誰も見ていないところではまるで俺たち本当の恋人みたいに。本当に恋人なのは事実だ、ただ、他ならぬ事実自身がそれを拒むような俺たちの関係だから、二人きりの部屋で、或いは、砂浜で。俺たちは、確かな思い合い、そう「想」って漢字の感じ。

「貴方は……、放っておくと本当に何を始めるか判らないから困るんです。初めて会ったときから困っていたし、今も困っています。多分これからも、ずっと困らされるんだろうなって」

 ウィルは少しの笑顔も無く、俺に言った。俺より小さな子の言う、一定以上の水準で真理として成立する言葉を、俺は苦笑いで聞く。俺のほうは見ないで、視線は海へと投げられたままだ。少しく大人びた目元、しかし、俺と比べたとき、君はまだ、ずっと小さい。抱きすくめる為かもしれない。まだ、俺が、君より大人で、君を抱いてあげるそのために。そして、その必要な機会が、まだこれから、何度となくあるはずだから。

 だから、と言葉を繋いで、ウィルは、

「貴方の側に居なければならないんだと、……僕は思っているんです」

 始めは溜め息交じりで、途中からは、確かに強い意志が篭った、凛とした声で、ウィルは俺にそう言った。俺は、守られているような安心感に照らされた。そう、どんなに暗くなっても、暗くなっても、遮られても、全ての者は太陽に祝福される、そんな気持ち、真理に等しい、俺の隣にウィルがいる。

「俺は」

 俺は? 無責任にも言いかけた舌が痒くなる。

「俺はね……、ウィル。これからも君を困らせて生きていくことを、やめないと思う。やめられないと、思う」

 冷たい横顔、少し、だけど、綻ぶ。

「……でしょうね」

 それぎり、ウィルは何も言わなかった。俺はウィルに手を伸ばして、ウィルはその手を握った。そういう種類のコミュニケーションをしたいと思った。握った手は温かかった。ウィルの温かい手だった。俺よりもずっと小さくて、優しい。舐りたい、刺が、俺の眉間に刺さったみたいになる、幸せなのに、どうしてだろう、俺は、眉間に皺を寄せてしまう。

 欲求を口にする、その勇気が俺には悲しい哉、あるのだった。ウィルは一瞬、目を見張った。でも、何も言いはしなかった。ただ、俺のマフラーを引っ張って、顔を引き寄せて。そこまではした、そこからは何もしなかった、うん、あとは全部、俺がした。潮風に、かすかに塩辛い唇に、俺はおそるおそる唇を当てて。ウィルが唾を飲み込んだ。それから舌を出した。俺は、俺の身体で、外にぶつかるところ、全部が、こういうときびっくりするくらい敏感になることに気付く。目を閉じているのに、俺は、触れてもいないウィルのどこがどんな風になっているか、判る。その右手、音も無く、砂を握り締めるのを。左手、俺の背中へと、今まさに、回されようとしているのを。

 目を開くと、ウィルは、風邪をひいたみたいな顔になっている。

 外套を捲り上げる、その過程で、ダークグレーのソックスを、裏側からするする、辿っていく、膝の裏、白いことをよく知っている太股の裏、そして、短いズボンの裾を。ウィルの心臓に耳を当てながら。心地良いリズムが俺の頬へ伝わってくる、俺は知らない間に微笑んでいた。

 俺の、こういう風にしたいっていう感情、ウィルのことを、本気で大切に思って、俺がウィルを気持ち良くしてあげたいっていう気持ちがあることは、もちろん否定できないだろうけれども。俺の果たしたいものもどうしたってあるわけで。それに焦点化すれば、相手がウィルじゃなきゃいけない理由というのは、俺の幼さしかなくなってくるのだけれど。

 けれど、他の誰に「先生」って呼ばれる時よりも、俺は今に、強さを覚えるんだ。

「……先生……」

 普段、少し、飾ったように喋るときとは、出所が全く違う声。

「舐めたい……ウィル、舐めたいよ」

「二度言わなくても、判ってます」

 その諭す声も、風が吹いたら掻き消されてしまいそうなものだ。ウィルの周り、俺の周り、今は砂と潮だけが支配する。邪魔が無い。

 ズボンの前、ささやかに膨らんでいる。俺が微笑んでそれを見るとき、その微笑みは、邪悪さ以外に何か意味があるだろう? 意味を探ってくれ、俺のためではなく、この男に愛されているウィルの為に。そして祈ってくれ。チャックを下ろす、下着に触れる、ウィルの幼いペニスが長さとしては同じ程の俺の中指で脈打つ。ゴムを引き降ろして、暗闇の中、俺はウィルの匂いを嗅ぎ、体全体が亀頭のように感じているのを思う。そして、まだ亀頭を見せられないこの子のこの場所を、大好きだなあって思う。何か、心を病んでいるみたい? そうじゃないと言ったのは俺じゃなくてウィルなんだ。砂が風で細かに擦れ合う。さらさら。

 ねえ。

 鼻につくかもしれないけれど、俺たちは確かな恋人同士だよね、そして、発展するところにあるのは夫婦だよね。

 君は俺の奥さんだ、俺は君に恥じない、立派な旦那さんになってみせるから。

「せっ……」

 ぎゅう、と服の上から髪を掴まれて、微笑んでいる。うん。

 ウィル。

 って、俺は、確かに言ったんだ。そして、ウィルの精液を、飲み込む、ウィルの掻いた砂が、さらさら音を立てた。

 

 

 

 

 砂にまみれた服、このまま帰ったら船の中を汚してしまうからと、ウィルは溜め息混じりに外套脱いだ。脱いで、はたいて。そうすると、今度は中に着ているシャツとズボンも気になってくる。

「いっそのこと、全部脱いだら?」

「先生」

 ウィルは凍れる目線を俺にくれる。

「……いや、誰も見ていないし、いいかなって思ったんだ……」

 俺は、苦笑いで誤魔化した。

「……冗談でもやめてください、そういうのは。見られては困るからと着たまましたんでしょう」

「はい……」

 俺の腕に手を置いて、バランスをとりながら、片方ずつ靴の中の砂を落としていく。低いところにある、この子の顔、そのうち、追い抜いておくれよなんて思う、先生の回路が働いている。

「戻りましょう」

 二本の足で立って、ウィルは言った。

「テコを置いて来てしまいましたから。……寂しがっていたら可哀想だ」

「うん……、そうだね」

 テコを思うウィルを見てると、ちょっと泣きそうになる。それは、嫉妬心からというわけでは全く無い、そんなものとは、まったく別次元の問題だ。この子の思いやり、優しさに、触れたような気持ちになる。自分ではなくテコに向けられたそれを見るたび、涙ぐむ。自分に向けられた優しさは、俺、気付けないくらい幸せなんだろうと思う。許容範囲を越えてしまって、とにかくそれくらい幸せなんだって、思うんだ。

 きっと、この小さな島ではちょっと、測りきれないほど大きな、ウィルの優しさ。俺に降る太陽の光。

 けど俺は人間で、人間はちょっと、こう、我儘な部分があって。

「ウィル」

「はい……?」

 ちゅっ。

 音は、自然と立った。

 ああ、なんて馬鹿、馬鹿、馬鹿だなあ、でも、いいだろ、なあ、世界で一番鼻につくくらい幸せな、恋人同士でいたいのさ。

 

 

 

 

「先生、この場所が好きなんですか?」

 ウィルに聞かれて、いいやと俺は答えた。また、いつもの海岸に来ている。テコも置いて、二人だけできている。

「本当のところを言えば」

 いつも、すぐ隣りのウィル。

「君を連れ去ってしまいたい」

 ウィルは、じっと、俺ではなく海の向こうを見ている。そう、そっちでもいい、あるいは、この島のどこかでだって、俺は満足だよ。

「準備は出来ていますよ、僕なら、いつでも」

 ウィルは立ち上がる。

「歩きましょうか」

「ん?」

「……裸になりたいです。貴方の側にいると、すぐ熱くなる……」

 けれど、俺の体温を疎ましく思っていない証拠に、俺の差し出した手を、ちゃんと握ってくれる。俺たちは歩き出した。

 砂に足跡がつく。追いかけようと思えば簡単だよ、だけど、見えない壁があって、きっとどこからか進むことは出来なくなる。申し訳ないけれど俺たちは、俺たちの愛し合うという事に限っては、狭隘な心を持ってしまっているんだよ。

 少し森に入った。少し上りを上がって下った、俺たちは、この島の地図を、まだ知らない。だけど、何処を如何歩いても、俺たちは迷っているつもりなんて少しも無くって。視界が開けた、また違う砂浜に出た。湯気の立つ泉が湧いている。

「……これは……」

「なんだろうね。温かい……」

 まるで大きなお風呂だった。俺たちは顔を見合わせて。

「……脱いでも構わないですよね、ここなら」

 ウィルが言う。悪巧みをするような顔で。

「そうだね、ここなら……、誰に見られても文句は言われない。こっちが文句を言えばいい」

 微笑み交して、繋いでいた手をようやく離した。ウィルが、服を脱ぎ始める。それをぼうっと見ているだけの俺にちらりと目をくれて、何か言おうとして。解ったよと頷いて、俺も服を脱ぐ。

 日は大分傾いていた。ウィルの白い裸が赤く燃えて、眩しい、神々しい。

 時々はどきどきと戸惑ったりする瞬間があるんだそれは、俺は本当にウィルが愛しいことに関して。俺自身どこまで俺に自信持って、ウィルを愛している? 本当に心底から求めるものに従って俺はウィルを欲しがっている、そのくせ、正々堂々としていられないのはどうしてだ。多分どこかに、俺もどこかに、少なからずの不安感だとかそぐわなさを抱えて生きている。実際に時々、ウィルを抱き締めたときに耳へ届く波音が、音割れを起す。きっと全ての女性に申し訳ない気があるんじゃないか。って、俺の関係のある女性なんてひとにぎり、両手で少し零れ落ちるくらいしかいないのだけれど、なんだか、やっぱり、いけないことをしていないか俺は、そう考えるときに頭にあるのはウィルと女性のことだ。

 縋りついた腕の、背中の掌の、指先へ、力が少し篭ったのを裸で感じて、俺は慰められるんだ、ああ、信じていいんだと、解るんだ。

「せんせい」

 此処が仮に夢の国でも俺は構わなくって、だったらもう現実には帰らない、そう嘘をついてでも、君を愛していくことを決めた瞬間が、君が背伸びして、俺が少し身を屈めて、唇を重ねあった瞬間で、そういう瞬間に考えて決めたことだから、それは誰にだって揺れないたった一つの事実。

 そうだよ、君が俺の神様、たった一人の神様。人間の、姿を借りて俺の前に下りてきた。だけど、神様だということを俺は君を見て解ったから、君の愛らしさがここまで判る、どこまでも解る。俺だけの神様が俺のことを潤んだ目でじっと見詰めてくれたとき、熱い煙の中に俺たちはいて、ゆったりと身を重ねあって、穏やかに幾つも、幾つも、幾つも、キスを、幾つものキスを、……キスを。

 たったひとつだけ俺の信じられるもの。君の笑顔、君の泣き顔。

 


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