二人の間に赤ん坊

「僕と結婚してください」

 その言葉ではなくて、俺は自分の耳を疑ったんだ。ウィルの言葉が変なはずは無い。それが「え?」と思うようなことだったなら、俺自身の耳を疑った方が、よっぽど建設的だと思った。

 いい雰囲気だったんだよ、そう、すごい、いい雰囲気だった。夕暮れ時で、俺たちはアジト側の岩場に腰掛けて、海が赤ワイン色していくのを眺めながら、黙って、ずっと、一緒にいたんだ、そう、雰囲気はすごい、いい、今だって、良すぎて照れくさいくらいだ。どうしたらいいんだろうねウィル、普通の恋人同士だったら、ここで「好きだよ」って、頬っぺたにキスをするのが本当なんだろうかな。でも、俺たちはお世辞にも普通の恋人とは言えないし、ここだといつなんどきスカーレルとかソノラに見つけられてしまうとも限らないしね、そんなことを考えていたまさにその時だったんだ、ウィルが、真っ直ぐ俺を見て、そう言ったのは。

 ウィルの顔の左半分は、燃える海の赤が映じて染まっている。眩しくって、俺は、目をチカチカさせながら、どう答えたらいいのか、口をぽかんと馬鹿みたいに開けたまま、黙っているほか無かった。

「いろいろ考えました、僕なりに。出た結論はこれしかなかった。貴方とこれからずっと、ずっと、ずっと、正当な形で、誰からも認められた形で、一緒にいるためには、これ以外に無いってことが判ったんです。……先生、僕と結婚してください」

初めてウィルと出会ってから、まだそれほどたくさんの時を経たわけではない。そんな短時間で、俺たちがこうまで深い関係へと進展してしまった理由を探るに、それはやっぱり不思議な相性と言うものの存在を認めるほか無くて、俺はウィルに思いのほか好かれたし、俺も勿論、ウィルのことを可愛いなって思った。その思いの強さが、少しずつ強くなっていって。初めてキスをしてしまったのは、夜だった。してしまったって言うか、されてしまったって言うか。俺はてんでだらしが無くて、ウィルがこう言ったのを、焦げた耳で聞いたのを覚えている。

「先生のことが好きです」

 ウィルは、自信と誇りに満ちた強い眼で俺にそう言った。きっぱりと言い切ったのだ。

「僕は先生のことが好きです。ずっと貴方の側にいたい。……不器用で、心配ばっかりかけて、……子供みたい、だけど、僕は貴方を見てると幸せだから」

 十代入口の子供にそんな風に見られてしまうことは大いに大いに情けなかったけれど。

 俺は、……今考えたらやっぱり軽率、しかし、俺だって、

「俺だって、ウィルのことは好きだよ……、君のことをいつだって考えてる。本当だよ。君は僕の、一番初めの、……たった一人の、生徒なんだから……」

「生徒だけじゃ、僕は嫌です」

 ウィルは、俺のマフラーをぐいと掴む。

「僕は貴方の生徒なだけじゃ満足できない。僕は貴方にタダの一人の男として見られたい……愛されたい。教師と生徒とか、そんな建前じゃなくて、一個の独立した、ウィル=マルティーニという人間として、愛されたい。……駄目ですか?」

 無理だよ、言いかけた、俺の目に、ウィルの膝が、ほんの微かに……注意して見詰めなければわからぬほどに微かに、震えているのが映る。

 そして、ウィルの腕に抱かれたテコが、不安そうな声を上げたのを、俺は聞いた。

 無理だよなんて言うのは無理だよ。

 俺は、では、何と答えたのだろうか。

 ただ覚えているのは、ウィルが、俺の答えの後で、二度目のキスをしてくれたことだ。そして、そのキスが、余りにも甘酸っぱくって、俺は、目を潤ませて、喉を詰まらせて、それでも、唇が離れた瞬間、もう一度ウィルに、今度は俺から、唇を押し当てた。

 そして、喘ぐように、

「……俺も……大好き……」

 と言ったのを、何となくだが覚えているのだ。

 そんな形で始まった恋愛もあると思う、少なくともウィルだけのためにも俺はそれを認めたい。うん、俺はウィルを愛している。ウィルを愛することによって受ける全ての罰をものともしない、間違った力を俺は得てしまったし、一人になっても尚ウィルを愛しつづける覚悟は出来ている。ウィルを好きになれる自分を発見した時点で俺はウィルだけが好きな自分を抱いて生きていくつもりになったから。

 でも、結婚、と来たか。

「……男同士で結婚が出来ないことはウィルも知ってるよね?」

「もちろんです。馬鹿にしないで下さい」

「いや、馬鹿になんてしてないんだけどね、……うーん」

 ウィルは膝の上にテコを寝かせ、そのおでこに手のひらを乗せて、優しく優しく、撫でている。

「僕だって解ってますよ、自分がどれだけ間違ったことを言っているのか。……でも、僕は、……先生が間違ってるって解りながら、進んで間違って僕の願いを叶えてくれたことを見て、知ってますから……、だから、間違ってるって解ってても……そう願ったことを、間違っているっていうただそれだけで捨ててしまいたくは無い。間違っていても、僕が強く願ったこと、求めたことが、正しいって事を、信じたいんだ」

 青い若い柔らかい発想に基づくウィルの声が、俺にはとても心地良かった。俺の居心地のいい場所を、アンフェアな形であっても、簡単に作ってくれてしまうウィルが、俺は本当に好きなんだなあって今更気付く。ウィルは、ぶどう酒色の空より海より、綺麗だって俺は思ったんだ。

 ウィルはじっと俺を見詰めた。俺は、言うべき言葉が見つからなくて、……でも、どうしたらいいんだろうとそればっかり考えていた。ウィルと結婚できたなら、それは最高に幸せなことだろうけれど、でも、どうしたら? ウィルはこの島から帰ったら軍学校に通う。短くて四年、長ければ六年間はかかる訳で、丁度人生で最も多感な時期と重なるその間、如何様にも価値観は変わるだろう。「どうして僕はあんな男を好きだと思ったんだろう」と、そう思わないとも限らないし……。

 もしも船の修繕が済んだら……そして、今俺たちの周りで起こっているトラブルが全部片付いたなら、俺はもちろん、ウィルと一緒に戻る。向こうには、ウィルが今思ってもいないような可能性がたくさん広がっている。俺なんかでいいのかなって不安にもなる。繰り返して言う、俺はもちろん、ウィルと結婚できるならしたい。しかし、ウィルは俺みたいな一人ぼっちじゃない、可愛いウィルを心配するご両親がおられる訳で、俺はそのご両親から、タダの家庭教師として雇われた身である、

「家庭教師のつもりだったんですけどお、いつの間にかお婿さんになっちゃいましたあ。えへへ、という訳でそこんとこよろしくお願いしますね、お父様」

 なんていうわけには、やっぱり行かないだろう。

 俺は、でも、ウィルの願いはどうしても叶えてあげたい。……間違う覚悟を、ウィルが決めているなら尚のこと、俺はウィルの幸せに尽くしたいと思う。家庭教師という職の範疇から逸脱する行為であることは、もちろん判った上で。一人の男として、俺はウィルを愛しているから。

「……愛してる……」

 俺は、自分の舌がひとりでに紡いだ言葉に、えもいわれぬ快さを覚えた。これこそが本当の気持ちだと思った。

「愛してる、ウィル、愛してる……、愛してる、ウィル」

 ウィルは、まだじいっと俺を見ていたけれど、そっと身を寄せて、頬っぺたにキスをしてくれた。俺も返そうと思ったら、膝の上でテコが目を覚ましたので、やめた。

「……ミャ……?」

 ウィルは、甘く苦く微笑んだ。そして、

「……指輪も何も要りませんね」

 と言う。

 テコの頭を、愛しげに撫でるその横顔は、俺の目にはこの上なく神聖に映る。

 

 

 

 

 テコは大抵の場合、ウィルのベッドで一緒に寝るのだが、このところ俺が生徒の部屋に忍び込む悪い先生なもので、そうなるとテコは仕方なく、椅子の上に毛布を丸めて乗せて、そこに包まって眠っている。二足歩行する変わった猫、というか召喚獣だから猫かどうかも覚束ないのだが、とにかくそんなテコは、枕に頭を当てて、いつも大人しく眠る。ウィルの話によると、時折「フミャア!?」などと叫んで夜中目を覚ますこともあるらしいが。

 今日も、寝しなに俺がそっと入ってきたものだから、テコは少し怒ったような顔をして、でも、ずるずると、その小さな身体には大きすぎる毛布を引き摺って、ウィルに手伝ってもらいつつ椅子の上によじ登り、そこで勝手に丸くなる。

「わかってるんだね」

「いいえ、わかってないんですよ。……ただ、先生が来ると一緒に寝られないって言うのだけ、学習してるんです」

 何というかこう、……申し訳ないな、そう思いかけたところに、

「おやすみテコ。大好きだよ」

「ミャー……ミャ」

 ウィルが、オレンジ色の頭をきゅっと撫でて、そこに優しくキスをする。ああ、大丈夫なのかな、ちょっとホッとして、俺はウィルのベッドに腰掛けた。

「テコは可愛いね」

 もちろん君も可愛いなどとは言わない、言う必要も無いこと。言ってもいいのだけど、ここは言わない。

「ええ……、本当に、可愛いですよ」

 俺の膝の上に、そっと座って、そう言うウィルの目には、飾らない大人っぽさが滲んでいる。

 ウィルのことを後から抱いて、二人して、テコの後頭を見ている。あの子は、とても賢くて、物覚えが良くて。……確かに言葉は、俺たちとは質の異なるものを扱う、けれど、ウィルの言うことはきちんと理解するし、ウィルもテコの言うことを判別できる。ウィルの行くところ、テコはいつでもテコテコついてくるし、ウィルも本当にテコのことを大切に思っていて、二人の関係は召喚師と護衛獣なんていう平板なものではない。もっと濃くて、温かなもの。そして、そういう関係の方が、召喚師にとっても、護衛獣にとっても、幸福だと言うことは言うまでも無い。

 嬉しいような気持ちになって、俺はウィルのことをぎゅっと抱き締めた。ウィルは、不意に素っ気無い声で、

「しないんですか?」

 と。

「……テコが起きちゃうよ」

「今まで僕らがしている最中に、あの子が起きたことが一度でもありましたか?」

「それは……。でも」

「眠りが深いんですよ、テコは。さかなオムレツの夢でも見てるんですよ、食いしん坊だから」

 俺の腕を解いて、ウィルは外套代わりのローブを脱いだ。そして、ベッドに座って、

「ここまではしてあげたんですから。続きは貴方がしてください」

 軽く、いや、かなり深く、尻に敷かれている俺であるが、し始めてしまえばやはり俺のほうが、どうしても上になってしまうことは否定しがたい。まだ俺たち、いわゆる『本番』はしてないのだけど、それでも俺のほうがやっぱり大人だし、快感に対しても強いし、いろいろな人生経験があるわけで、やっぱりさ。

「先生」

「う、うん、わかった、わかりました」

 キスして。

 それから服を脱がせる。バンザイをさせて、白い肌の上半身、主に杖を振り回す機会は多い、とは言え、やっぱり痩せていて、まだまだ発展途上。戦いの場においても、いつも俺が切り込む後の方から、テコやナックルキティを使役して戦うスタイルであって、それがまたいつも上手くいっているから、この少年が筋骨隆々になるというのは、大分先の話だろうと思う。それに、俺は「……召喚ッ」と凛々しく呼び出す声を頼もしい思いで聞いている。俺の欲しいっていう時に、最高の結果を出してくれる。アルディラの機属性の魔法も頼りになるけれど、やっぱり俺の機微を判ってくれるという点で、ウィルの魔法はありがたい。

 閑話休題。

 甘酸っぱい果実のような色をした乳首に、唇を寄せるとき、俺の心は独楽を回すときのように、気軽な緊張に包まれている。

「う……っ」

 果たして、全ての男にとって乳首がキモチいいのかどうかはわからない。ただ、女性が、多分全ての女性が、気持ちいいと思うらしい点から想像するに、男と女の神経構造がそこまで大きく異なるとも思えないし、やっぱりこの小さな、永遠に発達しない場所と言うのは、性感帯のひとつと数えて良いはずだ。実際、俺も自分で弄ってみたら、何と言うか、妙に興奮を覚えてしまったことを白状しておこう。

 男だから、それはただ小さな粒として存在するばかりの乳首だが、そこがぷくりと膨らんで、捏ねまわす舌先で潰れる。ウィルはシーツに爪を立てて、

「……せんせえ……っ」

 半分は息の声音で、そう言う。

「……可愛いよ……ウィル」

「……イヤ……、だ、そんなこと、言わないで……っ」

「事実じゃなかったら言わないよ……、言わずにいられないくらい、君が可愛い」

 ついさっき言わなかった理由を蹴っ飛ばして今は言う。

「どう……? ウィル……、気持ちいいかい?」

「せんせ……っ」

「……どう?」

「きもち、いぃ……っ、きもちいいです……っ」

「フミャ……」

 俺たちは心臓を一緒に止めて飛び上がり、椅子の上から眠たげな目でこちらを見るテコを、見た。

「ミャー?」

「……て、……て、テコ」

ウィルが、喘ぐ。俺は硬直する。言い訳の出来るような格好をしていない、俺は上半身裸、身につけているものと言えば何時の間にやらトランクスが一枚っていうか二枚も三枚も穿きゃしないけど。一方のウィルは、もう全裸、ただし、下着が右の足首に引っかかっていて、それが矢鱈扇情的で、いや、俺の趣味とかそういうことはどうでもよくって、あわわわ。

「……、せっ……先生っ、もっと、もっと、右の方、強く揉んでくださいよ、ね?」

 ウィルが、裏返った声で、そう素っ頓狂に叫ぶ。

 反射的に俺は、明るく爽やかな声で、

「あ、ああ! この辺、かな? どうだいウィル? 気持ちいいかい?」

「あ、そこ、す、すごくいいです! いやあ、やっぱり先生はマッサージが上手ですね、ああ、キモチいいなあ」

「そりゃあ良かった。じゃ、じゃあこのへんはどうかな?」

「あ、そこ、すごく、気持ちいいです。……って、テコ、ほら、早く寝ないと駄目じゃないか。明日もおまえに頑張ってもらわなきゃいけないんだよ?」

「……フミュウ」

「いい子だから、お休み?」

「……ミャ」

 テコは納得したように、毛布に包まって、眠りに落ちた。

 俺たちはしばらく、テコの後頭を見詰め、寝息が規則正しくなるまで待って、漸く、がっくりと溜め息を吐いた。

「普通、真正面で裸になってマッサージはしないですよね……」

 ウィルは自嘲気味に笑って言った。

「それはまあ……、でも、やり方は色いろあったって、さ。……テコは、まだわからないんだろうね、俺たちのしていること」

「そうであって欲しいと願いますけどね。別に、テコに隠し事をしたいとは思わないけれど、その……あの子の将来に、変な先走った影響を与えたくは無いですし」

 知的な光がひとつ、ウィルの目に宿った、じっとテコを見詰めて、それから、ふっと目を閉じて開く。

「……続き、しましょう?」

「う、うん……、もう起きないよな」

「大丈夫ですってば」

 実際、もうウィルがどんなに甘い声を上げても、テコが目を覚ますことは無かった。

 

 

 

 

「ミャミャ!」

 翌朝、二人で眠っていたベッドに、するりと入ってきて、起こしてくれる。俺とウィルにぴったりくっついて甘えるこの子、ああ、なんというかこう、無条件に可愛い……。目を覚ましたウィルが、優しく微笑んで、

「甘えん坊なんだから」

 とその耳の後を、撫でるのを見て、俺は胸の苦しくなるほどの満悦に浸った。


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