SPRING SONGS

 とろとろとした眠りから久之を揺り起こしたのは「こっちだよ」という囁きだった。「こっちだよ」……、果たして、そういう言葉だっただろうか。ぼんやりとしたまま、久之は自分が一人で眠っていたことに気付く。春の陽の、ようやく小屋の中まで温めるようになった今日この頃、太陽と生活を共にしている男をして、午睡は抗い難いほど甘美だった。

 巳槌と円駆は何処へ行ったのだろう。

 神なる身の二人は何処へなりとも行く。この山全体が彼らにとっての住処であると共に限定的には世界である。久之の小屋が彼らにとって最も居心地の良い場所であればこそ、彼らは此処を塒とするが、日中に彼らが何処へ行っているかということは、久之の知るところではなかった。このところ陽気につられるように活動範囲が拡大しているようだ。無論、久之は心配などしていない。応龍の巳槌に恐るるべきものなど何も無いし、其れは焔纏う麒麟の円駆にしても同じことだ。山の、水と大地を司る彼らの身を案ずることなど、人間の自分には傲慢であると久之は理解していた。

 小屋の戸を開けた久之は、まだ高いところにある太陽を確かめる。里に住む人間たちよりもずっと早い昼食を済ませ、本を読んでいる内に眠ってしまったらしい。妙な姿勢で眠ってしまったせいで首や腰には強張りが在ったが、その身を叱咤して草履を穿き、小屋の外に出る。何となく甘い匂いのする風が、着物の裾を揺らした。

 山に、春はこうしてやって来るのかと、知っていたはずのことを初めて知ったような気に、久之はなった。陽射の力は、いかにも弱々しく枯れて乾いた老人の腕のそれから、仄かに柔らかく確かな力感を伴う、若い女のそれに替わっていた。白と黒と、その二極の狭間に位置する彩度の低い色で支配されていた山の景色の所々に、魔法のように新しい色が生み出され、散らばっている。

「こっちだよ」

 声が、また聴こえた。遠くから、或いは近くから、その声は同時に響くようだった。

 巳槌の声ではない、円駆の声でもない。そもそも彼ら二人はそんな柔らかな言葉は使わない。聴いたことのない誰かの声は、少年のようで、少女のようで、舌足らずで、しかしはっきりとした力感を孕んで久之の周囲を浮遊している。

 山は神なる身の住処である。巳槌や円駆以外にも、数多くの神が棲んでいる。既に短からぬ時を二人の神と共に過ごして、交わりを重ね、その寵愛を人間の身ながら享けて生きる久之は、言うなれば神なる身に宿る力の流入を受け入れている。時間も感覚も徐々に神の領域に近付きつつあることに対して、久之は暢気にも無自覚で居た。実のところ、それは彼に自覚出来るような範疇のものではないのだ。

 久之の足は、木漏れ陽に照らされた山道を、かつて巳槌の棲んでいた泉を越え、巳槌と円駆の気に入りの場所である森の中の日向を抜け、更に深く険しい道を潜った。ざくざくと草履で常雪を踏み分け、小川の流れを二つ越えた先に、巳槌と円駆の浴衣の背中が在った。

 二人は、巨岩の上に並んで腰掛けている。

「……寝ていたんじゃなかったのか?」

 巳槌が肩越しに見下ろして訊く。そして、何とも答えられないで居る久之に、

「お前にも聴こえたのか」

 と納得したように言うが、「人間には聴こえないはずだろう」と、どこかで用を足したきり外したままの六尺を腕に巻いた円駆が驚いたように声を上げる。

「おいで」

 巳槌に言われて、久之も巨岩の上に登る。少年二人のように身軽ではないが、彼らよりも腕力に於いてのみ秀でた久之にはさほど苦もなく岩の上に登る。久之の身の丈の三倍ほどの高さの巨岩の上は台状で、窮屈ながら三人が並んで座るだけの余裕が在った。

 岩に登ると、視界が開ける。細いながらも雪解けの水を快い勢いで流す小川が在って、ごつごつと荒っぽい形の岩くれの並んだ対岸は急峻な崖だ。右手は山の奥へと消え、左手は木立の中へと潜り込んで行く。

 ささやかな河原に、

「こっちへ」

 声が響く。「おいで」

「……さすがに見えないか」

 巳槌がいつもの通り、無表情のまま問うた。巳槌と円駆は浴衣の裾を捲り膝を抱えて、その声のするほうをじっと見詰めている。

「……何の声だ?」

「春を呼ぶ声だ」

 円駆が答えた。

「春?」

「この山に、春を呼ぶ風の声だ。あそこの」

 円駆は指を差す。「大きな岩が見えるだろう。あの上で南風を呼んでいる」

 久之には、やはり何も見えない。ただ「こっちだよ、早く、おいで」声の度に、柔らかな風が久之の髪を揺らし頬を擽った。

 微かに甘い匂いのする風だ。そして、緑の匂いがする。

 風が春を運んでくる。道理としては判っている。冬の間吹き荒れ、山向こうの雪雲の残党に閉ざされる里に柔らかな風が吹くようになると、やがて間もなく水が温む。

 あの里に訪れる四季、自然の現象の一つひとつに神が絡んでいたと聴かされても、巳槌と円駆を見ていれば其れが恐らく事実なのだろうということは久之にももう判る。

 してみると、四季が何か尋常ならざる形で現れてしまう、この山から遠い街は、山に宿る神々の手が届かない場所なのか。それとも人間が区切りを勝手にぼかしているからなのか。

 と。

 久之の右手を、巳槌がぎゅっと握った。

「飛ばされるなよ」

「え……、とば……っ」

 風が、大きな塊となって川の上流から吹き下りて。いや、「吹く」などという生易しいものではない、それは洪水だ。久之の尻は呆気なく風に煽られて浮いた。巳槌が、加えて円駆が、慌てて久之の着物を掴んで。

 どうにか、難を逃れる。

 膨大な量の風の塊が去って、波動の残響にまだ木々が激しく揺れていた。

「いってらっしゃい」

 くすくすと嬉しそうに、声がそう言う。それぎり、風は止んで声も聴こえなくなった。

 そして、岩から転げ落ちそうな身体をどうにか支え直した久之は、対岸の木の端に、小さな黄色い花が咲いているのを見つける。

「春が来た」

 ぼさぼさに乱れた銀髪を手櫛で直して、巳槌はそう言った。

 

 

 

 

 小屋に戻るなり「団子が食べたい」と巳槌が強請った。

「里に降りていた頃は、春が来るといつも村人が団子を振る舞ってくれた。久々にあれが食べたい」

「団子……。粉、と、あと砂糖はあるから、作ろうと思えば作れるけど」

「ならば、作ろうと思え」

 いつもの通り一連の言葉は無表情のうちに発されるから、必要以上に尊大に聴こえる。いや、実際に尊大な言い方をして居るのだ。

「構わないけど、……すぐには、出来ないぞ。色々、支度をしないと」

「僕らが手伝えばいい話だろう」

 先程久之の手を煩わせて褌を締めなおした円駆はごろんと横になって、小屋の戸の隙間から流れ込んでくる滑らかな風に転寝をしようとしているところだったから、「……『僕ら』?」と迷惑そうに顔を向けた。

「当たり前だろう。お前も手伝うんだ」

「ちょっと待てよ、……なんで俺が」

「手伝わない奴には食わせないぞ。なるほどそうか、お前は久之の作る団子が食いたくないのか。ならば食わなくていい。あとで寄越せと言っても絶対に食わせてやらん」

 久之は、特別料理の上手な男ではない。ありあわせの食材で、極めて質素なものを作っていて、円駆はいつもそれを食べている。「上手ではない」と誰かが思うとして、其れはきっと自然のままの味を快く思えない毒好きだと円駆は思っている。久之の作る飯は、これまで人間の手の入ったものを口にしたことのなかった円駆にはとびきり美味なるものと感じられる。

 そして、団子もきっと美味いに決まっている。

「……手伝えばいいんだろ、手伝えば」

「いや、手伝わなくていい。お前が食わなければ僕の取り分が増えるのだから、寧ろ手伝うな」

「うるさい、手伝うっつったら手伝う」

 巳槌と円駆は泉に水を汲みに行った。辛うじて水道だけはこの庵にも届くが、飯を炊くときをはじめとして、料理にはいつもあの泉の水を使うのである。急に団子を作ることになって、やれやれと久之は溜め息を吐きながらも粉と砂糖の入った袋を調理用具の入った棚から引っ張り出す。巳槌のかつて食した其れが、どんな味だったかは想像も出来ないが、とにかく作ってみるしかない。すぐに木桶一杯の水を汲んで二人は戻ってきた。

「……小豆が、ないから、餡子は入れないぞ。ただの白い……、ちょっと甘いだけの、白い団子にしかならない。それでもいいか」

 粉を広げて久之が訊くまでもなく、「団子が団子の体を成していればそれで構わん」と巳槌はいい、それから思い立ったように、

「しかし、何の甘味もないのは詰まらんな。……甘味を取りに行こう」

 と腰を下ろしかけた円駆の襟首をぐいと引っ張る。どうしていつもながら、巳槌は円駆に対しての言動に於いて遠慮というものがないのか。彼らが幼き頃より知り合った朋輩であるからなのか、それとも何か別の理由が在るのか。当然のように円駆は怒る。巳槌は平気でその鼻をぐいと摘んで「うるさい。甘いものはお前だって好きだろう、一々文句を抜かすな」と傲慢なことを言う。鼻を摘まれれば円駆ほど向こう気の強い神であったってその双眸を潤ませてしまうし、指が外されればしばらくはくしゃみが止まらなくなるのだ。

「……甘味って……、何処に」

 困惑したように訊いた久之に、「この山の中だ。不必要なほどの量の甘味を溜め込んで独り占めしている意地汚い奴が居る」と素ッ気無く答えた巳槌は、依然くしゃみの止まらない円駆を引っ張って、再び外へ出た。背後で久之が、溜め息を吐きながらせっせと粉に水を合わせ始める気配がした。

 数十年ぶりの春団子なら、美味い物の方がいい。円駆が初めて食すならばそれは尚のことだ。そして巳槌は蛇であり酒を好む一方で、甘味にも目がない。蟻たちが好むように砂糖も素晴らしい物だと思うし、蜂の集う花の蜜も蕩けるほど美味い。しかし、熟した果実の其れに勝るものはないという考えを巳槌は持っていた。ようやく春が訪れたばかりのこの山で、熟れた果実が生っているはずのないことぐらい、愚かではない巳槌は先刻承知であり、だから其れを「溜め込んで独り占めしている」者から、最も控え目な言い方を選ぶならば「拝借」しに行くつもりなのである。

「おい、待て」

 そういう巳槌の考えには、円駆だって至っている。

「熊の処へ行くつもりなら、俺は行かないぞ。眠っている同胞のたくわえを盗む手助けを俺がすると思ったか」

「素直にするとは思っていない」

 腕を振り解いた円駆に、巳槌は平然と言う。先日久之が拵えてくれた綿入れは、もう二人とも脱いでいて、あれが役に立ったのは冬の最後の十日ほどだった。二人とも、少年の身には渋すぎる柄の、すなわちいつもの浴衣姿であり、草履履きである。

「ただ、お前だって久之の作る団子は食いたいだろう。せっかくなら美味いものを食いたいだろう。……団子に果実の汁を纏わせて食ったなら美味いに決まっている。お前の貧困な想像力でも其れぐらいのことは判るだろうよ」

「……それはそうかも知れんが、だからと言って熊が前の秋にせっせと拾い集めた食糧を俺たちが胃の腑に収めて良い道理があるか。ましてや寝ているところからくすねて良い訳があるか!」

「何も隠し持っているものを全て奪い取ろうと言っているのではない。それに間もなく奴だって目を覚ます。冬が終わって春が来て、それでも残っている食糧を忘れてまた新しいものを探しに行くような馬鹿者だぞ。腐らせてしまうぐらいなら僕らが其れを食べて悪いという方がおかしい。……大体、春風はもう吹いた。とっくの昔に目を覚ましていたっていい頃合にまだ寝ているのは熊ではなくて怠け者ではないか」

 巳槌と円駆、腕力ならば円駆の方が上回るが、口車においては巳槌が凌駕する。言い合いをして円駆が勝てるはずもない。

「もう一度だけ確認してやる、お前だって団子が食いたいのだろう、そしてどうせ食うなら美味いものの方がいいと思っているのだろう」

 結局、円駆は巳槌の口車でぐるぐる巻きにされて、先に立って歩いて同胞である巨熊の寝床まで巳槌を案内することになった。はじめから素直に聞くとは思ってはいなかった。だが、どうせ素直に聞くことになるのならば、時間の無駄というものをもう少し理解するべきだろうと、そういった意味のことを巳槌は言い掛けたが、また機嫌を損ねられても厄介であるということぐらいはさすがに察しが付いて、黙っていた。

 巨熊が塒にしているのは、山の土手腹に無数存在する岩の洞穴である。枯れ葉でふかふかの敷布団と掛け布団を作り、その洞穴の中には多数の食糧が一緒に貯蔵されている。冬の間洞穴の入口が深雪に閉ざされても、ほぼ夢うつつの状態で枕元の木の実を食み、時折喉が渇いたら身じろぎをして雪の中に埋まる格好で凍りついた先の秋の実りを転がり落として齧る。もっともこの熊は用心深いのかそれとも単に欲張りなのか、毎年その巨躯にも多すぎる量の木の実を拾い集めて塒に持って行ってしまう。幸いにして恵み豊かな山であって彼の所業によって他の生き物が困るという事態は大概回避されるのではあるが、巳槌の眼にはそれは「愚か」の一言で片付けられてしまうのである。とはいえ応龍であり神なる身の巳槌から見れば、ほとんどの獣のすることは片付けようと思えばその一言でどうにでも出来てしまうのであったが。

「起きている気配がないな。寝呆すけの熊め」

 既に雪のほとんどは融けている。その白く濡れたような雪面に覗くのは、半解凍の状態で春を迎えた柿である。柿の汁は甘くて芳しい。少しばかりとろりとしていて、とてもいい。秋の恵みとして巳槌の最も好むものの一つであり、其れが寝呆け熊のお陰で冬を越しても口に出来るのは素晴らしいことである。

 円駆はいつ熊が起きるかと冷や汗をかくような思いで居るらしい。もとより巳槌は四足の獣たちとの交流は、円駆を除いてほとんどないが、円駆はこの山の獣たちを司る。その神が、いわば別領域の神と人間の食欲のために行う略奪行為の片棒を担いでいるということが知れたなら、それは大層都合が悪い。

 巳槌は硬い雪の中からいくつもの柿を拾い上げては、円駆に放る。石のように凍りついた柿を、一体どのようにして加工するのかと言えば、巳槌は当然、円駆の火の力で其れをさせるつもりなのだ。

「おい、おいっ、もう、持ちきれるか! 大体こんなたくさん要らないだろ」

 三つも四つも投げて寄越す。円駆の方を見ないで巳槌は投げている。円駆の運動神経を考えに入れれば、当然其れぐらい全部拾えると思っている。そして実際円駆は一つも落とさず実を掴み取っているが、手は二本しかない。

「……そうだな」

 つい、目の前に食糧が在ると思うと欲が出てしまう。これでは熊と同じである。

「では、戻ろう。ただ、久之が団子を拵えるのにはまだしばらく時間が掛かるだろうな」

 円駆の手から実を一つ取って、幾度か宙に放る。

「そういうもんなのか?」

「……ああ、お前は知らないかも知れないが、団子を作るのは意外と大変なんだ。粉と砂糖と水だけで出来る分、それだけ手間がかかる」

「そういうもんを、お前は久之に作らせたのか」

 少しく咎めるような響きを円駆の声が帯びたのを、巳槌は聞き流す。どうやら円駆はまだ久之のことを判っていないらしい――少なくとも僕ほどには――と。

「寄り道をして帰ろう」

 円駆が随分と冷たそうにしているので、四つのうちの二つを請け負って、今度は巳槌が先に立って歩いた。巳槌の足が向かうのは、いつもの昼寝場所である。と言っても、冬の間はその日向にだって雪が積もるので、実際に其処に来るのは久しぶりのことである。陽射は少し傾き始めたが、明らかに春のものだった。四つの柿を並べて置いて、

「円駆」

 と巳槌は腕を広げた。「おいでよ」

 その唇に、当人さえ意識しない笑みが浮かぶ。久之にとってはもちろん、円駆にとっても少々不吉な趣の笑みである。其れの輪郭が恐ろしいくらいに美しいのがきっと却って性質が悪いのだ。

 見る者に、逆らうことを諦めさせる。

 そういうことまで考えなくても、巳槌にとって其れは自然と起こることだった。久之も円駆も、自分の望んだとおりにしてくれる。久之は戸惑いながら、円駆は不機嫌を装って、それでも久之はその腕で恐る恐る抱き締めてくれるし、円駆は広げた胸の中に体を委ねてくれる。

 体温は長い孤独を経験した神の身にとって最も甘美なものだった。

 秋の実りの果実より、はるかに。

 立ったまま抱き締め合って、巳槌は自分とぴったりと重なった、似た形の身体の温度を快く楽しんだ。

「……どうして、こうなんだよ」

 円駆は不平を言った。

「こう、とは?」

「……久之とすりゃいいんだ。久之とだけしてりゃいいんだ。なのに、何でいま此処で俺を誘うんだ、別にお前は俺のことなんてそんな好きじゃないじゃないか、なのにどうして」

「何を誤解しているんだ? 僕はお前のことが好きだぞ」

 温かさが嬉しいから、礼として髪を撫ぜる。円駆の、焔の紅に稲妻の金色が走った髪の指ざわりは巳槌の銀髪とは全く異なっている。どこか夏風のように乾いている。

「……久之のことだって大好きだし、お前のことだって大好きだ。僕はお前たち二人が本当にいとおしいと思っている」

「何でだよ」

「決まっているだろうが、お前が久之を幸せにするからだよ」

 頬に触れる。円駆の左眼の下には、最も猛なる獣である証としての隈がある。眉は巳槌よりもずっと勇ましく太いし、眼元も凛々しい。ただ今は少しばかり戸惑ったように、金色の瞳が落ち着かない。

「……何度か言って来たろう、まだ判らないか? 僕は久之が好きで、あいつの幸せを心より願う者だ。あいつは僕とお前が仲良くすることを望んでいる。そしてお前は、僕と仲良くしてくれる。僕らを見て久之が幸せになっているなら、その幸せを作り出しているのはお前だ。そんなお前が僕にとって愛しく思えないはずがないだろう」

 言葉が聴く者の耳にどう響くかを、意識しないで巳槌はいつも物を言う。普段の自分が極端に無愛想で、表情もなしに物を言うことに当人は気付いていないし、そういう仕方がときに極端に傲慢な響きを生み、聴く者に不快感を催させることにももちろん気付いていない。何故円駆はいつもいつも僕の言うことに歯向かってくるのだろうなどと考えて居るのだから暢気なものである。

 ただ、その声が艶を帯び、美しい微笑みと共に齎されるときに久之のみならず円駆の心をも強く揺さぶることに無意識で居ることは、美徳とも言えるかもしれない。意識していたならただの狡猾な淫乱である。

 いや、「狡猾」と、「淫乱」と詰られても実のところ巳槌は全く構わないのである。二人が幸せで居る側に要ることが幸せだと信じきって居るのだ。

「……勝手なことばっか抜かしやがって。……要はそういうことがやりたくなっただけじゃねえのか」

 唇を尖らせて、円駆は言う。円駆の顔が凛々しく男らしくも愛らしいことを、巳槌はずっと昔から知っていて、それでも改めてまじまじと見て確かめることには価値が在るように思えた。浴衣の帯を解いて肌を晒して見せたとき、円駆は目のやり場に困ったように視線を泳がせ、巳槌の顔へ辿り着き、其処で縛られる。

「お前も脱げ。……僕に裸を見せろ」

 滑らかな声に、円駆は逆らわなかった。円駆の裸は巳槌よりも少しだけしっかりとした肉が付いていて。より男性的である。と言って、久之の――山の暮らしに身を置いた男の――無駄な肉の削ぎ落とされ細く薄い筋肉を纏った身体と比べればはるかに細く小さく見劣りする。結局のところは巳槌とさほど変わらない、歳幼い少年のものである。それでも自分との、細かな差違を探し出しては嬉しがる術を巳槌は持っていた。

「ちょっと……、待て」

 六尺の結び目に手を掛けたところで、円駆が止めた。考えを見透かして、

「後で、僕が締めてやる」

 と巳槌は言った。

 久之が慣れぬ団子作りにどの程度の時間を掛けるだろうということを思いながら跪き、円駆の六尺を解いた。肩にまだ掛かっている浴衣と未発達な筋肉を纏った肌を見ているうちに、きっとあの男は団子を捏ねるだけ捏ねて、自分たちが戻るまで火を通したりはするまいよと思い直す。そういう優しいところが在るから、この後訪れる夜にはまた、久之を幸せにしてやらない訳には行かないと巳槌は思うとともに、だからと言ってこの時間に肉体も精神も、少しも節約などするものかとも思うのだ。

 顔を寄せた巳槌の目の前で、円駆の性器はまだ大人しい。巳槌の細身の其れに比べるともう少しふんわりとした輪郭で、やや丸っこい。互いに貶しあうように先端皮が余っている、何の変哲もない「子供」の性器だ。もちろん短い茎の根元にはまだ一本の毛も生えていない。久之は二人の裸を「十二歳か、十三歳か」と想像しているが、其処はもう少し幼い印象にもなる。幾百年の時をその身体で過ごして居るのだから、今後も当分は変わらないものと思われる。

 同じものが付いているのに、どうしてか。いつからか其処を見ることに興奮が伴うようになったことに巳槌は気付く。以前はお互い裸で居て、その「ちんちくりん」なものを晒しつつ側に居ても何とも思わなかった。……円駆が、褌を締めるようになったからか。其処を秘すべきと、まるで人間のように思うことを覚えたからか。ただ当の本人はまだ其処まで思考が至らないらしく、自分の股間を覗きこむ巳槌に、ただ何となく居心地の悪そうな顔をしているばかりだった。

「……お前の此処は、いいな」

 指先で皮を摘んで、優しく引っ張る。力に従うように伸びて、離すと瑞々しく弾む。

「何が、いいんだよ」

「何が、……そうだな」

 もう一度、同じようにして、「いい匂いがする」更にもう一度、と思って引っ張ったら「引っ張るな、伸びる」と咎められた。巳槌が興味本位に少しばかり触ったくらいでは、まだ其処は反応しない。見慣れた、円駆の竦んだ性器がまだ其処にはある。

「する訳あるか。……今日はまだ風呂にだって入ってないんだぞ」

「だから、いい匂いが残っている。今日は温かいからな、薄ッすらと汗の匂いと、小便の匂いと。僕の好きな類の匂いがして、堪らなく美味そうに感じられる。……此処からか」

 摘んで、優しい力で剥き下ろした。すぐに行き止まり、自分同様敏感で弱々しい亀頭は半ばまで覗くばかりだ。それでも風呂に入るときには久之に言われてきちんと洗うようになったから其処は不潔ではない。すん、と鼻を寄せて嗅いでやったら、さすがに嫌なのか腰が逃げかけるが、其れを止めるために口に含んだら途端に動きを止めた。しばらくそのまま、口の中で柔らかかった性器が徐々に力を集めて、上顎に触れるように熱くなるまで舌を動かしていた。円駆はしおらしく黙りこくって、性器を咥える巳槌の顔を見ているようだった。

「……ん。美味しい……」

 口を外して、唾液塗れの目の前の性器に今一度口付けをした。勃起しても皮はすぐに先端を包んで隠すものの、輪郭は大人びて、とても卑猥なものとなる。久之の性器とは比べ物にならないほど小さいが、巳槌は円駆の性器が勃起しているところを見るのも好きだった。視線を上げれば、顔を赤らめて、……多能なる神獣、紅角の麒麟、大地司り焔を纏う者は、単にどうしたらいいのか判らないで心細げに居るばかりだ。どうしたらいいか判らない? 幸せになればいいだけのことだよ、単純なことだ。

「此処」

 小さく丸い袋を指先で押した。「此処の中に団子が二つ入って居るな。久之の作る団子はきっともう少し大きい。だがお前の此れも美味そうだな」

 びく、と太腿が強張った。「安心しろ、食ったりしないから」歯を立てずに、口に含む。事実、其処は美味いように思われた。細かな皺の舌触りも愛らしければ、その柔らかさというか弾力というか、その造りそのものが大いに愛らしい。かつては女に欲情したこともある巳槌だが、今は其処を舐めているだけでほんのりと耳が熱く思えてくる。と言って、円駆が、久之が、もし女の身体をしていたとしたら、其れ相応の愛し方に思い至るに決まっていたが。

「お前のを見ていると……、僕は駄目だな」

 言って、身を起こす。六尺の前の尖りを見せて、「……ああ、もう濡れている……」と指でその染みを擦って見せた。滲みはますますじわりと広がるようだった。口を開けたまま自分の股間を見ている円駆の表情は、到底長い刻を神の身で生きた者のそれではないが、笑って機嫌を損ねられるのも嫌だ。

「僕が触ったように、お前も触りたければ触るがいいよ」

 開いていた口が閉じ、少し不服そうに何ごとか言い掛けたが、一応は聡明なつもりの円駆は何も言わずに膝を下土に付けて、巳槌の前袋の膨らみに顔を寄せた。おずおずと舌を伸ばして、染みに当てる。きっと潮の味がするはずだ。巳槌も円駆もまだ「海」というものを見たことがないが、其処の水は塩辛いのだと言う。口にしたとき、其れを想起してしまう可能性について二人は否定できない。

「……、どうして、褌を外さない……?」

 まだ、円駆の肩には浴衣が引っ掛かっている。「……うるさい……」と言うときだけ彼は口を外し、すぐに六尺の上からの愛撫を再開する。

「このまま……、射精したら、褌が汚れてしまうじゃないか……」

 もう、返事はしなかった。汚させるつもりなのだということにはすぐ察しが付いた。円駆の唾液の温度が布を浸透する。円駆が口を外して、微かに意地悪く笑った。既に巳槌の六尺は、少年が我慢しきれずに射精した後のような有り様だった。

「……みっともねえ、いいざまだ」

 どこか、嬉しそうに聴こえる。

「……お前は、僕のみっともない姿を見るのが好きか?」

「ああ、好きだね。いつも偉そうなことを言っているお前が無様な格好で居るのを見ると、胸がすっきりする」

 ただ、巳槌のそういう姿は円駆の性欲と呼応し合うのだ。当人はそのことに気付いていないようだが、巳槌の目には円駆の足の間で性器がぴくぴくと震え、自分の唾液ではない液体で潮っぱく濡れているのが見下ろせる。

「……そうか。なら、僕は嬉しい」

 巳槌は微笑む。「お前が、僕のみっともない姿を見て嬉しいと思うなら、僕も嬉しい」

 狡猾で淫ら、かも知れない蛇神もまた、自分の浮かべる笑みの力に対しては全くの無意識で居るのだった。円駆が口を開けたまま見ている。その目の前で、六尺の上から自分の性器を握った。

「こんなに、熱くなっている、……褌の中で、涎を垂らして、ぬるぬるになって……、僕は」

 口にしているだけで、肛門の辺りがじわじわと熱く感じられて、反射的にきゅうと締めると同時に陰茎がびくんと跳ねる。円駆が射るような目で自分を見上げている。それは攻撃的な輪郭かもしれないし、少なくとも当人はそのつもりかもしれないが、巳槌には甘美に身を焦がす熱い蜜のように思える。

「あ……ん……!」

 その視線に晒されたまま、巳槌は握った手を動かした。布の上からでは器用に扱くことも出来ないが、直接的な刺激以上に円駆の視線が巳槌には刺すように感じられる。膝を震わせながら、半ば無理矢理自分を射精へと追い詰めていくときに、円駆の右手が彼自身の性器を握り緩く動かしているのを見て、どこまでも嬉しくなってしまうような心の形を、巳槌は恐らく随分前から身に着けていた。

「はぁ……ッ……ン……! んっ……、出る……っ……!」

 円駆の唾液の熱、性器そのものの熱が篭もっていた前袋の中で、それ以上に熱く感じられる精液が迸った。

「あ、はっ……、……円駆……、見える、か……? 僕の……」

 濡れた前袋には巳槌の濡れた性芯が浮かび上がっている。濡れた布の纏わり付くような不快感をも味方に付けて、円駆の快感に繋げられた時点で巳槌の勝ちだ。

 が、円駆はそれだけでは飽き足らないようだった。

「円駆、ちょっとっ、……待って……っ」

 既に十分にみっともない姿を晒してやったのに、円駆は巳槌の尻を掴んで拘束し、青臭い前袋に口を付けた。薄布越しの先端に、執拗に舌を這わせる。この期に及べば円駆が何をしようとしているかということぐらい、巳槌にも察しが付く。

「あ、あっ……円駆……っ、出る、おしっこ出る……!」

 駄目とも嫌とも言わなかった。膝から力が抜けて、射精直後の尿道を無理矢理押し広げ爛れさせるように尿が吹き出た。内側にこびり付いていた精液を濯ぐような勢いで尿は前袋の吸い切れる量をあっという間に超して、太腿を伝って足元に雨を降らせる。

 前袋を強く吸い上げた円駆が立ち上がり、そのまま唇を重ねてきた。強引に指で口を抉じ開けて、その中に生温かく微かにとろりとした巳槌自身の尿が流れ入る。「飲めよ、お前の漏らしたもんだぞ……」と彼に出せる精一杯低い声を円駆は出して、巳槌に命じた。未だ巳槌の六尺からは温かい雨が降り注ぐ。巳槌は円駆の言葉に従順だった。円駆がそれで悦ぶなら僕も其れで嬉しいと、思い込むための力さえ要らないまま思って。

「あ……あ……」

 全て出し切って、拘束する円駆がなくなると水溜りの上に膝から崩れた。勃起のまだ収まらない性器を包んだ六尺は、薄黄色の液体でぐっしょりと濡れて、生温かかったのはすぐに冷たく感じられた。

 顔のすぐ前に、円駆の勃起した性器が在る。

 何も言わずに巳槌は其れを口の中に収めた。既に多量の腺液の滲んだ、潮っぱい性器は自分の尿の何倍も美味いものと感じられた。きっとそれは錯覚ではない。円駆の尿が美味しくないはずがないと巳槌は信じているのだ。だから、食欲のままに。

「っく……いくっ……出る、いくっ、巳槌……、いくよぉ……!」

 細く白い喉から、そういう色の声が出た。いや、仄かに紅く染まっていたか。口の中に勢い良く放たれた精液は、そのまま呆気ないほど喉の奥へと流れてしまう。飲み下してから、もっと味わえば良かったと後悔するが、同じくらい美味いものが在ることを知っている。巳槌もしっかりと円駆の尻を掴んで、舌を止めることはしなかった。

 呆気なく漏らして見せた巳槌とは裏腹に、

「や、やだっ、巳槌ッ、やめっ、やめろよう、馬鹿っ、ばかぁっ」

 円駆は先程までの攻撃的な言葉と目が嘘のように、悲鳴に近い泣き声を上げて抗ったが、それも長くは持たなかった。手を離すと腰を抜かしたように尻餅を付き、そのまま性器の先から噴水を飛ばした。

「ああ、あっ……」

 高らかに上がった放物線は円駆自身の胸に跳ねて、その裸身を益々美味そうに濡らしていく。巳槌は仄暗い衝動に駆られ、先程自分がされたように円駆の口に指を突っ込んで無理矢理開かせると、陰茎を摘んでゆるゆると扱きながら止まらない勢いを直接其処へと注がせた。

「どうだ……? 美味いだろう、お前のおしっこだぞ……」

 飲み込むことも出来ず、かといって呼吸の自由も利かぬ状態の円駆の口の端から円駆自身の小便が溢れ零れる。唇を重ねて、巳槌は存分にその潮っぱい口の中を味わった。口を離さず執拗に舌を絡めていたら、微かに「こくん」と飲み込む音がして、それから一頻り円駆は激しく噎せた。

「吐くなよ。こんなに美味いものを吐くなんてもったいない」

「う、う、美味いわけがあるか! お前ッ……」

 身を捩って四つん這い、ほうほうの体で逃げを打つ身体は、性器を掴んでやることで簡単に拘束できる。

「みっともない姿は僕よりお前の方が似合っているかもしれないな。……お前自身もそう思っているんじゃないのか? 射精したばかりだというのに全く収まる気配がないじゃないか。いや、先程までより勢いづいているぐらいだ」

 後ろから扱いてやれば、上半身からぽたぽたと雫を垂らしながら円駆は背を逸らして快感に絡め取られる。手の内に落ちたも同然だ。

「僕の中に収めたら、どれほどの快楽を与えてくれるのだろうな? 円駆、……僕より若いお前の性欲だ、そして僕よりずっと熱いお前の精液だ、僕を内側から焼き焦がして見せるがいいよ」

 円駆を仰向けに寝かせる。その顔は引き攣っているが、最早反撃の意欲は失われた様子である。巳槌は股下に手を入れて、指で自らを押し開いて中を解し始める。

 とても淫らな笑顔だ。最高に性質の悪い、久之と円駆の困惑を誘わずには居られないような類の。美しいからこそ、益々手に余る。

「そんな顔をするな。僕はお前を苛めたい訳ではないんだぞ、……もっと心を楽に持って、この時間を存分に愉しめばいいんだ。久之はもうあらかた慣れたというのに、お前はいつまでも子供みたいだな」

「だって……!」

 巳槌が特別恥知らずなだけだと判っていても、同じところまで降りていくのには随分と勇気が要る。人間と交合することにだってまだ慣れたわけではない。

「春だぞ? 円駆。もっと発情して見せろ。僕が、久之が、欲しくて欲しくて堪らなくなって見せろ。そんなお前はきっと飛び切り可愛らしい。此処と」

 巳槌は円駆の陰茎に指を添える。先端は、先程漏らした尿とこの瞬間にも溢れてくる腺液で濡れている。「同じように、涎を垂らして僕を久之を欲しがったところで、僕らは笑わないぞ……」

 巳槌が腰を落とす。円駆の細い性器が、その身体の中へと飲み込まれていく。圧迫感と同時に感じる、何もかもを受け入れるような柔らかさ温かさ、円駆は自分の陰嚢がきゅうと酸っぱさを感じたように縮み上がるような心持になる。

「あ……、あ……」

「ほら……、見えるか? 全部……、入ってしまったぞ。お前のちんちんは……、久之に比べてずっと小さい……、から、楽に飲み込める……。でも、気持ちよさは変わらないな……。僕の、中で、脈打っているのも、……熱いのも、硬いのも、全部、逃さず、よく判る……」

 触って、と巳槌が囁いた。円駆は動くつもりもないのに、巳槌の言葉に操られるように右手が其処へと伸びる。円駆自身よりも少しだけ小さな巳槌の陰茎は、握り込むと悦ぶようにビクンと震え、同時に胎内の円駆を搾るように締め上げた。

「僕は」

 巳槌が背中を丸め、少し尻を前に出す。ずるりと引き摺られるように、円駆の陰茎が擦り上げられる。それだけで射精しそうになるのを堪えていたら、巳槌は唇を重ねてきた。「一緒にいくのが好きだ……。僕だけじゃなくて、お前のことも、ちゃんと、気持ちよくして、……つまりは、幸せにして、……悦ばせて、……それが、嬉しいから」

「どうして……」

「ん……?」

「……お前だけ」

 震えそうな声を叱咤して、円駆はどうにか言葉を紡いだ。巳槌も言葉を聴きたいと思うのか、腰をぴたりと止めていた。「お前だけ、いけばいいだろうが、俺のことなんて、気にせずに……」

「……馬鹿な奴。お前を幸せに出来ないような僕では居たくない。そういう僕を、久之だって望まないだろう。だからつまらぬことは気にせず、僕でいっぱい幸せになるがいいよ、……そして僕と久之無しでは居られなくなるがいいよ。次の、次の次の、……永劫先の春にも僕らはこうして互いに発情して交わうんだ、……どうだ、幸せだろう?」

 口付けが、今一度。

 そして、巳槌が腰を動かし始める。極端に淫らな、粘っこい動き、歪な円を描くように腰を振り、手前から奥から円駆の性器を苛む。余裕を醸していながらもそうそう我慢強い巳槌ではない。円駆の顔には巳槌の甘酸っぱい声が降りかかる。

「円駆、えんくっ……、きもちぃ……っ……、おまえ、は……、きもちぃ? ちゃんと……、僕で……」

 円駆は歯を食い縛って無様な声を漏らさないように堪えるばかりだ。気持ちいいのだ、どうにかなりそうなくらい、気持ちいいのだ。円駆の知る限り最も美しい姿をした、巳槌が、自分と肌を重ねて淫れ狂っている姿を、直接的な圧迫と共に見せられて、もとより只で居られるはずもない。

「早くっ……、円駆っ、早く……!」

 最後まで言葉を飲み込んでいられるはずもない。円駆の望むまま、その胎内に精液を叩きつけて、同時に腹部に精液を零されて、力を喪った巳槌のことを抱きとめてやりながら、「……巳槌……、巳槌、……きもちい……、すっげぇ……、きもち、よかった……」啜り泣くような声で円駆は言った。繋がったまま、巳槌はしばらく身動きを取らないで居たが、やがて優しい指で円駆の紅い髪を撫ぜ始めた。

 

 

 

 

 円駆が目を覚ましたのは巳槌よりも後だった。裸のまま眠ってしまっていたはずが、気付けば褌はきちんと締められ、浴衣の帯まで結ばれている。巳槌がしてくれたに違いなかった。「春だからといっていつまでも裸で寝ていては風邪をひくからな」と、案外に面倒見のいいところを巳槌は見せて立ち上がると、

「戻ろう。もう団子は出来ているはずだ」

 と円駆の手を引いて歩き出した。

「……何処まで、行ってたんだ」

 陽射に包まれて程よく融けた柿の実を幾つも持ち帰ってきた二人の神を、既に焚き火で団子を茹で上げた鍋の前で久之がやや呆れた顔で見上げた。陽は少し傾き始めている。艶やかな団子が幾つも、笊に上げられているのを見て、巳槌は帰りの遅くなったことを侘びもせずに「美味そうだな」と無表情で言い、円駆も純白の団子が思っていた以上に美味そうで目を奪われていた。

「この柿の汁をかければきっともっと美味くなる」

 差し出された身を受け取り、久之は巳槌の望んだとおりに皮を剥き、その肉を削って作った汁を団子に垂らした。巳槌の意図していた以上に、柿の汁をかけられた団子は一層甘く見える。

「……こんなものを、何処で……」

「僕らしか知らない場所にしまってあるんだ。危ないからお前には教えない」

 円駆は何か言い掛けたが黙っていた。言えば久之は心配するに決まっている。

「出来上がったな。では食べるぞ」

 それぞれ五つずつ皿に盛って、少し遅めの間食と相成った。この後は風呂を沸かして、それから久之が飯の支度をする。日没までの時間が長くなったとはいえ、電気の届かない庵の夜は短い。そして、朝は早い。彼らの一日一日は少しずつの変化はあれど概ね似た形で巡り、それで居て長く感じられるのが常だった。

 薄暗くなった部屋の中ではなく、小さな庭の石くれの上に腰掛けて団子を食べた。控え目な甘さの柿の汁は、団子の甘さを一層引き立たせるようだった。もう少しして熊が目を覚ましたとして、……どうせ几帳面なものではない、貯蔵したつもりの柿の実がいくつかなくなっていたとしたって、寝ぼけて食べてしまったのだろうかと思うに決まっていた。

 ところで、二人の神なる身は自分の立ち居振る舞いにあまり意識しない。特に、その浴衣の裾が少々肌蹴ていようとほとんど頓着しないのが常である。巳槌も円駆も奔放で、ある種の性嗜好を持つ人間にとっては目の毒な体勢を平気でとる。例えばいまなら、巳槌は岩の上に草履を脱いで膝を抱えて座っている。そのせいで六尺の食い込んだ股間が露わになっているし、円駆は円駆で胡坐をかいているから前袋は見事なまでに晒されている。

 久之は、巳槌と円駆のことを心の底から愛しいと思ってはいるけれど、いわゆる特殊性嗜好の持ち主ではない。ただ愛しいのは二人だけで、似た体付きで居る他の誰かに欲情するということはない。だから食事中にそういう光景が目に入ったところで何の痛痒もないのだが。

 思わず彼は、

「どうした」

 と口にしていた。視線の先には、円駆の褌がある。円駆は団子を口に放り込んで、何を言われたのか判らないで居る。

「……ああ、言い忘れていた」

 先に全て食べ終えた巳槌がひょいと岩から降りて、同じように円駆の前袋に視線を落とした。円駆はまだ、何を指摘されているのか判らないで、ごくんと団子を飲み込み、自分の股間を見下ろして。

「んなっ……!」

「円駆がオネショをしたので、褌がえらいことになっている」

 巳槌がさらさらと出鱈目を言った。

「ち、違うッ、俺はオネショなんかしてないっ」

「では、その褌の汚れは何だ? どうしたらそんな風にくっきりと黄色い染みが出来るんだ?」

 円駆は、先程起きたとき自分が既に六尺を締められた後だったことを思い出す。そして、帰り道の頃から何だか下半身がむず痒いような落ち着かなさを訴えていたことを。……こんなに汚れた褌を締めていたのだから当然である。

 小便を漏らしたのは巳槌のほうだ。……してみると、巳槌がいま締めている六尺は、本来自分が締めていた汚れなきものである。

「悪い子だな、円駆は。そんな恥ずかしい褌をいつまでも締めていたのか」

 舌先が二つに割れていないのがおかしく思えるほどの言葉を巳槌は言い放ち、「どうせ風呂を沸かすんだ。久之によく洗ってもらうがいいよ」と、夕飯を食う時間が少し遅くなることを決定付けるようなことを言う。

「……もう……、別に、失敗したっていい、まだ子供だから、しょうがないけど……、でも、そういうときはすぐに外して……。洗えば、こんなに染みになることだってないんだから……」

 久之の言うことは至極真ッ当ではあるが、そもそも寝小便を垂れたのは自分ではない。しかし状況証拠が恐らくそれを否定するだろう。

「僕もお前のみっともない姿を見るのは好きだぞ」

 久之に褌を外された円駆の耳元に、巳槌が囁く。「とても可愛くって、大好きだ」毒蛇は笑う。夕飯は一体何時ごろになるだろう? そんな円駆の懸念も知らず、無垢なる久之は薪を集めて大鍋の底に火をつけた。


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