街だ。
クラウドも俺も、ぽかんと口を開けて立ち尽くした、そこは「街」だ。繁華街のど真ん中、ごみごみしていて、人がたくさん行き交っている。道は石畳風のコンクリタイルで、両脇には靴屋、服屋、携帯ショップ、ビジネススクール、CDショップ、そして、喫茶店、レストラン、本屋、……。空は青く開けていて、雲がぽっかり浮かんでいる。
「やはり土曜の午後は混んでおるのう。もっと城に近いところへ降りてくればよかったか。……はぐれるでないぞ」
「ちょっ……、え、こ、ここって……」
「魔界じゃ」
カイナッツォは事も無げにそう言った。クラウドは「ふにゃ……」そんな声を漏らし、俺もさっきから口をずっと開けっ放しだった。
俺たちは魔界を知らない。
来るのは、これが初めて、……いや、二回目と言うことになるのだろうか。一度だけ、ヴィンセントの意識を通じて、カオスと会った、あの時、あの場所は、魔界だった。ただ、だだっ広い、灰色の空間に、幾つか、大きな球が浮遊するだけの。だから魔界って言うのは、俺たち人間の住む世界とは全く異なる趣なのだろうと想像したのだ。
俺たちと擦れ違う人たち、……そう、「人たち」だ。もっとも、スカルミリョーネにしろ、カオスにしろ、俺たちとほぼ同じ姿の人間であって、スカルミリョーネを側において生活してみて、魔族の生活形態は人間とほとんど同一であるということが判っては居たけれど、それにしても、みんな、太った人、痩せた人、ノッポの人、ちびの人、スーツを着てたり、ラフなTシャツだったり、女の子も、何系っていうのかわかんないけど、こっちの世界でもたまに見かけるようなオシャレをした子が行き交っている、俺らと何も変わらない。さすがに僧侶や侍は居なかったが、これは二人の信念に基づくファッションなのであろう。そしてそういうファッションが奇異とは捉えられないほど、誰も悪い視線を送ったりしない。
猫耳のクラウドが寧ろ特異な存在に見えるほど、「魔界」は「人間界」と同じだった。
「ここは魔界随一の繁華街でな。この通りを少し歩いたところにカオスの居城がある」
カイナッツォを先頭に、テクテクと歩く。露店が出ていて、大阪焼を売っている。大阪人はあんなの食べたことないと言う大阪焼だ。ちらりと見たら、こっちで売っている大阪焼と何の変わりもない。
「驚いたか?」
ベイガンが目ざとく言う。
「……いや、そりゃ、まあ……」
「にゃー……」
「魔王がカオスとなったのが、……俺も生まれる前の話だが、今よりはるか昔、まだお前らの星が発展途上にあった頃のことだ。カオスはお前たち人間の築いていく文化に並々ならぬ興味を示した。魔界とは全く異なる文化を形成した人間たちがそれなりに幸せに暮らしているのを見て、魔界も人間の文化を吸収し、模倣していくことに決めたのだ」
カオスは「人間が好き」なのだとスカルミリョーネが言っていたっけ。でも、自分の世界の文化を丸ごと変えてしまうのだから、それは相当な偏愛ぶりかもしれない。
とは言え、地獄のように荒涼とした、居心地の悪い世界でなくてよかった。
大きな通りを、ずっと歩きながら、空気がとても澄んでいる事に気付く。
「当たり前じゃ。我らはお主らのように空気の無駄遣いはせんからな」
カイナッツォがそう言う。くるりと、ベイガンは道を大体なぞった。
「気付かんか?」
「……ん?」
俺は首を傾げる。クラウドが、俺より先に何かに気付いた。
「車、ないんだ」
「その通りじゃ。お主らは機械を使って何かを創るが、我らは自らの魔力で生成できる。つまり有害物質や二酸化炭素を排出しない。我らは生れたら永遠に近いときを生きねばならぬ、そのためには自分たちの住む世界の環境は出来るだけ清く保とうと思っておる。カオスも人間の生産と排出のサイクルだけは模倣せんかった」
コンビニエンス・ストアがある、入り口に新聞が置いてあるのが見えて、それが驚いたことに、スポーツ新聞であって、一面は野球の記事だ。
「あれは人間界のものだ」
ベイガンは教えてくれる。
「人間界の文化は現在も吸収されている。……スポーツや文芸ならばいいが、中には感心しないものもある。魔界の知的水準徐々に落ち始めているのが現状だ」
阪神が勝っただとか、G1レースはこの馬だとか。こっちの世界で地球のテレビが観られるのだろうか、と思ってふと見れば、電気屋の入口に並んだテレビではパシフィック・リーグの野球中継をやっていて、幾人かが立ち止まってそれを見ている。
こういうのを「おのぼりさん」って言うんだなあ、もう、まるだしで。実際ニブルヘイムは田舎であって、クラウドはあまり都会を知らない。俺としっかり手を繋いで、ずっときょろきょろしている。
「見えてきたの、あれじゃ」
先頭を歩くカイナッツォが立ち止まり、振り返る。指差した先。
「ふに……」
現代風繁華街、の背景としてはあまりにもミスマッチ。
荘厳と言ってしまっていいだろう、何世紀前からそこに建ってるんだ、いや、恐らく何十世紀、何百世紀……? わからないけれど、とにかく古くて古くて、古い上にも古い、石で出来た城が、建っている。
「あれが、カオスの城じゃ」
近付くにつれて、その城に圧倒されそうになる。灰色がかった石だけで出来た、古い古い城、繁華街を抜け切るとすぐに城門があって、難しい顔をしたガードマンが二人、立っている。丸腰なのは、魔族だからだろう。銃など使わなくても無法者を追い返せるのだ。
彼らはカイナッツォを見ると、ぺこりと頭を下げる。悠然と通り抜け、これまた広い中庭を歩いて、まもなく重たそうな扉が見えてくる。
カイナッツォは懐に手を入れて、何かを取り出す。何だろうと思って覗き見ると、それは何かのカードで。
巨大な扉の横に、カードリーダーがある。カードを通すと、意外なほどのスムーズさで扉が開く。
要するに、IDカードらしい。……そう言えば神羅兵やってたころ、俺も持っていたっけ。一度無くして再発行したっけ。
っていうか、これだけ古い外見の城にIDカード。色いろなギャップに、クラウドも俺も混乱しっぱなしのまま、中に入る、益々混乱に拍車がかかる。
中は、さながらあの神羅ビルのごとき、最新鋭のオフィス然。スカルミリョーネのようなスーツ姿の魔族たちが、あちらこちらで働いている。その働いている様は、本当にこっちの企業で見かけるものと変わらない。ヴィンセントも俺と二人で暮らしていた頃サラリーマンをやっていた。俺は彼の忘れた書類を届に行ったときのことを思い出す。
「な、なんで中、こんな綺麗なのに……」
クラウドが当然の疑問を口にする、外はあんなに古ぼけているの? と。ベイガンが答える。侍の格好はオフィスにはあまりに不釣合い。
「機能を考えた際、内装の改修は必要不可欠だ。だが外装をいじる必要はない。この城は永い間魔界のシンボルだからな。よって外装は旧態依然なのだ」
「魔王」だとか「四天王」だとか、そういう言い方をするものだから、全く違うイメージを持っていたのだが。
一度全部、リセットしなきゃいけないみたいだ。
カオスの執務室(スカルミリョーネをはじめとする百八人の稚児たちを抱くのは別の部屋だ)へは、もう、驚かないけれど、エレベーターでの移動、「21F」が最上階で、ちょうどその部屋だった。カイナッツォが箱の中のカードリーダーに通す、「奴の執務室に入れるのは四天王だけなんじゃ」、そう解説してくれる。高さとしては神羅ビルよりもずっと低いけれど、ちょっと耳が「キン」となった。クラウドの鼻を摘んでやる。
するすると21階で箱は止まり、静かにドアが開いた。そこは体育館くらいのがらんとした部屋で、足元はフローリング。クリーム色の壁に覆われていて、天井は白熱球が等間隔で並んでいるが、明度は低い、その代わり部屋の奥には広い窓があって、外の光をふんだんに取り入れている。窓を背にした机の向こうに、カオスが居た。
「ようこそ」
こうしてみると、一流企業の社長みたい。
「わざわざ来てくれてどうもありがとう、お疲れさまだったね。カイナッツォもベイガンも、ご苦労さま」
「……服を着ないか」
「んー、さっきまで来てたんだけど。焦げちゃってね」
カイナッツォが溜め息混じりに言った通り、カオスは半裸だった。ありがたいことに、本当にありがたいことに、ズボンは一応穿いていてくれるけれど。露出狂という訳でもないんだろうが、カオスは裸で居るケースが多い。以前、ヴィンセントと俺が留守にしなければならなくなって、カオスにクラウドの世話を頼んだときにも、「おうちの中ではいっつも裸だったよ」とクラウドが教えてくれた。
「っていうか、魔族は元々裸がフツーなんだよ? 今の流行がそうじゃないってだけで……」
「だったらお主も流行に合わせたらどうじゃ」
「……流行?」
訝った俺に、カオスが頷く。
「そう。君ら人間が、今、みんな服を着て過ごしてるからね。だから僕らも真似して服を着て過ごすのが流行。君らがまだ裸だった頃は、僕らもみんな裸だったんだ、僕が裸で居ても、誰にも何にも言われなかったんだけどねえ」
いつもながら、ヴィンセントと同じ外見の人がそう言う。クラウドも俺も、微妙に居心地が悪い。それ以上に悪いのは、ヴィンセントなんだろうということは容易に想像がつく。
「……ルビカンテは何処に居る」
ヴィンセントが本題に入った。
「我々を呼んだのは……」
「そうだよ、……君らに謝らなければならない。僕の謝意を形にして君らに見せたかった」
カオスは指を弾く。「にゃ……!」、クラウドが虚ろに声をあげたのは、そこに扉が生じてからだった。いや、「扉」? ……カオスと俺たちとのあわいに、何か揺らぐものが生じただけだ、ただ、カイナッツォとベイガンが何も言わず近付く、するとその身体が見えなくなった、ああ、どこかへ行ったのだ、俺はそう認識する。
「おいで」
カオスがその揺らぎに消える、ヴィンセントが戸惑うことなく進み出すから、クラウドと俺も仕方なく、手を繋いでその揺らぎに飛び込んだ。
「ん……」
そこは、灰色の空間。幾つかの白い球が、ふわりふわりと浮かんでいる。
過去に俺が唯一見たことがある、魔界の景色だった。
つまり、……魔界の牢獄だ。
「ラビィ、ルビカンテを連れてきて」
俺たちがやってきたような、揺らぎから、少女のような少年のような、……ちんちんがついてる、だから男の子、なのだけど、顔だけ見たら明らかに女の子、な……ああ、だから、まあ、一応少年、が顕れる、ちんちんが見えるわけだから、当然全裸だ。
俺はこの子に会ったことがある。初めてこの部屋に来たときも、カオスが呼んだ。つまり看守の任を帯びているのかもしれない、そんでもって、やっぱりカオスの稚児なんだろう。こんな美しい子もいて、でも一番はスカルミリョーネだって言うんだから、やっぱり愛されてるんだなあの子は。
ラビィは大事そうに持って来た球体を、カオスに委ねた。
「はい、いい子、おりこうさんでした。ごほうび」
前は、何かモノをあげてたっけ。今日はちゅっと音を立てて、そのおでこにキスを一つ。
……以前に来たとき、ラビィの持って来た球体の中には、ヴィンセントが魔界送りにしたばかりの、コルネオがいた。
つまり、
「クラウド、覗いてご覧」
クラウドが戸惑った顔で白球を覗く。
そして、尻尾が一つ、ぶわりと膨らむ。
「……ルビカンテ……!」
「そう、悪いことをしたからね、おしおきをしてるんだ」
ぴっとクラウドが振り返る、俺に縋るような目を送る。俺も、白球を覗き込む。ルビカンテはいた。
真っ青な氷の中に閉じ込められて、身動き一つしない。
「死、ん……」
「死んでないよ、まだ。氷漬けにしてあるだけだからね。正直、迷ったよ。また地獄に幽閉するのが一番簡単なんだけど、また亡霊とグル組んで攻めて来られたりしたら面倒だし」
カオスは首を傾げる。
「クラウド、君が選ぶんだ」
俺に選ばせたように、
「ルビカンテを、……君の大好きなザックスとヴィンセントに辛い思いをさせたこの男を、君は許せる? 君が許せると言うなら、もうしばらくこのまま、この球の中に閉じ込めて、彼が心を入れ替えてくれるまで待つ。許せないなら……」
クラウドは俺を見上げた、俺は何も言わなかった、クラウドがどう答えるか、それくらい解っていたから。ヴィンセントも恐らくは同じ気持ちで、黙っていた。
「……どうする? クラウド。ルビカンテを殺す?」
クラウドは、口を真一文字に閉じて、首を振った。
「でも、君の大切な二人に嫌な思いをさせた奴だよ?」
クラウドは、再び首を振る。
俺はクラウドの頭に手を置いて、何度も何度も撫でた。
「そう、じゃあ、ルビカンテはいいや。ラビィ、片付けて」
ラビィはその球を大事そうに抱えて、隅っこに置く、「もういいよ、ご苦労さま」の言葉に、ひょいといなくなった。
「優しいんだね、クラウドは。……ザックスによく似てる」
カオスはちらりと俺の顔を見る。そして、クラウドに近付き、同じ目線で語りかける。
「この後のことは、何にも心配しなくていいからね。後は、僕らに任せて。……ザックスも、ヴィンセントも、悪かったね、本当に申し訳なかったね、今回は……。カイナッツォも迷惑かけたし、ルビカンテも悪い子だった。……でも、もう大丈夫だから」
俺よりもなんだか上手にクラウドの頭を撫ぜる。ちょっとだけ悔しい。
「おわびのしるし」
止める間もなかった。カオス、クラウドの前髪をどけて、唇を当てた。
「……おい」
嬉しげに微笑んで、カオスは俺を見る。ヴィンセントがくいとクラウドを抱き寄せて、その額を拭い、改めてキスをした。
「いいじゃん、別に。君らいないときクラウドの世話したの僕だよ? 解ってるよね、クラウドのお尻の中だって僕は」
「……だからって、そんな無許可でキスしていいなんて法はない」
ヴィンセントはクラウドを抱いたまま、揺らぎに足を踏み入れる。
「帰るぞ」
「もう帰っちゃうの?」
「用件は済んだだろう」
カオスに言い捨てて、ヴィンセントはクラウドを連れて、一足先に執務室へ戻っていく。
「せっかちだなあ……。ねぇ」
苦笑いして、カオスも戻る。俺も従い、最後にカイナッツォとベイガンが続いた。