HIS WISH IS ONLY ONE

「ただいまあ。……あれ? 久之ひとり?」

 小屋の戸を開けたのが空戦だということは、久之にはもちろんその声を聴けば判る訳である。ただそうして声を発するのがそもそも空戦だけである。巳槌も円駆も「ただいま」などとは言わない。思うままに帰って来るのだから言う必要もないと思っているのが巳槌と円駆であるし、そもそも久之が昼寝をしていることを、戸を開ける前から察知している。しかるに空戦は言いながら入っていて、片目を開けた久之をその両目で見てから、

「ああ、昼寝をしていたのか。起こしちゃったね、ごめん」

 と言う。

「いや……、ちょうど起きるところだった、から、大丈夫」

 久之は言葉を嘘にしないためにゆっくりと身を起こす。欠伸を噛み殺して、少々申し訳なさそうな空戦の黒髪を撫ぜる。行儀のいい子供である空戦の浴衣は何処へ行って帰って来てもそれほど乱れてはいない。きちんと合せて、帯も結んでいる。時代が時代ならば、いっとう質の良い子供である。

 しかし髪は乱れている。そして冷たく湿っている。

「飛んできた?」

「うん、飛んできた。地上はまだ少し暑いからね。巳槌も円駆も山にはいないみたいだったから、ここに居るのかと思ったけど」

 光を取り戻した紅い目は聡い、それでいてあくまで幼い。手櫛で髪を整えてやりながら、

「さっき、ケーブルカーで、下へ……、行ったみたいだ」

 と答えた。先日の夏祭り以来、これまでにも増して巳槌は里へ下りるようになった。円駆が一緒に行ったのは、下りて行けば酒が貰えることを学んでしまったからでもある。一応、二人とも少しばかりの金を持たせてやっているから問題はないものと思われるが。

「なるほど。それで久之は退屈で昼寝をしていたんだ」

 まあ、そういうことになる。

 いつも日の出と共に起きる久之であり、午前は家事に精を出す。三人の少年の浴衣と六尺を洗濯し、大鍋の風呂釜を洗い、薪を割り、小屋の掃除をし、修繕をし、糊口をしのぐ手段であるところの皿焼き壺焼き土を捏ね……。そういうことを午前いっぱい使って行い、一段落つく頃にはもう太陽は高いところにあり、三人の神なる身が腹を空かして帰って来るから昼食の支度である。そういう次第で、午後は絵を描いたり書きものをしたり、そしてこうして昼寝をしたり、のんびりと過ごすのである。

 もっとも、三人のいずれかが側に居ることもある。そういうときは、望むままの形で相手をする。三人は完全なる神なる身であり、自分はまだ人間もどきであると思っているものだから、久之は何の疑問も抱かずにそうしている。

 どうせあの蛇と一緒のときはろくに寝もしねえで相手してんだろ。

 ……円駆に、そう言われたことがある。返答に関しては濁しておいたが、まあ、概ねそうである。巳槌は自分の身体が全て、久之の癒しになると信じている。いや、巳槌が――空戦の視力を回復させたあの泉に端的に顕れているように――不可思議で神秘的な癒しの力を備えていることは事実なのだが、「僕のちんちんしゃぶると元気になるぞ」などと嘯く、それがどの程度の信憑性のあることなのかは、久之には覚束ない。ただ、そう言うからには信じるしかないと思う久之だった。

 おしっこがしたい、と言った空戦と二人で便所に行き、ついでに久之は顔を洗い口を濯ぎ、しそこねた昼寝を諦めて茶を淹れる。薬缶を満たした泉の水を、円駆から授かった火の力で沸かし、不格好で据わりの悪い、しかし里の人間たちに言わせれば「味がある」湯呑茶碗に注いだ茶を、二人で並んで縁側に座って啜る。

「よくよく考えてみると、僕はこうして熱い飲み物を口にしたことがこれまでなかったんだなあ」

 感慨深げに空戦は言った。炎を操るのは、獣のするべきことではない。例外的に円駆のみ、火を扱う神獣であるが、だからと言って彼が肉や魚に火を通して食べる習慣があった訳でもない。寒い冬も枯れ葉や枯れ枝を集めてたき火をして暖を採るという方策はなく、自前の毛皮でしのいでいたばかりのはずだ。

「でも、こういうのはいいなあと思う。人間がたくさん子を作って繁栄した理由はその辺りに在るのかも知れないし、それにね、僕もせっかく人こうして人間の格好になるのだから、人間の生活を愉しむのは単純に、いいことだ」

 自分の眼で書を読み、知識を蓄えることがこのところ空戦の何よりもの愉楽のようだ。夜も角灯を消すぎりぎりまで細かい字を、……時折久之に教わりながら追い続けている。「人間の知識なんてたかが知れてる」とは円駆の言で、実際円駆も巳槌ももちろん空戦も、久之の全く予期しないような知識を披露してくれるのだが、空戦に言わせれば「でも人間の知識にだって価値はあると思うよ」ということで、それについてはどちらが正しいとも思わない久之である、たぶん、どちらも正しいのだ。

 その「人間」の、「知識」に基づく「生活」に深く根差した神なる身。文句を言ってばかりの円駆にしたって、人間から酒を貰えるとなればそれはそれなりに尊重すべきなのかもしれないと思っているらしいし、巳槌は元から人間が極端に好きな神である。山も神も人も、何にせよ変じないものはない。久之だってこの数年で、ずいぶんと様変わりした、その性質までをも含めて。

 空戦が茶を呑み終えたところで、

「おや」

 きいきいとケーブルカーの鳴く音が聴こえて来た。二人が帰ってきたに違いない。まず大股で歩いてくるのが円駆であり、「しょんべん」と一言呟くように言って久之と空戦の前を速足に通り過ぎて行った。遅れてとろとろと歩いてくるのが巳槌であり、「僕みたいに下で行けばよかったんだ」と言いながら、縁側に座る。その巳槌は自分の横顔に久之と空戦が視線を注いでいることに気付いているに決まっているのに、「僕の分の茶はないのか」などと言う。

「その」

「髪どうしたの」

 巳槌はもともと、緩やかな癖のある銀髪である。硬く強い毛質の円駆や、柔らかく素直な質の空戦とは違う。その髪が、「うるさくなった」と時折久之にハサミを入れさせる。そういえばここ二月ほど切ってやっていなかったから、今夜あたり切ろうかと思っていた久之である。

 その髪が、綺麗にまっすぐ、癖のない直毛へと変じている。のみならず、耳の上で左右にゴムで結んでいる。髪型を含めしゃれたことへの知識は皆無の久之であるから、それを何と呼ぶのか判らない。

 茶を啜って、

「ハーフツイン、と言うのだそうだ」

 巳槌は無表情に言った。「尾野辺にしてもらった」

「先生に……、いや、そう、……そうじゃなくって」

「人間の床屋に行ったんだ」

 小用を負えた円駆が戻って来た。もちろん、六尺は外したままだ。「こいつが行きたい行きたいって言うから」

「床屋。髪を切るところだね」

 一先ず円駆の六尺を締めてやりつつ、……ああ、確かに里には床屋が一軒ある、と久之は思い出した。しかしわざわざ何故そんなところへ行きたがったのか。

 ストレート・パーマ、という言葉がようやっと久之の頭に浮かんだ。髪の長さは変わっていないように見える。となると、巳槌自身はその緩やかな癖のある髪をどうにかしたいと思ったのか。しかしこれまでそんなことは一言も口にして来なかった。

「人間との交流が、今まで以上に深まっているんだ。だとすれば人間の習慣の中に身を置いてみたって別にいいだろうよ。……それより、空戦はいいとして久之は何か僕を見て言うことはないのか。髪型が変わったら人間は何か言うのが普通だろう」

 そもそも「普通の人間」ではなかった久之だが、巳槌が何を言えと言っているのかはうっすらと理解できた。だから、……不慣れではあるけれど、

「似合って、いるよ」

 と答えることは、出来るのだった。

 

 

 

 

 空戦によって昼寝を中断させられた久之の目は、巳槌の変貌によってぱっちりと醒めた。その上、下に降りる用事が出来たので、ケーブルカーに乗る。その箱には「僕も一緒に行きたいな」と言う空戦が随いて来た。

 まず久之が向かったのは床屋だ。

「ああ、そうだねさっき来た。髪の毛の長さをこのままで、もうちょっと可愛くしてほしいって言うからさ、可愛くって言っても困るだろ、それでウチのに訊いてさ」

 床屋の主人は還暦ほどの男性で、もう既に彼の頭には整えるだけの量の髪はなかった。珍しい客の要望に、細君としばらく話し合った末に、「まあ、ストパー掛けてあげようかって話になってねえ」ただ巳槌は、熱いだの目が痛いだのぶつくさ文句を並べていたようだ。主人は決して気にしてもいない様子だったが、とにかく久之はぺこぺこ謝った。不幸中の幸いは、巳槌がちゃんと金を渡して帰ったということぐらいだ。

「僕が『可愛くして』って言ったら、どんな髪型にしてもらえるのかな」

 空戦が屈託なく主人に訊いた。主人は「そうだなあ」空戦と視線を合わせて、髪の毛をしばらく撫ぜて、「坊ちゃんは今のままで十分可愛いわな。でも切りたくなったらいつでもおいでよ」と答えた。空戦の髪を切るのも久之の仕事だが、今のところ「前髪が目に入るよ」と困ったときぐらいしか求められていない。じっとしているのが嫌いな円駆は、そもそも久之に「そろそろ切ろうか」と言われても渋るほどだ。

 続いて久之が向かったのは小学校。リボンで結わいてくれたのは尾野辺だと言っていたが、今日は平日であり、当たり前のこととして授業がある。森原の事件以降、養護教諭だけではなく教壇に立つようになった多忙な「先生」に、何でわざわざ頼みに行ったのか。

 その答えはすぐに出た。尾野辺は久之が尋ねてくることを、当然見越していたようだった。

「ちょうどお昼休みの時間だったので、大丈夫ですよ」

 恐縮しきりの久之に柔和な笑みで彼女は言って、職員室のソファを久之と空戦に勧めた。

「でも、『可愛くして欲しい』と言われたときには驚きましたよ」

 巳槌はこの村の人間に、誰彼構わず平気で話しかけるようだ。六尺を締めて浴衣を着ている今ではさすがに、往時の「裸の蛇神様」ではないにせよ、無表情でありながらも人間に対して親愛の情を向ける姿勢に変わりはない。あの顔で、横柄な言葉遣いで気安く話しかけられれば、無力な人間はたちまち毒気を抜かれてしまうに決まっていた。

「すみません、でした……」

「いいえ。でも、あれでよかったのかしら。巳槌くんは何もしなくても元々とても綺麗な顔をしているのに、……この間の洋服の件と言い、どうしちゃったんでしょう」

 久之にも、それは判らない。

 巳槌は間違いなく美しい。それは神であるから、言うなれば人知を超えた美しさとでも言うことが出来よう。ある特定の時間帯を覗けば全く笑わないでいられる彼の不器用な表情筋は、そういう視点に立って考えてみるに、ごく近いところで暮らす久之にとってはある種の幸運と言えるかもしれない。あの顔で、……心蕩かせるようなあの笑顔をいつでも目の当たりにしていたら、心臓がいくつあっても足りるまい。無論それは、円駆にしたってそうだろう。

「……僕は自分の目が開いたのがつい最近だから、判らないのだけど」

 茶をふうふう吹いて、空戦が遠慮がちに尾野辺に訊いた。「人間は、姿かたちの美しさというものを、僕らよりも重たく見ているのかな」

 幼い相貌でありながら、その実とても聡明な蝙蝠である空戦の問いに、尾野辺と久之は顔を見合わせる。

「美しい顔の持ち主のことを『器量よし』と言うのだよね。『器量』という言葉にはもう一つ、能力や性情を評価する意味もあるようだ。でも多くの場合、その言葉が使われるのは顔の良さを指しているみたいだ」

 誰かの「顔かたち」というものを、ついこの間から自分の目で見るようになったばかりの空戦だから、それは不思議に思われるのかも知れない、と久之が思うと同時に考えるのは、空戦のように目でものを見ない感覚においても、円駆や巳槌や久之までをも目の空いた瞬間「美しい顔」と評価していたという事実の重さである。もっとも、久之は他の二人と同列に扱われることは、逆の意味で心外であったが。

「そう……、そうね。私もずっと『人を見た目で判断してはいけない』ということを肝に銘じて生きて来たつもりです……」

 彼女の言葉の尻は少し細まり、久之から一度目を反らした。久之は、……例えば今日はその長い髪を後ろに結わえ、里に下りる前には無精ひげも沿ったが、みすぼらしい着物姿であることは変わりない。彼女が森原とともに庵を訪れたときには腰を痛めて起き上がることも出来ない状態だったから、正しく浮浪者然としていたはずだし、実際久之はある種の浮浪者である。そういう男のありさまを見て、この教諭が、そして里の多くの者たちが、不審の目を向けていたことについては、一定程度妥当であったというのが現在の久之の見立てだ。

「その、……人間は」

 久之は蝙蝠の神に、痞えながら言う。「お前たちの、ように……、例えば、お前が、目を閉じていても、音や匂いや、……小さな風の動き、お前が出す、音波の反射で、だいたいのことが判っていた……、そういうことが、出来ない、から。だから、目で、見たもので、多くのことを判断しなければ、いけない。だから……、どうしても、そこから仕入れる情報が、意識しようとしなくても、重要になってしまう」

「ははあ」

 納得したように空戦は頬を撫ぜた。

「なるほどね。……ということは、巳槌もそれは判っているんだろう」

 後段の言葉は、久之にも尾野辺にも図りかねるものであった。「でも、僕は人間だって目で見るばかりで物事を判断している訳じゃない側面もあると思うな。信楽くんを見ているとそう思う」

 なぜそこであの真面目で好もしい駐在の名が出て来たのかということには、ますます判らない。空戦は緑茶を啜り、

「信楽くんはいい目をしているだけじゃなくて、人の心の器というものをきちんと見通す力があるんだ」

 と、極めて謎めいたことを口にしたかと思ったらすとんと立ち上がる。

「お茶、ごちそうさまでした。……たぶんね、もうすぐ円駆が迎えに来るんだろうと思う。来なかったとしても、家でいらいらしながら待っているんだと思うよ。だから久之、そろそろ帰ろう」

 久之の着物の袖を引っ張って、空戦は珍しく独善的なことを言った。何故円駆がいらいらする必要があるのかということについてはますますもって判らない。とにかく久之に出来ることは、つたない言葉で何度も繰り返し尾野辺に礼を言い、空戦に引っ張られるまま小屋に戻ることだけだった。

 

 

 

 

 円駆はいらいらしていたが、責める言葉を吐くよりもさっさと裸になって麒麟の姿になって、

「乗れ」

 と空戦に命じる。「乗らなくてもいいよ、僕飛ぶから、山頂まで競走しようよ」

「うるせえ。テメェが勝つに決まってるような勝負に何で俺が乗らなきゃなんねぇんだ、とっとと乗れ」

 邪険な声で言う麒麟の背中に、素直に空戦が乗った。ひととびで小屋の屋根より遥か高く跳躍して、空戦を乗せた円駆の姿はたちまち見えなくなってしまった。

 何なのだ、と首を傾げながら小屋に上がると、

「おかえり」

 巳槌は久之がここを出たときと同じく、浴衣姿でいた。

「ただいま……、床屋さんと、先生に、お礼を言って来たよ」

「礼なら僕も言ったがな。お前が言いたければ言うがいいよ」

 畳の上に久之が座ると、巳槌が立ち上がる。立ち上がって、久之の目の前に立って、

「可愛いか?」

 と訊く。

「ああ……、……ええと、……可愛いと思う」

「そうか。お前はいいやつだな。円駆は十回訊いてほっぺたつねってやったらやっとそう言ったぞ。素直じゃないのはよくないよな」

 ほっぺたをつねるのもよくないとは思うが、円駆だって当然巳槌のことを、いつも同じように「可愛い」とは思っているはずだ。

 具体的に「どう」と説明する術を、ひょっとしたら彼はまだ持たないかもしれないけれど。

 先程空戦が言ったことを思い出す。久之も巳槌を「見る」ときに、その双眸を、姿かたちを大きな情報として採用する。事実として初めてこの神なる身が、蛇から人へと変じたとき、……蛇が人の言葉を喋り人の姿になるという時点で大いに度肝を抜かれたことは当然としても、「綺麗だ」ということは思った。あのとき久之の腕に立った鳥肌は、常識を超越した事態を前にした恐怖によるものではなくて、人間の姿をなした巳槌の尋常ならざる美しさゆえに引き起こされたものだったことは、今でも確かだと思っている。

 色は決して濃くはない、しかし、吸い込まれるような深い闇をたたえた瞳をしている。何もかもを見透かすような、賢く、冷たく、僅かに傲慢な光が滲む瞳を、心に刺さる針のような長い睫毛がふちどっている。巳槌の相貌が無愛想なのは、その表情の少なさよりも冷徹な印象の眼に拠るところが大きい。

 しかし、少年なのだ。久之は彼なりに、巳槌の体型や透き通った声から巳槌を人間に換算すれば十一歳から十三歳ほどだと思っているが、子供なのだ。肌は自然な潤いを帯びている、それが柔らかいことは触れなくとも判る。身体つきは華奢で、凹凸に乏しい。しかし生存に必要な、あるいはそれ以上の量の肉をきちんと備え、余計と思われるものは何一つない。そういう裸身を平気で晒し、水を浴び、肌の上を水滴が珠となって転がり落ちる様を目の当たりにしたとき、およそ人間としてそれを黙過出来る者はいるまいとさえ思う。この夏は人間の――浴衣ではなく、より近代的な――衣服を纏う機会も増えて、例年と日焼け跡の形も変わった。そうであろうがなかろうが、元の肌の白さを覗き見ると神々しい気になる。神を見ているのだ、当然だろう。

 ストレート・パーマを掛けてまっすぐになった髪、しかし癖があったって何が問題かとも思う。豊かで、潤いを帯び、柔らかな髪であり、この山暮らしでろくな手入れもしていないし、一日一度石鹸で洗うだけなのに、なぜだかいい匂いがする。甘く、同時に青い果実のように、香る。

 その生き物は、とんでもなく「可愛い」のだった。

 しかし久之が今思うのは、「そうだろうか?」ということ。

 巳槌の容姿が麗しいことは事実である。しかしそれだけの理由によって、もともと同性愛者でも少年愛者でもなく、備えた欲――性的なものに限らず、そもそも「生きる」ということについても――の量の乏しさを自覚している久之が「抱け」と請われて抱くことを選べたか。

 僕はお前が好きだ、と巳槌は言ったのだ。

 寂しいお前は僕に似ている。誰からも見向きもされなくて、それでも此処に居るのに、独りぼっちで死を待つだけのお前は、僕に似ている。

 僕は、お前を見付けた。

 お前を見て、僕は久し振りに生きたいと思った。

 お前は死ぬつもりで此処に来たのだろう。

 そんなことを、僕は許しはしないぞ、人間。僕はお前が好きだ。僕がお前を好きだと言う、ただそれだけの理由ひとつきりあれば、お前は明日も明後日もずっと、生きていなければいけない。

 僕がお前の生きる理由になってみせよう。

 僕がお前の生きる理由になってみせよう。

 巳槌がはじめ笑いながら、途中からは焦燥に駆られたように泣きながらそう言い募るのを「見」たとき、……久之の胸は激しく締め付けられた。その細い両腕には大した力もなかっただろう、しかし振りほどくことは出来なかった。この得体の知れない少年は、自分が突き飛ばしでもしたならたちまち死んでしまうように思われた。それぐらい、巳槌の姿は儚さと共に在った。そう言って自分に縋りつく少年を抱くことによって生じる罪を恐れなかったのは、その少年が目の前で絶命する瞬間を「見」る罪深さよりもずいぶん軽く思われたから。

 だから、そう、確かにお前は可愛い。

 でも、お前の顔が身体が、今と違ったとしたところで、俺はいつでもお前を「可愛い」と思っているに違いない。

 そういうことを、久之もまた上手く言葉には出来なかった。ただ、薄く微笑んで自分を見下ろしている巳槌に、

「お前は、可愛いよ、巳槌」

 緊張しながら、久之は言う。巳槌はますます笑顔の色を濃くして、浴衣の帯を解いた。薄く汗ばんだ肌から、甘い匂いがするように感じられる。巳槌は膝をついて、両手で久之に抱き着いて、唇を重ねた。

「お前が鈍感だから、円駆が余計な世話を焼いてくれたぞ」

 くすくすと笑いながら、巳槌が責める。

「余計な、世話……」

「もしくは、逃げたと言うべきかもしれない。あるいは、空戦が巻き込まれぬように逃がしたか」

 笑顔で言って久之の頬を両手で包む。そういう巳槌を側に置けばあの気の強い円駆だって厄介さに辟易した振りをしていなければならないだろう。

 久之はもう理解している。巳槌が、誰よりも久之に、まずとにかくとりあえず何を置いても一番に「可愛い」と言ってもらいたいと願っていたに違いないことに。そう考えれば、自分の何と愚鈍な事か。しかし未だ人間であることを半分以上やめられないでいる久之に、何もかもを置いてそうすることが出来るとも巳槌は考えていなかっただろう。

 巳槌の可愛さはその容姿に由来するものではない。

 しかし、その事実は、彼の容姿が可愛らしいことが減じるようなものでもない。

「僕が雌だったらお前はどうする?」

 少し黄色く汚れた六尺を締めて、巳槌は久之に問う。巳槌は久之の胡坐の中に尻を落として、両手を久之の首に回して問う。

「……雌?」

「そう、雌。ちんちん付いてなくて、胸が柔らかくって、きっと少し良い匂いがする類の生き物だ」

 久之は自分の鼻に届く匂いが、「良い匂い」でないとも思わない。だから少し考えて、

「何も、変わらないのではないか、と思う……」

 と答えるにとどめる。

「でも、僕のちんちんは臭いぞ」

「……それは、ちゃんと、振らないから……」

 六尺など本来人に見せるものでもない、その前袋が汚れるのは構造上の問題であって、自分が丹念に洗ってやればそれで済むと思っている久之である。空戦ほど行儀のいいことは、巳槌にしろ円駆にしろ求めたって出来まい。

「では、僕のちんちんが良い匂いだと思うか?」

 良い匂い、ではないだろう、汚れものの匂いであるからして。しかしだからと言って「臭い」とも思わないのが不思議だった。

 そもそもいま汗の滲んだ肌でいる少年をこうして間近に置いて、……久之の鼻腔をくすぐるのはちっとも不快ではない匂いなのだ。ただ、ただ、「巳槌の匂い」だという認識しか久之は抱かない。

 恐らくそれは、巳槌が久之の「恋神」だからだろう、と思った。

「お前は……、お前のままでいて、それで、……困る、ぐらいに、可愛いから」

 巳槌がじいっと久之を見詰める。

 それからまた、唇を重ねて来た。舌を絡めて来た。自分の汗の匂いが口の匂いが、臭いのではないかと不安になるのもまた、「恋神」でいるからこそ思うのだ、……そういう関係性でなければこんな近くに寄せるはずもない。だとすれば巳槌が考えることもまた必然の産物と呼ぶべきかもしれない。

「僕だって、お前を可愛いと思うんだ。僕を愛してくれる、お前を僕は愛する」

 巳槌が微笑み、目尻から涙を零す。それなのに巳槌は久之の着物の下半身に手を伸ばして触れることに執着した。

「お前がいると、僕は嬉しくなる。お前の顔を見ると、お前に抱かれたくなる。お前のことを考えただけで、僕はお前に抱かれることを想像して、胸が苦しくなる。お前と一緒に生きていてよかったと思う。お前に飽きられない僕でいなくてはいけないと思うと、少し怖くなる」

 下着から熱を帯びたものを取り出されたとき、自分が巳槌の全てに反応するという事実を久之は認識する。美しい少年を前に、無自覚のうちにこれほどの熱を持て余す自分は全く品がないが、こういう自分でいなければいけない。そのために必要な努力は、たぶん、ない。

 久之は巳槌の手を止める。畳の上に横たえて、深く口づけをしながら、汗ばんだ肌を撫ぜて淡い色の乳首に指を当てた。びっくりしたように首をすくませて、けれどすぐに舌を絡め返しながら、隙間から甘い息を声と共に漏らし始める。

 少し悪いことを考えた久之の心を、わざわざ読んだ訳でもあるまいが、

「……僕は、雌でなくても、いいか」

 巳槌は、切なげに呟く。「この、……身体のままでも、大差ない……」

「……何度も、言うけど……」

 唇はとても瑞々しい。体温が少し低いせいか、この期に及んでもひんやりしている。夏にも、抱くことに躊躇いが湧かない。ただ、巳槌も子供らしく汗っかきだし、巳槌を暑がらせたいとも思わない。

「お前は、お前のままで、可愛いから……、その……、こんなこと、しようって、そういうことを、それ以前に、……たったの一度だって、考えて来なかった、俺が、そういうことを、したい……、したいって、思った、……お前は、だから、それぐらい、……可愛い、と思う」

 囁きを肌に這わせながら、胸飾りに唇を当てる。甘くしょっぱい場所がたちまち微かな尖りを帯び、巳槌を透明な声を小刻みに上げる楽器に変えた。

「……褌が、……濡れる……」

 巳槌が濡れた声で訴える。指をそこに当てれば、もう濡れている。くっきりとした硬さがその中にあって、清く美しい顔とは裏腹の毒っぽい熱を帯びて震えている。そこは子供そのものの形であり大きさであり、だから六尺をこんなに黄ばませもするのだが、反応は大人の男のそれだ。

 俺が洗えばいいと言い掛けたところで、それを気にするのが巳槌だと思い返す。確かにこびりついた精液は洗い落とすのに骨が折れる。腰を上げてと言うより先に、巳槌が腰を浮かせた。結び目を片手で解いて緩めて、文字通り一糸まとわぬ裸にしたとき、巳槌は何処から見たって「男」の裸でありながら、久之をいとおしさで狂おしいような気にさせた。精一杯の大きさと硬さで、臍まで遠く届かない場所で背を見せる陰茎は先端まですっぽりと皮に覆われている。子供の形でありながら大人である自分と同じ反応を、こうして見せて恥じらいを見せないという事実が、また久之の胸を締め付けた。

 泌尿器である、とは思う。しかるに、そこがいとおしく思えて仕方がない。

「あ……、あっ、久之……っ」

 他の場所と、明らかに温度が違う。ただ、つるりとしていることに変わりはない。

「汚い、ぞ……、僕の、僕のっ……」

「……汚い……?」

「だって、朝っ……、風呂入って、から、四回おしっこした……」

 回数が違うぐらいで、それは久之にしたって同じことである。この少年を放って置いたなら、……先程の手の動きの延長線上として、当然それを口に含み、舐め回すことまで予定に入れていたに違いないのだ。

「……気持ちいいなら……、何でもいいだろう……」

 舌をそっと這わせるだけで、巳槌は明確に反応する。神なる身がこんなにも容易くていいのかと咎めたくなるほどだが、巳槌が久之円駆空戦以外の誰かにそこへ触れることを許すとは思えない。乳首や、耳や、陰茎、……そういった弱点を隠している限りは、きっとこの少年は完全無欠の神獣であると言っていいだろう。ただ、この場所以外の弱点は浴衣の胸元から、髪の隙間から、平気でちらちら覗いている。その事実は、小便の後で六尺を外したままでいてしまう円駆をとやかく言えるものではない。

「汚くても、臭く、ても……、男の、場所でも。……お前の、なら、それで……」

 か細い茎は、そもそも見る者に汚らわしい印象を与えるようなものでもない気もする久之だ。確かに特有のしょっぱく差すような臭いとは無縁ではいられないのかも知れないが、口に入れてみて不味いと思ったこともない。吸い上げるとぬめりを帯びたものが包皮の隙間から滲みだしてくるが、それも悪いものではない。この愚かしい人の身が巳槌を一歩でも幸福へ寄せてやるために存在する価値があると教えてくれているようだ。

「ぃ……っン……、久之……っ」

 ぬるつく潮を啜りながら、半ば夢中になってその反応を愉しむ久之の肩と髪を掴んで、巳槌が声を飛び散らせる、髪を乱す、そうすることで人の身には畏れ多いほど、甘美な生き物になって行く……、恐らくは無自覚なままに。

「い……っ、くっ、……いくっ、久之いくっ、いくっ、もぉっ……ぉお! っお……!」

 巳槌が幼い少年の身体で目の前に現れたことを、時折久之は「よかった」と思う。あれほどの言葉を言われれば、情のぬくもりに不慣れな久之のことである、相手がどんな形であっても心を捉えられていた公算が高い。

 相手が女だったら、それこそ、巳槌と同い年ほどの少女だったなら、壊してしまっていたかもしれない。もっと年上の男に、巳槌ほどの淫らな欲を宿していたならば、……久之の手に負えるものであるかどうかも覚束ない。

 巳槌が少年であってくれれば、……無論、交合の形に無理のないことは理解している、その時点で大いに罪深いことではあるのだが、久之自身まるで慣れているとも上達しているとも思えない安易な愛撫で此処まで幸せになってくれるのだから。

 口の中に出されたものも、この美しい命から溢れだしたものだと思えば飲み下すのは何の苦もない。ただ久之が思うのは、……布団を敷くことも待てなかったかということだ。

「……久之」

 巳槌が両腕で求める。抱き起してやれば、すぐさま―自分の精液を放った口へ―唇を重ねて来る。

「お前は……、お前は、もう……、もぉ……っ、どうしてくれる……」

 舌を、これまで以上に積極的に纏わりつかせながら巳槌が言う。笑っているようにも泣いているようにも、怒っているようにさえ聴こえる。「お前が欲しい、身体中に火が点いたみたいだ……、お前が欲しい、お前が、優しいから」

「やさしい……」

「ああ……、そうだ、お前は、僕に優し過ぎる、だから不安になるんだ、まだ足りない……、もっとしなくては、いけないと……、思うのにお前は、優しいから」

 巳槌の言葉の意味を図りかねている間に、久之は畳の上に横たえられていた。着物を巳槌に剥かれ、「僕はお前が大好きだ、すごくすごく大好きだ、……僕はお前を幸せにしてやると決めたのに、お前が僕のことを幸せにしてばっかりじゃないか、あんまり優しいのも考え物だ、却って不安になる、怖くなる、お前を、満足させられない僕に、いつかなってしまう、お前に可愛いと思ってもらえる僕にいつかなってしまう」

 巳槌の唇に、汗ばんでいるはずの肌を啄まれながら久之が考えるのは、巳槌が恐れるような未来など来るはずもないということだ。

 けれど、同じように久之も恐れる。

 怯える。

 その恐怖感こそが、愛の深まりには不可欠なのかもしれないと、情に疎い久之は考える。巳槌を愛しいと思っていても、ふとしたときに傷付けることが起こらないとも思わない。焦燥の炎に炙られたとき、自分の出来ることがそれほど多くないと知って愕然とする。巳槌の好きなものは何だっけ、考えたとき、それほど多くを思いつく訳でもない。感情の大きさに比して、この身体の出来ることはあまりに乏しいのだ。

「本当なら、まず僕が、お前のこと気持ちよくしてやるところだろう……、お前のために雌になって……」

 巳槌の髪に触れる。黒いリボンで留めた髪の房が、愛らしく柔らかい。

「巳槌」

 もとより、開いた花の側に居る。その甘い香りを嗅いで日々生きている。ならば、酔い痴れるのは当然のこと。神なる身である円駆が惑うほどなのだ、人間から始まった久之など、どれほどあっけなく落ちるか。

 不安げに上げた瞳、染まった小麦色の頬、指で撫ぜて、

「挿れたい」

 と久之は思うままに任せて口を動かす。「巳槌に挿れたい」

 その微笑みは、可愛い。問題があるとすれば、「可愛い」以外の言葉を久之が思いつけないことだ。蜜よりなお甘く、蕩ける、心の奥歯が虫歯になって、姿勢を正すために食い縛ることも出来なくなる。

「うん、……僕も、容れて欲しい、お前が、僕には必要なんだ」

 身を起こして、久之に指を差し出す。傷のない、爪はきちんと久之がこまめに切ってやっている、深く咥えて舐めるだけで、休まる暇もなく上を向いたままの巳槌の幼茎が震えるのが見える。濡らしてやった指を巳槌は自ら後孔に収めつつ、空いた手で久之の視線を自分の陰茎に導く。降ったばかりの雪のような色の陰茎、垂れ下がってほんのり下膨れの、同じ色の袋をくすぐるように撫ぜて見せる。その愛らしく甘ったるい柔らかさに、身を起こして吸い付きたくなる衝動を久之が堪えているうちに、先端を摘まんで皮を引っ張る。続いて、その皮を少しだけ剥いて見せる。脆弱な色をした亀頭がほんの少し覗かせたとき、まるで小便をちびったようにそこが新しい蜜で濡れているのが久之の眼にも見えた。

「ん……っ」

 巳槌はそこに手を当て、粘液の糸を伸ばして見せる。少女のような髪型に仕立ててもらいながら、少年としての欲をありのまま見せる巳槌を、少女よりも少年よりも美しいものになったと久之は評する。

「だらしない、と思うか……? 僕の、ちんちん、……すぐ濡れる……、お前が欲しくって、欲しくって」

 いいや、巳槌はもともとそういう生き物なのだ。人間でさえない、神なる身、あらゆる境界線を越えたところに存在する絶対的な美、人間の手に負えるような代物ではないし、もはや人間ではない久之にしてもそれは同じこと。

 こういうところ、巳槌は極端に強いのだった。

「尻が、濡れて、仕方なくなるよりはいい、と思う……」

 久之が言ってやると、巳槌は意外そうに首を傾げて、それから身を捩り、背中から自分の指を咥えこむ場所に目をやった。「……それも、そうか。座るたびにびちゃびちゃしているのは具合が悪い……。でも六尺の前袋、あんな風に」

 畳に横たわる白蛇のごとき六尺を見て、……汚れがやはり目立つ。

「なるのも、具合がいいかと訊かれると」

「前袋が、汚れてるのは、いつものことだし……」

 む、と唇を尖らせて、「でも、お前はそんな僕の、だらしないちんちんが好きなんだろう……? おしっこ臭いところなのに、あんなに舐めて……」挑発的に笑って見せる。

 久之は素直に、

「好きだよ。お前の、全部が好きだよ」

 巳槌の美しさに屈する。

「なら、毎日一回必ず、僕のちんちんをしゃぶらせてやる。その代わり、しゃぶられれば僕のちんちんはこうやって勃起するから、……毎日一回必ず、僕をお前の口で射精させるんだ、……でもそれだけじゃ、足りなくなるに決まっている、だから……、お前も僕の上か下の口のどちらかで射精しろ。でも、お前が忙しくて出来ない日には、……ぎゅっとしてくれるだけでいい。出来るときには、その日の分も、僕を愛してくれればそれでいい」

 指を抜き、両の掌を巳槌は舐めて、久之の肉塊を包み込んだ。「あはっ……、すごい、熱い……、久之のちんちんが僕で勃起してる……」垂らした唾液を掌で塗り広げながら、巳槌は笑顔を蕩かせ、震える。

「欲しい、久之、いいか? もう、容れたい……」

「うん……」

 はしたない、という言葉は今要らない。足を大きく広げ、自ら拓いて「入口」に替えた場所へ久之を押し当てる。腰を沈める動きと共に、久之にも巳槌にも僅かな抵抗感を味わわせながら、じりじりと括約筋の扉を抉じ開けていく。

「んぅ……ああ……! はっ……、あぁ……、ん……ぃっ」

 その鍵が解かれ、巳槌の奥まで一気に押し込むとき、一カ所でしか繋がっていないのに温かく抱擁されたように錯覚する久之だった。誰かから抱き締められたことなどほぼ経験したことのない男である。価値の高さはこの山の頂よりも。

「……お前が……、どう、思うかは、知らないけど……」

 少しの間、項垂れて震えていた巳槌が顔を上げる。「僕は……、こうやって、お前が這入って来るとき、……僕の身体の中にあって、閉じていたところを、開かれる……、悦びが、……とんでもない量なんだぞ、判らないだろう……」

 巳槌はそう言って、意図的にだろう、一度、中を狭くした。同じ気持ちだと答える代わりに、久之は腰を突き上げる。

「っはあ……!」

 細い喉を反らして澄んだ声で巳槌が喘ぐ。そうだ、その少女めいた声にしろ、巳槌の備える数多の魅力の一つだった。

「もう……、意地悪をするな。意地悪で、気持ちよくなって、しまうのは、嫌だ」

 巳槌がゆっくり、ゆっくり、背中を丸め、久之に身を重ねる。ごめんと謝って、抱きしめて、尻を攫む。滑らかな肌は久之の手に吸い付くかのようだ。巳槌は身体に比して尻が小さいように思う。円駆のその引き締まった肉質は臀部にあっても例外ではなく、空戦は身体のどこもかしこも未だ幼い。それぞれの尻を「愛らしい」と言うことに――倫理的な体面を度外視すれば――逡巡はないし比べるようなものでもないとは思うが、巳槌は尻もまたどこか中性的なのだった。

 もう、別に「雌に」などと思わなくたって、あちこち、お前はそういう生き物なのだ。

「ひ、さっ……、ゆき、……気持ちいいか……? 僕の、お尻の中、あぁ……、ちんちん、久之のっ……、きもちい、か……?」

 満ちて零れそうな幸福を堪えながら巳槌はそれでも訊く。きゅうきゅうと呼吸のたびに引き締まる隘路に、届いているはず、届き過ぎているはずの熱を、それでも不安になって。

「……気持ちいい……、よ。すごく……」

 巳槌に求められる身体である、命である。

 不変の事実ではあるけれど、強く握り締められたときにだけ、判る気がする。そうして久之が少し安心して、巳槌の腰を揺すってやるとき、同じように巳槌も少しばかりの安堵を得るのだ。「恋神」である以上、永遠に拭い去ることの出来ない寂しさと怖さを身に宿すがゆえに、愛し合う時間をいつだって模索する。

 そこに恥じらいなど必要なものか。

 愛されたいと願う身体で在ればいい、そう在ることを望めばいいのだ。いつでも「可愛い」と言われたく思えばいいし、自然とそう思うからにはいつだって「可愛い」と言えばいいのだ。そうして、重なり合って交わればいいのだ。

「久之、久之っ、もう……、いきそう……、でもっ……」

 涙の味を久之に教えながら巳槌が乞う。判ってる、と言う代わりに、何度も何度も突き上げる。火の点いた身体を抱いていれば、当然火はもう久之の肌にまで回っている。燃料が尽きるまでどれぐらい掛かるか判らないが、巳槌の精液が胸に零されたのを感じながら久之は、

「いいよ、いっぱい、しような……」

 言って、巳槌の中へと欲をぶつける。

 それそのものが燃料になるのだから、尽きるときなどありはしないのだ。

 

 

 

 

 気遣いの出来る神である円駆であり空戦である。そんな彼らのために気遣いが出来ない巳槌であり久之であってはいけないから、日が山陰に沈みかかる頃、一度二人で風呂に入り身体を清めて、一度湯を捨て再び清らかな水で満たし、沸かし直す。久之は片手間に米を研ぎ夕飯の支度ももちろんした。

 空戦を乗せた円駆が帰って来たのは、釜の蓋がことこと音を鳴らし始める頃で、

「……あァ?」

 円駆は巳槌を一目見るなりそういう声を上げた。

「何だ、人の顔を見るなり失礼な奴だな。お前だってそんな御大層な面をしているわけでもあるまいよ」

 空戦は大きな目をぱちぱちさせているばかりだ。久之だって驚いたのだから無理からぬこと。

 巳槌の髪は朝に彼らが見たときと同様、あの波を取り戻しているのだった。

「……風呂に入って出たら、戻ってしまった」

 巳槌は少々不機嫌に、二人へと答える。風呂に入るまでは確かに巳槌の銀髪はまっすぐで、リボンを解いたら艶さえ帯びて、危うく風呂に入るのがもっと遅くなってしまうところであった。

 しかるに、髪を洗って乾かしたらこの通り。

 髪の質、というものがある。久之は全く癖のない直毛であり、それゆえに伸びると重苦しくて仕方がない。その点巳槌は、一回程度のストレート・パーマを施したぐらいでは治らない波毛なのだろう。

「臍が曲がってるから髪も曲がってるんだろ」

 人の姿に戻り、全裸に浴衣一枚だけ引っ掛けた円駆がぶっつりとそういう余計なことを言った。当然の帰結として、

「誰の臍が曲がっているものか。僕はこんなに素直なのに」

「いっでででででで!」

 その陰茎の先端の余り皮を摘まんで引っ張られることになる。

「馬鹿! これ以上伸びたらどうすんだ!」

「興味深いな。自分で咥えられるぐらいまで伸ばしてみたらどうだ」

 低次元なことを言い合う二人を尻目に、空戦は自主的に円駆と自分の分の手拭いを支度する。のみならず、久之の手伝いまでしようとするから「いいよ」と久之は慌てて押し留めて、「円駆と、きれいにしておいで」

「うん、じゃあ、そうしよう。……久之?」

 空戦は、幼い眼でじいっと久之を見詰める。血の色をした瞳である。柔和でのんびりとして優しい子供であることは知っているが、賢い。

「人間だけじゃなくて僕たちも、姿が変わったら見てもらいたいと思うんだろうね。巳槌は僕らよりも人間と関わって来た時間が長いから、人の心の機微というものが彼自身にも備わっているのかも知れないよ。久之はずっと、その眼でものを見て来たんだし」

 空戦の言わんとしていることは判る。空戦の髪を撫ぜて、「うん」とはっきり頷いた。そうして改めて見るときには、この少年の頭の天辺から足の指先まで、……出掛ける前と替わった所はないかどうか、慎重に検める久之だった。


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