ボクと魔王の始まりの終わり

その兆候に、スタンは気付いていないわけではなかった。数日前から、その不吉な新芽には、ざわざわ胸の騒ぐものがあった。しかしその魔王的不安を抑圧し、平常時と同じ昼夜を過ごしていつつ、「どうしようかどうしてくれようか」という思いは、荘厳尊大なる城の玉座にふんぞりかえっていながらも、払拭し切れなかった。必然、子分に対しても微妙な態度を取るようになってしまう。ルカに対しては優しくありたいと思っていてもだ。
 もともと気弱で自己主張の苦手なルカである。理由不明のスタンの苛立ちに脅えながらも、対応には苦しむ。昼も夜も、そばにいることを強いられる、また、ただ側にいるだけではなく、「魔王として最低限のたしなみだ」と魔法の特訓をさせられたりなどする。それが上手くいかないと、当然叱責がある。不機嫌なときはなお怖い。ルカには胃の痛い日々が続く。……しかも、しかし。あるときには俄かに、「疲れたろう」と休憩を余計にくれたり、ちょっと小さな魔法を撃つのに成功しただけで「それでこそ余の子分に相応しい」と頭を撫でてくれたりするのだから、気味が悪い。しかし、「何で」と聴く勇気は子分にはない。
「……スタン、……やめてよ、恥ずかしい」
 ベッドの上のルカは身を捩ってその舌から目から逃げを打つ。もちろん、それをやすやすと縛り付けて、スタンは目の前にあるルカの下半身をじろじろ睨んでは舐める。ルカは恥ずかしさに耐え切れず、涙目になった。それを見て、スタンは舌を打つ。
「……まあ、よい」
 と、呟くように言った。それから口の中に入れて、露を飾りのように浮かべるルカを舐る。あえなくルカは魔王の口を精液で汚した。スタンは厭な顔一つせず、それを味わい、飲み下した。一息ついて起き上がり、余韻に震える少年の眼前に、今度は自分の屹立した性器を据える。ルカは気弱そうにスタンを見上げ、スタンは何も言わずルカを睨む。ルカはゆっくりと起き上がる。
 魔王はルカの口を汚し、二人の夜は一つの区切りを迎えた。荒く息を吐いた魔王は少年を掴み寄せ、しばらくは何も言わない。ルカは上目遣いで覗き見たが、スタンは何かを思索するような顔でじっと黙りこくっていた。いつもならばし終わった後は、「舌使いがどう」「喘ぎ声がこう」などとあやしい講義をされてなかなか眠れないのだが。このところ、いつもこんな感じなのだ、ルカには分からないことだったが。
 広い広いベッドの上で、あぐらをかいて座る。どんなに広いものを誂えたって、くっつきあっていることを選びたい。
 スタンは短く嘆息すると、
「寝ろ」
 と命じた。ルカはいつものとおり、スタンの腕の中で目を閉じた。
 間もなく規則正しい寝息を始めたルカの、あどけない寝顔を見つつ、スタンは唇を噛んだ。
 年齢のみを考えたなら、何もおかしいことはない。これまでそうでなかったことの方が、おかしいのだ。だから、自然、と受け止めれば良いことなのだ……。
 しかし、スタンは当初、ここまでルカに傾倒すると、自分でも予測していなかった。当初はこの少年を単なる気散じとしてしか考えていなかったのだ。迅速に世界征服を満了した後には、こんな子供どこへでも、と思っていたのだが、今はそんなことなど考えられない。ずっとそばに置いておきたいと思う、自分の片腕として重用してやりたく思う。
 だからこその、厄介な悩みが底にある。
 「子分魔王」という、ありがたくなさでは「下水道」とタメを張れるほどの肩書きを持つルカは十七歳になった。十六歳のときと、見た目の何が変わると言うわけではなかったが。
 スタンはルカをベッドに寝かせ、その下半身をよくよく覗き込んだ。
「……やはり……、そうか」
 ルカの下半身の、脆弱なるその性器の周辺区域に、淡い変化が発生しているのだ。魔王はそこを指先で、そっと触れてみた。手触りが、昨日ともまた違う。さらりと抵抗がある。
 昨夜より濃くなったか……。スタンは顔をしかめる。
 ルカの下半身の発毛が始まっていたのだった。
そもそもスタンは少年愛好家ではなかったが、本人がどう言うかは別として、人も魔王も、恋をすれば変わるものである。愛しいと思う相手なら、どんな風でも好きになるものである。仮に、その相手が「無知」で「愚か」な「人間」であろうともだ。
スタンの好きになった相手はそれに加えて「少年」だった。だからといってここまで大きな問題は起こらなかったし、今後も起こるとは考えていなかった。
 しかし、「少年」が「男」となったらどうなるか、そこには微妙な問題が存在する。もともと、スタンはルカのつるりとした陰部にも非常に興味を覚え、また好ましく思っていたのである。そこに余計な毛が生えて、むさくるしくなったらどうか。こんなことを考える余地があったとは彼自身も驚きだが、自分はルカを、あるいは手放すのだろうか。それとも、我慢して置きつづける?
 ルカを愛しいと思う以上は、そんなことで心揺さぶられたくはない。しかし、やはり微かな寂寥の念は否めない。いつまでもつるつるで可愛くいてくれれば良いのになどと考える。しかし、そんなことを言ったらルカは怒り、悲しむだろう。それは嫌だ。たかだか毛のことを認められないような狭隘な自分ではありたくないと思う。
 やがて世界に君臨する(かもしれない)大魔王であっても、そこに恋心が介在すれば、一人の男に過ぎないのである。少年の股間に生え始めた柔らかな芽吹の存在に、動揺しているのだ。
 スタンはルカの下半身をじっと見つめ、再度短く嘆息した。

 

 


「はい、いらっしゃいませ」
「……剃刀を所望だ。どこにある」
「は、カミソリでございますか、どういったものを?」
「ふむ……、そうだな、肌に傷がつかぬものが良い、そして出来るだけ綺麗に剃れるものを」
「はあ、それでしたらこちらでございますね。こちらのシェーバーとこのシェービングフォームを併用されましたらもう、剃り跡ツルッツルのピッカピカでございますよ」
「そうか……、うむ、では剃刀と泡、両方とももらおう」
「は、ありがとうございます。千八百七十スーケルでございます」
「……、……、そうか、金か。コレで足りるか」
 スタンはポケットの中から、オバケから狩った小金を並べた。店主は剃刀と泡を両手に持ったまま、困惑顔で
「……お客様、あのう、冷やかしは困りますねえ」
「冷やかしてなどはおらんぞ」
「だってあなた、これじゃあ大きな木の実だって買えやしませんよ」
「では余にささげよ、その剃刀と泡を」
「何言ってるんですか。あんまり変なことを言うとね、勇者協同組合の人にきてもらいますからね」
「勇者だと!? フン面白い、呼べるものなら呼んでみるがいい、片っ端から八つ裂きにしてくれるわ」
「な、なんですか物騒な……、わわわ、ちょっと、ちょっと! 困りますよそんな店の中で」
「フン、愚かなものよ、たかだか剃刀と泡くらいで命を落とすことになるとはな。死ねッ」
「ぎゃー」
「……何をしているんだ君は」
 戸口に立っていた細長い影と静かな言葉の持ち主は、言うまでもなく幻影魔王ことエプロスのものである。一応は世界に君臨しているつもり、もしくはハズの大魔王スタンが、居城をユートピア回廊に作り上げた際より、愚かな勇者たちに対して設ける関門として、ここハイランドの守りを任されている。
 薄化粧の白い顔に、目の上のアイシャドー。見てくれは少々奇妙ではあるが、性格的にはスタンよりもよっぽどまともなエプロスは、あと二秒も遅れていたなら、本当にこの世界からオサラバしていたかもしれない雑貨屋の主人をスタンの腕から開放してやり、
「この男の代金は私が払おう」
 主人は激しく噎せこんで、ぶるぶると首を振った。
「そんなそんな、畏れ多い! エプロス様からいただくなんて出来ませんよ」
「……しかし、君にも生活があるだろう。構わないから。いくらだ?」
「は、いや、しかしその……」
「剃刀と……、シェービングフォームか、二千で足りるか。……ほら、行くぞ」
 エプロスは、まだ何かブツブツ言うスタンを引っ張って外に出た。
「君は彼を殺す気か。彼は村に一軒しかない雑貨商なのだぞ、こんな辺境で善良に商売しているというのに、何と理不尽な男なのだ」
「なに、あの下郎は善良なのか……、ではなおさら殺してやるべきだった」
「……この村の平和を乱すのがそんなに楽しいのか君は」
 幻影魔王エプロスがこの村を「支配」するようになってまだ日は浅く、まだ一ヶ月も経過していない。しかし、かつては魔王という「分類」が為され、また、現在も一応「魔王」でありながら、彼はスタンや吸血魔王、あるいはリンダことアイドル魔王のように、「支配」という行動には必要を感じない。どちらかといえば巨牛魔王のように、自分の目的は別の場所にあり、それが達成されたなら魔王である必要は全く無いのである。彼がもともと魔王であったのは、かつての「支配者」であったベーロンに「魔王」の分類をされ、魔王になることによって彼の知りたかったことに近づけるという目論見によるのみで、スタンにあるようなよこしまな欲求はまるで無い。
 性格は間違いなく真っ当で、ちゃんと大人で、夜にだるくなるということもない。しかも、割に住民のことを考えている。小さな辺境の村の人びとは、まもなくエプロスを尊敬するようになり、今にいたる。普通の人間とは違い魔力を持った「魔王」であるという点も、住民たちの目には、エプロスのカリスマ性プラスワン、という風に写る。
 これも一種の「魔王的支配」であり、類型的にはアイドル魔王が行なったそれに似ている。どちらにも悪意は介在していない。この場合、魔王の持つ魔力が、いわばフェロモンのように住民の心を支配しているのである。
 村のはずれにある、エプロスと並んでスタン第二の部下である吸血魔王の元住居に、エプロスはスタンを呼び込んだ。これ以上村の秩序を乱されるのは困りものだからだ。そうして、一応は上司として、とりあえずは友人として、茶の一杯でも出してやる。
 ちなみに吸血魔王はエプロスと入れ替わりで歯車タワーへ左遷されていた。ルカが、吸血魔王の「吸血」という行為に難色を示していたからである。
「今日は一緒じゃないのか、あの子は」
 一応は人の家に来ているくせに、えらそうな態度でスタンは茶をすする。
「余の留守を任せられるのはあいつしかおらん」
 そういって、薦められてもいないのにクッキーに手を伸ばす。
 はあ、とエプロスは疲れたようにため息を吐いて、椅子に背を委ねた。エプロスの気疲れも知らず、スタンはクッキーをむさぼり、口の中でまだもごもごやりながら、
「だいたい、キサマはな、もっと……、もっとこう、魔王らしくするべきだ。魔王というのは愚かな人間どもを支配し恐怖のどん底に陥れるような存在でなくてはならんのに、キサマはなんだ、人間なんぞと仲良くしおって」
「……」
 人間に恋してしまった男にだけは言われたくないぞ、とエプロスは内心で思った。
 エプロスの危惧していたことが、実現してしまった。すなわち、ルカがスタンの毒牙に陥落してしまうのではないかと。ルカには主体というものがまるでない、だから、このままではスタンのいいように扱われてしまう。だから重々気をつけるようにと、言い含めてあったのだが。
「……ルカは元気か」
「おまえの知ったことではない」
 スタンは、ルカに対しての時とは正反対の心の狭さでそう言い放つ。少なからず気分を害し、なおさらルカのことが心配になる。
 エプロスは自分も茶を一口飲んで、話を切り替えた。
「剃刀など、何に使うのだ? ルカにヒゲでも生えたのか」
 言ってみて、激しく嫌な絵図であるということに気づき、思わず端正な顔をしかめた。それはスタンも同じだったらしく、青汁を一気飲みしたくしゃおじさんみたいな顔をした。それからわななく唇で、
「キサマ……、何と言うことを言うのだ」
 喘ぐように言った。
「……すまない、いや、……ほんとうにすまない。……いや、あの、なぜ君が剃刀を求めたのか、その理由に興味があって。……いや、ほんとうにすまない」
「冗談でも言うな、そのようなこと……。いや……、いや、それが、冗談ではすまない時期に、来ているのかも知れぬ……。いや、いやいや、認めぬ、余は認めぬぞ、いや……しかし……」
「何を言っている?」
 エプロスは訝ったが、スタンははっとして黙った。
「この剃刀は……、あいつの為ではない、余が自分で使うために買ったのだ」
「あれを『買った』とは呼ばないな、普通は」
「どっちでも良かろうが、この剃刀とルカは何の因果関係もないのだ」
 純真なる魔王スタンは、言えば言うほど胡散臭くなることに気づかず、エプロスに確信とヒントを与えた。
「……ヒゲでないとしたら、君はルカの……、何を剃ろうと言うのだ。まさか髪の毛ではあるまい」
「髪の毛など剃るものか! ……だ、だから言っておろうが、これは余が自分で使うために……」
「……まさか……、ちょっと待て、君は……、おい、冗談だろう、まさかそんなことに使うつもりではないだろうな」
「う、うるさい、何を想像しているのだキサマは、この変態が!」
「それこそまさに君を表すに相応しい熟語だと思うが」
「と、とにかく違うのだ、これは、これはだな」
 エプロスは眉間を抑えて、大きなため息を吐いた。
 これは予感に過ぎないが、と彼は前提にして、しかしかなり自信を持って、世の中には自分のような、何の得も無い役回りに置かれる人間が確かに存在するのではないかと考えた。それは「分類」とは無関係な、例えばルカの影が薄いのと同様、先天的な精神構造に基づくものとして。だからつまり、恐らく自分はお人よしなのだ。ちっとも嬉しいとは思わない。
「まあ、好きにするが良いさ。君の子分のことだから、私が口を出すことではない」
 話を切り上げて、
「早く帰ったらどうだ、君の帰りを待っているのではないか?」
「……、それはそうだ。そうに決まっている。なのに、全く、こんなところで詰まらん道草を食っとる場合ではないのだ」
 なるほど、スタンは魔王に相応しいのだろう、エプロスは思った。すっくと立ち上がり、何も言わず大股で屋敷を出て行く。可愛い子分の下に戻るのだろう。
 魔王としてはあれで良いのかもしれないなと思う一方で、しかし男としてはかなり駄目な部類に入るだろうとエプロスは考え、妙に可笑しく、そして可愛らしく思う。こんなことを口に出そうものなら命すら危ういが、ルカにべた惚れのスタンは見ていてある種の愉快を伴う。本人が全面的に本気だからこそ生まれる滑稽さであろうと思う。だからそれを笑っては失礼だとも思うのだが。
 人を好きになるというのは、馬鹿げたこと。しかし進んで馬鹿になることが出来るのは、かけがえの無いことだろうとエプロスは併せて思う。

 

 


 ルカは退屈の極みにあったが、それを表情に出すことはしないで、ちんまりと玉座に座っていた。
「いやはや子分どの、わたくしは嬉しいですぞ。あなたがスタン坊ちゃまの忠実なる僕として、そして片腕として、ご活躍されたからこそ、スタン坊ちゃまの世界征服計画の序章の幕が切って落とされたのですからな。やはり子分どのを子分に選んだわたくしの眼力は間違いなかった!」
「……はあ……、どうも」
 興奮気味のジェームスに畳み掛けられても、この玉座に座ること自体がすでに嬉しくないことなので、ルカの表情は少しもさえない。
「唯一の障壁となりうるあの女勇者殿も、子分どのには手が出せますまい、まさに完璧、まさに磐石の体制でもって世界征服プロジェクトに着手できるわけですな!」
 ジェームスの言葉は右から左で、ぼんやり邪悪な城の中空をながめる。
 スタンが出かけていって、そろそろ一時間になろうか。一人で出かけるなんて、今まで無かったことだった。ルカがどんなに疲れていても、傍若無人に叩き起こし、ちょっとした買い物にも付き添わせていたのに。ルカが留守番をありがたく感じられたのは最初だけで、何もするべきことのないこの状態に十分で飽きた。スタンと共にいると、疲れることは疲れるが、決して退屈はしないということを何となく思う。「性行為」をさせられるのは相変わらず恥ずかしくて気持ちよくてしかし分からないことではあるが、それだって常にされるわけではない、一日一回で開放してくれる(このペースが多いのか少ないのかということは、比較対象の無いルカには分からない)から、さほど問題を感じはしない。
 早く帰ってこないかな……、ぼんやりと考えているのにも飽きて、もういっそ昼寝でもしてしまおうかと考えたところに、広間の扉がぎいいと重苦しい音を立てて開いた。
「おお、スタン坊ちゃま、お帰りなさいませ。どちらへお出かけでございました」
「うるさい。……って、ジェームスおまえ、いつここへ来た」
「ついさっき。参上いたしましたら坊ちゃまがお留守とのことで、首を長くして待っておりましたぞ」
「……神出鬼没、とはおまえのためにあるような四字熟語だな」
 エプロスが使った言い回しを模倣して、ルカに「自分は頭いいのだぞ」ということをひそかにアピールした気になる。
「余はルカと話がある。ジェームス、下がっていろ」
「へ? はあ、かしこまりました……」
 普段は女子に現を抜かしてばかりで、さほど忠義に篤い士でもないジェームスは、スタンと顔を合わせる機会には、ここぞとばかりにスタンをヨイショしたがる。その機を失って、しぶしぶながら闇に溶け込み消えた。
「は、話って、何?」
 スタンが険しい表情で自分を見る、その目にどきどきしながら、ルカは訊ねた。「おまえだけは怖がらなくてよい」とスタンが言ったとおりに、ルカはスタンをさほど怖がることをしなくなったが、それでも時折、魔王の正統な魔王的振る舞いに、こんな風に背筋が寒くなるときがある。
 一応は、本気になれば世界を支配できるほどの魔力もあるし、それ相応の顔の造りをしているわけで、その目など人を怖がらせるに足らぬことなど無いのだが、普段の、人間的即ち非魔王的な言動、そして、かつてはペラペラの一旦木綿だったという、とにかくいろいろのマイナスな過去が、ルカ以外の人間にはあまり怖がられない、という結果を招いているのである。
 もちろん、スタンはこの逆を望んでいる。ルカには怖がられたくない反面、たとえばあの生意気な味噌汁勇者には失神するくらい怖がられたいのである。
「……ここに座れ」
 一度ルカを玉座から立たせておいて、自分は広い玉座にあぐらをかいて、足の間を指差す。これが定位置。
 ルカはその場所に座った。高原のひんやりした空気をまとったスタンの手に、なにやら袋が握られていることに今ごろ気づいた。が、スタンの険しい表情がすぐ目の前にあるから、そこに話をそらすのは得策ではないと考えた。ずっとこのところ、スタンはいらいらしている、つまらないことを言って雷を落とされたくは無い。
 もちろん、スタンは別に怒っているわけではなく、例の毛の一件をどう切り出そうか思案しこんがらがっているだけである。魔王の表情筋は、元がさほど柔和な顔ではないものだから、ルカに悪印象を与えてしまうことがしばしばある。
 スタンは悩んでいた。ルカの下の毛は、やはり剃ってしまいたい、それが自分の望むところである、ということは分かっている。が、エプロスにそのことがバレるのが嫌だった、という自分の気持ちの原因を考えると、やはりやらないほうがいいことではないのかと思えるのだ。だから、結論はここへ戻る道の途中には見つからなかった。自分の欲求を取るか、それとも、優しさを優先するか。だが、何を優しさと言うかなど、分からない事ではある。ルカもスタンと同様、陰毛を邪魔だと感じているとしたら、剃ってやるのが優しさになる。理論の上では、確かにそうである。が、ルカがそんなことを考えるはずも無いし、まだ陰毛が生えたことに気づいてもいないかもしれない。
 必死で目をそらそうとするルカの顔をじっと見つめて、魔王は苦しんだ。苦しむと、余計に不機嫌な顔になってしまい、ルカを怖がらせる結果となるのだが。
「……ルカよ、おまえの余に対する忠誠心を疑うわけではないのだが……、確認しておきたく思う。おまえは余の子分であり、したがって余の命令は絶対のものだな?」
 ルカは暗い顔になって、頷いた。
「そうだよ……。僕だって自分が可愛いから」
 進んで魔王の逆鱗に触れ、人生にピリオドを打つ物好きはいない、少なくともルカはそうではない。どんなに不幸でも、生きていれば何か良いことはあると信じている性質だ。
「では、余の命令は何でも聞けるな?」
「……う、うん……。死ねとか言うんじゃなければ、大体は……」
「余はそんなことは言わぬ。今までだって、命令と言ってもおまえを決定的に苦しめるようなことは言っとらんだろう?」
 どうだろうな。ルカとスタンは同時に思い、少し考え、
「言っとらん、はずだ」
「……うん、言ってないね」
 短く再確認する。
「……では、ルカ。おまえに命ずる。余はこれからおまえの、……、うん、その……」
 言いにくそうに頬を掻いたりなどする。これでは本当に、情けない人間の姿だと、スタンは自覚しつつも、何となくそうしてしまう。ルカの、おずおず見つめる目線にすら、緊張を覚えるのだから始末に終えない。エプロスは今ごろ笑っているだろうなと考えれば気分が悪い。
「おまえの、毛を、剃ってやりたく思う」
「は? ……なに、いま、なんてゆったの?」
 目を丸くして、ルカが聞き返す。スタンは何故か急に腹を立てて、
「うるさい、何が悪い! おまえは余の言うことを聞いておれば良いのだ! ええいグズグズするな子分、風呂場へ行くぞ風呂場へ!」
 怒鳴り散らしながら、こんな風に怒鳴り散らす自分に愛想を尽かす。
「え、ちょ、っ、わあ!」
 軽々と肩に担ぎ上げられ、ルカの足で歩けば十分はかかる場所にある浴室へ、スタンはひとっとびだ。その浴室といっても、ただの浴室ではない。浴室というよりは「湯殿」という格式ばった言い方が似合いそうな立派な物で、浴槽だけでルカの部屋一つがすっぽり浸かってしまうほどだ。当然、大理石をふんだんに使っているが、これはルカの白い裸に一番合うだろうという考えからの選択だ。
「脱げ」
 逆らうとまた雷鳴轟くのは目に見えているので、ルカはさっさと服を脱ぎ、相変わらず恥ずかしく思って前を隠す。スタンは顎をしゃくって、「入れ」と命じる。この尊大極まりない態度に、何様のつもりだと時々ルカは思うけれど、何の事はない、魔王様のつもりなのだ。誰がいつの間に準備していたのか、ルカには見当もつかないが、荘厳すぎてとても落ち着けそうもないぴかぴかの浴槽には、もうお湯があふれている。お湯、と言っても、何によるものかはあまり想像したくもないが、うっすら赤みを帯びた、薄い赤ワインのようなお湯は、もうもうと湯気を立てている。うっすらと甘いような香りがルカの鼻には届いた。決して不快ではないが、居心地は悪そうだ。
「身体を洗って待っていろ」
 こんな風呂に慣れてしまったら、もう二度と自宅の風呂には入れないだろうと思いながら、ルカはふわふわのスポンジにソープを乗せて、身体を洗う。泡を飛ばすのに気兼ねが要る。僕はお風呂に入るときにも緊張してなきゃいけないのかな、ルカはちょっと沈んだ。考えてみれば、この城のどこもかしこも一般人のルカには落ち着かないものであり、トイレに座ったって、どうも腰が落ち着かない。
 赤く甘い香りのお湯を頭から被って、軽く拭うと、スタンが入ってきた。
「洗い終わったか?」
「うん……。ねえスタン、この、お湯の赤い色って、何?」
 皮膚の上を珠のように流れていくのを見ながら、ルカは我慢できず、訊ねた。
「薔薇だ。……おまえが気に入らぬなら違う色にしても良いが」
「いや……、気に入らないって訳じゃないんだけど……」
 甘い香りは花の香だったのだ。物騒な物の色でなくって、ルカは少し安心した。
 スタンの右手には下ろしたての剃刀が、左手にはまだ一度もキャップを緩められていないシェービングフォームがある。
「……本題に入ろう」
 ふー、とため息を一つ、しながら、ルカが使わなかった腰掛を引きずり寄せて座る。スタンの身体は裸になれば、その存在感はなおいっそうの物となる。微かに浅黒い肌に筋骨逞しく、成長過程のルカとしては、やはりスタンには敵わない、敵うはずもないと思ってしまう。
 しかし、その見栄えのする身体を、心持小さくして、スタンは少し上目遣いにルカを見た。
「余は全知全能。あらゆることを思うがままに操れる力を持っておる。その気になればこんなせせこましい世界など一発で余の掌中に収めることが出来るということは、先刻承知であろう。敢えてそれをしないのは、まあ、何だ、世界征服よりも、おまえと、あー、おまえをいじめつつ生活してる方が、まあ、その、ちょっとは楽しいと判断しておるからだ。……ここまでは良いか?」
 ルカとしてはちっとも良くはないが、とりあえずうんと頷いた。
「余は、おまえのことを特別視していることを否定しない。おまえは、ほれ、余がこの偉大なる実体を取り戻すのに、非常によく働いてくれたからな。余はおまえを、他の雑多な人間どもとは一線どころか二線も三線も画した存在であると考えておるのだ。……むう、これはいつかも言ったような気がするな」
「うん、いつかも聞いた気がする」
「……まあよい、とにかく、本当にそう思っているのだ。だからこう、おまえは、偉大なる余の懐の深さや優しさをその身を以って感じているほとんど唯一の人間なのだ。このことを、決して忘れるな。余のすることは、基本的にはおまえのことを考えてのことなのだ。その……、おまえは子分として、まあ、よくやってくれたから……。
 あー、とにかくだ。本題に入る」
「……まだ入ってなかったんだ」
「うるさい。 ……そう、……一つだけ、一つだけ確認しておく、これから世の言うことは、命令ではない、決して、命令などではない。寛大なる余は、これから話す件に関しては、おまえの意思を尊重する。おまえが嫌だと言うならば謙虚にそれに従おうと思っとる。だから、おまえはおまえの思うところを素直に、余にぶつけてくれればいい。答えの内容によって怒ったりいじめたりは、しないから」
「……? うん……」
「……よし……、では言うぞ。
 ルカよ、忠実なる、我が子分よ。……その、おまえの陰毛を、だ。剃って、は、くれないだろうか?」
 顔を赤らめて、押し殺したような声で、スタンは言った。言って、ルカの表情を伺った。
「……陰毛っていうと……、なに、おちんちんの毛……?」
 最近はややそちらの方面への知識が付いてきたルカが、なんとも形容しがたい表情をして、スタンに訊いた。スタンは、うん、と頷く。
「……なんで」
「……余にだってわからん。判らんのだが、……判らんのだが! その毛が、余には、たまらなく邪魔に思えてならんのだ! おまえには今しばらく、ツルツルでいて欲しいと、……余の、余の中の悪魔がそう、ささやいておるのだ!」
 ぐしゃぐしゃと頭を掻き毟って、スタンは吠えた。その迫力に圧倒されて、ルカは思わず尻を引いた。悪魔の中の悪魔って何という、矛盾にも気付かない。
 スタンはじろりとルカの下半身を見る。
「……余は、おまえのことを嫌っていない、嫌ってなどいるものか。むしろ……、これからもずっと側に置いてもいいとすら、思っている。おまえの望むものならば、ある程度の範囲で、くれてやろうとも思っておる。……余は、おまえのことが嫌いではない。……無論、おまえの心も、身体もだ、人間に対してこうまで想える自分のことを、余は誇らしくも思う。……余は、嬉しいのだ。つまらぬ柵に縛られず、人間であるおまえと共に生きていくことを選べる余であることが、そして、おまえと共に在ることが。……そんな余が、……馬鹿げている、そんな、陰毛のちょっとやそっとに心をこうまで乱されるとはな。しかし……、駄目なのだ、やっぱり、こう、何となく! もうちょっとだけでいい、そこがツルツルであってくれればなどと、願ってしまうのだ! そうしてそう願うことの哀しさを思うにつけ、苛立ちを感じてしまうのだ……」
 魔王は表情を歪め、少年を見た。
 そうして、タイミングとしては史上最悪であろうなと自覚しながらも、舌に刺激のあるその言葉は、彼の唇から零れ落ちた。
「余は、おまえのことが、好きだ。ルカ。毛が生えたってこの気持ちは変わらぬ。しかし……、今しばらく、今しばらくで良いのだ……」
 唐突、これ以上ないほど唐突になされた告白に、冷静であれと言うのは無理な話で、ルカは腰を抜かした。もとより座っていたから、判らないだけのことである。
 そうして、引きつった笑顔を無理に浮かべて、ハハッと笑った。
「な、なに言ってるのさスタン。スタン、魔王なのに、僕、ぼく人間、なのにだよ。それにあんたもともとほら、言ってたじゃない、僕が聞いたときほら、同性愛者じゃないって、僕なんてただの玩具だって……。ね?」
「……あれは……、嘘であり、また真でもある。今でも余は自分を同性愛者ではないと思っておる。……が、……そうは思っていても、やはり、おまえを側に置いておきたい、一の子分として、おまえをあぐらの上に座らせて置きたいと思うのだ」
「……、そ、そんなこと、言ったって……、僕の……、そうだ、僕の気持ちはどうなるの、子分だからってそんな、やだよ、命令なんて」
「だから、はじめに申したであろう、これは命令ではないと。おまえの思うままに答えてくれて構わぬと」
「……そ、そうだけど、そうだけど、でも、僕はスタン、怖いもん、怖い人相手に、そんな、許されてても好き勝手なんて、言えないよ」
「怖がらずとも良いと、ずいぶん前にも言ったであろう。他の誰かが余を恐れるのは愉快だが、おまえが余を恐れるのを見ても、……空しいだけなのだ」
 史上最悪のタイミング。エプロスが、あの味噌汁勇者がこの光景を見たら、腹を抱えて笑うだろうと、メイクが崩れるのも気にせず、涙を流して笑うだろうとスタンは思いながら、いやもう、それでもいいのだと、すべての思いを貫いた。
 ルカの毛を剃りたい、何で剃りたいかと言われれば、それは、ルカに優しく接したいから。今は少なくとも、頭の何割かはルカの陰毛に支配されており、だからルカに対しても、どうしても微妙な態度しか取れない。ルカのすべては可愛いけれど、今、自分はあと少しだけ、毛の無いルカと共に在りたい。この願いは我が侭だ。しかし、ルカを好きになるという行為自体もまた、我が侭なことなのだから、あとはルカがそれを聞き入れるか否か、それだけにかかってくる。
 ルカは、ようやく我を取り戻し、自分の下半身をちらりと見た。ルカは、初めてそこに、初めて生え始めた毛の存在を見取った。うっすらと、そのものの周囲に、芽生え始めているのだ。
「……スタンは僕のこと嫌いなんだと思ってたけど」
「嫌いになど……、……最初から嫌いではなかったぞおまえのことは。おまえは何だかんだ言って、余に忠実だったからな」
「……でも、やっぱりスタンは怖かったから。僕はスタンに嫌われてて、だからしょっちゅう怒られてるんだって思ってた。……だから、その、どうせ離れられないんなら、ちょっとでもうまくやれたらいいなって、僕は僕なりに一生懸命、がんばったんだ。スタンが、その姿を取り戻せるように……」
「うむ……、おまえは良くやってくれた」
「僕はスタンが、僕のこと嫌ってるんだってずっと思ってたから、ずっと不思議だったんだ、何でこのひと僕のこと嫌いなのに、側に置きたがるんだろうって」
「だから、それは……」
「僕の知ってる『好き』は、何ていうのかな、……多分、スタンが思って、してるのとはちょっと違うのかもしれない……」
「……それは……、余が悪いのだ、余が、素直でないから。もっとおまえに優しくしてやればいいのに、自分が魔王だというつまらぬプライドが邪魔をする」
 スタンは哀しげに首を振った。
「……まあ、返事は後で良い。身体が冷える、とりあえず入るぞ」
 微かな躊躇いの後、ルカを抱き上げて、スタンは赤い湯の中に身を浸した。
 逞しい魔王の腕に抱かれながら、ルカは憂鬱な表情で俯いたままだ。
「……僕は、スタンのこと、最初は大嫌いだった」
 狼狽を殺して、スタンは黙って待った。
「人の影に勝手に取り付いて、あれやれこれやれって好き放題言って、散々人のこと苛めて。いなくなっちゃえばいいのにって、何度も思った。……だけど、スタンがさっきも言ったとおり、スタンは僕がほんとに嫌がること、泣いちゃうようなことは、絶対にしなかったし、僕にいろんなことを教えてくれた。それは……、その、オナニーのこととかだけじゃなくって、細かいことも大きなことも、僕の知らない、誰も教えてくれないようなことを、たくさん僕に教えてくれた。そう考えると、スタンと一緒に旅して、僕はずっとずっと大きくなれたんだと思う。そうして、僕をそんな風に成長させてくれたスタンのことが、嫌いじゃなくなった。僕の、……ひょっとしたらだけど、こういうのを友達って呼ぶんじゃないかって……、言うと怒られるだろうから、勝手に一人で思ってた」
 魔王は魔王という肩書きが情けなくて泣きそうになるほど、胸をどきどきさせていた。
「僕も、スタンのことは、嫌いじゃ、ない。今も、マルレインやロザリーさんと、全く逆の立場になっちゃったのはちょっと寂しいし辛いけど、けど、スタンと一緒にいるのも悪くないって思う。それに、……こんな言い方は何だけど、スタンと一緒にいると、スタンの知ってるいろんなことを教えてもらえるから、僕にとってはプラスになるし……。僕は……。僕も、スタンのこと、……、多分、好きだよ」
 スタンは黙っていた。が、一瞬、鼻の穴を膨らませた。それくらいの人間臭さは、むしろあった方がいいに決まっている。
「……わかんない、よくわかんないけど、スタンが剃りたいって言うなら、剃ればいいんじゃない? また、そのうち生えてくるんだろうし……、僕、別に生えてても生えて無くても、こんなの、外に出して歩くもんでもないし、どっちでもいいから」
 ルカは、俯いたまま言う。
 その頭に手を置き、スタンは頷いた。
「おまえを側に置いて良かったよ、おまえを選んで良かったよ」
 スタンは、非魔王的な微苦笑を浮かべ、ルカを抱きしめた。
「余は、おまえを……、好きでい続けても構わぬか? 余の想いに、少しでも応えてくれるのか?」
「……、もう、いじめない?」
「これだけは覚えておくがいい、子分よ。余がいじめるのは、この世界でおまえ一人だけだ」
「……じゃあ、ちょっとやだな」
「……なら、まあ、なるべく回数を減らすよう努力はしよう」
 ルカは、何だか急におかしくなってきた。この十分足らずの間に見聞した、スタンの表情も言葉も、自分の始めて見聞きするもので、それが自分の知る「スタンリーハイハットトリニダード十四世」とはまるで対照的な代物であって、あの恐怖の象徴たる大魔王が口篭もりながら顔を赤らめたりなどして、「好きだ」などと、自分のような卑小な存在に対して口走るなど。
 よほど、毛を剃って欲しいのだな、とルカは思う。
 そうして、そんなスタンの姿もまあ、悪くは無いと思った。
「余も、努力する。……だから、もしよければ、今後も余と共に在り、余の玉座に座り、……さしあたり、陰毛を剃らせてもらっても、構わぬな?」
 ルカは、浮かんできてどうしようもない苦笑いを隠すように、俯いて、こくんと頭を上下させた。
 大魔王と地味な少年、史上最悪のタイミングに、史上最も珍妙な部類に入るカップルが、同性愛というカタにもはまらず成立したのである。
「もう……、隠すのは馬鹿らしいことだ。余は素直に生きることにしよう……」
 しみじみと言ったスタンに、ルカも頷く。
「……そのほうがいいね」
 スタンは真剣な目でルカを見つめる、ルカはその視線に気付いて、振り向いた。
「……ほんとに、いいのだな? おまえ、ほんとにずっと余の側にいてくれるのだな?」
 ルカは幾分かのためらいをやはり残しながらも、頷いた。
「今までと大して変わるわけじゃないし……」
「……む、それは……、そうだ。今までどおりだ、これからも……」
「スタンが僕のこと、そんなに激しくいじめないって言うんなら、……僕のことをひどく困らせたりしないって、約束してくれるなら」
 それにしてもスタンは、いつもはあんなに強いくせに、自信が無いのか疑り深いんだなとルカは思う。その理由の真髄に迫ることは出来なくとも、なら自分は、そのスタンに揺らぐこと無い答えをあげようとルカは思うから、そこに明日という明快な答えが生まれる。
「僕はこれからも、スタンと一緒にいるよ」
「……しかし、余は……男だぞ? おまえは余と、いわゆるその、同性愛関係になっても構わぬのか?」
「別に……。特に偏見はないしね……」
「……意外と、冷静なのだな」
「そうかな。……いいんだ、どうせ地味なんだし。それにスタンと一緒にいたら、細かいことなんて気にしてられないし」
「む……、そう、か」
「別に、嫌なわけじゃないし、さっきも言ったけど僕はスタンのこと嫌いじゃないから……」
「……うむ」
「何でそんな疑うの?」
「……疑ってなどおらぬ。……ただ、……ほんの少しだけ不安なだけだ。だが……、信じても良いのだな?」
「……って言うかさ、告白したのは、スタンのほうだよ。僕がスタンの気持ちに応えようが応えまいが、それは仕方ないじゃない、スタンが気にするのは無理だよ」
「しかし、……しかし、それとは別におまえは余の私有物なのだ」
「……」
「……、いや、……すまぬ、申し訳ない」
「……別に、いいんだけどね、もう……、慣れたから」
 魔王ではなく、スタンがそこにいるのだと、ルカは感じていた。上手く言いがたい感覚ではあるが、今自分を腕の中に拘束しながらも、自分の言葉ひとつひとつに顔色を変化させるような男は、魔王ではあれど、魔王ではなく、「スタンリーハイハットトリニダード十四世」ではなく、「スタン」なのだ。
 その声は自分にとって馴染みの深いもので、真面目な言葉を喋ったならそれなりにサマになるが、普段は真っ当なことなどまず言わず、ルカの鼓膜にはその声が発する命令がかっちりと刻みついている。
 ただ、ありがたく思っている。無論、時には不快なものではあるけれど。それでも。
 影の薄い、地味な、何の魅力も無いような自分にかまってくれるスタン。魔王でも、スタンリー以下略でもなく、スタンが、自分を今、腕の中に収めているのだということを、ルカは強く感じていた。
「似たような、ものだよ」
 ルカはぽつりと呟いて、スタンの顔を見た。
「大丈夫? のぼせた?」
「……うむ、……少しだが」
「じゃあ、出よう。……剃りたいんだろ? 手元狂って怪我させられたら嫌だよ」
「おまえの身体を傷つけるようなことをするか」
「ああ。僕は軟弱子分だからね、スタンに傷つけられたら、一発だよ」
「……うむ。おまえは軟弱子分だから、余の指一本で逝ってしまう。だが、逝かせたりはしない。するものか」
 透明な赤い湯を滴らせ、顔を赤くしたスタンは立ち上がると、腰掛けにルカを座らせた。自分は床に座り、はーっと長い息を吐いて頭を下げる。
「……無事?」
「……うむ」
 緊張していたのだ、興奮していたのだ。胸がどきどき言う。そんな餓鬼みたいな、低級な人間みたいな装いをして。心に鬱血して、頭まで回らなかった。だから舌はまるで滑らかさを失った。あとで明文化したのを読まされたらたまらないと思う。しかし、それでもルカは自分の側にいてくれる。それがわかった。それだけで。ああ。こんなに嬉しい。どうしてこんなに嬉しい?
 もう、毛のことなんて。
 いや、剃りたいけれども。
 とりあえずは、今は、頭がくらくらする。これは、幸せだ。こういう風に、妙な微笑が浮かんでくるような自分は、醜くなど無い。無様ではない。決して。
「……ねえ、スタン、ほんとに大丈夫?」
「……むう」
 あまり心配をかけたくなくて、まだぼんやりする頭でも、スタンは顔を上げた。
「無事だ。余は……、魔王なのだぞ、おまえのように弱くはない」
 意地っ張りにそう言って、一つ大きく息をする。それから蛇口を捻って、水を掬い取って飲んだ。のどの奥がくっと冷たくなって、理性的になる。理性的になるとなお、ルカの言葉が存在が、熱く嬉しく感じられる。
「……うむ、それではルカよ、おまえの陰毛を、剃るとしようか」
 置きっぱなしの剃刀とシェービングフォームを掴み取って、偉そうで自己中心的な口調は相変わらずでも、今ひとつ尊大さには欠けた即ちルカには好ましい印象を与える表情で、スタンは言った。ルカは仕方ないかと頷いた。
「……これもこの間本で読んだんだけどさ」
 シェービングクリームのキャップを外すスタンに、ルカはおずおず尋ねた。この「おずおず」な行動がルカほど似合う少年も、この世にはいないだろう。
「何だ」
「……スタンって、……小児性愛者って、いうの? あの、子供が好きなの?」
 以前、「スタンは同性愛者なの?」と聞かれた時と同じ、稲妻リアクションをしかけて踏みとどまり、首を振った。
「そうではない。……断じてそうではないぞ」
 シュウウウ、とガスの出る音と共に、ルカの物の根元周辺に、泡をまとわせていく。泡がぷちぷちはぜるような不慣れな感触に、ルカはつばを飲み込んだ。
「じゃあ……、なに?」
「……余がおまえの毛を剃りたいと思ったのはだな……、まあ、いろいろと理由はあると思うのだが、……実はだからつまり、余にも判然としておらん部分もあることは否めないのだが、大きいのは、余と出会ったばかりのおまえのそこは、おまえを昔それをネタにいじめてたように、一本の毛も生えていなかった。余は、その、小児性愛的な理由とは恐らく違った理由で、単純に、それを好ましく思ったのだ。いや、『だから』おまえを側に置いておきたいと思ったわけでは、ないぞ、いいか?
 余は何となく、出会ったときのままのおまえの姿を、あともう少しだけ、とどめておきたいと思ったのだ。……恐らく、いや、これは確信だが、余はもうおまえに毛が生えてもなんとも思うまい、むしろおまえの成長を喜ぶかも知れぬ。さっきまで……、おまえが、余と共に居ると言うまでは、そうではなかったのだが、今では、もう、それでいい。だから、今後余は恐らく、おまえの毛を剃りたいなどとは言わぬだろう。今回たった一度だけだ」
「……んー……、そう」
 ルカは少し悩み始めていた。スタンは、そんなに僕のこと好きなんだろうか? 何だか、考えているだけで酷く滑稽なのだけど。だって、あのスタン。あの、スタン。
 言ってるまなざしが真剣そのもの。
「では、剃るぞ」
 スタンはT字型の剃刀を、泡の縁に押し当てた。それから、慎重な手つきで、そっと引いてゆく。
 泡の下に、産毛が剃れる感覚を確かめながら、スタンは剃刀を進めた。間違っても、横滑りなどさせないように。真剣そのもの。何ということに真剣になっているのだろうか。魔王の名が廃る。しかし、だったら自主的に廃業だとスタンは、真剣に、思った。
 たっぷり乗せられていた白い泡は、ほとんど消えた。スタンは手桶に湯を汲んで、ルカの下半身にかけた。ひたすら下半身を凝視され、薄毛ゆえ滅多に髭も剃らないのにこんなところの毛を剃られているという、冷静に考えなくとも異常な事態ながら、ルカはやけに淡白にスタンのことを見ていた。
 スタンの指が、ルカの陰部をさらりと撫でた。指先には、あくまでツルツルの肌触りがあるばかり。
 スタンは長い溜め息を吐いて、それからルカの肩に手を置いた。
「……もう一度少し温まるぞ。それから……、部屋に行こう」
 何だかずいぶん疲れきったような顔に見えて、ルカは少し気の毒に感じた。そんなルカを尻目に、スタンはそうしなければいけないのだと信じているかのようにルカを抱き上げて、腕の中に収めた。
「……おちんちんの廻りがスースーするんだけど……」
「泡の中にそういう成分が入っていたのだろう。まあ、しばらく経てば収まる。……ふむ、あの下郎の言っていたことは、一応間違いではなかったな、剃り跡ツルッツルのピッカピカか……」
 スタンは今しがた剃った場所を、指で撫でた。ルカは、多少の馴れと、スタンへ許した気持ちの表れとして、させるに任せた。
「……楽しいの?」
「うむ……、少しな」
 変なの、とルカは思う。
 そういえばもともとこの魔王は、僕に毛が生えていないことを、そして今も相変わらずだが、「ホウケイ」であることをからかっていたのだ。それなのに。
 ああ、そうか。ガキ大将が好きな女の子を苛めるようなものだな。
 なるほどだから、僕もなのかな。
 ルカはスタンのことが少し好きになった。
「こういうほうが良いならさ……」
「ん?」
「……スタンの魔法で、剃らなくていいようにしちゃえばいいのに。そういうのはできないの?」
「……出来ぬことも無いが。おまえは嫌だろう、一生毛が生えないのだぞ。それだけではない、おまえの身体の成長を止めることにもなりかねん。人間でなくなるのだぞ」
「……ああ、……ああそうか、それはちょっと……」
「余はもう満足した。おまえのその、幼稚な下半身は、……うん、その……、か、か、可愛いと、思えなくもないこともないではないのでな」
 スタンは顔にざぶんと赤い湯をかけて、それから少し強くルカを抱きしめた。
「……こういう問い方しか出来ぬ自分がもどかしくもある。どうにも長年の癖で、そう容易に治るとは思えぬ。嫌かも知れぬが……、恐れずにいま一度、おまえに言おう。余は、おまえが好きだ」
 ルカはもう、黙りこくって、頷いた。顔が熱い。自分のどこに、そんな価値があるのだろうと思案する。そうして、少なくとも毛の無い陰部にはあるのかもしれないなどと、つまらぬことを考えた。
 スタンはルカを抱いて、立ち上がった。四人はゆうに寝られる、広大なベッドへと、その裸体を運ぶのだ。

 

 


 まだ湿っぽい体ではあるが、ルカは気にしなかった。ひろびろとしたベッドの一部を濡らしても、残りでまだ三人は快眠できる。どうせ自分はスタンの腕の中で眠ることになっているのだし、差し支えは無い。
 ルカにはスタンがいつになく緊張しているように見えたが、それは気のせいではなく事実で、スタンは魔王に相応しからぬ精神状況に、再び陥っていた。
「……僕が、……その、ええ、舐めるの?」
「……。……いや……、あー、あのな、ルカ、今日はだな、ちょっと、おまえにまた教えてやりたいことがあるのだ。まだ教えておらぬ、究極奥義とでも言うか、それさえできるようになれば免許皆伝とでも言おうか……」
 スタンは歯切れ悪く言う。
「……おまえが許してくれるのなら、……余は、おまえを、抱きたく思うのだ」
「……今までだって抱いてるじゃないか」
「いや、いや、そうではなくてだな、……むう、何と言えばいいか」
 スタンはルカと出会って、しがない影に過ぎなかった時分から、ルカにもろもろの調教を行い、実体を取り戻してからはベッドの上で交錯することも数知れずあったが、そんな状況にあっても、越えぬと決めた一線があった。これまでの二人の「仕方」は、有体に言えば前戯に過ぎぬ、あるいは、毛の生えたようなもので、性交ではない。ルカはだから、彼自身およびスタンの指によって拓かれることは覚えてはいるが、依然「処女」なのだ。
 スタンが、ルカの本気で嫌がるのを恐れて、手を下しかねていたのだ。
 いまは、ルカが自分の「好き」に応えてくれるのではないか、今までのような威圧的なやり方でなく、自分がルカの痛みを解かることが出来、またそれを共有できる場所まで降りてきているし、同時にルカも上がってきてくれたから、可能なのではないか、スタンはそう考えた。
「……つまりだな、余はおまえの、……尻の穴に余の陽物を挿入し往復運動を行ない、おまえと欲望の赴くまま快感を享受したいと、まあ、こう思っておるわけだ」
「?」
「だからつまり、おまえと、異性間における性交と近い形で交わりあいたいと余は思っておるのだ」
「??」
「だーから、……物分りが悪いなおまえはッ。おまえの尻の穴の中に余のちんちんを入れて気持ちよくなりたいと言っておるのだッ、解かったかッ」
「??? ……!!!! にゃ、な、なに言ってんだよ、なに考えてんだよっ、スタンの馬鹿! 変態魔王! っていうか、死ぬって!」
 見事な四字熟語で詰られ、なるほど確かにそのとおりのスタンはうッと息が詰まる。ルカはがさがさと音を立てて後ずさり、広大なベッドのちょうど反対側まで逃げた。
 スタンは悄然と、逃げたルカに言う。
「……余とて、解かっておるわい。確かにな子分、おまえの申す通り、この余のしようとしている行為は、そしてこれまでしてきた行為も、すべて確かに寸分違わず、人間の言葉では『変態』と呼ぶに相応しいものなのだということくらい。だが……、だが、この欲求を誰が責められる? どんな風に飾ったところで、欲求は欲求だ。余は美辞麗句を並べて手前勝手な欲望を隠匿するような真似はしたくない。……事実のみを言っておる、余は、おまえと、当たり前の男女のように、性交に臨みたいのだ。これまでの形でも、あるいはおまえは満足しておるのかも知れぬが、余は、……余も、満足しておらぬわけでは決して無いが、ただ、やはり何と言うかこう、寂しいような気持ちになるのだ。口腔でしかおまえと繋がれぬのは、簡単に解けてしまう命綱の如き軽薄なもので、……余の望むようなものではない。……余は、おまえと、結びつきたいのだと思う。おまえとこれからも共に在るという契りを求めておるのだ。決しておまえと離れぬ影の身体ではない今、余は強く、強く、……ほんとうに強く、おまえと共に在り続け、生きてゆく契りが欲しいのだ」
 駄目だろうか、スタンは長く息を吐いた。
 ルカは脅えたような目をして、スタンを見る。
 スタンは俯いて、首を振った。
「……悪かった、つまらぬことを言って。……こっちへ来い、苛めたりせんから……」
 待つこと数秒、ルカはようやくスタンの元へ戻ってきた。スタンが腕を広げ、あぐらの中に座る。徐々に成長を遂げて、少しずつ男らしくなってゆく少年の体は、しかしまだ、スタンのひろびろとした胸の中に小さく収まるのに支障をきたさない。スタンはいつものように、腕で包み込む。スタンが座ったところは、ルカにとってすべて玉座となるのだった。
 ……仕方ない。
 スタンは内心で、嫌われるくらいならばと、自制した。
 そんな、少し傷ついたような魔王の顔を覗き込んで、おそるおそるルカが訊ねる。
「痛いんだろ? きっと、すごく……」
 スタンは意外に思いながらも、否定はしなかった。
「だろうな」
「考えてもご覧よ、スタン。自分に置き換えてもみなよ。スタン自分のお尻におちんちん入ったら、どうなると思うよ……」
「……解からぬ。おまえが入れたいと言ったなら、解からん、余は拒まないつもりはあるが」
「誰もそんなこと言いやしないよ」
 ルカは少し黙りこくって、
「……あのさ、だって、その、汚い話だけどさ、太いあの、ほら、……が、出たときだって、裂けちゃいそうに痛いじゃないか」
「おまえな、そんな尾篭な話をするんじゃない」
「で、でも、だって、事実そうだろっ、スタンだって、痛いときあるだろっ」
「う、……む、むう、まあ、それは、まあ」
「だから……。僕、痛いの嫌だ」
 こう言われては、スタンとしてはもう、無理強いは絶対に出来ない。完全に諦めた。
「……痛くしないって、約束してくれるんなら」
 そう決めた矢先に、
「……優しくしてくれるって、ちゃんと、約束してくれるなら……」
 ルカはそんなことを言い出した。スタンは抜群の反射神経でもって、
「うん、うん、当たり前だ当たり前だ、絶対に痛くなどするものか。おまえが協力してくれるのであれば余は絶対におまえを傷つけたりなどしないしおまえに極上の快感を与えてやる容易がある。当たり前だ絶対、約束する痛くなど、決してするものか決して、約束するぞ、うむ、請け負うぞ」
 早口でそう捲くし立てる。ルカはやや怯んだが、それから、頷いた。
 やや理性を取り戻して、
「……だが、……本当に良いのか。余の我が侭につきあわせても」
「我が侭はいつものことだからね」
 そう呟いて、
「……いいよ。僕は別に」
「しかし……、その」
「良いって言ってるんだから良いんだよ。何度も言わせないで」
「む……、了解した。……では、ルカよ、いいか、いくつかめいれ……いやいや、約束ごとがある。まず、絶対に無理な力を入れてはならぬ、身体から極力力を抜いて、弛緩させておくのだ。そして、我慢は決して禁物だ。痛いと思ったら痛いと、遠慮なく言え。声も出したいだけ出すに越したことは無い。これらの約束事を守ってさえくれれば、さほどの苦痛も無く、おまえも余と共に艶澱の園へ上り詰めることができるはずだ」
 ルカは、緊張した顔で頷いた。
「おまえは何も考えず、快感を追いつづけていろ。流れに身を任せたほうが楽なこともあるのだ。気持ちを楽にして、ちょっとしたレクリエーションのつもりでおれば、身体も解れてくるはずだから」
「……スタンって」
 ルカは溜め息を吐いた。
「ほんとに何でも知ってるんだね」
「……うむ、まあ……、まあ、うむ。あー……、では、始めるとするか。余の陰茎をいきなり入れるわけにはいかぬからな、まずそこに四つん這いになって、こちらに尻を向けろ。……いまさら恥ずかしいなどと言うなよ?」
「……恥ずかしい」
「……、我慢しろ、準備しないでしんどい思いをするのはおまえなのだから」
 ルカは仕方なく、動物のポーズ、両手を前について、スタンに尻を向けた。何てみっともない格好だろうとルカは思う、何て可愛い格好だろうとスタンは思う。
「ルカ、もう少し足を開け。でないと……」
「……これくらい?」
「もっとだ。少なくとも肩幅以上」
「……」
「そう……、よし、では……始めるぞ?」
 スタンはごくりと唾を飲み込む。初めてするティーンエイジャーの心境だ。まず、指を濡らしてルカの狭い蕾をぬらりと撫ぜた。
「きゃ」
 文字通り、ほんとうにそんな声をルカは上げる。さらにスタンが唾液を纏わせた指をルカの後孔になすりつけると、ぶるっと身体を震わせる。スタンは感動すら覚えながら、ルカの尻を割り開き、顔を近づけた。眼前で震える蕾は、既に見慣れたものではあるが、今日ばかりは今までと気分がまるで違う。自分を誘い込むかのように見える。魔王の舌を伸ばし、そこを舐めた。石鹸と薔薇の香りの向こうに自分の唾液の味がし、さらにその奥にかすかな肉の味がする。
 スタンは密やかな針の傷みを、自らの男根に感じた。
 二度、三度と舐め、たっぷりと濡れて光る蕾に、続いて指を押し当てる。ルカの身がかすかに緊張する。
「大丈夫」
 短くそう言って、スタンは思い切ってぐっと、左手の人差し指を入口に押し込んだ。
「あ……っ」
 ルカが小さな悲鳴をあげる。ずぶり、と肉を穿つ感覚と共に、スタンの指はルカの坑内に入り込んだ。指と舌だけは、いつも受け入れているから、ここまではさほどの抵抗は無い。それでも、ずん、ずん、強く押し返してくる力は、「処女」のそれだとスタンは思う。ゆっくり指を奥へと這わせ、入口付近まで戻す。再び奥へと忍び入れ、戻る。これを幾度か繰り返していると、ルカの反応は痛みだけを感じたものではなくなってくる。
「ん……っ、あ、っ、あっ……、……はぁ……、あっ」
 スタンが影だった頃から、後で感じるような調教を受けてきたルカである。心では恥ずかしいと思っていても、やはり快感が強まるに連れ、理性は一枚ずつ服を脱ぐ。ましてや相手は、今日、ついさっき、自分のことを好きだと言い、自分も好きな男である。裸の心は、貪欲にスタンを求め始める。指に絡みつく力が、不意に強くなる。
「……ルカ、力を抜け」
「んっ……! んっ、あぅ……」
 わななく唇から零れ落ちる声は、あの薔薇の湯よりもなお甘い香りが漂っているかのごとく、スタンを酔わせる。いわば麝香の声だ。
 指を二本に増やすと、ルカの声はさらにエスカレートする。スタンが指を止めると、今度は自分から腰を揺するようになる。
 今までなら、ここで言うべき台詞が用意されていた。即ち、「淫乱子分め」、しかし、いまのスタンには言葉が無い。ただただ子分の見せる無意識の媚態を目に焼き付け、ひたすらにいとおしいと思うばかり。
 二本目で十分に広げられたルカの肛門の中を、スタンは続けて、往復運動を早めた。自分の動かす早さに慣れさせるためだ。一秒で半往復程度の速さにし、続いて一秒で一往復。始めは引っかかるような抗いを見せていた肉が、遅れて流し込まれたスタンの唾液が潤滑油となって、徐々にスムーズな受容を始める。ぐちゅぐちゅと湿っぽく粘っこい音はもちろんルカにも届き、ルカは目を閉じて掛け布団につめを立てた。しかし、声は止まらない、むしろ、助長する一方。
「んん、んっ、……はあ! あ! あっ……!」
 油断したら射精にまで至ってしまいそうな勢いだ。ルカは耳まで赤い。スタンは手を止めて、
「……おまえをこんなにしてしまったのは、余だ。余がここまでおまえを壊し、そしてまた壊そうとしておる。……恨むなら、恨んでくれてもかまわぬ。ただ、今のおまえの姿は……、綺麗だ」
 本音をぶちまける。
 そうして、また指を動かした。素早いピストン運動に、慣れてきたのを見取り、スタンはゆっくり指を抜いた。とろとろと泡だった粘液が零れ落ち、そのままルカの、つるりとした陰嚢を伝って、もちろん勃起しているペニスの皮の先まで流れて濡らす。ルカはくたりとベッドに崩れた。
「……では、ルカ、……本番、いくぞ」
「……」
 ルカは眉間にしわを寄せて見上げて、それから大儀そうに手をついて起き上がった。
「ん……」
「よし。では……、おいで」
 魔王は、まるで妄想にふける少年のように決めていた。
 初めてルカを抱くときは、自分の身体の中に収めるのだ、この、余の玉座に座っていいのはこの子だけなのだということを証明するために……。
 あぐらの上で。
「解かるだろう? 余も勃起しておる」
「……うん」
 ルカの顔にやや躊躇いが走る。
「……そんな大きいの、入らないよ……」
 スタンは気付かれない程度に頬を染めて、
「あれだけ慣らしたのだから平気だ。だが、痛かったらすぐに言うのだぞ?」
「……うん、約束する」
「では……、うん」
 スタンはルカの身体を抱き支えた。十七歳の少年の身体でも、魔王の両腕にかかれば楽々支えられる。そうして、緩んだ肛門に、自分のペニスを押し当てる。
「……ルカよ、解かるか?」
「ん、……う、ん」
「……入れるぞ」
 スタンは息を止めた。ルカも息を止めた。
「ひゃ……あ、あ、あ、……ああ……!」
 ルカは、指とはあきらかに違う、「かたまり」が体内に挿入される、今までに感じたことの無い違和感を味わっている。肛門の中が火事になったかのように熱く、額に脂汗が滲む。唇が震え、涙があふれそうになる。しかし、なぜだかそれらすべての身体の悲鳴が、不快ではない。
 スタンは、ルカの肛門の肉が、自分を絞め殺そうとしているのではと不安になるほどの圧迫感を感じた。右からも左からも前からも後からも上からも、ルカの肛門はスタンの陰茎を不規則な命のリズムで圧迫し、激しい興奮を生んだ。そして、ルカの顔を見て、頭がすっと冷たくなる。そう、愛するのだと、ありえぬほどの使命感が致命的にスタンの身体を貫いた。
 ただの男になる。
「……無事か?」
 到底そうは見えないのに、ルカはがくがくと頷いた。その拍子に、両目からぽろぽろと涙が零れて散った。
「……本当か? とてもそうとは……」
 ルカは、今度は首を振った。そして、
「平気……ッ、平気だから……!」
 絞り出すような声で言う。
「……しかし……」
 なおもスタンが絞ると、涙目でキッとスタンを見据えて、
「いいから、動けよっ……、もう、知らないっ」
 と、怒った。
 スタンはこれではたまらない。ただ、いますべきことは、ルカに快感を与えることのみだと判断した、しかし、感じられるほどの余裕がいとしい子分にあるかどうか。
 しかし考えている暇もない。
「いいか、力を抜いて、気持ちよくなることだけを考えるのだ。わかったな」
 ルカは、再度がくんと頷いた。そうして、さいぜんからスタンの首に回していた腕で、しっかりとすがりつく。
 絶対にこの子を傷つけたりはしない。青い、精液臭い決意が、スタンの中に生まれる。
 これではまるで勇者だ。どこかで誰かが笑う。エプロスかもしれないしロザリーかもしれないし、自分自身かもしれない、あるいはルカかも。いいのだ。忌むべき勇者にでも、なってくれよう。世界で一番偉大なる男は、すべての誇りを脱ぎ捨てて、ただの男になる。自分はそうしたのだ。そうすることを選べた自分が、嬉しい。
 ルカにキスをした。ルカは拒むことなど思いつかない。
 それから、スタンはゆっくり、ルカの身体を揺すり始めた。
 スタンにとって、世界で一番愛らしい命が、自分とつながっている、一人の男でしかない自分と、つながっている、容易には解けない鎖で。
 いま、この子の身体は世界よりも重い。
「スタンッ、……、スタン! スタンっ……」
 甲高い声で自分の名を呼ぶ。そのひとつひとつを刻み付ける。
「ルカ……」
 のどに絡まったような声でしか今は言えない。自信に満ち溢れた、凛とした声はどこへ行ったのだろう。そうしてそもそも、あの堂々とした魔王はどこに行ったのだろう。いいよ、逝っちまえ、戻ってこなくたっていい、俺は俺でいい、スタンはそんなことを遠く遠くで思った。ルカを抱き、愛する、その行為に不要な、精神の不純物はすべて真っ黒に塗りつぶし、ただ、ルカのことだけを思った。
 項に爪を立てられたと感じても、その痛みすら傷跡として残るのならなどと、少女漫画的なことを考える。どうかしている、最後にそう自分を嘲って、スタンは放熱した。


 


 一滴の血も流さず、ルカは快感を得た。そのままこてんと落ちるように眠ってしまった少年は一時間ほどして、ようやく目を覚ます。スタンは少年が目覚めるまでの間、その身を清浄なタオルで拭い、行為を行なった場所から離れた布団の中に寝かせ、腕枕をしてやった。泣いた跡の残る目に、申し訳ない思いを禁じえないが、それでも幸せをかみ締める。本当に、自分はどうなってしまうのだろう?
「……スタン……。あ痛っ」
「……平気か?」
「う、うん……、ん、なんか、腰……腰が、いたい」
「……」
 患部を手のひらでそっと撫でられ、ルカはふっと楽になる。スタンが痛みを除去したのだ。ああそうだ、一応魔王なのだから、これくらいお手の物だったな、治癒魔法を使ってから初めて、そんなことをスタンは考えた。
「覚えているか?」
 腕の中の子分に尋ねた。
 ルカは、小さく頷いた。
「……やはり、痛かったであろう」
 同じように頷く。
「でも……、その、想像してたのよりは、ちょっとは楽だったよ。もっと、こう、死んじゃうようなの、想像してたから」
「……性行為で死ぬことなど。……いや、無いとは言い切れんが、まずないさ。……ご苦労だったな」
 抱きしめることに、新しい理由がついた。今までのように、「拘束」ではなく、これは愛情表現だ。きっとルカにもそれは伝わっていて、だから、その腕に乗せる手は、優しくやわらかい。
「……スタンはああいうこと、しょっちゅうしたいと思ってるんだ?」
 腕の中から尋ねられて、スタンはやや複雑な表情をした。
「何と応えればいいのだろうな。うむ、基本的には……、やはり快楽であるからして、できる限りしたいとは思う。が……、余は鬼畜の類ではない、分別ある魔王だ。おまえを苦しめるようなことを望むものではない。おまえが許してくれるときだけでも、させてくれれば満足だ」
 これは建前ではない。本当にだ。絆の確認はそんな頻繁に行なわなくてもいい。どんな風に転んでも、少なくとも自分はルカのことが好きなので、目を離したりするわけが無い。
「……どうする。もう少し寝てもかまわんが」
「んん。……大丈夫、起きるよ」
 魔王の腕の中から起き上がって、布団の廻りを探す。
「あ……、そうか、服はお風呂場だっけか」
「取り寄せよう」
 指をパチンとならすと、ルカの服がたたまれた脱衣籠が飛んできた。
 下着を穿く前に、ちらりとルカは自分のペニスの周囲を見る。見事なまでにツルツルに剃られている。
「あのさ、スタン」
 パンツを穿いてから訊ねる。
「あの、僕の、あれに毛が生えてると生えてないとで、やっぱり違った?」
「…………、ああ。すまない、熱中しすぎて見ていなかった」
「じゃあ、剃らなくても良かったんじゃん」
「いやいや、今日のところは余裕が無かったが、次回以降、それこそ、口でするときなどはやはり目に入るし、気に入ると思う。……可愛いと思うぞ」
「……変なの。スタン、変だよ」
 無意識のうちに「自分に告白した男」という優越があるのだろうか。ルカは気安くそんな言葉を口にした。
 スタンも、ありえないはずの柔和な微笑を浮かべて、
「うむ、おまえの言うとおりだ。だが、余はこれで悪くないと思っておる」
 などと言った。それから彼も服を取り寄せ、きっちりと着込む。
「では子分魔王ルカよ、玉座に戻ろうぞ。ジェームスのやつめ、すっかり待ちくたびれておるであろう。退屈かもしれんが、王の宿命だからな」


 


 スタンとルカは、ジェームスの異常なまでの饒舌に辟易しながらも、スタンはルカの重量と体温を心地よく感じ、ルカも自分のためにある玉座を、それなりに座りごこちの良いものとして楽しんでいた。
「と、いうわけでいやはや目出度きことでございますな! では私はこれにて!」
 たっぷり三十分話して、ジェームスはせかせかと消えた。またどこかに女の子を待たせているのか、それともこれからいたずらしに行くのか。
「アイツの口は恐らく何か我々とは違う性質なのだな。……よくもあれほど喋りつづけられるものだ」
「でも、ジェームスさん、スタンのこと好きなんだよきっと。だから、一緒にいるときにはたくさん自分の言葉聞いて欲しいんじゃない?」
「……ではもっとちゃんと側についておればよいのだ。なんなのだ、側近の癖にあっちへふらふらこっちへふらふら。少しはおまえを見習って欲しいものよ」
「……僕は逃げたくても逃げられない事情もあるしね」
「逃げたいのか?」
「……さあ」
 スタンはずっと回していた手を解いた。ルカはそれでも、スタンの胸に、自分の背中を委ねている。
「……いい傾向だ」
 スタンは満足げに微笑むと、ルカを抱き上げて、改めて向かい向きに座らせた。
「おまえは余の子分だ。そして、おまえは余の」
 言わずと知れたことならば言う必要も無いことだ。スタンは照れくささをそんな理屈で隠して、少年のつるりとした頬に触れる、そうして、キスをした。


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