場にあるのだ。ここまで重用してくれる余に感謝しろ」
「……」
 スタンはそう言いながらも内心では「ルカ>世界」という馬鹿げた不等式を浮かべていた。実際に、まだ手に入れたという実感がないし、これ以降どれだけ時間を経れば叶えられるかもわからない。この世界ならば、少なくともこの箱庭のような小さな世界だけならば、暴力的に、瞬間芸のように掌握することは出来る。しかしそれすらも、ルカの顔色をうかがうと思えば。結局自分は大魔王である以前に、ただの男であるということを、しかもかなり程度の低い男であるということを、自覚する結果となる。
 ルカはスタンに靡く。靡きはするが、ただそれだけだ。スタンが思うようなリアクションをしてくれたことは一度だってない。いや、スタンは自分自身でも、ルカにどういうリアクションをしてほしく思っているのかわかっていないから、望みようもないことだが。ただ、何とも表現しづらい、というより、したくないことは、スタンは自分がおそらく、自分自身で蔑んでいる下等な人間どものするような形の恋愛をしたがっているらしいということだ。つまり、人目をはばからずベタベタしたりイチャイチャしたりして、街の公害になりたいのである。
 命令無しにルカが、自分の唇にキスをしてくれる日の、近いことを何かに祈っている。
「膝の上に来い」
「……まだ食べてるんだけど」
「チンタラ食っているんじゃない、とりあえずそれ置いて余の膝に座らんか。おまえ、ハムサンドと余とどっちが大事なんだ」
 ハムサンド、と言いかけて、ルカはしぶしぶスタンのあぐらの中に座った。スタンは満足そうに頷いて、
「よしよし、ここに座っていいのはおまえだけだぞ」
 と言い、しかしこれだって命令ではないか、自分から甘えるように乗っかってきてくれれば良いのに、おろかなことを考える。
「ここは、おまえのために誂えた玉座なのだからな。いまにこの場所に城を設けたら、余があぐらをかいて座れるほどの広い玉座を設える、そうして、その上に余は座り、おまえは余の中にちんまり座っておればよい。世界中がひれ伏すさまを、共に見ようぞ」
 そんなことを言って、抱きごこちのよさだけを考えている。見栄えのしない体の、腕に与える心地よい感覚を愛でる。本当にこれでは、ただの男だ、世界で一番力を持っているはずの自分が、世界で一番情けない男になっている。とんだお笑い種だと自嘲しつつ、いやこれで良いのだと、他の誰にも見知られぬ胸の裡でのことならばと首を振る。この思いは秘しておくべきなのだ。
「ルカよ」
 強く抱きしめる。
「おまえは余のものだ」
 そして余はおまえのものだ、
「そのことを忘れるな」
 ルカは居心地悪そうに首をすくめる。少年は、自分にかまうことの何が楽しいのかが理解できない。かまわれること自体は嫌ではないが、場所不問で素肌をべたべた触られて、べろべろ舐められて、つまりは未だに訳をわかりきれない性行為に突入されてしまうのは、憂鬱なことだった。スタンが施す手のひらや舌は、ルカをやりきれない気持ちにさせた。不快感ばかりではないのだが、行為に連れて得る快感は、何がしかの罪悪を伴うものであるように思えてならないのである。
 ルカは身を捩じらせた。スタンはそれを無理に拘束して、唇を一度噛んだ。
「気持ちよくしてやろうと言うのだ、素直に施しを受けんか」
「だ、だって、こんな、外で、やめてよ」
「うるさい」
 魔王のくせに「申し訳ない」などという気持ちを持ったりなどしながら、スタンはルカのシャツを捲り上げた。白い腹部から手を入れて、ぐいと引き上げ、指先に心地よく転がる粒を弄んだ。これだけでいくばくかの慰みを得られるのだから、自分のことながら手に負えんとスタンは思う。
 ルカの、スタンに開発されてまもなく一年という体は、素直に小さな痙攣を起こす。右の乳首に与えられた快感が斜め後方へと降りていき、左の腰の裏側にぞわぞわと何かを走らせるのだ。
「ん……」
 ルカがその刺激に慣れきる前に、スタンは続けてその耳を食む。悲しいほどに小さな耳朶を唇で挟んだり、舌ではじいたりしながら、息を吐きかける。
「忘れるなよ……、ルカ、おまえは余のものなのだ」
 執念深く言う、男らしくなく言う。
「ん、ん、っ」
 ルカはぞくぞくと身を震わせて、スタンの手から逃げるすべを、どうにかして見出そうとする。無論、かなわぬこと。大魔王の膝の上は堅牢なのである。
 片手だけで十分に自由を奪える体の、下半身へと手が及ぶ。つっかえ棒のように張り出し、淫褻な液を滲ませる細身の樹、滑らかなさわり心地の幹を、指先で撫でる。きゅっと、体をすくめて、魔王を満足させてから、涙目を浮かべて、
「やめてよ」
 と。スタンは多分に胸が締め付けられたが、
「キサマに命令される謂れはないわ」
 一言で却下する。世界で唯一、スタンを少しでも恐れている者と言っていいであろうルカは、それだけであきらめてしまうのだ。
 もうこんなやり方はごめんだ、スタンは思いつつ、自分の思いを達するため、今日も「命令」という手段に頼ってしまう。こんな自分はなんて弱い、どんなに恥ずかしい、わかってはいるつもりなのだが。
 しかし、ルカを欲しいのだから仕方がない。
 情けない男だということは分かっている。自分を支えるものはもう、ルカを可愛く思う気持ちくらいしかないのではないかとスタンは考える。これでは力があろうとなかろうと、世界征服など出来るはずもない。
「ここが外だということなど忘れてしまうがいい。目を閉じてただ、気持ちよくなることだけを考えていろ」
「そんなの、……無理だよ、恥ずかしいって」
「何を恥ずかしがることがあるか。余しか見ておらんのだぞ」
「だって、誰が来るか分からないし」
「こんなところに好き好んでくる奴などおらんわ。だからこそ我らの新居に相応しいのだ」
「でも、でも、外は嫌だ、恥ずかしいよ。しかもこんな時間から」
「……ほう」
 スタンはズボンから手を抜いた。
「では、屋内ならば今しても構わぬということか。そして日が暮れた後なら外でしても良いということだな。……本音が出たなルカ」
「え、え?……あっ、違う、そんなんじゃなくて!」
「ククク……、余は構わんぞ、お前がどうしても嫌というならば、夜までここで待ってやっても。だが、そんな長いこと我慢出来るのか?」
 いかにも魔王的に言って、ルカの反応を見て楽しむ。ルカは顔を赤くして、湿った目でスタンを見る。
 可愛いな……、思わずそんなことを言いそうになってしまうのだから、危なっかしい。魔王の面目丸つぶれであるからして、彼の立場にあって恋愛をするというのは難儀なのである。しかし、それならば魔王をやめてしまうという選択も、視野に入れておいてもいい。そこまでのリスクを考えられるほどのことかどうか、答えはもう出ているのだから。
 ルカは魔王の黒衣を掴んだ。
「……」
「……ん? 言ってみろ、どうした? え?」
「……」
「余は別にココでも何処でも構わんのだぞ? 城を構える場所はもう決まったから、やることがない、おまえの体を欲するのはただ、暇つぶしのためだけだ」
 もちろん真っ赤な嘘であるが、魔王であるからして、嘘をつくのは当然。しかし、罪悪感が伴う、理由はもうわかっている。
 ルカの言葉を待った。
「……もう、いいよ」
 俯いて、ルカは言った。
「もういい、とは?」
「好きにすればいいだろ。もう、僕が何言ったって聞きやしないんだし……」
 ふてくされたように言う顔に胸が痛む。滅多に笑ってくれないような子なのだから、どうしたら笑ってもらえるだろうかと、もっとよく考えて物を言うべきところを。
「確かにそうだな。おまえの言うことなど、余の行動の抑止力にも推進力にもなりはしない。余は余の思うところによってのみ行動する。……が、余は寛大だからな、たまにはおまえの注文を聞いてやっても良いと言っているのだ」
 こんなことしか言えない。自分にはそんな程度の頭と心しか、ないのだ。
「……で、どうするのだ? ここで今するか、宿に行くか、ここで夜まで待つか」
 さあ、自分はどうなりたいのか? この子とどうなりたいのか? それは謎だ、大きな謎だ。困ったものだ、こうまでも自分を困らせるのに、どうしてこうも、厄介なことを試みているのだろう。
 答えは簡単だ。うまくいきっこないから。あきらめている訳でもないのだが。
 分かることは何もない、分からないということだけだ。
「どうするルカ、珍しくおまえに決めさせてやると言っているのだ」
「……」
 ルカは沈鬱な表情で悩む。
 内心ではルカと同様の表情を噛み殺しつつ、スタンの表情筋は厭らしい笑みを浮かべることしか知らない。
 そんなに耐えられるはずもない。ズボンの前は継続的に膨らんでいる、調教の過程において、この子が性格とは裏腹に我慢強くない体であるということはスタンには分かっている。選ぶとしたら、「宿」か、それとも。
「……もう、好きにして、いいよ」
 可愛い意地を張って、ルカは「今」を選んだ。
「謙虚だな。誉めてやろう」
 テントの支柱に触れる、手のひらの中に収めて、一二度扱く、ルカの体は子猫のように震えた。スタンは人差し指をずらして、樹液の湿り気を感じた。なるほど、宿までの少しの距離だって、我慢できないわけだ。スタンは手を抜いて、ズボンの上からルカのペニスを撫でさすり、ルカに声を出させた。
「いやだ、駄目だよ、スタン」
「なぜ?」
「そんなの、そんなことしたら、駄目だって……」
「どうして?」
 ルカは口篭もる。スタンには分かっている。
「……出そうなのだろう? フ……、早漏め」
 ルカは言い返せないで、真っ赤になる。スタンは魔王的微笑を浮かべ、
「下着を汚すのが嫌なら脱ぐがいい」
 と、選択の余地のない選択肢を掲げる。ルカは怒ったような目をするが、実際には怒れる訳もない。スタンがあぐらから開放すると、力なく立ち上がり、廻りに本当に誰もいないかどうか用心深く確認してから、焦るようにズボンと下着を下ろした。その恥ずかしげな表情が、スタンをくすぐる。白い太股まで、捲り降ろされた下着のわずかに濡れた染みにわざわざ指を伸ばして、指摘する。
 悪趣味なのは魔王だからか、男だからか。
「もう汚れていたのなら、大差なかったか?」
「……うるさい……」
「ほう、そんな口を聞くのか」
「……」
 すぐ涙目になる、素直で気弱で影の薄い少年。何が良いのか、全部が良いのだ好ましいのだ。
 スタンは指で招く。スタンは目の前に足を肩幅よりやや広めに立った少年の、ぴんと張り詰めた樹の根元に提がる、優しい丸みを帯びた袋から舌を上へ向かって這わせる。
 この子とする時には、催淫の術は使わない。絶対に使わない。そう決めたから。しかし、ルカはスタンの舌に、愛らしく震える、期待通りのリアクションを、このときばかりは見せてくれる。そうしてその姿はとても好ましい。自分も素直にいられたら、得かもしれないなどと脈絡なく思う。舌先に妖しい肌の塩の味、目先に震える仄かな雫。なんて可愛い。
 スタンは思う、
(この子が好きなんだ)
「んっ、スタン……、スタン!」
 裏返りそうなところで危うく保たれるソプラノボイス。スタンは指を添えて、少し角度を直角に近づけ、口に入れた。舌で舐めるよりも、射精の方が早かったかもしれない。いずれにせよ、青臭く待ちわびた秘の蜜が魔王の舌に溢された。
 膝ががくがくと震え、崩れそうになった体を、下半身を抱きしめることで保つ。そっとビニールシートの上に寝かせ、しばし快感の余韻に浸らせてやる。色気などないはずの少年の体が、異様に興奮を誘う。例えば湿った性器の艶の理由は自分にあると思えば、盛った犬のように見境がなくなりそうになる。
 しかし、大魔王の忍耐力においてそれを押し殺す。
 スタンはまだ、少年の「処女」を奪っていないのだ。これは、他の誰よりも、人間よりも、愚かしく優しい思いやり故だった。こんな弱さがある以上、自分の大魔王として君臨する日は果てしなく遠いだろうと分かっているのだが、どうしてもまだ、出来かねる。
尻に自分の物が入ったら、やっぱりルカは痛がるだろうと思うからだ。それを単純に、可哀想とか、申し訳ないとか、思ってしまうからだ。
 やはり、ルカの涙だけは見たくないと思うのだ。
「や、やだよ、まだ駄目だよ」
「……」
 スタンは舐めるために下げかけた頭を、また上げた。自分のわがままにつきあわせているのだ、余韻くらいは味あわせてやっても、まあいいだろうと思ったのだ。
 大魔王たるもの、下僕がどんなに抗おうとも、圧倒的な魔力で絶対的な支配をし、泣こうが喚こうが本懐を遂げてやるくらいの気概がなくては。スタンはそう思っていたのに。
「……もう、良いか?」
「……駄目って言ってもするんだろ」
「……」
 なんだか、振り回されている。主と従とが入れ替わる日がきてしまう可能性も、無いとは言えなくて、腹の中で、決して不快とは思わない苛立ちが温度差の渦を巻き始めている。
「……では、もう少し待ってやる。その間に……、余の問に一つ答えよ」
 返す返すも弱い自分。スタンは、しかしそんな自分でいいと思うし、こんな自分も好きなのだ。
「子分よ、おまえは……、余にこういった事をされるのを、どう感じているのだ?」
「クイズ?」
「違うわ。真面目に考えて真面目に答えよ」
「……そんな……」
「以前、おまえに性行為を感じるままに答えろと言ったら、『気持ちよくて恥ずかしくて分かんない』と答えたな? あのときから変化はあるのかないのか」
 ルカは訝るような顔つきで、少し考えたが、首を振った。
「……変化なんてないよ。最初のころと変わらない、気持ち良いことは気持ち良いけど、やっぱりものすごく恥ずかしい。それに、何でスタンは僕にこんなことするのか、未だに分からない。だから、変わってないよ」
「……そう、か、なるほどな」
 少なくとも、嫌だとは感じていないらしい。スタンは安堵した。
「よく分かった。では特別に、余にとってのこの行為について教えてやろう。余はこの行為を、非常に愉快で刺激的な、日々の習慣だと思っているということを述べて、続きをはじめるとしようか」
「え?」
「舐めろ」
「……〜ッ」
 声にならない声を出して、ルカは憤慨し、しかし、すぐにがっくりうなだれる。
 スタンは、自分で考えるのも間が抜けていると気づいている事ではあるが、口でのみ終わらせるというこのやり方は、かなり優しいのではないかと考えている。本当は、本当は、荒っぽく抱きたいのを堪えて。ルカのことを、考えているのである。ルカにとってはどちらもいい迷惑だろうが。
 ルカは跪いて、スタンの命令を忠実に守った。
 いつも、これを終えたら即座に歯を磨きたくなる、せめて、口をゆすがせてもらいたいのだが、いまこの場所状況ではどうにも。口の中に広がるのは、何とも言えない肉の潮の味。さらに余計なことまで言えば、スタンの肉茎は太くて大きいので、苦しい、鼻で息をすれば、周囲の匂いをもろに吸い込むことになる。目に涙が浮かぶ。苦しそうな鼻息を、スタンはかわいそうに思いつつも、興奮を覚える。教えたとおりに、手で扱いたり、吸い付いたりする少年の姿に、異様なほどに、萌えている。
「上達したな……」
 こんなの上達したくないやい、口淫するルカは内心で思う。相手がスタンでなかったら噛み付いているところだが。いや、そんなこと、想像するだに恐ろしい。そんなことが出来る男がいたとしたら、それは男ではないと、ルカでも思う。
 スタンは愉悦の微笑を唇の端に浮かべていたが、それすらも覚束なくなってくる。性器を咥えた子分の顔は、ありえないほどに官能的だ。大魔王をして、世界と両天秤にかける無謀な考えを本気でさせるほどに。
 子分の口の中に、解き放つ。ルカの身体が強張る。いつも、吐き出すことも許されず、それを飲み込むしかない。精液を嚥下するまで、スタンが頭を掴んで離さないのだ。
「う・・・・、っく、けほッ……」
「面白い咳の仕方だな」
 涙を浮かべて睨み付けるも、スタンの目は嫌な言い方の割には妙に大人しいもので、自分の顔を覗き込むような目をしていた。
「……大丈夫か?」
 自分でし始めたくせに、終えた後に心配などしている。ルカは少しく腹を立てたが、こういうやつなのだから仕方がないと腹の底に飲んだ。ため息を履くと、口から吐いた息から何となく、飲み込んだものの匂いが漂ってくるような気がして、吐きそうになる。
「ご苦労だった。気持ちよかったぞ、うん、余は満足だ」
「あー……、それはよかった」
「棒読みだな。……疲れたか?」
「……うん」
「そうか……では、少し休んで構わんぞ、ちゃんと服を着て」
「うん……」
「ここへ来い、一時間くらい眠るが良い」
「……ありがとう」
 行為の後のスタンは、妙に優しい。スタンが優しいなど、異変の前触れであるとルカは思うが、行為の後は言いようの無いだるさが身を包んでいるから、寝かせてくれると言うものを無理に断る道理も無い。言われるがままに、スタンのあぐら、スタン自身は「玉座」などと称する場所に座り、遠慮なく頭を寄せる。魔王の懐は広くて、静かに暖かい。
 魔王と人間でも心臓の早さは一緒なのだと言うことを知ったのは、初めてこのあぐらに座ったときだっただろうか、それとも、もっと最近のことだろうか。
 一時間も要らない、十五分だけでも。そう思って目を閉じた。
 その顔を、スタンはじっと見つめていた。胸がむずむずして、そのあたりでくしゃみの爆発が起こりそうになったのを、つばを飲んで堪える。その寝顔を見て、「可愛いな」などと衝動的に呟きそうになってしまったのは秘密だ。言えるはずが無い。しかし、胸がごしょごしょするくらい、可愛く思えてならないのは、本当だ。
「……うーむ」
 こんな風に直に、体温を重ねられる実体を得たことは、案外不幸だったかもしれない。このぬくもりは自分を駄目にする、非常に危険な状況へ追い込む。
 そうして、この子のことをただひたすら考えた。
 どうしてルカは、自分と共にいるのだろうか? 自分が命令したからか? 一緒にいろと。だが、ただそれだけでいるほどの超人では、まさかあるまい。では、やはり何らかの、余への好感があるのではないか。しかし、好かれていると言う実感はまるで無い、嫌われているとも、まさか思わないが。ルカの気持ちが読めない。
 そして、自分はこの子と、出来れば幸せになるために、どうすればいいのだろうか。余は魔王であるからして、やはり世界征服をするべきだ、が、
「んー……」
「……」
 いけない、「起こしてしまったか」などと、心が揺らいだ自分がいた。自分は、一応大魔王だというのに……。
 世界征服をすれば、あの金盥女とは当然敵となる。そしてあの時代錯誤一人称小娘とも。ルカがそれを望んでいないのは百も承知だ。自分にとってはどうでもよくとも、ルカにとっては大切な友人なのだ、それくらいの情緒は余にだって存在している。しかし、やはり余は魔王の、魔王としての心があるから、世界征服はやりたい。
 が……。
 迷うこと自体が間違いかもしれないとは思う、が、しかしだ。
 ルカに嫌われるのはイヤだ。
 余はこの少年が可愛くって仕方がない、それは、もう……。
 ……しかし、世界征服は余の存在意義でもあるわけで、余からそれを取ってしまっては何も残らぬ。それに、玉座に座って、ルカを膝の上に載せて、世界中のすべてを二人で手にしたいとも思うのだ。
 はじめは薄っぺらな、性的ないたずら心だったというのに。なぜここまで発展してしまったのか。スタンにはもう分からなかった。

スタンはひとつ、指を鳴らして、……涼しい風からルカの頬を護る黒い城壁を作り出した。
「……ルカ、起きろ」
 きっかり一時間、それにプラス十五分経って、膝の上のルカの頭を撫でた。
「う、……うー……」
 目をこすって、ぱちくりと自分を見上げる。大きなあくびをして、まだ少し眠そうな声で、
「……僕、どれくらい寝てた?」
「さあな。眠いのか?」
「……うん、まだ、ちょっとだけど」
「そうか。……だが、我慢しろ。これ以上眠っては夜眠れなくなる。せっかくいいベッドがあるのだから」
「そう……。……ここどこ」
 ルカは初めて自分が、ビニールシートの上でない場所にいることに気づいた。
 がらんと人気の無い、大きな空間に、えらそうな柱が左右に二本ずつ、四列計八本並んでいる。床は陰気な黒と紺の幾何学模様で、天井も漆黒だ。柱はグレイ。十メートルほど向こうに、厳重な扉がある。ルカはそして、自分の座るスタンの、座る場所が、その空間の中で一段高くなっていることに気づく。
「……おまえと余の、城だ」
 スタンは誇らしい思いを押し殺して、何とかさりげなく言おうという魂胆がありありと分かる言い方で言った。
「おまえが寝ている間に。こんなのは造作も無いこと、この程度の城、一瞬で作れるし、一瞬で壊せる。どうだ、なかなかいいカラーコーディネートであろう」
「……」
「少しは喜んだらどうだ、おまえと余の新居だ」
「……喜ぶって……、何を」
 ルカはしかし、ぽかんと口を丸くあけて、いかにもラスボス的に言えば「魔王の間」をきょろきょろと見回して、何とも取り返しのつかないことをしてしまったんだこいつは、そんな風に考えていた。
「七階層、大小八十の部屋を設けてある。もちろん、余とおまえの寝室もな」
 もっと喜ぶかと、あるいは「すごいや」と驚いてくれるかとそうして自分のことをもうちょっとでも見直してくれるかと思っていたら、ただ何となく、憂鬱そうに地味に、唖然としているだけだ。スタンはつまらなくなった。
「吸血魔王、幻影魔王」
 スタンが魔王の間中に響き渡る声で呼びつけると、ぎぎぎぃと重苦しくきしむ音と共に扉が開き、見覚えのある二人が立っている。ルカはあっと声を上げた。
「既に話したとおりだ。吸血魔王、お前は歯車タワーで、幻影魔王、お前はハイランドにて勇者どもを待て」
 かつて与えられた倍もの魔力を手にして意気揚揚の吸血魔王はぺこぺこと頭を下げて、元・エプロス、現・幻影魔王は何か言いたそうにスタンを、そしてルカを順に見つめ、踵を返した。
「ねえ、あの二人……」
「うむ、余の魔力の、割合にしたら微々たるものであるが、奴らの満足する程度のものをくれてやった。今では余の忠実なる僕よ」
「いつの間に」
「だから、お前が眠っている間にだ」
「……そう……」
 吸血魔王はいいにしても、よくエプロスさんが承知したものだと思った。リンダさんと一緒じゃなかったんだろうか?
「もう、戻ることは出来んぞ」
 スタンはルカを抱きしめて、言った。
「え……?」
「余は今このときより、大魔王スタンリートリニダードハイハット十四世、として君臨する。そしてお前は余の一番の腹心であり、影武者となった」
「え? ……え!?」
 抱きしめる腕がふっと緩んだかと思ったら、スタンの存在感が消えた、と思ったら、ルカの座る尻から、にょっきりと、あの見慣れた影が伸びだしてきた。
「思うに、愚かな勇者どもの中で唯一、まともに余の相手が務まりそうなのはあの味噌汁女くらいしらおらんだろう。あの女に一番よく効くのは、ルカ、おまえだ。あの女、おまえを殺すことは出来まい。だから、百万分の一にでも、余が危地に立たされるようなことがあったらそのときはこうやってな、おまえ、頼りにしとるからな」
 スタンは自分勝手にそう言って、再び人型に戻った。単純な線の影の時とは裏腹の、彫りが深く男性的な顔は、ルカをじっと見つめて、不意に表情を無くした。
「余はおまえを必要としている。おまえに、共に余の隣にいてもらいたく思っている」
「わ」
 そうして急に、小さな子供を「高い高い」するみたいに抱き上げて、腕の中に収めた。
「その……、上手く言えないが、言いたくもないが……。余はこれからも時々はさっきのように影になって、おまえをいじめてやりたく思う、おまえをコキ使ってやりたく思うのだ。これは全面的に余の我が侭によるところだが……、あー、構わない、よな? な?」
 ルカの返事を待たず、抱いたまま座り、あぐらの中に閉じ込めた。
 ルカは黙ったまましばらくそのままにしていたが、
「今までと変わらないじゃないか」
 とぼそり呟いた。
「今までだって、時々どころか、いっつも、常に、コキ使ってるじゃないか。……何が面白いの? 僕なんかといて」
 スタンは、心底ルカを可愛い気持ちがあふれそうになる。ただ、その茶髪をくしゃっと撫でて、落ち着けた。
 愛しいと思うから、一緒にいて面白いのではないか。まあ、すぐには分かるまい。
 いつか。いつかそのうち、命令無しにこの玉座へと腰を落ち着けてくれる日の来ることを、スタンは本当に祈った。


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