悪人の必要

 優しいね、ウィル。

「僕は……、……っ、何度も、言うけど、大丈夫なんだ、先生がしてくれるんなら、怖くない。それを、さっきからずっと、先生が……怖がってるみたいですよ? ……怖いなら、僕は別にいいんだ」

「そ、そんなことはないよ。……俺は、その……いや、何て言うかな」

 指に圧力を感じたままで俺は必死に言葉を探した。

「……こういうことを、その、俺みたいな人間が、君のような子に、こういったことをしようと思ったなら、やっぱりその……臆病にはなっちゃうよ」

「……ん、……でも……っ、……じゃあ、……僕が、もっと、強かったらよかったんだね? ……はっ……僕が、貴方を、受け止められるような大人だったら……」

「違う、そうじゃないよ、そうじゃない……。俺が臆病になるのも、ウィルのことが好きだからだよ、本当だよ」

「……」

 判ってもらえなくてもいいと俺は思って言った。

 まず、こういう行為をウィルとすることが間違っている。全責任は俺が負おう。しかし、多分あんまり信じてはもらえないだろうけど、俺の中にあるのは純粋な愛情のみ。純粋な愛情が在って、それが実を結んで、多少の時間を幸福に経ることが出来たなら、その先に在るのはどうしたってこの行為。それは殆ど真理と言ってしまっていいような事で、誰かに禁じられたからといって回避や適応機制出来るものではない。

「……どうでも、いいです」

 ウィルはそう言った。伝わったのか伝わってないのか判らない。俺は怖がりながら、ウィルの肩に縋りつくようなキスをせずにはいられなかった。

「……っ、ん……んん、あ、……あ……」

 ウィルの細い、綺麗な指、あまり刃物を持つには向いていないような指が、白くなるほどシーツを掴む。切なくなって、俺はその手の甲に手のひらを乗せた。声になりきらないうちに、俺は「ウィル」と名を呼ぶ、「大好きだよ」と言う。

「せんせ……っ、……あなたの、顔、みながらが……」

「……顔?」

「その方が……、なんか、安心できるから……。……しがみつく相手が、いたほうがなんか、楽だし……」

 たまらない。

 心が空っぽになる。

「……先生……」

「うん……、わかった、そうしような」

 指を抜いて、ウィルは自分から仰向けになる、殆ど力の入っていない性器が痛々しい。しかし、俺たちの終点は繋がり合うことで、その結果に何かを求めてはいない、ただ繋がり合うことさえ出来れば、それだけで十分すぎるほどに満足なのだ。

 俺の手を使わせることもなく、足を開く、俺の指は、今度はさほどの抵抗もなく、その身体へ滑り込んだ。

「う……ああ……」

 ウィルは、これは俺の想像の範囲内だったが、ぎゅうと俺の頭にしがみついた。後ろ髪を握り締めて。だけどどんなに痛くても俺はそれを払うつもりは無かった、寧ろ受け止めつづけることで俺はウィルをもっともっと愛するつもりさえあった。耳にウィルの震え乱れた息がかかる、せんせえ、せんせえ、泣きながら声になれない声が俺の鼓膜を振るわせた。

 指を増やす瞬間が、本当に怖かった。

 だけれど俺の、別に常軌を逸したサイズをしているわけでもないけれど、大人の男がそこへ入るわけだから、指の二本ではまだ足りないことも判っている。しかし、この恐怖をもう味わいたくは無いから、俺が、これが限界だった。

 ウィルのしがみつく強さが、一瞬緩み、それから今まで以上に強くなる。

「痛い……?」

 一度も、痛いとか、怖いとか、この子は言っていない。本当のところは、怖くて痛くて仕方ないだろうに、俺に慮ってそんな素振りも見せない。ただただ、ぎゅうと俺にしがみついて、首を振る。そういう姿を感じると、俺が怖がってることは全く無益だと気付く。

 そうだ俺は、この子を守るために、この子よりも強くなきゃいけないんだ。

 そうやって腹を括ってしてみようとは思うのだけれど、どうしても、ウィルの体が強張るたび、俺の身体も強張ってしまう。こう言うときに強いのは、今の俺のように無差別に同じ視線で怖がる、優しいだけの男ではないんだ。きっともっとしっかり、ウィルを引っ張っていくような。それは、悪いひとだ。悪い大人だ。しかし、こういうときは悪い大人のほうがウィルも安心かもしれない。残念ながら俺は、絶対にそういう風には出来ないけれど。

 もう、俺が我慢の限界だった。俺は指を抜いた。

 早く済ませてしまいたかった。

「……先生……?」

「うん、大丈夫……、もう、だいぶ慣れたでしょう?」

「……うん」

 ウィルのほっぺたを撫でて、またキスをする。

 キスだけならもう傷むことなく出来る。それは、とても幸せなことだ。ウィルも、懐くようにキスを受ける。

「……入れる、よ? ……でも、入れるだけ、ね、君にはまだ早い」

「う……」

「俺、楽しみに待ってる。ウィルの体がすんなり俺を飲み込めるようになるまで、ね。それまではどんなやり方だっていい、他のやり方がある。君と俺とでしか出来ないやり方を見つけたっていい」

 俺は嘘をついている。他のやり方なんて無い、セックスはセックス、ただ、それだけ。

「一緒に、探していこう。そして答えが見つかる頃には君の身体も、準備が整ってるはずだからね」

「……」

 ウィルは、不服そうな表情を浮かべる。だけど、俺はこれだけは、どうしても、譲るわけにはいかなかった。ウィルは、

「でも、僕は先生を、飲み込みたい」

 と言う。だけど、俺はそれを、どうしても許せない。

 ウィルは俺のことを、

「……痛くっても、先生だったら我慢できるから」

 とまで想ってくれている。涙が出そうなくらいに嬉しい、嬉しい、嬉しい。

 だけど、俺は、

「ウィルが大好きだから、ウィルの痛がる顔を見たくないんだ」

 という気持ちが、どうしても先に立ってしまう。臆病だからなのか、本当にウィルが愛しいのか、あるいはそうでないのか、俺には判然としなかった。だけど、これだけは。

「……な? ウィルも……、我慢できるでしょう?」

「……」

 俺をなお、ウィルは不満げに睨んでいた。

 実際、この子だって判っていないのだ。この先にあるのが、今までとはまた格段に違う痛みであることを。そして、そこから快感を拾うことの難しさを。俺はだって、自分でしてみて、ちっとも気持ちよくなんかなかった、あったのは罪悪感と気持ち悪さと「俺なにやってるんだろう……?」って疑問ばかりで。ウィルがそうでないとどうして言える? この子はきっと、……間違いなく、俺が感じたのと同じ以上の痛みを感じて、しかし「大丈夫」って言うに決まっている。

 優しいウィル、可愛いウィル、そして同時に、俺の愛するウィルだから、俺はそう言うことをウィルに許してはいけないのだ。許すことで、ずるずる行ってしまうことは目に見えている。だから、俺たちのセックスは、繋がることが第一義。そこに快感は無くてもいい。

 いっそ、神聖なもの。セックスの快感は確かに崇高なものだ、だが、快感よりも崇高なのは、繋がることだろう。愛しいものと、肉体と気持ちが繋がりあって、抱きしめあって。ただそれだけだ。動かなくていい、快感が無くてもいい。ただ一緒に、繋がりあっているだけ……。

 ね、ウィル、そうしよう……?

「それで、いいね、ウィル?」

「……いやです」

 ウィルは、強い視線で言った。

「でも……」

「いやです。……僕は……、されたことないから、わかんないですけど……、先生とする行為の延長線上にあるのが、肉体の快感だって事は、知っているつもりです。そして、僕とその行為をすることによって、貴方の身体に快感がもたらされるということも」

「ウィル……」

「僕は……、僕の身体が、貴方の幸福を生み出すために機能するのなら、幸せです。貴方を好きになったときから、僕は僕の身体が一番幸せな形というのは、貴方に抱かれることだということを判っていました。だから、……僕は、覚悟出来てるって、言ったんだ。僕は貴方に抱かれたかったんだ」

「うん……、だから、君のことは抱くよ、もちろん……、俺だって、抱きたいと思う。だけどね、俺がその行為で、君の身体を相手に快感を得るのは……」

「僕じゃ役不足ですか?」

「いや、そういうわけじゃない……、けど、僕が仮に君の身体で快感を追い求めたとしたら、君に齎されるのは痛みだけだ」

「僕は知りません」

「……え?」

「したことないから、わかりません、そんなこと、知らない。本当に痛いかどうかなんて、判らない。判らないのに決め付けていいんですか?」

「……でも」

「僕は先生に、気持ちよくなってもらうことが、幸せです」

「ウィル」

「……そして、貴方から快感を貰うのが僕の幸せなんだ!」

 ウィルは俺の頭をぎゅっと抱きしめた。

「先生、……怖がらないで下さい。僕は、何度も言いますけど、最初から判ってたんだから。一筋縄でいくものじゃないって……。でも、それでも、貴方とこうすることは、僕にとって幸せだから、……だから、怖がらないで」

 ウィルは俺を抱きしめる。

 抱きしめるはずの相手から、俺は抱きしめられていて、自分が本当に駄目だなって思った。

 だけど、自分が駄目でも、この子は助けてくれるんだ、好きでいてくれるんだ、そう言うことがわかって、すごく、すごくすごく、心強かった。

 そして……、甘えていいんだと。

 こんな小さな子供に言われてしまうのは、何だか恥ずかしいけれど。

「……大好きだよ、大好きだよ、ウィル」

 本当は弱い子、なのに、今は俺の目には、誰よりも強い子に映る。

 使うことは無いだろう、そう思っていたけれど一応準備だけしていた潤滑ゼリーを、手のひらに、ちょっと多すぎる程に零して、ウィルのそこに、俺自身に、塗りつけた。冷やっこい感触が、要らない緊張を誘った。ウィルが、少し気持ち悪そうな顔をした。

「大丈夫、……少しでも楽になるようにね」

 いっそ、痛みを味あわせたほうがいいのかもしれない、「こんなの嫌です」って泣くくらいのほうが。そうしたら、一度きりの罪で済むのだ……。

 だけど。

「じゃあ……ウィル」

「……」

 繋がりあって、それほどの余裕があるかどうかは判らなかったから、今のうちに、もう一度、ひょっとしたらこれが今晩最後になるかもしれない、ウィルとのキス。

「……入れるよ?」

 俺の体の輪郭に、すっぽり納まってしまう小さな身体。逆のほうがよっぽどスムーズだよ、そう思った。

 だけど、身体を止めることはしなかった。あれほどの事を考え、悩んでいながら、俺の肉体は、ただウィルの瑞々しい体を求めて、愚かな姿を晒していた。


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