終点

 そう例えば、ウィルは俺のことを誰より強く求めてくれた。

 必要とされていることは、人間にとって何よりもの強味となる、喜びとなる。人間は必要とするよりも必要とされることを望む生き物だ。俺はウィルに求められて、ウィルに欲してもらえて、本当に嬉しかった。俺はウィルとの比較対照で、間違いなく俺が、少なくともその時のウィルに比べては、強い存在なのだということを、はっきりと自覚した、俺が、俺の望む形になった瞬間だったろう。

「でも、平気? 怖くない?」

 覚悟を決めたというウィルの覚悟というのが、こういう行為を含めて最初から彼の中で出来ていたとするならば、それは何だか、聡明なウィルらしくて、しかしどこか滑稽で、笑ってしまう。

「怖くなんか……、ない。僕は、……先生に……、多少痛くされても、平気」

 そうか、怖いか。

 俺は気丈に言う子が本当に愛しくなって、止まらなくなりそうで。

「俺は、ウィルに痛い思いさせたくはないんだけどな」

 そう言うと、ウィルははっと見上げる。黒い目に、焦燥や、不安や、少しの怒りや、いろいろなマイナスがまぜこぜになっているのを俺は見た。この子のこう言う顔は、俺にも同じ気持ちを与え、しかし同時にその倍くらいの優しい気持ちを齎すもので、微笑んでしまう。そうされるウィルが、多分いい気持ちしないだろうなって、俺は判りながら。

 でも本当に、ウィルが怖がる顔は見たくないし、ウィルに痛い思いはさせたくない。ウィルが怖がるのは俺も怖いし、ウィルが痛ければ俺も痛い、そういう、恋人の発想が俺の中にはあったから。

 甘い髪を撫でる手を、不意に鬱陶しそうに退けられて、俺は少しだけ傷つく。

「こういうことをする覚悟は、僕、決めたって言ったでしょう」

 その目は強い。

「どういう思いをするか、判らないで言ったわけじゃない……、僕は、……判らないですけど、それが仮に痛みであっても、貴方がくれるものであるなら、それがどんなものでも……、」

 構わない。最後の言葉は俯いてしまって、俺に直に届くことは無かった。

 ごめん、と咄嗟に言った俺の科白に、ウィルは俯いたまま何も言わずに首を振った。

「でも、なるべく痛くしないようには、するよ。……って、俺もそんな、知ってるわけじゃない、初めてなんだけど……」

 俯いたまま、頷くものだから、俺からは、リアクションを掴めない、どんな顔をしているのだろう、どんな心持かは、ますます判らない。ただ、俺の手を退かして、退かしたままずっと握っている、その力がとても強くて、俺はウィルの、俺への愛情、控えめに言って好意を、確かに感じ取る。

 無理をしなくてもいいのだ、別に、こんなことしなくても。それこそ俺は、ウィルがさっきしてくれたフェラでも、すごい嬉しい。肉体的な面だけに限って言っても、すごい気持ちよかった。性欲を満たすという意味では、覿面の効果を発揮していた訳だ。

 でも、それでも、無理をしてでも、俺はウィルと繋がりたいし、ウィルも俺と繋がりたいと思ってくれている。その願いの、底の方から、神聖な愛情がこんこんと溢れてくるのを、俺は感じている。無理を承知で、しようと言うのだ。それはどんな理由を並べたって妥当性に事欠く行為だが、唯一「愛情」を理由にすれば、そこに妥当性を見いだすことが出来るような気がする。行為に付随するものが必ずしも快感ではなくても、「したい」と思うのだ。それは神聖でなくて何だろう。いや、他の何かかもしれない。でも、心配しないでウィル、俺は、君のしようとしていることが、俺がしようとしていることが、神聖であるということを、一人で証明しつづけるから。

 俺はウィルをまた抱きしめた。ウィルもそれに応える。

 何度もキスをする。

「……せんせ……」

 ウィルの吐いた息を飲み込みながら、俺の息をウィルへ送る。互いの精液を塗れさせた互いの口を、舌で愛撫しあいながら、

「ウィル……、大好きだよ、ウィル」

 互いが、互いの名を呼ぶことを悦んでいる、そこからして、まず大いなる悦びに縁取られている。

 キスが終わっても、まだ身体を離すことはなく、俺はウィルの耳に語りかけた。

「繋がろう」

 ウィルの身体が、やっぱりほんの少しの緊張を帯びる。俺はそれを感じて、ほんの少し緊張する。

「ウィル、繋がろう。俺と一緒に、……気持ち良くなれないかも知れないけど……そもそも、君よりも俺がなれるかどうか不安、……いやそれは、その、精神的にね、やっぱり申し訳ない、いや、その、何て言う……いててて」

 ウィルの爪が、背中に食い込んだ。

「痛い、痛い……、判ったよ、うん……、余計なこと考えない。そう、気持ちよくなれるかどうかじゃないな、俺がウィルのことを好きって言う気持ちだけ、本当にそれだけだね」

 この子の考えていることが俺は解る。

 俺の考えていることも、この子には解っている。

 互いに隠す術はもう持っていない。隠したいと思うものも隠せないし、そもそもそんなものはないし、晒されたところでそれは最初から自然だったような気がするから、あえて露出した部分をどうにかしようという気もない。

「なんだかウィル、泣き虫になったね」

 俺は髪をただ撫でながら言った。

 俺に告白したあの日から、本当によく泣くようになったなと思う。その涙は俺の腕を、胸を、たくさん濡らした。その涙がウィルの弱さなのだということを、もちろん解っている。流さないように飲み込んでいたものが、要するに「生意気」の仮面だったのだ。強さと呼ぶかどうかは微妙であっても、隠すことは弱さではなかったと思う。

「繋がろう……、ね、ウィル」

 もう、そこに求めるのは肉体的な快感ではない。ウィルの身体は、とっくの昔に、静けさを取り戻している。

 だけれど、俺たち……俺は、じゃない、俺たちは、ここで引き返すことは出来ないのだ。

 俺も解っていた、ウィルの気持ちを受け止めた時点で、こうなることは解っていた。それを解らない二十何歳なんていてたまるかとも思うし。ただ、それを望むようなことは正直しなかった。望むのは罪悪に思えた。寧ろ、どれだけこのときを先延ばしするか、そればかり考えていたかもしれない。

 しかし、結局はしないわけにはいかない。それは、肉体の性欲が望むのではなく、精神の性欲が望むことだ。

 思うに、性欲というのは、殊それが精神の充足、とりわけ、純粋であり、乏しい表現力しか持たない人間が発露させる方面で発動するものであるならば、決して汚いものではないのだ。俺はウィルの持っている性欲というのが本当にそれだと思うし、自分のも多分そうだと思う。ウィルに「繋がろう」と言う気持ちは、肉体の性欲充足を度外視したところで成立しているのだ。

 精神の性欲の充足は、幸福に繋がる。幸福への接続が、即ち、いまはウィルとの接続。

 俺の精神的性欲の充足、そしてウィルの精神的性欲の充足、プラスアルファで、お互いの肉体的性欲の充足(それもそれで、非常に幸福なものであることを俺は残念ながら否定できない)の為に、繋がろうと、俺は言っているのだ。

「……はい」

 ウィルは、何とか落ち着きを装った、しかし濡れた声で言う。

 俺はやっぱりその髪を撫でて、撫でるのが嬉しいし、撫でるだけなら痛みを伴わないものだから、固執してしまいそうになる、すがり付いてしまいそうになる。しかし飲み込んで、ウィルのことをそっと横たえた。

 まだまだ細い体、俺はその胸から腹へそうっと手のひらで撫でて、キスをする。キスをして、舌を、もう当たり前のことのように出して、絡ませあいながら、下へと俺は手を伸ばす。この手の動きも、肉体的性欲ではなく精神的性欲であり、出来れば性欲の働きによって痛みを軽減することを望んでのことという説明が出来る。ウィルは俺の舌に健気な応戦をしながら、腰をかすかに揺らし、その動きで俺の精神を満足へと導く。俺の手のひらを、突くように育つペニスを、俺は逆手で撫でる。

「せんせ……、せんせえ……!」

 ちゅっ、とわざと音を立てて、キスを終えて、俺は出来るだけ優しく、安心させるように微笑んでから、ウィルのそこから手を離す。自分の手のひらを見ると、蜜で光る。

「ウィル、……四つん這いになってごらん」

「……四つん這い……?」

「そう。お尻をこちらへ向けて」

 猫みたいにさ、と言いかけて、あんまり品のいい物言いではないことに気付いて噤む。ましてや、「ミャーミャ!」とおしゃべりするテコをここでウィルに想像されては、あまりよくないようにも思う。今は二人だけの世界でいたいんだ、ごめんよテコ。

「その、……イヤかもしれないけど」

「イヤじゃないですよ、別に」

 恥ずかしい気持ちを堪えるように、息を止めて、ウィルは小さなお尻をこちらへ向けた。本人の強がりとは裏腹に、太股がひくりひくりと振るえている。可愛い、可愛い、可愛い。思わず無遠慮に手を伸ばして、そのお尻に手のひらを乗せてしまった。引き締まった張りのいい臀部は、少年特有のものなのだろう、きっと。

「あ……」

「お尻、感じるかい?」

「……う……」

 俺は右の手のひらを回しながら、左手で閉ざされた谷間をそっと広げる。ウィルがそれに気づき、肩越しに焦ったように振返る。俺はそのまま、そこへ舌を近づけた。

「あ!?」

 俺の与えた感触に高い声を上げる。戸惑ったように、しかしそれをどうにかして受け入れようとして、どうすれば受け入れられるか、必死に考えている。困惑しながら、恐れながら、俺を受け止めようとしている。

 俺は、舌先のリズムでそれを感じ取っていた。

「せんせ……、あ……、んっ、……んん、せんせい……っ、んあ……」

 逃げそうになる動きと、それを抑える動きが、ウィルの太股の中で交互に発動するのを、俺は感じ取っている。どっちが理性で、どっちが性欲かは俺、判らないつもりでいようと思う。少なくとも「過程」を楽しむ余裕は今の俺たちには無い。結果ばかりを今は求めて、焦っている。繋がったことで何かの答えが出るとも思えないのだが、俺たちはそれでも盲目的に結果を求めていた。イヤだなもう、結果よりも家庭が大事だって事は、俺が一番判っているのに、今は飢えた子供のようだ。

 ゆっくりと押し当てた指に、ウィルが息を飲む。

 それは覚悟を本当に決めたように思えた。そして、俺は意地悪くウィルの覚悟を試しているように自分が見えた。

「ウィル……、指、入れるよ。痛かったらすぐ言うんだよ」

「痛くなんか……っ」

 ああ、痛い思いなんてさせないよ。約束するとも。

 俺は唇を噛んで、ゆっくりとウィルに指を挿し込んだ。

「あ……!」

 強張った身体を解すために咄嗟に俺がしてしまったのは、その身を覆って、耳にキス。

「や……、先生……っ、んっ、やあ……」

「平気……?」

「……う、……いぃ、へい、き……ぃ、だからっ、……あっ、……あ……」

 健気。

 そう、この子の「生意気」の仮面は「健気」と言い換えることも出来る。だから決して弱いものではないのだ。仮面をかぶる行為は確かに弱いのかもしれない、しかし、仮面を作り出すにも強さは要るのだ。

 指先に強い圧力を感じる。俺は宥めるようにそうっと引いたり、また奥へ進んだりを繰り返す。

 実際に、ものすごく痛くてしんどいのは、自分でも判っていた。だって、ウィルがどんな目に遭うのか、本当に苦しいだけなのか、俺は、……義務という言い方はしたくないからしない、知りたかったんだ、知ることだけでも、最低限俺がしておくべきと思ったから。

 確かに、痛かった。正直、精神的にもしんどいって気持ちがあった。

 だけれど、想像もした。俺は「それ」を、仮にウィルにされるのなら、平気だろうって。あとはもう、ウィルの言葉を信じるしかなかった。

 しかし、ウィルの言葉を信じるべきではないことも俺は判っていた。「信じるべきではない」、ウィルがどんなに俺のことを好きだと、抱かれたいと、言っても俺はそれを鵜呑みにしてはいけない、ウィルにはまだ早すぎると。でも……。

 どんなルールよりも、俺はウィルが好きだという気持ちを、そしてウィルが言った言葉を優先したかった。ウィルが後悔したなら、その時にまたやり直せばいい、命に関わる問題ではないから。こう思う俺はもちろん教師としての資質の微塵もない、愚かな小さな男に過ぎない。しかし、それでいい。教師として人を愛することなんて無理だ。少なくとも俺には、無理だ。もちろん、生徒として見たときには、ウィルもスバルもパナシェもマルルゥもみんな可愛くって涙が出るほど愛しい。平等だ。しかし、俺が教師の服を脱いで、こうして裸になったときにはそうじゃない、俺には、ウィルだけが愛しい、そして、それは生徒としてとか、子供だからとか、そういう気持ちは一片も存在しない、ただ、ただ、ただ、俺はただ、「ウィル」が愛しい、ウィルという命が、その命の宿る体が、心が、言葉が、一つひとつが、俺は只管に愛しい。だから、だから。

 今俺はこうしてウィルを抱こうとしていることに、実は少しの躊躇も無い。愛ゆえに。

 しかし躊躇があるとするならば、それもまた、愛ゆえに。

 両極端な方向へと、同時に愛が作動しているから、俺はこんなに人間なんだろうと思う。

「ウィル」

 指を、そっと抜いて、俺は頬にキスをする。何度も涙が伝った其処は塩の味がする。俺まで泣きそうになってしまう。

「大丈夫です……」

 ウィルは、強い目線をシーツに刺しながら、言った。

「……僕は大丈夫。……そんな、さっきから先生がダメみたいじゃないですか……」

 俺は本当に刺し貫かれた。ウィルは、震えながら笑って、また仮面をかぶって見せた。

 ただ、ただ、ただ、俺はウィルが愛しい。


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