ボクと魔王は魔王と魔王

 旅は終わった。マルレインは戻ってきた。しかし、ルカの頭上には、相変わらず不幸の星が暗い光を放つ。星はどこにいても、ルカを見下ろして、その少年に訪れようとする幸福の芽を片っ端から、一つ残らず、つぶしていく。平和な日々も、少年にとっては不幸な日々と同義のものだ。何も変わることなど無い、何一つ。ルカの側には、魔王がいる、変わることなく。
 もうすっかりあきらめた表情になりつつも、ルカは一応、たずねた。
「ねえ、何で?」
 スタンは、ルカの足から影を伸ばし、自分のものではないベッドにふんぞり返ってえらそうに腕を組み、ルカのことを見下して言う。
「だから言ったであろう。世界征服という崇高なるプロジェクトをやめた訳ではない、が、余が本気を出せばそんなもの、プロジェクトXにも取り上げられんくらいアッという間の出来事よ。する気になればいつでも出来る。ならば、目先の面白げなことをしてしまっても構うまいと」
「そうじゃなくって。……僕が疑問なのは、それのどこが面白げなのかってことだよ。スタンが散々チンケだの愚かだの言ってる人間じゃないか、僕は」
 スタンはフッと目を細めて、笑った。いつも笑っているような顔ではあるが、やや邪悪な趣を、その目に加えたのだ。
「余の偉大なる計らいが解らんのか、愚か者め。……余はおまえが、余の驚異的に破壊的な魔力を取り戻す過程の働きを非常に高く評価しておる」
 魔王の誉め言葉ほど、胡散臭いものはない。ルカは嫌な予感を覚えつつ、しかし何か余計なことを言えばまた怒鳴られるのは目に見えているので、黙っている。
「だから他の人間とは違う、特別な扱いをしてやろうといっているのだよ。だから、喜ぶがいいルカ、余の子分、キサマは余の腹心として、今後さらにコキ使ってくれよう」
「……」
 やっぱり、そうくるんだ……。
 ルカの浮かべた沈鬱な表情に、スタンはもちろん、不機嫌となる。
「喜べ!!」
「……うわーい」
 この魔王はやはり魔王らしく、些細なことでも自分の思った通りに行かないと癪に障るのである。ましてや、あの女勇者など、癪に障りすぎて障りすぎてしようがない。無知低脳の人間ふぜいに、全知全能の自分が付きまとわれているのは非常にうざったく、面倒くさい。こうなればピンクの影は一生ピンクの影のままにしてやろうとも思うのだが、下手をしたら殺されかねない。
 ならば……。
 奸智に長けた魔王スタンは、今後もルカの影として、子分の身体を「人質」扱いするのも手であると考えたのだ。
 魔王らしく、ルカの迷惑を顧みることなく、自分で勝手にナイスアイディアと決め付け、実行に移してしまう……、ルカはそういうスタンの傲慢不遜な正確を誰よりも知っていたから、もう抗う気力も無い。

が、スタンの中にあるのはそれのみではない。

自分の胸中が靄の中だ。
「ルカよ」
 床に潜りこんだかと思うと、実体化して目の前に現れる。猛々しき獅子を思わせる黄金の髪、鋭き眼光、頑強な骨格、そして全身から滲み出る隠しようもない邪気。三百年前に大魔王の名を縦にした者の血を確かに受け継いでいることを示している。実体化したスタンの外見に、まだ慣れることが出来ず、気圧されてしまうルカの様子を面白がるように笑って手を伸ばし、少年のあごをくいと掴む。
「お前は余のものだ」
「え……?」
 脅えたひとみは、スタンの口の中にこの上ない甘味を沸き立たせる。味わうような目で、じっとその少年の顔を舐めまわす。旅を経て、やや大人びた顔も、内包する弱気が消え去らないから、相変わらず眉が八の字になる時間の多いこと。「少年」だったから側に置く気があったはずが、いまでもその心積もりが変わらないのは、なぜか。
 それもまた良い。腐るほど時間はあるではないか。ちょっとした寄り道をしたって構うまい。
 そんな気持ちで、口付ける。魔王にとっては甘く、少年にとっては苦い。強張った身体を面白く思いながら、スタンは少年の唇を貪った。ルカは子猫のように、目を閉じるどころか丸くして硬直するのみ。
 殺されるようにも思えたのだ。
 息をするのも止めるのも忘れていた。口の中に邪悪な舌が入り込んで、蹂躙されている間、ルカは真剣に身の危険を感じた。スタンには少年の、キスに感じる余裕すらない狼狽ぶりが手に取るように解り、非常に愉快な気分になる。
 唇が離れ、魔王と少年の唇が、一本の脆い糸で結ばれた。それは微かに光り、ルカの唇へと消えた。
 スタンは、唇をぺろりと舐めて、微笑む、と言っても、生易しいものではない、黒く縁取られた微笑み。
「コレで、お前は、余のものだ。もう何を言ったって遅いぞ、してしまったものは、してしまったのだからな」
「え、え……、え、何……を?」
「死の口付けだ。お前はもう余から逃げられん。地の果てまで逃げたとしても、お前の影の存在のある限り、余はお前を探し当てる。未来永劫、お前は余の私有物だ」
 ルカはぽかんとして、唇の端から零れたよだれを拭うことも思いつかない。スタンは手を伸ばして、そのよだれを指でこすって拭いた。
「解ったか? 解ったら恐れ脅え震え余を満足させるのだ。え? どうだ参っちゃうだろう、永遠に自由を奪われたのだぞルカ」
「……え……」
「泣き叫ぶのを許してやる、ふん、どうだ?」
「……」
「困っちゃうだろう、土下座してそのまま三点倒立して懇願したら考えてやらんこともないぞ」
「……」
 ルカは目を丸くしたまま、ただスタンの顔をじっと見ているだけだ。
 が、不意に目を閉じて、長いため息を吐いた。その満足感を得られぬリアクションに、スタンはムッとした顔をする。
「何だキサマ、いつもながら地味なリアクションばっかりする奴だなお前は。もうちょっと慌てふためいてはだしでドラ猫追いかけてくくらいの気は利かせられんのか」
「……だって……」
 ルカは力なく首を振る。絶望的な表情は顔に浮かべているが、そこからは涙の色も周章狼狽振りも見受けられない。サディスティック魔王としては一分も満足できない。
 恐怖ではなく諦めの表情で、ルカは、
「もう……、いままでと何も変わらないじゃないか。いまさらそんなこと言われたってさ……」
 少年は、不幸というものに慣れていた。
 それこそ、不幸なことであったが。
「いままでだって、そうして来たじゃない。僕はスタンのものなんだろ、何も変わりゃしないよ……」
 スタンは不満げにルカを見ていたが、やがてその目に悪の炎を、再び焚き始めた。
「ほう……、ほほう、そうかそうか、……なるほどな」
 独り言のように呟いて、
「では、これからも余への変わらぬ忠誠を誓うと言うことだな?」
「……誓わないなんて言えないだろ」
「物分かりがいいな、ふふん、そうか、そうか。良い心がけだぞルカ、誉めてやろう」
 ぐっと身を乗り出して、ルカの身体を床に押し付けた。
「え……、何」
「お前は余のものなのだろう? これからも変わらずに。ならば、それ相応の扱いをしてやろうと言うのだ。余の側に置くに相応な扱いをな」
 荒々しい唇に、ルカはまた目を丸くして固まる。二周りは大きいスタンの身体の下敷きになって、息が止まりそうになる。スタンはそれを知りつつも、魔王ゆえに無慈悲に無遠慮に、ルカの唇を食らった。ルカは顔を、苦しさのみで赤くして、もがいた。しかし腕は空を切り、爪の床を引っかく音がむなしく響いた。
 顔が離れて、スタンの唇は耳へと来た。
「ルカよ、我が忠実なる子分よ。……お前にさまざまな知識を授けたのは誰だ?」
「……、重いよお……」
「質問に答えろ。そうしたら退いてやる」
「……スタン、スタンが、教えてくれた……」
 スタンは腕をついて、ルカを見下ろした。ルカはハァハァと苦しげに息をする。
「お前は余のものだ、ルカ。いま、このときから、お前は余だけのものとなる。そのための儀式だ」
「儀式……?」
「案ずるな。暴れたり余計な力を入れたりしなければ、何もない。ちょっと痛いだけだ。それからあまり大声を出すな、他の連中に聞こえてしまう」
「痛い……の?」
「お前の身を余の側に置きつづけるために、汚す必要がある。純真無垢な天使は、余の稚児には相応しくない」
「……稚児?」
「目を閉じていたほうが、楽かも知れんぞ」
 言うがままに目をぎゅっと閉じた。
 スタンは、フッと満足げに微笑むと、その身体に噛み付いた。シャツを捲り上げて、白い肌に吸い付く、舌を這わせ、私有物の証明をするために跡を付ける。
「……な、なに……?」
 目を閉じたまま、ルカは脅えた声を出す。
「……心配するな、大したことはしとらん」
 少年の胸飾りは、まだ淡い色を留めている。これは風呂場で部屋で、何度も見ていたから知っている。舐めたらきっと甘いに違いないと思っていた。実際には、微かな塩味を帯びていても、スタンの舌にそれは仄かな甘味をもたらす。きつく吸うと、それまでは緊張のリズムを単調に叩いているだけだったルカの心臓が、一つ二つのスタッカートを契機に、乱れ撃ちをはじめる。
 魔王は、ルカの胸を弄りながら、時折その唇を吸った。そのたび、けなげに言うことを守り、目をきつく閉じたルカは、鼻にかかった声を微かに上げる。そんな声を聞き、魔王は魔王という自らの立場を、不意に忘れかける。
「……ルカよ、目を開けろ」
「……」
 ルカは、そろそろと目を開けた。眩しそうにスタンを見る。スタンの目が、凍りつきそうなほどにじっと、自分を見つめていて、ルカはなんだか怖くて仕方がなくなる。
「お前は、余のものだ。……言ってみろ」
「おまえは、よのものだ……」
「馬鹿者! そうではない、お前の立場に立ってだな……」
「僕の……立場?」
「お前は誰のものだ?」
 ルカは、スタンの目から与えられる圧倒的な威圧感に、逆らう術が一つもない。
「僕は……、スタンのもの」
 ルカの目に、スタンが顔を歪めたように見えて、一瞬不安になった、……僕、ちゃんと言ったよな?
 スタンはだが、すぐにフンと鼻を鳴らし、
「……解っているな。忘れるなよ。何があってもだ」
 と言って、ルカのズボンのベルトを外しだす。
「え、え、え、なに、なにはじめるの」
「うるさい」
「ちょ、ちょっと、やだ、やめてよ」
「黙れ。お前は余のものだ、余がどうしようと、お前にとやかく言われる筋合いはないわ!」
 乱暴にズボンと下着を一緒にずり下げる。まだ毛の生えない下半身があらわになり、ルカは隠そうと手を伸ばす、しかし、スタンにその手を払いのけられ、
「暴れるなと言っただろうが馬鹿者! 噛み千切られたいか!」
「……!!」
 ルカはびくりと震え、動きを止めた。
「……大人しくしておれば悪いようにはせん。ただ、小便だけは漏らすなよ、漏らしたら殺すからな」
 スタンは、そこに口を近づける。ルカの身体は、恐怖に、小刻みに震えている。
あまり大きく口を開けなくとも、そこはすっぽりとスタンの口の中に納まった。ルカは、そんな場所に絡みついたそんなものの感触に、泣き声を上げかけた。が、唇を噛んで堪える。大きな声を出したら、噛み千切られてしまうかもしれない……!
 スタンの口の中で、小さなそれが成長をする気配は感じられない。舌でどんなに舐っても、それはくたりと力を失ったままだ。肌の味を存分に味わうが、その程度で満足できる魔王ではない。倦んで、顔を上げる。
「余がそんなに怖いか」
 鋭い口調で言った。
ルカは脅えきった目で、頷いた。
「……魔王として、喜ぶべき所なのかも知れぬが……、クソ……」
 苛立ちを覚え、表情をゆがめる。そうすれば余計に怖がられてしまうことを自覚していない。
「何で……、何で、そんなところ、舐めるの……?」
 震えた声で聞かれる。
 何で余が罪悪感など感じなければならんのだ……! スタンは心の中で怒鳴った。相手はいないのに。
「……儀式だと言っただろうが」
「儀式って……、ねえ、スタン、儀式って、なに?」
「お前は知らなくとも良いことだ。……ええい、歯痒い、イライラする、なんなのだ一体!」
 火を噴くように言って、スタンは不意に、悄然と肩を落とした。
「使えぬ子分め……」
 いまいましげにそう呟いて。
 ルカは、開放されて起き上がり、スタンの横顔を見た。かなり怒っていることは、一瞬でわかる。
「……ごめんなさい」
「そうだキサマのせいだ、キサマが使えんから……ッ。大魔王である余が直々に手を下してやっているのに、何故そんなボーッとしてられるのだ! 無礼者が!!」
「だ、だって……、どうしたらいいの? どうしたらよかったの?」
「……せめて、せめて勃起さすくらいしたらどうだ! そんなに余が怖いのか、ええ!?」
 ルカは困惑して、ますます縮こまる。怖い、と答えたほうが、普段ならスタンは喜ぶし、それが正直な答えだ。しかし、いまのスタンは、そう答えて欲しくなさそうに感じられる。
「……僕、……僕、勃起すればいいの? そうしたらスタンは満足?」
「……」
 スタンは苛立たしげにルカを睨む。ルカはまた竦む。それから、目をふっと閉じた。呼吸を落ち着かせるように、静かに一つ息を吸って吐いた。
「……お前は余の、いまのところは一番の子分だ。お前だけは特別に、余を恐れなくとも良い。余とともに、愚かな人間どもの脅えあがる姿を見ることを許そう。……そう、余はお前だけ……、お前だけは、怖がらせるのを止めよう」
 スタンは、目を開いて、ルカの目を見た。
ルカにはスタンが剣を鞘にしまったように、傘を畳んだように、黒いマントを外したように、見えた。
「……余を恐れるな。余がお前に危害を加えたことがあったか? ……いや、あったかも、しれないが、……決定的にお前を追い詰めたことは、……自信はないが、無かったように記憶している。……そう、それに、お前一人では出来なかったことでも、余の助けによって出来たことがあるだろう、余の力なくしては、お前は無力なただの人間に過ぎんのに、余が助けてやった。……それに……、いろいろなことを教えてやった。……だから」
 だが、同時に……、自分もルカがいなかったら何も出来ていなかったのだ、ルカがいたから好き勝手に、影の無力な身体であっても、魔王の振る舞いが出来たのだ。この身体を取り戻すことが出来たのではなかったか。
 自分は無力な男なのだ。
「ルカ……、お前は……、余のものだ」
 スタンはうめくように言った。
「僕は、スタンのものだって、さっきも……、言ったじゃないか」
「ああ。……約束は守れ。お前は余の子分だ、約束を違えることは……許さぬ」
「破りようがないだろ……。僕のことを、あんたは簡単に殺せるんだから」
 消えそうな声で言われ、スタンは喉が詰まる。
「……ああ、余は、お前のことを殺す、約束を違えたら」
「だから破らないって……」
 スタンは、ため息を吐き、首を振った。
「お前に……、命ずる」
「なに」
「……儀式の続きをする。裸になって、余の膝の上に来い」
 ルカは、悲しそうな顔をして何か言いかけたが、言われたとおり、中途半端な状態だったズボンを脱ぎ、シャツも脱ぎ捨てた。そうして、広いスタンのあぐらの中に、座った。
「……これでいいの?」
「ああ……」
「何が楽しいの? 僕をこんなことして、裸にしたりして……」
「楽しいさ」
 スタンは皮肉げに言った。
「……あの……、言ったら怒るかもしれないけど……」
「何だ」
「……やっぱやめとく」
「言わんと怒るぞ」
「もう怒ってるじゃないか……。……あの……、僕、本で読んだことあるんだけど……」
 ごく、とつばを飲み込んで、ルカは恐る恐る言った。
「……男の人なのに、男の人の事を好きになるっていう、あれ、なの? スタンは……」
「誰が誰を好きだと!?」
 たちまちカミナリが落ちてきた。ルカはきゅっと首を竦める。
「……図に乗るな」
 スタンは呟いた。
「暇潰しに過ぎん。……手の中にある玩具を弄繰り回すようなものだ。余にはボイン(死語)のグラマー(死語)なイケイケ娘(死語)こそ相応しいのだ」
「……そうなんだ……」
 スタンは、太い腕でルカの細い身体を抱き締めた。抱き締める、という行為だったのかどうか、スタンには良く解らない。ただ縛り付けただけかもしれない。鳥を籠に閉じ込めるように。
「……僕、どうしたらいいの?」
「……うむ……、そうだな」
 スタンは、なぜか口篭もった。
「むう……、よし。子分よ、一つ尋ねるが、お前は余の教えてやった自慰行為、あれをどう思う」
「それは、……いつものクイズ?」
「その通り。答えてみろ」
 えー……、とルカは考える。
「当たったら何、先制攻撃か何かするの?」
「うるさい、とっとと答えよ」
「……えっと……、気持ちよくって」
「うむ、それで」
「……、正直に言っていいんだよね? ええと、……恥ずかしくって……」
「なるほど。では最後は?」
「……わかんない」
「何が解らんのだ。考えろ! 脳味噌をフル回転させてだな」
「そうじゃないよ、それが答えなの」
 ルカはスタンを見上げて言った。
「……何、つまり、こういうことか。お前にとって自慰行為とは『気持ちよくって、恥ずかしくって、わかんない』と……。キサマ、余を馬鹿にしてるのか」
「してないよ! ほんとに……、ほんとにそうなんだもん。確かにスタンが教えてくれたあれは、気持ちいいよ? それは……、ほんとにそう思う。だけど、人前であんな風に、いまだってそうだし、裸になってるなんて、恥ずかしいし。……でも、何で気持ちいいのかとか、何で恥ずかしいのかとか、スタンはまだちょっとしか教えてくれてないよ。僕にはわかんないことばっかりで……」
 スタンはじーっとルカの顔を見た。もう、さほど怖くは無いから、ルカも目をそらさない。
「……なるほど」
 と、スタンは頷いた。
「お前の言うことはわかった。まあ、そういう答えならば一発先制攻撃をかましてやらんこともない」
 スタンは、ルカのそこに手を伸ばした。口に入れても変化の無かったそこは、相変わらず柔らかいまま。ふわりと優しげなラインを描いた、少年のもの。ルカはそこに触られて、ぴくんと震えた。
「……余が、してやる」
「……え?」
「いつもお前一人でしていたことを、これからは余がしてやる。余の手で、口で、気持ちよくなることを許してやる。そして存分に恥じ、存分に解らなくなるが良い」
「え、ちょ、……ちょっと、スタン……?」
 思わずぎこちない作り笑いを浮かべるが、スタンの親指と人差し指で、小さなそこを抓まれて、ルカは喉元にナイフを突きつけられたような気分になった。そこは小さかろうが大きかろうが、男にとっての急所に違いない。ちょっと叩かれただけで、泣くほど痛い場所である。そこを、乱暴な魔王にキープされてしまっては、身動きなど取れない。
 しかし、恐怖はさほどない。スタンが、恐れるなと命じたからだ。そして、スタンが怖い目をしないからだ。
 魔王は二本の指で抓めてしまうそこを、可能な限り優しく、刺激した。まだまだ柔らかい茎を、そっと揉むように扱く。
「……ス、タ、ン……?」
 ルカは、笑う余裕もなくなってくる。恐怖心は無いが、羞恥心がどんどんどんどん湧き上がってくるのだ。スタンは無表情に、ルカのペニスを刺激しつづける。茎は、徐々に力を得て、立ち上がり始める。
 影に見られているだけなら、まだ堪えられたが……。
「やだ……、スタン、やだよ、恥ずかしい……」
 泣きそうな声でルカが言う。
 スタンはただ、ルカの性器が勃起し、恥ずかしそうに震えているのを見て、えも言われぬ満足感を覚えていた。
「お前は気持ちよくなることのみを考えていれば良い。あとは、そうだな、余への感謝の気持ちでも持っていてもらおうか」
 ルカの性器が完全に勃起したのを境に、スタンの手が激しくなる。ルカは身を拘束するスタンの腕に、スタンの服に、爪を立てて、声を殺す。しかし、自分以外の者の手でこの場所をここまで触られるのは、もちろん初めてである。しかも、途方も無い羞恥心も手伝って、気持ちよさがどんどん鬱積していく。
「やだ……、んっ、スタン……、やだよぉ……っ」
 スタンは、手のひらに、心が弾けるような鼓動の波を感じた。ルカのペニスの先端から、ルカ自身の身体、そしてスタンの着衣に、精液が飛び散った。
 恐らく、自分は怒るべきなのだろうな。……スタンは考える。余の服を汚しおってこの無礼者の子分が子分が子分が!! と。
 しかし、スタンはそうしなかった。服についた精液を指で掬い取って、舌先で掬い取った。
「……スタン……」
 真っ赤な頬にぽろぽろと涙をこぼしながら、ルカが見上げる。スタンはぐしゃりとその髪を撫でて、膝の上から開放して寝かせる。そして、その腹に散った蜜を、残らず舐め取った。もちろん、ルカは信じられない思いでそれを見ている。いつもは自分でも、どんなに余韻が辛くても、真っ先にふき取るようなものを、舐めているのだ。……さっきそこを口で舐めた時だってそうだ、どうして……スタンはそんなことが出来るんだ?
 きっと……。
 ルカは片付けてしまう、自分にはまだわからないことだと。
「ひゃ……」
 腹を舐めていた舌がそのまま、乳首へと移される。男の子の癖にと思いながらも、自分で弄ったら気持ちいいということを、教えられた場所だ。背中に、暑いものがぞわりと、走る。触れられてもいない脇腹も、ひきつってぞくぞくする。
「スタン……、ねえ……」
 それがそのまま性感につながっているという自覚は無いが、身体は心に異常なシグナルを送っている。声を出せ声を出せ出したら楽になるから、そんな風な言葉を投げかけられる。
「スタン……ッ、んっ……、んーっ……」
 心臓を上に向かって吸い上げられているような気になる。息が、詰まる。リアクションに困る。何を求められているんだろう僕はいま。余計なことを言ったら怒られるだろうか、でもこんな、ボーッとしてたら、また……。
「あぅ……」
 しかし、ルカの口から零れるのはそんな程度だった。
スタンはちゅっと音を立てて、乳首にキスをした。その行為がキスだという、自覚は魔王には無かったが。
 ぐい、とルカの身体を起こして、抱き上げる。
「え? ええ??」
 次から次へと起こる、いろいろなことに、ルカはリアクションのレパートリーが尽きつつある。
「……背中が痛かろう」
 ベッドに下ろされた。そうして、
「余の調教の賜物だな、乳首でも感じているではないか」
「……え? あ……っ、違……」
「媚薬など使ってはおらんぞ。……お前にはもう、媚薬など使わん。そんなものには……」
 スタンはぶつぶつと呟いて、先ほどは何の反応もくれなかった口淫に再び及ぶ。しっとりと濡れた蜜も乾きだした幹へ、舌を這わせる。ルカは思わず口に手を当てて、目を見開いた。
「いやだ……」
「お前に拒否権は無い」
 暴慢なことを言い、口に含む。口の中で、ルカの命が煮え出す。舌に、そのリズムが心地よく伝わってくる。噛み千切れば、握りつぶせば、この命だって終わってしまう、しかし敢えてそうしない、決してそうしない、自分の情動をどこか愉快にすら思う。手の口の中の、小さな命だ。
「スタン……、僕、……、また、いきそうだよ……」
 ルカは顔を歪めて泣き声を出す。
 その言葉も余が教えてやったのだ、何も書き込まれていない紙に、黒い墨でたくさんの言葉を意味を書いていく、そうして、書き終えて見たらどうだ、この体たらくだ、自分はルカを欲しがっている、この一枚の書を、傑作を、他の誰にも渡したくないなどと思っている。
「いっ……」
 樹液が口の中に放たれ、青草の新鮮な苦味が舌に触れる。スタンは疎むことなくそれを飲み下し、ルカの身体が震えるのも構わず、射精を終えた茎をなお、味わいつづけた。
 笑ってしまいそうになる。
「……フン、お前、ずっと思っていたことだがなこれは。怺え性が無さ過ぎるぞ、もう少し我慢強くなれ、この程度でイッていては、余の相手はつとまらんぞ」
 心臓の動きにあわせて震える少年を見下ろして、スタンは不遜な言葉とは裏腹に、鏡に映したくないと本人は思うような微笑みを浮かべながら言った。
「お前にはまだまだ、教えなければならんことが多すぎる。……起きろ、自分だけ気持ちよくなることなど許さぬ」
「……え……?」
 スタンは黒衣の前を緩め、ベルトを外した。ルカは呆然とスタンの行動を見ているのみ。スタンはそのまま、ズボンの前を開き、魔王らしく漆黒の下着の中から、金の縮毛に縁取られ、猛々しく屹立する陰茎を、少年の無垢な目に晒した。
「な、な、なに、なにそれ……」
「お前と同じものだ。……まあ、余は近々この世界に君臨する大魔王であるからして、立派で高貴でダイヤモンド並に硬いのは当然のことだが」
「そ、そ、そうじゃなくて……」
「命令だ子分、余の偉大なる性器を口でしろ」
「く、口、で、す、る?」
「さっき余がしたように、口に含んで舐めて、余に快楽を与えよと言っておるのだ」
 ルカはざざっと血の気が引く音のするほどに、青ざめた。
「や、やだよ、やだよそんなの!」
「聞こえなかったのか? 命令だと言っただろう」
「で、でも、やだ……、そんなの、するなんて嫌だよう」
 フン、とスタンは鼻で笑う。
「本来ならばもっと苦しくって痛くって泣いちゃうような事をするところを、口をちょっと汚すくらいで済ませてやろうと言っているのだぞ。いや……、汚すこともない、余のは大魔王の精液だからな、汚くなど無いぞ。さあ、舐めろ」
 ぐい、と頭を掴んで、自分の物に引き寄せる。ルカは泣きそうな目になって、スタンを見上げる。魔王に対してそういった目線が一番逆効果だということを、まだ覚えないのだ。
「キサマは、キサマに快楽を与えてやった余に報いぬつもりか?」
 凄まれてしまうと、やはり、命との天秤を働かせないわけには行かない。汚い、と思いつつも、命とどちらが大切か?
「……わかりました」
 力なく言うほか無いではないか。
「ふん、最初からそう素直に言っておればよいのだ。……では続いて命令する」
 スタンはベッドにごろりと仰向けに寝そべる。
「余の上に乗れ」
「……乗る……って」
「足と尻をこちらに向けて、だ。余に施す褒美をくれてやる」
「ど、どういうこと?」
「物分りの悪い奴だな。……余の上に、余とは反対向きにうつぶせになれと」
「……? ……!!」
 言われた体位(という単語も、ルカはまだ知らないが)のすごさに、絶句したまま身を凍らせたルカが、なかなか動こうとしないから、とうとうスタンは無理やりにその身体をひっくり返し、自分の上へと乱暴に誘った。ルカは足をばたつかせて抗う。
「やだやだ、いやだよぉ、こんなカッコ、恥ずかしいよう」
「ええい、うざったいッ、黙らんか! 命令に従わなければどうなるか思い知らせてやろうか!?」
 とたん、ルカの足が止まる。
「……お前も気持ちよくなれるのだ、気持ちよくしてやろうと言っているのだ、文句を言うな。お前が言うことを聞けば、余は別にお前を苛めるつもりなど毛頭ない」
 ルカは、眼前にあるスタンの肉茎の大きさに、たじろいだ。まだその知識も気もないルカに、それに欲情することのあるはずもなく、ただいままで見たことのある同性の性器の中では段違いであるということだけを考え、単純に「すごいや……」と思っていた。茎の根本を被う、自分にはまだ生えてこない毛も黄金色で、根拠も無いが、いかにもスタンという感じがする。
 そんなことを考えていたら、尻の肉をくいと左右に開かれた。
「ひゃ……! やだ……」
「二度は言わんぞ。お前は余の崇高なる性器にしゃぶり付いていれば良い」
 おちんちんに崇高も偉大もあるもんか……! そう思いながら、ルカは背筋を弓のようにのけぞらせた。尻の穴に、こそばゆくて、熱くて冷たい感触がひたひたと与えられた。スタンが舌先でそこを突いているのだが、ルカにはそれがわからない。ただ、異様な感じ、しかし、それはやはり不快感ではなくて、声が出そうなほどに気持ち良いのだ。スタンの調教によって、後ろをも開拓された身体は、本人が思っているよりもずっと、快感に対して貪欲なのである。
「んっ、ん……、スタン……っ、それ、やだ……」
「……、余の言うことを聞いていないのか、とっととしゃぶれと言っただろうが、ええ!?」
 ぐっ、と白い太股の間に垂れ下がる袋を手の中に収め、ほんの少しだけ力を入れる。
「ひっ……」
「握りつぶされたくなかったら口に入れて舐めろ、余に快楽を与えて見せよ」
 有無を言わせぬ口調で、スタンはそう言い放つ。言って、少し顔をしかめたが、その表情はルカには見えなかった。唇を噛んで、スタンは再び、ルカの肛門を舐め始める。
 ルカも、目をつぶって、なるべく息をしないようにしながら、スタンの性器を口に、入れた。大きくて、口をしっかりあけていないと、噛んでしまいそうになる。もし噛んだりしたら殺される……、そんな緊張感を漂わせながら。
 初めて口にした男性器の味、味わいたくなくとも、舌が触れれば感じてしまう、その味は、拍子抜けするほど、どうということの無い味だった。微かに鼻に感じられる、汗のような匂いに違和感を感じるが、舌に感じられるのは、ただ、自分の手を舐めたときに感じるのとほとんど変わらない。
 しかし、時折、スタンの性器はルカの口の中でひくりと脈を打った。それが、ルカには苦しく、異様な気分になるのだった。下半身への刺激は継続的に続けられており、
「……っ……、……ん……っ」
 濡らされた菊花のつぼみを、スタンの指が探る。少年のそこはかたくなで、まだ本人の指を飲み込むのも苦しいくらいなのに、他人の指をそう容易に飲み込めるはずが無い。ぐ、ぐ、と抉じ開けるように、ルカを引き裂く。
 ルカは、スタンのものを口に入れているだけで精一杯だ。
 尻の中へ入った指が動きをはじめれば、開発された体は他人に触られているという要素が加わることによって、突き抜けるような快感を覚える。
「……ルカよ、もう少しこう……、吸うとか舐めるとか、工夫は出来んのか。そんな風になあ、口に入れてるだけでは、なんかこう、気持ち良いことは良いが、さみしいぞ実際」
 ルカは一旦口を抜いて、肩越しに振り返ったが、スタンの顔は見えない。真下を見ると、自分の足の、自分の性器の向こう側に、スタンの顎が見える。なんとも悲しい光景だった。
「じゃあ……、どうすれば……」
「苦しいなら、無理に口の奥まで入れなくともいい。それよりも、亀頭の部分を……、亀頭、分かるかルカ、その、陰茎の先の……他の皮膚の部分とやや違う趣の、傘状になっている部分だ」
「……どこ? ……ここのこと?」
「つ、つっつくな馬鹿者! ……そう、そこのことだ。そこを重点的に舐めてみろ。それから、まあ、裏側の筋の方や袋の方も、補助的な意味で時々舐めてもらえると有難いが。苦しいなら手で撫でるなり扱くなりすればよい」
「……そうすれば、気持ち良いの?」
「人による。余はその方が有難い。少なくとも、さっきのように口に咥えてるだけではどうにもならん」
「……わかった」
 いろんな事を知っているんだな……、ルカは思う。感心はしないが、魔王と人間の差を感じるときである。ただ、知らなくても良い事のような予感も、ルカはするのだが、スタンにそんなことは言えない。
 自分は、分からないことばかりなのだ。分かっていることなんて一握りも無い。だから、あくまで謙虚にしていたほうが得策だろうとルカは考える。
もう一度、挑戦してみる。したくは無いけれど。教えられたままに、苦しいほど咥えるのではなく、先っぽの方を口にぱくんと咥え、咥えたまま口の中、舌をれろりと這わせてみる。
「……そう……」
 スタンは俄かに堪えるような声になる。ルカはそのまま、覚えたての口淫を続けた。スタンの言ったことを忠実に守り、扱き、時折口を離し、バネでも入っているかのように反り返ったものの裏側へと舌を伸ばし、再び亀頭へと戻る。口に入れ、舐めながら手を動かす。
「……上手いぞルカ……、飲み込みが早いな、淫乱め……」
 言って、スタンはまた顔をしかめ、舌を打った。ルカは眉間にしわを寄せて、口を続ける。スタンはルカの太股をつうっと舐めて、いくつか跡を遺した。そして、袋を舌の上に載せて転がす。
「ルカ……、イキたいか?」
 スタンの右手の中に、すっぽり納まったルカの性器は、先端に滴を浮かべて震えている。滴の存在は、スタンの指先を濡らすから、つぶさに分かる。
「ん、んん……」
 首を振るルカを、スタンは嘲笑った。
「よく言うわ。……二度もいかせてやったのに、まだ勢いを失わぬ。安心するがよい、余を満足させたら、お前もともに……」
 言葉が止まったのは、ルカの舌先がスタンの亀頭の亀裂をつっと弾くように刺激したからだ。
 スタンは、余計なことを言うのはやめて、快楽を求める事を最優先で考え始めた。ルカは、ちょっとしたことで、いかせられるだろうと考える。
 ルカは懸命に、スタンの性器を咥えている、その気力がスタンにも伝わってくる。十分に快感を享受できるレベルにある。現段階でこれなら、育てればどえらいことになろう。
 内心でニヤリと笑う。そして、その笑みを消す。
 ……長かったぞ。
 長かった。こうなるまで、どれだけの辛抱を強いられたか。たった一人の子供に。ずっと考えていた。実体化したら……、身体を取り戻したら。ああ、そうだ、取り戻したら。
 この世界は余の思うが侭。
 この世界は余の思うが侭だ。
 この世界、ルカを、思うが侭に。
 震えるような喜びが溢れてくるのを止める必要もあるまいとスタンは考える。この世界は余の思うが侭、こうしてルカを支配している。
「子分、余の子分、余の全てを、飲み込め」
 お前は余のもの、そして。
 スタンはルカの口の中に吐精した。ルカは見を強張らせ、喉の奥へと放たれたそれを、吐き出すことも一瞬のうちには思いつかず、嚥下してしまった、同時に、スタンの手のひらで激しく扱かれて、三度目の遂精に至る。ルカは激しく痙攣し、スタンの足に爪を立て、崩れた。
「あ……、はっ……、っん……」
 そんな言葉の混じった吐息を漏らし、ごろりとスタンから転がり落ち、ベッドの端で余韻に浸る。身体の中を昇龍が駆け巡っているような感じだ。ぐったりと疲れていながらも、いやに心地よい。
 スタンがむっくりと起き上がり、ルカを見下ろす。ルカはそれにリアクションも出来ず、ただ空ろに寝そべることのみが出来る。スタンの手が伸びて、ルカのペニスを摘み上げた。ルカはそれにも、上手く反応が出来ない。スタンはそこを、何かで拭った。
「起きろ子分」
 腕を引っ張り上げられて、ルカは初めて、自分の目が腫れぼったいことに気付く。快楽のあまりに泣いてしまうような自分だと気付いて、また落ち込みそうになる。
「見ろ、余の服を。お前のせいでベタベタになってしまった。どうしてくれる」
 スタンの言うとおり、彼の黒衣はルカの放った精液のせいで、ところどころ白く汚れている。ルカは、ただ素直に頭を下げた。
「ごめんなさい」
「……ふん」
 スタンは舌を打って、ベッドの枕もとに置いてあるティッシュペーパーを抜き取って、拭った。元が黒いものだからして、汚れは目立ちやすい。上手く落ちなくて、魔王は舌を打った。その袖口にも、白くこびりついている。
「あの……、スタン」
「儀式はお終いだ。お前はコレで余の子分、ただの子分ではなく、余のたった一人の、唯一の子分になった。覚悟しろよ」
「……」
 ルカはがっくりとうなだれる。それからくしゃみをひとつして、
「あの……、とりあえず、服着てもいい?」
「うむ、余はそこまで心の狭い男ではないからな、構わんぞ。……いや、待て」
 そうして、傲慢な座り方の自分の足を指差す。
「もう一度、こっちへ来い。座れ」
「……」
 スタンの足の中は、案外に広い。ルカは小さくなって座った。スタンは満足げに笑い、
「ここがお前の玉座だ。いずれ、近い将来、余がこの世界を、人間どもを統べたときに、お前がここに座る。余とともにひれ伏す人間たちを見るのだ。きっと気分が良いぞ」
 ルカは、ちっとも嬉しくなさそうに、作り笑いを浮かべた。
「余はもう、お前に何かを求めたりはせんぞ。オルゴールなど欲しがったりなどするものか」
 スタンはそう言って、ルカの頭に手を置く。
「余はお前を手に入れた。この世界を手に入れる。他の些末な物は要らぬ。お前は余のものだ。……服を着て良いぞ」
 開放されたルカは、もう一度くしゃみをして、下着を履き、ズボンを穿いた。
 スタンの計画は、計画どおりに遂行され、そして計画通りには行かなかった。余計な要素が、いくつも混入しているように思える。スタンはしかし、なるようになると考える。服を着たルカを、三度招いて、拘束する。ルカは諦めきって逃げ出すこともしない。好都合だと、スタンはルカを楽しく拘束する。世界はこんな風に、おさまるものだ。
 一方のルカは、当然のごとく落ち込んでいた。魔王に、今後も永劫付きまとわれるのは、誰だって気が重いにきまっている。平凡で平穏で平和な日々が訪れると思っていたのに、これから先も変わらない、ある種は安定した日々が視界に開けた。少年に奇跡的ともいえる主体性の無さが備わっていなかったら、気が狂っている所である。主体性の無い少年は、だから同時に、「それでもいいか」などと思う気持ちもあるのだ。どうせあがいたって同じ事なら。
 膝の上の小さな鳥篭に、囚われた。
 ルカから、めぼしいリアクションは一切無い。まさかそう簡単に、望むような言葉をルカが暮れるとは思っていないスタンだが、多少、寂しくもある。ただ、どんな言葉を自分が求めているかはまだ分からないのだ。「好き」と言われたいのか、それとも、もっと違う言葉を待っているのか。そもそも、言葉を、待っているのだろうか? ただ、時間はまだたっぷりとある。いつかそのうち、明らかになるだろう。
 この世界が余に平伏した時にでも、聞いてみれば良い。どんな気分かを。
「お前も、魔王だルカ。余と同じ、魔王だ」
 ルカは、力なく意味もなく、頷いた。
 スタンは言って、いやそうじゃない、内心で首を振った。
「……お前と余は、同じなのだよ、ルカ」
 ……余もまた、いまは一人の男なのだな。
 そうやって自分の弱さを、特別でないことを自覚する行為、誇り高い自分であるはずなのに、そうすることが愉快ですらある。と言って、馬鹿みたいに「好きだ」の「愛してる」だの、言う気持ちにはどうしてもなれなかったが。
 恐らくそれが正直な所なのであろう。
 知ることはちっとも悪くない。
「ではルカよ……、魔王の片腕となったお前に改めて問う。世界征服をするに当たっての心構えを思いつくままに言ってみよ。あんまりマニアックだったりマイナーだったり大衆に反感を買うようなものはダメだからな」
「……大衆に反感を買わない世界征服なんてあるもんか」
「つべこべ言わず答えよ!」
「わ、わかったよう……。……ええと……、『ビューティフルで』」
「いきなり英語か。……それで?」
「『エレガントに』」
「……なるほど」
「『絶対的な、支配』……とかいう感じ……」
「『ビューテフィルで エレガントに 絶対的な支配』……ふむ」
 口の中で幾度かその言葉を転がして吟味して、スタンはニヤリと邪悪な微笑みを浮かべる。そうして、ルカに笑いかけた。
「なるほどなるほど、分かっているではないか、筋が良いぞ子分、お前は立派な魔族になれる、余のスペシャル子分としてはノープロブレムだ! ククク、お前も心底には邪悪な黒い血が流れておるのだ、余と同じようにな。気に入ったぞ子分、余の魔力の試運転もかねて、かるーく一発カマしてみるか!」
 ルカを抱き上げて、すっくと立ち上がる。そうして扉を開け、唖然としているルカとは対照的に、決意に満ち溢れるひとみでエントランスホールに下りてくる。
「あらルカ、どうしたの? そちらの素敵なお兄さんはどなた?」
 花瓶を片手に台所から出てきた母親三十八歳にしていまだ美しさ満開、が息子を抱く頑強な男に胸をときめかせれば、テネル村役場課長兼家長の父親はあらぬ事を口走る。
「お姫様抱っこかいルカ……、いつかはアニーも嫁に行ってしまうんだなあ」
「それはちと気が早すぎるぞ……」
 祖父がそう言えば、
「えーえー、そうですねえおじいさん」
 祖母はそう相槌を打つ。ありふれたいつもの日常である。
 スタンに抱かれたまま、家族に見つめられて、ルカは縮こまるしかない。
 スタンは逆に、いい気分でルカを抱いたまま、凛とした声を上げた。
「余の名は大魔王スタンリートリニダードハイハット十四世である!」
 父親が飛び上がった。
「スタン! ああ、あのスタンか! ちゃんと厚みが出来て、立派になったんだねえ」
「やかましいわ! ……これより余は、子分ルカを連れて、世界征服の偉大なる旅路に就く。おいルカのオヤジにオフクロにジジにババ、……あの小生意気な妹はおらんのか」
「アニーはジェフとデートよ」
「……、仕方ない、ではここにいる全員だけでも構わん、余の旅路を祝福する大役をつかわす! せいぜいしっかり祝福するが良い。次に戻るとき、余とルカは大魔王としてこの世界に名を……」
 言って、スタンは自分をじーーーっと睨む目線に気付いて、言葉を止めた。視線の先には、台所から出てきマルレインである。
「……勝手なことを……」
 怒りの篭った視線で、スタンを睨む、その口調は「王女」の分類のなされていた『人形』のものに戻っている。
「ペラペラ魔王が何を偉そうに! ルカの七割はわらわのものじゃ、その汚らわしい腕からルカを放せ!」
「フン、知るか小娘。仮に身体の三割しか所有権が無かろうとも、心のすべては余のものだ。ルカは既に余のものになるという誓約を交わした後だ、儀式も済ませてある、もうキサマがどうあがこうとも、コイツは余のもの、永遠に余のものだ」
「クッ……、勝手な真似を……、ルカよ、コイツの言うことは本当なのか、本当にお前はこんな汚らわしい男のものになるなどと……」
「……え……、えっと……(A『言ってないよ、マルレイン!』 B『僕はスタンのものだ』 C『…………』)」
「どうなのじゃ、ルカ」
「(C)…………」
「フ、決まりだ。では余は行くぞ。小娘はハンカチでも噛んで傍観しておるが良い!」
 スタンは颯爽と背を向ける。そして、腕の中のルカを見て、
「……長旅になる。お前と余の、桃源郷を作る旅だ」
 そうささやく。
 父親はハッとして、家族と目を見合わせる。
「じ、事情は良く分からないが、やはり息子と息子の友人が旅立つと言うのだから、祝福しないわけには……。いいかみんな、用意は。……では、せーの」
 家族全員、声を合わせて、
「いってらっしゃーい!」
 ただ一人、マルレインだけは唇を噛んで、魔王の尊大な背中を睨みつけていた。




 とりあえずはマドリルへ向かう、とスタン。テネル村と違って人口も多いし、あそこには勇者協同組合の事務所もある。さらに、過去に下水道・会長・アイドルと、三人もの魔王が出現したこともあり、初陣を飾るにはもってこいの場所だという判断からだ。
「……マルレインに謝りたいよ」
 スタンの後ろをとぼとぼと歩きながら、ルカはうなだれて言った。
「フン、偽王女と退屈な日々を過ごすのと、余と刺激と幸福に満ちた日々を過ごすのと、どちらが良いかよく考えるのだな。なあに、いまに余とともにいられて良かったとすがり付いて感謝する時が来るわ。……む、そうだ」
 スタンは橋の上でぴたりと止まって、手をかざす。かざした手に、霧のようなものが生じ、棒状に凝り固まり、やがて霧は確かな物質感を醸す。スタンが手を握ると、そこには一本の杖が生まれていた。杖の頭の部分には頭蓋骨がはめられており、柄から先端までは木で出来ているが、禍々しくうねり、邪悪さを漂わせている。
「これをお前にやろう、余の魔力が篭った杖だ。今後、愚かで間抜けで大馬鹿な、余の一番キライな者どもと戦うことがあるかも知れん。余が敗れることなど万に一つも無かろうが、お前を気にしながら戦うのは面倒だ、お前も自分の身は自分で守るのだ」
「えー……、歯車の剣、ウチにあったのに……」
「余の見立てでは、お前は剣を振るうよりも魔法の方が向いているように思うのだ。長いこと余を影にしていたから、余の魔力がお前の中にも流れ入ったのだろう。魔法については今後道すがら教えてやる」
 そうして、ルカに杖を手渡す。少年の手に、ごつごつした杖は、案外に手になじむ。少年はまるで、自分がその杖に似合いの持ち主であるかのように思えて、嫌な気分になった。
 と、そのルカの背後に、ゴーストがいたずらをしにふわふわと漂ってきた、が。
「プペー、プポー!!」
 そんなわけの分からない叫びとともに、脱兎のごとく逃げ出す。叫び声で、初めてルカはゴーストの存在に気付いて、目を丸くした。
「……どう、したんだろ」
「フン、余と、その杖の魔力に脅えたようだな。その杖は、使い方さえ間違わねば、街一つ瓦礫に変えてしまうほどの破壊力がある。そこまでの魔力は必要なかろうが、お前のような素人が振るっても、低級魔族を屠るのは造作も無いこと。同じように、人間もな」
 スタンはなんでもないように言い放って、歩き始める。
「ね……、ねえ、スタン、あのさ」
 ルカは、急に不安になって追いすがる。
「スタンの一番キライな人たちって……、まさか……」
 スタンは立ち止まり、ルカを振り返り、竦みあがりそうなほどの邪悪な笑みを浮かべる。
「まさか……、ねえ、スタン」
「察しが良いな、子分よ」
 クックックとスタンは笑い、
「その通り……。あの金だらい女を初めとする、『勇者』を自称する人間どもよ。余は、つまらぬ分類とは関係なく魔王だ。魔王である以上、余に楯突く連中は一人残らず灰にしてくれるわ」
 愉快そうに高笑いするスタンの後ろで、ルカはただ青ざめるばかり。
「まずは、あの生意気なお笑い勇者の奥歯をガタガタいわしてくれる……、クククク、フハハハハ!!」
 ウィルクの森の木立を、水溜りを、揺らすほどの邪悪な笑い声が響き渡る。不吉な予兆に、烏が一斉に飛び立った。
 これまで以上の少年の不幸が、始まろうとしていた。


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