守護者

 ぐちゃぐちゃに掻き混ぜられた空気が澱んで部屋の中に残った。

 それをがばっと動かしたのはスカルミリョーネだった。

「申し訳ございませんっ」

 俺たちははっとして、その、深く、膝にぶつけるんじゃないかってくらい下げられた頭を見た。土色の髪が下がった。

「お前に謝られる覚えはないがな」

 ヴィンセントは煙草に火を点けて、一息吐き出す。

「ですがっ、しかし……!」

「いいよ、スカルミリョーネ何も悪くないよ」

 クラウドの言葉に、顔を上げる。その目は潤んでいた。

「皆さんを……、騙す、つもりは、なかったのです。ただ……、申し上げることで……、私が、信頼されなくなることは、私自身にではなく、今後の作戦を円滑に遂行していく上で、悪影響を、及ぼすことが避けられないと……」

「お前に妙な記号を重ねて見るようなことはしないさ」

 ヴィンセントは言った。笑ってはいないが、その目は優しい。カオスがするかもしれない目だと俺は思った。スカルミリョーネは項垂れて、申し訳ございません、震えた声で言った。

「落ち着いたらでいい、実務的な話をしてくれ」

 ヴィンセントは煙草を消して立ち上がり、部屋を出て行く。クラウドがスカルミリョーネの頭を猫手で撫ぜる。その優しさを見てから、俺も立ち上がった。ヴィンセントは屑篭に空のソフトパックを入れていた、財布も持っていた、煙草を買いに行ったのだろう。俺も、部屋から煙草を持ってくることにした。同じ銘柄だから別に貰ってもいいのだけれど。

 クラウドの励ましで落ち着いたか、スカルミリョーネは顔を上げていた。クラウドも座っていた。ヴィンセントも帰ってきていた。四人分のお茶が湯気を立てている。

「……失礼致しました」

 少しだけ瞼が赤いくらい、あとはいつもの可愛くてマジメなスカルミリョーネに戻っている。少し、嬉しくなった。

 スカルミリョーネのことを、既に、もう、相当に、結構、知ってしまった俺たちだ。もちろん、何度も一緒に寝て、それこそお尻の穴の中までお邪魔させて頂いているのだから、それはある程度必然とも言える。セックスのときに立場を失う理性、そこで見えてくるスカルミリョーネ。俺たちはそれをちゃんと愛している。さっきはルビカンテにキレたり、今迄見たことも無かったような一面を見せたりもしてくれたけれど、それでも。優しくてストレスで胃の悪い、可愛い、マジメなスカルミリョーネ、元気を取り戻してくれて良かったなと、我が事のように嬉しい。

「あの男は、さっき申していましたとおり、地獄とのリンクルートを持っています。つまり……、亡霊たちのように『エレベーター』を使わなくとも、地獄と行き来が出来る訳です。それだけに……非常に危険な力でありまして、あの男が少しでも間違いを起こしたならば、魔界やこの星に、地獄の亡霊が流入してしまうという状況になりかねませんので、普段はカオスの力によってその能力を封印しています。しかし……、今回は限定的に、皆様とこの私だけの移動手段として活用する為に、一時的に封印を解く事になっています」

「地獄って……どんなとこなの?」

 クラウドのややピンボケの問いも、ちゃんとスカルミリョーネは拾い上げた。

「血と、炎と……、命亡き異形の魔物の世界です。皆さんや、私たちの生きる魔界には、厳格な法が存在し、安定した生活の為にいきもの同士が尊重しあって、社会を成り立たせていますね。ですが地獄とは……亡霊一体一体が生きる……実際には死んでいるのですから『生きる』と言い方はおかしいのですが、ともかくこの地球からの生体エネルギーを食す為に他者を蹴落とすことに何の抵抗も持たない者たちの世界です」

「けど……、こないだの、あのにょろにょろしたやつも?アイツはあんまり、……その、何だろ、こう、今スカルミリョーネが言ったみたいなのより、頭良さそうだったよ」

「コルネオがそうであったように、亡霊たちの価値観に於いてプラスになるものを与える者であれば、それに従い、己が欲を満たす為に動く……、今回など、まさにそのケースであると言っていいでしょう。どういった存在が中心にあるかは判りませんが、クラウド様たちのように強い力を持った人間の存在を排除する為にエレベーターを知能的に用い、攻撃を仕掛けてくるには、先日のあの亡霊のような、組織を組みその中で行動する一群が居ると言うことです。亡霊と言っても、その何割かは元は人間であるわけですから。人間並み、或いは、人間以上の知能を持った者も多数存在するのです」

 厄介なのはそういった連中です、とスカルミリョーネは言う。

確かに、亡霊どもがエレベーターを使って降りてくるだけならば、全くと言っていいことは無いだろうが、問題はさほど無い。そこで実害の在る行為をするから、俺たちが出て行かなければならない訳だ。そして今回なら、俺たちが亡霊の悪事の前に立ちふさがりこの星を守らんとするから、標的にされているわけだ。そうしたとき、思いつきの攻撃ではなく、指揮に基づいて知能的な攻撃をされた方が嫌に決まっている。

実際あの「にょろにょろしたやつ」も、知能は高かった。ヴィンセントの血一滴を奪う為に罠を仕掛け、まんまと俺たちははまってしまったわけだ。今後、亡霊ヴィンセントと次々戦っていかなければならないことを考えると、やっぱりそう楽観視も出来ないのだ。

「正直に申しますと」

 スカルミリョーネは俯き加減になって言う。

「私は……、皆様に危険の伴う場所へ行っていただくのは、大変問題があるとは思っております。地獄の者たちは、生者に対して凄まじい憎しみを持っています。その憎しみの滞留する場ですから、恐らく、言いようの無い不快感を感じられることになるかと思いますし、奴らは目に付き次第、皆さんに襲い掛かってくるでしょう」

 スカルミリョーネがそう言って、……言い終えて、懐からメモを取り出した、そのメモが、ぼっ、と燃え上がった。

「……にゃ」

「……あの男……!」

 スカルミリョーネが顔を歪めて立ち上がる。ヴィンセントがメモの端を持って灰皿に入れ、そこに飲みかけだったお茶をかけて消火する。

 

 

 

 

 血相を変えて出て行くスカルミリョーネ、の後ろ、やれやれとついていく俺たち三人。村の外でルビカンテは煙草を吸いながら待っていた。

「遅ぇなあ」

 舌打ちをして、タバコを放り投げる。スカルミリョーネが立ち止まり、言葉を失う。

「久しぶりー」

 ルビカンテの隣り、にこやかに笑い、手を振る……、カオスが立っていた。ちゃんと服を着ていることに、少し安心したが、スカルミリョーネは棒立ちになった。

「……なんでカオス?」

 クラウドがきょとんと、ヴィンセントと同じ姿形、けれど纏う雰囲気はまるで違う男を見て言う。ヴィンセントだけは、カオスが此方へ来ること、知っていたのか、無表情のままだ。

「たまにはね、僕もこっち来てみんなの顔見たいと思ったし……それに、スカルミリョーネ」

「……、はい」

「久しぶり」

 にこり、笑う。

「君の顔も見たかった。ずっとこっちで働いてもらっちゃってるからね。……会いたかったよ」

 スカルミリョーネは、思い人の不意の来訪に、ただ呆然としているだけだったが、

「……カオス……」

 カオスが近付いて、スカルミリョーネの髪を撫でる。そうすると、まるで操られるかのように抱きついた。よしよし、いい子いい子、そんな風にカオスに撫ぜられて、スカルミリョーネは本当に嬉しそうで、またそういう風にしているカオスの表情はひょっとしたら、クラウドや俺にそうするときのヴィンセントと同じくらい優しいのかもしれない。

「次にああいう呼び出し方をしてみろ」

 ヴィンセントはスカルミリョーネに時間を作るために、ルビカンテに言った。

「次は手加減しない、ってか?」

 悪びれた風少しもなく、ルビカンテは笑う。

「おっさんなぁ、俺は四天王で一番強いんだよ?魔界でカオスの次に強いんだ。いくらあんたがカオス宿してたとしても、俺に敵うと思うわけ?」

「そう、そうだそうそう。忘れるところだった」

 スカルミリョーネの額にキスをして、カオスが声を上げた。

「あのね、みんなに地獄に行ってもらうんだけどさ、僕としても悩むところでね」

 スカルミリョーネを離す。スカルミリョーネは少し頬を赤らめている。

「四天王は知ってのとおり、有能な戦士だ。それは僕に安心感を齎してくれるという意味で、非常に重要なんだ。そのうちの二人までも地獄に行かれて、万に一つ、怪我でもされちゃうとさ、ちょっと困るなあって」

「だーから言ってんじゃねえかよ、俺が行きゃ片付く話だって」

 カオスはうん、と頷く。

「確かに、君は強い。それは僕も認める」

 でもね、とポケットに手を入れた。

「ルビカンテ。君はあれだけ僕がいい子で行くんだよって言ったのに、言うことを聞いてくれなかったね」

 ルビカンテは舌打ちをする。そして口の端を歪めるような笑い方をして言った。

「だって、逆にさあ、俺が信用できねぇもん」

「君の意見を聞いたんじゃない。僕が今回君を登用した理由はただ一点、君が強いというただそれだけ」

 カオスは微笑んだまま、ルビカンテの言葉を遮った。そしてスカルミリョーネに言う。

「君自身、ルビカンテより自分を弱いと思う?」

 スカルミリョーネは黙りこくって俯いている。

「君は骸だ。亡霊たちと違って実体を持っている。火に弱い。その火を、ルビカンテは自在に操れる」

 どうだろ、とカオスはスカルミリョーネの髪を撫ぜる。優しく、優しく。

「君は十分によく働いてくれた。ヴィンセントたちの信頼を得て、また彼らのことを一番に考えて、僕との間で本当によく頑張ってくれた。大好き。感謝しているよ」

 スカルミリョーネが顔を上げる。泣きそうな顔になっている。

「君の功績を僕は最大限に認める。……ここから先はルビカンテに任せていいんじゃないかな」

 え、と俺は声を上げた。ちらりとカオスは俺を見る。ヴィンセントは、黙っている。

「まあ、な、お前、帰れよ。ごくろーさま。よく頑張ったんじゃねえ?チビすけの割にはさ。こっから先はほら、俺が何とかするからさ」

「嫌です」

 スカルミリョーネは、言った。体の両脇にぎゅっと、小さい拳を握っている。

「私は……、……嫌です。私は……、もっと、……私に、もっと、カオス、ヴィンセント様たちの為に、働かせてください。お願いします」

「僕の言うことが聞けない?」

 スカルミリョーネの体が、ビクンと震える。

「もちろん、君の気持ちも判る。だけど、僕の気持ちも判って欲しい」

「う、にゃっ、にゃ……、にゃ」

 それまでずっと黙って聞いていたクラウドが、ぴっ、と……、手を上げた。……授業中じゃないんだから。

「はい、クラウドくん」

 カオスが指名する。発言権を得て、クラウドは言う。

「あの、あのう、……俺はっ……俺は、スカルミリョーネ、頑張ってるから、スカルミリョーネと……あの、スカルミリョーネと一緒に戦いたい」

「ルビカンテと一緒には戦いたくない?クラウドはルビカンテが嫌い?」

「嫌い……嫌いとか、そういうんじゃなくて、でも、あのう……うにゅ……」

「私もクラウドと同意見だが」

 ヴィンセントがクラウドの頭に手を置いて言う。そうなると、当然、

「……お前もそうだろう?」

 うん、と頷くことになる。

 カオスはポケットから手を出して、その手を腰に当てた。

「そう……、まあ、……君らに在る程度の発言権を与えないで僕が決めてしまうのは問題があるよね」

 それから、柔軟体操。腰をぐーっと左右に曲げて、屈伸。

「……じゃあさ……、いいよ、スカルミリョーネ、ルビカンテ。二人ここで戦って、勝った方がヴィンセントたちと一緒に地獄に行く。負けた方はいい子で魔界の警備にあたる。ね、恨みっこなしの一本勝負。それでいい?」

「にゃう……」

 クラウドが不平の声を上げる。ついさっき、ほんのついさっき、カオス自身の口から、スカルミリョーネとルビカンテの力の差を知ったばかりだ。

「大丈夫です」

 スカルミリョーネは、クラウドに頷いた。白い顔、……改めて見ても可愛い顔。戦う者の顔ではない。それでも、精一杯の強い視線で。

「負けません。……皆さんをお守りする役目……、最後まで、私が担って見せます」

「物好きな奴だよなあ……。休みもらえたんなら甘えりゃいいんだ」

 ルビカンテ、笑う。笑いながら、腕にじゃらじゃらつけてる腕輪を外し、カオスに放る。

「……譲れぬのだ。私は。……誇りにかけても、命に代えても、私がお守りする」

 その、優しく臆病なところもある目が、鋭い刃の光を孕む。

「言ってろ、チビすけが」

 ルビカンテの両腕に、炎が宿る。ああ、こりゃ、結構すごそうだ。俺はクラウドを後ろに庇った。クラウドは俺の腰にしっかりと腕を回して、でも、スカルミリョーネを見ようとする。

「二人とも、あんまり地形変えたりとかしないようにね」

 カオスはにこにこ微笑んで言う。……のんきものめ!


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