魔王の血

 まだ夕暮れには少し早い。掌をこう、二つ握り合わせて、右手の指だけを立てた、そんな風な影像を浮かばせた丘の向こうのダチャオ像。丘のふもと、

「ここですね」

 スカルミリョーネが立ち止まった場所は、他の何処との差違を見いだすのも難儀な変哲も無い草原。

「なんもないよ」

 平凡な、クラウドの言葉に、バルバリシアが凛と張り詰めた顔で首を振る。

「いいえ。私たちはもう、亡霊の領域に足を踏み入れております」

 俺としては、クラウドの言葉に与したい、それは、単純に愛情だろう。

 しかし、俺は肌が、さっきからじりじりしている。ヴィンセントも冷たい表情になっている。ユフィとクラウドだけは、それに気付いていない。このあたりが人間と非人間の差かなとも思う。どっちが幸せかまでは判らないけれど、事実、ここに小さな差異があった。クラウドは怪訝そうな顔でスカルミリョーネを見る。

「……とは言え……、上手くカムフラージュしている。実像が見えないままでは戦いにくいことは事実です。……バルバリシア」

「はい、お兄様。ですが、クラウド様とユフィ様は」

「私が庇っていよう。ザックス、お前は一人で大丈夫だな?」

 そんなあ、俺一人じゃ怖いよう、と三十いくつの俺が言ってもな。お陰さまでつい先日三十三になりましたとさ。でも見た目はピチピチな十八歳なんだけども。俺は仕方なく剣を下土に突き立てて、地面に手をついた。

「さあ……風よ、存分に暴れまわりなさい!」

 バルバリシアが、細く白い腕を、天へと掲げる。

 ふっ、と俺は頬に、小さな羽虫が通り過ぎたように感じた。しかし、それは予兆で。

 途端、俺は体全部を持っていかれそうな風に襲われる。体が、ふわっと浮き上がりそうになって、胸の辺りまでぞくぞくっと恐怖感が上がってきた。ジェットコースターの急降下みたいな……うわあ俺それすごい苦手! 声を上げかけたところ、スカルミリョーネが俺を助けてくれた、地面から土の手が、ぎゅっと俺の両手両足首を握った。あまり気分のいいものじゃない、けれど、感謝する。

「にゃ……あ……」

 風が、収まった。クラウドの声がして、俺も顔を上げる。

 俺たちは、禍々しい赤黒色の塔に、睥睨されていた。

「これが亡霊の塔です」

 赤黒い塔の外壁は、油で濡れたようにぎとぎと、ぬらぬら、光っていて、大層気味が悪い。生の存在を少しも感じさせないのに、まるで固まりつつある血のような流動性を感じさせた。

 こんなものがあったなら、ああ、俺でも禍々しさを感じるってものだ。

 ぴんっ、と何かが閃いた。空だ、夕立か、違う、すぐにそれは判った。

「亡霊ですわ。……どうやら歓迎してくれる模様ですわね」

「正に今召喚された連中ですね。……恐らく、塔の中からは我々の戦う様を観察しているはず」

 つまりは、尖兵の連中か。上空から黒い塊が幾つも、降りおりて来つつ、じわじわと形をなしていく。羽根の生えた、ラプス数体。中程度の距離を置いて、ふらふら飛んでいる。

「まだ変身するな」

 気合を入れかけたクラウドを、ヴィンセントが制止する。

「……お前の力はまだ見せるな。……ユフィ、ザックス!」

 呼ばれて、俺たちは戦場に踊り出た。ひいふうみい、あわせて七体のラプスたちは、俺たちに照準を合わせている。

 俺の腕輪に嵌っているのは、全部、防御系の魔法マテリアで、攻撃魔法は使えない。ということはつまり、力押しで行かなきゃってこと。ユフィのほうには、あっちこっちに危険な緑色のマテリアが嵌っているみたいだけど。

「そーれっ」

 彼女の掌から、雷球がラプスの数だけ放たれる。もとよりそれは命中の期された物ではなかった。七匹が七匹、全部するりとかわして、だけど、一匹だけ、交わしたところに俺の剣がある。ずぶり、とタールに呑まれるような味を、剣に舐めさせた。

「次、行くよ」

「いいよ、いちいち断らなくても」

 今度は、黄色いマテリアを掲げ、両手の中央に真っ黒なエネルギーの塊を生じさせる、シャドウフレアだ、と思ったときには、その黒い邪悪なエネルギーは一気に膨れ上がり、俺が刺した一体を飲み込んだ。眩しい暗闇の中で、そのまま昇天する。

 俺はそれを見届けてから、突っ込んできた一体の身体を避けて、バランスを取り戻しながら右足の踵でそいつの横っ腹を蹴りつけた。そいつの体が横へ流れたところを、ユフィが不倶戴天で一刀両断、俺はバネで立ち上がって、近寄ってきた一体を居合い抜き一閃、ユフィはジャンプで退きながら、確かガイアの絶壁でラーニングしたマジカルブレスを放つ。虹色の泡が、俺を包囲しつつあった四匹に隙を作らせ、そうしたら俺は、内側から、手近な一匹を袈裟に裂く。あと三匹。いや、もうあと二匹だ、ユフィが突っ込んでいって、一体をあっという間に血祭りに上げる。

 どうだ、少し気持ちいいぞ、どうだクラウド、俺強いだろ!

「ハァア……ッ」

 息を溜めて、飛び上がり、明らかに怯んでいた一体を力任せに叩き切る。身を翻してもう一体を狙えば、そいつはもう、ユフィが魔法弾で一発KOしていた。

「何だよ」

 俺は舌を打った。格好良く決めてやろうと思っていたのにな。

「……で?」

 ユフィはヴィンセントとスカルミリョーネとバルバリシアという、我らが知恵袋スリートップに目を送った。

「そうですね」

 スカルミリョーネは四階構造の塔の天辺を凝視する。

「今の戦いは完全に観察されていたでしょう。……こちらの手の内を、出来るだけ晒したくなかったわけで、その目論見は成功したと言えます」

 ……まあ、俺もユフィも尖兵だ。

「内部に入ってからは、私とバルバリシアで、一気にあちらを混乱状況に陥れてしまいます。その後は、クラウド様とヴィンセント様で」

「で、俺とユフィは後方支援か」

「それが一番無難かと」

 仕方ないか。まだ多分、俺の方が変身したクラウドよりも強いだろう。けれど、クラウドが納まらないし。そのプライドを無理に抑えつけて、また嫌な思いはしたくない、お互いに。

「では、参りましょう」

「いらっしゃいませ」

 誰も、気付いていなかった。魔界の四天王二人も、魔王の鏡であるヴィンセントも。だから、もちろん俺もユフィもクラウドも。

 そこに、一人の亡霊が忽然と立っていたことなど……。

 その手に握られた針は、そのまま、ユフィの首へ当てられている。彼女はぴたりと身を止めた。

「ようこそ、皆さん。私の塔へ」

 その男は、小柄な影だった。全身、頭のてっぺんから足の先まで、全部真っ黒い、その中で、青白いような灰色のような顔が、うすぼんやりと浮かんでいる。黒いのは、塔の肌のような、そして亡霊たち特有の、タールのような蠢きで、それが人間の形を為している。慇懃な声に余裕がある。

「ユフィ様」

 スカルミリョーネが鋭く叫び、しかし、その針に確かな意志の力が篭っているのを感じ取り、口を紡ぐ。

「……貴様が亡霊どもを指揮している者だな」

 スカルミリョーネは半身に構える。クラウドが、変身しかける、それを、ヴィンセントがぐっと止める。

「ユフィを離せ、と言ったところで、すんなり従いはしないだろうな」

「ええ、ええ、その通りです」

 朧な顔の中で、その口が、確かに微笑の形を形成した。その唇は、黒かった。そして口の中は、吐血したように赤黒い。

「私としてもこのようなやり方は不本意なのですが」

 亡霊は、く、と、ほんの数ミリ、針の先をユフィに近づける、ユフィが白い喉を仰け反らせる。

 小柄な亡霊、貧相と言ってもいいような体型、なのに、俺たちは一歩も動けなくなっていた。ユフィだって、その気になればアレくらいの男にアレくらいのことをされても、びくともしないのだが。

 瘴気とでも言おうか。今までの雑多な亡霊群と比べて一際強いものが、俺たちの肌を塞ぐのだ。

「……私の目的は、別に貴方がたの命を奪うとか傷つけるとか、そういった物騒なものではございません。最も、そういう亡霊連中もいることにはいます、大いにいますからね、私こそ例外中の例外なのかもしれませんがね。……私の欲しいものは、別にこの女性ではないのです、そこにいる、貴方。カオスを宿した、貴方。貴方の血こそ、私の求めるものなのですよ」

 亡霊は、自分を誇示するかのように、急に饒舌になった。口が開くたび、赤が零れそうに潤う。

「亡霊は、この地表からゆえなく追い払われた犠牲者的存在です。退屈極まりない地獄という牢獄に押し込められた積年の怨念は最早爆発寸前。もといた地表、人間界へ再び還るそのために存在するエレベーターを自己都合で封鎖せんとしているカオスは、亡霊にとって仇敵に他なりません。さあ、貴方。貴方ですよ。カオスの血を、私に寄越しなさい。私としても穏便に事を片付けてしまいたいのです」

 ヴィンセントは、黙っていた。

 カオスの血、カオスの血、男は繰り返す。その「血」が、どういった意味を持つのか。俺たちは、ぼんやりと、しかし相当に危険な可能性に、思い至る。

「……ユフィを離すのが先だ」

「そういうわけには参りません」

「ユフィを、離すのが、先だ」

「私の非力な体なぞ貴方の指一本で壊れてしまいます」

 ヴィンセントは、無表情のまま、一度瞬きをして。

 自分の左腕に爪を這わせた。

 びくん、とクラウドが身を強張らせる、ヴィンセントの白い腕に、血が滴る。その血は珠となり、浮遊する。

 亡霊は、にやありと笑う。ユフィの首に針を当てたまま、タールの中からもう一本の針を取り出しその珠に差し込む。

「……感謝いたしますよ、カオスの鏡」

 ユフィが、解放される、その瞬間、スカルミリョーネが、バルバリシアが、ヴィンセントが、クラウドが、俺が、同時に魔法弾を放った。全てが亡霊に命中する。亡霊は、あっという間に昇天した。と同時に、塔が煙と消えて行く。

「不味いことになりました」

 スカルミリョーネが消え行く煙に立ち竦む。

「……連中の狙いが、ヴィンセント様の、カオスの血に在ったとは」

 悔しげに唇を噛み、項垂れる。俺はヴィンセントの自傷した腕を回復してやりながら、スカルミリョーネの言葉の続きを待った。

「……どういうこと?」

 ユフィが、首のあたりを拭うように擦りながら、尋ねた。

「……亡霊たちは、魔界最強の存在であるカオスに勝ち得る亡霊を、あの血から創造することが出来るのです。……ですが唯一の救いは、あの血が、カオスそのものの血ではなく、ヴィンセント様のものであるということですわ。カオスそのものの血であったならば、カオスに本当に匹敵するほどの恐ろしい亡霊が創られる可能性があります、けれど、……ヴィンセント様の血ならば」

「ふん」

 ヴィンセントは塞がった傷を撫でる。

「確かにな、私が百人集まったところでカオスには敵わんだろう、だが……」

 まだ、日暮れまでには間がある。消えた塔の前で、俺たちはなんともいえない不安の過りを感じ、立ち尽くした。

 


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