ねみみみず

 ねみみみみみず、ねみみずねみみみず違うや、ええと、ねみみにみず、そう、ねみみみみずの驚天動地、

「にゃー!」

 煌く破壊力抜群の閃光で彼方へ弾き飛ばす魔物の群れ、俺はフルスロットルの両足を緩めるどころか加速して、さっきから胃の中身というよりは胃ごと外に出そうなぐらい。でも止まるわけにはどうしても行かない。

 クラウドが解き放つアルテマの魔力反動が、俺の背中を更に押す力となる。

「にゃっ、にゃー!」

 また、アルテマ。どうん、と轟音と共に後頭部がぶれる、転びそうになるけど、転ぶわけには行かないんだってば!五十メートル六秒台、背番号00、右投げ右打ち登録は外野手のストライフ選手、代走要員、走れ走れストライフ、「にゃー!」、また。

「……止まるなよ」

 ヴィンセントが後ろ向きに羽ばたき、迫り来る魔物の群れに、掌から幅広のエネルギー波を放ちながらちらと俺に言う。止まらないよ、止まれないよ、っていうか、

「話し掛けるな」

 一息でそれを言うだけで、真剣に死を覚悟する。「にゃー!」、足はとうに限界を超えていた、それでも俺は肩に担ぎ後ろ向き、アルテマを連発するクラウドの生命の全責任を負うているという意識がある以上、止まることも転ぶことも出来ないのだった。

「うっにゃー!」

 何故、俺が、俺たちが、こんな目に遭っているのかって?

 事の発端は……、いや、発端なんてないさ。昨日の晩、そう、ずいぶん前のような気もするけどもあくまでも昨日、カオスがクラウドに三つ目の力を与えて、迷惑だなあとは思いつつそんなの気にせずいつものように抱き合って、クラウドは可愛いなあって。そんでもって、今朝はホテルの朝食を食べて、部屋に戻ったら。

「お……」

 グルルルルーって、広い部屋にぎゅうぎゅう、ベヒーモスがそれも二匹。呆気に取られたら、エレベーターから降り立ったのはまた狭い中によくもそんな巨体を押し込めたものだブラックドラゴン。牙を剥き出しグルルルルー、話し合える相手でもなくそんな余裕もなく、朝のオレンジジュース飲んでもまだ眠かった俺の目は一瞬で醒めた。

 そこから今までが約十五分。ホテルの長い廊下、ずらっと並んだドアが一斉に開いて、色とりどりのドラゴンがのっそり出てきたのはなかなかに壮観だったが、そういう希少価値の高さは全く要らない。クラウドを担ぎ上げて階段を駆け下り、クラウドは「にゃ!」のアルテマを兎に角連発、街に出ればそこはまた魔物で溢れかえっていて、

「どうなってるんだ!」

「考えている余裕があるとは思えないな」

「にゃー!」

 クラウドのアルテマで、ヴィンセントの魔法で、弾き飛ばし、俺は全速力で市街地を駆け抜ける。魔物の勢いは一向に収まる気配を見せず、魔王城を背後に目抜き通りを駆け抜け、あの角右にその角左に、闇雲に遮二無二有無を言わさず、……。

 何度「死ぬ」って思ったろう。息が切れて、「死ぬ」すらも言えないようになって、足は動いてるのか止まってるのか、生きてんのか死んでんのか、それが何だか異様に気持ちいい、雲の上に乗ったみたいにフワフワ、心もフラ付き、ひょっとしたら俺、笑っていたかも知らない。

「……もういいだろう、勢いが止んだ」

 ただ、ヴィンセントの言葉を聞いて、足は急には止まらず、時速5キロぐらいのスピードで、ずいぶん長いこと走っていたような気がする。クラウドが自分でぴょんと、黒魔道士姿で俺の腕から降りて、風圧でズレた帽子をきゅっきゅと直す。俺は両膝の皿が消えてなくなったような感覚に陥り、舗装された道路にべたんと肩から倒れた。頭が割れるように痛い、心臓は破裂しそうだ、何より、足が、足が、足が、いっそ自分の手で腱を切ってやろうかってくらい、……痛いなんて次元を通り越している。

 クラウドが元の姿に戻って、俺の顔の側にしゃがみこんで、「ザックス……、大丈夫?」って。これも黒魔道士姿だったら俺の頭を吹っ飛ばすアルテマになっている。

 寝耳に入る水はあっても、俺の喉を癒す水は降って来ない。仕方がないと、ヴィンセントが手を掲げる。空気中の湿度が形を為し、彼の掌の上に球となる。掌に載せたまま俺の唇へと運んでくれる。吸って飲み干して、やっと、俺は言葉を取り戻した。

「どういう……、どういう、どういう、ことだよ……、何なんだよ一体」

 寝返りを打って、道の真ん中で大の字。空はごく普通の色の青さ……、全身から噴出した質の悪い汗が、日頃の運動不足を物語る。

 ヴィンセントもさらりと汗を拭う。

「……なあ、あんた……、何かカオスから聞いてないのか」

「聞いていれば……、それ相応の準備ぐらいしていたさ」

 彼は憮然と言い放ち、乱れた御髪を整えた。

「さっきからコンタクトを取ろうと呼びかけているのだがな、お得意のダンマリだ」

 ゆっくり、のっそり、俺は起き上がる。ずいぶん高いところの顔を見上げて、

「じゃあ……」

「可能性としてはある、……大いにな」

 クラウドもアルテマ連発はさすがに答えたか、しゃがんだまま動かない。

「……街の方は魔物で溢れかえっている。これが事前に住人たちに通達されていたとすれば、あれほど街が静かだったのも納得の行く話だ」

 ああ、また訳判らん。ごろん、横になった、空は青く広くちっぽけな俺を十秒ほどじっくり意識して、現実逃避ばかりしていられたら幸福、いられないから降伏、起き上がって報復……、出来たらいいんだけどな、相手はカオス、魔界の王、次元すら歪めるロードオブザキング。

「更に言えば」

 ヴィンセントもアスファルトに座る。

「クラウドが第三の変身能力を手に入れた。呪文詠唱もマテリアもなく発される最強魔法、それも無尽蔵にな。……ああいうシチュエーションには最適だ」

 言われてみれば大いにそうであって、クラウドのアルテマがあったからこそ俺たちは逃げきれた。ヴィンセント一人でも何とかならなかったはずはないけど、俺の足が今もヒクヒク痙攣していることを除けば、ぎりぎり円滑に逃げ切ったと言えなくもないわけで。

 予定調和、という言葉が明瞭に浮かんだ。

「何のために」

 思わず言ってしまった言葉に、

「何度も言わせるな。……私たちは人間、奴は魔王」

 目論見を覗いて判れるような相手ではないのだと、ヴィンセントは確かに何度も言ってきた。

「何らかの理由があって、私たちをあのホテル、というか、街から追い出す必要があった。その理由を私たちには話せない。説明の手間を省くために、コミュニケーション能力のない魔獣を使ったのだろう」

 カオスを、というか、魔界及び地獄を、相手取って何かを考えるときに非常にしばしばぶち当たる、自分たちの無力感。宇宙規模で何ぞ云々仰ってる支配者を前に、俺たちが何を考えて行動しようと、それは所詮お釈迦様の手の上のスーパーモンキーといった趣から用意に脱却も出来ない。また、現実味もない。魔界対地獄の諍い、具体的に言えば人間の生きる地球への亡霊降臨とそれを手引きしたルビカンテ対、俺たちの戦いは、ルビカンテがカオスの手によって氷漬けにされたことで、終息をしたはずだ。それなのに、俺たちは相変わらず何日もこの世界に、厚遇されてはいるが言ってしまえば軟禁状態で、今日は今日でこんな目に遭わされた。

 おかしい、とは、ずっと思っている。しかし「おかしい!」と声を大にして言ったところで、俺たちに出来ることは何一つないのだ。

「……どうしたらいいんだ、俺たち。ホテルには戻れない、……飯も食えないぞ、こんな……」

 遠景には待ち、顧みれば、荒野に一本のロード、左右どちらの車線で走っても文句は言われないような、風の音ばかり聞こえる景色。

「……この道、どこまで続いてるのかなあ」

 クラウドが道の真ん中に立ち上がる。

「都市に続いている」

 平然と言い放ったヴィンセントは、カオス経由の知識、というか、魔界の形ぐらいは把握している。

「今年に入った時点でここから三十キロ、直進すればまた都市が現れる」

「今年に入った時点で?」

「宇宙は膨張している。元々は目と鼻の先にあったのが、間が伸びて三十キロになったのだ」

「ああ……」

「この道は首都とその都市を結ぶ幹線道路だ。ここから西に行ったところには鉄道も走っているし、この道にも魔力で走る乗合バスの類が通っている。平時ならな」

 ヴィンセントは俺に「立て」と促がした。

「……えー……」

 運動不足の身には、正直、非常に、堪えることだ。だが、クラウドは溜め息一つで、「ここ、まっすぐ?」、既に歩く体勢を整えている。いつまでも寝ている三十路男という訳には行かない。そもそも肉体はまだ十八歳。

「ここまで追い立てられたんだ、他に行くところもない。要するに『行け』ということだろうさ」

 ヴィンセントはちらりと背後を見て、苦味を帯びた口調でそう呟いた。カオスが俺たちに何をさせようとしているのか、まったく読めないまま、恐らくはチェスの駒の一つに過ぎない俺たちというユニットを、彼は自由意志で動かしているに違いない。

 三十キロ。「一里一時間」からすれば、七時間半。「日没までには着けるか」、ヴィンセントの言葉に、頷く他ない。


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