亀裂の末端

 どの家庭も「うちのカレーは美味しい」と自慢するように、うちも自慢する。

 我が家におけるカレーは、ヴィンセントと俺との共同作業の賜物である。普段あまり心も相性も合っていないような俺たちで、それでも何とか、お互いの寛容さによって上手くやっているわけだけど、ことカレーを作るとなると俺たちの息は合いすぎるくらいに合っている。ヴィンセントが細心の注意を払って、かなりの量のタマネギを飴色に炒め、俺はずらり並んだスパイスを絶妙なフィーリングで配合して味を作る。他の料理の味は濃すぎたりぼけてたり、お世辞にも巧みとはいえないのだけど、なぜかスパイスだけは俺、得意なんだ。同じ味は二度と出来ない、だけど、例外なく美味しい味付けになる。然る後、ゆったりまったりと煮込む。スープのベースは企業秘密、勿論化学系調味料など使っていない。タマネギ以外の具材は、すりおろしたにんじんをこれも甘く炒めたもの、それからジャガイモ、これは予め細かく刻んでおき、煮込む過程で溶かしてしまう。夏場にはナスやピーマンや生のトマト、秋にはキノコなんかを入れるけれど、それも刻んでしまう。キノコなのかなんなのか判らない、ご飯粒かもしれない、だけど、これがいいんだ。刻むという点を除けば、ごくごく普通だろ? 肉は牛でも鶏でも豚でもいいし、羊でもいいと思う。ただ、それも出来るだけ柔らかい部分を、小さく切って使う。いわゆる「欧風カレー」の絵として浮かぶ、ごろっとしたにんじんやジャガイモが入っているのとは、大分違う。一瞬見た感じではサラサラの、何も入っていないカレールーのように見える、が、その実は濃厚でいて素材の旨味がぎっしり詰まった芳醇なカレーである。そして仕上げに、ほんの少量だけど、インスタントコーヒーをお湯でちょっぴり溶いたものを入れる。これがしっかりとさっぱりとした味に仕上げるコツだと思い込んでいる。

 そこらのカレー専門店並の味にはなっていると思う。けれど、これだけの手間がかかるものだから、一ヶ月に一回くらいしか作らない。クラウドは部屋にカレーの匂いが漂うと、嬉しそうな顔をする。

 そんなカレーだから、客人に食わせるのも勿体無いのだが。

「ふむ、ふむふむ、これは旨いのう、いやはや」

 とカイナッツォは遠慮なく三杯お代わりした。……寸胴一杯あるから、まあ、いいけどさ、……なまぐさ坊主め。

「飯食うのはいいけどな」

 腹を膨らませて、だけど多分この後動かなきゃいけない用事があるから、八分くらいで留めておいた。

「亡霊の降りてくる場所は判ったのか」

 食後にコーヒーまで飲んで、そしてコーヒーを飲みながらまた水をがぶ飲みして、カイナッツォはうむと頷いた。

「いや、実は一時間ほど前に掴めておったんじゃ。ただ、旨そうな匂いがしとったからのう」

「……。まあ、どうせ俺たちも飯食ってからじゃないと出られないからいいけどな。で? どこなんだ、ココから近いのか?」

「ふむ、まあ、近いといえば近いかの。コスモキャニオンに降りてくるはずじゃ」

「コスモキャニオン。……ナナキのところへ?」

「あそこには元々ギ族の亡霊が救っておろうが。あれらがこのところ頻繁に降りてくる亡霊の気配に反応しておるのじゃな、自分らの生息環境を危うくしたお主らやあの村の者らへの報復の好機と思ったに違いないの。……あと一時間ほどで降りてくるはずじゃ」

「一時間!? ここから一時間でどうやって……」

 カイナッツォは顔を顰めた俺に、得意顔で、

「ヴィンセント=ヴァレンタインよ。お主の身体がどのようなものか、儂はちゃあんと知っておるぞ、我が主カオスをその身体へと召喚することのできる唯一の者よ。……我らを乗せてコスモキャニオンまで運ぶことなぞ、軽いはずよな。……まあ、あの村にはお主らの仲間もおるで、断るまい?」

 頷くほか無い。ナナキだって強いけど、でも相手は亡霊だ、俺たちだって正直まだ、亡霊が何をするか判っているわけではない。万全を期すべきことは、判っている。

 ヴィンセントは苦しげに息を吐くと、とりあえず食べ終わった皿を洗い終えてから、ヴィンセントは金庫から短銃を取り出す。それを見て、俺も同じ金庫に入れたマテリアをいくつかピックアップして、それから天の叢雲を外の物置から持ってくる。全回は吉行だった。今回も、軽い日本刀の方が、得体の知れない相手には適していると思ったからだ。

 で、……クラウドは、いつのまにか金庫から取り出したらしい、「アルテマ」のマテリアを、バングルに填めこんで、いっちょまえに戦闘体勢を整えている。

「……クラウドはお留守番だよ。またメルとダートを呼ぶから」

「うにゃう! 俺だって戦えるもん」

「……けどなあ。明日だって学校だろ? 遅くなっちゃうかもしれないんだぞ」

「……うー……」

「良いではないか」

 人の家庭のことに口出しするカイナッツォは、飄々と笑っている。

「我々がこの少年に力を与えた理由は、もう説明するまでも無かろう、お主らの守る対象を消すためじゃ。共に肩を並べ戦う対象として存在すれば、……それも、明らかに強い者として存在すれば、戦場に連れ出すことも躊躇いは無いはずじゃ」

「あんたはそう言うかもしれない、魔界はそう思ってるのかもしれない、カオスはな。でも、俺たちはクラウドに戦わせたくないんだ」

「でも俺戦うもん」

「……戦いはお前の思ってるようなもんじゃない」

 クラウドに言って、……更に、やめとこうかなとも思ったけど、

「調子に乗るな」

 と俺は言った。クラウドは明らかに怯んだ。

「ちょっと力を手に入れた、ちょっと誰かの役に立った、だから俺は強い、なんて考えるのは傲慢な人間のやることだ。お前はそんな人間じゃない。それに、戦わないで解決できることはこの世界にたくさんある。俺たちは戦わないで解決できない、ごくごく僅かな、本当に少しのことを、嫌々やるんだ、悪いことをするんだ。悪いことなんてしないで生きていくことは十分に可能なはずなのにな。俺たちは、俺たちの大切な弟に、子供に、そういう事はさせられない」

 クラウドは、ううと俯いて、退きかける、俺はそれで踵を返して、地脈の森に二人を呼びにいこうと。

「勝手な真似はさせんぞ」

 それを、カイナッツォが止めたのだ。

「……なんだと?」

「勝手な真似はさせんとゆったのじゃ。……その少年は我らにとっては、お主らと、儂ら四天王、そして四天王に仕える幹部らと同様に貴重な戦力となりうるだけの素質を持っておる。それを見越してカオスはその子に力を与えたのじゃ。それをお主らの利己で封じさせる訳にはいかん」

「どっちが勝手だ。人の家の事情に口を出すな。クラウドは俺の弟でありヴィンセントの息子だ。俺たちが決めるんだ」

「ふむ、正論じゃがな……、しかし、残念ながらお主らに選択の余地は無いのじゃよ」

 独善的口調でカイナッツォは言い放った。

 魔界の連中は、いつだって勝手だ。スカルミリョーネには申し訳ないけど、俺は反感以上のもの、多少の憎悪すら、感じていた。

「ふざけるなよ」

「……ザックス」

 ヴィンセントが制止する、どうせ止められるのはわかってる、俺は言える限りのことを言ってしまいたかった。

「魔界だろうが亡霊だろうがカオスだろうが四天王だろうが俺たちの自由を迫害する権利は誰にだってないましてやクラウドを危険な目にあわせる権利なんてもっとない俺たちは俺たちの守りたいものを守るんだボランティアで手伝ってやってるんだなのになんだその態度は勘違いするな」

 以上の半分くらいのことまで言って、ヴィンセントが俺の口に手を当てた、そして、額にキスをする、身体がぼうっと熱い。

「……落ち着け。何を言っても無駄だ」

「だけど……!」

「いい。……クラウドを守れ。何があっても、クラウドを危険には晒さない。それが私たちの命題だ。今、クラウドを危うくするのは……、亡霊ではない、……魔界なんだ。だが魔界の意図にはどう足掻いたところで逆らえん。だから……、お前が魔界の及ぼす危険から、クラウドを守れ。いいな」

 そう言われて、俺はつばを飲み込んで、一旦その音を聞けるだけの余裕があるかどうかを確認して、頷いた。

 そして、ヴィンセントはクラウドに言い放つ。

「ザックスの言った通りだ。……あまり調子に乗るんじゃない。お前はまだ子供だ、ザックスの十分の一も生きていない子供なんだ。その事を弁えろ……傲慢に、なるんじゃない」

「話はついたかの? ……最も、その子は十分にやる気満々のようじゃな。……逆にお主らがその子に守られる羽目にならんようにな」

 現在時刻は七時半、一時間後、八時半にコスモキャニオンへ、ギ族の怨念に駆られた亡霊たちが地獄から降臨する。どういった連中なのかはわからない、俺たちは亡霊って言えば、具体的な形ではコルネオとヴァラージとラプスと、あと一種類しか知らない。どれも、十分すぎるほど手ごわい連中だ。

 十一時には遅くとも帰って来たい。お風呂に入って明日の支度をして……、明日も学校があるんだから。

 

 

 

 

 先日、スカルミリョーネとカオスに騙されて戦った「魔界製の亡霊」たちは、空から流星のように霊魂が降り立ち、降り注いだ地からずもももと生まれ出でた虫たちだった。しかし今回の亡霊がどういった具合に現れるかは、判らない。俺たちが野球をしに行った先で戦った亡霊というのは単体で、それはいわゆる「地縛霊」的存在、それでいて、俺らの友だちに憑依して、暴走するときにその友だちの身体からびゅんと飛び出してきた。その前、コルネオの時は、あいつらどこか海のほうからやってきていた。

 では、今回はどういった登場シーンを拝めるのだろうか。……あまり突拍子も無いことはやめて頂きたい、何せ、いよいよクラウドを戦列に加えなければならない俺たちだからだ。クラウドに気を使いながらだから、オーソドックスに出てきていただきたい。何がどう、オーソドックスかどうかはこの場合よく判らないのだけど。

「あれ? ザックスにヴィンセントにクラウド、どうしたの?」

 ナナキが物見高く、やって来た俺たちを見つけてやって来た。

「……ああ」

「こんな遅くに。来るなら連絡してくれればいいのに」

「……遊びに来るんだったらそりゃ、連絡はするさ」

 俺が剣を、ヴィンセントが銃を、そしてナナキは知らぬなまぐさ坊主と、やたら意気の高いクラウドを、見てナナキはさすが野性の嗅覚、「そうじゃない」ことを感じ取る。片方だけの目を顰めて、

「何か悪いことがあったんだね」

 と言う。

「察しがいいの、物言う赤き獣、我ら魔族の遠き末裔よ」

 カイナッツォはずっと微笑を絶やさないでいる。ずっと、ずっと、水を与えてからずっとだ。この飄々とした薄っぺらな笑顔が、段々不気味に思えてきている俺たちである。

「……あなたは?」

「儂はカイナッツォ、カオスの懐刀魔界四天王の一人じゃ」

「……魔界……四天王……?」

 ヴィンセントがふうと溜め息を吐く。

「詳しいことは後で話す。……すまないがナナキ、ちょっと厄介な事態になっているのだ、郷の人たちを安全な場所へ誘導してやってくれないか」

 ナナキはぶるりと尻尾を振るわせる。

 そして、潜めた口調で、

「……ここで戦うの?」

「そうだよ」

 クラウドが答える。一丁前の戦士の口調だ。

「俺たちが守るんだ」

「いい、クラウドは黙ってろ」

 俺がクラウドをぐいと隣りに引き寄せて、ヴィンセントに任せる。クラウドは俺のことをぐーっと見上げて、明らかに不満そうなオーラを発するけれど、ここであまりクラウドに妙な自信や誇りを身につけてもらいたくはない。今後の俺たちの幸福のためにも、権勢症候群は未然に防いでおくべきだ。

 俺がクラウドからの険悪な視線を耐え忍んでいる間、ヴィンセントは手短に的確に今の状況をかつての仲間に伝える。俺たちが魔界のお手伝いとして戦う羽目になっていること、間もなくここへ地獄の亡霊がやってくること、連中の正体がわからない以上、何が起こるか判らないということ、そして、……クラウドが変身するようになったことも。ナナキは最後の件で一瞬目を丸く見開いたけれど、すぐ真剣な顔つきに戻って、

「わかった、オイラに任せてよ。……でも……、ヴィンセントたちだけで大丈夫なのかい? オイラも……」

 手伝おうか、と言いかけたところを、塞いだのはまたもカイナッツォだ。

「それには及ばんよ。儂らだけで十分じゃ。……それにのう、お主のような猛者が加わってはあまり楽に行き過ぎる。この者らに亡霊の歯ごたえを十分に感じ取ってもらいたいからのう」

 俺は内心舌打ちをして、

「郷の人たちを守ってくれ。その役目は俺たちよりお前の方が適してるはずだから」

 言いながら、俺はクラウドの耳を撫でている。

 ナナキはなお何か言いかけて、そして頷いた。

「わかったよ。……でも、気をつけて。相手がどんなだかわからないんだろ? ユフィに聞いたけど、あのコルネオと戦った時だって大変だったなら、……油断だけはしないで」

「ああ、ありがとう。……お前のほうも、頼んだぞ」

 ナナキはすたん、すたんと段を駆け上り、大きな吠え声を上げた。村の、事実上精神的支柱となったこの赤き獣のただならぬ声に、村人たちがなんだなんだと外へ出てくる。一番目立つ足場に立ったナナキは、お腹から声を張り上げて、

「みんな、理由は聞かないで、オイラについてきて!」

 岩場から降りてきて、村人全員が揃ったのを見て、俺たちにちらりと視線をくれてから、引率して歩き出す。立派な雄、立派なリーダー、風格がある。

「大きくなったな」

 子供であることは、まだまだ当分続くだろうけれど、ヴィンセントの感心したような言葉が俺にはしっくりきた。

 さて、亡霊である。時計は現在、八時二十分を少しだけ回ったところ。カイナッツォの言った予定時刻は目前に迫ってくる。行儀の悪い話だけど、俺はトイレに行って、ついでにクラウドにも行かせて、水を飲んで、カイナッツォはもっともっと水を飲んで、それから手近な岩くれに腰掛けて、村の全景を見回した。狭苦しい谷に作られたこの集落だから、俺たちの戦える場所は当然の如く、限られてくる。

 俺たちのいる、言うなればこのフロアが、一番広い。ただし、中央にはあの大きな焚き火「コスモキャンドル」がぱちぱち爆ぜている。さすがにあそこに突っ込んでは俺たちでも火傷をするし、熱いし痛い、ひりひりする。

 このフロアから、階段で降りると荒地、ここはもう村の外で、普通の魔物たちが徘徊している。また、このフロアから階段を二つのぼり、洞窟式住居を抜けたところにも、足場はある、が、そこはあまり広いとはいえない。だから、出来るだけこのフロアの、手近なところだけでどうにか片付けてしまいたいところだ。……最もそれは、亡霊の数が少なかったらの話で。大量の数が出てくるようなら、その時はやっぱり散らばって戦うのが得策となる。追い詰められては元も子もない。

 それに、出来るだけ、この集落を傷つけたくはない。ある意味「星の原点」である場所だから。

 俺は正直、あまり器用な戦い方の出来る方じゃない。ぶわーって行って、ぶわーってやって。自分のことだけなら楽だ。だけど、クラウドを気にしながらだと、ちょっと辛いものがある。コルネオのときは、常にクラウドを気に掛けながら戦って、かなり負傷をした。クラウドは俺に勇気をくれるけれど、その存在は同時にプレッシャーとなる。これは何度だって繰り返すつもりだが……、俺と同じくらいに強かろうが、クラウドは俺たちにとって、永遠に守るべき存在なのだ。

 ヴィンセントのほうが、クラウドを護衛する役割には適している。

 だが、

「お前が守れ」

「……でも……」

「私は飛ぶ。どこから来るのか判らないのだからな。飛びながら相手を払い除けて、且つクラウドを守るのは私にだって難しい。お前はこの場所で、クラウドを守ることに専念しろ。敵は極力私だけでどうにかするから」

 カイナッツォはまた笑った。

「儂もおるぞ。儂もお主らにしなれては責任問題じゃ」

 どうせ俺たちの存在って魔界にしたら利益損失の話題でしかないんだろうな。

 時計が八時三十分を指した。

 ヴィンセントは、背中に翼を生やして、ふわりと浮き上がった。……力は貸すくせに、こちらの言うことは聞かない、いや、こちらの言うことを聞かない代わりに力を貸すのだろうか、カオスはやっぱり魔王であって、性格は非常に悪い。

 ヴィンセントの身体が中空、高いところにまで辿り付いたのとほぼ同時だった。何もなかったところ、黒い、液体質の染みが生じ、紙の繊維に滲むように、じわじわ広がっていく。

 初めて目にする、亡霊の姿だ。

「……来たのう。ギ族の亡霊の瘴気に誘われた、愚かな彷徨える魂が」

 巨大アメーバのように、塊は分かれ、また分かれ、だがあるところでは融合し、徐々に形を作っていく。それは粘土を前に、どういった形にしようか、無邪気に思案している様にも見える。アイディアを捏ね回して、自由な発想でもって。しかし、段々と構想は固まり、共通した一つの形が空中のあちらこちらへ確かさを孕み、生れ始める。

 中空に何十と散らばったそれは、大男ほどもある、漆黒の……ギ族の亡霊の影だった。手には、明らかな危うさを纏った槍の影も握られている。

「にゃあ!」

 クラウドが一声高く鳴く、その身体が、淡い灰色の光を放ち、その手が、足が、伸びる、……こんな言い方は、あまりに心が狭いだろうか、……クラウドが、俺の知っているクラウドでは、なくなっていく。

 十代前半の見た目から、十六くらいに成長したクラウドは、俺の制止の声も聞かず、果敢に手近に降りてきた一体に飛び掛り、その黒く長い殺傷能力を秘めた爪で思い切り引き裂く。ギ族の影は、それでも確かな質感を持っているらしく、クラウドに大上段から引っかかれた一体は、真っ黒な中に真っ黒い傷口を生じさせ、真っ黒な体液をどぼどぼと零し、それは地面に落ちる間際で、まるで染み付いたインクが消える、フィルムの逆回転を見るような感じで、消えて行く。俺はクラウドから決して目を離さず、手にした剣を大きな軌道で振って、無防備に突撃するクラウドを囲む輪が出来ぬよう、また、出来てもその半径の少しでも大きくなるよう、威嚇も含めて攻撃する。上空ではヴィンセントが、翼撃と左手に生じさせた魔法の刃、そして右手に握ったピースメーカーとで、纏まった数を一度に引き受け、上下左右から襲いくる亡霊たちの数を確実に減らしていく。

 俺はクラウドの後からやって来た一体を右足で思い切り蹴っ飛ばし、左から来た一体を吉行で刺し貫いた。クラウド、やっぱり戦えてない。いや、確かに手当たり次第に、その長い虎の爪で以って、ざしゅ、ざしゅ、ざしゅ、切り裂いていくのだけれど、その視野は俺の心と同じ程に狭い。目で見ているものしか見ていないと言えばいいのか。ヴィンセントや俺のように、例えば潜水艦のソナーのように、何とも言えない放射状のアンテナにひっかかるもの全てを感知することは、出来ていない。……まあ、戦ったことなんてないんだ、当然と言えば当然なのだけど。

 ただ、その素早さ。そしてそれを支える身体能力によって、ギリギリのところで、しかし全てに優っているように見える。もちろんそんなことでは不安は拭えない。俺は後ろと左右からやってくる亡霊を相手にするので手一杯。

 では、カイナッツォは、あの憎たらしい坊主は何をしているのか。

 相変わらず、ボトルの水を左手に握っている。……よく見ると、汚い戦い方をしている、というか、ややグロい。身体の中、彼が言うには「海」の中なのだろうが、そこから水を、あまり想像したくはないルートで召喚して、口から水鉄砲よろしく鋭く吐き出し、その弾丸のような水塊で浮遊するギ族の亡霊の影を撃ち落している。吹き矢だと思えばいいけど、やっぱり、綺麗じゃない。

「うにゃああ、にゃあっ」

 ジャンプして、身体を中心に、投げ出した腕でぐるり、敵陣に突っ込んで、一度に数体を、クラウドは昇天させる。自分の力に妙なプライドを持ち始めているらしい、そして、俺やヴィンセントの「雑音」をその力で持って封じ込めようとしているようだ、その心のシステムは、手に取るように判る。後から俺が、必死の思いで剣を振り回しているのも知らないで。

 上空のヴィンセントが相当数に対処してくれるお陰で、地上の俺たちは大分楽になってきた。「エレベーター」に乗って降りてきた亡霊の数にも、当然限りがあるだろう。

 カイナッツォは亡霊の乗ってきたエレベーターに召喚魔族を便乗させると言っていた。エレベーターを留め置く、とも。そのためにか、彼は戦線から身を引いて何か呪文を唱え始めた。呪文、と言っても……、経文のように聞こえるような代物だ。

大したことないじゃないか。

また三体を屠ったクラウドが、ちらりと唇を綻ばせた。

俺は歯を食いしばって跳躍して、剣で切り、手のひらからファイガの炎を放射した。

上空、十何匹に一度に集られていたヴィンセントが、鋭く翼を広げ、全身から魔界の邪気を発散して、いちどきに全てを切り割く。

……これなら、俺だって、戦える……!

 クラウドが、そう思った。

 俺とヴィンセントは同時にそれを感じ取った。それまで全く隙のなかった体の前に、隙が生じた。それを読んで、ヴィンセントが急降下してくる、クラウドが次に狙いを定めた一体が、クラウドの爪を、掻い潜る、俺は跳躍しながら、剣を突き出す、クラウドの爪が大きく空振りして、それまで崩れなかったバランスが、初めて崩れる、そこに、黒い、黒い、槍が、突き出され、

「……ッ」

 俺は剣から手を離してクラウドの身体をどうにか、引っ張るでも押しやるでも払い除けるでも、どうにかして、ずらそうと思った、槍は、点で攻める武器だ、少しでもずれれば、避けられる、だけど、完全に虚を突かれたクラウドの、崩れる体は、俺の手からどんどん離れていく。

「……クラウド!!」

「動くな!」

 ヴィンセントが怒鳴り、……、

「……ヴィ……!?」

 クラウドと敵の前ではなく、俺とクラウドの間に割り込んだ。

 クラウドの身体が、ビクン、と震える。

 クラウドの懐に飛び込んだ亡霊が、……。

「クラウド!!」

 ぐら、とクラウドの身体が、空中で傾く。

 俺は、全身が炎の塊になった。ヴィンセントを片腕で払い飛ばして、片足で地面を蹴っ飛ばして、突撃する、全身は、燃え上がって。

 それを、後から。

「うにゃああああああ!!」

 クラウドの、腹の底からの声が、冷ました。

「くら……!?」

 喘いだ俺を、三方向から槍が襲う、全身を今度は凍らせて、俺はすんでのところで、身を捩じらせて避ける、布が散った、二体を俺が、残った一体を後からヴィンセントが左手で貫く。クラウドは狂戦士状態で目に付く敵片っ端から切りかかるけれど、もう……、敵はほとんどいない、そして、後から見る限り、その身体は、傷を負ってはいないようだ。

「……馬鹿め」

 俺ではなく、クラウドへ、ヴィンセントは言った。

「痛い目を見ないと判らないか!」

 滅多に怒らぬヴィンセント、ましてや、クラウドに対して本気で怒ったことなど、今まで一度だってないような人が、クラウドに対して、間違いなく怒っている、その目を憤怒に染めている。

 勿論、そこには微塵の憎悪だって含まれてはいないのだけど。

 クラウドの背中目掛けて、ヴィンセントは、痛烈な――当然ながら、本気の何百分の一の威力で――翼撃を放った、それを背中にまともに食らって、跳躍途中だったクラウドは、顔から土の上に転げ落ちた、そこに襲い掛かる残り僅かな亡霊は、続けざまに放たれた、今度は本当に痛烈な翼撃に、真っ二つに切り裂かれる。

「ふむ、もう良いぞ! エレベーターは確保した、召喚魔族も送還した、まもなくエレベーターは地獄へ戻るじゃろう、ご苦労じゃった」

 最後まで残っていた数体が、鬼神の如き強さを誇るヴィンセントを前に、さすがに怯む。そして不意に浮かび上がったかと思うと、中空へ、急激に安定した形を失い、ただの黒いぐにゃぐにゃになり、消えてゆく。……俺たちの目には見えないが、「エレベーター」が作動したのであろう。

「愚かな子供」

 土から、ようやく立ち上がって、……手加減したとは言え、ヴィンセントの翼撃は間違いなく効いたのだろう、クラウドは蹈鞴を踏んで、……ほとんど憎々しげと言っていい目で、ヴィンセントを睨んだ。

「身の程を知れ」

 それだけ言い捨てて、ヴィンセントはぷいと背中を向けて、「あんな子供のことはもう知らん」と、俺に、だけどクラウドの耳にしっかり聞こえるように言って、村の外へ出ていった。

 クラウドはじっとヴィンセントの背中を睨みつけている。俺はおろおろと、クラウドの強い目線と、ヴィンセントの背中とを見比べるほか出来ない。

 そして、魔界なりの成果を、俺たちという手駒を使って得ることが出来たカイナッツォは、満足げに微笑んでいる。

 

 

 

 

 クラウドが、完全に刺し貫かれたと思ったあの瞬間。

 ヴィンセントは俺とクラウドとの間に入って、クラウドに、わざと、亡霊の攻撃を受けさせた……、と言っては語弊があるか。クラウドの胸に多少の衝動を与え、しかし、すんでのところで亡霊を屠ったのだ。俺からは完全に死角となっていたけれど。

あれで判らぬほど、馬鹿だとは思わなかった。……ヴィンセントは後で言っていた。

 クラウドに恐怖心を植え付けたかった。戦いとは怖いものだと言うことを、愚かにも戦いに自ら身を躍らせんとするあの子に、教えてやろうとした、それはヴィンセントの優しさだった。

 ところがクラウドは、止まらなかった。寧ろ、自分が結局のところヴィンセントに守られたということを瞬時に理解するや、逆上したのだ。自分は強いんだ、俺は一人でも戦えるんだ、そう主張するために、一層狂ったように敵に斬りかかった。敵の数が少なかったからいいようなものの、そうでなかったら、俺ではちょっと、カバーしきれないような勢いで。

 だから、ヴィンセントは怒った。怒って、「邪魔だ」と言わんばかりに、あの子を土に押し倒して、痛みを与え、屈辱を与えた。

 クラウドは、ずっとずっと、ヴィンセントの去って行ったほうを睨んでいたが、不意に、その身体を子猫のそれに戻すと、倒されたときにすりむいた膝を抱えて、しくしく泣き出した。十六歳には耐えられる傷でも、十二歳には耐えられないのだろう、血が滲んでいて、俺だって痛くてうううってなるような傷だ、座り込んでしくしく、しくしく、すすり泣く。俺は途方に暮れるのをやめて、クラウドの側に座った。俺としても、クラウドを叱ってやりたい気持ちはある、お前が悪いんだぞ、自業自得なんだぞと。だけど、今俺がそういう態度を取ってしまえば、クラウドは独りぼっちになる、側には魔界の使者がいる、状況は一層悪化するだろう、俺は決して本意ではないけれど、クラウドの側で、泣き止むのを待った。その傷に、治療の魔法をかけてやる。だが、……恐らく血の滲む擦り傷よりも痛むはずの背中には、何もしなかった。してやるべきではないのだと思った。

「ふむ、とりあえずこれで今夜は十分な収穫と言えるのう、お主らに亡霊を見せることも出来た。本当ならばもう少し様子を見て、暴れまわる亡霊の恐ろしさを篤と思い知らせてやりたい所じゃったが、まあこれでよしとしよう」

 打算の溢れた物言いに、俺は、クラウドの涙で寝かけた刺を、また逆さまに起こされたのだ

「ふざけるなよ」

 止める役目のヴィンセントがいないものだから、俺は反射的に、

「お前、帰れよ。今すぐ俺たちの前から消えて亡くなれ」

 と言い放った。

「俺たちはもう魔界には協力しない。それで俺たちに危害を加えるって言うんなら、俺たちは本気でお前たちと戦って、そして勝ってみせる」

「……ふん、愚かなことを言う。お主らは儂らの指示に従って動いておれば良いのだ」

 カイナッツォが、ここで初めて、本当に決定的に攻撃的な傲慢な態度を取った。

「お主らの自由を誰が守っておるのか、判った上で言っておるのか?」

「少なくとも、お前に守られるような自由なら、こっちから願い下げだ」

「ほう、……偉そうに。我が主の意一つで、お主らの命は終りを迎えるということを忘れたか?」

 明らかに、俺のほうが分は悪かろう。

 しかし、どうしたって正しいのは俺だ。傷つくのは俺たちだ。それに耐えなければならないのは、何故だ?

「……カオスに会わせろ」

 俺はうめいた。

「カオスに会わせろ、あの、卑怯者に会わせろ。……お前の言うことが本当かどうか、あの男に確かめてやる。それが駄目なら交渉相手をスカルミリョーネに戻せ。俺はお前が嫌いだ」

 幼稚な理由、と思った。だけれど、スカルミリョーネではなくこの男が伝言役として遣わされたのは、それだけこの男は俺たちを強引に操作出来るだけの能力があると、カオスが判断したからに違いない。

「……儂はそこまでの責任は無いからのう」

「無いなら帰れ。他にも四天王はいるんだろう、……それに、俺たちが協力しなかったらお前たちだって困るんだろう。俺たちを殺すと簡単に言うけど、お前はさっき言ったよな、俺たちの存在が、お前たち四天王同様に重要だと。俺たちにも我儘を言う権利はある。もう一度言うぞ、いいか、カオスに会わせろ、それが駄目ならお前ではなくスカルミリョーネを寄越せ。そうカオスに伝えろ」

 カイナッツォは、初めて顔から笑みを消した。

 そして、……静かな目で俺たちを見据えると、溜め息を一つ吐いて、

「仕方あるまい……、儂らにとってお主らが重要な手駒であることは事実じゃからのう、……まあカオスに伝えるだけは伝えてやろう。ただ、あまり期待はせぬことじゃな」

 そう言って、カイナッツォは、村を出ていった。

 俺はひどく興奮していた。そして、その興奮を鎮めるために、まだしくしく泣き止まないクラウドを抱きしめた。クラウドの涙は、痛みから、ヴィンセントにあんな扱いをされたことへ理由を転じていただろう。俺も泣いてしまいたかった。

「ザックス!」

 たったかたったか、ナナキが階段を駆け上がってくる。

「……亡霊は? もう、終わったの?」

 俺は声を出すのも億劫になって、頷いただけだった。

「そう……、怪我は……、……クラウド!?」

「……平気だ、転んですりむいただけだから。この子が悪いんだ」

「違う!」

 濡れた声で、クラウドが叫んだ。ナナキがビクッと身を強張らせる。

「俺が悪いんじゃない!」

 俺はクラウドが生まれてから、今日このときほど、難しい局面にぶちあたったことはなかった。

「俺は……、おれはっ、何も、悪くなんか……っ」

 しゃくりあげながら、再び涙の発作に負けるクラウドを抱きしめながら、俺は自分の抱いている命が、自分の知らない形へ変わっていくような気がしていた。

 俺が苦しんでいるときには、殊、クラウドのことで苦しんでいるときには、大体俺に原因があって、ごめんねごめんねって、反省して謝れば、何とか許してくれていた、解決出来なかったことは無い、だけど、今回は。

 原因はヴィンセントであり、魔界であり、クラウド自身である。俺は何にも悪くない。けど、俺が一番苦しいんじゃないか。

「俺だって何にも悪くないんだ」

 俺は気付いたときにはそう言っていて、ナナキが俺を見たことで俺はそれに気付いて、首を振った。

「何でもない。……ナナキ、今日、泊めてもらっても構わないか」

「構わないよ、狭いベッドで良いなら」

「うん……、眠れれば、どんな場所でもいい、……疲れた」

 いい夢はどうせ見られない。俺の心は、もう真夜中だった。

 

 

 

 

 夜半過ぎても、ヴィンセントは戻ってこなかった。

 実務的な不安で言えば、明日学校を休むにしても遅刻するにしても、明後日の土曜日、明々後日の日曜日を挟んで月曜日にはまた学校に行かなければならない訳で、その為にはニブルに戻らなければならない。その為には車なり何なり、具体的に言えばヴィンセントの翼が必要で、帰ってこないというのは困る。

 そして、もちろん精神的に、俺は泣いたまま眠りに落ちたクラウドの、向こう向きの頭を見ながら窓際で、途方に暮れ、困惑する。

 あんなに怒ったヴィンセントを見たのは、本当に久しぶりだ。クラウドだって嫌だろうが、俺だって嫌だ。普段あれだけ冷静で優しく心の広い人が、あんな風に感情的になって辛辣な言葉を鋭く吐き付けるのだから、されるほうはたまったものではない。俺はしょっちゅう辛辣な言葉を浴びているけれど、それとも全く質の違う、剥き出しの感情で。

 でもきっと、ヴィンセントのとった態度も、言ったことも、正解だったろう。

 その身には過分な力を与えられた未熟な子供の暴走を、どういった形であれ、止めたのだから。

 しかし、クラウドは傷ついたし、ヴィンセントだってもちろん。そして、無事でいて構わないはずの俺まで傷ついた。ぐったり疲れているのだけれど、心の底が澱んで、憂鬱が消えない。目を閉じると、なんだか嫌なものがたくさん過って寝付けない。

 クラウドがちゃんと深い眠りについているのを確認して、財布を持って部屋を出た。そんな習慣は無い、そんな柄でもない、だけれど、冷たくて甘いお酒を飲みたいような気持ちだった。シンと静まり返った中、年中無休で焚かれる灯火の音と自分の靴音で静けさを感じながら、少しも気は落ち着かない。扉を開いて入った酒場は、もう閉める支度をしていた。

「ええと……、すいません、もう今日はおしまいなんですよ」

 若い主人は申し訳なさそうにぺこりと頭を下げる。だけど、俺は喉の欲するものをどうしても手に入れたくて、

「何でも良いんだ、……そう、紙コップでも何でもいい、外で飲むから、甘いの一杯だけ」

 結局、紙コップに注がれたブランデーベースのカクテル、右手に持って、俺はぼうっと火の側に座った。何て言うカクテルかは聞きそびれてしまった、作ってくれてるところを後から見ていて、オレンジキュラソーが入ったのは見えた、あと、何かわからないけど、一振りしたのも。ヴィンセントなら即座に名前を教えてくれただろう。……今ごろ何処で何をやってるんだろう、あの人のことだから無責任なことはするまい、……が、心配なものは心配だ。

 ゆったりと、アルコールが回って、ようやく気が鎮まって来た。まだ冴える頭で、自分たちの置かれた状況を整理しかけて、やめた。きっと、途方に暮れてしまうだけだ。

 今出来る事は何も無い。交渉相手がスカルミリョーネに戻ることを望む。あの子なら、まだ多少は話が通じると思える。カオスもスカルミリョーネの言うことなら、ひょっとしたら耳を傾けるだろうし。

 だが、俺もヴィンセントも、決して魔界に全面非協力の姿勢を貫こうとは思っていない。

 安全な方法で、俺たちの平和が保障された上でなら、寧ろこの星を守るために、そしてやっぱりカオスやスカルミリョーネのために、頑張ってやろうじゃないかという気はあるのだ。

 ぼうっと身体が熱くなってきた、眠気を感じる。

 ゆっくりと立ち上がって、紙コップを握りつぶして、屑入れに投げて、部屋への道を辿る。ふと、目の前に、頼りなさげな影が、生じた。

「う……?」

 ぱちりと瞬きをして、ああ、と俺は声をあげた。

「スカルミリョーネ」

「……ザックス様……」

「来たのか」

「ザックス様……」

 スカルミリョーネは、よく見たら、泣いているのだった。ほっぺたを濡らして、唇を戦慄かせて、でも、お前が泣くようなことじゃないよ、大丈夫、俺たちなら多分、大丈夫さ。

「……申し訳っ、ございません……っ」

 頭を、彼は深々と下げた。

 

 

 

 

 カイナッツォは魔界に戻って、急遽、スカルミリョーネに指令が下ったのだ。

 カオスとしても俺たちのご機嫌は取らなくてはならない――打算に塗れて――訳だから、カイナッツォを下げてスカルミリョーネを寄越せという俺たちの我儘には従った、が、御自身がいらっしゃるということはやはり、まだしない。俺たちに何を言われるか判ったものではないことくらい、聡明な大魔王は判っているのだろう。

 憎たらしいとは思わないけど……。

 スカルミリョーネの赤い目に赤い炎が映じて、赤い鼻、赤い頬っぺた、俺たちに板挟みで、可哀想な子。この子自身は何にも悪いことしてないのにな。俺だって悪くない、そして……きっと、俺たちの感情を抜きにして語れば、カオスだって悪くは無い。思惑が重なって、利害が一致して、……ただ、ただ。

「……申し訳ございません」

 鼻を啜って、スカルミリョーネは謝る。まだほんの子供、俺たちよりずっと長生きしていると言っても、まだ弱い、まだほんの小さな子供。その子供が、こんな苦しい立場で、いつまでも泣いていられない状況って、やっぱりしんどいよな、……魔界もしんどいんだ。

「カオスの命によって、水のカイナッツォに代わり、再び私が、こちらに派遣されることとなりました。よろしくお願いします」

「……うん」

 身体は泥のように疲れている、血中にアルコールが流れているから、あまり頭は回らない。

 けど、目を覚まさなければならない。

「……俺の出した条件をすんなり呑んですぐ対応したってことは、要するに俺たちもお前たちの出す条件を呑まなきゃいけないってことだな?」

 スカルミリョーネは腫れた目を、じっと俺に向けて、

「左様でございます」

 と、しっかり頷いた。

「……そして、俺たちがそれに応えないとしんどい状況に、お前たちはなってるってこと、だな?」

「……左様でございます」

「うん。……完全に裏目だったね、カオスがカイナッツォを寄越したのは」

「……彼も、悪い男ではないのです。カオスの指令に忠実に行動した結果です。失礼な振る舞いもあったかと思われますが……」

 スカルミリョーネもカイナッツォも同じように、カオスの片腕であるからして、カオスの言ったことには忠実に従わざるを得ないのだ。そして、カオスが決して間違ったことに基づいて俺たちを手駒として用いているとも思わない。が、……スカルミリョーネもカオスも判っているだろう、

「……我々の勝手によって、真っ当な人間であり、偶然以外の何にも拠らず力を得た皆さんにご迷惑をおかけしていることは、心からお詫びを申し上げなければなりません」

 俺たちだって俺たちの勝手が在って、魔界にも魔界の勝手が在る。そしてその二つの勝手が協力して、相対悪的な地獄の勝手をどうにかしようとしている訳だ。プロジェクトの質としては、悪いものじゃないだろうし、俺たちが重要な力を持ってしまっていることはいかんともしがたい事実である。現状では今ひとつ、地獄の悪事には直面していないから微妙な部分は残るけども……、俺は助けられている立場として、やはり魔族の手先として働かなければならない。

「……ヴィンセントが何処に行ったか、知らないよな、お前も……」

「……申し訳ございません」

「あの人も意外と長いからな」

「……長い、ですか」

「俺より頭がいいから、……考え込んでるんだと思うよ。俺は頭悪いからすぐイーってなって、それですっきりしちゃうんだけど、あの人は俺よりもずっと頭がいいから。考え込んでるんだと思う」

「……はあ……」

「うん……。まあ、……俺みたく馬鹿じゃないから無茶な真似しないとは思うけど。……彼の怒る理由は判るよ、多分怒らなきゃいけなかった場面だし。ただ、あの人もクラウドのこと大好きで大好きで、ほんとに大好きでしょうがない気持ちがすごく強くて、傷つけるのは怖くて、でも叱らなきゃいけない立場にいて、……ほとんど初めて本気で怒った、言葉だけではなく、体罰を与えた。それが必要な場面であったとしても、あの人は暴力大嫌いだし、ましてや、クラウドに対してだからな。クラウドが、……言い方に問題はあるかもしれないけど、……手に余っている、持て余している、初めての体験を、強いられているわけだから。……勿論、俺も悩んでる、でも、ヴィンセントはもっと悩んでるはずだ。責任感強いからな」

「……責任の一端は我々に在ります」

「うん、まあ、それは否定できないし、する積りも無いけどな。……ただ、あの人が帰ってきてくれないと、な。……ただ、まあ」

 アルコールはもう抜けた? 俺は瞬きをして、火が妙にちらちらしないことを確認する。

 はあ。

 と吐いた息は澄んでいると思う。

「……どうするつもりだ?」

「はい?」

「どうするつもりなんだ? 俺たちがもし、真剣に考えてなお、やっぱり『魔界の力になんてなりたくない』って結論を出したら」

 スカルミリョーネは言葉に詰まった。

 意地が悪いかな、と多少は思ったけど、でも、そのまま、俺はスカルミリョーネの言葉が滞りなく唇から流れるのを待った。

「……信じておりますから」

 ああ、その言葉が、一番辛いよなあ。

 

 

 

 

 寝たのは結局三時とか四時とか、とにかく遅くだった。目を覚ましたのはもう昼近くて、クラウドは居なかった。俺は重たい頭を何とか持ち上げて、カーテンを開けた。罪深き己を自覚させるほどの青空が見下ろしている。服を着て、……クラウドはどこだろう、ヴィンセントは帰ってきたんだろうか?

 ドアを開けて外に出る。コスモキャニオン集落が、ごく普通の一日を送っている。高いところからぐるり見回してみても、ヴィンセントとクラウドの判りやすい輪郭は見つけることが出来なかった。その代わり、スカルミリョーネが俺を見つけて、近づいてきた。

「おはようございます」

「おそよう。……二人は」

 スカルミリョーネは首を横に振った。

「クラウド様は……、ナナキ様とご一緒にお出掛けになりました。お止め致しましたが……、……ウータイに行かれるそうです。ナナキ様も半ば……」

「ああ、いい。……で、ヴィンセントは戻ってないのか?」

「はい、……私もヴィンセント様の命気を探っているのですが、アンテナに波長はきません。恐らく……、半径百キロにはいないのではないかと」

 何処へ行っちゃったんだかな……。

 どいつもこいつも。と、こんな時間までぐうたら寝ていた俺には、置いていかれたからと言って立てる腹もない。

 腹の中身は、ちなみに言うと空っぽだ。寂しげな音が密かに響いた。

 何か食べよう……、何を食べよう?

「ザックス様? クラウド様は……」

「いいんだ。……俺も、ちょっと判らない。ヴィンセントが判らないのを俺が判るはずない。……ナナキじゃ無理だろうけど、ユフィなら何か良い知恵くれるかもしれない。ヴィンセントは……、大丈夫だ、と思う、思いたい」

 集落洞窟の中、食堂に入る。まだスカルミリョーネは困惑しているようだが、悩んだところで何がどうなる? とりあえず、クラウドとナナキを追いかけよう、でも、空路を使っても何時間かはかかるし、飛空艇の飯は、お世辞にも美味しいとは言えないくせに高い。

 起きて三十分も経たないというのに、……やはり精神疲労は体力を消耗させていたのだろう、メニューを開いて真っ先に飛び込んできたのは、普段なら午前中には絶対食べたくないような、地鶏のカツレツ定食。十一時十二分、こんな中途半端な時間に昼飯を食わされる羽目になったスカルミリョーネは、しかし、「大丈夫です私も丁度お腹が減っていたところですから」と苦しげに優しく微笑み、しかし単品のラーメンのみで上手くかわしたつもり、ところが、ここの飯は量が多かった。空腹の俺でもカツレツの最後の一切れは持て余したし、スカルミリョーネは悲しい格闘を強いられる羽目になった。

「多分、ユフィはクラウドを叱るだろう」

「……私もそう思います」

「味方を欲しがって、クラウドはウータイに行った訳だ。割と判りやすい、素直な子だからな。今まで一番信頼出来てたヴィンセントが自分に不快感を与えた、ヴィンセントがした行為がどんなに正しくても、クラウドにとっては不愉快だ、『味方』だと思ってたのに、裏切られたって気持ちがあるだろう」

「……そうですね」

「だから、絶対的な味方が欲しいところなんだ。ユフィお姉ちゃんなら、俺の一番の味方で居てくれる、悪者のヴィンセントに文句言ってくれる、そう思って行ったに違いない」

 お腹ぱんぱんで苦しげな顔で、スカルミリョーネは頷く。

「でも、ユフィは大人だから……、クラウドを叱る。クラウドには味方が誰も居なくなる」

 ヴィンセントは敵になった、じゃあ、と思って行ったユフィも敵。

「そこに俺が行く。とりあえずクラウドを宥めて、……俺はだから、敵じゃなくて、味方なんだって、あの子に教えてやる。って、……もちろんヴィンセントもユフィも、あの子の味方なんだけどね」

「……よくわかります」

 お代を払って外に出て、煙草を一本吸ってから、どうしてこんなことになっちゃったんだろうなあ、俺は溜め息を吐き出した。


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