猫舌ティータイム

二人のからだは予想に反して一回りも違わなかった。並べて立てれば、その差は五センチもない。ヴィンセントのほうが大人っぽいけれど、少年体型、まだまだ未発達というところは同じ。改めて、よくもまあそんな子供に化けられるものだとヴィンセントの思考に感心してしまう。
 先日、猫ヴィンセントが原因でクラウドに「ヤリ○ン」呼ばわりされ、危うく家族崩壊の危機だったのだ。もっとも責任は俺の精神的な脆さを差し引いてもヴィンセントにあったし、あいつ自身それを認めていたから、クラウドの目の前でヴィンセントにヒトガタから猫型へと変身させ、ふたり揃って「すみませんでした」と平謝り。渋るクラウドを、猫ヴィンが「ねぇ、いいでしょう? ザックスは悪くないんだ。悪いのは僕、本当にごめんね」と絡み付きキスをしどさくさに紛れ身体に触れて、心を溶かし別の部分の態度を硬化させ、一件落着。その後繰り広げられた半猫の子供同士の愛交はなかなか見ごたえがあり、当然のことながら途中で我慢出来なくなり、二匹の猫を同時に愛した。片方の中身が老人であることを頭から外しておけば、非常に良い。
 そんな次第で、ヴィンセントは家に居る間、節操無く変身をするようになってしまった。風呂に入っていった時には猫型だったのに、上がってきたらヒトガタだったりして、まるで本当に四人目の家族が出来たかのような錯覚を覚えてしまう。しかも、意図的にだろうが、猫型の時に「私は…」と言ったかと思えば、ヒトガタの時に「僕はね」などと。終いには、「唯一残念なのは、この瑞々しい身体を、私自身は抱くことが出来ないということだ」などと、鏡に己が少年裸体を移してほざく始末だ。ナルシストだと罵ってやれば、急に「だって僕は、ザックスが愛してくれるこの身体がすごく嬉しい。僕は、ザックスが愛してくれるから、僕の身体を好きになれるんだ」と、目に涙を浮かべて反論する。
 愉快ではあるが、非常に困った同居人と暮していたのだということを、再確認する毎日。リーブの使うような言葉でなら、きっと一日に何度も「なんでやねん」を連発しているはずで、しかし端から見て笑える舞台を本気で演じているということは、決して虚しくはない事なのだった。




 土曜の午後はいつもつれづれだ。旅行に行くことも希にあるものの、家でのんびりすることに、不足は感じていないからだ。自分の分だけ入れた熱々のミルクティを啜っていると、そこにクラウドとヴィンセントが何の用もなくやってくる。
 猫の尻尾は素直だ。犬は悦びに尻尾を振るが、猫は不機嫌に振る。上機嫌のときはピクリとも動かさない。パタパタ動きが、そのまま感情のシグナルになっているわけで、どんなにカッコ付けて苛立ちを装っても嬉しいときには尻尾は動かないし、黙ったまま向こうを向いた背中に尻尾が忙しなく動いていれば、話し掛けるのを我慢する。 どういう構造なんだろう。例えば俺に尻尾がついていたとして、それを振ろうと思ったなら、どこの筋肉を使えばいいんだろう?
「さあ」
「さあ、て」
「わかんないもん。自分じゃ動いてるのは解かるけど、動かしたくて動かしてるんじゃないもん。ただね、何となく、そう、お尻の筋肉使ってるって感じはするね」
「ふーん……」
 自分の意識と関係なく反応してしまう身体の一部分がお尻で動く。
「……ちんちんと一緒か」
 椅子から立ち上がりてくてくといなくなってしまう尻尾がフラフラ揺れている。使っているのは括約筋か? だから握られると感じてしまうのか? なんて聞いたならたぶん引っ掛かれるので言わない。でもきっとそんなもんなんだろう、尻尾はとても敏感だし、出来れば触わって欲しくないと彼は言う。平常時に急所を触わって欲しいと言う子は、なかなかいないだろう。
「……あの子の尻尾は細いよな」
 俺の阿呆台詞を片耳で聞きながら眼鏡を拭いている隣のヒトガタに聴いてみる。
「種類によって違うのさ」
「長毛か短毛かってことか?」
「そう。私は長毛だから太く見えるだけで、芯はあの子と同じ程度だ」
「なるほど。……なんであんたは長毛種なんだ?」
「高貴なイメージがあるからな。クラウドが親しみやすく可愛らしい短毛のトラ猫なら、私はロングコートの美人猫だ」
「……仔猫のあんた見ても美人だとは、あんまり思えないけど」
「そうか? まあどちらにしろ、いまの私を美人だとは思えるんだろう?」
 尻尾を振るのはこういうケース? クラウドに聞こうと思ったけど、今部屋を覗けば向こう向き、ぬいぐるみスコールを抱いて尻尾をバタつかせているであろう。
「……話は変わる、っていうか変えるけど。猫の尻尾って実は、触り心地良いから俺好きなんだ。クラウドはあんまり触わらせてくれないけど」
「私だって嫌だ」
「別に先回りして嫌がらなくたっていいだろ」
 尻尾さえ握ってしまえば強気なヴィンセントでも仔猫ちゃんだ。本人は猫に変身する時の、唯一の誤算だと想っているらしく、触ろうとするとそれまでと打って変わった大人の声で「変態」と詰るのだった。萌えないったら。
「……あとは、あれだな、手。猫の手は良い」
「肉球がか?」
「うん。いや、肉球も大好きだけどさ、手の甲も。クラウドは――たぶんあんたもそうだと思うけど、時々無意識に、手がグーになるんだ。それが可愛くてさ。食べてやりたくなるな。それに手の甲を指の背で撫でてやると、何だか満たされるんだよ。他のところとちょっと毛の質が違うのかもしれないな」
 ただそれをやると、クラウドは爪を立てるのだけれど。尻尾と同じように、手もちょっと苦手な部分なんだろう。まあ、人間だって他の奴に手をグジグジ弄られたら良い気分はしない。
「猫なあんたとしてはクラウドの裸っていうのはどういう風に映るんだ? 何か違って見えたりするもの?」
 例えば、同じ種類として……、俺がセフィロスやザックス――つまり同種である人間に惚れたのと同じように。
「発情期が来たら盛るかも知れんな」
「はつじょーき。そう言えばクラウドには無いのかな発情期。まあ年中薄っすら発情期だけどさ」
「ともかく。まあ、質問に答えるのは無理ではないかな。私はやはりクラウドを、ヴィンセントヴァレンタインという人間の視点でしか見られんから。だが、クラウドはもともと半分猫だから、そこらの野良猫の、私たちには解からない魅力を教えてくれるだろう? それと同じで、ひょっとしたらクラウドは猫の姿の私に、お前や生身の私に無い魅力を感じているかもしれないな」
「それじゃあ、何かの拍子にネコミミの男と会ったりしたらメロメロになるかもしれないな、注意しないと」
「そうだな。さしあたりナナキだな。あいつイヌのくせにクラウドと妙にウマが合う。……あとはユフィか。あの猫娘は要注意だ」
「あー、ユフィか。っていうか、何でクラウドはユフィなんだ? ティファじゃないのは何でだろう」
「お前は胸が大きい女の方が好みだったか」
「いや、そういう意味じゃなくて。クラウドは何でユフィのこと好きになったんだろうなーと」
「ティファより先に一緒に風呂に入ったからだろ」
「……アイツ結構チョロいのかな」
「……まあ……、ベースがどこかの誰かさんだからな」
「……俺ってチョロいのか?」
「……敢えて答えん」
「チョロいっていうより、ココロを大切にすると言ってもらいたいな。俺は、俺のことを好きになってくれた人のココロが何より嬉しいから、大切にするわけで」
「解かっているつもりだが」
「なら、いいよ。でもさ、ティファだって魅力的な女性だと思うんだ。優しくて賢い。強いしな。もしクラウドが、ユフィより先に彼女にあってたら、ティファに惚れてたのかな」
「ただ、そうだとして。ティファだってユフィと同じ感情を抱いていたが、お前とクラウドに、ユフィがしたような行動には出ないだろう。彼女はあのとおり、お前という人間に恋し果てるには思慮深すぎる」
「……俺って」
「ハッキリ言って女性を不幸にするタイプだよ。というより、正常な形の恋愛には向いていないのだろう。同性愛ですら、一対一に向いている気がしないよ」
「……俺って」
「だからこそ、私とクラウドが同じ屋根の下で幸せに暮せているのだからな。 ……解からないものだ」
「ちょっとは救われるよ」
「ちょっとだけか。……発情期と言えば」
「随分戻るな」
「聞いた話だがな、女には発情期があるらしいぞ」
「は?」
「男はいつでも臨戦状態、しかし女性はそうではない。だがその分、周期的にそういう時期があると聞いたぞ」
「誰に」
「ユフィに決まっているだろうが」
「いつ聴いたんだよ……」
「この間電話で話したときだ」
「何、あんたアイツとそういう」
「妬むな。友人なのだから仕方ないだろうかかってきた電話は取らなくては」
「ああ、かかってきたのか」
「それで、クラウドのことをお前がいじめていないかと聴いてくるから、毎日のようにと答えた」
「あんた俺に二度とウータイ行かせない気か」
「あいつが言うには。男は日常茶飯事発情期で大変だ、女はそんなの殆ど無い、ある一時期を除いては、と言っていた」
「ある一時期?」
「私にもよく解らん」
「……お互い女と抱き合わないようになって何年も経つんだもんな」

「言いたくはないが、……我々は地味に穴兄弟なんだな、……あの、ユフィの」

「……ああ、そっか……、痛いな」
「その上クラウドもだ。……同じ病気にかかるぞ私たちは」
「いいじゃないか。……ゲイなんだから」
「まあ、な」
「……何か、そう考えるとやっぱり、クラウドには悪いことしてるのかな、ゲイに『育てた』ようなものだし」
「だが、クラウド自身、やはり男相手のほうが性に合っていると思うぞ。これは冗談では無く」
「……そういう『性』とかってあるものか?」
「まあ、単純に順番かもしれないが。先に男を知るか女を知るかの差だけ。……私は先に女性を知ったが、どこかの誰かのせいで男に狂わされた。だがその過程で、女より男のほうが向いていることを悟った」
「……ふーん」
「順番と言えば、実は童貞を棄てたのはお前が一番遅いのだぞ、年齢的には」
「だから何だよ」
「一番がクラウドで十三歳、二番が私、遅いが、二十一のときだったかあれは。お前は二十三」
「だから何だってんだよ」
「……あのさあ」
 いつのまにやら、延々無駄話をしている俺たちを覗き込んでいる顔。どうやらもう機嫌は直ったらしく椅子を引いてやると、てくてく歩いてきて収まる。尻尾は振っていない。
「……何の話してるの?」
 何となく外されて面白くないのかもしれない。いじけてたのだから慰めに来い、何となくそんな拗ねた態度が伺えるのが、好きな子をいじめたときのような罪悪感と満悦。
「何の話だ?」
 俺はヴィンセントに訊ねる。
「さあ」
 ヴィンセントは首を傾げる。
「……まあ、いいけどさ」
 クラウドはふん、と机の上で冷め切った俺のミルクティを両手で引き寄せ、ちゅる、と啜った。
「猫舌だよなクラウドは」
「ん?」
「熱いの、苦手だろ? そういうのを猫舌っていうんだよ」
「……猫だよ?」
 きょとんと丸い目で言われ、ああそういえばそうですねと納得してしまう。いやいやそうではないのですが。
「猫なのに、舌はざらついてないだろ?」
「んー……。だって、人間だもん」
 ああ、そういえば、……そうですね。
「実際のところ、猫の舌ってものすごいザラついてるよな。昔近所の猫にバター指にくっ付けてあげて舐めさせてみたら、ざりってして、サンドペーパーみたいだったな」
「毛羽立っている感じがするな、何となく。舌に毛が生えている」
「……俺、生えてないよ、ほら」
 んべ、と舌を出して見せる。赤く濡れ、アールグレイの香りの舌は思わず指で触りたくなってしまう。ざりっとしていなくても、ぬるっとしているんだろうし、舌と指とで糸なんか引いてしまったら俺はちょっと困ってしまう。
「私は蛇の舌出来るぞ」
 ヴィンセントはチロリ、赤く細く先が割れたゲテモノの舌を見せてみた。クラウドが明らかに蒼ざめて引いてしまったので、ヴィンセントはすぐにそれをしまい、元の舌に戻した。
「蛇舌は喋りにくいのだ」
「じゃあするなよ」
「でもヴィンはなんで変身できるの? ベロだってそんな風に変えられるしさ」
「……難しい質問だな」
「カオス入ってるからだろ」
「言ってしまえばそうだが。カオス自身の力を私の魅力もとい魔力で増幅させ、或る方向に成長させたのがいまの形なのだ。どうせ宿ったウィルスなら、うまくやって行けた方がいい」
 健康的な考え方だ、苦笑いが浮かぶほどに。
「俺も変身出来るようになったらいいのにな」
 クラウドがぽつりと言った。
「なりたいものがあるのか?」
「……んー……、いや、ないけど。ヴィンみたいにいろいろ出来たらいいじゃん。空飛べたりするのは面白いだろうし」
 ヴィンセントはにっこり笑い、ぱちん、指を鳴らした。
「にゃん?」
 クラウドのとんがった髪が、力無くくたりと寝てしまった。ちょうど風呂上がりはこんな髪型だ。そして次にもう一度指を鳴らすと、クラウドの髪はふたたび元の天然爆発ヘアに戻った。
「お前の身体を弄るのは簡単だがな。そのままでも充分魅力なのに、変えてしまうのは勿体無い。それにな、私はお前が羨ましいときだってある、ザックスもな。仮に私が猫に変身出来たとしても、その結果はお前のように魅力的ではない。お前はお前のままが最高なんだよ」

「……んん」
いつものことだけど、うまいこというよな。脈絡の無い良い台詞大の得意、そういうのをウラヤマシイと思う。

「でも、猫のヴィンだって……黒くて綺麗だし」
「そう言うなら、比べてみれば早い」
 ヴィンセントのセーターは一瞬でぶかぶかになる。身の丈百五十の短身(本人が言うには、十六から十八にかけて三十センチ伸びたのだそうだ。羨ましい話だ)に、縮んだ髪の毛、ぴょんと伸びた耳。
「ザックス、どっちが可愛いと思う?」
 即答はしかねるけど。
「やっぱりクラウドのほうがかわいい」
「ほら。クラウド、君は、少なくとも僕たちの目からは一番なんだ。だから、僕みたいに変なパーツをつけたりしないで、素顔の君でいたほうがいいよ」
「……んー、にゃぁ……」
 クラウドは何か言いたそうな顔をしたが、我慢してまたちゅるりと一口。
「……そういう仕種も。お前だから、俺は好きなんだ」

言ってやると、不機嫌そうな上目遣い、尻尾ぱたぱた。既にヒトガタに戻り終えたヴィンセントも、嬉しそうに微笑みながらその様子を見つめている。


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