繋がっている

 これから夜がふけようという時から仕事をはじめるのに、入浴を先にしてしまうというのは実はあまり得策ではなかったのかもしれないな、あくびを噛みながら俺は思った。普段の生活サイクルからして、入浴をすれば後はもうセックスをして眠るだけ。基本的に我が家は食後に入浴する習慣であるからして、染み付いた身体は不必要に律儀な反応を示すのだ。俺と同じように、隣りのベンチに座るクラウドも何となく眠たげな目をしている。一日三度は風呂に入るというユフィと、昼夜の関係ないスカルミリョーネはきっぱり目を開いて、「霜印牛乳」と背板に銘の書かれたベンチに座る俺たちを挿んで左右に立っている。

「今何分?」

 クラウドがひとつの大あくびの後、スカルミリョーネに訊ねる。スカルミリョーネはスーツの左腕をくっと伸ばし、腕時計を見る。

「九時、五十七分と三十秒を回ったところです」

「もうすぐか」

 早く来てくれ、でないと眠い。

 艶かしい月明かりに、温泉の湯気が滑らかにたなびいた。クラウドがぽんっと立ち上がる、遅れて俺も立ち上がった。手には剣、腕には腕輪、そして、緑色の宝珠。ユフィが一度素振りをした、スカルミリョーネが息を細く長く吐いて、ネクタイを緩めた。

「九時五十八分、二十一秒です」

「来たな」

「温泉の……上?」

「ええ、……どうしましょう」

 さすがに、濛々たる湯気の中つっこんで行って、ばしゃばしゃやるのは得策ではないと思うので、

「出方を待とう」

 緊張を保ったまま、俺たちはダチャオ像を背負う温泉を挿むため、二手に分かれた。クラウドとユフィでは不安だ、といって、スカルミリョーネとユフィではスカルミリョーネが死んでしまう、となれば、クラウドをスカルミリョーネに委ね、俺はユフィと組むことになる。この娘と戦うのは、あのコルネオのとき以来だ。

「いいか、スカルミリョーネの言うことをよく聞いて、……絶対に、絶対に、無茶はするんじゃないぞ」

 クラウドが確かに、頷いた。俺はそれを信じるしかない。

 一人いないだけで、不安は何倍にもなる。

 ヴィンセントがいたなら、ヴィンセントにクラウドを任せきれる。俺はユフィに専念し、スカルミリョーネも自分の戦い方を曲げずとも構わない。そもそも、双方向ではなく三方向から敵を囲うことが出来る。より安全に、より手早く片付けることも出来ように。

 恨み言を言っても仕方は無い。スカルミリョーネだって十分すぎるほど、っていうか、多分俺なんかよりずっと強いのだ。立派に役目を果たしてくれるに違いない。ユフィの力だって侮れない。俺のほうこそ、後れをとらないようにしないといけない。

 湯気の中、ふわり、ふわり、浮かび上がる、黒い影。温泉の周囲には、幾つかの常夜灯しかない。コスモキャニオンではあの大きな焚き火が格好の光源となってくれたが、ここではそれに相当するものがほとんど無い。しかも、月明かりは徐々にダチャオ像の向こうへ隠れようとしている。

「……ユフィ、『雷』、あるか?」

「使うの?」

「とりあえず、大まかな場所だけでも掴んでおきたい」

「んー。……サンダラ!」

 光の帯が闇夜をこうこうと照らし、……いち、にい、さん、しい、ごお、ろく……、凡そ二十余りの亡霊の影を鮮明に刻んだ。どれも、蝶のような姿、羽根を広げた大きさは、軽く人間の二倍はあろうか。

 半数が、こちらへ向かってくる。残り半数は、クラウドたちのほうへ。ユフィが踊り出て、十字手裏剣を縦横に振る、その空を切る音の端に、しゃりしゃりと何かを削るような音が雑じる。暗闇に紛れて、的が絞りづらい、俺は剣を構え、まだ遠い、そう思えばすぐ側に羽音を感じ、横凪にすれば、掠りもしない。

「にゃあ!」

 クラウドの凛々しい声が響く、……「アルテマ!」、十六歳の声でそう叫び、緑色のエネルギー波を巻き起こす、好判断だ、エネルギーの光に照らされ、再び視界が開ける、光線に貫かれて、あちらで数匹が焼け焦げる、光のあるうちに、俺も手近な一匹を、袈裟に捌いた。ユフィも同様に、まっぷたつに片付ける。スカルミリョーネは、まだ人間の姿だ。アルテマの光の消える寸前、その手のひらに、ぼうっと光を生じさせ、その光を大地に打ち付ける影が見えた。と、下土がぶるんと震え、命の芽生えたように、優しい、淡い緑の光を発し始めた。

 ここら一帯の地面は、何処も彼処も、同じように光り、その光は息をするように、ゆっくりとしたリズムで、強くなったり、弱くなったりを繰り返す。その光の中、クラウドが跳躍し、続けざまに二発、炎の球をマテリアから放った。クラウドは、敵から十分な距離を取り、魔法を中心に戦っている。そして、クラウドと亡霊蝶との間には、スカルミリョーネが立ちはだかり、彼も魔法の球を放つ、あれならば安心だ。

 くっきりと夜に姿を焼き付けられた蝶たち、その数は最早半分にまで減ろうとしていた。こうなればこちらのペースだ、俺は両手で剣を握りなおし、ばさりばさりと羽音を立て、俺に殺到する数匹に、真っ向からつっこんで、銀の切っ先で貫いた、禍々しい燐粉が鼻先を漂う、硫黄を焦がしたような、何ともいえぬ悪臭が鼻をついた。クシャミした拍子にバランスを崩しかけたところへ、飛び掛ってきた一匹を、ユフィの投げつけた十字手裏剣が捕えた。

「……うん」

「おう」

 ちらりと目線を交わして、そんな、コミュニケーションにもなっていないようなのも交わして、また別々の敵を追う。

五分、いや、まあ、長く見て、十分経ったということにしよう。俺たちの戦った足元には、黒い影が、あちらこちらに散らばり落ちた。クラウドたちの足元にも、同様に。もう、動くものはいない。

「呆気ないね」

 ユフィはフンと笑い、勝利のポーズをひとつ決めて、深呼吸。

 クラウドも、スカルミリョーネも、そして俺たちも、怪我は一つもない。やれやれだ。スカルミリョーネは、足元に手をついた、……光が、ゆっくりと消えた。

「……勝ったの?」

 クラウドが、十六歳の姿のまま、俺にそう尋ねる。光がなくなると、途端に見えなくなるもので、俺は暗闇に目を凝らし、うん、と頷いた。クラウドの元へ歩み、いつもよりも大分高いところにある髪の毛を撫でた。

「お利口さんだったな」

 クラウドが、薄暗い中でこくんと頷いた気配がする。これなら、ヴィンセントにも絶対許してもらえるね、よかったね、クラウド――

 そう、俺がもう一度、クラウドの頭を撫でて、ついでに抱き締めて、薄暗くて見えないことだしキスの一つでもしてあげよう、思った瞬間、俺の耳元を、鋭い風の音が走り抜けた。

「……っ、何だ!?」

 俺は咄嗟に、クラウドを抱えて地面に伏せた、ユフィも同様にした気配がある、しかし、スカルミリョーネは動かなかった。

「……まだです!」

 少年の声が響く、

「まだ……、まだ亡霊が生きています! 今……光を!」

 そう言う、スカルミリョーネの声がぶれた。

 不死の身体を持つという特性ゆえか、彼は自分の身体の傷つくことを少しも恐れていない。死んでも死んでも生き返るものだから、彼は自分の命を軽視する。以前、同様に不死の存在であるカオスのことを守るために死んで、生き返ったことがある。その理由というのも「あなたの身体に傷をつけさせたくなかったから」、その傷だって、カオスからしたら、一瞬で治せるようなものであっても。

 暗闇の中で、切り裂かれる音がした。スカルミリョーネが手のひらに光を生じさせ、それを、大地に打ち込む、大地が再び光り出す、スカルミリョーネの脇腹に、肩口に、背中に、頬に、いずれも浅くない傷が生じている。

「スカルミリョーネ!」

 クラウドが叫ぶ。俺はクラウドを抱きかかえたまま、

「見るんじゃない!」

 叫んで、ついでにその目を腕で覆った。

「なんでっ、いやだ、スカルミリョーネっ、スカルミリョーネ死んじゃうよぉ」

「大丈夫だから! あいつは……、あの子は死んだりしないから! でも、見るな! 見ちゃダメだ!!」

 でないと、クラウド今夜は眠れない!

「……大丈夫ですよ……、クラウド様」

 スカルミリョーネは、膝を突き、蒼白な顔になって、優しく、微笑んで言った。

「ご安心下さい。……私は」

 始まる――、俺は、やっぱり、なんと言うか……唾を飲み込んだ。

「死んだりは致しません」

「ユフィ! お前も苦手なら見るな!」

「へ!?」

「いいからゆうこと聞け!」

 ……ショックが大きすぎると思ったんだ、うん……。

 スカルミリョーネの真後ろから、亡霊蝶が突っ込んだ、既に傷ついた脇腹をふかぶか抉り、スカルミリョーネが倒れたところ、別の一匹が急降下して体当たりする、その身体が、バウンドした。

「う……」

「スカルミリョーネ!!」

 クラウドが、悲痛な叫びを上げた、俺の腕を、涙が濡らした。

 ……大丈夫なんだよ、あの子は。

 「僕のために生き、死んでいる命」とカオスは称する。その命を、愛する者を守るためなら、易々と差し出してしまう、人間業ではない危険過ぎる愛。でも、けど、俺はそれを歪んだものだとは思わない。

 光の中、ピクリとも動かなくなったスカルミリョーネの身体が、変質する。

 真っ赤に染まった身体で、ゆっくり、ゆっくり、立ち上がる。

「ウソでしょ!?」

 ユフィが目を丸くするのもムリはない、俺だって、最初見たときは……正直、ひいたもん。

「我は……スカルミリョーネ」

 ビクンっ、とクラウドの身体が、俺の腕の中で一つ、跳ねた。

「……我が主の命に従い、愛しき命を守護するものなり!」

 ああ、やっぱり、ちょっと怖いな。

 スカルミリョーネの身体がボロボロ崩れていく、急激な勢いで土に還る。薄い煙となって、スカルミリョーネの着ていたスーツの上を浮遊し、……やがて、それが魔物の輪郭を描く。背中と胸を貫いて生える二本の骨の角、あの愛らしい顔の面影は微塵もない、半分は肉が削げ落ち頭蓋が覗く、残り半分には土色の腐乱した肉と、麻糸のような頭髪、眼球も片方にしか嵌っていないし、唇が爛れ剥き出しになった歯はほとんど残っていない、そこから、乾きかけた長い長い舌が、だらしなく零れている。恐らく、その両足だけでは身体を支えられないのだろう、両手を前足として大地に付いて、しかしその前足すらいつ壊れてもおかしくない。首から下もところどころ骨が覗き、肉の残った一部には毛皮の存在を見止めることが出来る。

 半人半獣の巨大ゾンビ、それがスカルミリョーネの正体なのである。

 フシュルルルルル、長い長い舌がそんな音を醸す。発される声はからからに乾き、しわがれていて、邪悪そのもの。

 漂う腐臭に、クラウドの身体が小刻みに震える。俺はその耳元で、「大丈夫、大丈夫だから、大丈夫だから」、そう繰り返す。ユフィは呆然となっている、今に白目を剥いて倒れるんじゃないか、そう、不安になるくらい、呆然。

「スカルミリョーネ」

 この姿を見るのが初めてでないのは、俺だけ。俺は、この姿のスカルミリョーネを想像しながら、あの美少年を抱くことは、まだちょっとムリだろうし、それは多分カオスにしか出来ないのだろうと諦めもするが、それでもスカルミリョーネの本質を、俺は見抜いているつもりで、だから疎ましいとは思わない。やっぱりちょっとは、怖いけど。

「……ざ、っクス、様……」

「あのさ……、俺はお前のその姿、平気だし、俺たちのために戦ってくれるのは、すごく、嬉しいよ。でもさ、……このままだと、俺たち、戦えないよ」

 スカルミリョーネは、俺が目を覆うクラウドと、棒立ちのユフィを見た。

 そして、死霊の顔を、悲しげに歪める。

 スカルミリョーネの身体から発される瘴気に気圧されているのは、クラウドとユフィだけではないらしい、復活した亡霊蝶も、怯んだように遠巻きになってぶんぶん飛んでいる。

「……かしこまり、ました……」

 スカルミリョーネは項垂れた。

 可哀想だ。

 そう思う、思うのだけれど。「人間は(魔族だって!)外見じゃないよ」とも、思うのだけれど、……そして、その圧倒的な正しさに、俺たちは平伏すしかないのだけど。

「……ごめん……」

 俺はクラウドの、ユフィの気持ちも判るんだ。

 スカルミリョーネは、白い裸体に戻った、腐臭が遠のく。

「……申し訳ございません」

「いや……、謝る必要なんて無い。俺たちのほうが悪いんだ」

「……この、人型の身体は、戦うに適した形ではないのです。私の身体は余りにも脆弱に出来ていますから……、一度死に、あの姿になった方が、ずっと……、安全に、皆さんをお守りできると」

 俺は、クラウドの目隠しを緩めた。クラウドは赤い目で、スカルミリョーネを見た、その姿が、ただの白い裸のスカルミリョーネであることに、驚きを隠せていない。

「……亡霊たちが……」

 スカルミリョーネははっと立ち上がり、変身に際して脱げたスーツを、慌てて着た。いや、それは別に着なくてもいいのだけど、……お任せする。ところどころ破けて、血で汚れているけれど、それでも羞恥心の方が強いらしい。

 スカルミリョーネの指差したとおり、俺たちがついさっき屠ったはずの亡霊蝶たちまで飛び上がり、その身を固め、互いの羽と羽のぶつかり合うばちばち言う音を上げる。その密度が、徐々に濃くなっていくような気がする。……一つの、大きな塊になり……やがて、境界線は曖昧に濁り、融けた。

 合体している。

 そう気付いた瞬間に、巨大亡霊蝶は完成していた。表面がタールのようにぬらぬら艶を放つ、凶悪な存在が、羽ばたいている。一枚の羽根が、ちょうど旅館の畳一枚分くらいあるだろうか、空中を浮遊するその羽ばたきだけで、ちくちく腕を微細に刺されるような不穏な気が流れてくる。

「ユフィ、しっかりしろ!」

「は……、あ、あれ!? うわ、なにあれ!」

「まだ終わっちゃいない」

「ざっ……、ザックス、スカルミリョーネは……」

「私は大丈夫です! ……それよりも、まずアレを片付けてしまいましょう」

 と、言っても、俺たち四人を並べたよりも大きいのが相手だ。

 大きさで言えば、かつてこの近くで、そして地脈の森で見えた、異界の魔物「ヴァラージ」の方がよっぽど大きい。しかし、ヴァラージは飛ばなかった、あの亡霊蝶は、飛ぶのだ。

 ぶわんっ、と亡霊蝶が大きく羽ばたいた、咄嗟に俺は、クラウドを背に庇う。陰気な波動が襲い掛かってくる、顔を庇う腕の毛がちりちり焼けるような感触が漂う、熱い、でも、何か冷たい、濡れたような感じが、とてつもなく不愉快だ。スカルミリョーネが、両腕を大きく広げ、

「……砂よ、土よ、岩よ、……我が僕よ……来たれ、押し潰せ!」

 その頭上に巨岩を生じさせ、それを急スピードで闇の蝶へ放る、蝶は素早く身をかわしやり過ごしたが、通り過ぎた岩は幾千もの石の刺へと砕け、全方向から蝶に向かった。蝶の身体にぶつぶつぶつと、涼しげな穴が空いた、が……、その穴は、すぐにまたじわじわと塞がってしまう。

 何か。……嫌な戦いになりそうなパターン。

「……スカルミリョーネ、今、何分?」

「は……、ええと」

 きょろきょろと見回して、足元に落ちていた時計拾い上げて。

「十時四十六分ですね」

「……十一時までには終わらせたいよな」

「ええと、……はい」

 俺は跳躍して、左手に魔法の氷弾、右手に剣、ヴン、と痺れる音のするほど鋭く振り切って、確かに俺は、畳一枚を斜めに切った感触を手に得た。その傷の、黒で埋まる前に、ブリザラを二発続けて叩き込む。

「これでどうだよ」

 着地に失敗して、膝を擦りむいたけれど、俺は振り返った。

 俺の斬り裂いたところを、青い氷が塗り固めている。……傷口は、塞がらない、これだ! 俺はもう一度左手にブリザラを溜めて、跳躍、しようとしたところに、例の陰気な波動がやって来て、横に跳躍して避けざるを得なくなる。俺に彼奴の意識が向いているところに、クラウドが後から、ファイガの炎の球を当てる、が、……直撃しても、ほとんど怯まない、

「す、すいこまれちゃった……」

 クラウドの手から放たれた炎球は、確かに黒の中へ飲み込まれたようだ。

「来たれ!」

スカルミリョーネが、再び巨岩を生み出し、それを砕き……、「ザックス様!」、鋭く俺を呼ぶ、幾つもの刺でぶつぶつ穴をあけたところに、俺は左手に宿していたブリザラを放った。畳に開いた穴が、本当に涼しげになる。凍ったところは、もう塞がらないようだ。しかし、もう一度スカルミリョーネが巨岩を作りそれを砕いたところに、その細粒を吹き飛ばすような風を起こし防ぐ、ユフィの手裏剣が切り裂いたところに俺がブリザラを放ったところで、同じことだ。弱点は判然としたが、その弱点を徹底的に覆い隠そうと反撃してくる。特に、その羽ばたきで遅いくる瘴気が厄介だ。声を上げたくなるほどの激痛が走るという訳ではないのだが、幾多の注射針で血を抜かれていくような、尖鋭的な痛みに伴って、脱力感がある。

恐らく、人間の身体には有害なエネルギー波なのだ。あまり長く戦うのは得策ではないだろう。だから、早く片付けてしまいたい、のだが、斬りつけたところは氷で固めないとすぐ塞がってしまう、相手の攻撃の手が緩まぬから、反撃にも転じ難い。

「ううう、にゃあ!」

 クラウドが俺の影から、アルテマを放った。事態を打開する契機となってくれた、いい子、と一瞬だけ髪に触れて、アルテマの衝撃にたじろいだ蝶に、剣を出して突進した。俺の切っ先は、ぐぶぶぶぶと泥沼に入り込むように蝶へ沈み、弾んだ。剣を抜き飛び退いたところに、ユフィとスカルミリョーネが同時に放った冷気魔法が打ち込まれる。

 効いた。俺の貫いた穴を、氷のリングが塞ぎ、回復を妨げる、しかも羽根のど真ん中だ。更にもう一撃、反対の羽根へ食らわせようとしたが、これは狙った羽根をぐるりとかわされた。体勢を崩しかけたところ、細い蝶の肢が俺の腕に絡まんとするのを感じ、横に転がってやり過ごす。

 間合いを取ってしまうと、また、あの瘴気のブレスウイングがやって来る。再び防御体勢を取らざるを得ない。……守りの時間が長い。敵は一つしかいない、俺たちは四人いる、なのに、俺たちは決して有利とは言えない状況だった。

 スカルミリョーネがクラウドを庇う俺と、ユフィの前に踊り出て、ドンッ、とその拳を大地に打ちつけた。あ、白魚のような指なのに、そう思って、ちょっとびくりとした。大地が震えて、蝶の真下から、石の拳が突き上げた。蝶は思い切り叩き上げられ、ブレスウイングは止まった。俺はすぐさま踏み切って、中空でバランスを崩しつつ落ちてくる蝶を穿つ、そこにユフィがブリザガをぶつけた。連携で、少しずつ、少しずつのダメージ。しかし、まだ蝶は怯まず、体勢を立て直す。

 蝶は大きく羽根を左右に広げた。黒い羽根のあちらこちらに、白い氷が付着して、その再生を妨げている。

 ……その、羽根の中央に。

「うわあ……」

 クラウドが、気味悪そうな声を上げた。

 血走った、眼球が浮かび上がる。

「蛇目蝶」の、いわゆる紋様ではない、立体的な眼球が、そこに出没したのだ。

 せっかくスカルミリョーネの変身を止めて今夜はグロいの無しってつもりだったのに。

 その二つの目は、……明らかにクラウドを捉えた。

「……っ、クラウド、見ちゃダメだ! 目ぇ反らせ!」

 咄嗟に、俺は叫んだ、が、……、クラウドの動きが、ぴたりと止まった。

「……う……う?」

 クラウドのかすかに開いた唇から、そんなうめきが漏れる。……やばい、そう思ったところに、例の羽ばたき攻撃が、やって来る。クラウドの前に、俺が、飛び込もうとして、スカルミリョーネが先に飛び込んだ。スカルミリョーネが両手でクラウドを庇う間に、俺は治療のマテリアでクラウドの麻痺状態を回復させる。

「クラウド、大丈夫?」

 ユフィに名前を呼ばれて、恐怖の色に目を染めていたクラウドの顔に、緊張感が漲った。

「……うにゃううううう!」

 見る見るうちに、怒りに染まる。ああ、これもまたやばい、俺はぎゅうと抱き締めて、その動きを封じた。

「落ち着け!」

 腹の底から怒鳴った。

 クラウドは、……素直に、抗うのを辞めてくれた。

「落ち着け……、な?」

 クラウドは、俺の胸の中で、確かに、こっくりと頷いた。うん、約束したんだもの、な……。

 もう馬鹿なことは繰り返さないって。

俺は、その額にキスをしてから解放して、ブレスウイングを真っ向から食らって耐え切ったスカルミリョーネの影から飛び出し、再び剣で――

 その邪蝶を、屠ろうと、その切っ先を伸ばしたところに、だ。

 何も無かったところに、ウソのような存在感が生じた、

「あ……」

 クラウドが、声を上げる、俺も、剣を握っていた手から一瞬力が抜けて、剣だけすっぽ抜けて地面に落ちた。ごろんっ、と剣が転がる。

 俺も転んだ。

「ヴィンセント様……!」

 スカルミリョーネが、呼んだ。そう、確かに、ヴィンセントだった。

 後向き、背中、羽根が生えている、カオスかもしれないなどとは、思わなかった、ヴィンセントだ。俺と蝶の間に立ち、蝶へ手を翳す。

 瞬間、蝶が、突如として危険を察知したように、ばさばさ慌しく羽根を動かし始めた、が、ヴィンセントは少しも戸惑うことなく、その右腕を、左から右へ、一つ、水平にふるった。

 それだけだった。

 ……怪鳥ような叫び声を俺たちの耳に届かせて、眼球から光が消える、黒い蝶の羽根は、上下二つに綺麗に分かれ、共に地面に落ちた。スカルミリョーネが照らし出す土の上で、ぶるぶる身悶えしながら、徐々に吸い取られるように消えて行く。

「……ヴィンセント……!」

 一瞬で決着がついた。

 ヴィンセントは、ゆっくりと振り返って、俺を、クラウドを見た。静かな表情で、どこか、寂しげで、――そして、申し訳なさそうにも見える――赤い目で、白い顔で、黒い髪が頬になびいて、ああ、少しだけど髪、伸びたね。百八十四センチという数字以上に、もっと高く思える、細長い輪郭。きめの細かな、誰にも似ていない、端正にパーツの当てはまった、東洋の影が差した顔は、青白い光に照らされて、一層色素薄弱に見える。

 近寄りたい。

 近づいて顔を押し付けてその匂いを嗅ぎたいと思った。煙草の匂いだけじゃなくて、今のあんたを形成するものの匂いを、俺は、知りたいと思った。

「どこに……、何処に行ってたんだ馬鹿野郎」

 怒鳴ろうとしたのだけど、最後は腹に力が入らなかった。

 ヴィンセントは静かな表情で、黙って俯いていた。

 それから、またゆっくりと顔を上げて、

「……心配をかけてすまなかった」

 と、俺の心臓の原動力の一つである声で、短く俺に謝って、その目をクラウドに向ける。

「大切なことを学んでくれたのならば、私はそれでいい。もう怒ってなどいない」

 十六歳の少年は、魂が抜けたように、十二歳の身体へしゅるんと戻っていた。

「にゃ……、にゃ……」

 言うべき言葉が見つからないらしく、ただ、ぱくぱく、ヴィンセントの顔を見ているばかり。

 ヴィンセントは少し、微笑んで、クラウドに歩み寄って、その身体を軽々と抱き上げた。

「いつでもいい子で居てくれなどとは望めない。お前の壊す世界も、お前の築く世界も、私には同じように居心地がよく、掛け替えのないものであることに変わりはない。……愛している」

 そして、クラウドの中に生まれたばかりの、少しだけのプライドに慮って、その顔を、自分の胸に押し当てた。クラウドはヴィンセントの着衣にぎゅうっと爪を立てて、しがみ付いた。


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