側に一人いない

 ちんちんの穴が。

 ……いきなりそんな書き出しもどうなのかと思うけれど、まあ、「雌の触手」に広げられた俺の聖域が、何かこう、言い様の無い違和感を訴える。幸い、傷はついていないようだし、この違和感も今まで出口専門だった場所に物が入って来たわけで、あって然るべき。だが、もう二度と、……ヴィンセントが相手だったとしても、味わいたくは無い。相手が雌の触手だったということも相俟って、俺は汚されてしまったような気になる。お前はもう十二分に穢れきっているだろうという当然のご指摘どうもありがとう。

 触手に散々弄られた後は、……もう、その段階で俺の頭はフラッシュっていうかスパークっていうか、そこから記憶は殆ど切れているのだけれど。

「お願いですいかせてください大きいのお尻にハメてくださいお願いです」

 そんな具合に、哀願してた記憶がある。……、うん。

 クラウドが目を醒ました。途端に、

「にゃー!!」

素っ頓狂な声を上げた。無慈悲なる魔王カオス、さすがにクラウドの尿道を開発するようなことはしなかったみたいだが、それでも触手にうにうにされるのは。俺にもヴィンセントにも届かないようなレヴェルで感じきっていた。失禁、失神、何でもありの到達の仕方で、俺はクラウドのこと大好きでクラウドのこと気持ちよくしてあげたく思っているけれど、あそこまでしてあげたいとは思わない。

「にゃー!にゃっ、にゃ!!にゃっ……、にゃ……、うにゃ……?」

 我に返って、クラウドは俺に気付く。「にゃ……」、きっと凄い夢を見ちゃったんだろう、俺が手を伸ばすと、しっかり両手で掴んだ。俺にしたって、尿道だけじゃない、尻の穴だってそうだ、その他もろもろのところが、ぐだぐだに疲れていて、今が何時なのかも判らない。ただ、ホテルのベッドの上で、裸で。体は汚れていない、シーツも綺麗だ。膀胱の加減から察するに、まだ朝にはなっていないのかもしれない。カーテンの外は事実、真っ暗だ。しかし、カオスはもういなくて、部屋はクラウドが黙ると静まり返る。俺は軋む体を叱咤して立ち上がり、ズボンのポケットの中の携帯電話を開く。午前三時三十一分。

「……うなー……」

「うん……、痛い、な、色んな……ところが」

 ずるずると、俺はベッドに横たわる。クラウドも起き上がる気力は無いようだ。

「とりあえず……、ヴィンセントは戻ってきてない、か。どこかで……、スカルミリョーネの家にでも行ったのかも知れないな」

 ただ、彼はカオスに会いに行ったのだ。それなのに、カオスは一人でやってきた。そして、ヴィンセントは戻ってこない。言動と結果に矛盾が生じているような気もするが、或いはヴィンセントも、カオスの触手に犯されたのかもしれない、……と、触手に集られるヴィンセントが頬を赤らめ必死に声を上げまいと奥歯を噛んでいる様子を想像して、立場トランス、そして空っぽの精巣で、でも、ちょっと、ピクンとしかけた俺の心の針。いや、色っぽいと思ったんだよ。実際ヴィンセントはそのままでも凄く色っぽい人だと思ってるし。

 とは言え、体が辛い、辛い。

「……寝よう、クラウド、何も考えずに、嫌なこと忘れて寝よう」

「……ん」

 疲れきった体、心。ヴィンセントがアレだけ巧みなテクニックを持っていて、クラウドと俺を幸せへと導いてくれるのはカオスの力なのかもしれないと思っていたが、それが誤解だったことを思い知った。カオスはもっとずっと恐ろしいのだ。そして、その恐ろしいカオスに寵愛され、抱かれ続ける稚児スカルミリョーネの体の驚異を思う。なるほど不死という性質、カオスには最高に好都合なのだ。

 そこまで考えて、限界が来て、俺は深い眠りに落ちた。

 

 

 

 

 一応、毎日七時にアラームが鳴るように設定してある。それでも消して二度寝、そしてクラウドを学校に連れて行くのも忘れて熟睡、スカルミリョーネに迷惑をかけ、ヴィンセントに叱られる、というパターンを繰り返す。だから、携帯電話は少し離したところへ置いて、アラームを止めに行く過程で目を醒ますようにはしている、のだが、次に目を醒ましたとき、空は真っ青で、俺はよろよろとベッドから下り、携帯電話を開く。アラームが鳴った形跡はあるが、もう既に十一時を回っていた。烈しい頭痛がして、だけれどとりあえずトイレに行きたくて、小便をした。し終えて、ああ、そう言えば尿道大丈夫だ、ああよかった、そんなことを考えて、……油断したらそのまま寝てどこかに頭をぶつけそうだったから、気を入れて、ベッドに戻る。そして、ああそうだ、俺も行きたかったってことはクラウドもと、クラウドを揺すり起こす。少し腫れぼったい目をのろのろと開いて、「トイレ行こう」、俺の言葉にも反応が鈍い。しょうがないから、抱っこして連れて行って、させた。

 ヴィンセントが帰って来たらしき形跡は無い。クラウドにおしっこさせて、少し目が醒めて、携帯電話を改めて開く。メールも、着信もない。つまり、まだ寝ているのだろう。やはりヴィンセントもカオスに犯されたのだ。

 どうして?

 クラウドはまたぱたんと横になる。俺はベッドの上、こめかみを抑えて、ちょっと考える。それにしたって、「どうして?」カオスはいきなり俺たちにあんなことを。こんなこと、今まで一度も無かった。

 何年か前だが、ヴィンセントと俺がクラウドを残し、戦いに出なければならないシチュエーションがあった。この日記には書いていないことなので割愛するが、その間のクラウドの世話はカオスがしたわけだ。その際カオスは、「いっつも優しくって、にこにこしてた。……えっちも、うん、ヴィンセントとしてるみたいだった」、あんな風に触手を繰ってどうこうするような男ではない、はずなのだ。

 然るに、俺の尿道にまで押し入ってきた。

「いてて……」

 きぃん、頭に走った。いつ以来だ、セックスして記憶なくすなんて。覚えてないぞ「ハメて下さい」なんて言ったの。

「……お腹すいた」

 クラウドがぽつりと言った。それを聞いて、自分もぐうと鳴る。

「そうだな、……とりあえず何か食べよう。何か食べたいものあるか?」

「……あんまり思いつかない、でも、お腹すいた」

「じゃあ……、ヴィンセントまだ戻ってこないけど、街に出ようか。いざとなったら携帯鳴らしてくるだろうし」

「うん、……ふにゃあああ……あ」

 服を着るために腰を曲げたり手足を伸ばしたり、小さな動きに、いちいち各所がパキパキ小気味いい音を立てた。

 魔界は本日も快晴なり。昨日、と言っても、濃厚な時間を経た後だから何週間か前の気もするけれど、カイナッツォの言葉を思い出す、今日は日曜日。人通りは昨日と同じく多いのかと思いきや、通りを歩く人もとい、魔族は少ない。昨日アレだけ出ていた屋台も影を潜め、通りに面した多くの店は「本日休業」の札を下げている。

 クラウドと二人で通りを十五分ほど彷徨って、通りから一本入って更に歩いた裏通りで、やっと開いている店を見つけた。路地にカウンターと固定式の丸椅子を開いただけの小汚い定食屋だが、クラウドはふわふわ漂う味の濃そうなソースの匂いに俺の袖をぐいと引っ張った。

 並んで座った俺たちを観て、カウンターの中、俺らの世界にもいるような、こう、いわゆる「おっさん」が新聞を畳んで立ち上がる、「ああ、いらっしゃいよ」、まだ、吸いかけの煙草も消さないで。

「……なんだろ、これ」

 クラウドが低い声で囁く。猫手で指さしたメニュー。

『しみったれオヤジのA定食』を筆頭に、『独身中年B定食』、『妻に逃げられC定食』……。空腹時に頼まれたって食べたくないようなメニューが縦書きで並んでいる。が、此方と通貨単位及び月収年収の割が同じだとしたら、それだけを理由にとりあえず頼んでもいいくらいの安さではある。

クラウドと俺は腹が減っている。

だから、しょうがない。

「……とりあえず、じゃあ、あの、この『しみったれオヤジのA定食』を二つ」

 愛想は無いが人の……魔族、の?悪くはなさそうなおっさんは「あいよA定二丁」、一人しかいないのに点呼して、取り掛かり始めた。俺らの世界にもあるような冷蔵庫から俺らの世界でも見慣れた食材を取り出し、調理用具も調理方法もまったく似ている。

 覗きこんで観察していたからか、

「あんたら、人間だね」

 おっさんは中華鍋に鶏のから揚げを投入しながら言った。

「ってことは、カオスの客人だ。違うかね」

 おっさんは、白い肌着シャツに腰巻エプロンを巻いている。シャツのあちこちには、相当に年季の入った染みが浮いている。白髪交じりの、大分薄くなった頭。こっちでの年齢が幾つになるかは判らないが、人間なら四十代後半から五十代前半といったところだろう。

「……どうしてそれが」

「まあ、あんたら、ちょっと有名だよ、こっちの世界で。……カオスが可愛がってる人間三人、うち一人は獣人ってね」

「ああ、そう」

「表通りの店、全部閉まってたろう」

「ああ……、はい。どうして?」

 から揚げは二度揚げするらしい、一度揚げて、油を切る、その間に、鮮やかな手つきで野菜を刻んでいく。その手を緩めることもなく、おっさんは話を続ける。

「カオスから聞いてないのかい」

「何も」

「……そうかい、じゃあ俺が余計なことを言うもんじゃねぇな」

 そこで、おっさんは言葉を切った。二度の揚げでからりと香ばしい色に揚がったから揚げを見て、クラウドの腹があからさまに「ぐー」と鳴った。太い指で更に盛り、炊飯器からご飯、そして保温器からは豆腐の味噌汁。お新香がついて、出来上がり。

「あいよ、お待たせ、A定二つ。……坊やはちゃんと食えるのか?」

「にゃ……」

「大丈夫です、俺が食べさせてあげるから」

「そうかい、仲が良いんだな」

 誉められたわけでもないが、やはり嬉しくて、俺は顔が綻ぶ。

 衣はさくさく、鶏肉は柔かくジューシーな鶏のから揚げ、クラウドも俺もはふはふ言いながら、ちょっぴり濃い目の味付けのそれを美味しく頂く。ヴィンセントが薄味好みである分、少し塩辛く感じないでもないが、新鮮といえば新鮮で、揚げ加減も俺より遥かに上手、ヴィンセントと同じくらいか。

「それを食べ終わったら……、泊まってるのはホテルかい?」

「ええ、そうですけど」

「じゃあ……、戻って大人しくしてることだな、あんまり出歩かないほうがいい。俺ももう閉めようと思ってたところだから」

 おっさんはそう言って、でも、クラウドのご飯のお代わりにもつきあってくれた。俺も、おずおずと茶碗を差し出す。快く大盛にしてくれた。

 幸福な満腹感、そして拝みたくなるような安さに、二人で丁寧に例を言う。

「おじさん、ホテルに戻れって言ってたね」

「そうだな……」

ちょっと、ひっかかった。……この静けさも妙だし、ヴィンセントは戻ってこないし……。

 満腹の状況で深刻なことを考えるのは不似合いで、あまり考えもスムーズには転がらない。でも、しょうがない。街角の灰皿で煙草を吸いつつ携帯を見たが、ヴィンセントからの連絡は無い。ヴィンセントがいないとなると、……いつぞやもそうだったが、舵を失ってしまうようなもので、行く場所が無い、すべきことが見つからない。とすれば、やっぱり第三者の言うことに従うほか無く、この主体性の無さは嘆きたくなる。

 結局、俺とクラウドはホテルに戻った。ホテルマンたち、恭しく俺らに頭を下げるが、見回しても他に客は無い。平常通りの営業を装ってはいるが、どうもみんな、様子がおかしい。俺たちのことをチラチラ伺っているように見える。

 自分たちの部屋に戻って、窓から外を見下ろす。静まり返っているように、動くものが少ない。ちょっと、不気味さを感じ始めた。ただ、クラウドに不安がらせぬ為に、まず俺が落ち着かなくては。

 クラウドがテレビのスイッチをつけた。高級な一室であるから、見るのに金を取られるなんて肛門の狭いことはない。日曜日のこれくらいの時間であれば、我々の世界であれば、ゴルフだとか、競馬だとか、グルメ旅行番組だとか、暇つぶしにいいようなプログラムが組まれているはずなのだが。

 砂嵐だ。移動式のアンテナがついているような旧式のテレビではない、ウチで使っているのよりも新しい。それなのに、クラウドがリモコンのどのボタンを押しても、一様に砂嵐が画面を覆っている。

 神経質かもしれないが、護るべきもの在り、また神経のとがらせ方を知っている俺は、嫌な予感が一層強まる。昨日は確かにちゃんと映ったテレビが、どうして?通りの静けさ、おっさんの言葉、ホテルマンたちの挙動不審、……繋がりは十分に意識される。そして何よりも、ヴィンセントの不在と、カオスの乱暴。

「俺たちの世界と違って電波障害が起きやすいのかもしれないな。……お茶入れるけど飲む?」

 そんなことを言いながら、一刻も早くヴィンセントと連絡を取りたい、不安が胸にしっかり広がりきってしまった。ご存知の通り、ヴィンセントがいないとダメな俺なのだ。


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