嘘でも

「ザックス」

クラウドの寝顔をじいっと見つめていたところ、背後からヴィンセントの声がした。

その微かに開かれた唇にキスをしようかどうしようか考えていたところだったから、正直ビックリした。

「なんだ?」

それでも平静を装うあたり、昔の癖が抜けきれていないなと思った。

「これらの本はどうする?」

「本?」

「もう不要なモノだろう」

ヴィンセントが大雑把に指で示したのは、昨日の夜まで捲り捲くっていた学術書の山だ。

生物学に始まり、あらゆるジェノバ絡みの書物を集めて、お蔭様で脳裡に活字がいっぱい浮かんで来る。何か、この数ヶ月で急に頭がよくなったような気がするのは、多分事実で気の所為じゃないだろう。

「ああ、そうか」

クラウドを今のまま守り育てて行くのであれば、もうその正体がどんなモノであれ、あるいはクラウドがどんな性質を持つモノであれ、俺たちには関係無い。俺たちにとって猫だろうが人だろうがクラウドは「クラウド」で、その存在だけが重要。

「捨てればいいじゃないか」

山の中から一冊取り出す。

「そう簡単に行くか。何冊あると思ってるんだ、こんなに……」

「……千五百くらいあるか……?」

「それで足りれば良いが……。ここと玄関を何往復したら全て片付けられるか解らん。

しかもご丁寧に、全て分厚く立派な体裁の本だからな、かさばるし重たい」

「……」

一度に運べる冊数は十が限度だろう。百五十往復、二人で分けても七十五往復だ。……それがまた、非現実的な数字なら「馬鹿馬鹿しい止めよう」で済むのだが、中途半端に出来そうな数だから諦めに努力が必要になってしまう。

「……よし、こうしよう」

俺はふぅと一回溜め息を吐いて提案した。

「俺が五百冊、あんたが千冊」

「私の方が多いではないか」

うん。……いや、そりゃそうだ。なんて普通のリアクションをしてくれるんだろう。

「だから、あんたはほら、カオスか何かに変身して、一度に二十冊くらいずつ。俺は地道に十冊ずつ運べばいいだろう?」

「……ならお前だって形式上はソルジャーなのだから三十冊くらい根性で運べるだろう」

確かに、形式上はソルジャーだ。形式などというと、自分が機関車か車になってしまったようだが、ポンコツであることは間違ってはいない。

「俺に三十冊運ばせるんなら、あんた五十冊ずつくらいは持たないと割り合わないぞ」

「……なら、私が百冊運んだらお前は八十冊運ぶのか?」

段々話しが非現実的になってきたので、この当たりで打ち切るとしよう。

「……じゃあ、十冊ずつで」

「異議無し」

 

 

 

 

思い立ったが吉日、吉日の気温は二十八度。

蒸し暑い中俺たちは本を抱えてあの螺旋階段を何往復もする羽目になった。

「……これで……二百冊だな」

それでも片方は怪物入り、もう片方はポンコツソルジャーだから、作業は思ったよりサクサクと進む。本の角に手の甲をぶつけたり、両手が塞がっているときにインかヤン(……どっちがどっちだっけ……もう忘れた)の湿っぽい手で撫で回されたりするのは、まあ我慢しよう。

「……千五百冊以上ありそうだな」

二百冊も運んだ割にちっとも減らない本に俺はくたびれた視線をヴィンセントに投げた。

「……ああ。あるいはその倍くらいはあるかもしれんな」

「図書館が一件出来るぞ」

「学術書ばかりじゃ誰も来ないさ」

ごもっとも。

「なぁ……とりあえず、少し休まないか? そろそろ三時だし、小腹が空いた。クラウドもそろそろ起きるだろうし。っていうか、続きは明日でよくないか?」

額に浮かんだ汗を拭う。

「……そうだな、明日で……構わないか」

ヴィンセントはやれやれと汗ばんだTシャツを脱ぎ、半裸になって椅子に座った。

「俺アイスコーヒー飲むけどあんたは?」

「貰おう。……インスタントなら……」

「濃くしてくれると有り難い、だろう?」

「……ああ」

メテオが落ちた後、俺はティファと結婚して、ところがそれが全然保たなくって。ヴィンセントに拾われる形で、それ以降五年間一緒に暮した。

その間にもう、ヴィンセントの好みは八割以上把握している。あれで意外と甘いものが好きだということ、けれどコーヒーは濃くしないといけない、服は極普通の活動しやすいモノの方が好みで、意外と肉もちゃんと食う。

そんな風に俺がアイツのコトを理解しているのは、多分同じように、あるいは俺以上にアイツが俺のことを知っているからだと思う。

片方が裸になってくれたら、もう片方もならざるをえないという事。

「ありがとう」

氷がゴロゴロ入って、すでにグラスは汗をかいている。俺はシロップを入れないと、ホットでも飲めない。

きっと化け物が強力なカフェインでさえも、身体に対する害を無くしてしまうのだ。

「……私の顔になにか付いているか?」

「いや、別に」

俺はほろ苦いコーヒーを一口飲んだ。

「……何か一緒に食えるようなモノはないのか?」

三口目のコーヒーを飲むかと思いきや、ヴィンセントはふと思い付いたように言いだした。

「戸棚にクッキーが残ってたと思ったけど」

言いながら俺は立ち上がり、戸棚を開けて中から缶を取り出す。

食卓まで持ってきて、ぱかっと蓋を開けて見ると、中は空っぽだった。

「……爪痕がついているな……クラウドか」

「アイツ……」

意外と悪知恵もついているらしい。どうやらいろんな意味で順調に成長しているようだ。まぁ、その方が安心だが。

「欲しいなら欲しいって言えばいいのに」

ヴィンセントは苦笑して言った。

「お前だって、私の取っておいたチョコレートを全部食べ尽くしたことがあっただろう」

……いつの話しだ。

「食べてないと強情に言い張って……ところが暫くして鼻血を吹いた。……子供だな、クラウドと変わらん」

「……何でそういう事を憶えてるんだ」

ぶすっとむくれると、ヴィンセントは嬉しそうに。

「楽しいからだ。お前と一緒にいると、楽しい。からかい甲斐がある。お前の言葉を忘れるなど出来るものか」

「それって、俺が大昔あんたに言った言葉だろ」

「あの頃のお前の気持ちが分かった。なるほどな、男の子は好きな子の事を苛めたくなる」

「…………」

六十六歳のおじいちゃんの言うことじゃない、しかも俺の言葉の引用だということで、余計ぎくしゃくする。

ヴィンセントは俺の顔を見て、満足そうに笑った。

「……だからか」

「うん?」

「あんたが、特に最近そうだけど、ちゃんと笑うようになったのは」

俺のその言葉に、ヴィンセントは試すような視線で言い返す。

「生憎だったな。私は根暗でもないし、そこまでマイナス思考の持ち主でもない。今も罪は終わっていないし、未だ悪夢は続いているが、それも一つ一つこなしていく術を見つけた。……それとも、いつも青白い顔で暗いことを言っている私の方が好みか?」

「いや、そういう訳じゃないけどな。何となく」

「お前が居るからだよ」

コーヒーの次の一口を含んだ直後にそういう事を言うもんだから、思わず吹き出した。

「……誰が掃除すると思っているんだ」

顔を赤らめながら布巾を取りに行く。

その後ろにヴィンセントの、明らかに楽しんでいるとしか思えない声が。

「愛しているよ、『クラウド』」

「……!」

布巾を持って戻ってきた俺に、イキナリ抱き付いてキスして来た。

抗う暇などあったものか、俺はあっという間に壁際、ヴィンセントの紅い瞳に捕らえられ、耳の奥の方に魔法をかけられた。

「……よせ、よ、……まだ、昼なのに」

「……安心しろ、最後までしたりはしないから」

「そういう問題じゃ……っ」

再び重なった唇、舌を拒むように食いしばった歯列を楽しそうに舐め、舌をそのまま俺の唇へ移す。

面白いように翻弄され、そこから広がる疼きが俺の緊張を麻痺させて、口を弛緩させた。

「……ぁ……ッ、は……あ……」

コーヒーの味がする。やばい……。

しかし、その攻撃はふと止んだ。

「今、アイシテル、と言ったな」

「……あぁ……?」

「訂正するよ」

ヴィンセントは何かを企む子供のような笑顔で言うと、俺を壁際から解放した。

「お前のことはアイシテいない。私が愛しているのは、多分、あの猫だろう」

視線の先にすぅすぅと寝息を立てて、時折ぴくっと身体が震える猫。俺は事態が飲み込めないのと、快感に翻弄されているので、思考が働かない。

「……お前は、ザックスだものな」

苦笑した。

「私は、お前の四番目で良い」

「ヴィン……?」

「今でも、ザックスが好きなのだろう、お前は」

侮るように笑うと、反応出来ない俺の頬を楽しげに撫でる。

何かこういう仕種をさせたら、コイツの右に出る奴はいないような気がする。

ナルシスが板に付いているというか、いや、純粋にカッコイイのかも知れない、俺もどっちかといったらその意見を採用したい。

俺が何も言い返せないでいると、彼はあのタテマエ上の「好青年」の笑顔で。

「入り込めない隙間を探すのはもう飽きた。どうせ一度は無くなった心と身体なのだ、だから遠回りせずに……お前の四番目でも狙ってみるとするよ」

「…………」

「そしてお前も私の一番など狙わぬことだな、それは無駄なことだ」

ヴィンセントはそして、俺の手から布巾を奪うと机を綺麗に拭いて見せた。布巾を丸めると、今度は流しへ振りかぶって投げつける。

「たとえ、嘘でも」

まだ残っているコーヒー、最後の一口を飲み乾す。

言ってみれば「適応機制」、ゴマカシだ。

永遠に俺が手に入らないわけではないのに、身を引くことで疲労と痛みを回避する。

俺はそんなことじゃ納得しない。

けれど、頷いてしまったのだ、次の言葉に。

「――たとえ嘘でも、私には笑顔が似合うと思いたいだろう?」


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