REAL SATISFACTION


 

 空気が硬くなった。

 春が特定の神なる身に依って招かれるものだということを久之は少し前の春に知った。だから、キンと張り詰めて空気全体を透明な氷の中に閉じ込めたような朝に、久之は冬が山の隅々、この庵にまで行き届いたときに、また何やら神なる身によって冷たい空気が呼ばれたのだろうということを悟る。春の神は朗らかに笑って居たが、冬の神はどんなだろうか。怖い顔をしているに違いない。そんなことを今朝、思った。

 山には既に二度の降雪があった。雪と冬とは追い比べをしてやって来るが、これまで冬が先着したところを久之はまだ知らない。あるいは、そういう年もあるのかも知れない。指を紅くしながら米を研ぎ、竈の火に手を翳すと心地良いむずがゆさがある。冬も嫌いではない久之だった。

 二人の神なる身も目を覚ました。それぞれ用を足し、庵に戻るなりまた布団に潜り込む。火勢を弱めて久之が覗けば、二人は眠そうな顔だけ布団から出して、ぶるぶる震えながら珍しく仲良くくっついている。其れは平和で、久之の微笑みを呼ぶ景色だった。

「お前、寒いの平気か」

 円駆がそう問う。「裸足じゃねえか」

「……そんな、平気なつもりもないけど、……慣れたのかな、少しだけ」

 山で過ごす冬がこれで何度目かは判らない。けれど、今年も迎えることが出来た。寿ぐべきであろう。木々と一緒に枯れ死ぬことさえ厭わないでいたことを思えば最大限の進歩である。

「こいつ、冷たいのにくっついてくるんだ、どうにかしろよ」

「僕は別に寒くなんかないぞ」

 巳槌は不服装に言う。よく観察すれば、震えているのが円駆だけで、 巳槌にもその震えが伝播しているに過ぎないのだと判る。こんもり膨らんだ布団の中で、寝着代わりの薄い浴衣、ほとんど裸同然の格好で、巳槌は氷のように冷たい手足を円駆に絡めつけて居るのだろう。

「風呂の、支度、もうすぐ出来るから、おいで」

 久之が言ってやると、巳槌は意地悪するのに満足したように布団から抜け出す。ずる、と鼻を啜って円駆も震えながら出てくる。水蛇、応龍、変温動物の巳槌の方が寒さには弱いはずだと思う。事実、冬の朝の巳槌はいつもより動きが緩慢で精彩に事欠く。凍り付いたような手足でいながらほとんど痛痒を感じている様子が見受けられないのは、彼の長い生に基づく精神力がそうさせているというよりは、単に寒過ぎて感覚が麻痺しているだけのことだろう。実際のところ久之もこの季節、死んだように眠る巳槌の冷たい足先が腿に当てられて目を覚ますことが珍しくない。朋輩のそういう体質を知っているからこそ、円駆もくっつかれていつものように邪険に扱うことはしないのだろう。

 冬がこうして染み渡る。

 褌を解いた二人を担いで大鍋に入れ、自らも浸かり、ほのぼのと温かい湯に久之が溜息を吐いたときに、

「クリスマスとは何だ」

 巳槌が不意に訊いた。その単語の意味は円駆も知らないのだろう、首を傾げて久之を見る。

 そもそも横文字が彼らの口から出てくることが希少である。久之の穿くよれよれのトランクスだって彼らにとっては「下着」であり、里の老人が着ているコートは「あの、もこもこした外套」である。

「クリスマス……」

「昨日お前に訊こうと思って忘れていた」

 巳槌が言うには、昨日ぶらぶらと一人で里に降りた際、あちこちの家の軒先に樅の木の鉢があって、其処に綿や星の飾りがなされていたのだという。しばらく眺めていたら家の人間が出て来て、「これは何だ」と訊いた巳槌に、老婆が「クリスマスですよ、クリスマスツリーですわねえ」と教えてくれたのだそうだ。

 一人で里をぶらつく巳槌が里の人間たちにまずまず好意的に受け入れられているらしいことは、久之にとっても喜ばしい事実である。山の庵に棲む久之と、彼の側で暮らす二人の少年の存在は彼の焼く壺や皿と共に里の人間たちに認知されているのである。閉鎖的空間である山里では其れは驚くべきことでもあるが、久之と巳槌が人間たちの意識の外で(円駆から)村を救ったことを知らず刷り込まれているからかも知れない。

「クリスマスというのは……」

久之はしばらく考えて、「海の向こうの、外国の、宗教的な行事で……」

「宗教的?」

 円駆がやや迷惑そうに言う。「この国の人間たちは仏を信じているんじゃないのか」

 そう口にする円駆も、クリスマスについて訊ねる巳槌も、言葉を選びながら説明を試みる久之も、神なる身である。とはいえ人間たちの信ずる神仏とは趣が全く異なる。

「そうだけど、……ええと、日本人は、元々、宗教というものを、その、文化に関しては、何でも好きなものを好きなように受け入れる、精神性を持っているんだと、思う、多分」

 人間として、人間に混じって生活している頃には久之も神社に行けば賽銭を投じ、仏像を見れば心の洗われるような思いになり、十字架を見れば無意識のうちにおごそかな気持ちになったりした。個体差はあるにせよ、この国の人間たちは概ねそういう風に出来ている。もちろん、自然の風物に対してもある種の絶対的服従姿勢を取る。

「その、海の向こうの祭がどうしてこんな山の里に来るんだ?」

 巳槌は無表情で問う。

 久之は考えつつ、「クリスマス、……十二月二十五日は、向こうの国の人たちにとってはきっと、単純に宗教的な、儀式的な日、なんだと思う、……そういう、位置付けの意味が濃い日なんだろう。けど、日本人の多くは、その神様に対しても、仏様や、お前たちみたいな自然に宿る神様」

「今や、お前を含めてな」と、円駆が付け加える。

「うん……、とにかく、日本人にとってはあらゆる神様を祀るお祭と変わらなくて、例えば……、そう、この山の、地鎮祭のときには、屋台が並んで居たのを、お前たちも見たよね?」

 今年の夏の終わりの祭に、久之は二人を連れて行った。自分たちの祀られたその場で、少年二人はベビーカステラを美味い美味いと言って食べた。普段から浴衣姿であるから、二人の姿はことのほか村に馴染んで居た。

「あれも、もちろん儀式的な意味はあるけど、それよりもああして美味しいものを食べてみんなと喋ったり、……あと、踊りを踊るのも、踊ること自体を愉しんでいるんだと思う」

 言いながら、自分はひょっとして問題のある意見を口にしているのではないかと久之は少し危惧する。慌てて「いまのは、あくまで、俺の、個人的な考え方だけど」と付け加えることをこの気弱な青年は忘れなかった。

「では、クリスマスというのは……」

 巳槌は樅の木の鉢植えを湯から出した手で描いて見せた。「ああやって鉢植えを出す行事なのか、この国の人間たちにとっては」

久之は、立ち止まる。それから少し悩んで、「……というより、……恋人たちにとっての、……彼らのための一日のいう側面が、大きいように思う」とつっかえながら言った。

「恋人?」円駆が首を傾げれば、

「ほう」巳槌は何やら納得したように声を漏らす。

 久之は慌てて「もちろん、本来のクリスマスが、その神様を信じる人たちにとって、恋人たちのためにあるお祭っていう、そういう訳じゃなくって、あくまでこの国の人にとっては、……いつからかは判らないけど、そういう側面が色濃く出てるという意味だよ」

 それ以上は、久之には判らない。ただ彼も人間として人の間に在ったときには、他のこの国の人間たちと同様に、その本来の意味とは異なる行事の片隅でほんやりと眺めていたのだった。この口下手で不器用な男には、多少の見目が良かったとしても、とりわけこの国に在ってはその日を共にぬくぬくと過ごす相手の見つかろうはずもないのだった。

 そういうところまでを、巳槌はどうやら読み取った。いや、読み解いたと言うべきかも知れない。

「お前は良かったな」

 と彼は断定する。訊き返した久之に、巳槌は相変わらず氷のような無表情で、「だって、お前の側には何年か前から僕らが居る。独り寝の寒さに震えることもなければ、誰かを妬む必要もない。お前は幸せ者だよ」

 久之はそう言う巳槌に、こくんと頷くばかりだ。実際のところ、そう思う。人間たちの中に在れば久之という男は概ね役に立たないし、存在価値は著しく低い。男で在る必要さえ疑問視されるのが関の山である。それが今はどうだ。二人の、少年の身体をした神なる身の側に居る彼は、まさしく男としての存在価値を存分に発揮しているのだ。

これが幸せで無く何だろう。

 そしてこの幸せは誰からも嫉妬の対象にはなりえぬものなのだ。

「あの、赤い服着たじじいは何者だ」

 円駆は顔を湯で洗い、訊く。

「あれは、サンタクロースといって……」

 湯に浸かってじっくりと芯まで温まるまでの間、久之はこんな具合に二人の日本の風物に宿る神なる身の訊くままに、異国異文化について持ち合わせの知識を動員して、不器用に教授する。

 

 

 

 

 神なる身の全能でないことは判っている。彼らがもし全能で在るならば、排泄のあとに六尺に汚れを記すこともないだろうし、六尺を自分で締められるはずなのだから。実のところ彼らはその外見年齢に相応しいことのほうが多くて、そういう肉体にたまたま神としての力を宿しているに過ぎない。だからときに生まれるちぐはぐとした、身と心との矛盾。そしてしばしば表出する、重ねた年月と振る舞いの矛盾は一番側で二人を見ている久之をして、呆れさせ、柔らかな微笑みと共に受け入れさせるものになる。

 はたして二人が何を考えているのか、……神なる身の二人の思うところを読み取ろうとするなど不遜極まりないことと判って居ながら、それでも久之は甘苦い微笑みと共に考えを巡らせないわけにはいかなかった。先刻、久之が里に焼き物を卸しに降りた際、ついて来た二人は「寄るところがある」と行って居なくなり、久之が用を済ませる頃、それぞれに大きな風呂敷包みを背負って現れた。それは何かと訊いても「いいものだ」としか答えない。

 夕餉と風呂の支度を概ね整えて庵に戻って見ればこのありさまだ。二人の神なる身の少年は浴衣の上に赤い生地を伸べただけのものを纏い、頭には還暦祝いの頭巾を載せている。

「贈り物だぞ、久之。お前は今年一年良い子にしていたから、サンタクロースが贈り物を届けに来たんだ」

 サンタクロースとは何か。円駆に問われたとき、久之はこう答えた。「これもクリスマスに纏わる風習の一つで……、その年一年を良い子で過ごした子供の元に、その子供が欲しいと願うものを持って現れるんだ」赤い装束を着て居たろう、と巳槌に確認されたから、「確かにそうだよ。サンタクロースは、赤い帽子を被って、赤い服を着て現れる。……けど」それはあくまで口伝の類に過ぎない、というようなことを久之は言った。

 サンタクロースが白髪白髭の老人だということはちゃんと伝えたはずだ。けれど二人の年齢を考えれば、実際にそう称される老人が居たとして、彼よりもずっと年上である。

 結果として久之の目の前に現れたのは、赤い布を体に巻きつけた奇妙な少年二人である。久之はひとまず草履を脱いで畳に上がり、

「その布は、どうしたの」

最も気がかりなことを訊かないわけにはいかなかった。

「着物屋の店主に『要らない赤い布を分けろ』と言ったらこれをくれた」

「売れ残りの端切れだろ。だから気にする必要なんてない」

ならば、一安心か。いや、やはり明日にでも礼を言いに行かなくてはなるまい。二人とも平然とそういうことが出来るあたり、本当に子供っぽく未熟である。

「ええと」

 サンタクロースというのは。

 説明しかけて、やめた。いまこの国に蔓延している「文化」にしたって、原型を留めて居ない代物である。だから今更この田舎の山の片隅に棲む小さな神なる身二人が多少の歪曲を行ったところで問題が生じることはないだろう。

 久之は曖昧に笑って、目の前に立つ「サンタクロース」を見上げて訊く。「……俺は、じゃあ、どんなもの、貰えるのかな」

 ふん、と巳槌は腕を組んで首を傾げる。赤い木乃伊のような珍妙な出で立ちをしているくせに偉そうである。「何が欲しい? 何でも望みの褒美をくれてやるぞ。なあ円駆」

 無表情ゆえにその態度は必要以上に傲慢に見える。円駆の方はまだ多少、自分のしている格好に衒いがあるものと見えて、仏頂面である。唇を尖らせて、む、と頷いて、付け加える。

「お前が、いいやつだっていうのは……、俺たちが証明してる。俺たちがこうして、傍に居ることがそのまんま、証拠だ」

 人間としては及第点を貰えるような久之ではないから、そういう風に褒められるのは素直に嬉しく、また、どうしても照れ臭い。そもそもかつて自分を殺そうとしていた円駆の口からそんな言葉が漏れたのだから、胸の奥を円駆の焔でじゅっと焦がされるような心持になる。

 もちろん、それは巳槌の言葉であってもやはり嬉しすぎる。不器用者の、人間不合格の、枯れ死ぬ時間を待っていたような久之に、誰かに愛される悦びを、愛する愉しみを、教えてくれたのは巳槌である。

 誰からも嫉妬されない幸せであろうと久之は思う。

 恋人たちの群れとは全く無関係な場所に居るという事実は今も昔も少しも変わらないが、それでも、気持ちはまるで違う。巳槌も円駆もはたして自分の「恋人」であるかどうか判然としないが、ただ心底から愛しく思う二人であって、他のどの人間も二人を愛することは出来ない。ただ自分だけがそうして在り、そして、誰からも其れを望まれずに在る。どうぞご自由に、ご勝手に、そんな風に日向へ追い遣られていて、不幸だとも思わない、だって此処はこんなにも温かい。

「それじゃあ……」

 久之は一度、湯気を立てる大鍋に目をやる。火の勢いは緩めてはあるが、あまり放っておくとぐらぐら煮え立って、風呂どころではなくなってしまう。まだ少しは大丈夫だろう。「……次の、一年も、……俺、いい子にしていられるように、頑張るので、また一緒に居て欲しい、二人に」

 人間の年齢なら三十を越した男が「いい子」と自称するのも馬鹿げた話ではあるが、二人の少年は久之から見れば見上げるほどの老人もいいところである。

「うん」

 だから巳槌が相変わらず尊大な態度で頷くのも当然なのだ。

「それぐらいの褒美ならくれてやろう」

「……今までと何が違う?」

 円駆がフンと鼻を鳴らして言う。「馬鹿らしい」

「馬鹿らしくても、何が悪いものか。久之がのどかに幸せに過ごすことが僕らにとって不都合の欠片もありはしない。久之がそう望んだからこそ、お前だって次の一年間を久之の隣でぬくぬく過ごせるのだから文句はあるまいよ」

 はたして本当に「いい子」なのかどうかは判然としないし、自分が本当に其処まで愛される価値のある生き物なのかどうか、久之には相変わらず判らない。彼は二人と同じ神なる身と成り果てた今もなお、自然の化身である二人に対してある種平伏すような敬念を抱いていたし、二人が快く過ごすために飯を炊き風呂を沸かす。ぶっきらぼうで居ながら優しい二人の負担にならないように、少しずつでもいいから言葉を上手に扱えるようにと努める。其れが褒賞の対象になるものとも思えないが。

「では、風呂に入ろう。これ、鬱陶しいな」

 赤い布を解いて、いつもの冬着の少年に戻る。「馬鹿らしい」とぶつぶつ零しながら、円駆も赤い布を解く。それから揃って帯を解き、六尺を外す。此処で裸にならなくたっていいのにと思うが、痩せた裸を晒すなり、巳槌はぺたぺたと裸足で部屋を横切り、久之の身体に引っ付いて、「抱っこして、運べ」と命令口調で甘える。巳槌の身体一つぐらいなら、痩せぎすであってももうすっかり山で過ごす男の肉体となりえた久之は軽々と担ぎ上げられる。

「いい子だ」

 と、巳槌は褒める。久之がばつの悪い顔になって、「ありがとう」と応える視線の先には円駆が居て、……羨ましくなんかない、決してないぞ、そういう顔をしつつも、じいっと見つめている。左手に抱えた巳槌が、「お前は温かいな、久之。人間の温かさが詰まっている」などと言うから、久之は慌てて、

「お前も、おいで、円駆」

 向こう気の強い神に譲る言葉を口にする。あくまで俺が抱っこしてあげたいだけなのだと、心を読まれれば一瞬で露顕してしまうにしても、そう言う。円駆は無言で久之に歩み寄り、その右手を頼りに身体にしがみ付く。

 少年の身体をしているとはいえ、二人を一度に担ぐのは足腰に相当の負担がかかる。其れを判って居ながら、巳槌にしろ円駆にしろこんな風に甘えるからには、その負担が久之にとっては必要なものであり、またこの程度の重さではその身体の潰れるようなことは有り得ないということも判っているからに違いなかった。

 裸の二人を落とさないで「浴槽」まで運ぶのが、久之の役目である。

 来年も「いい子」と褒められたいし、「ご褒美」だって欲しい。だから間もなく陽のとっぷり暮れ落ち、氷の刃の如き風が強張った膚を虐めるような時間に、額に薄っすら汗さえ浮かべて久之は身長に足を運ぶ。巳槌にしろ円駆にしろ、自分が決して落とされることなどないと信じ切っている。もっとも久之が体制を崩したとしても、身体能力の高い彼らは擦り傷一つ創らないだろうけれど。

 よろめきながらもどうにか巳槌と円駆、二人の裸足に土埃一つ付けずに久之は鍋の中に落とした。それから息を整えながら、二人の草履を庵に取りに行く。身体を拭くものさえ用意しないで巳槌は服を脱ぎ、久之にしがみ付いたのである。もぬけのからとなった赤い布が二つ、幸せの余韻として畳の上に落ちている。

 やれやれと、自らも服を脱ぎ、鍋の中に入る。当然のこととして、それぞれの腕に二人の少年が実る。

「いい子だったな」

 巳槌はにっこり笑った。円駆も久之も、其れを不吉なものとして見る。「褒美をやらなくてはならないな」

「こ、これから晩飯だろ!」

 円駆が慌てて言うが、巳槌は穏やかに微笑んだままその稲妻色の隈取を撫ぜて、「もちろん、そんなでかい声を出さなくても判っている。美味しいご飯を食べてから食後の甘味だ。……久之、クリスマスには何か甘いものを食べる慣わしがあるのだろう」

 久之はこっくりと頷く。クリスマスケーキ。ただ其れがどういう類の甘味なのかを二人に説明するのは難しいし、言えばきっと「食べたい」と言うだろう。然るに、これから自分に支度出来るとは思えなかった。

 巳槌は久之の思いを読もうとはしなかった。

「ならば、僕が甘味になってやる。隅々まで存分に舐めて味わうがいいよ」

 巳槌のことを知らぬ者なら、その言葉が冗談と本気のどちらの産物か、判断に迷うところであろう。

 もちろん、円駆も久之も判っている。

「僕らは幸せなクリスマスを過ごしているな。恋人たちの祭か、本当に僕らに相応しい一日だ、……そうは思わないか?」

 文化も宿る対象も違うにしたって、神なる身の言うことだ、きっと其れが本当なのだと思うしかない。


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