スピードスイッチ

 俺にとってクラウドとヴィンセントはクラウドとヴィンセントに他ならず、だからこそ愛しいのである。

 と、いきなり大上段に構えてしまったが、冗談で済まそうとは思っていない。

 ヴィンセントとはこれまで、色いろあった。結果的に今まで俺が生きてきた中で、一番濃い関係になっている。その「濃い」は、平面的な意味ではない。すなわち、血より濃いという濃いもそうだし、やってる内容が濃いという意味でもある、多角的な意味で「濃い」のだ。意外に思われることは恐れずに言うが、実際に過去、殺し合いに近いことをしたこともあるし、俺が上だったりしたこともある。ここ数年、どんな火種とも無縁に和気藹々過ごしていられることは決して自然ではない。そして、だからこその愛しさが浮かんでくるのは言うまでも無い。清濁併せ呑んで、全部ぜんぶ、過去の記憶も含めて、俺はヴィンセントが好きなのだ。ここ数年ヴィンセント=ヴァレンタインの、一応、いちばん隣にいられることは俺の幸福だ。

 クラウドともこれまで四年間一緒に生きてきて、それこそあの子が生まれたところから知っているわけで、クラウドに対しては俺もヴィンセント同様に素直な気持ちをぶつけているから、互いに裸んぼ、物理的にはクラウドのほくろの数まで俺は知っているし、心のひだがどういった形をしているかも想像できる。クラウドにとっても俺は一番判りやすい存在のはずで、心が通い合うとは当にこのことをさすのだろう。もとより同じ形の生き物だから、判り合うという行為を意識しなくても判りあえる。無論、それにあぐらをかいてはすぐに、「恋はめんどくさい!」みたいなことになってしまうのだ。反省を活かしながら俺たちはこれからもますます愛し合っていく。

 ヴィンセントは時折変身した。最近はしないけれど、カオスの羽を生やしたりする。その他、獣に変身する、悪魔に変身する、改造人間に変身する。彼は彼でないものを裡に秘めている。姿を変える。もちろん、知ってのとおり猫耳少年にも変身する。いろいろだ。しかしどれもヴィンセントであるということを俺は知っている。知っていて、だからつまり「清濁併せ呑んで」、それこそ丸呑みして、愛している自信がある。例の、カオスの稚児・美少年のスカルミリョーネ。あの子の正体をはじめて見たとき、俺たちは正直ちょっと引いた。その点から、初めて正体を目にしたあの段階、俺たちはまだスカルミリョーネを完全に認められてはいなかったんだ。無論今は、ああいう姿でもカオスの為に戦う姿勢は美しいと思うし、カオスはあの「醜悪(一般論で……、俺たちはもうそうは思わない)」な頭を優しくなでなでして、「僕の一番可愛いスカルミリョーネ」と言った。カオスはスカルミリョーネの全部を飲み込んで愛していることが判る。悪魔と人間の審美眼にさほどの差もなかろうと思われる、これは実際、カオスがうちのクラウドを「すんごく可愛い」と言うし、そもそもカオスがスカルミリョーネを抱くときはあの美少年の姿の時であるから。よって、殆どの悪魔からしても「醜悪」なスカルミリョーネ自身をカオスが「可愛い」と言うためには、それほどに強い愛情の存在が求められるわけだ。

 実際、愛は美醜ではない。美しいものほど良いという考え方は無い。少なくとも、恋愛においては。その人の短所ならいくらでも挙げられる、しかも、具体例を交えて。しかし長所となると漠然としか説明が出来ないものだ。結局、愛するのはその人の「そのもの」、言うなれば性格や価値観を含めた魂を愛しているのであって、その人の目や鼻や耳やちんちんを愛してるわけではない。仮にそれで一定の恋愛感情が成立したとしても、長続きは望めまい。

 ティファはその点で言えば俺を愛してくれた。当然、ザックスやセフィロスやルーファウスも、言うまでもなく、現存するヴィンセントとクラウドも。俺がどんなに成っても平気で愛してくれた。ティファは俺が魔晄中毒で廃人同然になっても俺を愛してくれたし、ザックスやセフィロスやルーファウスは俺が浮気者でも平気だったし、ヴィンセントは俺がどんなワガママを言っても刃を向けても抱きしめたし、クラウドは俺が馬鹿でも愛してくれる。……恐ろしいなやっぱり俺は。

 話が逸れた。ともあれ、自分の経験から言わせて頂くと、本当に愛する相手ならばどんな風でも構わない。そして、そういう愛の状況こそ、究極の理想と言えばそうだろう。

 実際、クラウドが女の子でも俺は多分愛するだろう。無論、多少の時間は欲しいが。

 ヴィンセントが年相応の老人でも、俺は愛する。

 同じように愛されたいと願う感情は否定しない。しかし、いいではないかそれは別に。愛は全てに優先されると、ティーンエイジャーのように俺は信じているのだ、今年で三十三になる俺が。美しいだろ?

 カオス、スカルミリョーネ、魔界の住民たちは人間である俺たちの持ち得ない水準の魔力をその身に宿している。カオスが本気になって、人間界でその羽ばたきをしたなら、地軸すら揺らぐと言う。スカルミリョーネも、あんな可愛い顔をして、本気を出したら地球の奥底に眠るマグマを揺り起こす。そのごく一部が、ほんのごくごくごく一部が、ヴィンセントに宿っていて、その力でクラウドを敏感にしたりしているわけだ。

 カオスはクラウドの見た目すら変えられる。先日野球をしたときには、人間のカッコ、すなわち、猫耳の代わりに人の耳、猫手猫足の代わりに人の手足、尻尾は消去して、ほんとにまんま十三歳の俺の姿で目の前に現れた。しかし、俺はそれをクラウドと認識して抱きしめた。一種、象徴的ではあると思われる。クラウドは猫耳が可愛い、「にゃあ」って声が可愛い、猫手猫足についたピンク色の肉球も、触ると敏感になりすぎちゃう尻尾も、全部可愛い。だけど、どれを欠いてもクラウドではないと同時に、どれが無くてもクラウドにはなりえるのだ。半猫のクラウド、しかし「半猫」というのはクラウドを形成するたくさんの要素のうちの小さなひとつに過ぎず、それはクラウドの全部ではない。当たり前のことだ。せいぜい、クラウドそのものを百としたとき、そのうちの二か三、いって五くらいの割合に過ぎないだろう。

 

 

 

 

 クラウドの手が、俺の頬に触れた。いつもと同じ、肉球のぷにぷに感が嬉しい。朦朧とした頭で、俺は微笑む。クラウドの手、クラウドの手だあ、嬉しいなあ、ぷにぷにだあ……、蕩けた頭で、その手を取って、鼻と口を押し付けた。偉いな、今日は早起きだな。でもまだ早い、早すぎるよ、もうちょっと一緒に、うだうだしてよう、猫にはお布団が一番似合うよ、ほんとに。

「……ザックス……」

 俺は目を開いて、起き上がって、クラウドを見た。どうしてこんなに一瞬で目が醒めたんだろう? その事にまず気付けないで、呆然とした。ただ、起きてから気付いたのは、クラウドの声がいつもより掠れて、不安そうな粘り気を帯びていたこと。

 一瞬にして開かれた目に起き上がった身体、しかし、現実には目の焦点はまだ合わないし、頭もハッキリしていない、ただ身体だけが動いたに過ぎない。鳴り響いた目覚ましを咄嗟に消してまたすぐ眠りにつきあとで悔やむような、無計画な反射だった。

 不安や悲嘆、歓喜も憤怒も、どんな感情だって一瞬で爆発することは無い。「喜びが爆発する」とは、よく言ったもんだ、……違う意味で「よく言うよ」と思う。実際には心のイナズマが伝えるまでにはどんな風にしたってタイムラグがある、爆発させようか迷う。時間を要する。心の準備がなければ驚くことも悲しむことも出来ない。無から感情は生まれないのだ。

 然るに、俺は寝起きの、すなわち「無」の状態だった。だから、暫く呆然として、それから頭が負の感情に満たされ、「わっ」と声をあげて漸く驚愕した。

「……クラウド?」

「……にゃう……」

 以前……、だいぶ前のことではあるが、ヴィンセントが猫に変身して、クラウドがいたはずの俺のベッドに忍び込んで、俺を驚かせたことがある。あの時、俺はクラウドが変身してしまったと大慌てした。

 既視感というやつだ。

 驚いて焦っている心のどこか、ヴィンセントの悪意ある微笑が浮かんだのだった。

 しかし、……しかし。

「クラウド……、クラウド、クラウド、どうしたんだ、クラウド」

 俺は匂いというか、本能的な部分でそれを排除して、ただクラウドを認識し、その顔をまじまじと見つめていた。

 クラウドは耳を寝かせて、泣きそうな、ホントに困惑しきった顔で、俺を見上げている。そして、不快なときに漏らす、おなじみの声をあげた、すなわち、

「にゃうう……」

 俺は呆然として、ふらふらベッドから立ち上がって、反射的にヴィンセントの名前を呼んでいた。

 俺のピンチには誰より早く駆けつけるヴィンセントが降りてきたのは二分後。もう起きて、新聞を読んでいたらしく、手際が良かった。クラウドを見ると、一瞬唖然と口を丸くあけたがそれもほんの一秒か二秒、すぐに駆け寄って、その頬に触れ、髪に触れ……、

「どうしたのだこれは……、何をした?」

「知らない」

「にゃうー……」

 冗談ではない。

 変身している、クラウドが変身している……!

 俺たちは顔を見合わせ、また示し合わせたようにクラウドを見た。台本が用意されてなきゃ出来ないようなことをやってのけた。

 時計は、午前六時半を指している、寒さも忘れて俺は前夜クラウドを抱いて裸のまま、同じく裸のままのクラウドを見つめていた。七時にクシャミをするまで、ずうっとそのままでいた。

「……学校を休もう」

 ヴィンセントが、その場にはあまりそぐわない、しかしもっとも的確な一言を吐くまで、三十分を要したのである。俺たちの恐慌状態が、お解り頂けるだろう。

 さて、クラウドがどういった姿に「変身」したのか? しばらくご想像の間を取らせて頂く。どんな風のクラウドだったか、……皆さんご存知のあの愛くるしい猫耳猫手猫尻尾の俺(と書くとあんまり可愛くなさそうだ)が、どんな風に変貌を遂げたのか……。

 

 

 

 

 身長百六十後半、体重は五十代後半、しなやかな鞭の如き筋肉に包まれた細身の身体。

「にゃう……」

 でもって、そんな文字の言葉を言うのだから、たまらない。困ってしまう。

 明らかに、一夜で三歳は年をとってしまったクラウドだ。俺はただおろおろとその身体をいろんな角度から見て、青ざめていた。何よりショックだったのは、あの頬擦りしたいくらい可愛くって実際何度となく頬擦りをしたちんちんに毛が生えていたということ。そんなことにショックを受けるなよと言われそうだが、この気持ちは俺にしか判るまい。

「カオスのせいではないようだ……、となると……何故」

 ヴィンセントにも訳が判らないらしい。眉間に皺を寄せて、腕を組んで、困惑しきっている。

「……クラウド、何があったのかお前には判らないのか?」

 クラウドも、眉を八の字にして、首を振った。見た目はもう結構、俺に近いものがあるのに、猫手に猫耳尻尾も相変わらず、しかし、恐らくは十六歳の俺の猫少年は、俺の普段着を着て、不安そうな顔。

「起きて、なんか変だなって……思って手ぇ見たら、こんななってて……」

 クラウドの二の腕を覆うは、いつものとおりのトラ猫毛、しかし、その先には違和感がある。成長した体に相応しいようにも見える、長く鋭く黒い、殺傷能力を秘めていそうな、獰猛な獣の鉤爪。しかし、クラウドはその両手の爪を持て余し、交互に見ては、溜め息を吐く。普段のクラウドには爪(白い色をしている)など不用の物、だからちょっと伸びてはいつも俺たちが切っているのだが。

「……まるで虎のようだ」

 ヴィンセントはクラウドの手を取って、黒く長い爪を観察した。

「……どうでもいい、もとの姿には戻らないのか?」

 俺は焦って聞いた。

「何とも言えん……、原因がわからなくては……。一夜でこんな、何歳も急に年をとることなど」

 寒いのにじっとり汗をかいて、しかし震えていた。なんだか突発的に恐ろしい可能性にたどり着いたのだ。すなわち、クラウドが死んでしまう――。

 一夜にして三歳くらい年をとった、明日にはもう三歳、二三週間でクラウドの命は尽きてなくなる……?

「……寝る前には確かに、間違いなく、普段どおりの、十二歳から十四歳の姿をしていたのだな?」

「うん、それは、そうだ。ちんちんにだって毛は生えてなかった」

「それが、起きたら急にか」

「ああ、ちんちんにも毛が生えてた」

「ちんちんから離れろお前は。……しかし、実際そんな急スピードに人間が成長することはありえん、そもそも、ジェノバが入っていれば成長するはずもないのだからな。それに、寝ている間に成長が始まったとして、起きて間もなく一時間が経とうというのに、一向に成長する気配が見られないのも妙だ。それに、爪は確かに伸びたが、髪の毛の長さは変わらんというのもな。まさか寝ているうちに誰かが切っているわけでも在るまいし」

「俺とクラウドのベッドに侵入する奴は誰であろうと許さない」

「落ち着け」

「これが落ち着けるか」

「お前が落ち着かないでどうする。クラウドはもっと不安なのだぞ」

「……にゃう」

 はっとして俺は、ごめん、と謝った。

「……或いは……、眠っている間だけ、何らかの変化が起こるのかも知れぬ」

「……どうして」

「判らない。判らないが、いまは何も起こっていないのならば、睡眠と関連しているのかもしれないと考えるのが妥当だろう。……クラウド」

「にゃ?」

 クラウドの前で、ヴィンセントは指をぱちんと鳴らす。

 するとクラウドの、ある種精悍になってる顔つきが、一瞬にしてとろんとなる。そして、ヴィンセントの支える腕へもたれ、よこたわった。催眠術だ。

「……これで暫く様子を見よう、何らかの変化が見られたならば……。お前は学校へ電話をしてこい」

 嘘をつくのが不得手な俺は、仮病としては非常にメジャーな「腹痛」を先生に伝えた。これでクラウドは今年に入ってもう三度目の腹痛で欠席したことになる。すっかり病弱な男の子だ。

 十分ほどして部屋に戻ると、ヴィンセントは既にクラウドを起こしていた。変化無し。

「全く変化無し。となると、突発的に起こった成長……、成長かどうかも判らないが、ともかく変化だな」

「うー……」

 クラウドは、心底弱ったような顔で、俺たちを見上げた。

 それから、何か口を開きかけたんだ、確かに、だけど、俺は咄嗟に思ったことを言ってしまった。

「ジェノバが持つ、何らかのパワーが作動したんじゃないのか?」

 そして、それにヴィンセントが頷いてしまったから……。

 多分、悪いのは俺だったろう。だから今謝っておく、ごめんねクラウド、俺のせいだね。

「可能性としては無くは無い。クラウドの中にあるジェノバが何らかの進化をしたというのは有り得る話だ。……だが、突発的にそれが起こったとは考え難いな。恐らくは何らかの条件が揃った結果だろう」

「条件っていうと……」

「見当もつかんが、……そうだな……、食い合わせ」

「食い合わせ?」

「ジェノバがどういったものに反応するか判らん以上、どういったものにでも可能性があるわけだ。例えば昨日の晩、私が作った鰤大根。クラウドが生まれてから作ったのは初めてだった。鰤と大根をそれぞれ別のシチュエーションで食べさせたことはあっても『鰤大根』という形をとって食べさせた事は無かったな。或いは……」

「あのね……」

「鰤大根にジェノバが反応したと……」

「あくまで可能性の問題だ、無いとは言えない」

「ねえ……」

「鰤大根……、鰤の旨味を大根が吸収して、でも鰤自身の旨味も決して消えない、いや寧ろ、大根の持つ甘味をより上品に、質の高いものにするには必要不可欠なあの和食料理にそんな危険性が秘められていたなんて……」

「若しくは……、昨日の晩にはもう一つ、もずくの酢の物を作った。……あれは元々私が晩酌をする時のために買って来たものだったのだが、賞味期限が近かったし、昨日の晩は晩酌する予定が無かったから、夕食に使ってしまったんだ。……クラウドにもずくを食べさせたのは昨日が初めてだった」

「ヴィン、ザックス……」

「もずく……、確かに、確かにそうだな、クラウド、『これなあに?』って聞いてたもんな。うまいうまいって食べるから俺の分もあげたんだ……。まさかあのヌルヌルの独特の舌触りが微妙に卑猥なあの小鉢にそんな罠が仕掛けられていたなんて……」

「あのさあ……ふたりとも」

「いや、あるいは、……あるいは、昨日の風呂で使った新しい入浴剤が原因だったのかも知れん、あれも今年初めて発売されたものだ」

「入浴剤……、あの『鉄輪(かんなわ)温泉』の入浴剤が?」

「可能性としては無いとは言い切れん」

「まさか……。いやでも、そうだよな、あの入浴剤を使ったのは確かにゆうべが初めてだった。『鉄輪』なんて渋いななんて思って使って、実際普通の入浴剤とどこが違うんだって感じだったけど……、疲労回復には結構効果があったような気がするあの入浴剤に、そんな陥穽があったと言うのか?」

 実際、俺はヴィンセントが提示する一つひとつの可能性について、真剣に真剣に考えていた。ヴィンセントの目が笑っているのにも気付けぬほどに、真剣になってああでもないこうでもないと考えていた。今思えば非常にヴィンセントが憎らしい。が、まあ、どうでも良かった訳ではある。

「ねえってば!」

 クラウドが、大人っぽい少年の声で叫んだ。俺たち(正確には俺だけ)はハッとして、クラウドの顔を見た。

「……これ、俺、知ってるよ」

「知ってる? 知ってるって、何を」

「だから……、俺、どうしてこうなったか、知ってるの」

「……なに?」

「だからあ。俺は判ってるの、こうなること、判ってたの! まさかこんな早く、今日、今朝、なるなんて思ってなかったから、びっくりしちゃったけど……、知ってたの、近々こうなるって判ってたの!」

 十代半ば以上の少年の喋り方ではない。俺はだけどそのギャップに新しい何かを見つける。そして、見つけてからクラウドの言葉の意味を、理解した。

「……知ってたって……」

「俺、もらったんだもん」

「貰った?」

「うん。カオスから俺、これ、貰ったんだ」

「カオスから?」

「そう。……覚えてる? スカルミリョーネがこのあいだ来た時、俺に、カオスからって、手紙を見せてくれたでしょ? あれに、書いてあったんだ、書いてあったって言うか……あれには、なんか、いくつか意味のわかんない言葉が書いてあっただけで、でも、俺にも判る言葉で『この言葉を読んだ君に、僕から新しい力を授けよう、可愛いクラウド、大好きなクラウドへ』って、書いてあったんだ。新しい力って、その時、どんなのか判んなかったけど、今解かる、これのことだって」

「そのようだな」

 ヴィンセントは何でもないように言った。

「さっき、ザックスが席を外した際にカオスから私の頭の中へ連絡が入った。……カオスの奴、どういった意図があってか知らんが、クラウドにこの姿を与えたらしい」

「……。って、ってことは、あんた、俺をおちょくって遊んでたのか、鰤大根とかって」

「当たり前だ馬鹿者。鰤大根で変身してたまるか」

 なんだか非常に下らない気分にさせられる。俺の焦りはなんだったというのか。

「……まあ、それはいいや。クラウドの……この、変身っていうのは……元に戻るのか? ちんちんの毛はなくなるのか?」

「うにゃ」

「……安心しろ、ちゃんと元には戻る。この変身には時間的な制約がある。もうすぐクラウドが起きてから四十分だな……恐らく、そろそろだろう。一時間前後で元に戻るとカオスが言っていた」

 言い終わらないうちに、クラウドの身体が音も無く、何の前触れも無く、しゅんっと縮こまった、……クラウドだ! 元の、十代前半のクラウドだ! にゃあ!!

 俺は反射的に飛びついて、頬擦りをした。

「うにゃ、にゃあ、うう、にゃう」

 クラウドはもがいた。俺は小さな身体がいとおしくって抱きしめた。

「心配したよ、クラウド……、よかった……」

「うううにゃ、にゃう!」

 

 

 

 

 だけど俺はクラウドがどんな姿であっても愛しているつもりだ。俺がクラウドの変身というか、成長した姿を見て、真っ先に心配したのは「クラウドが死んじゃう!」ということであって、決して「ちんちんに毛が生えちゃった!」じゃないのである。と、今言ってもいまひとつ、信憑性に欠けるであろうことはよく判っているが、本当にそうなのである。信じてくれ、信じてくれ、

「なあ、信じてってば、クラウド」

「うにゃう」

 猜疑心いっぱいの目でじーと睨む。

 そりゃ、確かに「ちんちん」連発した俺も悪い。

 だけれど、それだけが俺の本音じゃないって事も、理解していただけよう。俺がクラウドを、真剣に、肉体だけの理由ではなく、本当に精神性で以って欲していることは、もう煩いほど繰り返したことだから、判っていただけているはずだし。

 きっとクラウドも判ってくれているはずだし。

 クラウドとこれからも、これからも、いつまでも、永遠に一緒にいたい、共に生きていたい、共に生きて互いの姿態に痛い思いをしてでも一緒にいたい。ずっとずっと、ずっとずっとずっと。そのための妨げになる事物を俺は本当に恐れている。いつまでもいつまでも、アイワナビーウィズユー。

 クラウドは知らん振り、だけど、尻尾の先は俺の手の甲に。許してくれた合図だ。とりあえずはほっとして、クラウドを後から抱きしめる。甘い、少年の匂い。クラウドの匂いだ、俺の大好きな毛布と同じ匂い。俺は本当に心がほぐれ、クラウドの後髪にいつまでも鼻を埋めていた。クラウドの匂い。大好きな匂い。

「……にゃん」

 クラウドはそっと、俺に抗う声を上げた。俺は素直に顔を離した。

 一部始終をじっと見ていたヴィンセントが、温くなったコーヒーを啜って、

「……しかし、なぜクラウドが変身する必要があるのか。その理由をカオスはどうしても明かそうとはしない。……何か妙なことでも考えていなければいいのだが」

 ヴィンセントの表情が冴えない理由も判る。タイミング的に、勘繰りたくもなってしまうのである。

 つい先日に、スカルミリョーネから魔界の話を聞いた。スカルミリョーネに魔界の話をするよう働きかけたのは俺たちだったが、遅かれ早かれその知識は俺たちも持たなければならなかった物で、スカルミリョーネがこちらの世界へ来て、エレベーターとか地獄とかの話をしたのは、必然とも考えられる。恐らくカオスからクラウドへの手紙を委ねられた際に、俺たちに魔界と地獄とエレベーターの現状を教えるように言い含められていたのではないか。魔界を統べるカオス直属の「四天王」の一人がじきじきに、単に遊びになんて来るとは考えられない。何らかの、魔界の意図が働いて、スカルミリョーネはやってきたのではなかったのか。

 だとすると、カオスからスカルミリョーネに委ねられ、そしてクラウドへと渡された変身能力も、魔界の意図が絡んでいる可能性が高いと言わざるを得ない。

 ちょいと極端な話ではあるが俺たちの共通認識としては、

「クラウドを魔界の都合で玩具にされたくは無いな」

 である。俺たちの方が「玩具」にしているように見られるかもしれないが、そんなつもりは毛頭ないぞ。

 この宇宙の「外」にある、魔界と地獄との緊張関係、そして、こちら側すなわち地球へと送り込まれる地獄の「亡霊」。カオスの創り出した、違う次元同士を結ぶエレベーターの悪用。万能のカオスの数少ない悩み事だろう。しかも、速効性の対策は打てないと来た。このままでは今後も地球上へ、例えばコルネオのような、あるいは俺たちが某所で戦った「絶望の猛虎」のような、あるいはもっと性質の悪い亡霊が地球へ降り立つ可能性もある。

 その際に必要な、地球を守る戦士――但し、魔界の事情を十分判っている者――の必要。

 ヴィンセント=ヴァレンタイン、そして、クラウド=ストライフ。ここまではいい。この二人は確かに、かつて二度、地球へ亡霊が降り立ったピンチを救った。

 しかし、俺たちにも弱点はある、言うまでもなくクラウドだ。

 俺たちの戦いとは、決して大義名分の立つ種類のものではない。俺たちは基本的に「星を護る為」ではなく、「クラウドを護る為」に戦っている。コルネオとの戦いのときは、もちろんコルネオの汚らわしい手からクラウドを守ることが主目的だったし、先日の野球の件は、クラウドの願いをかなえることが目的だった。クラウドは俺たちにとって強さの源である、しかしそれと同時に、弱さの源でもある。現に、コルネオに、クラウドを人質にとられたとき、俺は泣くしかなかったのだから。

 だったら、クラウドを強くすればいい。「ヴィンセントとクラウドの戦う理由を、地球を護る為に転じさせればいい、そのためには」……。

 十分に、ありうる話だ。

 変身能力は体力を消耗するのかもしれない、クラウドは昼前になってまた眠いと言い出した、俺たちはクラウドを寝かせて、つまらない昼飯。

「判らんぞ……、これからカオスが、魔界の連中が、何を始めるか判ったものではない」

 ヴィンセントは苦々しげに呟いた。

「我々の連中に逆らえないことを知っているのだな。……言ってみればクラウドは人質だ。さすが悪魔だな、周到だ」

「……だが、カオスもスカルミリョーネも……、クラウドの嫌がることをするかな」

「嫌がらないから、するんだろうさ」

「嫌がらない?」

「クラウドは少なくとも変身能力を嫌がるはずが無い。……あの子自身の気持ちとしては、私たちに『護られる』存在というのはもどかしいものがあるのだろう。先日スカルミリョーネにも嬉々として話していたではないか、あのコルネオを屠った武勇を。あの子は強さを求めていた、私たちに護られるだけではない強さを。そしてカオスはそれを十分知っていた。クラウドの望みと、カオスの目論見、利害が一致することは明白だったから、カオスはクラウドに力を与えたのだろう」

「その通りだよ。さすがはヴィンセント」

 クラウドが座るはずで、だから今は開いていた椅子に、不意に存在感が現れ、見たらもうそこに、カオスが座っていた。柔和な笑顔で。

「僕には君らが必要だ。僕の必要を果たすためには、可愛い仔猫のクラウドの力が必要だ。そして、クラウドは力を求めた。だから僕はあの子に力をプレゼントしたんだよ」

 思わず俺は言った。

「余計なことを」

 カオスは肩を竦めて見せる。

「君らからしたら、確かにそうかもしれない。だけどね、クラウド自身が受け取ったんだもの。僕はあの手紙で、別に強要したつもりは無かった。クラウドが僕と、あの手紙を最後まで読み終えて、頷いたことで、契りを交わしたんだ。僕は聞いただけ、応えたのはクラウドさ。クラウドが僕を欲したんだ」

 これまでただの好色者としてしかカオスを見ていなかったけど、それは大いなる油断だったようだ。やはり相手は魔界の王。俺たちのことばかり考えてくれるはずが無い、彼にだって護るべき世界が、命がある。そのために謀をめぐらすのは当然といえた。そして、俺たちが彼の謀の駒となるには、一番適した存在であるということも。

 コルネオ戦で、そして、絶望の猛虎戦で、俺たちはカオスには好もしい結果を残した。「この人たちなら十分に僕の期待に答えてくれる」、だから、積極的に俺たちへ関与を促すのだ。

「ヴィンセント、ザックス、僕の仕事にこれからも協力してください」

 ヴィンセントは応えない、俺も応えなかった。

「君たちには、この地球に降り立つ亡霊から、この星を護る役割を果たしてもらいたいんだ。大丈夫、僕もスカルミリョーネも、それから他の三人の四天王も、君らが安心して戦えるよう、サポートはさせてもらうつもりだよ」

 なおも俺たちは応えなかった。

 カオスは悠然と微笑んで、

「まあ……、今は結論を急がないよ。ただ、君らの性格上、断れないと思うなあ。お人よしだからね、君らはずいぶんと」

 にっこり、邪気のない微笑みの後で、カオスはふっと消えた。

 あとに、声が残る。

「今夜の十時過ぎにね、ニブル山に亡霊がほんの少しだけ、下りてくる。地獄のエレベーターが作動したんだ。下等な奴らで、たいした事の無い連中だけど、野放しにするとちょっとした交通事故くらいは起こすかもしれないよ。場所はこっち側からあっち側への谷を扼すつり橋を渡った付近。足を滑らせないように気をつけてね。念のためにスカルミリョーネを送る。君らがもし来なくても、亡霊を何とかできるようにね」

 

 

 

 

 行くもんか、絶対に行くもんか。何があったって知らんぞ俺は。俺たちは魔界の意図なんかに翻弄されてたまるもんか。

「……さむ……」

 と言いつつ、来てしまった。

 これはとある国が同盟国との関係を重視するが故に禁じたはずの侵略戦争行為に手を貸すのにも似ているか? やめてくれ、いっしょにしないでくれ。あくまでこれは、個人的な戦いだ。クラウドにカッコいいとこ見せたいだけ。クラウドだったら見過ごすはずは無いだろうし。それに、国家的な利権が絡む問題ではない、あくまで、個人的な問題だ。

「来ないじゃないか。……ヴィンセント、コーヒー」

「……一杯分ずつしか入れてきていないのだぞ」

「……じゃあ我慢するよ」

 時計を見る、……十時を回った。

 クラウドは、こんな時間まで起きていては寝坊して、明日遅刻する可能性があるので、スリプルで寝かしつけてきた、一応留守番を、地脈の森のメルとダートに頼んである。

 真っ暗な中つり橋を渡る恐怖を経て、今ここにいる、俺の右手には村雨、ヴィンセントの右手にはライアット。マテリアももちろん、「炎」「冷気」「雷」のマスター、それから「回復」、「封印」も。抜かりは無い。

 空は真っ黒。今日は三日月が、刃のように極めて冷たく見える。家を出るときに、外気温度を見たら、氷点下五度。麓の村がそうなのだから、ここはさらに五度から八度くらいは低いことだろう。じっとしていると寒い。しかし、やることもない。

「担がれたんじゃないのか。案外、『ここへ来るかどうか、その決意を見たかった』とか言われたりしてな」

「……うん、可能性としてはなくもないが……」

「来ちゃうのが俺たち、なんだよな……どうせ」

 はーっ、と溜め息を吐く、ふわああと盛大に息が上がるが、意気は上がらない。俺たちは空しい思いで闇夜空を見上げた。

 と。

 彗星が一つ、左から右へ、くるりと走り去った。俺とヴィンセントは顔を見合わせて、「見た?」と目を交わす、もう一度上を見る、すると、今度は右から左へ、ひゅうっ。

 見つめていると、闇夜空の右から左へ、左から右へ、あるいは、前から後へと、幾多の細かな彗星が交錯していることに気付く。

「……来たか」

 宇宙の外側と内側を結ぶ「エレベーター」がどういった形をしているかは知らない。しかし、なるほど、宇宙の外側からやってくるとしたら、それは当然、俺たちからしたら「空」からやってくるものではあろう。

 やがて、彗星の数は増え、形もはっきりと目視出来るようになってきた。次第に大きさを増して、やがて動きが緩慢になって……、降りてくる!

 妖しい青白色の光が、一瞬の内に、稲妻のように閃いた。

 と思って見れば、あたりは静けさに包まれ、闇夜はもとの通りの闇夜、閃光の余韻すらも残らない。

 だが、俺とヴィンセントは互いに背中を合わせ、俺たちを囲う岩くれに神経を集中した。

「……結構数が多いぞ……、誰だよ『ほんの少しだけ』なんて言ったのは」

「非難は出来んさ。恐らくは奴にとって、これほどの数でも『ほんの少しだけ』なのだろうからな」

「……迷惑な話だよ……」

 ヴィンセントが闇に放った一発の銃弾が開戦の合図だった、真っ暗闇で無数の気配が蠢いて、俺たちへと飛び掛ってくる、俺は助走なしで踏み切って、四方から俺へ殺到する何かの塊をぐるりと切り払った、……敵の正体が掴めないから、軽い村雨を持ってきたんだけど、正解だった、あまり重たい剣だと、この状況、あまり有利とは言えなかった。ヴィンセントが空へサンダガの網を放った一瞬、空中に散らばった光に、俺たちを狙う亡霊どもの招待を照らし出された。それは、……虫だ、人の頭ほどもある無視、足が、なんだか一杯生えてるような、団子虫系の、うわあ、いやだいやだ、夜でよかった。俺は俺に飛び掛ってくる一群をさくさくと切り払う、嫌だよこんなのと戦うのは!

「ザックス」

 ヴィンセントが続けざまに何発もの銃弾を放つ、間隙に俺を呼ぶ、俺はそれに応じ、彼のすぐ隣りへ、そして、いっせーのせで、

「ファイガ」

「ブリザガ」

 熱と氷の破滅的シンフォニー、真っ白な炎が上がり、凍りながら蛇となって虫の大群を噛み千切っていく。「……ファイガじゃなかったのか?」「……てっきりブリザガだと」、偶然なんだけど。でも、結構な数の亡霊が消滅する。

 しかしそれでも、じわじわと亡霊虫の群れは俺たちを確実に包囲する。何だか、徐々に増えていっているような気もする。気色悪い。

「……トルネド!」

 ヴィンセントが風のバリアで包囲網を狭めてくる虫を押し返し、俺が奴らの怯んだ隙に剣で突き進む。しかし、……何だか、地面の中から、むくむくと湧いて出てくるみたい、実際に、俺の右足は確かに土を踏んでいたのに、何かににゅっと押し出された。すっごい気持ち悪い! 反射的に足下を突き、明らかな手ごたえを感じて、ますます嫌な気分になる。

「……数が多いな……」

 ヴィンセントは冷静さを少しも欠いていないが、面倒臭げな声を出す。

「……とっとと帰りたいのに」

 いや、俺もまだ冷静だ。頭にはクラウドの事。早く帰ってクラウドをぎゅっとして寝たい。

 そのためにも、とっとと片付けたい。

 そう思った、

「……私の可愛い子供たちよ」

 俺たちの耳に届いた、乾いた、かさかさに掠れた、しかし聞き覚えのある声。

「餌の時間だ……」

「スカルミリョーネ!」

 声のしたほうを見る、真っ暗闇から、かすかな腐臭がする。間違いない、スカルミリョーネだ。だけど、俺たちの知ってる「あの」スカルミリョーネではない、あの子の、もう一つの姿、戦闘モードのスカルミリョーネだ。

 子供たちって……?

 俺たちを包む虫たちの大群が、明らかに怯んだ。外側から、じりじりとこちらへ向かってくるのは相変わらず、しかし、どうも様子がおかしい。

 やがて、……何か、こう、野菜、俺は嫌いだけど、セロリかなにかを齧るようなばりばりとした音が、響き始めた。その音に、虫たちの大群のなかを、戦慄が伝播する。ばりばり、ばりばり、音は、虫たちの外側、四方向からじりじりと近づいてくる。

「今のうちに片付けるぞ」

 ヴィンセントが立て続けに銃弾を放つ、弾が切れてもすぐに装填。俺も気を取り直して、ばりばりいう音の中、外側へ群れを切り刻んでいく。

 腐臭が濃くなる。

「……スカルミリョーネ……、これは……」

 フシュルルルル、とスカルミリョーネの「舌」の音がする。歯もボロボロになったスカルミリョーネの口から零れる長い舌の醸す音だ。彼はずるずると身体を引き摺りながら、壊れかけの腕を振って、虫をなぎ払う。

「……ザックス様……」

 あの美少年の声とは似ても似つかぬしわがれ声が、

「ご安心を……。……私の……スカルナント、……生み出した、子供たち……、いまに、忌まわしき虫たち、を、……平らげて、見せましょう」

 スカルナント……、ってあの、SP風の四人組?

 スカルミリョーネの言葉どおり、俺やヴィンセント、そしてスカルミリョーネの手を煩わせる事もなく、四人のスカルナントはものすごいスピードで虫たちを空虚な胃へ納めていく。そのスプラッタ映像は闇ゆえに見えないが、「ばりばり」「ばりばり」いう音は、延々俺たちを囲っている。

 やがて、その音が静かになると同時に、亡霊虫の気配が、消えてなくなる……。

 俺とヴィンセントはスカルミリョーネの隣りにいた。強い腐臭が、不意に消えた。

「参上するのが遅くなりまして、申し訳ございません」

 声は、もう元の少年スカルミリョーネのものになっていた。俺はそっと手を伸ばして触れてみる、スーツの上等な生地に届いた。

「もう少し早く出るつもりでした。……ですがその、カオスに『もう少し時間をおくように』と命じられまして……」

「あ、ああ……。彼らは?」

「あ……、皆さん! もういいですよ、戻ってください」

 さっきまであれだけ漂っていた闇の気配が、一瞬にしてすべて消えて、立ち込めるのは山の清澄なる夜気。

「ご苦労様でした、私はお二人とお話がありますので、先に帰って頂いて結構ですよ」

「はっ……、ではお先に失礼いたします」

 若々しく雄々しい、俺たちが先日聞いたのとは別の男の声がして、四つの気配が霧のように消えた。

 スカルミリョーネの、肩を落す動きを感じる。

「……お二人には、本当に申し訳のない事になってしまいまして……、何と申してよいやら。本来ならばこのような厄介ごとに、ヴィンセント様やザックス様、そしてクラウド様を巻き込みたくはなかったのですが……」

 この子は、気にしだすと止まらない、神経のか細い子なので、こうやって自責をさせるのはあまり得策ではない。

「……まあ、今は良い、ここは寒いから、とにかく下山しながら聞こう」

「はい……、申し訳ございません」

 俺たちは、本当についさっきまで夥しい数の虫でざわめいていたということが俄かには信じがたい、静かな山道に沿って、村へ戻る。

……その道すがら、スカルミリョーネには延々謝られっぱなしだった。

「……カオスも、皆様にこのようなことをお願いするのは本当は間違っていると、よく理解しているのですが……、しかし、他に方法は無いのです。私を始めとする四天王や、スカルナントのような直属の部下が地球で守護に当たることが出来ればいいのですが、私たちにも魔界を護るという使命がございます。四天王は言わば四位一体、地水火風の四元素を司る者たち、一人でも欠けてしまっては、魔界の守護には綻びが生じてしまうのです……。それに、地球を守護するに適任なのは、どう考えても魔界人ではなく、人間……。皆さんは人間でありながら、私と同じく老いず、死なぬ体、そして、ヴィンセント様はカオスの力をそのお体に宿しておられる……、皆様以上の適任者はどこを探しても……」

 うーん……。

 ほんとに「うーん」だよな。行ったことも無い世界がうちらに迷惑かけている、それに対するために俺たちが戦う、あまりにも、はっきりとつかめなさ過ぎる。

 それでも確かに、俺たちが戦った相手は亡霊である。

 過去、俺たちに危害を加え、一度はクラウドを生命の危険にもさらした、亡霊である。

 戦わない理由は、俺たちには希薄だった。

「でも……、俺たちの理由は、それでもどうしたって、クラウドに行き着くんだ。あくまで俺たちは、個人的な理由で戦っている」

「はい、それは承知しております。そして……、私自身は、それでも構わないと思うのです」

 スカルミリョーネは困ったように微笑む。

「私は、お二人がクラウド様を心から愛しておられることを存じております。そして、クラウド様がお二人を愛しておられることも。皆様の中を通う愛情は皆様にとってなにものにも替えがたく、仮にこの星の命運を前にしても、一つの環を創る愛をかけがえないと感じられるお気持ちは、私も判りますから。ですから、お二人の理由が『クラウド様』であっても、私自身は全く問題は」

 俺たち三人は、びくりと立ち止まった。そして、一斉に走り出す。走りながら、ヴィンセントは翼を生やして、俺とスカルミリョーネを両脇に抱えて、飛び立つ。

「……まだ残っていたか! ……いや、これは」

「新たにどこかから降って沸いたのでしょう……、カオスはこんな事は一言も……」

 ヴィンセントの右脇に抱えられながらスカルミリョーネは困惑した声で言う。

「しかし、間違いあるまい」

「……ええ……たしかに亡霊の波動です」

「村のほうだ、ダートとメルがどうにかしてくれれば良いけど……」

「街の中でドラグーンスピリットは使えまい、……飛ばすぞ!」

 山から、一気に飛び降りて、村の中央広場へ着地して。

「……うう……」

 そこで見たのは、

「……ふーっ、うにゃううううううう……」

 変身したクラウドと……、それを呆然と見るダートとメル。

 そして、既に生き耐えて消滅しようとしている、虫の残骸。

「クラウド……!?」

「ふがー!」

 怯みながらも、飛び掛ってくる虫の数匹を、クラウドは黒く長く発達したその爪一振りで引き裂く、だっと二足駆けて、飛び上がると、空中で交錯した一匹を横に、着地地点にいたもう一匹を、縦に、真っ二つ。

「メルねえちゃんとダートにいちゃんに手出しはさせないぞ!」

 雄々しい声で――俺と殆ど変わらない声で――クラウドはそう宣する。彼の後ろはなれたところで、ダートとメルはぽかーんと見つめている。

 とうとう、最後の一体までクラウドは爪で引っかいて、やっつけた。引き裂かれた亡霊虫は、音もなく消えた。

「この村の平和は俺が護るッ」

 うにゃあ……。

 ヴィンセントにスカルミリョーネに、メルにダートに、そして俺。

 全員、ぽかあんとして、カッコよく言い放つクラウドを、見ているほか無かった。


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