WE DON'T NEED THE REASON TO

 神と人の曖昧な境界線の上に三人は居た。神なる身を二人側に置いて、では人間である久之に何らかの特別性が在るかと言えば、彼は単に人付き合いが苦手で口下手で、壷を焼いたり絵を描いたりするぐらいしか能の無い若者であって、その壷焼きにせよどうにか糊口を凌ぐ手段にはなるといった程度のものに過ぎない。そもそも彼が人付き合いをこなし思いを上手に言葉にする術を持っていたなら、斯様な山の庵で仙人のように暮らしては居なかった。元を辿れば久之は、人から逃げ、やがて枯れ果てて死んでも仕方が無いという心持を帯びて山に入ったのである。

 然るに、いまや彼は「付き合い」と「言葉」無しで生活することなど到底叶わない。

 頼りない腕で、

「喧嘩を……、喧嘩をするんじゃない……、二人とも」

 二人の少年を引き剥がす。

「だって、こいつが俺の酒を呑んだ! 大事に取っておいたのに!」

「いつまでも貧乏臭く残しているからだ。腐らせてしまうぐらいならと僕が呑んでやったんだ、お前に文句を言われる謂れはないわ」

「酒が腐るか! この泥棒蛇!」

 ああもう、……ああもう……。困惑しきった声を出して、久之は目の前でまた取ッ組み合いを始める二人の「神」の前、人間の無力さを思う。

 今、やや優勢に組み敷いている、酒を呑まれた紅い髪の神が焔の麒麟の化身。

 押されながらも、相手の首に手を当てて反撃の機を伺う銀の髪の神が、水に宿る蛇の化身。

 麒麟の名前は円駆。

 水蛇の名前は巳槌。

 こうまで拙く、幼く、しかし途方も無く長い年月をこの山で過ごした、二人は確かに大地と水を司る、神なのだ。どこからどう見ても人間の少年、には決して見えないだろう。巳槌の純白に近い銀の髪も、円駆の焔の紅に稲光の如き黄を編み込んだ髪と左眼の下の隈も、人間のものでは到底有り得ない。然るに二人の神を目の前にして、久之は何処までも「人間」で在ることを強いられる。其れは二人の神が「人間」であるという背反分子をその幼い形をした身に備えているからだろうか。

「判った……、判ったから、酒は新しく買ってくればいいんだ、そうだろう、そんな、喧嘩をするようなことじゃない……」

 そしてこの二人は斯様によく「喧嘩」をするのだ。それも、極端なくらいに些細なきっかけで。

 今はこうして、久之の建てたささやかな小屋に同衾して眠る二人ではあったが、思想の全く異なり、長い確執のあったらしいことを久之は巳槌の口から聞いた。それでも「僕らは仲良くなる。お前を支点に仲良くなる」と巳槌は約束した。だから、なるほど、致命的に互いを傷つけ合うようなことはしない。だが人付き合いの苦手な久之にとっては、二人には瑣末な喧嘩、ある種の交流であっても、心臓がどきどきと鳴ってしまうのである。

 困惑しきって、泣いてしまいそうな声を出した久之に、二人がびくんと身を停める。円駆が、巳槌が、一度視線を交える。

「……糞が」

 円駆が毒っぽく呟き、巳槌の身体から降りた。

 二人の身に付けている浴衣は、子供の着るものとしては妙に柄が渋い。元々は久之が自分で着ようと思って里で拵えてきた生地で作ったものだからで、つまり二人の神はお揃いの浴衣を纏っている。そして着乱れた浴衣の裾から艶かしく覗く太腿の付け根、僅かに白く垣間見えるのは、こちらも久之が手ずから切って作った六尺褌である。二人――主に巳槌――はしばしば、その褌を尋常ならざるやり方で汚してしまうので、これは何本在っても足りはしない。

「……もう、いい。次まで我慢してやる」

 円駆はぶっつりと言って胡坐をかく。帯を自分で結ぶことの出来ない彼の横で、巳槌は黙って浴衣を治す。表情の鮮やかに顔に現れる円駆と、ある一時を除けば全くと言っていいほどの無表情で過ごす巳槌は、そういうところも対照的だった。

「円駆」

 仕方なく、円駆の帯は久之が締めることになる。帯のみならず、褌も自分では締められない少年であって、円駆は外に出掛けて行ったと思ったら、……当然そういう機会も在る訳で、帰って来た際には六尺を腕に巻きつけている。

「いい加減に自分で締められるようになれば良い。甘えたいのならば素直に甘えれば良い」

「なんだと……」

「ああ、もう……、やめろよ、二人とも……」

 無表情な巳槌の放つ暴言に、また円駆は律儀に腹を立てる。巳槌は平然と「散歩に行って来る」と小屋を出て行った。円駆は忌々しげにその細い背中を睨み、「フン」と鼻を鳴らした。

 「仲良くする」と巳槌は言ったし、円駆も言った。二人の言葉は嘘ではなかったと思う。然るに、二人はこうして一日に何度も、久之をはらはらさせる。円駆の浴衣を整えてやった久之は、何だかぐったりと疲れて座り込み、溜め息を吐いた。

 もちろん、二人が進んで自分を疲れさせているのではないということは判っているつもりだ。

「……悪かったな」

 円駆は久之の横顔に向けて、へそを曲げたような声で、しかし素直にそう言う。

 円駆は大概素直ではない。元々が幾百年を生きる麒麟であるから、知能は人間の久之よりも遥かに高いはずで、そういう振る舞いをして得になることは何一つ無いと判っている一方で、どうしても巳槌の居る前では素直に物が言えなくなってしまう。

 円駆は、久之のことが好きだ、巳槌のことが好きだ。

 多能なる神であり、それだけの誇りを持っている以上、その感情は円駆にとって弱味となる。その弱味の部分さえ全て晒して握り込ませて「僕はお前が好きだぞ、お前が好きだからこんな風になるんだ」とはっきり言い切る巳槌のような強さは持ち得ない。円駆には円駆なりの――仮令「幼い」と巳槌に揶揄されようとも――意地が在る。

 例えば、二人きりになった、大好きな久之が側に居る、久之は恐らく甘えれば幾らだって甘えさせてくれるのだろう、しかし。

 しかし、だからと言って巳槌のように久之にべったりと引っ付くような真似は円駆には出来ないのだ。久之が其れを認めたとしても、自分の誇りが許さない。

 巳槌に対しても其れは同じことだった。あの口の悪い、傲慢で尊大な同輩に対して、円駆はなかなか素直に「好き」とは言えない。もしそう言えば笑われる気がする。普段の巳槌が決して笑うことはないと判っていても、そういう懸念を捨てきれない以上、円駆に其れを選ぶことは出来ないのだ。

 斯くも厄介な「意地」なるもの、然るにそれ以上に厄介なものを円駆は抱えて生きている。意地は彼が少年の身体をして生きている以上は備えていて当然の部品のようなものである。寧ろ彼は、側に居る男を意識するだけで落ち着きを無くす自分を持て余している。

「どうして、お前たちは、……そんなに、喧嘩ばかりするんだ」

 当惑声の久之は、別に見目が麗しい訳ではない。極端に気の弱いだけの、ただの人間だ。神である円駆が惑うべき相手ではない。

 しかし彼には悪意がない。全く善意のみで思考を形成している。自分に居場所を作ったという理由で巳槌を愛している久之だが、巳槌は単純に「人間」を求めていた。久之は無意識のうちに巳槌を救い、だからこそ巳槌に愛されているのである。其れをこの無邪気な男は、「俺は何もしていないのに巳槌に好かれている」などと思っている節がある。

 のみならず彼は、円駆が同居することさえも「俺のせいで迷惑を掛けている」などと思っているようだ。人間を山から追い出そうとちょっかいを出す円駆と久之を側に置こうとする巳槌の間には当然の小競り合いがあった。「お前たちが仲良くしてくれたらいいのに」という久之の言葉に応えてのみ、巳槌は円駆に和解を申し入れ、円駆も其れに応じて自分の側に居るのだと久之は思うのかもしれない。

 世界はお前にとってそんなに都合のいいものなのかと、却って腹が立つような気持ちになる。俺だって巳槌だって色々考えて今居るのだ。巳槌は寂しく死を待つ身から救い出した久之を喜ばせたいと其の身を如何様にだって使うのだし、円駆は巳槌が久之に、これまで見たことのない笑顔を向けるのを見て羨ましくも妬ましくも思い、同じものを求めたのだ。

「……あいつが……、人の酒を、勝手に呑むから……」

「うん……、それは良くない、よな。あとで、巳槌にはちゃんと言っておくから……。でも、乱暴するのはよくない、と、俺は思う」

 久之の言葉の途中から、貧相な小屋の屋根を雨粒が叩く音がし始めた。山の天気は変わりやすい。久之は案ずるように戸口を見た。巳槌が濡れて帰って来ることを思って、少し憂鬱になったのだ。もっともこの雨だって巳槌が降らせているものかもしれない。巳槌は泉の白蛇の化身であると共に、いまや久之から得た力によって天翔ける応龍でもある。麒麟の円駆がどれほど頑張ったところで傷一つ付けられぬ白銀の鱗に身を包み、山の空と天候を我が物に支配しているのだ。

 巳槌はこうして時折気散じに龍へと姿を転じ、思うままに雨を降らせ雷を鳴らした。もちろん、山の生き物の苦しまぬ範囲内で。

 腹の鳴るような音が屋根の上に響いたと思ってから何秒も待たぬうちに空に閃光が散らばり、間もなく轟音が響いた。

「いい……、もう。出来る限り、ああいうことはしないようにする」

 久之は「え?」と訊き返す。しかしその訊き返した声が、円駆には聞き取れない。「だから」雨漏りをする薄い屋根に、先日久之は塗炭を掛けた。そのせいで雨音は一層けたたましくなり、少年の声さえも妨げる。

「悪かったって、……悪かったって、言ってるんだ。お前を苦しめるつもりは……ああもう」

 円駆は立ち上がり、雨の吹き込む外へ向かって「うるせえぞ!」と怒鳴った。嘲笑うように風が吹いて、少年の浴衣も顔も雨に濡らす。少年の姿の時には互角乃至はやや優勢だが、天気と喧嘩したところで勝てるはずがないのだ。

「糞が……!」

 水を浴びて濡れてしまった浴衣を叩きつけるように脱ぎ捨てるが、久之の困惑顔を見て反省する。きちんと畳みなおして、そのすぐ側まで言って「もう、ああいうことはしないようにする。それでいいか」と訊いた。久之は頷いて、

「……でも、本当はお前たちの自由にすればいいんだよな。俺が余計なことを言うから、お前のことを、巳槌のことを、苦しめてしまう」

 とぼそぼそ言う。聴き取り辛いから、円駆は仕方なくその口に耳を近付ける。そして、……あまりに近い距離に居てしまったことに気付く。

 しかし、離れてしまえば互いの声は聴き取れなくなる。大声を張り上げるのは億劫だ。

 そしてそもそも、……側に居たいのだ、意地さえなければ、べったりとくっついて居たいのだ。そんな甘ったるい思いを人間に対して抱いてしまうような自分に辟易するが、そんなことを考える「意地」なるものもまた、円駆に鬱陶しく思わせる。

 いま、巳槌は空に居る。此処には居ない。見て居ない。

「……俺は……」

 円駆は久之の着物を握って、声を張り上げることなく言った。

「お前を、……困らせんのは嫌だ。お前が俺とあいつが居る空間で過ごして、楽に居られればいいって思う。だから、……お前のために努力することぐらい、俺にとっては何でもない」

 久之が顔を上げた。どこと言って特徴の無い、強いて言えば男としては頼りなげな顔。しかし毒は無く、覗き込めばどこまでも優しい。害意を向けたこともある、その牙を喉笛に突き立てようとしたことさえある円駆を、今こうして側に置き、人間に能う限りの優しさを捧げる男の顔だ。

 円駆はその顔が好きだった。壷を焼くしか能が無いと彼が自認する、その不器用な掌が好きだった。生まれたときから神なる身で、人間とは相容れぬ身と己を定義して過ごした円駆はいま、髪の匂いさえ嗅げる男のすぐ側に居るだけで心を持て余す。一度掌の中に握り込んでしまった着物を、放したくないと指に力が篭もる。

「……うん、……判った。お前たちを、信じてる」

 久之は頷いて、ぎこちない微笑を円駆に向けた。笑うことさえもあまり得意ではない彼が、自分の表情筋に強いてそうしたのだという事実を掌に載せて観察するよりも先に、円駆も笑って見せた。

「少なくとも俺は、お前の期待を裏切ったりはしない、……ようにはしてるんだぞ」

 ありがとう、と久之が言った。ようやく指を着物から剥がすことに成功して、しかし中途半端に屈めた背中が我ながら未練がましい。久之は胡坐をかいて、毛脛を覗かせている。毛脛と言ってもそう濃い毛の生えている脛ではない、全体的に細い体付きではあるが、山の上り下りに必要な体力の備わっていることは自明の輪郭を、彼はしていた。彼に腕力は、無いのではなくて使い方を知らないというだけのことか。

 空白が久之の膝の上に座って居るのだ。

 円駆は嫉妬する。巳槌が聴こえよがしに「久之の胡坐は座り心地が良いな」とでも言えば腹を立てて「俺も座らせろ」と言えるのだが、空白は空白だけに、言葉何一つ発することなくただ其処に居るばかりだ。

 円駆と久之の側には、いつでも巳槌が居る。巳槌は久之のためにならばどんな淫らなことだって平気でして見せるくらい久之のことが好きだから、久之を愛したい久之に愛されたいと思ったならば思いのままに積極的な行動に移る。

 同じように久之のことが好きな円駆ではあるが、巳槌の真似はどうしても出来ない。例えば巳槌は久之を誘惑するために自分から褌を外して彼の身体に跨るくらい平気でするが、其れは誇りのない者のすることだと円駆は思ってしまう。

 いや、判っている。巳槌も誇り高き神なる身だ。其れをかなぐり捨ててまで、いっそ無様なほどに久之を求めることが出来るからこそ、彼は凄いのだ。白状すれば、憧れても居る。巳槌は自分を誘うときにだって手段を選ばないが故に、円駆の誇りを消耗させることもない。巳槌は円駆が自分を好きだと知っていて、彼のためにある種の優しさを発揮する。

 同じようにしないのではなく、単に出来ない自分なのだ。僅かな誇りさえ濡れるのを惜しんで、この褌だって自分一人では外せないような。

 巳槌は居ない。空から雨を降らせている。頼るべきは己自身だ。

「……お……」

 久之が、僅かに戸惑った声を上げたのは雨の音の隙間に聴こえた。どうせならばもっと降らせればいい、雷を鳴らせばいい。

「俺は、お前が好きだから、お前の言う通りにする。お前が困らないように、お前が悦ばしいように、……そうなるように一つひとつ選んでしていく」

 そして自分の言葉までも深い水の中の声のように、久之に聴き取れなければいい。

 膝の軋むような感覚を得ながら、円駆は久之の胡坐の上に尻を落とした。久之は眼を丸くして円駆の顔を見る。あんま見んな、見る価値の在るような顔じゃないぞと眼を反らして、どうしても唇は尖る。元々美しすぎる見目をしている巳槌と較べて自分は美しくないと思っている。そもそもこんな風に甘えること自体、滑稽に過ぎはしないか。久之に哂われるのではないか。

「……どうした?」

 問われても、言葉など、答えなど、用意できる訳がない。何故そういうことを訊くのか。俺がどうして此処に座るかぐらい、手前で考えろ。しかし人間の心を容易く覗ける円駆は、久之に何の悪意もなくてただ、自分に掛けられた体重に戸惑っているに過ぎないことを知っている。

「うぶ……」

 両手で久之の顔を覆った。「……理由が無きゃいけないのかよ」小さな耳に届く自分の声が、情けなくって嫌だった。神なる身の生き物はいまや人間の膝の上に上手に収まろうと尻を落ち着ける、ごく弱い少年に過ぎない。其れも素直でなくて気が弱くて、そのくせあるがままありのままの自分を認められないような、極端に矮小な。

 但し、全ての記号を好転させる掌が救い上げる。

 円駆の掌を退かして、両手で包んで、久之がおずおずと見上げる。円駆と同じか、それ以上に気の弱い男の顔は、しかし毒気というものの欠片も無く、恐る恐る、笑って見せる。

「いいよ。……俺、も、その、お前を、理由無く膝に乗せて、みたく、なるときがあるから」

 巳槌は居ない。

 久之は遠慮がちに円駆の背に手を伸ばして、臆病な力のまま抱き締めた。ただ背に、手が触れているに等しい。ただ円駆がしっかりと久之に胸を重ねた以上、其処には円駆を動かすに妥当な理由と根拠と力感が在る。

 巳槌は居ない。

 しかし俺らがこうすることをあいつは知っているのだと、円駆は騒がしい心臓を諌めるように思った。或いはあの狡猾な蛇神或いは龍神は、三人して膚を重ねるようになって間もなく一つ季節が移ろうのに未だ円駆と久之が自分を抜きにして抱き合おうとはしないことに物足りなさを感じることも在るのかも知れない。既に成立していた久之との関係に、円駆を引きずり込んだのはもちろん巳槌だ。この上で久之と巳槌の間に行き交う感情が――今だって無いとは言わないが――鮮やかさを増さないならば意味が無いと、巳槌は思うのかも知れない。

 耳の先が熱くなった。久之の指が髪を潜り其処に触れたとき、自分がどれだけ緊張しているかを気取られてしまうような気がして、思わず円駆はぎゅっと眼を閉じる。

「勇気を、……お前に費やさせてしまう、ね。俺は……、俺に、勇気が無い分、余計にお前に、使わせてしまう」

 久之の掌が、そうっと、円駆の紅い髪を撫ぜる。紅いだけではない、稲妻の色の二房も在って、何れも意地の強さを表すようにあっちこっちに跳ねている。そして其処は、とても熱いのだ。

「……俺は、まだ、巳槌が、お前が、こんな風に俺の側に居るってことを、多分よく、判ってない。自分には過ぎた幸せだって思っているし、……正直、罪深いような気がしているし、どうしたらいいか判らない」

 そんなの、と口にし掛けて、停めた。巳槌は「お前の好きなようにすれば僕は幸せだ」と言う、しかし久之にはどうしても巳槌を「好きなように」など出来ない。「ならば僕が好きなようにするのを停めないことだ、お前はお前として幸せになることだけ考えて居るが良いよ」と、それはもう眼を覆わんばかりに積極的な行動に出る。そして幸せを掴んでは、久之は「こんなことで良いのだろうか」と思う。その腕に縋り付いて幸せな眠りに就いた巳槌を見て、……本当にこんなことで良いのだろうか? 俺は、この子のためにしてやれることが他に無いのだろうか。

「じっと、してろよ」

 円駆は言った。

 無いのだ。恐らく、人間が神なる身の二人を側に置いて、自ら彼らを幸せにしようとすると思うこと自体、無理の在る話なのだ。神二人は何の損もせず、ただ自分を愛しいと思う人間の居ることで幸せになれる。だから久之は、何もしなくて良い。何かをしたいと思ったなら、其れをすればいいし、する勇気がなければしなくてもいい。

 居るだけでいいのだ。

 円駆は無造作に伸びた久之の前髪を退かして唇を当てた。以前巳槌がそうしているのを見たことがある。唇を当てられただけで久之は頬を紅くしていたし、見ている自分だって喉の辺りがどきどきしたのを覚えている。

 俺がしたって、何も起こるまいよ。実際久之は微かに身を震わせただけで、まだその息遣いには余裕があるようだった。居た堪れなくなって俯いた円駆の前髪を退かして久之が唇を返すまで、円駆の味わった寂しさを贖うように、久之の唇は優しい。

「俺は」

「俺は……」

 一緒に、言葉が出た。譲り合った一瞬、久之が口を閉じてしまうから、円駆が喋らなくてはならない。

「……俺は、お前が、好きだから。お前が、……一緒に居てくれてっ……巳槌のことを幸せにしてるのを見るのが、好きだから、……だから、何もしないでいい、俺がお前に感謝して、……お前を幸せにすればそれでいいんだ」

 ああ、無様だ。頬が熱い、耳が熱い、全身が。

 その上に、

「うん……、ええと、俺、も……、お前が大好きだよ。その、……お前が、巳槌を幸せにする、……そのことが、すごく、俺は有難い、し、それだけじゃなくって、……お前が側に居てくれるっていう、それだけで、すごく、嬉しくって」

 久之はそういうことを言う。もう、血の中を微細な針が駆け巡っているように、全身がむずがゆい。

「それだけじゃ……、俺がお前の膝の上に座る理由が何もねぇだろうが……!」

「だから……、うん、……例えば、……その」

 再び背に腕が回される。先ほどより少しは、力強くなっただろうか。

「俺が、お前を抱いたら……、ええと、俺はお前のことが大好きだし、……大切に思うから、……そうしたいって思うから、抱いて……、それで、結果的にお前が幸せになれたら俺は嬉しいし、俺が、……嬉しいって思ったら、お前もひょっとしたら嬉しい、かもしれない。それで、……それでいい」

 言葉の使い方の下手な男の声は、心を読める円駆にも巳槌にも本来ならば聴く価値の無いようなもので在るはずだ。しかし円駆は巳槌が常日頃そうするように、久之のたどたどしい言葉に黙って耳を傾けて、一言ずつ注意深く拾い上げる。

 右往左往するくせに、この男は実際大して多くのことを言っているわけではないのだと気付く。

 円駆は真っ赤になって久之の着物の帯を引っ張った。解くどころか片結びにしてしまって、結局久之が器用に解く。

 幾百年を生きる神なる身も、人の形を成せば未だ十二三の少年と変わらない。大人の久之の身体を前にして、……この身体の前で裸になるのかと、気後れする。しかし種を撒いたのは円駆だし、巳槌はいつでも平気で裸になるではないか。

 自分の帯を解いて晒すときに、せめて自分が巳槌のように綺麗な見目をしていれば良いと詮無いことを願う。こういう時には久之の内心に自分へ向ける愛情を意識しても、「可愛くなんかねぇし」と唇を尖らせたくもなるのだ。

「……緊張して、いるなら、やめようか……?」

「う、るせぇ……、してねぇよっ」

 気遣われるのが一番腹立たしいかも知れない。

「じっとしてろっつったろ! お前は何もしなくていいから、ただ、横ンなってりゃいいんだ!」

「お」

 ぐいと久之を仰向けに押し倒し、無理矢理に唇を塞いだ。慌てていたものだから、眼を閉じることさえ忘れていた。あまりに間近い距離で視線が絡んでいることに、くらくらする。細身のくせに子供の体重くらい何とも思ってないらしい。髪に指が触れて、余裕のないのは自分ばかりのような気にさえなる。

「円駆……、円駆、ちょっと」

「うるせえっ、喋るな動くな抗うなっ」

 久之は、褌ではない、近代的な下着を穿いている。着物の下にそういう類の下着を穿いているのは妙な気もしないではないが、襲い掛かる側としては脱がせる労力は少なくて済む。恐らく巳槌も同じように思っているに違いない。

 褌には解く手間が生ずる。其れで居て、久之の、円駆の観ている前で巳槌は自ら解くのである。

「ちょっと、え、……待って、いきなり」

「待たねぇっ」

 まだ少しも硬くなっていないし、どちらかと言えば困惑しているようにも見える。構わず其れを口に含んだが、……まだ久之の中では混乱が生じているようで、其れはなかなか大きくならなかった。円駆の強引なやり方も久之を悦ばせるには至らない。焦燥と屈辱を帯びて、ただ奥深くまで咥えればいい訳ではないことを巳槌を見て知っているのに、ややもすれば乱暴に歯を立ててしまいかねない。

 久之が、「そんな、無理にしなくて、大丈夫だよ」と優しい声を降らせ掌を髪に置いた、そんな慰めが益々悔しい。

「どうして……っ」

 べそをかいてしまいそうになって、唇を噛む。久之は心底困ったように、「ごめん、……ごめん」と謝る。いや、久之は悪くない、俺が段取りを違えたのがいけないのだ。或いは、俺が巳槌のように可愛くないから? 一瞬でもそんなことを考える自分は、反吐が出るほど嫌いだった。久之は反応しなかったのではない、出来なかったのだと心を読めばすぐ判る。と言って、久之は不能者ではない。そうではなくて、

「下手糞。そんな乱暴なやり方で久之を快く出来るはずが無かろうが。僕のやり方を側で見ていたろう、もっと学ぶが良いよ」

 円駆の頭越しの視線の先、口元に物騒な笑みを浮かべた全身ずぶ濡れの巳槌が、銀髪から雫を滴らせながら立っていた。腕に巻きつけていた浴衣と六尺を畳に落として、「僕が出掛けている隙に、随分と面白い遊びをしているな」と彼は言った。

 無表情の巳槌が浮かべる笑みには、相応の理由が在った。喜怒哀楽の一切出ない普段の姿からは想像も付かないほど、性的な行為に及ぶ段になると巳槌はよく笑い、よく泣く。元々近付きがたいほど整って美しい見目を纏った少年は、その一つひとつの表情で久之を、円駆を惑わせるのである。

「それと、……久之、お前も大概失礼な男だな。僕の居ぬ間に円駆とそういう行為をする……、それはまあいい、円駆を連れ込んだのは僕だし、文句は言うまい。しかしな、せっかく二人きりになって、円駆の側から誘ってきたのに、どうして勃起してやらないのだ。円駆が泣きそうだろう」

「だっ、誰が……!」

「いや……、お前が其処に、居たから」

 いつからだ! と目の前の久之と背後の巳槌を見比べる。

「面白そうだったからな、黙って見ていたのだ。珍しくしおらしい姿を見せていたな。大層可愛かったぞ、どうせならばもっと素直に久之に甘えれば良かったのに、馬鹿な奴」

 屈辱に脳味噌が沸騰した。裸の巳槌は濡れた銀髪をかき上げて、いかにも理知的な額を晒し、喉の奥で笑いを潰す。日頃の何を感じ考えて居るのか全く計り知れない表情からすれば、……より以上に、思考を読むことが出来ない。非常に性質の悪い微笑である。

 ぐいと円駆の腕を掴んで立ち上がらせる。ひやりとするほど冷たい腕に抱き締められて、反射的に声を上げた。

「や、やめろ馬鹿ッ、触んなっ」

 巳槌は飄然と微笑んだまま、円駆の抗いを無視した。浴衣の帯を易々と解き、軽々とその身から剥ぎ取る。白い六尺の中央に、宿主の意思とは切り離されて激しく自己主張する部分が顕わとなる。

「見ろ。円駆は可愛いだろう?」

 巳槌は円駆の肩に口付けて、久之に言う。「だって、僕の大事な『ともだち』だ。僕とお前と、無限に近い時間を共に生きるこの山のはらから、……お前の目にこいつが愛らしく映らないはずがないよな?」

 久之は着物の前を掻き合わせて性器を隠す。紅い顔で、何と応えたらいいのか判らない様子で居る。

 しかし、……こういうとき、喋らない男はとても厄介だ。円駆の意識には久之の言葉の大群が押し寄せてくる。其れは耳を塞いで大声を上げたところで遮られることなく流れ込み、音として刻まれて行くのだ。そんなの嘘だ! 叫んだって、久之には届くまいし、円駆も否定しきることは出来ないのだ、……「巳槌の言うとおり」「円駆は」「可愛い」……。

 巳槌の濡れた手が前袋に回る。

「お前は此処が一番素直だな。久之のことが好きで好きで仕方が無い、久之に触れてもらいたくて仕方が無い場所だ」

 円駆より華奢な巳槌の腕は、それでも急所を差し押さえた段階で円駆を如何様にも支配することが出来る。巳槌はくすくす笑いながら、円駆が前袋の中で硬くした性器の先を指で辿る。「こんなに硬くしていたのか。久之、お前に触れて欲しくてうずうずしている」

「う、るせっ、うるせえっ、うるせえ馬鹿っ……」

「あまり失礼な口を叩くなよ。僕はお前のちんちんを握っているんだ、その気になればこんな細っこいもの握り潰すぐらい何でもないのだぞ」

 巳槌の脅迫は久之を自動的に動かす。「判った、判ったから」慌てて起き上がり、円駆の陰茎を掴む巳槌の手を剥がす。

「見んな、馬鹿っ、見んなよう……!」

「存分に見てやるが良いよ。お前の愛撫を求めて、……僕の指などでは満足できないと震えていた包茎を」

 巳槌が六尺の結び目を解いた。緩んだ白布が床に零れ落ち、円駆はみっともなく勃ち上がった性器を久之の眼前に晒すこととなる。巳槌が言うように、円駆の性器は何百年も生きて未だ先まで包皮に隠匿された幼い輪郭である。もっとも、それは巳槌とて同じことだったが。

「ほら、……久之」

 摘んで皮の先を開き、いかにも脆弱な亀頭を晒す。円駆は久之の髪をぎゅうと抑えて「やだっ、やだよっ、待って、お願いだから……!」か細く請うが、久之が巳槌に抗える訳もない。円駆の脳には再び久之の感情が一斉に流れ込んでくる。「……可愛い」可愛い訳あるか! 「ちょっと、……これは、その、アレの匂いか」うるさいうるさいうるさいっ。

「ひあ……!」

 優しい舌が絡み付き、保たなければいけないものを舐め溶かして行く。先端をそっと咥えた久之は円駆を傷つけぬように皮の中の、きっと少しは汚れているはずのところを慎重に舐める。それだけで、失禁しそうなほどに心地良いのに、「気持ちいいか……? 久之だけではないぞ、僕もお前のことを愛してやりたい。『僕ら』で気持ちよくなるが良いよ」摘んだ巳槌の指が動き出す。

「あ、あっ、やっ、やぁっ、ンッ、そんっ、なっ」

 左手の指先で陰嚢を玩びながら右手では陰茎の根元を擦る。人差し指の腹で内側の尿道を圧迫するように擦る。久之の舌には腺液の潮味が広がった。

「もう出そうか? 出そうなら、そう言え。僕はお前の此処を塞いで痛めつけるような意地悪はしないぞ」

 破裂する。膝ががくがくと震えて、しかし倒れることも許されない。久之は円駆と巳槌に魅入られたように、口を離そうとはしなかった。

「もぉっ……出るっ、出るっ、せーしっ、せぇし出るっ」

「何処から? 何処がどうなって? はっきり言わないと離してやらないぞ」

 くすくすと笑う巳槌の紅い舌が耳を辿る。もう円駆の性器は弾み始めていた。

「ちんちんっ、ちんちんからっ、せぇしっ、ちんちんいくっ……もぉっ、やぁっ死ぬっひんじゃっ、あぁうっ」

 言葉の途中で巳槌の指が離れた。

「ひぎゅっ、ぃいンっ、んっあ、あっ、ひ……ッン……!」

 自分の漏らした声ではない、決してそうではないと、否定することも今は思いつかないで円駆はだらしない声を上げていた。精液を口で受け止めた久之は熱に浮かされたような眼で、円駆を見上げ、巳槌は心底から愉しそうに円駆の膚を舐めていた。それからふと思い出したように、「久之」と恋人の名を呼ぶ。

「面白いものを見せてやる」

「え……?」

 巳槌が手を離すと、円駆はずるずると沈むように畳の上に尻を落とす。巳槌はその身体に覆い被さり、まだ震える陰茎の先に指を当てる。一瞬意識の遠退いていた円駆が「やだっ、やだやだやめろ馬鹿!」と悲鳴に近い声を上げて足をばたつかせるが、全身で圧迫する巳槌を怯ませることさえ出来なかった。

「うあぁっ……」

 巳槌の当てた指を弾くように、円駆の先端から黄金色の尿が噴き出した。それは噴水と呼ぶには頼りない勢いで、だらしなく溢れてそのまま円駆の陰茎と竦んだ袋を伝って零れる。巳槌は愉しげに笑いながら円駆の尿で指が濡れるのも厭わず、粘膜を指で刺激して、時折其処に口を付ける。「うん……、円駆、お前のおしっこは潮っぱくて美味いぞ……」美味い訳あるか変態淫乱大馬鹿と罵ったところで、一度出始めた尿は自分の意志で止めることは出来ない。円駆の全てを晒して大いに満足して巳槌が立ち上がっても円駆は起き上がることなど出来ず、ただ自分の作った汚水溜まりの上で仰向けに寝ているしか出来ない。

 理性的な久之ならば畳を汚すことに――勇気を振り絞って――多少の苦言を呈するに違いない。然るに、久之は口をぽかんと開けたまま、ぺたんと座って円駆を見ている。

「うん……、いい景色だぞ、円駆」

 片眼を瞑り両の親指と人差し指で画角を取って、巳槌は満足そうに頷いて、「さて」と久之に自分の勃起した陰茎を見せる。皮を剥いて、円駆同様敏感な其処を久之に見せて、久之が口を開けたまま其処を見たのを確かめて、にこりと微笑む。普段全くの無表情の少年が浮かべる、珍しいくらいに純粋な笑みは、意味するところが不吉であると知っていても、やはり久之の胸を打つほど愛らしい。そして仰向けになって顔を覆って「馬鹿、変態、漆にかぶれろ」と呟く円駆もまた、同様に愛らしい。

「いつまでめそめそしているんだお前は。……射精して小便漏らして終わらせるつもりか?」

 毒っぽい言葉に円駆が掌を開き眼を向ければ、巳槌は久之の膝に乗り繰返し繰返しその顔に口付けて居るところだった。久之は巳槌の悦ぶままに居させると思い決めている。そして実は、円駆の幸せなように居ようとも。二人が幸せで居るために、彼は必要なのだ。

「久之、好きだぞ。もう、僕はお前が愛し過ぎて困る。僕を困らせるなんて、お前はとてもけしからん男だ」

 などと、巳槌が並べる言葉に、「ごめん」と素直に謝る。

「謝るのではなくて、するべきことをしていればいい。……差し当たって今は僕らの愛情を其の身で素直に受け止めるが良いよ。円駆」

 膝から降りて、円駆を指で招く。円駆は真ッ赤になって、濡れた尻を気にしながら、それでも久之が嫌がらないから膝の上に座る。

「いい加減素直に言え。お前も久之が好きなのだろう。だから二人きりになって、いやらしいことをしたいと思ったのだろう」

 うるせえ、と小声で咎めて眼を上げる。これといって特徴のある顔をしている訳ではないはずなのに、正視していると眩いように思える。その眩さに引き出されるように、心の奥に隠しておきたいものが晒されていく。

 誇り高き神獣で在ったはずの自分が。焔を纏い大地を司る麒麟である俺が。今は無力な人間の膝の上に納まっている。しがみ付きたいと腕が騒ぎ、口付けをしたいと唇が疼く。岡惚れと言われれば其れで終わる。円駆が好きだったのは巳槌だった、しかし巳槌を誰より上手に笑わせる久之を見て、自分も同じように笑わせて欲しいと思ったのだ。何の道理も無く、恐らくは理由さえ無いままに、幼子のように喚いたのだ。

 手にしている。

「俺……も……、久、之、……お前が、……好きだ……。大好きだ……、お前が……大好きだ……」

 久之が、困ったように、ぎこちなく、微笑む。いま円駆は久之以上に言葉が上手に扱えない。久之はつかえながら「うん、……あの、俺も……、俺も好きだよ、円駆。お前が、すごく……、ええと、大好きだ、愛しい、巳槌と、おんなじくらいお前の、ことを、幸せにしてあげなきゃ……ね」

 心の弱い男の、しかし其れはどれ程の量の勇気だろうか。久之は円駆に唇を重ねた。臆病な舌同士を絡め合って、僅かに震えて、控えめに悦びを伝え合う。

 巳槌が納得したように頷いた。

「僕が見ていなくても其れぐらい出来るようになれ。僕はお前たちの保護者ではないのだぞ」

 言って、久之と円駆の髪をぐしゅぐしゅと撫ぜる。それからぐいと久之の肩を押して横たえると、足の間に跪き「円駆」と促す。何をしろと言うのかを悟って、円駆は顔を真ッ赤にするが、横たわった久之の顔を、緊張しながら跨いだ。

 お前の望みは何だと問われれば、一つしかない。久之を幸せにすることだ。そうすれば巳槌も幸せになれる。自分だけではない誰かと共に居るが故の、誰かを伴って手に入れる幸せ。駆動する幸福な機関の重要な一要素を担っているという自覚は、明らかな力を円駆に授けるようだ。

「僕も手伝ってやる。……いや、正直に言うべきだな、お前に独り占めさせるのはつまらない、僕だって久之のちんちんが好きだ。だから、一緒にしよう」

 円駆の頬に口付けながら、巳槌が言う。円駆はただ素直にこっくりと頷き、巳槌の掲げた性器を咥えた。自分や巳槌の物とは較べることすら馬鹿らしいような大人の男の性器に口を付ける前に、先端に浮かんだ露を見付けて、

「……いいのかよ」

 円駆は訊いた。

「構わん。お前に欲情して久之が漏らしたものだから、お前のものだ」

 巳槌は微笑んで答える。意地は悪いが、何処までも優しい声で。

 円駆は巳槌に甘える。一瞬そういう眼をしてしまっただろうか。巳槌が唇を重ねてきた。すぐに舌を差し入れてくる。冷んやりとした舌は巳槌特有の物だと知っていながら、それでも興奮し切っている自分を知らされるようで少し癪だ。それでも舌を話す気にはなれなかった。舌を絡めたまま、巳槌が徐々に顔の位置を下げ、円駆に先端を舐めさせるために一度顔を離す。猛々しい男の性器に滲む腺液を舌先で掬い取った円駆の顔に「お前は可愛いぞ。僕が欲情するほどに」と言葉をかけた。

 二つの舌が性器を這う。時折二つの舌の絡む音がする。油断すれば全てを委ねてしまいそうな快感の中で久之は顔を上げ、目の前に在る円駆の、六尺の日焼け跡がくっきりと付いた場所を見た。巳槌にしろ円駆にしろ身体は小さく、当然その孔は自分を受け入れるにはあまりに小さく、また罪深いように思える。しかし「するべきことをする」自分が何のために居るのかを考えれば、間違いなくこの二人を幸福にするために。

「ンぁ……っ」

 円駆が口から抜いた性器を、寒がらせないようにと巳槌が頬張る。違う角度から二つの舌が代わる代わるに愛撫する光景をいまは診ることが出来なくて良かったと久之は思う。一対の神は顔の類こそ違えど、愛らしい。巳槌は当然ながら、円駆も本人が思っているよりもずっと愛らしい。二つの顔が、舌が、自分の性器を分け合っている様など見せられて、その上に円駆に施せるかどうかは判らない。

「ひンっ……お、しりっンなかっ……久之ッ……」

「んん……? 気持ち良いなら素直にそう言うが良いよ」

「だってっ……ひたはいってるっ……!」

 ああ、と巳槌は笑う。「久之は不器用者のくせに手先と舌はとても器用だ。……あとで僕も存分に舐めてもらおう」そして今は、と再び陰茎を舌で舐め上がる。平然としているように見えて、巳槌がもう酔い痴れ切っているのは其処に伝う息の熱さと湿っぽさで久之にも伝わっている。

「ほら……、おまえもちゃんと久之のを愛してやれ」

 陰嚢を口に含みながら、巳槌が再び円駆の口元へ性器の矛先を向ける。油断すればただ感じきることにだけ溺れてしまいそうになるが、円駆は腹の底に力を入れて肘を突き、再び久之の亀頭を咥える。

 つるりとした亀頭から舌に上顎に届く体温、其処から伝えて脳まで響く脈動、男の性器を口にしている顔を、巳槌が間近に見て、微笑んでいる。

「ああ……、駄目だ。お前が可愛い」

 巳槌は陰茎への施しを諦めて起き上がる。既に皮の縁の濡れた幼茎を掴んで起き上がり、円駆の顔を見下ろしながら性器を扱き始めた。

「まったく……っ、円駆、お前は……、本当にけしからん。こんな可愛いところを、よくも長いこと僕に隠していたものだ……」

 包茎を扱きながら、巳槌はひくひくと笑う。円駆は口元に糸を引いて顔を上げ、目の前にある巳槌の性器に吸い付いた。右手はぬるつく久之の性器を扱き、肛門への愛撫も継続して受けながら、

「っンッ、馬鹿……っ、僕はっ、ぼくはいいっ、そんな、無理をっ……」

 巳槌の声が快楽に揺らいだ。うるせえ、黙ってろ、……黙って俺の舌で感じてりゃいいんだ! そんな言葉を発する気力はないし、其れは偽悪的に過ぎる。懐に呼び込むまで気付かずに居てくれた巳槌のお陰で、円駆はこの幸福に触れるのだ。ならば、……「大好きな」巳槌のために、やるべきことと言うよりは円駆が「したい」と願うことをする。

「ひ、あ、あっ、皮っ、剥いちゃ駄目っ、だっ、ばかっ、もぉ……っ、そんな、舐め、るッ、ンッひぁ……は、っア……、もっ、い、くっ、えんく……ッ、いくぅ……!」

 あれほど深々と握り込んでいたように見えた主導権をあっさりと委譲して巳槌は円駆の口の中へ射精した。

「あ……あ……」

 泣きそうな眼をして、再び久之への愛撫へと戻る円駆を見下ろす。人ならぬ心と身体をして、満ちて溢れる愛しさが巳槌の胸をぐずぐずに濡らす。身体を包む快感の余韻は未だ去らないが、居ても立っても居られない気になって、眼に涙を浮かべた巳槌はただの純粋な少年となって、「円駆、欲しい」と呟く。

「え……?」

「僕は、お前のちんちんが欲しい。……我儘を言っているのは判っている、だけどっ……」

 傲慢で不遜で実際それだけの態度を取っても許されるし反駁は吐き出す霧と作り出す落雷豪雨で塞げるだけの力を持っている応龍は、裸になって二人の「恋人」を前にして、本当に素直になればこんなにも小さなただの子供だ。

 円駆の尻を、とん、と久之が叩いた。久之の思いを汲み取って、円駆は戸惑いながらも起き上がる。既に器用な久之の指を、円駆ほど上手にではなくても受け入れた後だ。

「巳槌……、足、広げて……」

 久之が珍しく、自分から声を発した。

「……その……、一緒に、出来るだろう、順番に……。円駆も、俺も、……三人がいい。そのほうが……、お前も一緒に嬉しい方が、俺も、俺たちも嬉しい」

 心を読めない久之が、円駆の言葉を代わりに並べる。「……出来るな?」久之に問われてこっくりと頷いた円駆は、仰向けに寝かせた巳槌の細い太腿を大きく広げ、中央で密やかに震える場所に舌先を当てる。

「んぅ……!」

 日頃久之を受け容れ慣れているとは思えないくらい、反応は鋭い。自分で自分の太腿を抱え淫らな姿を晒しながらも――そして事実、淫らな少年であったとしても――銀色の髪をした巳槌はどこか清純な少年に見える。円駆と二人並べたとして、堅実な考え方をするのは円駆の方だし、貞操観念に於いても円駆の方がずっと固い。然るに、こんな美しい見目に銀の髪を備えた巳槌の方が、聖神然と見えるのかもしれない。

 そんな円駆の思いを打ち消すように、巳槌は淫らな声を漏らしながら、「円駆……」と自分の指で肛門を広げて言う。「入れて、お前の指。僕の、中、……でもって、早く、お前のちんちんで、ぐちゃぐちゃにして欲しい」潤んだ目で。久之は円駆を勇気付けるように髪を撫ぜた。

 久之は「僕らは『仲良し』だぞ」という言葉を、しばしば努力の放棄によって反故にして見せる巳槌と円駆に、時折どうしようもない不安に駆られる。彼らがその言葉を根拠に此処に居るのは、ただ自分という人間を此処に居させるためだ。他の何処でも生きて行く力の無い自分が、二人にとってどれだけの負担になっているのだろうと考えれば、胸が捩れる。

 しかし、「ああ……、俺らは……『仲良し』だ」という言葉を、何の考えも無くこうして実現してみせる巳槌と円駆を見ていると、久之の心は何とも満ち足りるのだ。仲良きことは美しき哉。もちろん、こんな形でなくたって良い、もっと穏やかで在るべきだろうとは思う。しかし二人が互いを強く強く強く求め合っているところを見るのは久之にとって喜びだった。二人を繋ぐ部品として在ることの出来る自分を意識したとき、命は煌き行く先を照らし出す。

 そして二人の神は久之にそんな遠慮がちな考えを許しはしないのだ。巳槌の身体はすっかり円駆の指を受け入れ、その指を抜き取られると其処は肉色の洞を覗かせる。朦朧としたような力に蠢きながら、更なる快感を求めているのだ。そして円駆は、ぐいと自分の尻を広げて、「久之」普段の強い眼ではない。覚束ないような、……縋るような眼で、円駆が振り返る。

「うん、……わかった」

「一回だけじゃない、からな。俺と、一回したら……、ちゃんと、巳槌にも入れるんだからな、約束だぞ」

 意地を張って、そんなことを言う。独り占めしたいものも、二人で分け合えばもっと美味しいということを知ったばかりの子供のようだと久之は思い、少し、微笑んだ。

「判った。……俺の……、身体がもつ限り、頑張るよ」

 そしてこの少年は巳槌が欲しくて仕方がなくなって居るのだろう。相性はきっと三人とも良いのだから、似ていないもの同士、十分に素晴らしい。

 円駆の陰茎に指を添えて、圧迫を待ち侘びる巳槌の入口に当てる。

「うあ……、ちんちん……円駆の……熱い……っ」

 円駆は声もない。元々過敏な亀頭に、最大級の快感を受けるのだからそれも無理からぬことだ。「……入れるよ……?」その上、後ろからはずっとずっと欲しくて仕方の無かった久之の肉の熱を受け入れて、辛うじて固形を保っていた脳の芯が蕩ける。

「あ……ああ……あ……あ……!」

 一番苦しくて、だから一番幸せな位置に円駆は居た。無我夢中で巳槌を抱き締め、貪るように口付けをしながら、緩い速度で腰を動かす久之に導かれるように腰を振る。巳槌も声を漏らしながら、久之の挿入によって普段以上に熱い円駆に酔い痴れるし、久之も息の止まるような快楽に、どうにか自分を保っているばかりだ。

「円駆……久之っ……、好きだ、好きだぞ、僕はっ……ンッ、ぼく、はっ、お前ら、がっ、……」

 大好きだぞ。巳槌の言葉がこんな覚束ない自分たちを定義する音を久之は聴いた。ぎこちなくとも確かに強固に繫がり合う身体は形よりも明瞭な理由を纏っている。

 逆に言えばそれ以外に何の理由も要らない。

 円駆の身体は足の爪先から髪の跳ねた頭のてっぺんまで快楽で満ちた。久之に支えられながら腰を振るたび、前から後ろから快感が襲ってくる。神として幾百年生きた末に彼の手にした人間の悦びは、これから先の何百年をもまた幸福な物とする。

「う、ぅああっ、もぉ、出るっ……巳槌っ、出るッ……」

 ぎゅうと巳槌の腕が絡み付き、巳槌ごと久之が抱き締める。下肢は痺れていて、円駆はほとんどその腕の温かさだけで射精するのだ。 

 窮屈だけど、もっともっと狭くてもいい。

 

 

 

 

 此処に在り此処にしか無い物を此処の空気も吸ったことの無い者が四の五の言えるはずも無く、此処はいわゆる神なる身の領域、つまりは聖域。三人は繋がったまま果てて、もう一度繋がって、そしてまた果てる。応龍の降らせた清水の溜まった大鍋の底に、円駆が焔を点け、久之は顔を紅くしながら火加減を見る。

 二人の少年は六尺を外したままで、代わる代わる鍋の中に手を入れて湯加減を確かめている。「そろそろいいんじゃないのか」と円駆が言えば「こんな微温湯に浸かれるか」と巳槌が言う。焔を纏い焔を自在に操る麒麟の円駆と、冷たい泉に住まい天候を司る巳槌と、言うことがまるで逆であることを密やかに愉快に思いながら、久之は汗ばんだ額を拭い立ち上がって手を浸した。

「これぐらい、でいいだろ。……入ろう」

 久之がそう言えば、二人は何も抗いの言葉はなく、それぞれ久之に抱き上げられて湯の中に浸かる。それぞれ好みは在るのだろうが、適温の湯の中では文句の一つも出ない。久之が其処に浸かると、盛大に湯が零れて薪の火が消える。この季節ならばこれで半時間はのんびりと浸かることが出来るのだ。

 傾き始めた太陽は既に山の端に光の欠片を散らすばかりで、見下ろす里からは夕餉の煙が上がっている。日に二本しかないバスが僅かばかりの客を乗せてうねる道を這うように上がっていく。そして古ぼけたスピーカーが鳴らす夕焼小焼が物悲しく幾度も幾度も山肌にぶつかって、いつまでも三人の耳へとこだまする。

「晩飯は何にする?」

 顎まで浸かって片眼を開けた巳槌が問う。

「そう……、ご飯を炊いて……」

「それは当然だ」

「……うん、あとは……、漬け物がある、昼間、円駆が獲って来てくれた魚もあるし、それで十分だろ」

 円駆は何も言わない。久之が見れば、肩を出した彼は口をぽかんと開けて、その口から僅かな呼吸音だけ立てて眠りに落ちている。

「……何と無防備な寝顔だろうな」

 言って、彼の伸ばした足をぐいと巳槌が引っ張った。鼻に水が入った何しやがるこの野郎と当然円駆は怒り、巳槌は無様な顔を晒しているからだと応じ、久之はまたひとしきり二人の仲裁に手間を割くこととなる。しかしこんな時間、悠久の中をこの山の中で生きる神なる身ふたつと、其処に寄り添うて生きることを定めた人間の「日常」と呼ぶには暢気で、そして豪勢な愉楽。


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