痛みに顔を歪めて、ウィルはシーツを破くくらい爪を立てた。歯を食いしばって、それは到底快感を享受できる状況の顔ではない。もっとも、痛みを感じているのは俺もまた同じだった。ウィルの中は俺の想像を超えて狭かった。窮屈で、その上これでもかというほど俺のペニスを噛んでくる。先端から根元まで、血が止まるんじゃないか壊死するんじゃないかここが壊れたら普通に生死の境だよなとそんなことを考えさせるような痛みを浴びさせられる、それがつまり俺の第一の罰であり、さらに何番目のかは判らないが、罪悪感という永劫付き纏う悪性の罰が用意されている。壊死して男性機能を失えたなら、ああ、そちらのほうがずっとずっとましかもしれない。
ずっとそう言うことを考えていたかったけれどおぞましいことに俺はその痛みの中から快感を拾い始めた。ウィルの括約筋がほんの僅かに緩んだ隙間に血液が巡る、再び苦しくなるまでの僅かな時間でむず痒いような熱さが行き渡る。徐々にその空間の窮屈さに慣れ始めていたのかもしれない。加えて言えば、俺は下衆な性欲に駆られていもいた。痛そうな苦しそうなウィルの顔を見、その原因を探り、全部俺へ帰結したとき、俺はその事実に、今している行為に、激しい興奮を覚えたのだ。
どんなに腰を思い切り振ってやろうと思ったことか。
この小さな穴が血に塗れたっていいくらい。
どうしてもそれが出来なかったのは決して俺が先生だからとかウィルを愛しているからとかいう殊勝な理由ではなかったような気がする、単純に俺が後々のことを考えてしまったからだと思う、今そんなことをして周囲からそして自分から責められるのは間違いのないことだと思ったからだと。
息を止めて、俺はウィルから、腰を戻した。俺のものを受け容れた結果、赤く腫れたように見えるウィルの小さな穴を見て、俺は俺をグロテスクに思った。
「わかったろ? やっぱりそんなに……甘いものじゃないよね」
だろ? と俺は自分にも聞こえるように言った。
「難しいよ……。俺がどんなにウィルのことが好きでも、そしてウィルが……俺のことを好きって言ってくれても、俺たちは今、こういう形、ごく当たり前の形で愛し合うことが出来ない」
ウィルは、涙目で俺を見上げている。多分、痛いからじゃない。痛んだとしたらそれは身体の中の方だろう。俺はウィルの目に新しい涙が生まれるのを見た。
「……ごめんなさい……」
ウィルは言った。
「何で謝るの……。ウィルは何にも悪くない、悪いのは……」
こんな欲望を持っている俺か? それでも構わないからしようと言ったウィルか? わからない、わからない、わからない。ただ、わからないけれど、俺は自分を責める。
ウィルは俺が抱きしめて頭をどんなに撫でても、ずっとずっと泣き止まなかった。俺の腕の中で震えてしゃくりあげて、ずっとずっと泣き続けた。ウィルの乱れた息の音が、俺の胸をそのまま強く苦しく絞り上げるようだった。
こんな思いをしなければならないのにどうして俺たちは愛し合うんだろう。こんな辛さを味わうために俺たちは愛し合いたいと思ったんだろうか? ああ、その可能性は否定できない。確かなのは、これが一般的に言うところの「罪悪」であるから、その罪悪を俺たちに知らしめるために一番いいのは、この不快感、この絶望感、涙と血だ。それをはっきりとウィルと俺が認識したなら、もう「したい」とは思うまい。
ウィルが眠ったのはもう三時を過ぎていただろう。その身体をベッドにちゃんと寝かせ、パンツだけは穿かせて毛布をかけて。俺はベッドの下に落ちていた自分の服を着て、それから床に座って、ほんの少しだけ、眠った。
新しい一日が始まる。
何も変わらない。
あまり冴えないとは言え理性的に働くようになった頭は、前夜のことを振り返って辛い胸の痛みを醸すけれど、感情的なところは何一つ変化がない。ウィルのことを愛しいと思うのは相変わらずのことだし、
「変わりませんよ、絶対に、変えたりしませんよ」
ウィルも、いささか意地を張るような言い方で言ってくれた。
「僕は貴方が好きだ。……誰かのことを好きと思う、好きと言う。そんな行動にこんな幸福感が伴うものだと思わなかった。もしも今の僕たちに、僕に、それが許されていなくても、僕はそんなもの、克服してみせる、超越してみせる。……貴方には僕だけを見ていて欲しい。ワガママと思われても、ああいう時の貴方には貴方自身の事なんか顧みないで、僕のことだけを見ていて欲しいから」
それから、ぷいと顔を背けて、
「顔を洗ってきます。先生も僕が終わった頃に部屋を出てください」
「え……? 何でさ、いっしょに」
「出ても構いませんけど、先生が困るんじゃないですか。生徒と一緒に一晩ずっと過ごしてたわけですよ? そのうえ……」
あ……、そうか。
「わかった。じゃあ、後でね」
「……はい、後で」
部屋を、出かけてノブに手をかけて、それから戻ってきて。
ウィルは背伸びして、俺の唇にキスをした。
それから何も言わず、部屋を出て行く。
勇敢な子、賢い子、悪い子、……大好き。俺は溜め息を吐いて、何とも言えない、苦い幸福を味わっている。あんなこと、平気な顔して、強い目をして、真っ直ぐに真っ向から言ってしまえる。俺よりもずっとずっとずっと強いね。ウィルを見ていると俺は、俺の臆病さ、頭の悪さ、偽善的なところ、全部映し出されるような気になる。いつかスカーレルが隠喩的に言ったことを思い出した、ウィルを見て、俺は俺のダメなところをひとつひとつ知っていく。
「おう、おはよう」
「おはようございます、先生」
カイルの隣りで顔を拭いていたウィルが鏡ごしに俺を見て、本当にごくごく自然に朝の挨拶をして、洗面所を出かけたところで振り返り、
「そうだ。……この間の、例の算術の件なんですが、やはりスバルは苦手みたいでした。僕とパナシェで、何とか形にしてあげられたらと思っていますが、先生からも少ししっかり教えてあげてください」
「この間の……、……あ、ああ、ああ、あれね、例の、うん、はい、わかった、ありがとうウィル」
「よろしくおねがいします」
びっくりした。やっぱり俺、頭悪いんだなと思った。しかしよくまあ、スラスラ言えるなあと感心もしてしまう、いや、本当に正直に。ああいうスマートさが俺に欠けている所、ウィルを見習おうと思った。
歯ブラシを加えたまま、カイルはニヤリと笑った。
「しっかりしてるよなあ、しっかり『委員長』してるもんな、あれなら『先生』としても頼もしいだろう」
俺は空ろにあははと笑って、確かにそうだ、そうだけど、俺は頼もしすぎてなあ。
カイルも朝食を食べに行った。残された俺は石鹸のかわりに練り歯磨きを手にとって呆然として、仕方なくそれを口に入れる。
「ミャー?」
「……んー、うん……」
テコテコと歩いてきたテコが、指を口に突っ込む俺を見上げて、目を真ん丸くする。俺はそれから歯ブラシを口にして、口が泡だらけになる前に、
「ウィルならもうご飯食べに行ったよ。テコも行ったら?」
と言った。テコは素直に「ミャ!」と返事をして、またテコテコ歩いて行った。
「はあ」
ぶくぶくと泡を立てながら俺は溜め息を吐く。
どうしたらいいんだろう?
鏡に映った男は口の周りを白くして寝不足気味の目でこれといった特徴のない見栄えのしない顔で自分の顔をじっと見詰めている。その目は自分を見ていても少しの愉快さもない。ただウィルだけを見ていたいと思うが、今はそういうことの出来る時間ではない。
俺の幸せとは何だろう?
ウィルは俺の、恋人だと思う。年は離れているし立場の生徒と教師ということにはなっているけれど、お互いにお互いが「好き」って気持ちがあるなら、それはその時点でたちまち恋人と言って構わないと思う。性別年齢差は超越して、二人の人間がいたときにその関係は必ず可能性として秘められているものだろうから。
ウィルと俺は恋人同士。そう思うだけで俺は人生が七割増くらいで楽しくなるような気がする。
しかし、それだけではいけない。具体的には、そう確認しあって、キスをしたり、頭を撫でたり、ぎゅって抱きしめたり、ただ見詰めていたりするだけでは、ちょっといけない。やはり幸せというものは、日に日に欲深くなっていくもので、永久的に現状維持を望むことなどそうは出来ない。手を繋いだらキスをしたい、キスをしたらセックスをしたいと、段階踏んでボルトを上げていくものだ。
しかし、俺たちはまだ、許されていない。
ウィルをどんなに欲しがっても、俺はウィルを手に入れることは出来ないし、ウィルがどんなに望んでも、ウィルに入れてあげるわけにはいかない、その事は昨日の夜、つくづく思い知らされた。つまり、……つまり、罪であるという……、いや、そうではない、そういう理由ではなくて、物理的に無理なんだ。理性的な朝に俺はそう思う、物理的に、まだウィルが子供であって、肉体的な余裕がないから、俺のといえども受容出来ないのだ、理由はただそれだけ。しかし一つだけの理由であっても、ウィルが言ったように克服或いは超越するには、凄まじい痛みが伴う。
ウィルはその痛みを超えるという意味で、さっきのような事を言ったのだろうか。だとしたら、あの子の気持ちは本当に本当に嬉しい、けど、……やっぱりダメだ、とも思う。
どうしたらいいものか。俺は口を濯いで吐き出して、顔を洗って、顔を拭いて、それから鏡を見て、考えた。相変わらず冴えない寝不足な男。
結論は出なくても時間は過ぎるし、朝食を食べたらまたやることはいっぱいある。ということはまたあっという間に夜は来て、また足音を忍ばせてウィルの部屋へと行くのか――或いはウィルが俺の部屋に来るのか。何れにせよ、また昨日の夜のように、辛い快感苦しい幸福を味わうのだろうか。
ウィルはそれでいいのかな。ウィルはどうしたいのかな。ウィルは……。
ウィルのことを独りで考えても仕方はないし、とりあえず朝ご飯はもう出来ているだろう。夜のことは夜に回して、まず俺は洗面所を出た。