ルカは、自分の表現の中に存在するいくつかの装飾記号には気付くことなく、思いついたことを、純粋にそう思う。手のひらに乗るほどの小さな心と、両手に抱えても持ち上がらない大きな身体とを、自分のひとつ身体に手に入れた後で、ルカはそう決め付けたのだ。理由を挙げればきりの無いことは分かっている。足の指の股をくすぐる水も、そんな力では自分たちを決して後ろに追いやりは出来ない。自分たちは、自分たちの信じるものの為に進んでいくのみで、誰にも惑わされず、誰にも変えられず、在り続けたいのだ。
暗い所でも消えない。見えなくてもそこに在る。自分はそれを知っている。それを知っている、数少ない者の一人であることを、誇りに思っている。爪先まで零れそうに好きだという気持ちを、甘い月の光を背にして、ルカはその手のひらで示した。逞しい背中を歩き、吸い、流れ、そして力なくぽとりと零れる。満たされたような微笑みに、安堵したような息を吐くのを聞き、強い力で抱き寄せられるままに、細い身体が仰け反るのも気にしない。決して苦しめはしないことを学んだからだ。
こうして二人が在ることが、初めから誰かの思惑で決められていたことだったとしても、ルカはそれを喜んだろう。その定めに感謝したろう。いっそ、自分がこんなでよかったと、普段は思わぬことまで口走るかもしれない。そうさせるだけのものがそこにある。そうさせるだけのものが、ここにある。これから積み重ねていく有限で大切な日々の、例えば明日の幸せは、明日しか手に入らない、昨日の幸せも同様に。他では絶対に手に入らないものを手にする、それが許された悦びは、ほとんどの苦痛から救われるたぐいのものだ。
「……冷えないか……?」
自分は寒くない。なのに、そう聞くことが出来るようになったことを、彼はきっと気付いていて、それを嬉しく思っている。
「大丈夫……、涼しくて気持ち良い。……スタンが暖かいし」
足元を、さらさら、さらさら、砂が、遊ぶ。背中に回した手を解けば、同じように解かれる。また結べば、同じように。まるで君が僕の影みたい。だけど、僕は君の鏡なんだ。
身を離して、ぴちゃん、ぴちゃん、音を立て、足を進める。ズボンのすそが、少し濡れた。
「ルカ」
ルカは背中を向けたまま、微笑む。遥かかなた本当に遠くのほうに兎と蛙の棲む月がいて、その月の光が自分に魔力を与えてくれるようだ。月光を浴びる習慣がついて、自分にもそんな妖しげな部分が生まれつつあるのだろうか。嬉しいことだとルカは思う。
一歩、二歩と進めて、折角折っていた裾は、もう水が染み込んでしまった。脛までも濡らして、かまうことなくルカはもう三歩進んで、ようやく足を止めた。
「ルカ……、濡れてしまうぞ」
可哀想なほどに、焦ったような声で、脅えたような声で、呼び止める、ルカは月を背中に置いて振り返り、少し可笑しくて、笑った。
「心配しないで」
何か言いかけた唇に、
「僕はどこにも行かないし、どこにも行けないから」
と言って、来た道を戻り、その腕の中に納まる。指先を、砂がくすぐる。さらさらと、砂がくすぐる。
「浅い水ならばかきわけて、僕は君と一緒に行こう」
月色の目が、また少し困惑する。
「なんてね。そんなことを言ったりしてみたくなったんだ。ただ、僕たちがこれから歩いてく日々は、限りなく、誰にも止められないものだってことを言うために」
ルカは微笑んで、背伸びをした。
スタンはばしゃばしゃと水を蹴立てて、ルカの元へ辿り付き、頭をぐしゃりと撫でる。
「……お前は。お前だけだ、余の服をこのように濡らすのは」
「きっと濡れるのも厭わないで僕のところにきてくれるのも、君だけだと思う」
「ならば互いにオンリーワンというわけだ」
「そうさ……、僕らは世界に一つだけの花」
くすっとルカは笑って、スタンの分厚い身体に腕を回した。スタンはほっと息を吐いて、優しく抱き締め返す。それから……、少し考えて、
「……っ、うわ、ちょっ、すたん!?」
自ら、踝までの水に、仰向けに倒れた、盛大に上がった水しぶき、尖った耳に水が入り込むのを少しだけ疎ましく思って、それでも、目を丸くするルカを見て、その裸の表情のためなら構わぬと思う。
ルカの唇は潮の味がする。身体を冷やさぬように背中を包み込んで、スタンはいのちの味と同じキスを存分に味わって、まだ心臓をどきどき言わせるルカを嬉しげに見上げた。
ルカは口をぱくぱくさせて、掠れた声で、
「こんな、とこで?」
「……フ……」
スタンは小さく笑って、
「可愛いなお前は。こんなところで、か。……構わんぞ余は。お前とするのに時も場所も選ばぬ。お前が側にいる場所が即ち余のベッドとなるのだから」
「……そういうわけで言ったんじゃないよ」
ルカは口を尖らせるが、スタンの腕の中から抜ける努力はしなかった。水は冷たく、スタンは温かい、それだけの理由でそこに止まっていたし、それ以上の理由でそこに止まりつづけるつもりでいた。
「城に戻るか?」
スタンの声に、ルカは、「うん」と答えたものの、まだ温かいスタンの身体へへばりついたまま、時折甘えるようにキス。
「いいよ僕は……、ここでしたってべつに。君は誰かに見られるかもしれないけど、僕はきっと見付からないから」
本当にそんな可能性がありそうで、スタンは愉快になる。
「安心しろ。余がお前のことを、誰よりも見ていてやる」
スタンはそう言って、ルカの体温が、自分の腹上で柔らかく蕩け、同化するように感じていた。
「ここでするか?」
「……ほんとにだれも来ないならね」
「見付からないのではなかったのか?」
「僕はね。……だけど、君のことを知っている人が君を見たら、そこに僕がいるのも判っちゃうよ。……誰が通るか判らない、例えば」
「いい、先を言うな。その名前は今聞きたくない」
ルカは微笑んで、
「いいよ、スタン。ここでしよう。セックスをしよう。二人で」
塩辛い何度目かのキスをして、本当に二人はそこでセックスをした。ルカは自分自身が魔王の側で、魔王になったことによって、積極的な部分の成長していることを自覚し、スタンはルカの中に暴走しがちな若い強さが備わったことを知る。ただ、ルカがルカでなくなるわけではなく、ルカの中にある強さの矛先は全て愛情としてスタンに向かうほかないもの。
浅い水ならかきわけて、君と一緒に行こう。
海の中へ精を零し、砂を握ったルカは、スタンのいのちを舌で全身で心の奥底まで含めて全部の表面で、味わっていた。