スタンは平和主義者ではないような顔をして、やっていることは平和主義者そのもので。
何とか主義、かんとかイズム、レッテルを貼るのがどうかとは思うものの、平和主義ならいいな、でもそれって弱虫っぽいのかなあ? 暇に任せて、人より考える時間は何倍もあるものだから、考えるに充当する。
尊重するならば、僕はスタンと一緒にいる日々を。だから「生活主義者」を自認するのかもしれない。実際、スタンの右手には凄まじいまでの魔力が秘められており、以前は「この力で世界を我が手に!」などと、空恐ろしいことを口走っていたが、最近では寧ろこの城の内へと向かうことでかかりきり。具体的に言えば、ルカを撫ぜたり舐めたり抱き締めたりちんちんの皮を引っ張ったりするのに忙しい。ルカが作ると言えば、庭にぴったりのベンチを作るための木を切るのだって手伝うし、味噌汁の碗だって並べる。一日が誰にとっても等しく二十四時間しかないのなら、それは自分と自分の愛する者の幸せのために使いたい。誰かを憎んで攻撃することを考えるのが楽しいのなら、それもまたよし、しかしアホらし。二人は二人の、今日も明日も生きる「生」の歪まぬことを、……どうしても歪んでしまうとしたら、それを上手に直す法を、検討しながら、日々暮らす。生活主義、家庭科は得意なつもりも無いけれど、そんな誤解も呼び込めるなら悪くない。
実際、自分たちの生活にここ一年、特筆すべきことなどあっただろうか? スタンの魔力によって成長を放棄したルカの身体は、スタンの気まぐれによって、時にマシュマロのように柔らかな頬の五歳児になったり、実は成長期はこの後にあったのだと判明する二十四歳になったりしたが、結局は十六歳の平々凡々なる少年が一番いいという、至極真っ当な結論に至って以来は、あまり変化もない。怠惰ではあるが、同時に質素でもある。だから体重も増えない。「もう少し尻に肉がついていても悪くはないのではないか?」、スタンは覗き込みながらそんなことを言い、しかし優しく優しく優しく撫ぜた。月に一度はルカの自宅に顔を出す。マルレインとの微妙な距離感は、時間が徐々に縮めていく。別れ際にはいつも握手をする。それをスタンは見て見ぬふりをする。そんな言い方をすればきっと顔を顰めるだろうけれど、「マルレインと君と僕の間に、小さな円が内接する」。
そう言えば、先月は実家に帰った以外、外出らしい外出はしなかった。エプロスや吸血魔王に会いに、ハイランドまで幾度か行ったきりで、それ以外、本当に何処にも行っていないのだ。
計算してみて驚いた。一ヶ月、城と実家の往復を除けば、総移動距離が十キロに満たない。これは一日に直せば三百メートル余で、グリコを一粒食べればほぼ一日動け、玄関前で力尽きるが後はスタンに運んでもらえることを、かなり婉曲に示していた。それでありながら、毎日腹は減り、キチンと三度の食事、さらにはおやつまで食べている。無為徒食、そんな大袈裟な言葉まで浮かんだが、……それでも太らない、基礎代謝という言葉が後光と共に目の前に現れたので、ルカは拝みたいような気になった。
とは言え、もう少し尻に肉がついたっていいのだ。別段、太ることを懸念しているわけではない。思えば妹は太ることを怖れていた。体重計に乗っては百グラム増えたの五十グラム減ったのと一喜一憂していた。そんな姿を見て、「僕は胃下垂だからなあ……」と、滑らせた。翌日からしばらく口を聞いてもらえなくなったルカである。色々なフェチズムがあるが、スタンは尻フェチなのだと勝手に思っているルカである。昨日もずいぶん撫ぜまわされた。そのうちにだんだんなくなってしまっては困る。やっぱりもう少しご飯を増やそうか、などと、などと。
生活を尊重する生活主義者、今朝はトーストとハムエッグ、昼は焼きうどん、夜は豚の生姜焼き。質素かつ効率重視、しかし愛情も重視しているつもり。だがもう少し彩り華やかでないと、果たして尊重しているのかいないのか、当の本人にも判らないのが難点だ。
つまるところスタンは性生活主義者なのかなあと思う。一緒に、どれほどの月日を過ごした? 同じ夢を見ないのが奇妙に思えるほど、隣に眠る日々を重ねた。それでもなお、未だ一夜一夜にルカの体の新しい何かを見付け出しては、あまり品のよろしくない微笑を浮かべている。身体の隅々までためつすがめつ、多分スタンは僕の肛門の皺の数まで知っている……、そう思うととても居心地も悪いが、嫌とも言えず(実際、「嫌」と言って辞められては困るのはルカのほうだ)、今日も衣服の最後の一枚を脱ぎ捨てた後で、もう一枚を脱がされる。
別に特別なことをしているつもりはない。女は知らぬし、男だってスタンしか知らない、比べようがない。どこもこういう感じ、なのでは、ない、……のかな? 裸になって、キスをして、そこから先は順不同。
こんな風に、いきなりスタンの男根に口で愛撫を施すことを求められる夜もある。動機を問えば、
「夕方、今夜はそうしようと思いついた」
とのことで。魔王の性器は相変わらず雄々しく、またどこか手前勝手に荒れ狂っている。しかし触れれば、ルカの心だってざわつく。自分だって魔王、の割には、なんとも謙虚で自己主張に乏しい陰茎を、密やかに下着の中、起たせて――触れて欲しい――、思いを封じ、今自分のすべきことは何? 義務感ではない。この生活を、一緒にいる時間を、もっともっと輝かすために、……それが一番したいこと。
自分の唾液で目前の性器は濡れ、甘いお酒の色した光が、表面で融ける。相変わらず、僕は下手かなあ? 少しは上手くなっていないはずもない、スタンも「上達した」と誉めた。だが、それならばもう少し呆気なく、射精してくれたっていいものをと思う。舌が疲れた、顎もだるい。それでも、……義務感ではないなら、使命感か。再び手を添えて、脈動し命其処に僕と共に在ること、信じられる茎に、根から舐め上げる。入り組んだところ、もうあまり器用には動かない舌先で潜り、紅潮した先端を面で舐める。
一心不乱、淫らなことよと、その頭を見下ろすスタンは思う。下半身でルカがする懸命なしぐさを顎を引いて覗くのは、魔王である自分にだけ許される贅沢であるように思えた。実際には、生活に付帯する小さな要素に過ぎなくとも。
愛されている自分を意識しないではいられないスタンである。
いこうと思えばいつだって、その口の中を或いは顔を、欲で汚すことが出来るのだ。そうすればルカは苦しみから解放されるし、自分だって溜め息とともに悦びと余韻に浸れる。だがすぐにそれをしないのは、説明しがたいが、欲とも違う何かが、もっとルカの顔を見ていたいと望むからだった。だから息を整え、時折ルカから目を離してまで、射精を先延ばしにする。
だが、魔王も全能ではない。息が堪え様も無く乱れた。耳が熱を帯びた。もういいか、許しを、誰に請うのか。
「んっ、ひゃ!」
あと一秒耐えれば、その口の中に。
択ばなかったのは、顔を汚してやりたかったからか。
汚したいという欲の、スタンの中在ることを、ルカは熟知していて――恐らくは彼自身も持つであろうと想定するもので――させるがままにして、髪まで汚す。危うく、地味にも長い睫毛に引っ掛かりそうになった。実際、ひっかかったことがある、目に入ったこともある。鼻に入ったこともある。実体験してみてわかるのは、精液は呑むものであり、腸管で吸収するものではあるけれど、点眼点鼻には向いていないということである。実体験しなくても、点耳や血管に直接注入するのがよくないことは判っている。
スタンは、長い息を吐いた。ぼう、とルカの肌を撫ぜて、ぶちまけられた精液が、其処に存在する熱の、片鱗でしかないことを改めて感じる。ずっと弄っていたその袋の構造はきっとどんな男とも変わらない。とすれば、内部の魂が生み出す欲の無尽蔵であることも、きっと。
猫に近いやり方で顔を拭って、もうそれが礼儀であるとも思わなくても、礼儀以上に愛情表現と判じて、ルカは舐めた。スタンの精液は、口移しで飲まされた自分の精液とほとんど同じ味がした。ルカの精液を舐めて「甘い」と言ったスタンは嘘吐きだった。ならば同じように、嘘吐きになるのも吝かではない。
「そういう仕草の一つひとつが」
スタンはルカの前髪の一房を、指に絡める。栗色の髪は音もなく、元の位置に戻る。何度だってしていたい気にさせられるが、あまりに単純で、他愛もない。単純であるという点では、スタンに似ていた。他愛もないという点では、ルカに似ていた。二人が共に在るという点では、彼らの生活に似ていた。
総じて彼らの生活はあまりダイナミックなものではない。それでいいとルカが思う以上、転変する余地も、あまりない。
「卑猥だというのだ」
スタンはあまり息も乱さず、そう言う。猫背の上目遣いで、しかし身体の中心ばかり背筋を伸ばしているのだから、ルカに返す言葉はない。
「どれ……、お前のはしたない部分を見せてみろ」
牙のように尖った犬歯を覗かせて言うのに、ルカは素直さで応えた。上体を起こし、仄かに桃色の霧を纏ったような胸を腹を、その霧の出所であるに違いない性器を、スタンの目に晒す。スタンはこの上なく嬉しそうに、つまりはかなり邪悪にも映る顔で、ルカの其処を覗き込んだ。
幼化させなくても幼いその場所が、二十四の身体にしたときには当然の顔をして大人びるのは可笑しい。四つほど幼くしたところで、そこの印象はさほど変わらないのに。
「全く、……小さいくせにそんなに背伸びをして。もう先を濡らしているのか、触ってもいないのに」
弄る音につれて、意志と関連しない括約筋がむず痒いように動いて、ルカの性器を震わせる。スタンはルカを横たえると、もう何度だって見たはず見飽きたはずの場所を眼前に捕え、唇を掠らせながら語る。
「……淫らな臭いがするな。余が洗っているのに、何故お前のこの場所は」
これの所為だな、と先端を半ばまでしか覗かせない包皮の縁に歯を立てた。
「放っておけば垢が溜まる。余が親切で洗ってやっているのに、お前はすぐに此処を勃てる。生活の一要素さえお前の前にあっては色欲に堕する。……子供なのに」
喉の縁まで浮かぶ笑い声を舌先に乗せて、スタンは破壊能力のまるでなさそうに見えるルカの性器を伝って降りていく。その子供にこうまで溺れているのは何処の誰だか、知らないふりをするのは得意だった。
「此処が、猥褻の産み場所か」
勃起した性器の、背に当たる部分を舐め降りて、何処も彼処もつるりと滑らかな肌に於いて、通常時の先端と其処と肛門ばかり、皺があるのもスタンには興味深かった。風呂に入れば弛むし、寒い場所では縮まるし、……自分と同じと知りながら、一つひとつが新鮮で、全体いつになれば飽きるのかと呆れながら、飽きることなど、千の秋を超えたところであるはずもない。ルカに飽きるための術があるなら、どうか教えないで欲しい。
「……う……や」
「ん……?」
「……スタン……、そこ、ばっかり……」
緩やかに、幽かに、蠢きを見せるその場所の中にある、ふたつきりであるという点では目や耳とも同じ、大切な大切なルカの睾丸を、舌先でもどかしく探る。例えばこの歯を立ててしまえばこの命はお終いだ、残酷すぎる想像に駆られ、これから先の何百年だってこの子と共にあると誓うのだ。
「其処、とは何処のことだ。言葉を倹約して気の効いた事を言おうなどと考えなくとも良い、お前の言葉で申してみよ」
「其処」を、改めて舐めた。自分の唾液に濡れて光る様を見て、ルカと同じ事を考える。
「……き……っ、……やだ、っ、はずかしいよぉ……」
目に涙、浮かべて言う声はぷくりと膨れた水面を揺らす、零れそうになって、……零してみたい濡らしてみたい、欲が言う。ルカを愛するが故に、ルカに対しては決して強気には立てない自覚のあるスタンである。だから、泣かせぬように日々心がけている。その一方で、涙の甘くて喉の潤うことも、何度だって泣かせてきたから知っている。
きっと、ここでは泣かせるのだって一つの正解なのだと、自分に言い聞かせる。
「……ふくろ……っ、ん、た、ま、……だけ、じゃ、やだぁ……っ」
ルカが、また一枚脱ぎ捨てたのを見る。すぐに口を離して、言った顔を見た。頬に、涙が音もなく零れていく。だが、スタンの心に散って、弦を弾き、澄んだ音を鳴らす。
悪趣味と詰る次元はとうに過ぎた。
今は同じ目線で響きあう。
舌が拒むのは、……当たり前のことだ。
「……っ、スタンの……、いじわる……」
こうなって譲るはずもない恋人のことは、誰より知っているルカである。そんな自分を、持て余してしまう。だが、好きだ。そんな相手が、好きだ。一般的解釈の蚊帳の外、或いは自分たちで作った内的領域、この城。
「……おちん、ちんの、さきっぽが……いい……っ、ふくろだけじゃいけないよぉ……!」
そこでの、共通言語。豊かならざる語彙が、真っ直ぐに届く。
「淫乱め」
スタンも、言えたのはそれだけ。魔王的言語能力を発揮するには至らず、咥えて舌を巡らせば、ルカが今日も生きていて、明日も生きていて、一万年後も生きていることを信ずるに足る、可愛らしい脈動を感じることができる。……甘いさ。嘘じゃない。
波の引くのを待っている。だが、飲み込まれるほうが容易だった。ルカはただ溺れながらスタンを見上げ、救わないでいい、でも、ねえ、君ももっと、溺れよう?
とうの昔に……、溺れている。
「まだ……、終わらぬぞ、判っておろうな?」
こくんと頷くイノセンス、夜を朝へ明日へと繋げる。
「では……、参れ」
指で誘われるがまま、ルカは蜂蜜に塗れたような身体を起こし、スタンの分厚い胸板に、身を委ねた。すぐさま背中へ指が伸び、曰く今ひとつ肉に乏しい尻に乗せた。貧弱な尻と言うなら、何故そこに乗せた掌、吸い付くように、ぴったりと。
「ん……」
胸の上に軽々と乗せた体、自分の腹の上に挟まれた窮屈なところで、ルカの熱が行き場を失う。頬をスタンの胸に当てて漏らしたルカの言葉を、もう、笑ったりはしない。
外へと広がった世界には、様々な問題が散らばっている。知らない国の知らない人たちと、上手くやっていくことを考えながら、中々足は外へと向かわない。昨日など結局、二十四時間城から出なかったスタンとルカである。朝起きて愛し合い、そのまま二度寝、おなかがすいたと言って昼ご飯が朝ご飯、毎日正午を告げに来るエプロスに、ルカはついつい「おはようございます」などと言ってしまった。午後もなんだかぼうっとした頭、本を読みつつも、あまり身は入らず、夕食後の風呂から繋がる夜で、また好きなだけ愛し合う。怠惰で怠惰で、でも、……僕らが怠惰で誰も困らない。誰にも迷惑をかけず、この城でも広すぎる。例えばルカはスタンの膝の上、スタンにとっては玉座の上だけが自分たちの許された世界であっても構わない。或いは、ベッドの上だけだって。
じん、と尻が痛い。
ルカは目を、とりあえずは開けただけ。疼痛の尻をもそもそと動かして、枕にしていたスタンの腕が、そもそも何なのかを、数秒かかって理解して、あくびをひとつ、「おはよう」。
「おはよう、という時間ではないような気がするがな」
「……そんなに寝坊した?」
「十一時だ。……全く遺憾だな、最近お前はたるんどる」
だったら、もっと早くに起こしてくれたって良いのに。――僕の寝顔なんて、見飽きたはずのものなのに。たるんでる? ほっぺた、ちょっと太った? いつまで経ってもぷにぷに、ぷにぷに。僕が目を醒ますまで、そうするのをずっと待っていたというのなら、どうぞ、僕がトイレに行きたくなるまで、いつまでだってお好きなように。
ルカの朝が来た、スタンの朝が来た、二人の生活が在る。二人は、元気である。