お節介という罪に手を染めて

 感動の再会となるはずだった。

 何せ、……別れるときがああだった。振り返ればそれはもう、随分と過去の話のように思われる。俺の地獄の彷徨は一体どれほどの時間に上ったのだろう、その間のクラウドの気持ちを思えば胸は痛むし、多分、帰ったらヴィンセントに死ぬほど叱られるか殺されるかどちらかだろうと思っている。

 けれど何もかもを甘んじて受け入れるのが俺だ。

 そして、叱られたってスカルミリョーネのことを、……クラウドもヴィンセントも大好きなスカルミリョーネのことを、「守る」と決めてしまうような馬鹿な男のことを、それでも二人が愛し続けてくれるはずだということは、きっと確かだろうと思うのだ。

 しかし、

「ギャー!」

 クラウドはスカルミリョーネによって呼び出されるなり、そういう悲鳴を挙げて卒倒した。

「お、おい、クラウド、どうした! しっかりしろ!」

 懐かしい猫耳少年、俺の最愛のクラウドは完全に気絶している。

「……臭かったんですよ」

「え?」

「……あなたが。私やルビカンテには耐えられても、クラウド様の嗅上皮は耐えられなかったのでしょう。……可哀想に」

「お……、俺、そんな臭い?」

「一体何日お風呂に入っていないのですか」

「……わかんない」

 スカルミリョーネは四つん這いのままずっといた。しかしゆっくりと、身体中を軋ませながら立ち上がると、身体を引きずるようにクラウドへ歩み寄り、掌を掲げる。……まあ、何というか、俺の臭さで曲がりそうなクラウドの嗅覚を多少でも緩和してくれようとしているのだろう。

「……しばらくすれば目も醒めるはずです。その間に、……あなたはお風呂に入って来てはいかがですか」

「お風呂に……、そりゃ、入れるもんなら入りたいけども」

 ここに、そういうものがあるのか。……いや、スカルミリョーネの作り出した「カオス」と暮らすための隠れ家ならば、そういうものだって用意していて当然か。

「あるでしょうよ」

 スカルミリョーネはややぞんざいな声で言う。可愛い顔を歪ませて、「正直、この距離では私も辛いものがあります。どうぞ、しっかり洗って来てください。十五分したらまた呼び戻します」

 と、……本当に俺そんなに臭いか……、ちょっとショックである。

 と。

「え?」

「……なっ……!」

「えっ、えっ」

 俺も、飛ばされていた。

 何処へって、……此処は……、

「何だお前は! 何という臭いだ!」

「ヴィンセント……!」

 驚愕の表情をみるみるうちに憤怒に塗り替えて行きつつ、鼻と口を抑える、俺の最愛の二人のうちのもう一人。

 つまり此処は、……俺の家!

「あ、あの、何で」

「知るか! 何でも糞もあるか! いきなり家の中に肥溜めが出来たのかと思ったぞ……!」

 それが仮にも恋人へ向ける言葉だろうか。しかし嗅覚というものは人間の各種感覚の中でもかなり疲労しやすいものであり、実時間でどれくらいかはわからないにせよ感覚としては二年近く風呂に入っていない俺は、

「風呂に入れ! 今すぐに!」

 ヴィンセントに追い立てられるまま、浴室に飛び込むこととなった。とにかく服を脱いでシャワーを浴び、身体を洗って……、石鹸の泡が硬質だ、俺は……、相当に汚れていた。

洗面所ではヴィンセントがすごく嫌そうに俺の服を袋に詰めて何重にもくくっている気配がある。激しく噎せながら。

 段々申し訳ない気持ちになってくる。しかし同時に知るのは、……石鹸、シャンプー、その減りぐあいが、最後に俺がこの風呂を使ったときとさほど変わらないのだということ。

 ……相当の時間を地獄で過ごしたはずだ。

「何のつもりだ、お前は」

 浴室のドアが開いて、ヴィンセントが非難する。

「格好付けて勝手な真似を。延々三週間クラウドに『あいつにも考えがあってのことだ。あいつは必ずスカルミリョーネを連れて帰ってくる』と言い聴かせてやっと納得してくれたかと思ったら、急にクラウドが消えた、と思ったら動物の糞の臭いをさせてお前が帰って来た。どういうことだ」

「三週間……」

 俄かには信じ難いことだが、……たったそれだけの時間しか経っていなかったのか。

 やっぱり俺はヴィンセントとクラウドがいなきゃダメらしい。その何倍もの時間、ひとりぼっちだったような気でいた……。

 いや、……そんな感慨に耽る暇は今はない。

「ヴィンセント、カオスに連絡を取るな、一切取るなよ」

「……何?」

 大急ぎでタオルで頭を拭く。「とにかく、今すぐカオスとの接続を切断してくれ!」

「……インターネットの回線みたいに言うな」

 ヴィンセントは汚物と化した俺の服が詰め込まれた袋を持て余したまま、「切ったぞ」と愛想なく言い放つ。

「……説明してもらおうか。その義務が、お前にはある」

「うん、ええと……」

 スカルミリョーネは十五分と言っていた。もうあまり時間がない。

「詳しいことは、クラウドが話す」

「そのクラウドが何処かへ消えた!」

「大丈夫だ、クラウドはいま、スカルミリョーネの所にいる。俺が、そうさせた」

 考えてみればこの言葉ほど無責任なものはないだろう。だって、ねえ、カオスと対立しているあの少年のところへ、最愛の少年を送るなんて。

 だが、さすがは俺のことを誰より知っているヴィンセントである。頭ごなしに俺を痛罵するようなことはしなかった。

「……スカルミリョーネを見付け出したのか」

 低い声で。「カオスがあれほど探しても見付からなかったスカルミリョーネを、お前が?」

「俺はクラウドと一緒に、スカルミリョーネを守ろうと思う」

 ヴィンセントが訝った。「守る?」

「カオスから、……カオスがあの子に腹を立てるのは当然だ、でも、カオスに怒られないように、俺はしたい。あくまで『叱る』にとどめられるように、俺はする」

 なるほど、とヴィンセントは小さく呟く。「私からそれがカオスに漏れると都合が悪いということか。加えて言うならば、私もスカルミリョーネの元へ行ったならば……」

 流石に察しがいい。俺はヴィンセントの用意してくれたトランクスと新しいシャツとジーンズに、まだ汗も引かない身体を固める。

「……解っているだろうとは思う、だが、言わずにはいられない私の気持ちも汲んでもらおうか」

 ヴィンセントはゴミ袋を放って、俺のまだたっぷり濡れた髪に手を置く。

「必ず帰って来い。無事に、クラウドと一緒に、……そして行くからには、絶対にスカルミリョーネを守れ」

 こんなに頼りない男を信じてくれる人間は、多分この世界のどこを探したってこの人とクラウドしかいない。

 うん、と俺は頷く。

 仮にそうであったとしてもいい、俺は俺を信じてくれる人がいるから生きている、俺を愛してくれる人がいるから生きていていい。

 そう強く強く確信する。

「じゃあ……、行ってきます」

 ヴィンセントが頷いたのを見届けた次の瞬間には、俺は再びスカルミリョーネの結界の中にいた。

「うわ……、くっさいな此処!」

「あなたのせいで臭いのです」

 スカルミリョーネは憮然と言った。クラウドが「うーん……」鼻をひくひくさせて、眉間に皺を寄せる。

 ゆるゆると、身を起こしながら、「トイレの中におっこちる夢見た……、って」

 悪夢に嬲られるクラウドなんて可哀想だ。俺は抱き起こして、

「おはよう」

 唖然とする猫耳少年のつぶらな瞳に微笑みかけた。

「にゃ……」

 クラウドはついさっきまで俺たちの家にいたのだ。そこには俺はいなくって、ヴィンセントが一人、彼一流の驚異的な根気強さでもって、俺の愚行をどうにかこうにか納得してくれようとしていたところだ。

 ところが、爆発的な悪臭、神経ガスのごときもので昏倒し、目が覚めたところにはヴィンセントではなく俺がいるわけだ。

 いや、のみならず、

「……おはようございます」

 スカルミリョーネまでも、いるわけだ。

 ……クラウドは、決して温室育ちのお嬢さまではない。だからここで再び失神するようなことにはならなかった。ただしばらくの間、お腹をすかした金魚みたいにぱくぱくと、納得するに足る理由を求めている。

「なんで?」

 結局のところ、クラウドの抱いたあらゆる疑問はその言葉に集約された。俺はクラウドを抱き締めたい欲を堪えつつ、ヴィンセントにしたよりも丁寧に説明して行く。スカルミリョーネはその間中ずっとつまらなそうな顔をして佇んでいた。

 俺がスカルミリョーネの目的と実際の行動を説明しても、やはりクラウドはさほど大きなリアクションはしなかった。なんとなく、でも、クラウドだってやっぱり判ってしまうのだ。

「……にゃ……、そんなこと、ザックス、してたの?」

「してたっていうか、まあ、実際この場所に着いたのはついさっき。それまではずっと、地獄の釜の底をふらついて何にも出来てなかったよ。スカルミリョーネが道を開いていなかったらそろそろやばかったかも知れないね」

「……スカルミリョーネ」

 クラウドはよいしょと立ち上がり、これまで猫耳少年に対してはいつだって優しく甘いばかりであった不死少年の乾いた顔を見上げる。

「……ありがとう、ザックスのこと、助けてくれて」

 スカルミリョーネは明らかに居心地悪そうであった。憮然とした面持ちでしばらく黙りこくっていたが、

「……いいえ」

 と首を振る。

「クラウドには、これからおつかいを頼もうと思う」

 俺はまだ抱き締めることが出来ていないクラウドの、とりあえず猫耳を久しぶりに、……本当に久しぶりに触って、言った。

「おつかい……?」

「そう、おつかい。……メッセンジャーって言ってもいいかな。これから俺は手紙を書く。その手紙を届けに行ってもらう。いや『行ってもらう』って言っても、その場所まではスカルミリョーネに飛ばしてもらう。だからお前は本当に、手紙を持って置いてくるだけだ」

 クラウドは少しも考えることなく「ん、わかった」と頷いた。家の食料品の買い物は大概俺かヴィンセントと一緒に行くけれど、ときにはクラウドにおつかいを頼むこともある。もちろん、いつも問題なくそれをこなしてくるいい子のクラウドである。

「よし、じゃあ手紙を書く。スカルミリョーネ、便箋と、あとペン」

「ありません」

 スカルミリョーネはにべもない。「我々は意思伝達手段で手紙を用いることはあまり、ないので」

「え、でも前にカオスがクラウド宛てに手紙を書いてよこしたことあったぞ」

「あれはあの人の趣味です。必要であれば、ご自宅まで取りに行ってください」

 スカルミリョーネがそう言った次の瞬間には、クラウドが「にゃ」という小さな声を残して消えていた。一分もかからず呼び戻されたその猫手には、学校で使うペンケースと便箋、そして封筒。ヴィンセントが素早く支度してくれたようだ。

 それにしても家で待たされているヴィンセントはずいぶん落ち着かない気持ちであろう。急にクラウドが消えたと思ったら俺が現れ、俺も行ったかと思ったら今度はクラウドが戻ってきて「書くものと、便箋ちょうだい」っていきなり言うんだもの。

「よし」

 正座である。なぜって、椅子もテーブルもない空間であるからして。

「何書くの?」

 クラウドが横から覗き込む。

「脅迫状だ」

「は?」

 ザックス=ヴァレンタインこと、クラウド=ストライフは初めて犯罪行為に手を染める!

 いや……、初めてじゃないな、そこらへんでの立ちションは何度かしたことあるし、ヴィンセントと二人で暮らしてるときには野外露出とか……、あ、あとそもそもクラウドやスカルミリョーネとああいった形のコミュニケーションをとるのも。

 細かいことはどうでもいい。問題は、

「きょう……、なあスカルミリョーネ、脅迫状の『きょう』ってどう書くんだっけ……」

 という方。


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