リイニシアライズドミストドラゴン

生来の不器用さから深山に小屋を建て孤独な生活を送る青年・久之と
彼を「好きだ」と言う淫らな蛇神の巳槌
山の神々は彼らを拒み、焔を纏う麒麟の円駆は執拗に攻撃を加える
神なる身としての力を喪失していた巳槌は久之と共に在り続けることを願い
天翔ける応龍の力を手に久之を護りきることに成功する



リニシアライズドミストドラゴンインテグレイトコラボレイション

巳槌と対立していた円駆
口の悪く醜い蛇の神である巳槌を唯一気に掛けていたのもまた彼だ
巳槌が応龍と化し権勢の衰えた円駆に対して
円駆がするように巳槌もまた温かい気持ちを寄せる
久之という人間を支点に再び絆を結び合う巳槌と円駆
円駆もまた久之の小屋で暮らし始めることとなる
いつも騒がしく喧嘩をしながら


 

 巳槌は笑わない。

 彼はその髪の色同様、久之の小屋に居るあいだ全く表情というものを浮かべない。五尺ほどの身の丈に肌は純白―今は太陽に愛されて色よく焦げているが―緩い波を帯びた銀髪で眉を耳を隠した華奢な男児の姿を、巳槌はしていた。彼は日長一日、同じく無為に時を刻み続ける久之の側で過ごしている。

 「出て行け」と言うことを、久之はしない、出来ない。彼は極めて口が下手であったし、巳槌がどういう存在であるのかということにはある程度察しが付いている。彼が孤居する庵は人の立ち入らぬ深山の中腹にへばりつくようにして在る。斯様な物好きに、そして不器用者に、真ッ当な里の人間が寄り付こう筈もないのだ。

 そもそも巳槌が人ではないことは、初めて目の前に現れたときから判って居るのである。この少年は、踏み付けにされたら死んでしまうような脆弱な白い小蛇の姿で忽然と現れ、蛇の牙口から人の言葉を発し、呆気に取られている久之の目前で其れが何ら驚くべきことではないとでも言うように悠然と、いま目の前に居る如き少年の姿へと変じたのである。

 巳槌は言った、「僕はお前が好きだぞ」と。

「お前はいつも不景気な面をしているな、見るに堪えない。僕が幸せにしてやるから、時には思う存分笑って見せるがいいよ」

 右のような言葉を、巳槌は全く笑わずに言ったのである。

 

 久之はほとんど何も出来ない男だった。それなのに彼は絵を描き、壷を焼く。

 歳は、二十の半ばを少し過ぎた辺り、人と交わることを元来極度に恐れ、逃げ隠れるために分け入った山の奥で蛇神と出会ったことは、彼にとっては厄介この上ない事態であると言えた。孤独の中に在ってようやく久之は人間として人心地付くのである、人と人との間に居るときの久之は、ほとんど芋虫になったような心持で全く落ち着かない。それでも生きるためには幽かな人との繋がりもない訳には行かず、この庵の側に手ずから作った窯に火を入れ壷を焼き、里に降りては売り、その用がないときには何時間でも庵の中で本を読んだり絵を描いたりして過ごすのである。

 久之は自分の生活に不足を感じたことは一度も無かった。里で人々から疎まれながら生きるよりは此方の方が余ッ程幸せだとさえ思っている。

 其処に巳槌がやって来た。独居はもう叶わない。久之がどれほど困惑したって巳槌は「僕はお前が好きだ、だから側に居る」と無表情で言い放ち、出て行く素振りさえ見せない。

 初めて人間に変身したとき、巳槌は全裸だった。以降、裸を晒すことを何とも思わないように平気で庵の中で横たわり、時折くしゃみなどしたりするので、久之は仕方なく浴衣と褌を拵えて巳槌に纏わせた。彼はそういう類の衣を纏った経験があるのか、自分ひとりで上手に六尺も帯も締め、「気に入ったぞ、僕は益々お前が好きになった」と満足げに言った。

 「好き」と巳槌が何度も繰り返す言葉の意味が、久之には全く判らない。意味が判らないのだから、意図も判るはずも無くて、その上巳槌は常に無表情だから、何もかも捉えどころがない。

「僕がお前を好きだと、何かお前にとって迷惑なことでもあるのか?」

 巳槌にそう訊かれても、元々言葉の下手な久之は答えに窮する。……言葉を扱えないのではない、何か間違った事を言って、予期せぬ傷を何処かで生じさせるのが怖いのである。巳槌はじっと久之の両眼を見詰めて、「……読めないな」と溜め息混じりに呟いた。

「僕は、元々人の心など容易く読めるぐらいの力を持っていた。けれど、長い年月を経てその力が衰えてしまった、……いつか僕がそういう力を取り戻すことが出来たら」

 しかし巳槌の口調には微かに諦めが漂っているようだった。

 久之は小屋の外を描いている。文字通り猫の額ほどの菜園で育ったひょろひょろとしたトマトが、小さな実を結びつつあるのだ。こんな生活をしていると、喜びなど、自然の風物が時折見せる生命の息吹の片鱗ぐらいしかない。それでも、久之が紙に描くと其れはちっともかけがえのないものには見えなくなってしまうのが常だった。

 下手だ、と思いながらも筆を止めないで居た久之の背中に、巳槌が言う。

「僕はついこの間まで、この姿になる術さえ忘れていたんだ。ずっと、あの脆弱な蛇の姿で、水の中を浮かんだり沈んだりしていた。あのまま死んでしまっていたとしても不思議はなかった」

 ぺたぺたと、蛇のくせに端正な細い足が隣まで寄って、胡坐をかいた。

「僕はお前を好きになったから、こうして人の身体になれたんだ。つまり、僕の、この人の形をした身体はお前の物だ。お前の好きに使っていいものだぞ」

 久之は身体を「物」と言いたくはない。それに、痩せた男児の身体をどうやって使えと言うのか。久之には全く判らないのである。

「俺は……」

 どのみち、言葉は滲むようにしか出て来ない。だが巳槌はいつも、久之のじれったい言葉を膿むことなく待つのだ。その点だけは、安心できる。

「……一人で、いいんだ……、その……、だって、俺と……」

 居たって誰も愉しくなんかないだろう、迷惑を掛けるばかりだ。

 そう、長い時間をかけて言葉を紡ごうとした気持ちは、しゅんと音を立てて消えてしまった。久之の視線の先、巳槌が唇をへの字に曲げて、ぴくぴくと震わせている。久之の見る、巳槌の初めての「表情」だ。

「そんなことを……、言うな」

 大きな双眸からは、比例するように大きな粒の涙がぼろぼろと零れ出した。「僕は、お前の側に、居たい。その為に、まだ生きているんだ、こうやって」

 巳槌の言葉の意味は全く判らなかった。ただ確かなのは、氷のように美しかった巳槌の相貌がくしゃくしゃに歪んで涙を零すのを見せられて、人慣れしていなければ子供も苦手な久之の胸中は呆気なくかき乱されるのである。

 この期に及んでも、久之には言葉一つ出てこないのだ。泣き止んで欲しい、泣かれるのは困る、……そう思っても「ではどうすればいいのか」が判らない。何だかつられて、此方まで泣きそうになってしまう。

 そして久之は後悔する、己が心を呪わしくさえ思う。どうして俺はこんな風に、誰かを傷つけてしまうことばかり無意識に出来てしまうのか。こんな自分では生きている価値があるのか、誰かに愛されることなど、夢のまた夢、望みもしない。

 だって、「好き」と、巳槌が言ってくれる理由も判りはしないのだ。恐らくは神なる身を側に置くために、妥当な理由の何一つ、自分が備えているとは思えないのだ。

「ごめんよ……、巳槌、ごめんなさい……」

 ただおろおろと、久之は謝る。

「悪いと、思っているなら」

 しゃくりあげながら、巳槌は言う。どれくらい永い刻を生きてきたのか久之には想像も付かないが、泣き方ばかりは身体の形と同じく幼い子供の其れである。「僕を、……僕の事を、ぎゅって、抱き締めてみろ」

「……え?」

「僕は、お前に抱かれたい……、そうされたいから、いま、生きている」

 喋ることだって覚束ない久之である、反応は鈍く、しかし其れをしてやらなければ巳槌は涙が枯れるまで泣き続けるのではないかという懸念が在った。……何せ巳槌は蛇だ、水が無くなったら死んでしまうだろう。

 恐る恐る、久之は巳槌の背中に手を当て、緊張しながら抱き寄せる。

 人のかたちをした身体は、案外に硬いのだ、其れで居て、柔らかな体温を纏っていた。巳槌は勢い良く久之の胸にむしゃぶりつくなり、犬猫の類がそうするように顔をごしごしと擦り付ける。涙を拭いているのかも知れないと思ったが、仰天したまま久之は、ぎこちなく巳槌の背中に手を置いたまま、これで泣き止んでくれるならきっといいのだ、……相手は、神なる身なのだから、自分に言い聞かせている。

「久之」

 額を胸に当てたまま、巳槌が呻く。「僕は、わがままか」

「……わがまま……、わからない」

「お前に、もっと抱かれたいし、お前を幸せにしてやりたい、……そういう風に思う僕は、わがままか」

 久之には答えようがなかった。自分のような不器用者が神の身から幸福を齎されることなど、在ってはならないような気がした。

「久之」

 巳槌が顔を上げた。

 もう、泣いては居ないことに、久之は安堵すると同時に驚いた。無色透明の表情を貫いていた巳槌が、泣いた次には、微笑んで居るのだ。

 冷たいばかりだった印象ががらりと変わる。擦りつけた鼻は少しく赤らんで居るが、その笑みは神々しいまでに美しい。巳槌という少年の相貌を形成する要素は、恐らく微笑みの瞬間のために配されたものだったのだと久之は思い知る、……長い睫毛の先が、そのまま喉に刺さるような心持に久之はなった。

「何度も言う、何度だって言う、僕はお前が大好きだ、愛していると言ってもいい、……だから僕は、お前の幸福のためにこの身体を全て使いたいんだ、……悪いようにはしないよ、必ず僕は、お前を幸せにしてみせる、……そして僕はいつかきっと、お前を背中に乗せて空を飛び回る……、ずっとずっと、お前を幸せにし続ける……、約束する。お前はだから、時には暢気に過ごすが良いよ」

 巳槌の、ほんのりと温かい掌が頬に当たった。久之は当惑顔のまま、自分の視界を塞ぐ巳槌の眼を眺め、見詰め、吸い込まれるような感覚に陥った。青味がかった銀色の瞳をしていた、その奥には僅かに朱や翠も混じるようである。其れは水の流れが折々の風物の色を全て身体に纏って在るよのと同じだと久之は思って、……不意に、その瞼が閉じられた。

「み」

 唇と唇は重なっている、巳槌の舌先が口の中へ這入り込んで来た。華奢な身体を跳ね除けることは、久之には出来なかった。巳槌に着物の帯を解かれ、下着の中から竦み上がった陰茎を掌で包まれたとき、ようやく久之は不平めいた声を口から漏らしたが、……結局は其れだけだ。

 不器用者の久之は、歯車を止めることさえ恐れるのである。

 

 山の端に夕陽が隠れ、小屋は急に暗くなった。巳槌は無表情で久之を見詰めている。視線の先で久之は頭を抱え、先程から小一時間、言葉も発さないで居る。彼は恐れていた。自分の犯した罪を贖う方法はどれほど頭を捻っても搾り出せないのだ。巳槌は既に自分で六尺を締め直した後だが、浴衣は肩に掛けただけ、久之はもう少しだらしのない格好で居た。

「僕がしたいからしたんだ、お前はただ、素直な解釈をするがいいよ。……僕が側に居ればお前を悦ばせてやれる、僕の身体にはほとんどもう何の力も残っていないが、その為にこの身体を使うことぐらい、何でもないのだからな」

 久之は答えない。彼はあの美しい巳槌の微笑を、二度と見たくないとさえ思うのである。

 然るに、巳槌はこれから何度だって笑って見せるつもりだった。見せたいのではなく、見たいのだ、この不器用な、自分を無価値と信じているような男が、いつか自分の微笑みにつられたように、ぎこちなくとも微笑みを向けてくれる日を、……同じように無力な身体で、巳槌は待つと決めていた。

 


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