恋はめんどくさい?

思い出してごらん 試験でいい点取るのも
部活頑張ったりしたのも大好きなあのこの為

愛する人を想って 働いたり悩んだり 自分を磨いたりするのも悪くない

……そうかなあ。

 

 

 

 

「ザックスザックスザックスザックスッ」

 ……四回も呼ばなくてもいいよ。

土曜日の昼食後のつまらない皿洗いなんかをしてる俺のところにクラウドが息せき切って走り込んできた。その目はキラキラと輝いていて、「すっごいすっごいイイモノ見つけたから早く来て早くッ」という用件内容が聞かずとも解かった。皿洗いを早く終わらせたいという気持ちはもちろんのこと抜け落ちたわけではなかったが、クラウドが呼ぶのだから油汚れなんかに感けている場合じゃない。最近の洗剤はパワフルで、スポンジにちょっと付けるだけでチンジャオロースの汚れなんてあっという間だ。凄いよな……、って、そんな場合じゃないか。

手をエプロンで拭いて、クラウドに引っ張られて付いていく。ヴィンセントが肩越しに、渋い表情を見せる。。

「見てみて見て、ほら、あれっ、あれっ」

クラウドの猫手の指の先、ヴィンセントの苦笑いの視線の先、SHK……神羅放送協会にあわせたブラウン管の中では昼の情報番組が始まったばかりのようだった。何となく野暮ったい感じのジャンバーを来た男性キャスターがマイクを握って喋っている。 俺はそのキャスターのアップの背景に、大きな石の手と瓦屋根を見つけて、視線をテレビに当てたままソファに腰掛けた。クラウドがすぐ隣に座る。

『さて本日は、ここウータイで、世界でも珍しい忍術教室を開設されました、ユフィ=キサラギさんをゲストにお迎えしています』

「おねえちゃんだっ!!」

「…………」

クラウドが歓声を上げる。……が、俺たちとしてはあまり歓迎ムードではなかったり、する。どういう理由であの娘がテレビなんぞに出ているのかは解からないが、……まさかとは思うが、「ニブルヘイム在住のクラウド=ストライフ&ヴィンセント=ヴァレンタインはショタコンだーーーーッ」なんて全国放送で叫ばれたら、俺は死ぬ。いや、もちろんそこまで非常識なことはしないとは思うが、……何せユフィだし。 画面が少しロングになり、キャスターの隣に佇むユフィがフレームに入った。 前……社会科見学の時は肩までだった髪が更に伸びて、かんざし、というのだろうか、ウータイ風の髪留めで留めているのだが、余計に落ち着いた感じに見える。薄化粧でも充分見栄えのする顔は相変わらず、口元に柔らかな微笑みをたたえて、軽くお辞儀をした。

「ほう」

ヴィンセントがそんな声を上げた。

「随分とイメージが違うじゃないか。……男でも出来たか?」

「……デリカシーってのはないのかあんたには」

テレビの中のユフィは、例の観光案内の時よりもずっと淑やかな感じ――キモノ、というのか――を纏っていた。新緑の木々に囲まれて、しかし桜色の着物は、なかなかどうして、十六歳の頃のハチャメチャぶりを知っている俺からしても好ましく写った。何と言うか、子供から大人に、ちゃんとなったんだな、そんな感想を抱いた。とは言え、テレビに映るからといってあんなに……お淑やかに振る舞わなくても良いじゃないかとは、思うけど。

『キサラギさんは、いまの子供たちの世代が身体を動かさなくなっているという現状を深刻に受け止め、空手や柔道、剣道と言ったスポーツの要素を巧みに取り入れて進化してきたウータイ伝統文化である「忍術」を通して、地元のお子さんたちの体力作りに一役買ってらっしゃる、今や貴重な存在となった「忍者」のお一人でいらっしゃいます』

素人臭いアナウンサーがマイクを向けるとユフィは画面のイメージを崩すことなく、それはそれは丁寧に応えた。曰く、忍術は心と身体を鍛える武術であり、勉強のストレスに悩みがちな子供たちには今一番必要なスポーツ、なんだそうだ。初耳だ。隣のクラウドともうひとつ隣のヴィンセントは好対照の表情でキャスターと忍術教室師範ユフィ=キサラギさんの遣り取りを見ていた。クラウドからしたらユフィは、主としてヴィンセント――そりゃある程度は俺もだけど――のエロさから護ってくれるヒーロー(女性だから本来「ヒロイン」のはずだけどユフィに「ヒロイン」っていうのは、どうも)な訳で、畏敬に近い念を抱くのは無理も無く、ブラウン管の中のユフィおねえちゃんをそれはそれは嬉しそうに見ている。対してヴィンセントは、何と言うか……、決して見守っている、という感じの表情ではない。彼は俺と同じく、クラウド絡みの事で弱みを握られている分、ゆっくりと見ていることなど出来るはずも無く。……しかしそれにしてもそんなヴィンセントの表情を見られるのはなかなかあるものじゃない。多分俺も似たよう

なものなんだろうけど。

『それではキサラギさんに忍術を実際に見せて頂きましょう。準備は宜しいですか?』

ユフィは頷き、右手を目の前に翳すと、目を伏せてなにごとか短く呟く、そして右手のひらを大地に付く。

「……新しい技、かな」

少なくとも、血祭とか鎧袖一触とかではないらしい、安心した。かといって森羅万象ならいいのかという訳でもないが。……一応、死人が出ないことを祈っておこう。祈られてる方も迷惑だろうが。

ブラウン管は跪いたユフィと、背景に新緑の木々を映し、緊張(……どんな技か期待しているのではなく、小娘がNG出さずに終えてくれるか心配しているのだろう)の面持ちで見守るキャスターを映し、再びユフィを映した。 そのまま暫く、手を地に付けていたユフィだったが、やがて何ごともなかったかのように顔を上げ、立ち上がった。

「……何かしたか? 今」

「……さぁ。ハッタリかましただけじゃないのか?……大体アイツの忍術で見せられるのなんてせいぜい、人形相手に疾風迅雷くらいじゃないか?」

「もう、二人ともうるさい、聞こえないじゃないかぁ」

クラウドが不満の声を上げて、仕方なくブラウン管に目を戻す。

キャスターが固まっていた。口をぽかんと開けて、目を真ん丸くして、ただ何とかマイクだけは手にしたまま。

「うわぁ、すごいっ、見た? ねえっ、いまの見た!?」

ブラウン管の中が白一色、……いや、白じゃない、微かに暖かな色を帯びた白。ふわりとした柔らかな色、これは。

『忍術、桜吹雪、です』

さっきまで、背景は確かに緑、新緑の木々の爽やかな葉、だった。 しかし、今は。 満開の桜の花と、微かに舞う花弁をバックににっこり笑って、ユフィが言った。

『忍術は元々、戦の中で人の命を奪う術でした。ですが、人々が争い合い、奪い合うことでは何も生まれてはきません。そこで私は、忍術を、何かを護る力、生み出す力として用いる方法を研究し、編み出しました。これは、何かに生命の息吹を与える技……。簡単な怪我くらいなら、この力で治すことも出来るんですよ』

キャスターは相変わらず馬鹿みたいに呆然として、はぁ、それは素晴らしい、それだけ呟いて、満開の桜に釘付けになっている。

「……すごいな」

「凄い。……最もあの口上は小娘が考えたものではないだろうが、とにかく凄い」

俺たちの間でクラウドが手を叩いて喜んでいる。『そ、それでは、今日のふるさと探訪は、ウータイからお送りしました、スタジオの矢部さん、お返しします』

力無く手を前に振り出して、スタジオに音声と画像を帰す。キャスターがフレームアウトし、ニュースショウの司会二人も俄かに呆然としながら、笑顔を慌てて作る。

『いやー、素晴らしい桜を見ることが出来ました。忍術とは素晴らしいものなのですね』

真っ当な意見を述べる後ろのハメコミ小画面でまだ桜が映っている。司会が、ゲストコメンテイターに話を振る。

『魔晄エネルギー使用中止法案が可決された今後、新しいエネルギーとして応用することは出来ないでしょうか』

司会が、それでは明日はミディールの温泉村の様子をお伝えしたいと思いますと言って次のコーナーに移ろうとした、一瞬にハメコミ画面が消えた。だが、トラブルの片鱗を見せたのは、一秒もなかっただろう。 すぐにハメコミ画面は復帰した。

『失礼しました。今画面に映っているのが、明日のこの時間お伝えする、世界一の湧出量を誇るミディールの温泉村のもようのようです。明日もお楽しみに』

にこやかに会釈、というか頷く司会者の後ろで、盛んに湯気を上げる大きな大きな湯の池。

だがその小さな画面の様子が、妙であることに、俺もヴィンセントもすぐに気付いた。

「……どこだ、あれ」

ミディールの温泉村……正確には、ライフストリームのお湯溜りなら、あんな色はしていない。いま画面の中に移っているのはあの独特の緑と白と水色の絵の具を一気に混ぜたような色ではなくて、純粋に白、そして濛々と立ち上る湯気、背景には山らしきもの。ミディールの背景なら、山じゃなくて森だ。

『それでは次は、ミッドガルの食品市場からの中継が届いています。この季節にしか取れない珍しい貝の話題です。中継先の岡村さーん?』

『はい、という訳で本日は私、ミッドガル中央市場に来ております。こちら大変な賑わいで……』

ハメコミが消える寸前、俺の目に、一枚の……画面の大きさで凡そ0.1ミリの小さな紙の切れ端のようなものが入った。リアクションからして、ヴィンセントもそれを掴むことは出来たようだ。

「……今のは……?」

ヴィンセントが、はぁ、と溜め息を吐いた。「花弁だ」

皿洗いを終えて、三人分のお茶を容れて……クラウドのは氷をひとつ入れて温くして、ソファに戻る。

この間、別にテレビの――桜がひらひら舞う「温泉」の様子とユフィの事が頭から抜け落ちていた訳じゃなかったけど、心配というほどのことでもなかった。何せ、ユフィの事だし。

「……ウータイで震度5の地震、津波の心配は無いそうだ」

俺が皿洗いをしていた間にはじまった臨時ニュースを、ヴィンセントがかいつまんで説明してくれた。

「よく解からない。何があったんだ? ……ちょっと、説明頼む」

ヴィンセントが首を傾げる。

「私にも解らん。……オンエアされたのは、ユフィが桜の花を咲かせたところまでで、……今も映っているが、そのあとの、あのハメコミ画面で、どこから降って湧いたか知らんがあの大漁の湯に溺れそうになりながら必死に回されたカメラ。……察するに」

「……察するに?」

「あの技……忍術か、が花を咲かせたのと同様、地中深くに埋まっていた水脈を目覚めさせてしまった……。色から推すにライフストリームではなく純粋な温泉だろうが……が、湧き出してしまった、という所だろうな」

「ユフィの奴は『何かに生命の息吹を与える技』だって言ってたよな……」

「恐らくは、『息吹を与え』たのではなく、無理矢理揺り起こした、という方が正しいのだろうな。……仕事を終えて眠っていた桜の花の頭の上から冷水をかけて叩き起こしたようなものだ。……バカな技を編み出したものだ。……まぁ見境無しに血祭を使われるよりはマシと考えるべきか」

臨時ニュースをよくよく聞くと、突如としてウータイ地方を襲った地震の震源はまさにウータイの集落の真下であり、火災や文化財損傷などの被害はなかったが、突如として地上二十メートルの高さまで吹き上がった温泉のせいで集落全体が水浸しになってしまったそうである。さらに、忍術師範キサラギ氏とSHKキャスターとスタッフが居た場所は幸い湧出口からは少しずれており、またキサラギ氏の八面六臂の活躍により、キャスターが軽い火傷をしただけで済んだということを告げた。

専門家が言うには、こういったケースは非常に珍しく、普段地震の起こり難い地域でのやや強い地震と突然の温泉の湧出が重なったのは計算によると、八億百八十万一千八百一分の一という、クラウドが生まれてきたのと同じくらいの確率なのだそうだ。

「……地球規模で何かを起こすな、あの娘は」

集落をそのまま飲み込んでしまう程の大きな温泉池を空撮した映像を見ながら、ヴィンセントが呟いた言葉に思わず俺も頷いた。

「……おねえちゃん、大丈夫かなぁ……」

「安心しな。……アイツはある意味、俺たちよりずっとずっと頑丈なんだから」

俺が言うと、クラウドはムッと俺を見上げた。

「なんでそんなこと言い切れるのさっ、ザックスとかは男だけど、おねえちゃんは女の子なんだぞ! 男は、女の子の事を護らなきゃいけないんだぞ!」

そういう考え方は……、古いというか、ユフィには通用しないように思えたけど。

「……まぁ、何にせよ」

ヴィンセントが大儀そうに立ち上がった。

「……一度様子を見に行くのが義務、だろうな。テレビで現場を目撃してしまったのも何かの巡り合わせだろう。叱りに行ってきてやろう」

カレンダーを軽く振り返る。

「幸い明後日からゴールデンウィークだしな」

よりによって明後日からゴールデンウィークなのだった。

 

 

 

 

「あ、あのう、もしもし?」

『おう、誰だ? なんでえ、…………子供か? 子供電話相談なら番号違いだ。おめーさん、何処からかけてる?』

「い、いま、えっと……、ニブルヘイムから……」

『ニブルヘイムか……。だったら番号は、あー、ちょっと待て。………………0123の801801だ、わかったか?』

「はい……。あ、ありがとうございます」

『おう、どういたしまして! じゃあな!』

ガチャ、ツー、ツー、ツー。

「相変わらずの早とちりだな」

「というか、クラウド、あのペースに惑わされては駄目だ。別にコワイ男じゃないことは知っているだろう、飛空艇で一回会っているのだから、平気だ」

「で、でも、おじさん、俺の声聴いても気付いてないみたいだったよ?」

「そりゃあ、名乗らなきゃ解かんないよ。ほら、もう一回かけてごらん」

一回電話を切って、また繋げて、ダイヤルを。

「……もしもし……?」

『まーた、おめーさんか。何でぇ、番号メモってねぇのか? ……しょーがねぇなあ、番号は0123の』

「あ、あの、そうじゃなくて、その……俺……」

『ああ? ……あのなー、こっちは忙しいんだよ。ったく、馬鹿娘が温泉何ぞ沸かしちまいやがるから、ウータイの地形が変っちまって、新しい地図作るために衛星飛ばさなきゃなんねぇんだから……』

「ば、ばかむすめ?」

『おお! 俺の言う馬鹿娘ったらそりゃあのウータイのマテリアマニアのユフィしか居ねぇやな』

クラウドの表情が変った。シドからしたら、彼なりの親しみを込めた呼び名だったのかも知れないが。

「おねえちゃんは馬鹿なんかじゃないやいッ」

しーん、と沈黙、我に帰り、クラウドが慌てて。

「……あ、あの、その、ごめんなさい……」

ヴィンセントが「名前名前」と口パクでクラウドに促す。

「えっと……俺、…………クラウド、です。……クラウド・ヴァレンタイン……です。…………シドのおじさん、憶えてます、か?」

『……いや、その名も姓も、メチャメチャ聞き覚えあるな、っていうか、一晩たりとも顔を忘れたことはねぇ。……けどな、俺様の記憶が確かなら、クラウドの姓はヴァレンタインじゃねぇ、ストライフだ。んで、ヴァレンタインって奴の名はクラウドじゃなくてヴィンセント。…………ははーん、おめーさんさては、世界一の飛空挺技師である俺様のファンだな!? ったく、サインならやらねぇぞ。オジサンはいそがしーの。じゃーな』

ガチャ、ツー、ツー、ツー……。

「……早とちりにも程がある」

「……仕方ないな、今度は私が話す」

クラウドが膝を抱えていじけている。

「シドおじさん俺のこと憶えてなかった……」

「……あー……気にするなよ、アイツも忙しくて、そこまで気が回らなかったんだよ、多分」

「俺が個性無くて目立たなくてつまんない奴だから……」

「…………」

クラウドが個性無かったら世の中一般の人たちはどうなってしまうんだ。

ヴィンセントがダイヤルして、「プルルル」という音がして、すぐにシドが出た。

『だー、しつけぇなあ、おめーさんも! サインはやらねったらやらねんだよ!』

「……もしもし」

『あ? いや、何でもねぇ、こっちの話しだ。……誰だ、管制塔かぁ?』

「クラウド=ヴァレンタインの父親の、ヴィンセント=ヴァレンタインだが」

『…………は?』

「……ヴィンセント=ヴァレンタインだ。……久しぶりだな、シド。相変わらずで

安心したよ」

『ヴィ、ヴィンセント!? ……何だよおめ……久し振りじゃねえか! 達者か!? 生きてるか!? ……社会科見学以来か、何だよ急に』

受話器の足元でクラウドが一層いじける。

「社会科見学のこと憶えてるのに、俺のこと憶えてない……」

「い、いや、その……あんまり気にするなよ。な?」

『ところで、おめーさんさっき、クラウド・ヴァレンタインの父親だとか何だとか言ってなかったか?クラウドの奴の親父代わりにでもなったんか?』

「…………忘れてるのか?」

『なにを』

「この間、社会科見学の帰り道にあんたにも紹介しただろうが。……うちのクラウドを」

『うちのクラウド、って、クラウド=ストライフの事だろ? ……アイツは元気なのかい?』

「クラウド=ストライフなら元気だが……」

ちら、と足元を見る。

「クラウド=ヴァレンタインは泣きそうだ」

とりあえず、連休中に飛空艇でウータイまで乗せて行ってくれるという約束だけは取り付けて、困惑するシドを放ってヴィンセントは電話を切った。

「……まさか本当に憶えていないとは」

ヴィンセントは不憫なる息子をじーと見つめて、溜め息。

溯ること半年、前回初めてクラウドをウータイに、社会科見学で連れ出した時の往路、クラウドをいかにしてシドやユフィから隠し通せるかということで精一杯だった俺たち。死んだと思われていたコルネオの突如の登場のせいで、「スーツケース大作戦」は見事に破れ、結局ユフィとシドにクラウドの存在がバレてしまった、はずだった。 いや、ハズ、というより、ユフィにはちゃんとバレたのだ、変な言い回しだけど。ユフィはあれ以来、クラウドの母親というか姉みたいな役回りを喜んで引き受けている。そのせいで俺とヴィンセントはあんまりハゲシイことを出来ない訳だが……、クラウドからしたらその方が良いのだろう。ユフィもクラウドが可愛くて可愛くて仕方が無いらしく、たまに電話をかけてきては「クラウドに代われ」とうるさい。

一方、シドはと言うと。

「……こりゃ、魂消た」

面と向かって顔を見せて、俺とそっくりな少年の顔を見て、口を半開き、煙草をぽろりと落として、何と言うかまぁ、物凄く普通に驚いてくれた。

「……そっくりじゃねぇか……、いや、こりゃぁ、ビックリしたぜ……」

「……同じ事を、半年前に一回言っているのだが」

ヴィンセントが完全に呆れて、溜め息交じりに漏らした。 クラウドが目に涙をいっぱいに溜めている。

「酒が入っていたからな。酒に呑み込まれて、朦朧としていたのだろう。……恐らく帰りの飛空艇の中の記憶は飛んでいるのだろうが……。そんな状況でハイウインドを運転していたのかと思うと背筋が凍るな」

シドがうーんと首を傾げる。

「そういや、あん時のことは憶えてねぇなあ……。気付いたらベッドの上だった」

「……じゃあ、改めて紹介するよ。……弟……いや、……何だろうな」

ヴィンセントをちらと見る。

「……私の大切な息子であり、長男ザックスの弟、クラウド=ヴァレンタインだ」

 

 

 

 

飛空艇の操縦をシドの部下に任せている間に、……もう恥ずかしさには慣れたから、事細かに、クラウドの生い立ちに付いて説明した。俺のブチ切れが全ての発端で、……そして、俺たちが純粋な「父・兄・弟」としての関係ではないことも、明かした。

「相変わらず……、変わったことしてんだなぁ、おめーさんたちは」

シドはクラウドを膝の上に乗せて、苦笑い。

「でもまぁ、よかったじゃねぇか。なぁ? こーんな可愛い子が生まれてきたんだし、その上めちゃめちゃに幸せなんだろ? だったら偶然っていうか運命みてぇなもんだろ」

クラウドは、シドが悪い人間じゃないと解かると、すぐに懐いた。……クラウドのこういうところ、猫と言うより寧ろ犬だ。

「小学校三年生かぁ」

「……と言っても、身体だけは十四歳だが」

「うちの坊主が七歳になったばっかりだからな。年としたらそんな離れてねぇ。今度遊んでやってくれや、クラウド」

ぽんぽんと頭を撫でる。クラウドが微笑んで頷いた。

「しかし、ユフィにしろあんたにしろ、そういうところで妙な抵抗を持たないでくれるのは、さすがだな」

膝の上のクラウドの耳をこしょこしょと撫でてくれてるシドに、ヴィンセントが笑って言った。幾分、救われたような笑顔だ。

「そりゃそうだ。……考えてもみろよ、俺たち、マトモな奴が一人もいなかったじゃねぇか。リーダーは分裂症の偽ソルジャーだし、喋る動物がいたり、忍者がいたり、変身する奴がいたり。……マトモは俺様くらいしかいなかっただろ? 大抵のことにゃ、免疫付いてるさ」

「確かに。……今考えて見るとすごいメンバーだよな。でも、色んな意味で凄かったから俺たち、あんな離れ業出来たんだと思うよ」

俺も壊れてたし、ヴィンセントも壊れてた。他のみんなも壊れてたから、何かをするには互いに補い合わなきゃ出来なかった。一人一人じゃ、何も出来ない……、恥ずかしいけど、仲間って奴の大切さ、大きかったんだということを今になって再確認。

「だから多分、他のヤツらに見せても喜ぶと思うぜ? おめーさんたちが幸せで、その上こんな可愛い坊ちゃんがいるんだ。誰も責めやしねぇさ。……ティファも、な」

「うん……」

簡単な言葉が俺たちを少し救ってくれた。いつも気に病んでいたことってどんな意味があったんだろう、そんな気がしてくる。アグレッシブが伝染して体中がむず痒くなるようなこんな気持ちにありつける瞬間が何より快い。

 

 

 

 

ハイウインドを近くの草原に着陸させて、ウータイの入口に向かって数歩歩くと、途端に独特の匂いが鼻を突いた。

「ゆでたまごのにおいー」

「……硫黄泉だな。近くに火山も無いのに。……どういう原理の力なのだ、忍術とは」

ヴィンセントが首を傾げながら歩く。かつて逃げるユフィを追いかけ、そして社会科見学で来た時とは全く様相の異なるウータイの入口で、俺たちは半年ぶりに、ユフィと再会した。

「クラウドーっ」

「おねえちゃんっ」

……感動の再会だ。ぐりぐりと頭を撫でられるクラウドは、俺がかつおぶしをあげる時よりもずっとずっと嬉しそうに見えた。隣のヴィンセントからも、言葉にも表情にも出していないのに「しっとしっとしっと」とオーラが出ている。

「久し振りだねぇ、ゲンキしてた? クラウド」

「うん! ……おねえちゃん、温泉でやけど、しなかった?」

「大丈夫、おねえちゃんは強いんだから! 多少のことじゃ怪我なんかしないよ」

「すごいなぁ、カッコイイなぁ……」

一通りの楽しげな遣り取りをシドとヴィンセントと俺は成す術も無く見守り、ようやくユフィは俺たちに……初めて気付いたわけではないだろうが、関心を向けた。

「ようこそ、世界第二の温泉都市・ウータイへ」

にっこり笑う。今日はキモノでは無いし、髪の毛に簪も無い。後ろで髪を結び、化粧もほとんどしていない。それで十分美人なのだから、すごいことだ。これくらい美人なら、性格をちょっと弄れば引く手数多だろう。……本人にその気が無いのが惜しい。

実際、十六の頃から片鱗は見せていたのだが……、生憎、仲間たちの中で、マトモな性嗜好を持つ人間が少なかったというのは彼女にとっての最大の不幸だろう。

「ごめんね、わざわざ来てもらっちゃってー。でも、みんな来るって言うから、ちゃんと宿も取ってあるよ。せっかくだからゆっくりしてってね」

「……いや、私たちは観光に来たのではなくて……」

お前のことを叱りに来たんだ。アホな忍術使うのは止せ、と。 考えても見ろ。ウータイ中の子供たちがみんな「桜吹雪」とやらをあっちこっちで使ったとしたら、世界中水浸しになっちゃうじゃないか。

「まぁまぁ。……とりあえず、宿に行って荷物置いてきなよ。温泉にも、ゆっくり浸かってさ。話しはその後でも遅くないでしょ?」

にっこり言われると、いやしかし、とは言えない。ホモでも何でも男は男なのだ。ましてや俺は、そんな背筋の一本通ったホモでもないし。いや、そうなのか。

「クラウド、温泉、すっごい気持ちいいから、ゆっくりあったまっといで」

「うん!」

クラウドはもう既に、始めて入る温泉というものに興味津々だ。

「『みんな』ってどういう事でぇ?」

シドが肩から提げた鞄を担ぎ直して、聞いた。 ユフィは、肩を竦めて見せた。

「『みんな』は『みんな』よ。……十時に出るって言ってたから、そろそろ来る頃だろうけど」

 

 

 

 

「すごーーーーーーいっ」

クラウドが腰に巻いたタオルがぽろりと外れるのも気にせず、歓声を上げた。そして、シドとヴィンセントと俺は暫し言葉を失った。

……唖然、呆然、絶句。

「……これほどまでとは」

デンとそびえるダチャオ像の足元に、大きな大きな湯の池が濛々と湯気を上げる。イビツな円形の岩風呂は、もっとも長い対角線で七十メートルはあるだろう。ユフィの計らいで、この新しい観光地、ゴールデンウィーク中であるにも関わらず、貸切状態になっている。

「……とりあえず、入ろうか」

互いに顔を見合わせ、クラウドのタオルを拾ってやり、俺たちは三人とも静かに湯の中にカラダを浸した。四人とも肩まで浸かると、揃って、まるで儀式のように大きく溜め息を吐いた。

「……気持ち良い……」

「……何より広いのがいいな。……内風呂だと足も伸ばせねえからな」

「……湯加減も丁度良い。熱すぎず温すぎず。これならクラウドにも気持ち良いだろうな」

「ふにゃ〜」

「……クラウド、浮かぶな」

クラウドは仰向けでぷかぷかとクラゲのように湯と戯れている。広がった後髪がかわいい。……が、耳に水が入りそうだし、あれが水面から上に出てるから、俺は停めた。いや、別にシドしかいないから、あそこだろうがここだろうが見せても構わないんだけど……、俺とヴィンセントが、ちょっと困るのだ。

どう困るって……、わざわざ聞くなよな。

……それにしても、気持ち良い。これだけ広いのだから、別に四人まとまって小さいスペースにいなくたって構わないのだが、離れると湯気のせいでお互いが何処にいるか解らなくなってしまうので、顔を突き合わせて話しをする。男三人が子供を囲んでいる風景は回りから見たらかなり不気味に違いない。

縁の岩の後ろには、真新しい木の看板が立っている。毛筆で「桜花の湯」と書かれている。彼女のオヤジさんが書いたのかと思ったら、「湯布院如月」と端に小さく書かれている。あれで「ユフィ=キサラギ」と読むのだろう。何だか、ミッドガルの暴走族みたいだ。

「ところでよぉ、ここ、脱衣所は二つ在ったけど」

シドがキョロキョロと見回す。

「浴槽は一つっきゃねえよなぁ。……垣根みたいなのもねぇし」

男というのは馬鹿らしいもので、「混浴」という言葉に妙な艶めかしさを覚えてしまう。フェミニスト団体からしたらこんな考え方はとてつもなくキタナイものなのだとは思うが、女性がタオルで胸元を隠して湯に浸かる様というのは、何と言うか、単純に美しい、綺麗だ、絵になる。温泉という、本来くつろぐべき場所で足も伸ばせず、互いに漂う張り詰めた緊張感。男はなかなか、女性よりも先に出るということが出来ずに、上がる頃には二重に上せてしまうという馬鹿らしさも、また一興。

とは言え俺やヴィンセントからすると、クラウドが既に隣で全裸になってぷかぷか浮いていて、その少し色づいた尻とか、腰のラインとかだけで十分目の遣り場に困ってしまうのだから、別に混浴であろうとなかろうと、関係無い。

「……気になるなら、あとでユフィが入った時狙って、ここ来れば? ……ウマいこと鉢合わせられるかも知れないぜ?」

「ただしその際の身の安全は保障出来ないがな」

「な、何言ってやがんでぇ。俺様はそんなにエロくはねぇぞ!」

そうだな、もうシドは立派に「オヤジ」なのだから、これで「エロ」だったりした日には、「エロオヤジ」というとんでもない渾名になってしまうもの。

いや、ヴィンセントはもう十分「エロジジイ」だとは思うが。俺もあと何年かしたら「エロオヤジ」だなぁ……。

「そろそろ上がるぞ」

お尻を出してばしゃばしゃと、ちっとも前に進まないバタ足をして遊んでいたクラウドを呼ぶ。

「もっと遊びたいー」

「夜にまた入れるよ」

クラウドをなだめて、俺たちは上がった。脱衣篭の中には、どうやら宿の……仲居と言うんだっけか、ウータイ風メイドさん…………そうそう、仲居さん、が用意してくれたらしい浴衣が入っていた。クラウドにはちゃんと、一番小さい大人用サイズのものも。

「……オメエさんは似合うよなぁ、こういう服が」

呆れたように、シドが言う。ヴィンセントは黒髪を結んで、ビシッと浴衣を着る。髪型のせいで、首から下を見なければまるで女性だ。

「なぁ、クラ……ザックス、オメエもそう思わねえか?」

「……思うけど、もういいんだ……」

クラウドに浴衣を着せて俺も着て……、互いにその似合わなさに苦笑するしかない。諦めよう。ただ、ヴィンセントの美しい姿を愛でていればいい。

風呂上がりに風にあたるのはいつもながらいいことだ。ポカポカと芯まで暖まった身体の表面を爽やかな風が撫でて、優しく冷ましていく。繋いだクラウドの肉球も暖かいし、似合わないなりによく見ると浴衣姿はカワイイし、言うことはない。ユフィに対して叱る気持ちなどどこかへ飛んでしまった。

宿に向かって歩く途中、轟音とともに巨大な物体が上空を横切った。激しい風に吹かれて、かなり涼しくなった……。

「……来たな」

見上げてぽつり、ヴィンセントが呟いた。

「……あれ、ゲルニカ? ……海の底にあったんじゃ……。形が違うか」

「弐号機を作ったのさ。社長さんがいい値段で買ってってくれたぜ」

俺たちはとりあえず脱いだ服を宿の部屋に置いて、浴衣のままで再び街に出た。

「あ、居た居た。こっちこっちー!」

ユフィがぶんぶんと手を振っている。……本当にこの間テレビの中に居た方と同一人物なのだろうか、ごく真っ当な疑問を抱く。

村の入口では、一匹以外、等分に年を取った仲間たちが並んで待っていた。

懐かしい面々が持つ独特の雰囲気に、頬が緩んでしまう。こう、見事に体型がバラバラなグループも珍しいのではないか。クマのような大男の隣に紅い獣が居て、さらにその隣には元中間管理職、そして酒屋の娘。長さも幅もバラバラなら、元々やっていた事もバラバラ、……残りの俺たちも、棺桶出身の半死人元タークスに、ロケット技師……というかパイロット、そして偽ソルジャー。共通点なんて何処にも無い。

 離婚した元奥さんもいて、そのわだかまりはとっくに解れたはずではあるけれど。……向こうもこっちも、その事はもう思い出さないようにしていて。

 顔を合わせれば笑顔だ。

「久し振り」

「ゲンキしてたか?」

そんな言葉を交わし合い、何となく互いの肩を叩き合う。輪の外でクラウドが心細そうに、浴衣の帯を弄くっている。

「クラウド、おいで!」

ユフィが手招きする。ホッとしたように、クラウドはユフィに縋り付いた。

「うはぁ〜、ホンマにそっくりやなぁ……」

若干白髪の割合が増えたリーブが感心したように顔を覗き込む。

「ほんとホント! ク…………ザックスが子供の頃って、こんな感じだったんだねぇ」

こちらは全く変わっていない。いわゆる「お座り」のポーズでナナキが見上げる。

「本物よりも可愛いな。……マリンの婿にいいかも知れねえ」

岩石のような筋肉は相変わらず、失った方の腕には銃ではなく義腕を付けたバレットが見下ろす。

「でも、そうね、十四歳のザックスよりも、ちょっとだけ小さいかな……。始めまして、クラウド」

年を取るに連れて、だんだんと磨きのかかって行くタイプらしいティファが、クラウドに手を差し出した。「あの頃」よりも元気に見えるのは、俺には幸せなことだった。

「よ、ろしく、です」

たどたどしく挨拶をして、クラウドは手を出した。ティファに両手で包まれて、照れた笑顔になる。

「よろしくね! クラウド!! オイラ、ナナキ!」

ちょうど、クラウドとナナキは「中間地点」という点で反りが会うことだろう。精神年齢も一番近いし。肉球手同士を重ねて、彼らだけに解かる挨拶。バレットとリーブとも丁寧な挨拶を交わして、クラウドは、ちょっと興奮したように、俺を見た。

「すごいねっ、ザックスっ、友達いっぱいいるんだねっ」

バレットが豪快に笑った。

「友達かぁ、そうだなぁ、俺たちゃ、行先のねぇ同じ列車に乗っちまった友達だ」

全員に甘い笑いが伝染した。

「さぁ、じゃあ行こうか。みんなの分の部屋は取ってあるからね」

ユフィが先導する。 この時ばかりは、彼女が二十四で、他のみんなも八歳乃至九歳年を取ってるという事実を、忘れてしまった。

 いつ魔物に襲われたって俺たちは戦えるだろう、みんなで。

 

 

 

 

ウータイの観光局はもうすっかり「温泉都市ウータイ」として世界に売り出すコトを始めているらしい。これまでは、五強聖の総本山やダチャオ像、歴史的な建造物群や、巨大亀アダマンタイマイといった、何とも地味な名所しかなかったこの国に、何の前触れも無く温泉が吹き出したのだから、観光局としては棚からぼたもちだ。しかも、あの情報番組のオンエアによって更に「忍者」というものの知名度も上がり、夏には去年の五倍の観光収入を予見しているのだと言う。

「昔はねー、アタシも、『ウータイを強くしたい!』なんていきがってたけどさぁ」

アルコールが入って桃色になった頬で、ユフィが笑う。

「今はね、なんか、平和主義者になったっていうのかなぁ。強くなくてもいいや、みんなと仲良くやっていきましょーって感じなのさ。……まぁ、そうだね、リーブが神羅のトップになったし、戦争の心配もないしねぇ」

うんうんとバレットとシドが頷く。バレットは十分にアルコールを含み、シドは記憶を失わない程度に自重する。

「そうそう。リーブのお陰だぜ、こんだけ平和になったのはよ」

「それによ、新社長さんのお陰で、俺様は宇宙に何本もロケット飛ばせるんだ、これほど有り難ぇこたぁねぇぜ」

「はぁ……。僕はただ、自分に出来ることしとるだけですわ。もう戦争は懲り懲りやし……。でも皆さんの力になれとる思うと、やっぱし嬉しいですわ。それに、シドはんにはゲルニカ弐号造って貰いましたし、バレットはんのお陰で、市街で悪さするもんもおらんようになったし……。ホンマ、助かっとりますわ」

リーブは頭の後ろを掻きながら照れ笑いをした。

全員が足を伸ばして、目の前の膳と話しをつまみに酒を楽しんでいる。冷静に見ているようで、俺も何気に酔っている。何時の間にか、浴衣の肩をはだけて、下半身以外は露出している状態だ。妙な笑いが止まらない。

幸せな気分。……こんな風に集まれたことで、俺たちがユフィに会いに来た当初の目的は雲散霧消してしまった。でも、この方がいいことは明らかだ。

「あっ、クラウド、これ美味しいよ、食べてごらん」

「これもこれも。このウータイ桜まんって、すごく良い香りするー」

「にゃー」

ティファとナナキはクラウドを囲んで思いきり甘やかしている。ティファはティファで、十四の頃の俺と再会したような不思議な幸福感があるのだろうし、ナナキは自分と同じカテゴリに分類されるクラウドと会えたのが嬉しくて仕方ないのだろう。……ナナキは基本的には犬なのだが。

ヴィンセントはと見ると、みんなが話しているのを一歩下がって、それでも存分に微笑みながら見ている。彼はいつも、……俺とクラウドといる時以外は、こういうスタンスだ。ある程度下がって、静かにしている。ただ、俺たちが交わす会話を、面白そうに聞いている。よく見ると、シドがオヤジギャグをかますと、クスリと笑っているし。年代が近いから理解しあえるのだろう。

「……あー、すっごい幸せ! みんなでこうやって騒げるなんて!」

ユフィがもう完全に酔っ払って、笑った。全員が頷いた。

「そうね……。みんなでこうやって会うチャンスなんて、少なくなっちゃったものね」

ティファも懐かしむような目で言った。

「わたしは、バレットとリーブとはよく会うけれど、他のみんなとは本当に久しぶりだわ」

「オイラも、ユフィ以外とは全然会わないよ」

「……俺たちは……そうだな、俺たち以外とは会わないし」

「俺様はロケット飛ばすのに忙しかったしなぁ」

でも、こうして、八年もバラバラだったのに、また会えた。何より濃い絆のおかげだと思いたい。

「いいよねぇ、こういうのって」

ユフィはしみじみと言った。なんだか、今夜のユフィは随分と冴えている、またみんなが頷いた。

「皆が元気だと分かっていても、どこかで幸せに暮していると信じていても、実際に顔を合わせて見るまでは不安だ。私たちは少し、疎かにしていたかも知れないな。こういう場を作ることを」

畳一帖隔てたところでヴィンセントが呟いた。またみんな頷く。 酒の力で、場の雰囲気が本当にほのぼのしている。多分外から見たら赤かピンクか、とにかく、桜の花が満開に咲いているような感じに見えるだろう。

「とにかく、今、それぞれがそれぞれの生活を持っている。それぞれが、それぞれの形の生き方を体現しているか、あるいは模索している。その根底に、我々がしてきた長旅があったのだ。今再びこうして集まって会うことができるのは、とりあえずは幸せだ」

まったくその通り。クラウドを生み出したことによって、こういう風な恥ずかしさを伴う嬉しさを味わえるのだから。「馬鹿なコトした」という後悔など今は何処にも無い。一秒先の事を少しも見ることの出来ないということは、実は素晴らしい事なのかもしれない。これから多少の不幸もあることだろう、だがそれの長さがどれくらいかなんて俺たちには解からない。永遠に続くかなしみかもしれない、しかし、瞬きをしたらすぐ底に、泣きそうなほどの幸せがあるかもしれないということだ。 少なくとも俺は、……ヴィンセントと初めて会った時、こんな夫婦――夫と夫、いや、今は父と子だけど――生活を送る現実がミライへつながっていたなんて、考えもしなかった。 そして今幸せだ、それでいいじゃないか。小さい頃はゲイ、それでも結婚して、離婚して、今はまたゲイ、子供も出来た、幸せだ、それで、いいじゃないか。なあ?

「もう一回、乾杯しようか」

俺の提案に、誰も首を振らなかった。

「永久不変なる友情と、仲間という物に、乾杯」

「……クサイねぇ」

 

 

 

 

夜になり、気温が下がったせいで、湯気は昼間以上に立ち込める。五メートル先も見えないほどの濃霧だ。

その濃霧の中、俺とヴィンセントは身を寄せ合って、岩陰に隠れていた。別に、二人でなにをしようとか、そういう訳じゃない。俺たちは、監視をしているのだ。……監視、そう、決して覗きじゃない、これは監視だ。

「ザックスー、ヴィンー、お風呂〜」

クラウドはくいくいと兄と父の浴衣の裾を引っ張った。お蔭様でかなり浴衣をいい加減に流して着ていた俺は、トランクス一丁になってしまった。しっかりとユフィとティファの視線を感じた。……まぁ、クラウドの仕業だからしょうがないけれど、恥ずかしい。酔ってはいるが一応恥も外聞もあるぞ俺は。

クラウドは、また温泉に入りたがっているのである。あの広くて泳げるほどの、ゆでたまごの匂いがする湯溜りが思いのほか気に入ったらしい。まあそうだよな、ウチの風呂は狭いし、完全な密室だから俺かヴィンセントに色々と口では言えないようなことをされて、落ち着いて暖まることも出来ないから、気持ちは分かる。

しょうがないなそれじゃあ俺たちクラウドとちょっと風呂に入って来るから。

俺は浴衣の前を掻き合わせてそう言いかけた。

「あっ、じゃあクラウド、おねえちゃんと入ろっか〜」

ピンク色の頬をしたユフィがにっこりと立ち上がった。俺よりほんの一瞬早く。

「えっ、ほんと? いいの?」

「いいよ〜。おねえちゃんが背中流したげる」

唖然とした俺とヴィンセントより先に、ティファとバレットが停めた。

「ちょっと……ユフィ、あの……」

「そうだぜ。いくら小学校三年ったって……、一応……」

もごもごと口篭もる。ナナキも何となく気まずそうに俯いている。元々紅い顔が更に紅くなっているのは、妙な想像をしてしまったからだろう。

「へーきへーき。……大体ねぇ、クラウドにアタシが襲われるとでも思ってるワケ?」

……有り得ないとは言い切れない。ただそれ以上に、もしクラウドがそんな事に及んだとしたら、クラウドは少なくとも三日の再起不能に陥るだろう。……ユフィが手加減するから「三日」なのであって、本気を出したなら一週間では済むまい。そっちの方が心配だ。

「さ、行こ、クラウド」

「うん!」

……そんな訳で、今に至るのだが。

(……これって、やっぱり…………、犯罪なのかな)

声を殺して俺は言った。

(……仕方無かろう。……クラウドのことが心配だ。生まれてこの方、女に触れたことも無いのだから。……妙なことにならねばいいが……)

「クラウド、温泉気に入ったみたいだね」

「うん! 広くて、暖かくて、すっごい気持ち良い! ……おうちのお風呂だと、いっつもザックスとヴィンが一緒に入るから、狭くって……」

「そっかぁ……。ねぇ、クラウド、アイツラに変な事されてない?」

「……されてる。……あのね、ザックスなんて、ひどいんだよ。俺が恥ずかしがってるの、すごい嬉しそうに見てるの」

ヴィンセントがじーと俺の事を見る。

余計な事を。

「それにね、ヴィンも、色んな変な服とか着せようとするんだよ。女の子の服とか」

ヴィンセントが目を逸らした。

「……ったく、アイツラも変態に磨きがかかってきちゃったねえ……」

呆れ果てた様に、ユフィが溜め息交じりに言った。

「でも、ここにいる間は、おねえちゃんが守ってあげるから、安心しなね」

「うん!」

……くそ……、クラウドの足に浴衣が絡み付いてる姿なんて、そそるから楽しみにしていたのに……。

(っていうか、ユフィ、キレイな肌してるよな……)

(……そうだな。私とクラウド程ではないが)

(…………うん)

(……ひょっとして、立っているのかお前)

(う、うるさい。あんたはどうなんだよ。……失礼)

俺はヴィンセントのそこを、タオルごしに触れた。

(……生憎お前のように子供ではないのでな)

余裕の笑みを浮かべた。……いや、俺だってユフィに感じてるんじゃなくて、クラウドの裸の肩に……、無理のある言い訳か。

「よし、それじゃ、身体洗おうか」

ユフィはクラウドの手を引いて、洗い場に上がる。俺たちは息を殺して、音を立てないようにしながら岩場を、二人が見える場所に移動。着けたてといった感じの白熱球が二人を照らす。

「はい、頭流すよ、目ぇ瞑って〜」

クラウドは自分で両耳を畳んで、流す。直毛になった髪の毛にシャンプーを点けて、ユフィが洗い始める。クラウドは泡が入らないよう目を閉じて、ユフィの指を楽しんでいるようにも見える。

(……アイツ、上手いな、ひとの頭洗うの)

(……お前は下手だけどな)

(どうしてそう、いちいち突っかかるかあんたは)

「OK、じゃあ背中洗ってあげる」

頭の石鹸を流し、スポンジにボディソープを取る。微かな花の香りが、ここまで届く。

「ひゃっ、つ、めたっ」

「あ、ごめん……。でも、すぐ慣れるから」

ゴシゴシと洗われて、クラウドは今度は笑い声を上げた。

「やっ、あっ、なんかっ、くすぐたいっ」

「ザックスとかヴィンセントほど力強く無いからねぇ」

でも、もしユフィが本気でやったら、クラウドの背骨はバラバラだ。

「ん、おっけい。じゃあ今度、……どうする? 前は自分で洗う?」

(…………)

(……何を興奮しているのだお前は)

「うん……、自分でする」

クラウドはスポンジを受け取り、不器用ながらも自分でこしこしと身体を洗う。クラウドは、今、始めて自分で自分の体を洗っているのだ。扱いが不慣れで、微笑ましい。興奮しながら微笑むのは難しいけど。

「クラウドのそこ、可愛いね」

「やっ、やだっ、おねえちゃんっ、見ちゃやだっ」

(…………!)

(……だから何を興奮しているのだ……)

いや、何か……、こういうシチュエーションって、結構、来ないか? 女のコが年下の男の子に色々と悪戯をするっていうのは。いや、悪戯してる訳じゃないけど、クラウドはかなり遊ばれているのだ。 ユフィはクラウドが可愛くて可愛くて仕方が無いのだろう。純粋な愛情は、恋人に対してのそれではなくて、弟に対してのそれ。無償で無尽蔵の愛をクラウドに与えてくれているのだ。

そして、俺には言いようのない興奮を。

「さて、と。……クラウド、アタシの背中、流してくれる?」

(…………!!)

(お前は……)

「ええ……? ……い、いいの?俺……」

「クラウドならいいよ。……ザックスやヴィンセントとかだったら、ヤだけどね。クラウドにはおねえちゃんの背中洗わせてあげる。すっごい名誉なことなんだぞ〜」

クラウドに、石鹸を付けたスポンジを渡し、腰掛けに座る。

一応、前の方の重要なポイントは押さえているけれど、後ろは完全に裸状態なのである。

この何とも形容しがたいシチュエーションにぐらりと来てしまった。「くらり」ではない、「ぐらり」だ。かなり、来るものが……。

湯気で靄っているとは言え、湯で暖まった裸の後ろ姿、女性特有の、細い腰のライン。いや、ヴィンセントやクラウドも、男ながらに魅力的な腰をしているけれども、それよりもさらに艶めかしい雰囲気がする。女性の裸体を詳らかに観察するのは何年かぶりなので、正直、ホントに。

「そうそう、上手〜。キレイにしてね、クラウド」

「……ん」

スポンジで不慣れにユフィの背中を洗うクラウドは顔を少し赤らめて、なるべく他所を向く努力をしている。無理もない、生まれてこのかた、俺かヴィンセントの裸しか見たことはないのだから。一応、「情操教育」という名義で「雌と雄の差」みたいなものに関してヴィンセントお父様が教えてあるから、ある程度のことは理解しているとは思うが、それでも。クラウドだって、一応は十四歳、思春期の入口にいる、男の子なのだ。女性の身体に、こういう形で触れる機会があったら、何らかの情動が生じるのは自然なこと。今はもう、普段、クラウドかヴィンセントにしか感じないハズなのに、俺が今実際……。

(……っ、触るなよっ)

(呆れた奴だな……)

でも、弁解の余地はある、と思う。ヴィンセントが逆にどうかしているのだ、この光景を前にして感じないなんて。完全に性癖が逆転している。こうはなりたくない。クラウドを、もちろん愛しているけれど、こうはなりたくないものだ。

「な、ながすよ?」

おどおどと両手でシャワーを持ち、ユフィに蛇口を捻ってもらう。石鹸の泡がお湯によって流れていく、皮膚の上を水が流れるのって、なんだかとてもエロティックに思えるのだけど。

「ん、サンキュ。……じゃ、もう一回暖まったら出ようか」

「うん……」

頬の紅いクラウドの頭をくしゃりと撫でて、ユフィはクラウドの一歩先を歩いて湯の中に身を浸す。俺たちはもちろん入るわけにも行かなくて、岩陰、いい加減冷えてきた肩を摩りながら、早く出ろよと願っている。

(……何だかんだ言って、いい感じだなあの二人は)

(……嫉妬しているのか? ……ふ、本当に青いなお前は)

(大きなお世話だ。……でもな、ユフィにクラウドを恋愛対象として見る目がない限り、俺たちは負けない)

(……俺「たち」? ……負けないのは私だけだ)

「ん〜……、でも、ホントに『災い転じて福となる』だなぁ〜。みんなと集まれたし、それに、クラウドと一緒にお風呂も入れちゃったし」

愛しそうに頭を撫で撫でされて、クラウドは、そう、俺がクラウドに「だいすき」って言われた時みたいに、水の中に蕩けてしまいそうになっている。姉と弟(……妹? ……いやいや)の、甘く美しい、至福の時だ。 ただ、それを見ていてどうにも苛立つのは、やはり嫉妬の所為か。

しているとしたら、どちらにだろう。大半は、裸でクラウドのそばにいるユフィに対してのものだろうが、裸のユフィのそばにいるクラウドに対しての嫉妬も、あるいはあるのかもしれない。

「……じゃあ、そろそろ出よっか」

「ん」

ユフィは立ち上がった。

クラウドの手を引いて、湯の中をざばざばと歩いて、縁から上がる。

「クラウド……、上せちゃった?」

「んぁ……ん、だいじょぶ……」

(……クラウドの奴)

(ああ、完全に上せているな)

視線が定まっていない。不安なほどに声も甘くなってしまっている。顔はもちろん真っ赤だ。

「クラウド……歩ける?」

ユフィは心配げに訊ねるが、クラウドにはその言葉が届いているのかどうか。

「ん、にゃ……」

ぼーっとして、ユフィの手に捕まったまま動けなくなっている。貧血による転倒の一歩手前の状況だ。あっち側からこっち側にふと戻り、また気紛れにあっち側の誘いに乗り、理性を少しずつ摩耗していく、世界が色を失っていく……。

クラウドは、本人の意識外で働いた理性で、「お湯から出なくちゃ……」と、一歩足を踏み出した。彼の中では、岩風呂の縁に足を乗せたつもりだったのだろう。が、彼の、相対的には短くないが身の丈が絶対的に低いせいで結果的に短くなってしまっている足は、じゃぼんと音を立てて再び湯の中に収まった。 すなわち、一段階段を上がったつもりが、思いっきり踏み外した訳である。

ユフィが瞬時にクラウドを抱き上げようと手を伸ばした、するりとタオルが落ちる。

俺が、クラウドの身体を攫おうと身を躍らせた。

ヴィンセントが何事か呟いて、俺を止めようと手を伸ばした。

……一瞬で三つの出来事が同時に起こり、最後には。

「うにゃ? ……ざっくしゅ?」

クラウドが、俺の腕の中、ユフィに右手を掴まれて俺を見上げる。

「大馬鹿者」

途方に暮れたように茂みで中途半端な体勢を取るヴィンセントが呟く。

 

 

 

 

まるで修学旅行じゃないか、これって。

『ぼくたちは女の人の入浴を覗いたので、一晩謹慎します』

俺たちの部屋の入口の襖には、ユフィに無理矢理そう書かされた紙が貼ってある。

「……ユフィがクラウドを助けられないとでも思ったか」

「だって……。気が付いた時には身体が動いてた。……あぶないっ、て思った時には、もう」

(あ、あの、お、落ち着け、こ、これは……)

(……これは?)

(その、覗きとか、そういうんじゃなくて、その、クラウドが心配で……)

(……心配で?)

(あの、始めて、女の人と風呂に入る訳で、何か、その、トラブルがあったりしたらヤだし、ほらあの、一応半猫だし俺の弟でヴィンセントの子供なわけで、その、あんまり目を離すのは、好ましくないかなあ、って)

(……なるほど)

グーでパンチをもらった。

頬に痛い思いをしている上に、クラウドまで奪われてしまった。さっきクラウドがユフィに「ザックスたちがえっちなことするんだ」と言ってしまったのと、この覗き(……覗きじゃないのに……)の懲罰として、没収されてしまったのだ。クラウドは今ごろ、ユフィとティファの部屋で思いっきり可愛がられていることだろう。

「……オイラだって迷惑だよ」

(クラウドまで取ることはないだろう!)

俺が抗議すると、ユフィはふんと鼻を鳴らし、

(レディの裸をタダ見したのにこの程度の罰で済ましてやるんだから、有り難く思いな! ……ったく、クラウドはこんな可愛いのに、何でオリジナルは変態なのかねぇ)

……で、俺たちが妙なことをしないようにという「監視役」として……、ナナキが選ばれたわけである。他の中年三人は既に顔を真っ赤にして笑い、歌い、踊り、既に夢の中だったから、要するに消去法な訳だが。

頬の腫れを冷蔵庫の缶ビールで冷やし、一息ついた。……確かに、軽率だったかもしれない。それ以前に、覗きに行ったのが失敗だったのか。飲むに連れて、逆に興奮が収まり、頭が冴えて来る。ビールが気付けば水のようで、二本飲んでもまだまるで酔ってこない。心の中にぽっかりと穴が開いてそこにアルコールが流れて消えてしまう感じだ。浴衣の胃のあたりが濡れていないかどうかちらと見た。

クラウドが、いない。

一晩だけじゃないか、あと八時間もすれば次の太陽が昇る。そうしたら、ユフィもクラウドを返してくれるだろう。そうしたら、まず抱きしめて、キスをしよう。愛してるって言おう。

でも、今はそれが出来ない。

「ザックス、あまり酔うなよ?」

ヴィンセントが二本目の最後の一口を飲み終えて、俺に言った。

「……酔いたいんだ。……クラウドに触れない夜なんて、辛すぎる」

そう言えばクラウドが生まれて始めての夜じゃないか、俺と一緒に寝ない夜なんて。

あぁ……。

「今ごろ、淋しくて泣いてないだろうか……」

「きっとグッスリ寝てると思うけどなぁ」

ぼそ、とナナキが言う。 三本目のスタディオンタブを立て、またひとつ溜め息を吐く。

そう言えば、ここ数ヶ月、二本以上ビールを飲んだことなんて、なかった。飲んでから抱こうとすると、色々問題が生じたりするのだ。何よりも、「やぁっ、ザックスっ、おさけくさいっ」って言われるのが、嫌だった。だから我慢していたのだ。

でも、……今夜はどうせクラウドはいない。意識が無くなるほど飲んで、数時間のタイムトリップをしよう。気付けばクラウドとまた会える時間になっているかもしれない。そうだ、何時の間にか眠りに落ちて、クラウドの夢を見るのも悪くはない。

「……酔うなと言っただろうが」

三本目を掴もうとした俺の手をヴィンセントが押さえた。

「……離せ。俺はまだ酔ってないし、だからこれから酔いたいんだ」

「嘘を吐け。眼が潤んでいるぞ。……全く、クラウドに会いたくはないのか?」

「会いたい。会いたいから酒を飲むんだ。酔っ払えば、夢の中でクラウドに会える」

この遣り場のない思いは、夢に捌け口を求めよう。

「だから、クラウドに会わせてやると言っているのだ」

ヴィンセントは呆れたように言う。

「いい、自分で会う。あんたよりクラウドの方が中狭くて気持ち良い」

「一遍死ぬかお前」

事実だ。確かにヴィンセントも締まりはいいけれど、絶対的にクラウドの方が身体小さいのだから。

ナナキがばからしげに部屋の片隅で呆れ果てて丸くなる。

「誰がお前に入れさせてやると言った。私だって嫌だそんなの。……そうではなくて、本物のクラウドに会わせてやる、と言っているのだ」

「そんなの、無理だ。……ユフィとティファがガチガチにガードしてるに決まってる」

「私がその程度のガードを破れないとでも思っているのか?」

ヴィンセントは空になった空き缶を軽く潰す。

「私の辞書に不可能の文字はない」

「またカオスを使うんじゃないだろうな」

「……場合によっては。必要に応じて」

カオス、そろそろキレてもいいと思う。散々都合よく使われっぱなし。この間は海峡を渡るのに使われ、今回にいたっては女性の寝室の覗きに使われようとしているのだ。

そもそも、何てゲドウなコトをしようと思い付くのだコイツは。

「……勝手にしろよ。俺はいい。あんた一人で行って、せいぜいユフィたちに引っ掛かれてろよ」

言い放ち、奪われた三本目を取り返し、唇を着ける。 ヴィンセントは俺の、冷めた態度を見て、肩を竦めて見せた。

「あとで後悔するなよ?」

「何をだよ」

ふん、ヴィンセントは鼻で笑った。昔の俺みたいに。

「クラウドが、あの娘たちにどんな目に合わされているか」

「はぁ? ……ユフィとティファがそんなことするわけないだろ。ユフィは解からんが、ティファがさせるものか。あの子は真面目だからな」

これだから馬鹿は困る……そう言いたげに首を振られた。

「いいか、よく考えて見ろ。……ユフィは、さっき風呂場で見たとおり、クラウドに裸を見せても何とも想っていないのだ。……あれはどうも、心を許しているというよりも、何かそれ以上のキナ臭いものを感じざるをえない。お前の立場だったらどうだ? ……自分に対して『友人』程度の認識しか持っていない相手が居り、お前はその相手のことが好きなのだ。肉体関係を結びたいと考えたなら……?」

そりゃ……、誘う、しかない?

「ユフィは、クラウドを狙っているぞ。あれは間違いなくな」

「馬鹿なコト言うなよ。……思い付きで妙なこと言うな」

思い付き? ヴィンセントは大袈裟に手を広げた。

「根拠がある」

「何処に」

「今までのあの娘の行動だ。あれのクラウドに対しての行動をちょっと意識して見ていれば、すぐに判断出来る。あれはな、クラウドのこととなると目の色を変えて動く。それに、いくら『弟』と見ていたとしても、十四歳の――十四歳だぞ? ――男を相手に一緒に風呂に入ろうなど誘うものか。十四と言ったらな、普通に成長していれば、陰毛の一本や二本や三本や四本、生えてきたっておかしくないのだぞ?……お前の場合はまだ生えていなかったのかも知れんが、私の時にはもうちゃんと生えていた、生え揃っていた。……それに、ユフィだって勿論知っている通り、クラウドは精通している、性行為をする能力があるのだ。そんな十四歳のクラウドを――つまりは、一人前の男を風呂に誘うという行為がどういう意味を持つのか、お前には解らんのか?」

ヴィンセントも何だかんだ言って、少しだけ酒が入っているみたいだ。いつもよりも二・五倍ほど多弁だ。しかも、感情の割合が高い。これは珍しいと言える。

「……でも、ティファはそんなことはしないよ。っていうか、させない。……ティファは、まだユフィが十六だった頃、一滴の酒も飲ませなかったんだぞ? 考え方も、ユフィと違って大人だったし、それは今だって多分変わってない。……だから、ユフィがそんな事しようとしたら、すぐ停めるに決まってるさ」

だから俺はここで、酒が連れてきてくれるクラウドと戯れて翌朝を迎える気で居るのだ。

「……本当にそう思っているのなら、お気楽な奴だな」

ヴィンセントは相変わらず憎たらしいことを言う。こいつから「毒」を抜いたら、喋れなくなるんじゃないか?

俺が睨むと、ヴィンセントは俺の目の前に座って「いいか?」と言う。

「……ティファは、……今は知らんが、二十歳当時、即ち我々が飛空艇に乗って世界中を飛び回っていた時に、誰が好きだったか、知らんわけではないだろう? そしてその後数年とは言え、彼女と一緒に暮らしていたのは誰だ」

「……………………………………」

俺にどうリアクションをしろっていうんだ。

「言うまでもなくお前だ。お前はティファの旦那だった経験があるんだからな」

 過去の傷を穿り返してくる。普段は絶対に触れてこないのに。これもアルコールか?

「だからどうした」

「確認するまでもなく、彼女はお前のことが好きだった。魔晄中毒の時のお前のコトを、それこそ身を削るようにして世話した。そしてお前がどんなに我が侭を通そうとしても、彼女は怒らなかった、彼女はお前の幸せを想い、身を引いたのだ。……ティファは、お前に恋をし、そして同時にお前を愛していた。あれから五年経って、確かに彼女はあの時のような想いは抱いていないかもしれない。 しかし、ある日突然、恋していた相手と全く同じ姿で、しかもお前のようにひねくれていない素直な、コピーが現われたら、彼女の気持ちはどうだ? 彼女は、恋心をもう過去のものだと考えるかもしれない、それは大いにありうることだ。そうして割り切って考えるかもしれない、確かにそれが一番自然だ」

だが万に一つ……。ヴィンセントはどこか愉快そうな真面目な顔で俺を見た。胸の奥を軽く摩られたような気分になった。

「彼女の中でまた、あの想いが燃え上がったら? ……想い出、特に恋の想い出というのは残酷だからな。叶わなければ、どんな建前を付けたとしてもそれは疵だ。彼女は、癒えたと思っていたのに、また同じ形で、同じ刃を、押し付けられているようなものだと、私は思うのだが。それに彼女は」

「もういいよ」

堪らなくなって俺は停めた。ヴィンセントもある程度俺に遮られることを期待して言葉を繋げていたようだ。俺の手のひらが上がると、それ見ろと言わんばかりに微笑んだ。俺が俯いて首を振ると、それが合図になったように立ち上がる。

俺だってね、不安が無い訳じゃないんだ。クラウドとティファ、ユフィの違い、男と女という、本来自然な関係。クラウドなら平気だと、もちろん思う。生まれて一週間目から俺に抱かれ、一ヶ月してからヴィンに抱かれ、互いの体の中隅々まで愛し合っている、そんなクラウドが俺たちよりも彼女たちを選ぶはずはないと、信じてはいる。 しかし、それを拘束出来ない。俺たちから離れるな、離れないで、そんな事を言うのはアンフェアだ。クラウドだって一人の個人だ。クラウドがもし、自らティファ、あるいはユフィのことが好きだというなら、俺は停めようが無い。でも、それはツライ。一番良いのは、クラウドを彼女たちのそばに居させないことだ。一番乱暴な、卑怯なやり方かもしれないが、そうすれば誰も傷付かないじゃないか。

「別に、ユフィたちを襲おうというのではない」

「……どうやってやるつもりなんだ」

 

 

 

 

部屋の入口も外からの窓も、当然鍵がかかっている。俺たちは普通の人間じゃないけれど、だからと言ってガラスや襖をマジシャンの様にすり抜けられる訳も無い。大体、ああいうマジックには必ず仕掛けがある、……どういうものかは知らないが。俺たちが行こうとしている部屋に仕掛けは、もちろんない。

だから、俺たちは今こういう状況にあるわけだが。 ……クラウドの為なら……か。

「……狭い」

(黙れ。……バレたら命はないと思え)

妙にリアリティがある。確かに、二回目だから森羅万象を食らわされても文句は言えない。

しかし、だからと言って、こんな風に埃だらけ天井裏を腹這いになって進むというのは、かなり難儀なことなのだ。さっき俺は、クラウドの手ぐらいの大きさがある蜘と目が合って、心臓が二秒間止まった。今は今で、俺の背中の上を、イモリだかヤモリだか知らないが、そういう形をした物がもそもそと這いずり回っている。……ちゃんと下着を着てくればよかった。下手したら浴衣の中に入って来かねない。ひょっとしたらカナヘビかも知れないが、解かったところで今更どうしようもないことだ。

もしも、マテリア「とうめいにんげん」なんていうのがあったなら、こんな苦労しなくても済むのに。「かべぬけ」でもいい……。

っと、埃が口の中に入った。

確か数時間前は、ユフィが温泉沸かしたお陰で、みんなとまた会えてよかったよかった、なんてことを考えていたような気がする。それが、こんな状況になるとは夢にも思わない。

俺の数十センチ前を進むヴィンセントが止まった。

(……着いたのか?)

(ああ。……絶対に物音を立てるなよ)

ヴィンセントはゆっくりと暗闇の中で、うつ伏せのまま骨が軋むほどゆっくりと上体を起こし、手探りで、その場所を探す。やがて気配が止まり、ヴィンセントは慎重に、天井を外す。事前に俺たちの部屋と照らし合せて立てた予想の通り、押し入れの真上に、俺たちはいるようだった。ヴィンセントが指先に光を点す、使われていない敷布団が置いてあるのが見えた。天井板の隙間からゆっくりと布団の上に降りる。幸い、布団が気配を吸収してくれる。 自分の鼓動がやけにうるさく感じられるほどに静かな中に、寝息がする。襖をそろそろと開けて隙間から覗くと、カーテンの隙間から差し込む月明かりに照らされて三つの寝顔を見る事が出来た。 手前から、ティファ、クラウド、ユフィ。 見た限り、掛け布団は三枚あるようだが、敷布団が二枚しかない。 クラウドは、二つの掛布の継ぎ目の所に、つまり、ティファとユフィに完全にサンドイッチされる形で眠っているのだ。しかもご丁寧に女性二人は、中央のクラウドの方を向いて寝ている。嫉妬の炎と言ったら大袈裟だが、かなり気分を悪くした。

俺が隙間からの光景に苛立ちを覚えている後ろで、ヴィンセントが何やらゴソゴソとやっている。俺が振り向き、そのゴソゴソやっている物の正体に気付き俺が正直意識を失いかけても、ヴィンセントはノーリアクションで作業を続行している。

(おい ……あんた何考えてんだよ)

(……でかい声を出すな馬鹿者)

(出したくもなるっ、……あんたそれ、ユフィの着替えじゃないかよ)

そう、ヴィンセントはユフィの一泊分(一応、家のすぐ側に作られた宿とは言え彼女は宿泊をしているわけで)の衣類が入っている風呂敷きを解いて、中味を漁っているのである。

(……別に私はあの娘の穿いている下着に興味があるわけではない。……そんなモノよりも、……あの娘がクラウドに手を出すか、あるいは出したかの裏付けになるような物証を探してるんだ)

(クラウドが無事だって解かったんだからもういいだろ……)

(まだ確実ではない。……ひょっとしたらこの下着の下に、コンドームのパックが入っていないとも限らないだろう)

そう言われればそうか。

なんて気がする訳が無い。

(……阿呆らしい。見ろよ、クラウドの奴、あんなにスヤスヤ寝てる。多少悔しくもあるけど、浴衣も乱れたカンジは無いし……。バレる前に早く帰ろう)

俺が囁くと、ヴィンセントはつまらなそうにユフィの下着やら何やらを元の通りにたたんだ

(……男心というものがお前には無いのか)

(スケベ心をそう呼ぶのなら、クラウドに対してだけしか存在しない)

ヴィンセントは、見た目が二十七歳(いや、実際にはもっと若く見えるが)なのに、中味は六十代、しかし行動がどうにも四十半ば、オヤジ臭い。本人も多少はわざとそう振る舞っている部分があるのだろうが、たまに真剣に変質者的な行動に出ることがあるのは頂けない。

(とにかく、バレるのはやだ。早く戻ろう)

再びあの埃っぽい天井裏を伝って、俺たちは自分の和室へと戻った。

眠れることを想定していなかったわけではないが、何だかんだの遠出が、やはり俺を確実にくたびれさせていたのだろう。風呂場、寝室と、二回の潜伏行動が精神に相当応えたのだ。物音を立てぬように部屋に戻り、敷布団を敷くと、俺とヴィンセントは重なり合うようにして崩れてしまった。

「重い。……とりあえず退け」

「……やだ。早いもん勝ちだ、こういうのは……」

クラウドに触れられない寂しさから、ヴィンセントの浴衣の尻を捲り上げて、触わって我慢する。ちっとも嬉しくない。触られる方も迷惑だろうし、互いにイイコトなんて何もないけど、こうでもしてないと、耐えられそうに無かった。幸い、ヴィンセントも俺の気持ちを汲んでくれたのか、逆らわず、俺に圧し掛かられたままやがて寝息を立て始めた。耳にキスして、俺も目を閉じた。すぐに夢のシッポを掴んだ。

いくつか、割合深い眠りだが、しっかりと見た夢を憶えている。クラウドの夢だ。クラウドが成長して、俺よりも背が高くなって、俺がクラウドに甘えているという夢。クラウドは俺の要望に全て応えてくれ、俺はますますクラウドに甘える。クラウドの背中にしがみ付いて、その匂いを嗅いだまま眠るという、夢。……何のことはない、ハッと目を覚ますと、ヴィンセントの上だったことに気付く。

そしてすぐ目を閉じ、再び夢を見る。今度の夢は悪夢だった。俺は、追いかけられている、追いかけられながら、何かを必死に追いかけている。真っ暗な闇の中で、微かな光に追われ、同時に俺はその微かな光を求めているのだ。 やがて俺は何かに足を取られ、暗闇に転ぶ。置き上がろうとしたところに、悪夢にマウントポジションを取られる。二匹の悪魔が俺の上で笑っている。その笑顔は暗闇で見えなかった。本能的に、心がその悪魔たちの顔にモザイクをかけたのだと思う。悪魔の笑い声は、ユフィとティファの物だった。

目を開けると、さっきまで俺の下にいたはずのヴィンセントが、俺の腹の上に横たわっていた。 汗をびっしょりとかいてしまった。俺はヴィンセントの下から這い出ると、浴衣も下着も全部脱いで、窓際に駆けておいたタオルで身体を拭った。シャワーでも浴びたい気分だったが、この「和室」という構造の客室には、そんな気の効いたものはない。温泉まで行くのも気が進まない、行ったらきっと、さっきのユフィとクラウドの同伴入浴シーンを想起してしまうだろうから。

俺は裸のまま、少し窓を明けて夜気を吸い込んだ。

言いようも無いさびしさ。

クラウドも同じ夜に生きているのに、今バラバラ。

何枚かの壁が、とんでもなく分厚い。

「クラウド……」

改めて自分がクラウドにいかに依存していたか解かる。壁の向こう側で、クラウドはそれでもああやってスヤスヤ眠っていたのだから、クラウドは俺みたいに弱くないらしい。人間は捨てたはずのものに捨てられていると、誰かが言っていた。守っているハズのものに、守られているんだ。

やっぱり、何も解らなくなるまでビールを飲むべきだった。仮に、あとでひどい吐き気に襲われるとしても。

ひやりとした風が、カーテンを押した。俺の顔に絡み付いてきたカーテンを剥がして、外を見る。夜風に音もなく桜の花弁が散って、部屋の中に入ってきた。無意識に俺の視線はそれを追い、部屋の宙を辿り、そして。

「……クラウド?」

俺は夢を見ていた。幽霊の夢を。

のだと思った。だが、暗い中、俺はハッキリと輪郭を掴んだし、それには足もあったし、その顔が、ほんの少しだけど照れたような、不機嫌なような表情を浮かべているのも見て取った。両腕で、浴衣の帯をいじいじと弄っているのが見える。

「……なんで、裸なの」

クラウドは、まずそう言った。

「え……?」

「なんで、そんな真っ裸なのさ。風邪ひいちゃうじゃないか」

怒ったように。

「……早く、着なよ、……ゆかた」

むすーっと。

「……クラウド……、どう、やって?」

「鍵開けっ放しだった。……危ないじゃん。今入ってきたのが、俺じゃなくてどっかの悪い奴だったらどうするんだよ、ザックス、すっぽんぽんのままでやられちゃうんだぞ?」

「……いや、ずっとすっぽんぽんだった訳ではなくて」

むすっとしたままクラウドは俺の隣に来ると、俺の手に爪を立てた。

「っ……何だよ」

「何でもない」

クラウドは少し俯いたあと、口を開いた。

「……お風呂、入りたい」

「うん?」

「おんせん、行こう」

「え?」

「また入りたい。広いお風呂、入りたい」

俺が浴衣を適当に着て、下着とタオルを用意している間も、クラウドはぶすっとしたままだった。 何でそこまで機嫌が悪いのか俺には解からなかったが、とにかく、ナナキとヴィンセントを起こさないように(ヴィンセントはもうとっくに起きているだろうけれど)しながらさっさと支度をし、そっと部屋を出る。 クラウドは本当に、不機嫌。 構わなかった。クラウドの声が聞ける、クラウドのとなりに居られる。調子に乗って、手を繋いだ、爪を立てられるかなと思ったけれど、意外にすんなり、柔らかな猫の手は俺の手のひらの中に収まった。堪らなく嬉しくて、暗闇の中少年を連れてニヤニヤする。傍から見たらちょっと危険、俺の内面、もっと危険。 嬉しい。踊りだしたいくらいに。だって、もう……、目が潤んで来るほどに。

「……解いて」

「自分で解けるだろ」

「いいのっ、いいから解いてよ」

怒られた。 蝶結びの帯をするっと解く。

「そんなに気に入ったのか? 温泉……」

クラウドは答えなかった。後ろ髪を停めるゴムを外してやると、一人でさっさと行ってしまった。俺も浴衣を脱いで、後を追う。湯煙の中で見失わないように。尻尾付きのお尻が、何だかとても久し振りに見るような気がして来る。

「どうする? ……身体洗うか?」

「汗かいたから裸だったんでしょ? ……洗わなきゃ」

「ああ、そうか」

腰掛けをひとつ持って来る。ピラミット型に盛られた腰掛けと桶をひとつずつ、何の作意も無く取った。そして、改めて、これがさっきユフィの座っていたものではないことを、ちょっとだけ祈った。 一応湯で腰掛けを軽く流し、クラウドを座らせる。こういう古風な旅館に、そこらの薬局で売っているような桃の香りのボディソープというのはいかがなものかという気がしないでもない。手のひらにとって、クラウドの肌に滑らせる。それ自体の芳香が、クラウドの肌に触れると一層際立つような錯覚を憶える。こんな感覚ですら、新鮮だ。微かな興奮が心の中に芽生えた。

「……クラウド、あのさ」

「なに」

「……キスして、いい?」

「…………」

クラウドは意外なほどの素直さでこくんと頷いた。

俺は後ろからクラウドを抱きしめて、肩越しに振り向いた顔に、縋り付くようにキスをした。

ああ、やっとひとつになれた。

大袈裟であることを百も千も承知で言う、このキスだけで、俺は心の底まで、クラウドを感じられたような気がした。やっぱり、お前がいなくちゃ駄目なんだ。

クラウドも、ひょっとしたら寂しかったのかもしれない。石鹸を塗った肌に手のひらを滑らせても、拒まない。くたりと俺に身を委ねて、甘い息を長く吐き出す。やがて身体の中のいくつかが噛み合わなくなり、終いには外れて、完全なる裸になる。 いつもなら、その脱落まで、罵られたり泣かれたりするのだが、今、こんな風に素直に俺の愛撫を受けてくれていることに、やはりクラウドも同じだったのだと、どこか暖かな気持ちになる。五月の夜気に桜が混じる、気温は低いが、熱の自家発電のお陰で、寒くはならない。 首筋に、鎖骨に、肩に、上腕に、丹念に唇を落し、優しく、跡が残らない程度に吸う。焦れたように、クラウドは甘えん坊の声を上げた。

「ねぇ……ザックス」

不機嫌だったのは、恐らく照れくさかったからだ。俺に会いに来た事が、恥ずかしかったのだ。 俺とおんなじで、クラウドも寂しかったんだ。

「……欲しいよ」

 

 

 

 

朝一番で不倶戴天を首筋に突き付けられたら、誰だって悲鳴の一つや二つ上げる。

だが、俺は悲鳴は上げなかった。声を出したら喉にぷつりと傷が出来てしまいそうなほど、刃が喉に押し付けられていたから。辛うじて、呼吸だけはする。はっ、はっ、はっと短く浅い呼吸で耐える。ユフィは無表情で俺を見下ろしている。

「……何でアンタんとこにクラウドがいるのさ」

クラウドは、たった今目を覚ました。俺の腕のなかでううんと声を出して、大きく大きく欠伸をする。目をこしこしと擦って、再び俺の腕に納まって、二度寝をしようという魂胆だ。昨日は夜中にああいうことをしたわけで、寝不足なのも無理はない。

「まーさーか、とは思ったけど、……女の子の部屋忍び込んで、クラウド連れて帰るだけじゃ飽き足らず……」

妙な笑いを浮かべて風呂敷き包みを俺の前に指し示した。

「……ヒトの下着まで漁るとはねぇ……」

「…………!」

俺が固まると、ユフィはまた氷のような表情で。

「言い訳があるんなら聞こうか」

俺はドクドクと暴れまわる心臓をどうにも出来ず、深呼吸、気付けにクラウドの手を握り、目をぎゅっと閉じ、開く。

「……誤解だ」

「何が?」

「……その……、俺はクラウドをお前たちの部屋から連れ出してもいないし、下着漁ってもいないし……。俺にとって不幸な偶然が重なっただけだ」

ユフィはなるほど、と頷いた。

「……なるほどねえ、そりゃあ、大変だったね」

俺ははぁ、と大きく溜め息を吐いた。

「なんて言うと思った? 殺す」

「ま、待ってっ、おねえちゃん、ストップっ」

構えに入ったユフィの前に、ようやく事態を把握して、慌ててクラウドが入り込む。

「……クラウド? ……あぶないから離れて見てな。レディの寝込み襲おうとした奴がどうなるか……」

ギラリ、不倶戴天が妖しく光る。

「見せてあげるから」

「……誰もお前の寝込みなんか襲うもんか」

ぼそっと俺が言うと、一層目つきがキツくなる。

「……もう一遍言ってみる勇気はある?」

「ない」

「ご、誤解だよぅ、俺、……自分でザックスの部屋、行ったんだもん……」

クラウドが泣き声を上げる。ユフィはそれだけで戦意喪失、不倶戴天を下ろす。よく見ると、マテリアが填まっていた、「アルテマ」「Wまほう」「ナイツオブラウンド」……昔俺が「もう要らん」とくれてやった貴重なマテリアだ。この八畳一間でナイツオブラウンドなんて使われたら、俺だけじゃなくてクラウドまでも被害を被ることになっただろうに。後先考えない女だ。

「俺、夜トイレ起きて、一人じゃ出来ないから、ザックスに頼みに来たのぉ」

紅い顔でもじもじと言う。

「何で? ……アタシの事起こしたって、全然構わなかったんだよ?」

クラウドが俺に助け船を求め、視線を向ける。 俺は何と無しに頭の後ろを掻いて、応えた。風呂上がり、クラウドを寝かせる前に、トイレに連れて行ったのは事実だ。クラウドは身体の都合上、一人ではトイレに行けないから。寝かせる前に、「もしユフィになんか言われたら」って、口裏あわせをしておいたのが生

きた。

「……恥ずかしかったんだとさ。お前に、してるところ見られるのが」

「何で? だって、温泉でアタシ、クラウドの下半身思いっきし見てるのに」

クラウドがさらに紅くなる。「かわいい」とまで言われたら、やっぱりね。

「それとこれとはまた、別なのだよ」

ヴィンセントが話しに割り込んできた。……元はと言えばコイツが……。いや、せっかく収まりかけたユフィの怒りの炎に油を注ぐ必要はない。今はうやむやにしてしまおう。

「二十歳を過ぎて、お前も少しは大人になったかと思ったが、まだそのあたりは鈍いのだな。……クラウドの気持ちになって考えて見るといい。あるいは、己の立場に立って考えて見るといい。答えはすぐに出るだろう?」

「…………そっか」

ユフィは心得たように、頷いた。

「そうだったんだ。ゴメンね、クラウド。おねえちゃんが悪かった」

「ううん……、いいよ、別に」

相変わらず紅い顔のまま、クラウドは首を振った。

「……じゃあ、アタシの風呂敷きの件は?」

忘れずにしっかりとイタイトコロを突いて来る。

「そ、それは……」

「お、俺が、その……、俺が、弄っちゃったんだ、自分のと間違えて」

おずおずとクラウドが手を上げる。

「その……。浴衣で寝てて、寒くなっちゃって――そのせいでトイレ行きたくなっちゃったんだけど――、シャツ着ようと思って、押し入れ開けて、風呂敷き開いて……で、気付いたんだ。……寝惚けてた、って」

「……ホントに?」

クラウドが頷く。

「ザックスたちがもしも、おねえちゃんの下着漁ったら、後始末はちゃんとしていくはずだよ。きっと、風呂敷きの包みはちゃんと元通りに戻すと思う。……でも、俺の手だと結べないから」

「……そっか、そーだよね、確かに、風呂敷き、開けっ放しにはしてあったけど、隅を真ん中の方にちゃんと畳んであったし。……アンタらがそんな風にするワケないか」

もちろん、これも嘘。クラウドに嘘つかせるなんて俺は間違いなく地獄行だ。でも、ああよかった、生きて家に帰れるぞ。

「……そっかぁ……。なんだ、ゴメンねザックス。危うく殺すところだった」

「お蔭様で目が覚めたよ」

「朝ご飯出来てるよ。大広間に来て」

まだ心臓は跳ね回っている。喉を通るかどうか、自信はないけれど。

トーストではなく米を炊いたもの、それに梅干し、納豆、海苔、大根の漬物、鯵の開き、卵焼き、大根おろしにネギと里芋の味噌汁。古典的なウータイ風の朝食を食べるのは始めてだ。米、つまりご飯は我が家の食卓にもしばしば登場するが、朝食にわざわざご飯を炊くことはない。それに、夕食はご飯が主食でも、オカズのせいで結局無国籍料理になってしまう。本格的なウータイ料理には、自宅ではなかなかありつけないのだ。トーストにサラダにコーヒーといういつもの朝食に比べると食べ堪えはあるが、どれも味の方は上々。魚の骨を全部抜くのには骨が折れたが、クラウドは盛んに美味しい美味しいと言っていたから構わん。俺は、クラウドの美味しそうな顔を見てるだけでお腹一杯だし、他のみんなも俺とクラウドのこういう様子を見てればお腹一杯だろう。それもどうかとは、思うけど。

「みんなは、どうするんだ? これから」

食後のグリーンティーを啜りながら、俺は訊ねた。 仕事人二人が手を上げた。

「……俺様は、帰んなきゃいけねえんだよな。新しい地形探査衛星飛ばさなきゃなんねぇし」

「ボクですわ。夕方から会議があるから、ゲルニカ弐号で帰ろう思うとるんですが」

俺たちも、家の仕事をこの連休中全くほったらかしにしておく訳には行かないので、今日の午後には帰る予定でいた。ティファとバレットも、酒場を長いこと臨時休業させておく訳にもいかないので、帰ると答えた。

「なんだぁ、あっという間だったねぇ」

ユフィが苦笑いをする。

……あっという間、確かに。でも俺にとっては昨日から今日にかけて、かなり長かったんだけど。

「オイラは……、どうしようかなぁ」

唯一何の束縛もないナナキも少し考えはしたが、一応、聖なる老人ブーゲンハーゲンのことも気になると言うことで、帰ることにした。

「またすぐ来るよ」

ナナキが、励ますように言った。

「ねぇ、これから一年に一回くらい、みんなで時間会わせて、ここに来ることにしない?」

「おお、いいなそれ。……俺は賛成だぜ」

ナナキの提案に、バレットが手を叩く。シドもリーブもうんうんと頷く。

一番忙しい二人が肯定したから、案は可決された。俺たちなんて、海チョコボ借りれば毎週末にだってここに来れるし、反対する理由も無い。悔しいことに、クラウドはユフィが大好きなのだ。本当に、色んな意味でイイお姉ちゃんが出来てよかったね。兄と父はとても辛いのだけれど。

「よし、それじゃあ、昼過ぎにミッドガル組と俺たちに別れて帰ろう。ナナキはどうする?」

「オイラはいいよ。走っても行ける距離だし」

「そうか。……じゃあ……どうしようか、出発は」

「十二時位でいいんじゃねぇか? それまで、入りてえ奴は風呂に入ってきてもいいし、ダチャオ像見たい奴もいるんじゃねえのか? 飛空艇の整備にも時間かかるし」

ごくん、ぬるくなった緑茶の最後の一口を飲み込んで、俺は立ち上がった。

「よし、じゃあ、十二時に入口で集合だ。忘れ物しないようにな」

クラウドはくいくい、と俺の浴衣の袖を引っ張った。

「ねぇ、俺、最後にもう一回、おんせん入ってきたいなぁ」

耳ざとく、ユフィが聞きつけた。

「……ユフィ」

俺が低く押し殺した声で言っても、ユフィは笑顔。

「クラウド、一緒に入る?」

「うん!」

「……覗いたら承知しないからね」

「…………」

また胃の痛い想いをしなきゃいけないのか。

「ザックス、良かったらわたし、見張り役兼ねて一緒に入っててあげてもいいけど?」

ティファが言う。二重に胃が痛くなる。だってティファは、ユフィに比べてさらに身体が女性的(いや勿論女性だから当たり前なんだけど)だから……。一瞬、その部分に目が行ってしまったらしい。久しぶりだし、それでなくとも、魅惑的な身体だし。

 やはり俺はかなり馬鹿な男だろうな。

「……ザックス……、何処見てるのかしら?」

咳払いして、俺は言った。

「……しょうがない。じゃあ、……ユフィがクラウドに妙な手を出さないように、頼んだぞ」

妙な手ってなんだよー、とユフィがむくれる。ティファが「任せておいて」と微笑み、ユフィを宥める。

「あのねぇ、ユフィ。年頃の女の子が昨日みたいに、男の子と二人っきりでお風呂に入るなんて、これからはやめた方がいいと思うわ。……クラウドだって、ちゃんとした男の子なんだから」

「ちゃんとした」という所を強調して諭す。

「年頃の女の子ってねぇ……。アタシだってもう二十四だよ?」

「わたしからしたら、まだまだ子供ね」

そう言って、明るく笑うティファは、実は昨日が二十八歳の誕生日だったのだ。ヴィンセントが停まった年齢を完全に追い越したことになるが、とてもそうは見えない。

昔は誕生日のときに色いろプレゼントを考えたりもしたけれど。

そう言う意味では、今はもう「他人」なんだな。そう解かりつつ、自分の物ではないひとのことを考えて、幸せを祈らずにいられないのはそれはそれで、きっと恵まれたことなんだ。

「くれぐれも、頼んだぞ」

「わかってる。そんな心配しないで。それじゃ、クラウド、ユフィ、行くわよ」

しかしユフィと同じくらい、ティファも不安の種だ。ヴィンセントが昨日の夜妙なコトを言うから。

あの……あのバストを生で見せられたら、クラウドはかなりの確率で鼻血を吹くのではないか。

「仕方が無いさ。……私たちは荷物をまとめに行くとしよう」

ヴィンセントはもう、覗きに行こうなどとは言わなかった。今度こそ、バレたら死が待つのみだとしっかりと自覚していたのだろう。

「……うらやましいの?」

足元でナナキが、苦笑いしながら俺に言う。俺の視線はやっぱり、ユフィとティファに手を繋いでもらって歩くクラウドの後ろ姿に釘付けになっている。

「……羨ましいよ、そりゃ。……ナナキは?」

「オイラは別に、四本足に興味はないからね」

「……そうか。……いや、俺もユフィとティファがウラヤマシイよ。クラウドと風呂に入れるんだもの」

「そう」

ナナキは呆れたように、行ってしまった。俺、何か変な事言っただろうか。

「ザックス、何をボーッとしている。……布団もまだ片付けてないのだぞ」

「あ、ああ……すぐ行くよ」

俺の、クラウドに釘付けになった視線は彼女たちの部屋にクラウドが入っていくまで、正確にはその尻尾の先が隠れて見えなくなるまで、離れなかった。そのせいで、仲居さんと正面衝突してしまったのだった。

「……クラウド=ストライフはカッコよかったのになぁ」

すいませんすいませんと謝るを俺を見てナナキが溜め息交じり、首を振った。

「ザックス=ヴァレンタインはカッコよくないか?」

「……お世辞にもね」

ナナキも、ここ数年でやっぱり少しずつ大人になっているようで、なかなかに偉そうな物言い。まあ、それも何だか嬉しい気がするので構わないけれど。

「じゃあ、改めて宜しくお願いするよ。……俺はザックス=ヴァレンタイン、世界で一番、クラウドが愛しい」

「ああ、そう」

ナナキはしゃがんだ俺の手に、手を乗せた。

「……まぁ、みんなが幸せだったら、やっぱり嬉しいけどね、オイラも。……オイラ、長生きしなきゃだし、元クラウドのザックスや、ヴィンセント、それに猫のクラウドがずっと友達でいてくれることを、心から願うよ」

「……俺もだよ。お前が俺たちよりも長生きしてくれることを祈る。……それに、他のみんなもな」

ナナキの表情が少し曇った。

「……たまーにね。ずっと先のことだって、解かってはいるんだけど、みんながだんだんいなくなっちゃうことを、考えて寂しくなるんだ。オイラだけ、いや、正確にはザックスたちも、だけど、取り残されていくカンジがしちゃってさ」

理性が芽生えていくと言うのはこういう事なのだろう。人間でいうと、十六歳から十八歳のナナキは、徐々にそういったテーマを考える事が出来るようになってきたのだ。

人間の何倍も遅いスピードで年を取るナナキもまた、俺たちと同じ宿命を背負っているのだ。死ねない、永遠であるということの、哀しみを抱えていかなければいけない。俺もかつて、ナナキと同じように、悲しんだ。自分の生命が永続的なものであるということに、堪らない徒労感を感じていた。

「……でも……、俺たちの長い長い道のりの中で、みんなと一緒に過ごせる時間は、すごく重たいんじゃないかなって、思うぜ。……一日一日がすごく、濃い。もしも独りぼっちになっても、記憶を抱えて行けるから、寂しくはない。……それに、この星が、いつでも俺たちの側にいる、星の流れを感じて、忘れなければ、一人になろうったって、なれやしないだろ?」

「……ザックス……」

「それに、お前のじいちゃんがプラネタリウム見せてくれたときのこと、憶えてるよ。星の一部になって、ライフストリームの中を流れて、精神はやがてまた新しい命となって、この星に生まれて来る。……仲間たちの心を、俺たちは生きている限り、またどこかで見付けることが出来るんだ。お前のすぐ側に、また現われるかも知れない。そう考えれば、寂しくなんか、ないだろ? っていうか寧ろ、賑やか過ぎるくらいさ、きっと」

ナナキはしばらく俺の顔を見ていたが、やがて小さく笑った。

「なんだよ」

「いや。さっきの言葉を訂正するよ」

「……さっきの言葉って?」

「ザックス=ヴァレンタインもカッコイイよ。下手したら、クラウド=ストライフよりも、もっと」

「……だといいけどな」

ヴィンセントが呼んでいる声が聞こえる。俺はナナキと並んで、歩き始めた。その間も、女二人の部屋に居るクラウドのことが気になって仕方が無かったから、やっぱりそう、カッコ良くはないのだと思う。

 

 

 

 

十一時五十五分。 それぞれが一泊分の荷物が入った鞄を肩から提げて、入口に集まった。アイドリングの音をさせて、ゲルニカ弐号とハイウインドが離陸の準備を整えている。

「じゃあ、またな」

「ああ。身体に気をつけてな。……ティファのこと、宜しく頼んだぞ」

「おお、任せしときな!」

「……実際はわたしがバレット任されてるようなものだけどね」

ティファがぼそっと言う。彼女たちはまだ恋人でなければ友人でもなく、仕事仲間と言うわけでもない、夫婦と呼ぶのが一番相応しい気がして来るが、本人たちは全く何の意識も無い。お似合いのカップルのような気がしないでもないのだが。そう見たいという俺の願望が混じっていることは否定しない。

「リーブも、仕事し過ぎに気をつけて、たまにはゆっくり休めよ」

さっき、二日酔いの飲み薬を一本ぐーっと飲んでいたリーブの顔色は優れていた。

「ザックスはんも、クラウド君とヴィンセントはんと、仲良うしてな」

「当たり前だよ。……ヴィンセントとはともかく、クラウドとはケンカなんか絶対しないよ」

……こちらこそ、という意味の篭ったヴィンセントの舌打ちがアイドリングの音に紛れて聞こえた。

俺たちの険悪な愛情関係を知ってる回りは、クラウドを含めて笑顔だ。

「モンスターに気を付けて帰れよ」

ナナキは鬣に誇らしげに光るセラフコームを俺に見せた。

「大丈夫だよ。……オイラ、長生きするよ、たくさん」

「……ああ。俺もするよ」

みんなが、また一年の、いささか長い離別を悲しんでいる。俺たちの乗り込んだ列車は、全部の車両が同じ行先という訳ではないのだ。がミッドガル行き、コスモキャニオン行き、ロケット村行き。……そして、一両はここで切離される。

だけど、それぞれポイントで別れた路線はまたいつか合流するのだ。約束がある。

「じゃあ、絶対、みんな絶対、また来てよ!」

ユフィが大きく声を張り上げる。

「特に、クラウド! また一緒にお風呂入ろうね」

「ユフィ、その時はわたしも一緒に入るんだからね」

「……わ、わかってるよ! ……とにかく、また来てね、クラウド!」

「うん!!」

肉球と手のひらをあわせて、姉弟のしるし。

「……微笑ましいことだ」

ヴィンセントが苦笑する。だが、暖かく甘い苦さが多分に含まれた笑みで。

「それじゃあ……」

「乗るか」

寂しさがこみ上げて形になってしまう前に、この場はさっさと別れよう。今生の別れって訳じゃないんだから。

「バイバイ! それじゃまた!」

手を振って、そう言えば、すぐにまた会える気がする。

 

 

 

 

五月五日、ゴールデンウィークの最終日である。我が家はもう、普通の日曜日と同じ状況。午前中のうちに部屋中の掃除をし、車を洗い、洗濯をし、昼過ぎからはクラウドの宿題を三人一緒にやる。昨日まで

の疲れがほんのりと出て来る頃時計を見ると三時で、タイガースの試合を点けると、二対〇で勝っている。相手バッターがショートへの痛烈なゴロを放ち、クラウドの大好きな吉田剛がそれを軽快に裁く。クラウドが歓声を上げた。だから俺たちも手を叩いた。

「二十九年間生きてきて」

試合は結局、四対二でタイガースが勝った。晩飯の支度をするヴィンセントと、既に食卓に座ってご飯を楽しみにしているクラウドを見比べて、俺は満たされた気分だった。

「一番いいゴールデンウィークだったなぁ」

そう、トータルで見れば、この時点では確かに、二十九年間でベストだったと言える。

日付が黒く変わった瞬間に、それは或る程度の甘さを含んだ思い出に変わるはずだった。

 


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