月水金は俺が、火木土はヴィンセントが、クラウドを学校へ送り、机を並べてノートを取り、弁当を食べさせて帰えって来る。手が空いている方は部屋の掃除をし、買い物に行き、昼寝をし、二人の帰りを待つ。部屋が随分広くなった。あれだけあった本も何とか片付いて、試験管やそういう類の、ハッキリ言って目障りな物は全て分別してゴミに出した。この機会に新しい冷蔵庫も買った。何せ前のは、どう考えても一人暮らし用、引き出し型の野菜室もなければ冷蔵室の中に「氷温室」なんていうのもない、ただのよく冷えた箱だったのだ。新しく買ってきたそれは俺よりも身の丈があって、それらの欲しかった機能に加えて更に電気代も半分、地球に優しい省エネ設計のものだ。
冷蔵庫の中にはいつも牛乳とストレートティーが入っている、野菜室を開けば新鮮なトマトやキュウリが、冷凍室には三日前に買ってきた鶏モモ肉が冷やしてある。何も言うことはない。
クラウドは完璧に学校に慣れたし、二年生の子供たちだけでなく全校の誰からも愛される存在になった。勉強も、モトがいいからか、それとも俺たちの努力の賜か、遅れることなく付いて行く。得意教科は算数と社会と体育だ。
全て順調に進みつつあった俺たち。
しかし九月に入って三回目の火曜日、また新たなる問題が発生する。
「……で、どこだって?」
「さっきも行っただろう、ウータイだそうだ」
「あんな遠いところへ?」
「シドの飛空艇を使うらしい。神羅と完全に切れている訳じゃないからな。リーブらしい、なかなか気の効いたことだと思うが」
ヴィンセントはソファに腰をかけて腕を組む。流しではクラウドがうがいをしている。
「どうするんだよ」
「知らん」
投げやりに、俺に小さな手作りの冊子をプレゼントしてくれた。子供たちが自分で作りましたと言わんばかりの、バランス悪いホチキスの付け方。
その表紙には「秋の社会科見学」。
ばらりと開くと、栗とか楓とかのイラストで縁取られた中に、行程表が載っている。
「明日か」
吃驚して俺が言うと、ヴィンセントが唸る。
「明日だ」
「急すぎる」
「クラウドの鞄の中に先週の水曜に配られたプリントが入っていた。大方、お前が配られたのを忘れてそのままにしておいたのだろう」
完全無気力にヴィンセントは額を抑えた。はぁ、と溜め息を吐く。
「普通、小学校の社会科見学するのに飛空艇なんて持ち出すか?」
「言わば私立の小学校だからな……旧神羅が吸い上げた税金がダブついているんだろう、今更使い道の無い金だ、せめて子供たちにいい思いをさせてやろうというのがリーブの考えだろうな」
「大きなお世話を……」
俺も脱力感に見回れて、俺は食卓の端に寄りかかった。
「どうする」
「……今考えている。お前も考えろ」
「考え付かない」
「うにゃ?」
何時の間にかクラウドは俺のすぐ隣に立っていた。深刻そうに俺たちが話していたせいで、少し不安げな表情だ。
「……とにかく」
ヴィンセントは立ち上がると、冷蔵庫を開けてグラスに牛乳と、ポットに入ったままのコーヒーを半々に注いだ。
「お前は行かない方がいい」
「たぶんそうだろうな。……ついてない……よりによってウータイ、シドにユフィか。ヤなコンビだな、こういう時には」
胃を締め上げられるような溜め息を吐いた。シドが「おぅ、おめぇも色々たいへんだなぁオイ」とかいって、ユフィが「うっわー、っていうかそれ犯罪じゃん、うぁっ、サイテー」とか……。
頭が……。
「ティファとユフィで無いだけありがたく思うべきだろうな」
「…………」
恐ろしい。
「ところで」
「何だ?」
「牛乳なんて……珍しいな」
俺が指摘すると、ヴィンセントは一気に偽アイスカフェオレを飲み干し、疲れたように言った。
「胃が痛い」
無理も無い。
「おお! 久し振りじゃねぇか根暗のヴィン公! 元気にしてたか!?」
「……相変わらず元気だな」
俺は自分の身体の柔らかさに感心していた。僅かな隙間から覗けるシドの顔は三十路も後半ながら相変わらず暑苦しいまでに若々しく、数年の時は思えばあっという間に過ぎてしまったように感じられる。
「で、クラウドはどこだい」
「ここにいる」
まだ冬まで遥か遠い。なのに頭まですっぽり覆われるマント(実際、ヴィンセントの例の赤マントを繋ぎ合わせて作ったものなのだ)で耳を隠し、手袋を填め、ロンドンブーツで身長の低さを誤魔化したクラウドが、そこに。
俺は身を余計にちぢ込ませて待った、どうか、神様、ばれませんように。
「んぁ? 何か痩せたんじゃねぇか? クラウドよぉ」
ぼんっ、とイキナリ頭を叩かれて、クラウドがびくっと身体を強ばらせる。
「シド、クラウドは、乗り物酔いしないように集中力と緊張感を高めている最中なのだ。邪魔をしないでやってくれないか?」
「お? おお、すまねぇ」
不自然なゴマカシが多すぎる。ヴィンセントは頭の回転は非常にいいが、悪役には回れない。隙間から、タカハシ先生の呼ぶ声がした。
「そろそろ行くか。シド、子供たちが一杯乗っているのだ、安全運転で頼むぞ」
「おう、任しとけ! ……って、時に、ヴィンセントよぅ」
シドがスーツケースを指差した。俺は心臓が止まるかと思った。
「たかだか日帰りの社会科見学なのに、随分な荷物じゃねぇか」
「……ああ、そうか? ……そうかも、しれないな」
歯切れの悪い返事。シドが単純で助かった。
俺の現在位置は、スーツケースの中だ。
ヴィンセントに引き摺られて、小さな石くれに乗り上げるたびガタガタ揺れるせいで、もう吐きそうな程気分が悪い。心労で胃も弱っているし。
「……大丈夫か?」
小さくヴィンセントが訊ねる。
「多分。……クラウドは?」
「安心しろ、出席はちゃんととってある。もうすぐ交代だ」
――ヴィンセントが考え出した、何ともお粗末な計画、名づけて「スーツケース大作戦」……今日日、誰がこんな陳腐な作戦名を考え付くか。
まず、学校で集合、ヴィンセントがクラウドを連れて、出席を取ってもらう。クラウドに、なるべく「俺に近づく」変装をさせて、俺はスーツケースの中に入り、一緒にハイウインドに乗り込む。――この段階で、シドはヴィンセントと一緒にいるのは「クラウド=ストライフ」であると認識する、っていうかしてもらう、させる。
しかし、いくら乗り物酔いがどうこうと言っても、ユフィよりコツを知っているはずの俺がずっと一言も喋らないままではどう考えてもおかしい。
だから、適当なところで俺が現われる必要になる。
その際、クラウドは俺と入れ違いでスーツケースの中へ。
ウータイ到着直前で再び俺とクラウドは入れ替わり、クラウドたちはそのまま社会科見学、「ウータイの歴史を探ろう」へ。
その間俺はアリバイ作り、というか、「クラウド=ストライフ」がウータイに来ているくせにユフィと顔を合わせないのはおかしいから、ユフィと、あと出来ればシドを誘い、一緒に食事でもして、「クラウド=ストライフがウータイに居た」という事実を作る。
ヴィンセントには「歴史を探」っている間、クラウドと俺たちが接触することの無いよう、上手くやってもらう。
そして帰りは往路と同じく、飛空艇内で入れ替わりをし、シドを遣り過ごす。
「……こんなの上手く行くもんか」
俺は半ばあきれて言った。こんなトリック、二時間ドラマでもやらない。
「大丈夫だ、きっとうまく行く。……クラウド、お前にかかっているぞ」
このトリックの主役は、丸くつぶらな瞳で。
「にゃ?」
人を騙せるはずが無い。
一歩外に出た途端、ぐらりと世界が廻った。
考えてみれば当然のことだ、ずっと狭い狭いスーツケースの中に身を丸めて、頭と足が殆ど同じ位置にあったのだから。
「お、おおおおお?」
意識に反してよろよろと壁に突進してしまった。ヴィンセントに支えてもらって、少し落ち着く。
「ご苦労」
「だいじょぶ? ザックス」
クラウドが心配そうに顔を覗き込み、肉球な両手を俺の頬に添えて鼻の頭にキスをしてきた。
優しすぎて涙が零れそうだ、というか、かわいい――我ながらしつこいけれど。
体勢を立て直し、お返しに頬にキスをしてやった。
「さて」
ヴィンセントが咳払い。これからの予定確認。
「それでは、済まないがクラウド、二十分で済むから、この中に入っててくれるか?」
「うん!」
元気に返事をし、いとも簡単にスーツケースに入る。なるほど、猫だから俺より身体は柔らかいはずだし、狭くて暗いところもOKなのだ。何より、クラウドは俺よりもずっと小さい。スーツケースの中に身を丸めて入っている様子は、愛らしい。
「平気か?」
「うん、へいき。閉めていいよ」
耳を挟まないように、両手でたたんでいる。何でこう、ツボを突く行動を見せてくれるんだろう。ヴィンセントも隣で苦笑している。
ゆっくり扉ならぬ蓋を閉じて、しっかり鍵をかける。何かの拍子に飛び出してきたらオオゴトだ。とりあえず生徒先生たちの前でなら良い(言い訳出来るかどうかは別として)が、シドの前だとしたらシャレにならない。
「恐くないか? 大丈夫?」
「だいじょぶだよー」
「……よし、じゃあザックス、お前はなるべく短時間でシドとコンタクトを取って戻って来い。……但し、タカハシ先生や子供たちにはくれぐれも見つからないようにな。彼らはお前が来ているコトを知らないし――」
「その上シドの前で『ザックス』とか『クラウドくんのお兄さん』なんて呼ばれたら……だろ? 解かってる。……そうだな、十五分を目処に戻る。クラウドを頼んだぞ」
「おう、乗り物酔いはもういいのか?」
「あ? ……ああ、お蔭様で」
現在この飛空艇の中には一人の人間しかいないのだ。だから演じている本人たちすら、事実の辻褄合わせに神経を使わなければならない。
「ヴィンセントの奴ぁ、ありゃあ、死ぬまで治んねぇな、あの暗さは」
ゲラゲラ笑って煙草を一服。シドのヤニ食いも、きっと死ぬまで治らないだろう。
そして、その底抜けに明るい性格も。
こうやって改めて対面すると、やっぱり久しぶりだから感慨深い物はある。顔を突き合わせてみると、笑い皺が一層深くなったこととか、よく見ると頭に白い物が見えたりとか、自分が置いてけぼりになっている事の証拠が目に留まる。
「シエラさんとは? 上手くいってるんだろ?」
「んぁ? ……あ、ああ、まぁ、そりゃあ、なぁ」
結婚してもう大分経つというのに未だ新婚の旦那様のように初々しく顔を赤らめる。俺よりいっぱい生きているくせに。
「そーゆーオメェは、ヴィン公とどうなんだよ」
シドは、というか、仲間たちは皆、俺たちの関係を知っているし、同性愛に対して批判的な態度を取ったりもしない。
まぁ、だからといって彼らの目の前でヴィンセントにキスしたりすることはないが。それなりにおくゆかしいのだ、俺は。
「相変わらずだ」
変わるところがあったとすれば、それは俺たちはいわゆる「恋人同士」ではなくなったということくらいだ。
それも、俺たちの関係が変わったこととは違う、昔と遣り取りも同じだし。クラウドが生まれたことで俺たちの絆みたいなのは一層深まったような気もする。俺の言葉に、満足そうに「そうかい」と頷くと、また新しい煙草を取り出す。
「……銘柄変わった?」
「シエラの奴がうるさくてな。こんな1ミリのじゃ、吸った気にならねぇよ」
とか言いつつ、まんざらでもない様子。
「来年くらいになったらウチの方にも来いや、歓迎するぜ。今年中はロケットの打ち上げ云々で忙しいけど、来年になったら少し手も空くだろうから」
「今度ので何号になるんだっけ」
「31号だな。猫ロボが金をたくさん回してくれるお蔭で助かってるぜ」
リーブはよくやっている。あれだけ暴力的な支配の後に、人格者がトップに立ったのだから愛想を尽かせていた民衆は当然、一時的に振り返る。
そしてその市民たちを捉えて離さないように税金を軽くしたり、ボロボロ状態のインフラを整備したり(そのあたりは都市開発部門責任者だったのだからお手の物だ)、そして、こんな風に旧神羅を象徴するような腫瘍とも言えるような末端の子供たちにまで遠足の足を準備したり。旧神羅からのせめてもの罪滅ぼしだとリーブは言うかもしれない。
「わかった。来年、遊びに行かせてもらうよ。あんたたち夫婦の子供の顔もみたいしな」
子の名はミドというんだそうである、ちなみに男の子だ。
「……あと、どれくらいで着く?」
「あと……十分くらいか」
「OK、じゃ、また後でな。ウータイでは少し時間取れるんだろ?」
「ああ、多分な」
作戦通りだ。
「じゃあ、ユフィとお茶でも飲もうよ。久しぶりだし」
再び入れ替わりで鞄に戻る。
「もっと入ってたかったなぁ」
「物好きだな」
クラウドは俺みたいにバランスを崩すこともなくピンピンしている。俺が再び潜り込むと、クラウドの尻尾の匂いがした。
「着いたようだな、行くか。……クラウド、手順は解かっているな?」
例のマントを被せながら、ただし今度はロンドンブーツではなく普段の運動靴を履かせ、ヴィンセントが確認する。
「うん!」
クラウドからしたら、これは何かのゲームに相当するのだろう。にこにこしている。父と兄の胃痛とは裏腹に。
「……ザックス、十分くらいの辛抱だ」
「了解した」
俺は、シドがクラウドと鉢合わせないために生徒たちの点呼を取っている間、ヴィンセンに引き摺られてシドを足止めする。クラウドを一人にしてしまうのはかなり不安だが、仕方が無い。俺がクラウドと一緒に居るところをシドに見られたらお終いだ。
「シド」
「あ?」
「……煙草、一本貰えないだろうか」
ヴィンセントは少し疲れた声で、シドに煙草を乞うた。自分のを持っているくせに、……まあ、話題作りだ。
「ああ、そうそう」
シドはヴィンセントの煙草に火をつけながら、思い出したように。
「素朴な疑問なんだが、気になって仕方がねえ。お前さんたち、何だってまた、小学校の社会科見学の引率なんてしてんだい?」
ヴィンセントの動きが止まった。
鞄の中で俺も息を殺した。
けれど、こういう時のヴィンセントは、ムリヤリだけど冷静だから相手を丸め込むのは上手い。冷静に言い切られると、言われた方は「そんなもんかな」と納得してしまうものなのだ。
「……ボランティアだ」
しかし、もっとマシな理由は思い付かないのか。
「なるほど、ご苦労だな」
とは言っても、俺が言えと言われたら「先生になったんだ」が関の山だ。
「出席取ったよ」
「よし、作戦通りだ」
ヴィンセントが鞄を開けた。短時間とは言え、暑苦しいのには閉口する。俺は転がるように脱出し、滲んだ汗を拭いた。
「私はボランティアで学校の引率の手伝いということになっているから、社会科見学に行く」
「……俺は、さっきも言った通りシドとユフィを引き付けて、どっかの店でお茶を飲んでる」
「俺は?」
「クラウドは、私と一緒に社会科見学だ。なかなかこんな遠くには来れないから、色々なものを見ていくといい、社会は好きなのだろう?」
「うん」
ここからが正念場だ。敵――いや、かくれんぼの「鬼」が二人に増える。俺はとにかく、生徒たちが見学をして弁当を食べて飛空艇に戻るまでの四時間、二人の鬼の行動を封じておかなければならない。
「よし、では行こう。ザックス、そっちは頼んだぞ」
ヴィンセントはクラウドと共に飛空艇の裏手を周り、生徒たちと合流に向かう。俺は一旦飛空艇に戻り、シドを呼びに行く。
「真っ昼間から『かめ道楽』かよ」
「しょうがないだろ、他に喫茶店みたいなの、ないんだし」
俺は生徒たちがぞろぞろと歩いている方をシドに見せないようにしながら、急かした。半ば引っ張るようにシドをかめ道楽にブチ込むと、今度は。
「じゃあ、ユフィ呼んで来るから何か飲んでてくれ、俺の分の何かも、頼んでおいて」
「お、おい」
訝らせて、詰問させたら多分ボロが出る。疑問符が出る前に、俺は慌てて店を飛び出した。ユフィ……どこに居るんだ? 彼女自身の家か、それとも五重塔か。ダチャオ像のてっぺんという事も考えられるし、昔ゴドーが眠っていた部屋かもしれない。
……何れにしろ、ここから少し距離がある、その間にシドが店を出て、クラウドを見付けてしまう可能性も無きにしあらず。
どうしよう。
「……?」
ポケットの中、PHSが震えている。取り出してみると、電話をかけてきているのはヴィンセントだ。
「……どうした?」
「不味いことになった。……クラウド、今どこにいる」
「かめ道楽」
「そうか、そこからなら見えるだろう、町の入口にいるガイドを見てみろ」
言われたとおり、やや遠くだが遮るものが無いので町の入口はちゃんと見えた。タカハシ先生の隣で、にこやかに挨拶をしているのは……。
「……嘘だろ?」
「ガイドはユフィだ。……よりによってな」
当時十六歳、現在二十四歳、立派な大人になったユフィは髪を肩のあたりまで伸ばし、昔のような大雑把でいい加減な格好ではなく、当然ルーズソックスも卒業。
……大分見た目は変わったが、一目で分かる、ユフィだった。
「気付くのがあと少し遅れていたら危なかった。……今私たちは飛空艇の裏手にいる、一旦ここまで来てくれ」
「……ちょっと待てよ、もしシドがユフィと会ったりしたら? 生徒たちの前でクラウドって名が出たらお終いだ」
「しかし、こうする他ない。私に考えがある。大急ぎでここまで来い。頼むぞ」
電話は一方的に切れた。
……あの、責任感皆無トラブルメイカー娘が何だってガイドなんて……。
会ってなかった何年の間に何か悪いものでも食べたのだろうか。……俺は舌打ちをし、ユフィに見つからないよう建物の陰に隠れ息を潜めながら、飛空艇の裏へと走る。
と。
眼前に銀色の物体が煌いたかと思ったら、俺の脇を通り抜けて木に突き刺さった。……手裏剣。
俺は危うく声を上げるところだった。
「……変ね、何かヤな感じの気配がしたのに」
木陰から覗き見るとユフィは首を傾げている。……「ヤな感じの気配がした」程度で殺されたら堪らない。
「とにかく、こういう忍者文化がこの国ではまだ残っているんです♪」
残っているんです♪ じゃない、ブリッ子しても似合わない。
どうやら、ついでにウータイの伝統のデモンストレーションも行いたかったらしい。子供たちが歓声をあげているのを満足げに見ている。
俺はどくどく言う心臓を押さえて、でもどうやら暗躍がバレていないらしい事にホッと胸をなで下ろし、再び飛空艇裏へ走り出した。
「何故そんな汗をかいている」
「さあな」
「まあいい。とにかく、クラウドを頼んだ。騒ぎが収まったら他の生徒たちと合流させて、お前はかめ道楽へ来い」
言い残して、ヴィンセントはシャツを脱ぐ。
「え……ちょっと」
これ以上シャツを駄目にしたくないのは解るが、それは余りに乱暴な手段ではないか。騒ぎ。しかし止める間などあったものか。
「ヴィン!!」
半分以上(つまり、羽根だけじゃなくて頭部上半身も含めて)カオスになったヴィンセントは飛び上がり、あっという間に俺の視界から消えた。
後から子供たちの悲鳴が聞こえてきた。
「ギャーーーーー」
ヴィンセントは急速にオリジナルへ戻りながらかめ道楽の裏手に喚き散らすユフィを降ろす。
「……久しぶりだな……ッ」
「久し振りもなにもあったもんじゃないッ、なんなんだよッ」
イキナリ拳骨がヴィンセントの鼻にヒットする。平手打ちで無いあたりがユフィらしい。
ヴィンセントが顔面を押さえて痛みを堪えているのを脇に置いて、俺が頭を下げる。
「ごめん……ちょっと、色々あって……。その、久し振りに会ったんだから一緒にお茶でもどうかなって」
馬鹿な俺の言葉にユフィは見る見るうちに情けない表情に。
「子供たちはヴィンセントに任せてさ、な?せっかくシドもいるんだし」
「……アンタねぇ……」
「ほら、また次いつ会えるのか解らないんだから。みんな忙しいし、そうそう会える時間なんて取れないから」
「む〜……でも、ウータイの看板娘なんだよ? アタシ。そんな根暗なおっちゃんがやったってねぇ……。それに、やっぱりアタシの方がウータイは詳しいし」
「誰が根暗なおっちゃんだ」
ぶす、と鼻血の止まったヴィンセントが文句をつけた。とにかく……何とかユフィに「縛り」をかけておかないと。
「……なぁ、ユフィ、いいだろ?」
情に訴え攻撃。寂しげな、哀愁漂う瞳をしてみせる。
「久々で、懐かしくって、嬉しいんだよ。会いたかったんだ」
我ながら嫌な男だと思う、非難されてもいい、それは、場合によりけりだ。俺は、エアリスが、ティファが、俺のことを好きになってくれたというコトを知っていた。知っていたが、俺はその気持ちに答えることは一切しなかった。ティファとは、一つの結論というか、形というかは出した。けれど、結局それすらもぶち壊しにして。
当時の俺は女に興味が無かった以上にヴィンセントに完全に惚れていたし、ヴィンセント以外に対して好意を抱くことの方が間違っているように思えたからだ。
ティファたちの想いは心から、本当に感謝しなければいけないことだし、実際俺は彼女たちの優しさに一体どれほど助けられたか解らない。二人とも、俺の心の重大な支えになっていてくれたことは間違いない。しかし、それでも仕方が無かったと片付けられることだと俺は思う。思いたい。救われたい。
彼女たちが俺を想っていてくれたことが事実なら、俺がヴィンセントを想っていたのも事実だ。
ただ問題は知っててその上で、自分の都合のいいように事を運ぶ手段に彼女たちを遣っていることだ。
「好き」という感情に胡座をかいていた。きっと、ユフィに対しても同じ気持ちがあるんだろうから、俺は平気な顔でこうできるんだ。
「わ、わかったよう」
ユフィは不貞腐れたように、言ってくれた。
もとより話しが弾むとは思っていない。ただそれでも弾ませなければ何時間も保たせることなど出来はしない。話題を選び顔色を窺い酒を注ぎ、必死の努力。
「最後にティファと会ったのいつ〜?」
十六歳の当時は絶対酒を飲ませなかった。特にティファとエアリスが厳しかった。今こうやって卓を囲むことが出来ることがやはり嬉しい。お互いほろ酔い気分でさしつさされつだ。透き通った氷のような酒が熱く美味い。
「一昨年の夏のはじめだ。少し痩せていた。……ユフィ、お前も少し痩せたんじゃないか?」
「やだ、何言ってんのさ。必ッッッッッッッ死に」
やたらに力を篭めて言う。
「ダイエットしてんだから〜。いくら忍者の家系だからって、動かないでいるとすぐ太っちゃうんだよ。実際、ガイドなんて殆ど体力使わないでしょ〜? だから、たまにナナキのところに遊びに行ったりしてるんだ〜」
「徒歩で?」
「徒歩で!」
なるほど、それは結構な運動になるだろう。モンスターはもう相手にならないかもしれないが、少なくとも海峡一つ越えるのは骨が折れることだ。
「んで、今度は筋肉太りしないように注意してんの」
「……女は大変だな……」
俺など、せいぜい肉の食い過ぎで太らないようにするくらいだ。
それも、多少運動すればすぐになくなる。体質の差もあるだろうが。
そこいくと、ヴィンセントはさらに。あいつは多分死ぬまであの体重のままだろう。食っても食っても食っても、少しも丸くならない。
「ねぇねぇ、ヴィンとはどぉなのさ、相変わらず?」
にたにた笑いながら突っついて来る。こういうことは本当に興味津々らしい。
「どうって……」
「らぶらぶ?」
らぶらぶ……。
やっぱり中身は余り成長の跡が伺えない。
「どうだろうな、……普通じゃないのか?」
適当に誤魔化すにこしたことはない。元々そんな、いわゆる「らぶらぶ」なところは外に出さなかった俺たちだし、さっきも言った通り、最近俺とヴィンセントとの関係に(多くの意味で)少しずつ変化が現われているから、「らぶらぶ」とは言いがたい。
クラウドとは、「らぶらぶ」通り越して「ベタベタ」ぐらいだ。
「えっちとかしてんの?」
「お前なあ」
「もうお子様じゃないもん、そーゆー話ししたってOKでしょ」
「逆に、そういう話しに興味がある方がお子様だ」
ところで、さっきから俺たちは全くシドを問題にしていない。彼は煙草は信じられないほどに吸うが、酒は弱い方の部類に入る。
「よく寝るよね、おっさん……」
ユフィが箸の先で突っついても高鼾。
「放っとけよ」
起きないでいてくれた方が、作戦の邪魔にならなくていい。
「あー、でもアタシも少〜し酔ってきちゃったかなぁ……最近、飲むことなんて滅多にないし〜」
「親父さんに付き合ったりしないのか?」
冗談、ユフィは舌を出す。
「オヤジ、あれですっごい泣き上戸でさ、相手すんの大変なんだわ。口開けば婿をとれ、だしさ〜」
なるほど、俺はすっかり十六歳のユフィ相手のつもりで居るが、きちんと時の流れに乗っている人間からすると、二十四歳は結婚してて十分な年だ。父親のゴドーからしたら、ユフィみたいな奔放娘、早いところ落ち着いてくれた方が気が楽というものだ。孫の顔も見たいだろうし。
「せめてもの親孝行だと思えば?」
「マテリアい〜っぱいプレゼントしたもん」
冗談めかす。
「結婚とかする気ないのか?」
熱湯のような酒をくいっと飲んで、ユフィは少し虚しいような笑いで言った。
「まぁ、アンタとかヴィンセントとかバレット、それからこのおっさんみたいなイイ男に囲まれてたから、そこいらの男じゃね。ティファがアンタと……別れてまだ独身なのは、アタシと同じ理由だと思うよ」
「…………」
残ったのはゲイのカップルと娘一筋と既婚者。
「リーブとか」
思い立って言う。
「アイツは、アタシ的にはヌイグルミの印象の方が強いんだわ」
自分のどこかが悪いわけではないのだが、申し訳ないような気持ちになってしまうのはどうしてか。ここで上手いこと気の効いた科白は言えないものか。ヴィンセントなら、機転をきかせて何か言うところだろうが、俺には思い付くのはあと「ナナキとか」。
言ったらお猪口が飛んで来るかもしれない。
少し空気がしんみりしてしまったので、俺は景気づけのつもりでもう一本頼んだ。
「クラウド、強いねぇ」
「別に」
実際、そろそろ回ってきてるのだから。ユフィよりペースも遅い、ちっとも強くは無い。
「少し冷ましますか?」
ユフィがん〜んと伸びをして言った。
そうだな、と答えかけて、すんでのところで止まる。
ヴィンセントたちとぶつかったからヤバイことを忘れていた。
「いいよ、平気……」
「アンタ平気でもアタシそんな平気じゃないし」
よいしょ、と立ち上がりユフィはてくてくと店の扉に向かう。
「って……待てよユフィ」
「おー、あ〜んなところにいるよ、ヴィンちゃ」
ユフィの視線の先、ダチャオ像の手のひらの上に小さく子供たちとタカハシ先生とヴィンセントがいる。今日は幸い風が穏やかだから、危ないことはないと思うが、なかなか思い切ったところに。
「昔あそこで吊るされたんだよね〜」
あの好色男のことだ。潰れたトマトになって、今は土に返っているだろう。
「元はといえば、お前がマテリア盗んだりするからだ」
「まぁ、そうなんですけどね」
へへへ、とユフィは笑う。
……と。
「おろ? なんか、小学校二年生にしちゃあ随分おっきい子供がいないかい?」
目ざとい……。
けれど俺は冷静だった。酔っ払っているユフィよりは判断力は勝るはずだ。
「なんか、金髪でツンツン〜……アンタみたいだねぇ」
「気の所為だろう」
俺は、素面なら怪しさ満点の咳払いをして、誤魔化した。
「さ、戻ろうぜ、店に」
「……ん〜」
「何だよ、まだ何かあるのか?」
「いや、……っていうか、さ、何でヴィンセントたちあそこからずーっと動かないんだろーって」
ユフィが指差した先。 確かにヴィンセントを始め人影は、ダチャオ像の一部のように全く動かない、ピクリとも。
「……何だろ……何かあったのかなぁ……。モンスターとかは昨日のうちにアタシが全部掃除しといたからいないはずなのに……」
「…………」
沈黙が、重苦しい空気を呼ぶ。
「ユフィ、ここで待っててくれないか?俺、ちょっと様子を見て来るから」
「……なんでアンタ一人で行くのさ」
「……いや、……ほら、酔いは俺の方がまだ軽いから……。ユフィ、結構酔ってるんだろ?」
俺のその言葉に、ユフィはムッとした表情になると、次は不敵に笑い、くるりと見事な宙返りをして見せた。
「嘗めてもらっちゃ困るね、忍者の末裔だよ?」
ついでに五強聖のトップでもある。
「それにね、ウータイの東風は酔い覚ましの特効薬なんだよ」
ホントかどうかは知らないが、ユフィはたったか駆けて行く。俺は、酔いのせいで今ひとつ緊張感と危機感に欠けながらも、慌てて追いかける。
忍者娘は猿のように(失礼)身軽で、追いつくのは難儀の技。逃げ足は超一流であるというのもある。そして、情けないことだが俺はとうとうユフィに追いつけなかった。彼女にしたら勝手知ったるダチャオ像なのかもしれないが、俺はまだウータイ素人だ。下手に足を滑らせてコルネオの二の舞になるのは嫌だったから、急ぎたくても慎重にならざるをえない。
そして。
「……ねぇ、クラウド」
固まったユフィ、唇だけが動いて言葉を紡いでいる。
「あれなに」
俺は内心、腹を切りたくなった。が。
「なにあれ、何でアイツがいるわけ!?」
ユフィが素っ頓狂な声を上げる。ユフィの言葉に疑問を憶え、恐る恐る彼女が指差した先を見ると……。
「……ほひ〜」
一度聞いたら忘れられないような、卑猥な笑い声。
「ほひ〜、子供たちこんなにいっぱいみ〜つけたっ」
「……何でアイツがいるんだよ……」
俺は苦しい声で言った。 しかし……何故ヴィンセントは動かない? どんな時でも銃は携帯してるハズなのに(無論、学校に行くときもだ)。
その答えは、潰れたトマトになったはずのコルネオに向かって叫ぶヴィンセントの声で明らかになった。
「……貴様……クラウドから銃口を離せ!」
「……今、何て言った?」
ユフィが俺に聴いた。俺に何て答えることが出来ただろう。少なくとも解かったのは、クラウドに銃口を向けているコルネオのせいで、また、子供たちの前であるというゆえに、ヴィンセントは銃を抜けない状況にあるということだ。
「貴様……なぜよりによってクラウドを……というか、こんな小学生の一団を狙う? ……貴様は、そう、ユフィやイリーナのような、若いはねっ返り娘が好みではなかったのか?」
「……何ぃ?」
ユフィが低く呟く。
「っていうか、あれ何」
「あれ、……って?」
「コルネオ! ……っていうか、あのネコミミの男の子! あれ思いっきしアンタじゃん!!」
俺はもう、何かの拍子で足を滑らせてここから落っこちてしまいたい衝動に駆られた。
俺がそんな願望に突き動かされそうになっている間、コルネオはあの気持ち悪い笑い声をあげて、ヴィンセントに……あれは、宣言というのだろうか……高らかに言った。
「ほひ〜、俺は生まれ変わったぞ、俺は地獄の入口を見てきた男だ! 死体に悪魔どもが集る様を、愚かなる人間たちが、肥してきた金に埋もれて蛆虫に蝕まれる様を!見てきた!!」
「……ッ、……子供のいる前でそういうグロテスクな表現はやめろ、もっとスマートな表現は出来ないのかボキャブラリーの乏しい奴め」
「黙れ黙れこの勘違い長髪! ハナシはまだ終わってないぞ! ……俺は地獄の底に行き着き、そこから俺は生まれ変わった……今までの全ての価値観と引き換えに、俺は……俺は……今までの自らのして来たことの間違いに気付いた。二言目には女女と……俺はバカだった!」
どこかプレジデント神羅を思わせる大仰な素振りで。
関係無いが、プレジデントと宇宙開発のパルマー、そしてコイツとケット・シーは、見た目上非常によく似ている。シルエットなど作られたら解るまい。
……酒のせいで集中力散漫。
「俺は目が覚めた! これからは……」
「うにゃっ」
コルネオはクラウドにひしとばかりに抱き付くと、ファンファーレの如く。
「俺は男の子に生きる!!」
……頭でも打ったか、そんなコトを大声で宣言しなくても。……いや、頭は打ったんだろうな、落ちたときに。
「……この外道が……」
ヴィンセントの方があるイミでは外道に思えるのだが。
「っていうか、何、何なのさあの男の子は! ……アンタ、弟なんていたわけ!?」
ネコミミの付いた弟の作り方、あったら教えてもらいたい。とにかく、俺のぼーっとした頭は、コルネオがクラウドに引っ付いたのを見た途端、冷たい水をかけられたかのように一気に醒めた。
「クラウド!!」
最優先課題は、とにかくクラウドをあの小汚いブタ野郎から奪還することだ。もう、ユフィの目なんて気にしてられない。あとでどうとでも言い訳が出来る。
「!? ……ザックス!? 何故……」
ヴィンセントが喘ぎ、途中で俺の隣のユフィを見つけ、固まった。元々白い顔が更に淡くなってゆく。
「あッ、女装ヘンタイ野郎……」
「お前にヘンタイ呼ばわりされたくないッ」
俺は言いながら、一気に像の手のひらまで走った。
「タカハシ先生」
「は、はいっ」
人質がいるせいで、全く身動きの取れない先生は、同じように凍り付いた生徒たちの前面に立ち、似非教師でも殊勝なところを見せている。
それは「演技」というよりは、「本能」に近いものだろう。
「……子供たちを連れて、なるべく遠くに逃げてください」
「ふ、ふざけるな〜、この子がどうなってもいいのか!?」
心底気持ち悪そうなクラウドにベッタリくっつきながら、コルネオがほざく。
「……お前の狙いはクラウド一人だろう、他の子供たちは関係無い。……先生、早く」
俺とヴィンセントの後ろをこそこそと先生は子供たちを連れて手のひらから腕へと。
「ユフィ!」
こうなったら、もう仕方がない。俺はユフィに目配せをし、子供たちをここから遠ざけるよう指示をした。また悪趣味なペットを連れているかもしれないが、ユフィなら遣り過ごせるだろう。……これで、環境は整った。ヴィンセントが銃を抜いた。
「……そ、そんなもの出したって無駄だ!この子の命が惜しくないのか!!」
クラウドを盾に、コルネオはまさに追いつめられた誘拐犯そのもののような口を聞く。
ヴィンセントはすっと目を細めると、笑った。
「惜しいさ。惜しいから、私はクラウドを護る」
ゆっくり、引き金に指をかける。威嚇かと思ったが、どうやらそのまま撃ちそうな気配なので、俺は慌ててそれを制した。
「何故だ」
「クラウドに恐い思いさせたくない」
「え〜い、コソコソと喋ってるんじゃな〜い!!」
苛立ったコルネオは、銃をクラウドに向けたまま、あろうことか、クラウドの耳もとにふぅっと、多分イヤな匂いの息を吹きかけた。
「ケッケッケッ、もうこうなったら、お前らの見てる前でこの子を犯してやる!お前らには二回も邪魔されているからな、思い知るがいい!!」
「ちょっと待て、私は一度しか邪魔してないぞ」
「そんなこと言ってる場合か!」
コルネオは必死に逃れようと身を捩るクラウドをしっかり片腕で掴んで、その胸元に油っぽそうな手を滑り込ませる。
「やぁっ、やだっ、離せよッ」
「ほひ〜……仔猫ちゃん……」
「ひぅっ」
クラウドが余りに可哀相だ。コルネオ本人はどういうつもりか知らないが、クラウドは全く感じていない。ただ吐き気を堪えているようにしか見えない。要は、下手なのだ。しかし、コルネオの技術云々を語る場合じゃない。クラウドにこれ以上嫌な思いをさせる訳には行かない。何とか、出来ないか。と、隣でヴィンセントが大きな溜め息を吐いた。
「コルネオ」
ヴィンセントは銃を足元に落し、両手を上げた。
「クラウドを離せ」
「ヴィンセント?」
「そいつを満足させるのは、お前では無理だ。こいつか、あるいは私でなければ、クラウドはいい声では鳴かない」
その言葉に、コルネオの顔がかーっと紅くなり、逆上。茹で上がったブタだ。
「ふ、ふざけるな! 男なんて、ケツにぶち込んでやりゃ一発……」
本当に、言い方がスマートじゃない。
「そうとは限らん」
俺はちらとヴィンセントを見た。……薄く微笑んだ余裕満点の表情でコルネオを見つめている。何かを企んでいるのがありありと解る。
「コルネオ、その子の代わりに私を抱いてみないか?」
「なっ」
「にゃっ」
彼は、呆気に取られた俺たちを見ることなくコルネオを正視して言った。先程の「企み」混じりの妖艶な微笑はこれのためか。
「ヴィ、ヴィンセント」
けれどあまりに唐突で突拍子のない申し出。
コルネオまで呆然としている。ヴィンセントはフッと笑うと、シャツのボタンを外し、その白い肌を露にする。風に飛ばされないよう、左手にシャツを持って。
ふわりと風に靡く髪が、息を呑むほど美しい。
「どこにも銃など持っていない。……どうだ?」
綺麗だ。
と、それは俺が言うべき感想じゃない。
そして、彼はとろけそうな科白を。
「教えてあげるよ、僕のこの身体で。……正しい、男の抱き方を……」
コルネオから解放されると、クラウドはまず俺にしがみ付いてきた。
「大丈夫か?」
「気持ち悪かったよぉ……」
そうだろう。似たような経験があるから解る。
「ヴィン、だいじょぶかなぁ……」
クラウドは像の手のひらの上から茂みに向かって歩いて行くヴィンセントとコルネオを眺め降ろす。ヴィンセントは肩からシャツをかけて、その後ろ姿は余裕綽綽。逆にコルネオはもう興奮のピークに近づいていて少し前かがみになって歩いている。
何とも情けない姿だ。
……まさかヴィンセントが本当にコルネオに抱かれるとは思わない。いくら彼がわりと思い切ったコトを(本人その積もりはないのだろうが)するとしても、それはあくまで相手がクラウドとか俺とかの時であって、自分が不快な思いをするような選択をするとは考え難い。とすると、やはり人目のつかないところでカオスに変身して、だろうか。
「く〜ら〜う〜ど〜」
不安な考えに耽っていた俺の足元から、ユフィの声が。
「俺?」
「……違う、俺のことだ」
はぁ、と溜め息を吐いて、見下ろす。
「今下りて行くよ」
ユフィの家、向かいに座ったユフィの前で、俺はもう縮こまるしかなかった。
「……で、どういうこと? この子は誰?」
「うぅ……」
「唸ってんじゃない!ちゃんと説明しなさい。あんたどこで隠し子つくったの? まさかヴィンセントを性転換させたんじゃないだろーね」
「……にゃ……ザックス、何か悪いことしたの?」
ユフィが今の名前に俺の顔を睨み付ける。
「な・ん・で、アンタがザックスなんだよ」
「その……色々事情があってだな」
「事情って何さ」
「う……」
説明出来なくはないが、他人にそんな説明をしたらクラウドがどう思うか、それに、俺は一瞬にしてヘンタイの烙印を押されてしまうだろう。
「……私が代わりに説明してやろう」
「ヴィンセント! ……無事……だよな」
「当たり前だ。あの醜い男なら、森の中に捨ててきた」
「捨ててきた……って……」
「安心しろ、別に危害を加えたわけではない。ただ、人畜無害な男に生まれ変わっているだろうな」
クラウドが目をぱちくりと瞬いた。
「本当の地獄の底というのを見せてきてやったよ」
恐ろしい奴。
綺麗な薔薇には、本当に刺がある。
「話を反らすな!」
ばんっ、ユフィが机を叩いたのでクラウドがびっくりして俺にしがみ付いた。猫だからこういう突発的な音には非情に敏感だ。
「落ち着け。……納得のいく説明は私がしてやる。ザックス、クラウド、お前達は外にいろ」
「……ヴィンセント」
「こうなったら隠しようがない」
ヴィンセントは諦めきったように席に着いた。
「うわぁあぁっ、かわいいっ」
クラウドはユフィの家の隣の猫屋敷に一歩入った途端、目を輝かせた。階段で寝そべっていた黒猫を抱き上げてぎゅっと抱きしめる。猫が猫を抱く光景、珍しい。実はクラウドに猫を見せるのは初めてのことじゃない。以前学校帰りに偶然通りがかった猫に鉢合わせたこともあるし、「猫の生態」という分厚めの本を読ませたこともある。猫たちは、大抵俺には懐かないがクラウドには懐く。やはり同類と認めているのだろう。
「おまえ、きれいだねぇ」
黒猫はクラウドの腕の中、ぐるぐると喉を鳴らしている。俺がそっと黒猫の髭に触れようとすると、ぱっと目を覚まし、ネコパンチ。
「迷惑だから止めろ、だってさ」
「猫の言葉が分かるのか?」
「何となく。そう言ってるのかなって」
もし本当に猫の言葉を解するのあれば凄いことだが。
「……お前の親戚みたいなものだからな」
「うん、仲良し〜」
クラウドは、自分の生まれをどう思っているのだろうか。
ヴィンセントが「早いうちに解らせてあげた方がいい」というから、正直に教えてある。俺はリアクションを相当恐れていた。ショックを受けて泣き出すんではないか、あるいは、俺が死ねないという事実に直面したときのように暴走してしまうのではないか、と。
そして、事実を告げた俺たちに、クラウドが言った言葉。
「そんな風に生まれたんだ、俺……」
俺は恐くてクラウドと目を合わせることが出来なかった。
「……普通は、お母さんがいるの?」
「そうだな」
俯いた俺の代わりに、ヴィンセントが答えた。俺は背中、じっとりと嫌な汗が浮かんでいるのを感じて、堪らなくなって大きく息を吐いた。
「……ザックス」
「ああ」
俺は起きうる全ての悪夢に、身構えた。
「……俺は、ザックスから生まれたの?」
「……ああ」
「でも、ザックスは俺のお父さんじゃないんだよね」
「……ああ」
クラウドは、そこで言葉を切った。
「……わかった」
俺は全身を軋ませるような努力をして、クラウドを見た。彼は、普通の表情、普通の目で俺を見つめていた。
「じゃあ、もう、寝よ」
「え……」
「いっしょに……」
クラウドは、事の大きさを理解出来なかったのだろうか。あるいは、重大すぎて放心状態にあったのだろうか。そんな状態のクラウドを抱いて眠れというのは、苦痛以外のなにものでも無い。
が、クラウドは俺の胸に額を当てて、言った。
「……大好き」
「クラウド?」
「俺は、ザックスだから……。俺、ザックスで、よかった。平気」
あの言葉がどれだけ俺たちを救っただろう。
自分が偶然生まれてきた存在であっても、ザックスと一緒でよかった。それだけで、俺には生まれてきた価値があるんだ、と。そう言ってくれた、お前の言葉がどんだけ俺を救ったか。
「にゃ〜」
猫と一緒にじゃれている。とても楽しそうに。生まれてきてよかったと彼が思うのと同じで、彼が生まれてきてくれてよかったと心から思う。
俺は生きててよかったと思う。死にたいと、死ねないなんてイヤだと思っていた頃が嘘のように、今は死にたくない。
この猫をひとりぼっちになんてしたくない。この柔らかく生温かな命を俺は、絶対に。
「……ク……ザック、ス」
気付けば、後ろにユフィとヴィンセント。
「……全部話した。隠そうとするだけ無駄だったな」
クダラナイ作戦まで立てて、な。少し背伸びをして、ユフィは俺の耳元で囁いた。
「別に隠さなくてもいいじゃん」
「…………」
俺にはまだ「クラウド=ヴァレンタイン」という存在を公表し、自分の行為を客観的評価の対象にするほどの勇気もない。
「改めて、はじめまして、クラウド」
ユフィはにっこり笑って、クラウドに握手を求める。クラウドは猫の手でそれに応じる。
「アタシ、ユフィ。ひとヨロシクね。ザックスとヴィンセントとは昔いっしょに色々とバカなことやった仲でさ。まぁ、気の置けない友達ってとこ?」
「そう、だな」
バカなことかどうかは別として。ただその表現は頷ける。いま同じ事をもう一度やれと言われたらまず断るだろう。
クラウドは、ぺこりとお辞儀をして、
「はじめまして、ユフィ。クラウド=ヴァレンタインです」
その唇が舌が、その名前を紡ぐ安定感に、俺は嬉しくなる。
もう、狭苦しいスーツケースの中に隠れる必要もなかった。
「また遊びにおいでね」
「うん」
今日は慌しかったからクラウドもゆっくり社会科見学なんて出来なかっただろう。近いうちに、またチョコボで来よう。
「あんまりこの子にえっちぃ真似したらユフィお姉ちゃんが許さないからね」
「……了解した」
驚いたことに、クラウドはユフィのPHSのナンバーを手に入れていた。下手なことをしたら、チクられる。
というか、そういうことは俺よりヴィンセントに言ってくれた方が早い。
「じゃあ、また」
何だかんだで、やたらに疲れた。
俺は飛空艇の済みにスーツケースを置くと、その上に座って、大きく大きく溜め息を吐いた。
「なんかもう、今日の前半にあったことろくに憶えてないんだけど」
「……同感だ。スーツケースを持っていたことすら忘れていた」
「うにゃ〜」
クラウドの欠伸が俺に移り、俺の欠伸がヴィンセントに移った。
「……にしても、まだ出ないのか?」
いつまで経ってもエンジンをかける様子の無いハイウインドに、ヴィンセントが訝った。
「そう言えばそうだな。シドの奴どうしたんだ?」
シドのコトを思い出したのは、それから20分経った後のことだった。