アルテマバスター

 常日頃よりゴロゴロごろ寝の習慣があり、性質としては猫のクラウドよりも余程猫に近い俺であっても、この時間の持て余し方には正直参る。

 寝心地は最上級のベッド、でも、寝るのに飽きたなら? カオスの城に俺たちが「軟禁」されてから一週間が経とうとしていた。外で何が起こっているか、相変わらず俺たちには何の情報も降りては来ない。窓から見る限り、魔界は平穏そのものだ。ただ、極端に外出しているものが少ないということ以外は。要するに、確実に何かが起こっている。ただ、俺は今日も十時に起きたし、ヴィンセントはどこにも行かない、クラウドも退屈そうな顔でベッドでゴロゴロやってさっき端から落っこちた、そんな具合で、ローテンションのスローペース。愛し合う家族関係でありながら、これだけ顔をつき合わせているのは互いに少々食傷の気配あり。無論俺はヴィンセントとクラウドの顔なら見飽きないけれど、俺の顔に二人が見飽きてるんじゃないかという気遣いはある。

 クラウドが今朝から数えて何回目か、数えてないから判らないけれど、大きな欠伸をする。むにゃむにゃゆって、ごろんと横になる。けれどクラウドも俺と同じで十時に起きたから、ちっとも眠くない。だから、とても憂鬱に溜め息を吐く。時間が経つのが酷いくらいのろい。現在は午後六時。朝昼兼用のご飯を正午頃に、そして昼夜兼用を四時ごろに食べているから、お腹も空いてない。体内時計までだらしなくなっている。

 退屈ならばセックスをすればいいじゃないか、それこそ腰が抜けるまでやりまくればいいじゃないか、……普段の行いを知っている人々は蔑んだように笑ってそう言うかも知れない。いや、実際そうだ。ヴィンセントも俺も、やれるならやってしまいたい。クラウドに対してなら欲求は瞬間湯沸し機も同然で、この瞬発力集中力の良さをもっと他のことにも使いまわせれば俺ももう少し立派な人間だろうに、こういう自堕落生活を強いられるようになってから、クラウドとしても一定の身の危険を感じたらしい、「俺はいつだって変身できるんだからね、ザックスのことひっかけるんだからね」、嫌だと言ったら嫌だと、強く意思表示をし、俺たちはあっさりと屈した。

 寝るときを含めて、あまり姿勢を崩すことはしないヴィンセントをして、ソファに乗せた尻が大分前に出ている。時々クラウドの横顔を、ぼんやりした目で見やっている。

 ヴィンセントがあれだけのんびりしていられるということは、そのまま俺たちはのんびりしていていいのだということになる。とりあえず早急に俺たちがしなければならないことはなく、ただここにいればいい。しかし、退屈と言うのは……、度を超すと苦痛だ。クラウドにしたって、退屈な時間がうっちゃれるのならセックスさせてくれたっていいようなものを。

 と。ヴィンセントが尻を上げて、座りなおす。程なくして、ノックの音もなくカオスが入って来た。

「やあ、暇?」

 ある種の拷問だと詰ってやろうと思ったが、カオスはちっとも気にしていない顔で、ベッドに仰向けのクラウドの顔を覗き込んで、額にちゅっとやる。ぼやぼやしているから、リアクションは大幅に遅れた。弛緩しきっていたクラウドは、されたからといって慌てふためくこともなく、のろりと起き上がり目を擦って、また欠伸をする。

「ひまだよ」

 ごく素直な反応に、カオスは一つ満足げに頷く。

「僕の部屋にお茶のみに来ない? ……と、大丈夫変なことはしない」

 ヴィンセントと俺、同時に向けられた視線に、ホールドアップのポーズ。にっこりにこにこ、いつものごとくとても「魔王」とは思えない、物腰穏やかな青年の顔をしてカオスは言う。全く、こうして見るとヴィンセントのほうがよっぽど「魔王」の風格が備わっているのに、こんなやつが指の一本を閃かせれば天変地異を引き起こせてしまうなんて。

「行く」

「よし、じゃあ一緒に行こうね」

 クラウドはよっこらしょとベッドから降りる。ぐうたらしきった日々に浸かりきっているので、クラウドの髪は四方八方好き放題に飛び跳ねている。カオスは優しい手でその髪を整える。俺たちは立ち上がってまでそれを制しようという気にはならない。

「……どれくらいで帰ってくる」

 鷹揚にヴィンセントは尋ねた。目は光っているが、ソファから尻を上げることはない。

「一時間くらいかなあ。美味しいお茶が手に入ったんだ。クラウドにごちそうしたくってね」

 言い残して、カオスはクラウドと手を繋いで、部屋を出て行った。二人きり残されると、ますますもって空気がだらける。ヴィンセントはまたずるりと背中が丸まる。俺はもう何度も読んだ雑誌を、もう一回開いて、なんだか妙に憂鬱な気持ちになって、閉じた。

 一時間、だったろうか。退屈なときだから、感覚的には二時間半くらいに感じられたが、時計を見ると確かに一時間。どこにも行っていない、セックス以外に身体を動かすことなんて何もしていないのに、どうしてこんなにふくらはぎがだるいのか。ドアが開いて、カオスが入ってきた。先ほどと変わらぬ、にっこりにこにこ魔王スマイルプライスレス。何と無しに見て、その後ろにちゃんとクラウドがくっついて着ているのを確認して、またベッドに仰向けになる。ヴィンセントも直した姿勢を崩しなおす。そしていっせーのせで、また起き上がる、立ち上がる。

「可愛いでしょ」

 大樹の如き安定感に頼もしさ、揺らがぬ我らがヴィンセントも、カオスにあっては形無しだ。

「な……っ」

 言葉に詰まることなどまずない人なのに。

 俺に至っては、馬鹿みたいに口を開けたままだ。

 のろのろ立ち上がって、俺の隣りまで来て、他に幾らだってやることはあっただろうに、まず俺の顎を叩いて口を閉じさせたヴィンセントは、今しばらく黙りこくって、

「……何をした」

 やっと言った。

 カオスは「だから」と笑って、

「可愛いでしょ? ね?」

 もう一度、言った。

 カオスの隣りに立つクラウドの様子が一変しているのだ。否、様子ではない、風貌、というべきか。

 その頭には、革素材の大きな尖がり帽子、尖がりが途中でへたりと折れている。

 服も変わっている。さっきまで着ていただらしない普段着ではない、青いローブに、ブカブカの白と水色のズボン。ローブの前を交差して結わく赤い帯がアクセント、その帯の前に、黒光りするぐらい古い木製の杖を、猫手でぎゅっと抱えている。

 ああ、この格好が「どういう」類のモノか、知らないけれど知っている。

「クラウドのね、第三の変身形態。スピード、パワーと来たら、ね、やっぱり魔法」

 クラウドは困惑したような目を、帽子の庇から覗かせる。服の変化以外、肉体には一切差はないように思えたが、その目の色が違う、金色と言うか銀色と言うか、そこに映る光の色を吸い込むような淡い色で、少なくともブルーではない。ともあれ、身体の輪郭は普段のクラウドと変わらない。

 片膝をついてその顔を覗き込んだ。

「……どうして」

 クラウドは唇を尖らせたまま、何も言わない。俺はカオスを見た。カオスは飄々と笑う。

「まあ、まだ理由は話せない。けどね、クラウドにまた新しい力を与えておく必要があった。……聡明なる君たちなら、どう言うことか判ってくれると思う」

 そして、ふと寂しげに窓の外を見た。

「僕はこの魔界の、宇宙の、平和を守らなければならない。どんなことがあっても、どんなことをしてでも。それが僕のつとめ、魔王の職掌だ」

「勝手なことを」

 ヴィンセントの言葉にも、カオスは薄く苦笑いを浮かべただけだ。俺たち家族をどれだけかき回せば気が済むのか、……ぐうたらボケしてあまり鋭くは立たないが、俺の心の針も立つ。ただ立ち上がって言葉を放とうとした俺のシャツの、ずるりとした裾をクラウドの右手が引っ張った。左手で杖をしっかりと抱えて。

 俺は言葉を飲み込む。幾つかの困惑に足る思いが去来する。クラウドはまた変身した。過去二回、スピード特化形態、パワー特化形態に続く、魔法特化型だとカオスは言う。俺たちがこの部屋に「軟禁」されているには、それ相応の背景があって、カオスは今、かなりの規模で宇宙をも巻き込む悩みの中に在る。クラウドに変身能力を授けたのはひとえにクラウドを戦闘員として考えているからで。

 亡霊の件はルビカンテを処罰することで片付いたのではなかったのか。

 この期に及んで俺たちがこうして留め置かれているのは何故か。ヴィンセントは何も語ってはくれない。重要な情報を持っているのは間違いないだろう。

 そして、……今を択んでクラウドに第三の力を授けた。「どうして」と問うよりは、戦いが近いということを意識するべきだ。

「……お前がどんなに強くたって」

 俺は深いため息を吐く。息が少し、揺れそうになった。小さな魔導師の姿になったクラウドを、抱き上げる。杖が少し邪魔だけど。

「俺たちがお前を護らなきゃいけないことには、少しも変わりはないのにな」

 クラウドは嫌がるかもしれない、「俺だって戦える!」、意地っ張りだからそう言うだろう。それでも、俺にとっては、ヴィンセントにとっては、クラウドは永遠の庇護の対象。

 それを、魔王であろうと変えさせはしないつもり。

「力を見せてあげる。クラウドの新しい力」

 呑気にカオスは言って、俺の抱くクラウドの尻を、するりと撫ぜた。

「にゃっ……」

 思わず、クラウドの口から声が漏れた。

 俺はその瞬間、背中から吹っ飛ばされて、クラウドを抱いたままベッドに落ちた。何が起こったか判らなくて、背中を振り返ると、ヴィンセントが魔法防御の膜の中にいる。

「な……に……」

「さすがヴィンセント、ナイス判断」

 広い部屋の白い壁紙、俺の背の側は全てボロボロに焼け焦げている。その中心に、ヴィンセントは、滅多に見せない驚愕の表情を浮かべ、今バリアを解いた。

 ベッドの上、クラウドは眉を八の字にして、俺を見上げる。

「……今の……、今のは、クラウドが?」

 カオスはパチンと指を弾く。クラウドの衣服と目の色がころりと変わって、元の、ただの猫耳少年に戻る。「うー」、そんな声で鳴く。

 カオスはベッドに腰掛ける。呆気に取られる俺たちを放置して、帽子の跡がついたクラウドの髪を撫ぜる。

「ね、すごいでしょう。今の、アルテマだよ? マテリアなしで、口さえ開ければいつでも撃てちゃう」

「……何」

「これまでの二つはどうしても身体で戦わなきゃいけない、クラウドは武器が持てないから接近戦になる、君らだって心配だったろうから。今度は魔法で距離置いて戦えるようにね」

 この他にも、今回のはデザインに苦労した。色いろ可愛いカッコ考えたけど、やっぱりファンタジー系魔導師が一番しっくりきた、赤い羽根にすけすけワンピースに腕輪、とかも捨てがたいなあとか思ったんだけど、などと、好き勝手に並べて、俺たちの意識を遠くの世界へと飛ばしてしまう。

「……いい加減にしろ。何が起こっているかいい加減教えてくれたっていいだろう」

 押し殺した声で言えたのは、暫しの沈黙を経てからだった。俺が睨んでも、カオスはどこ吹く風で肩をすくめて、

「ヴィンセントに聴けばいいじゃないか」

「あんたが言えばいい話だろうが」

「僕は言わないよ。言わなくてもじき判ることをわざわざ説明する手間は取りたくない」

 「じき判る」、……もうじき判る……。

 ヴィンセントは話してくれない。どうして? もちろん何度も聴いた、俺も、クラウドも。しかし、一度として口を開いたことはなかった、ただ繰り返すのは、「じきに判る」という苛立つような言葉のみ。その「じき」を待っている間に、俺は髭を二回剃ったし、十時に寝て十時に起きる生活が定着してしまったのだ。

「まあ、ホントにもうすぐさ」

 カオスは乾いた笑いを浮かべる。クラウドのアルテマで壊滅状態の部屋の半分を、指を一つ弾いて修繕する。

「じゃあ、僕は帰るよ。あ、くれぐれも変身したクラウドに喋らせたらダメだよ、『にゃっ』って言うだけでアルテマ出ちゃうから」

 勝手なことを言い残して、さっさと居なくなる。ヴィンセントは、クラウドは、俺は、何とも言えない無力感と共に、迫り来る「恐るべき」かもしれない時の足音を、聞いた気がしている。


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