水のカイナッツォ

 クラウドが「変身」するようになってから一ヶ月が経った。この間日記を書いていないのは、まあ、年度末から春休みということで色いろとあってだな、別に現実逃避していたわけではない。そんなに長いこと現実逃避などするものか、三日くらいしかしていなかった。

「にゃー!!」

 変身した姿というのは、おさらいになるが、俺の十六歳くらいの姿をしている。すなわち、もうしっかり大人で、俺が騒いだとおりちんちんにも毛が生えているくらいの頃。その姿でもって、猫耳も猫手足も、もちろん猫尻尾もついているので、ヴィンセントとしても俺としても、一種微妙な感情にならざるを得ない。何度も言っている通り、俺はクラウドの全部を愛しているのだから、多少見た目が変わったってその尊敬対象たるべき感情は少しも色褪せないで在るのだが、やはり、こう、なんというか。

 カオスが「護られるべき存在としてのクラウド」からの脱却を図るために、こうした変身能力を授けたらしいことは、前回の通り。だから変身したあとのクラウドというのは、結構な身体能力を誇っている。その鋭い爪でもって、この間は亡霊虫をあっさりと退けた。実際に俺に打ち込ませてみたら……、驚くこと莫れ、俺が、この俺が、一度だけバックを取られそうになったのである。というのはつまり、俺の知っている中ではヴィンセントと俺の次に強いということになる。兎に角、非常にすばしっこい。全身にバネでも仕込まれているかのように、柔軟で、かつ鋭い動きをしてみせる。確かにこれならば、多少の魔物なら十分にやっつけてしまえるだろう。クラウドに関する不安が多少でも減るのは、確かに喜ばしいことと言っていい。

 しかしだ。

 それとこれとは別なのである。

「もう、いいから、変身しなくてもいいから」

「うー」

「な? 嬉しいのは判ったから、さ」

「……わかったよう」

 変身能力、基本的にはクラウドの意志で変身したり戻ったりは可能らしい。ただ、変身しつづけていられる時間には限度があって、凡そ一時間。肉体状況、精神状況ではそれよりも早く元の愛らしい仔猫姿に戻ってしまうこともありうる。

「……カオスとは連絡つかないのか?」

 ヴィンセントは頷く。

「完全に無視されているような感じだな。魔界にいないはずはない、現にこうして」

 ヴィンセントは手を掲げる、その手が、カオスの本性の、悪魔の手に変わり、再びヴィンセントの白い手に戻る。

「身体に宿すことが出来る。……どうも、反論は受け付けない、ということらしい」

 俺たちとしては、大いに抗議したいのである。だって、クラウドが変身するようになった理由って言うのが、カオスを始めとする「魔界の意志」なのだから。詳しいことはもう前回書いた推測どおりだったから割愛するが、要するに魔界の王であるカオスが、どうにか地獄から俺たちの住んでいる地球へ降り立つ邪悪な「亡霊」から地球を護るか思案した末に、地球人である俺たちが防衛するのが一番いいと判断し、地球最強の戦士である俺たちがするのが筋だろうと勝手に決めて、俺たちの唯一と言っていいほどのウィークポイントである(これはカオスの勘違いである。俺たちにはもっと弱点はある。ユフィとか、ユフィとか、ティファとか、ユフィとか、ユフィとか、メルとかである)クラウドを強化というか補強することだから。クラウドという不安がなければ、確かに俺たちの守る力のベクトルは、クラウドではなく地球へと向く、だろう……、というのがカオスの考え方、「いくら何でも君たちそこまで心の狭い人間じゃないでしょ?」、笑って言うのが聞こえるようだ。だけど甘いなカオス、俺の心はクラウドが関わると三畳一間よりなお狭くなる。起きて半畳寝て一畳だ。何を言っているんだ。

 もちろん、……カオスたちに助けられていることは判っている、あいつのこと、よく判らないけど、嫌いじゃないし、スカルミリョーネのことは好きだし。

 でも俺たちは魔界の意志などとは関係なく生きていたい。俺たちは俺たちの平凡な幸せを守ることだけで精一杯だし、怠惰なことを言ってしまえばもう苦労はしたくない。若いうちに人の七倍くらい嫌な思いをしてしまった俺たちだから、そう願うことは決して傲慢ではないはずだ。

 協力は惜しまない、が、迷惑はかけないでくれ、そういう気持ち。

 迷惑。多少のことなら感じないけれど、クラウドのことに関しては、とにかく敏感な俺たち。

「……さて、どうしたものか」

 ヴィンセントは溜め息を吐いて、小さいクラウドを膝に乗せる。

「向こうからの連絡を待つしかないか。スカルミリョーネも来ない、カオスとも話が出来ないとなれば、私たちは何も出来ん」

 なんだか、魔王の手のひらで転がされている実感がある。

 いや、相手は魔王なんだから、逆らっちゃまずいんだってことは判ってるし、逆らえないというのも判ってるんだけども。でも、なんて言うか、この平凡で善良なる一市民の生活を、どんな立場にある誰であっても、揺るがせていいものだろうかという気もする。俺はクラウドとヴィンセントを愛していて、クラウドはヴィンセントと俺を愛していて、ヴィンセントは俺とクラウドを愛している、最高にハッピーな三角関係をこれからも守りつづけたいじゃないか。

「……ザックスとヴィンは、俺が変身するの嫌みたいだね」

 クラウドはヴィンセントの膝の上でそう訊ねる。

「嫌じゃないさ」

 俺はすぐ答えた。

「ただ」

 ヴィンセントがそのあとを引き取る。

「私たちは今在る幸せを守りたい。心が狭いのかも知れないが、私たちの願いというのも、ある意味では認められてしかるべきものだと思う」

 クラウドの小さな身体は、ヴィンセントの膝の上に乗ると、それはどうしたって「まもるべきもの」としてしか認識できない。というか、仮に姿が変わって、内面も変わって、強いパワーが備わったとしても、それは少しも変わらない。カオスはそれがわからないんだろうか?

 クラウドは俺たちの恋人である。同時に、俺にとっては弟であり、ヴィンセントにとっては息子である。そんな存在、仮令どんなに強くたって、俺たちが守っていかなきゃならない。その事に少しも変わりはない。どんなに時が経ってもどんなに強くなっても、その事実だけは変わらない。

 だから、カオスのしたことというのは、その実俺たちに大きな変化をもたらすものではない。

 しかしそれでいて、カオスは俺たちに変化を要求している。

 だから、困惑せざるを得ないのだ。

 溜め息を吐こうと息を吸ったところで、玄関先のベルが鳴った。

 うちのインターフォンは、それは軟弱者ではない。家が広くて、俺たちの基本位置というのが、地下だったり二階だったりして、柔弱な音ではそれに気付けないから、けたたましく、癪に障るような音を出す。ヴィンセントが始めてここへ来てクラウドと初対面した際に、俺たちは地階にいて、ほとんどかすかにしか聞き取れなかったから、改造して音を大きくしたのだが、さすがにしすぎた感もある。しかし、旧式の機械ゆえ、もう直らない。

 ともあれ、一階の居間でくつろいでいた俺たちはみな一様に身体を硬くした。

「……いつもながら心臓に良くないな、この音は」

 「プー」とか「ピンポン」ではなくて、ほんとにブザー音、「ブー」よりも更に激しい、「ガー」という音が響く。しかし外で押す人間はそんなことお構いなしだから、早く出ないとガーガーガーガー手前勝手に押しつづける。

「珍しいな、休みの日に」

「ジャミルかなあ。だったら遊びに行ってもいい?」

「いいけど……」

「いいから早く出て来い」

 ヴィンセントとベルの音に急かされて、俺は仕方なくクラウドを連れて、鳴り続ける音の隙を突いて、玄関へ出てカギを開けた。

「はいはい、どなた?」

 扉を開けて。そこにいたのはジャミルではなかった。と言って、期待していたようにスカルミリョーネがいたわけでもなかった。カオスが来るとしたら、あの男は確実に部屋の中へ直接ワープしてくるはずだから、初めから可能性除外。しかし、町内の誰か、あるいは恐るべきユフィが来た訳でもなかった。

「……どなた?」

 俺は思わず聞き返した。

 俺の問いには答えず……、その男は土気色に草臥れきった顔、俺を見て、掠れた声を絞り出す。

「済まぬが……」

 一頻り、咳き込んだあと、

「……椀に一杯の水を所望だ」

「……み、水?」

「ミミズではない! ……水を所望と申しておるのだ」

「はあ……、えっと」

 俺とクラウドはぽかんと顔を見合わせて、しかし、明らかに顔色の悪いその男の請いを無碍に断ることの出来ようはずもない。

 玄関先を覗きにきたヴィンセントに、水を一杯持って来てもらう。

 その男はグラス一杯の水を、美味美味と言いながら一気に飲み干した。と、驚いたことに、土気色だった男の顔色は、たった一杯の水によって、見る見るうちに色を取り戻し、俺たちと同じような肌の色になったのだ。

 俺よりも身長は大きい、ヴィンセントくらいある。身体はしかし、見た目の印象としてはヴィンセント以上に痩せている感じだ、だが、水で戻った顔色ながら、目元は何か、飢えているような鋭さを持っている。

「いやはや……、かたじけない」

 何より特徴的なのは、そのツルツルに剃られた頭、そして、着込んだ服。……ユフィの国・ウータイで、こんなカッコをした人を見たことが在る。即ち、白と紺の袈裟。スキンヘッドから総合的に評価して、要するにこの珍客は、修行僧のような格好をしていた。

「儂としたことが、山道の途中で水を切らしてしまってな。……全く持って、喉が、渇いて、乾いて……」

 若く見えるが、あるいは中年くらいの年なのだろうか、それとも、国訛りとか、宗教上の戒律とか、そういう都合上だろうか、喋り方はおっさんくさかった。

「助かったぞ。うむ、人が良いという話は本当なようじゃな」

「……ん?」

 ヴィンセントが反射的に銃に手をかける。

「何者だ」

「こりゃこりゃ……、そのようなものを取り出しなさんな。儂は別に、お主らに危害を加えようとして降りてきたわけではないのでな」

 そして、二ヤリ、と笑って、懐から、いかにも書状っぽい書状を取り出して、俺へ差し出した。

「我が主人、カオスからの言伝じゃ」

 悠々と胸を張ってから、ぺこりと頭を下げる。

「名乗るのが遅れたな。儂は魔界四天王が一人、水のカイナッツォじゃ」

 

 

 

 

 スカルミリョーネ及び、スカルミリョーネ率いるスカルナントたちは、全員が全員、スーツにネクタイという、非常に礼儀正しいカッコをしていて、更に言えばスカルミリョーネを筆頭にみんなカッコ以上に礼儀が正しかった。スカルミリョーネは、まあ、ベッドでは人の上に乗っかって足を大きく広げたりなどあまりお行儀は良くないけども。まあそれはいいとして。

 魔界という世界の特異さを、俺は二人目の四天王を見て、何となく判ったような気になった。

 スカルミリョーネから地水火風を統べる四天王の存在は聞いていた。即ち、スカルミリョーネのほかにもあと三人、カオスの片腕(つまりカオスには片腕が四本あることになる)たちがいることは判っていた訳だが、その連中がどういうやつらなのかということは、全然想像だってしていなかった。俺個人としての意見を言わせてもらえれば、スカルミリョーネが可愛くていい子だから、リチャード=スカルミリョーネだけで十分である、と思っていた。

 しかし魔界との関係は、どうしたって俺たちが下位に在る――スカルミリョーネの言うことを信じるなら、魔界も俺たちに最大限の敬意を払っている、ということではあるそうだが――

「……勝手なことをする」

 カオスからの書状を読み終えたヴィンセントは、そう毒づいた。俺も脇から首を出して読ませてもらったが、「書状」と書かれた表書きでありながら、中は明らかにボールペンで書いたような文字、しかも、なんだかカオスは字が下手だ。俺くらい下手だ。

 君たちの結論は聞く必要ナシ、とりあえずカイナッツォを送りました、水の四天王です。詳しい話はカイナッツォから聞いて下さいな、新しい亡霊の件です。僕は今スカルミリョーネの髪の毛を撫でながら片手間にこの手紙を書いています。スカルミリョーネがすごく可愛くってほんとにもう可愛くって仕方ありません。こう書いたらスカルミリョーネが顔を真っ赤にしました。やっぱり可愛いです。僕はスカルミリョーネのことを可愛がるのに忙しいのでこれにて。 大魔王 カオス

 なんと言う大魔王であろうか。

「とまあ、そういう訳でな、多少込み入った話をせにゃあならんので、済まぬが水を一杯所望じゃ」

「……なあ、あんた悪いけど帰ってもらえないか、俺たちは……」

「そう言うわけにはいかん。儂も道楽で人間界に降りて来とる訳ではないんでな。そもそもお主らにゃあ、選択の自由は与えられちゃおらん。これはカオスの、即ち魔界全体の意志なんじゃから」

「カオスの意志だろうが魔界の意志だろうが、俺たちには関係ない」

「ほう? そんな事を言えるのかね? ……カオスがどれだけお主らに力を貸しとるか、忘れたのか? ヴィンセントよ、お主がその不老不死の身体を得ておるのは、誰のお陰と思うとる? ザックス、お主にしてもそうじゃ。カオスの力を持ってすれば、お主の身体からジェノバを引き抜くことなど容易いのだぞ。そしてクラウドを見よ、カオスは直接手も触れずにその身体を進化させる。指一つ弾くだけで、お主らの宝物は消えてしまうのかも知れんのだぞ」

 非常に直接的な脅迫がきた。

 俺たちは、さすがに怯む。当然だ。

「のう? 我々は持ちつ持たれつじゃ。儂らも地獄の連中には手を焼いておるし、地球のことを守りたいと思うとる訳よ。儂らがお主らの永劫の幸福を保証する、その代わりに、お主らに多少の労力を求むることは、ちっともおかしくはなかろうて」

 俺たちは、じっと黙りこくった。

「さて。……早いところ水を持って来てくれんかの? 喉が渇いてしょうがないわい」

「……おじさん、そんな水一杯飲んでトイレ近くならない?」

 素朴な疑問をクラウドが呈して、場はかすかに和む、ああ、可愛い、もういい。

「ふふん、儂の身体は特別製じゃ。水を飲んでも飲んでも、その水は全て大海原へ、時空を越えて次元を超えて滑り落ちる、儂の身体を介してな。……だから、ふむ、そう言えば生まれてこのかた排泄行為なぞしたことがないのう」

 羨ましいんだかそうではないのだか、クラウドは微妙な表情を浮かべた。ようするにこの男の排泄したものが海ってこと? やだなそれ。

 仕方なく持ってきたグラスの水をまたぐびぐびと美味そうに飲み干す。

 その姿を見ながら、俺は、そしてヴィンセントは、多分同じ事を考えていただろう。

 魔界は本気で俺たちに「させる」気なのだな、と。選択の余地は与えない、抗議も受け付けない。俺たちはクラウドのいる生活を人質に取られて、ただ働くしかないのだ……。

 それだけ魔界が危機感を強めていると言う証拠でもあろう。

 例えば、今回こうして交渉に来たのが、スカルミリョーネではなくこのカイナッツォという新しい四天王だったと言うことからも、それは伺える。この修行僧風四天王、押しが強い。スカルミリョーネも、強い目をするときはあったけれど、それもほとんど形ばかりで、俺たちはあの子の弱いところ優しいところ可愛いところをほとんど知ってしまったから、仮にあの子が来て「お願いしますザックス様ヴィンセント様っ」とお願いしても、俺たちにはさほど強い威力は発揮しないだろう。

 つまりスカルミリョーネは、交渉相手としては不適と判断されたのだろう。故に、この新しい四天王。そして、脅迫なんて手段を使ってまで、有無を言わせず強要するという必要が生じる状況になっているらしいことも、うすうす想像が付く。

「それでは、本題に入ろうかな。魔界が地獄と緊張関係にあり、その最大の原因となっておるのが、次元エレベーターであることは、既に知っておるな? カオスは地獄のエレベーターを、なんとしてでも平和的に停止させてしまいたいと思っておるわけよ。要は、地獄のエレベーターさえ止めちまえば全て丸く収まる、お主らの手を煩わすこともなく、な」

「けど、それが無理って言うんだろ、どうせ」

「ふむ。出来ておったら儂もここまで来たりはせんわな」

 このカイナッツォという男、まだ三十になる前くらいの若い顔なのに、こんなおっさんというか、更に通り越しておじいちゃんみたいな喋り方をするものだから、なんだかひょうきん者のように思えてしまう。きっとこれもまた、この男の武器なのだろうと、俺たちは警戒を解かない。スカルミリョーネがあの可愛い顔で、あんなスゴイ中味をしているのと同様に……。クラウドも、スカルミリョーネに対して感じたのと同様の胡散臭さをこの男に持っているらしく、俺とヴィンセントの間に座ってじとっと見ている。

「地獄を統べる閻魔大王には再三再四請求しておるのだよ、おまえさんたちんトコのエレベーターを止めておくれ、とな。しかし閻魔大王の返事は一つ、『努力はしている』とな。要するに、地獄の最高権力者でありながら、無法者の亡霊たちが勝手に作動させているエレベーターに手出しが出来んと言うことよ。全く持って情けない、嘆かわしいことじゃ。魔界のように厳然たる法が支配する世界であったならば、このようなことにはならなかったはずじゃ」

 魔界の厳然たる法というのも、多少の胡散臭さが漂う。少なくとも最高権力者があのカオスであり、百八人の稚児を侍らせて尚、権力を振るうというのは、あんまり信頼置けるようなものでもない。と、スカルミリョーネに言ったら泣いてしまうだろうが。

「それで……、どうもな、ここへ来て地獄の閻魔も手出し出来んという、無法者の亡霊を束ねる、まあ……言って見りゃ不良亡霊の番長じゃな、特に強い霊力を持った亡霊が、どうもおるようだ、というのが判ってきたんじゃよ。ソイツが地獄の一番奥底、即ち、閻魔大王はもちろんカオスも手出しできぬ地獄からのエレベーターを作動させ、人間界へ悪さをしとるらしい。……まあ、地獄と言うのは基本的に、現世、即ちこの地球において悪事を働いた人間が行くところじゃ。改心して生まれ変わる者も勿論おるし、その改心というのはかけがえのないことじゃから、地獄の存在自体を否定してしまうわけにもいかんのじゃが……、一方で、どうしようもない悪人、救いようのない悪人どもは、逆恨みばっかりしよって、のう、あのコルネオのように、どうにかして無念を晴らそうと躍起になっておる。そういった連中の手にエレベーターが落ちてしまったからこそ、今回のような状況になっておるわけでな。まあ、そんな中にも統治者というか、エレベーターを管制する輩がおってな、地球へ積極的に亡霊を下ろして迷惑をかけておるのがソイツよ」

 カイナッツォは顔を顰めた。

「まさかコルネオじゃないだろうな」

「まだ正体は掴めん。ただ、……コルネオはまだ魔界の収容所で更正させておる最中だから、それはありえん。何か、もっと別な……。大体、あやつは小悪党、前回は多少の魔物を率いて悪さをしたが、地獄全体を左右するほどの権力をもつことは到底不可能じゃろう。……もっとこう、なんと言うか、強大な邪念を儂は感じ取ることが出来るんじゃ」

 カイナッツォはそこで言葉を切って、何かを言いかけた。

 俺は立ち上がって、冷蔵庫から二リットルのミネラルウォーターを持って来て、どすんと置いてやった。

「おお、すまんの。儂は水さえあれば幸せなんじゃ」

 人の良さそうな笑みを浮かべて、蓋を開けてちびりと飲む。まるで酒みたいに見えてくるから不思議だ。

「……で。あんたは私たちにどうしろと?」

「いやいや、簡単なことよ。今回儂がこちらへ降りてきたのには、お主らに協力を要請することともう一つ、目的があってな。……もう気付いておるだろうが、次元エレベーターは入口は一つ、しかし出口は幾つも存在するもんじゃ。つまりな、魔界からこちらへ降りてくるときには、魔界に一つきりの入口から乗り込むわけじゃが、こちらのどこにでも降りてくることが出来る。それこそ、この家の中にも、この星の裏側にも。ほれ、カオスはよくこの家の中にいきなり出てくるじゃろ? あれはそういう仕掛けなんじゃ。一方でこちらから戻るときは、その『出口』から戻らねばならん、そして、魔界のエレベーターの『入口』へ戻るわけじゃ。……亡霊たちはどこに降りてくるか判らん。それは地獄のエレベーターが作動する際、どこが『出口』として狙われているか判らないからなんじゃ。どうも今のところ、ただアトランダムに下ろしているようじゃが、その分、どこで何が起こるか判らんから性質が悪い。しかし地獄の連中も、お主らや儂ら四天王がこのところ降りてきた亡霊を即座に叩くような真似をしとるから、警戒を強めておる、儂らの目や手の届かぬところに『出口』を設定するようになるじゃろう」

「……それで?」

「ふむ。その『出口』をとりあえず突き止めようと思うんじゃ。そして……出来るならばその『出口』でエレベーターを引き止めてしまいたい」

「ちょっと待ってくれ。……この間スカルミリョーネと一緒に俺たち、ニブル山で戦ったけど、あの時カオスは、事前に降りてくる場所がわかってたみたいだったぜ」

「ああ、あれはまあ、無理もあるまい」

 カイナッツォは苦笑する。

「なぜならあの虫たちは、カオス自身が魔界のエレベーターによって下ろしたものなんじゃからのう」

「な……、なんだって?」

「お主らを試したんじゃな。本当に指定の場所に来るかどうか。そして、来たとして、クラウドよ、お主の戦力も確かめたかった。じゃから、お主らとクラウドが離れた隙に、この村へも虫を下ろしたんじゃ。……結果としてはまあ、上々と言ったところかの」

「……騙したのか……!」

「ま、そう言われても仕方ないの」

 愕然とする俺たちを尻目に、カイナッツォはぐびりと水を飲んで、

「儂らにも儂らなりの理由と事情がある。……まあ、スカルミリョーネは責めないでおいとくれ。あの小僧、魔界に戻って二三日胃を壊して寝たきりになっておったのじゃからな」

 スカルミリョーネが嘘をつくのが上手だということは知っていたけど、まさか俺たちにつくとはおもっていなかったから、……俺もヴィンセントも、少なからずショックを受けた。

 だが、恨みはしなかった。カオスに言われたのなら仕方なかったろう。あの子にとってカオスとは全てを意味する。それに、それだけ胃を痛めてくれたのになお責めるような真似は、出来ない。

「それでじゃ。今回は亡霊どもの降りてくる場所を、どうにかして先回りして、……あわよくば地獄のエレベーターをこちらへ引き止め、更に出来るならそのエレベーターにこちらの間者を乗り込ませてあちらの状況を探らせるのはどうかと思ってな……」

「病人送り込んでどうするんだ」

「それは患者」

 要するに、スパイ大作戦、ということらしい。魔界地獄両世界の緊張関係においてながら、どうもやる事が初歩的だ。

「予めこの珠に、スカルミリョーネの作り出した不死霊族を封印してある。チャンスがあればこれを地獄エレベーターに転がし入れて、地獄へ送り込む」

 カイナッツォは、懐から手のひらへ、マテリア大の黒い珠を取り出して見せた。

 そして、一つ、真剣な顔になる。

 水を一口飲んでから、

「前回のようなトリックはせん。今回は魔界としても、割合本気の作戦なんじゃ。そしてこの作戦には是非お主らの力を借りたい。……つまりな、お主らはまだ、亡霊が如何にして悪さを働くかと言うことを見たことはなかろう。お主らが野球をしに行った先で戦った虎の亡霊も、悪事の未然にお主らが魔界へ転送したのじゃからな。一度その場面に居合わせてもらいたいと思うのじゃよ」

 と言った。

 俺もヴィンセントも、黙っていることしか出来なくて。自分たちの心が狭いのと同様に、魔界と地獄も結構自分勝手だと思うんだが、どうだろうか? だって俺たちは何も悪いことなんてしてない。ただ、多少恩恵にあずかっていると言うだけで……、どこかにカオスとスカルミリョーネの役に立ちたいと言う気もあるのだけれど。

 二の足を踏んでいた俺たちの間から、すとん、とクラウドが降りた。

「行こう、ザックス、ヴィン。俺たちが必要なんだよ」

 クラウドは元々男らしい性格の持ち主だ。ヒーローというものに憧れる部分があって、それは若い頃の俺とよく似てるのかもしれない、というか、このくらいの男の子は基本的にこういう感じなのではなかろうか。あの力を授かって以降、それに拍車がかかっているような気がする。

 俺たちが何も言わないうちに、

「ふむ、決まりじゃな。……それでは儂はこれから、世界中を流るる水の囁きから、亡霊の降り立つ場所を推測してみるとしよう。ここからあまりに遠いところでは行き着く頃には事が終わってしまうから無理じゃが……、暫し待て。そうじゃな、夕飯前には判るじゃろう。ちなみに今夜は何じゃ? 儂は和食が良いのう」

「残念だが今夜はカレーだ。……って、何か、あんた飯まで食ってく気か!?」


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