多分これから先も一年に一度か二度しか着せることはないだろう。もっとも、成長することはないのだから、余程くたびれない限り二十年くらいは一組でいいわけだが、それでも何とも勿体無いような気がする。
「苦しくないか? 大丈夫だな。……よし、ではこれで留めて……」
生まれて初めて締める「ねくたい」という代物に、クラウドは何とも居心地悪そうな顔をしている。ヴィンセントにタイピンで留めてもらいながら、視線を空中にさ迷わせ、尻尾をゆらゆらと揺らしている。
一応、ブランド物のスーツとズボンだ、上下会わせて五万ギルからの買い物だった。
しかし、だからと言ってその可愛くて長い尻尾を切るという訳にはいかない。慎重に、解れさせないように、尻尾の穴を挟みで開けた時の俺の、何とも複雑な心境は理解してもらえると思う。その穴に尻尾を通して、気を付けの姿勢をさせる。いつもはきゅっと結んだ後髪も解き、櫛で解いた。
首の両サイドから綺麗に金髪が流れている様子が見えるせいで、いつもより少しだけ大人に見える。
鈴を首にかけるのも、いつもはただの紐だけど、今日はリボンだ。ちゃんと、何かに引っ掛かっても首が絞まる前にすぐ切れるように、切れ込みを入れてある。よく似合っている。
「ねー、どこ行くのぉ? ……なんか、動きにくいよ、これ」
ぶちぶちと文句を言うクラウドに、「旅行だよ」と一言言う。
車で野を越え山を越え川を越え(要は車ではなくてバギーだ。改造して浅瀬も進める、……タイニーブロンコがもう駄目になってしまったから)……八時間は間違いなくかかってしまう場所へ、年に一度の「旅行」。クラウドは五月生まれだから、これが初めての「旅行」という事になる。
……遠いところだからシドに飛空艇の手配を頼んだのだが、生憎彼も忙しく俺たちを運ぶ暇はどう抗っても捻出出来なかったそうで、仕方なく、車。途中、行かせようと思えば道端でもどこでもやる場所はあるけれど、一応、ギリギリなのはお互い嫌なので、トイレに連れて行った。
それから俺は酔い止めの薬を飲み、帰りの分をポケットに入れ、好みのカセットを何本か鞄に入れた。
「クラウド、そのカッコでいる時は、あんまり暴れちゃ駄目だぞ。高いスーツなんだから、汚さないようにしてくれよ」
車の横でしゃがみ込んで、タンポポの蕾を弄っていたクラウドに注意しておく。
「ねぇ、旅行って、どこ?」
ヴィンセントが車に弁当を載せて、答えた。
「私たちの友達の住む場所だよ。今日はその友達に、お前を紹介しに行くんだ」
そう、大切な俺たちの友達の場所。紹介するのは何とも気恥ずかしい、その恥ずかしさの質は、「俺たち結婚したんだ」と言いに行くのにも似ているけれど、元々は俺の失敗が原因だから、そんな正々堂々ともしていられない。だからせめて、おめかしさせて、可愛く、カッコ良くさせて行かないと。
俺のために、クラウドのために、そしてその友達のために、だ。
「……忘れ物はないな。薬は?」
「飲んだ」
「よし、では出るか。……ベルトしろ」
「あ、これ頼む」
俺はヴィンセントにカセットを渡した。
ヴィンセントはそれを差し込むと、キーを廻す。
ぶるん、と一つ唸ってから、バギーはゆっくりと動き出した。
「だけどがーんーばれーぬれひよこーごぼおをーささがーきにしーてー」
「……微妙にズレてるぞ、クラウド」
「いいのっ、わざとずらしてハモらせてるのっ」
……ドの音をファで歌ったって、綺麗にハモれないと思うのだけど。
クラウドの突拍子のない歌声が響く中、車は走る。クラウドは、慣れないスーツは気に食わないらしいけど、それでも久々のドライブに心踊っているらしく、歌の合間に「ザックスザックス見て見て見てあれっ、トンビトンビッ」とサギを指差したり、山間の川を見つければ歓声を上げたり、無邪気な、小学校二年生ちなみに四月から三年生の素顔を見せてくれる。可愛いけど、別に感じないぞ、俺はショタコンじゃないもの。十四歳の身体に八歳の器という、その差し引き六歳の差が、クラウドの一番カワイイところでもあるのだし、その部分にだって惚れているという事実は認めるけれど、やっぱり十四歳で、ちゃんと抱けるからいいのだ。なんて言うと、ショタコン以前にヘンタイなのがバレてしまうので言わないけ
れど。俺は「クラウド」が好きなのであって、八歳の子供が好きなのではない。だからジャミルとかその他クラウドの同級生をどうにかしたいという欲求はない。ヴィンセントはあるのかも知れないけど。
俺が遠い目をしてそんな事を考えてるうちにも、車は進む。
草原を時速八十キロで、どんどん進む。
彼女は歓迎してくれるだろうか、この、俺と同じ姿の小さな子供を。
「クラウドって」
彼女は笑った。本当によく笑う子だったと思う。俺は常々、笑顔が綺麗な子が本当に可愛い子だと思っているけど、間違いなく、彼女は可愛い子だった。本当に「にっこり」と笑うのだ。ユフィが「にやり」と笑うのとは違う、全然違う。彼女は上半身裸のまま棒立ちになってしまった俺の身体をちらっと見て、言った。
「太ってるのね、意外と」
「な……」
「あ、違うの、そうじゃなくて……、えーと……、すごい細い印象あったのね。だけど、その、思ったよりガッシリしてるっていうか。やっぱり男の子なんだなー、って」
「…………太ってても痩せてても良いから、早く出てってくれ」
ヒトが着替えている最中に入ってきて、謝りもしないで、太ってるなんて言われて、俺が機嫌を損ねたことを誰も責めやしないだろう。上半身だけだからまぁ、いいけれど……。
男が女の着替えに鉢合わせると、悲鳴と共に色んな物が飛んでくるけれど、女に着替えを見られたからといって男は何の反撃も出来ない。
それどころか、下手に下半身が露になっていたりすると、何故か攻撃を受けてしまう、不公平だ。男の上半身だって、見られて気のいいものじゃない。実際俺はトランクス一枚しか身に付けておらず、その現場に突入してきた彼女は小さく「キャッ」と声を上げた。俺は憮然としてバスローブを締めて、それでも扉のところに突っ立っている彼女に、溜め息交じりに訊ねた。
「……何か用があったんだろ?」
「あ、そうそう、そうなの。ユフィが、マテリア取り替えて欲しいって。……あの子、『あやつる』とか『まどわす』とかの地味なマテリアが嫌だって言ってる。……何かと交換してあげてくれない?」
まぁ、ユフィの言いそうなものだ。
けれど、俺のバタフライエッジに填まってるのだって、元々ユフィが持ってて「何かショボいからヤだ」と押し付けられた『なげる』とか、あるいはほとんど使い道の無い『みやぶる』だったりするわけで。
だから俺に言ったって無駄だよと、我ながら何でか解からないくらい偉そうに答えると、たまたまその晩に同室だった男が銃からマテリアを外して、エアリスに、既に渡していた。
「……あの娘が欲しているのは、『緑色』で、しかも攻撃魔法が出るマテリアの事だろう?」
「そうみたい。……いいの?」
「……別に構わない。……私は銃があれば、それで……」
そんな事を言いながら、彼は自分の、結構高いレベルの『どく』『れいき』を、彼女の持って来たユフィの『あやつる』『まどわす』と交換してしまった。
「そんな勝手に……」
俺が不平の声を上げると、男――ヴィンセント=ヴァレンタインは、碌にこちらを見もせずに言った。
「明日からは私の代りにあの娘を入れれば良い事だろう」
さらりと言われ、まぁそれは確かにとは思ったけれど、何となく、バレットじゃないけれどリーダーを蚊帳の外に置かれて何かをされるというのは不愉快だ。
「……別に私の代りにあの娘が入ったからといって、不都合が生じる訳ではあるまい」
「そりゃそうだけど……」
俺の、なんとも納得の行かない様子を見ていたエアリスが、ユフィ的にニヤリと笑った。
「ふ〜ん……、なるほどねぇ」
俺を見て、ヴィンセントを見て、なるほどなるほどと心得た様に頷く。
「何だよ」
「ふふふ。……ヴィンセント、ユフィにはわたしの『ほのお』を渡しておくから、あなたはこれを使って。……クラウド、あなたの事が気に入ったみたい」
「何言って……」
「わかりやすいんだもの。……クラウド、好きな人をパーティーから外したくないのよね。……ナナキにしてもそうだし? ……たまにはゆっくり休みたいって、愚痴ってたわよ」
ヴィンセント=ヴァレンタインは無表情でマテリアを受け取り、全く何の感情もなさそうに俺を見ると、一言だけ言った。
「……興味無いな」
俺だって……。
「……もういい、解かった。……出てってくれ」
「うん、邪魔はしないわ」
「そういう意味じゃなくて……」
ほんの数分の会話なのに、何だかものすごくくたびれて、俺はベッドに腰掛けた。
何が悲しくて……、こんな根暗な野郎のことを好きにならなきゃいけないんだ。「根暗」がまずイヤだし、「野郎」がトドメになっている。好きになる要素一つもなし。パーティーに入れているのは、コイツの妙な……変身能力とやらが、意外と使えるってことが解かったからだ。ナナキも同じ理由、アイツの、どこで拾ってきたのか知らないけど「セラフコーム」とかいうやつが強いからってだけ。
ちら、とヴィンセント=ヴァレンタインを見る、不気味な紅い瞳と目が合ってしまった、
思わず反らした。
「お前」
ヴィンセント=ヴァレンタインも自分のベッドに腰掛けて、やっぱり碌にこっちを見ずに言った。
「……あの娘が好きなのか?」
「何?」
「……さっき来たあの娘の事が好きなのではないのか?」
どうしてそういう結論に辿り着くのか甚だ疑問だ。他者に興味のなさそうな振りをして、なんでそんな事に興味を持つのか。何十年も寝ていたらしいけど、その間にやはり少し気が触れてしまったのではなかろうか。あの紅いマントもどうかと思うし……、人間、ああはなりたくないな。
「……興味無いね」
俺はとても下らない気分になって、さっさと寝ることに決めた。
「なら良い。……あの娘を好きにならない方が、お前のためだ」
ヴィンセント=ヴァレンタインは髪の毛を留めていた紅い布を外し、顔に降りかかる黒髪を手で掻き上げて言った。
「……何でそんな事を言うんだ?」
掛け布団を捲って、身を屈めて滑り込もうとしたままの体勢で俺は訊ねた。
「……ああいう女はな、男を不幸にする。……そういう顔をしているよ」
無表情なまま、ヴィンセント=ヴァレンタインはボタンを外しつつシャワーを浴びに行った。
俺は首を傾げて、ベッドに入るしかなかった。
そして、のどかな声に回想を中断した。
「………………うにゃ、ああぁ」
口を大きく開けてクラウドが欠伸をしたのだ。
車に乗ってそろそろ三時間が経つ、飽きてきてしまったのだろう。三本目のカセットも終盤に差し掛かって、しかもそれがしっとりとしたバラードだったりするものだから、余計にクラウドが眠くなるのも無理はない。俺もさっきから、色々考え事をする合間に欠伸を繰り返している。
「寝ても構わんぞ、まだ暫くは走るから」
現在午前十時、昼食を食べるにはまだ早すぎるし、休む理由もない。ヴィンセントがちらりとバックミラーを見てクラウドのとろんとした目を見て言った。
彼の言葉からはミントの匂いがした。
「……うにゃ」
こく、と頷いて、クラウドは窓に寄りかかって目を閉じた。寝起きの時なんかもそうだけど、眠くなってくるともう完全猫丸出し。多分、猫言葉で話す方が体力の消耗が少ないからだろう。他にも、ビックリした時とか、何の用意も無い無防備な時も猫がよく出てくることからも容易に想像出来る。
この状態でなら、本物の猫とコミニュケーションが取れるかもしれない。
実際、ガリアンビーストのヴィンセントは獣の言ってることを大体聞き取れると言ってたし、カオスになると悪魔とか地縛霊とかの声も聞けるらしいし。……あんまり聞きたくないけど。
だって「呪ってやる祟ってやる憑りついてやるうぉおおおお」なんて言われてもなぁ。
だったらまだ、飼い主にちっとも懐かない可愛くない猫の、「うちのご主人作るご飯はちっとも美味しくなくて、困ったもんだにゃあ」とか、聞けた方がいい。
いや、でも……、仮に幽霊と会話が出来るなら、それは少し羨ましい、かも。ユフィに聞いた事がある、ウータイには昔「イタコ」っていう、死者と話が出来る能力を持った人たちがいたんだそうで、ご先祖様と話すために世界中からたくさんの人が集まったのだそうだ。俺は別に、ご先祖様と話したいとは思わないけれど、……そう、ザックスやセフィロスやルーファウス、あとツォンにももう一度会ってみたい。
母さんや、俺の顔も知らないまま死んでしまったという父さん、そして……彼女にもう一度会いたいと、思う。多分、クラウドの話しをしたら皆に怒られるとは思うけれど……、
ザックスに、「でもまぁそういう抜けてるところがクラウドのイイトコロだし♪」って、言われたい、セフィロスに「クラウドが望むなら構わない」と、言われたい……。
多分、言ってくれると思うし。
「……ヴィンセント、俺にもガムくれ」
「助手席の鞄の内ポケットに入っているが……。お前は寝ないのか」
「寝ない。……頑張って起きてる」
「別に……起きてなくても良いのだが」
身を乗り出して鞄からミントのガムを取り出し、噛み始めた。
糖衣が砕かれてじゃりじゃりと音を立て、やがて柔らかくなった。鼻で息をする、目にミントの冷たさが通り抜けていくようで、少し頭が冴えた。
俺のその「癖」は、今でも完治したとは言い難いけれど、俺の精神の不安定さは俺だけの問題で済まないのが、困るところだ。
別に俺が一人でおかしくなってるだけなら、誰にも迷惑をかけない、何処か暗いところでじっとしていれば良いだけの話しだ。
だけど、俺の中の何人かのうちの一人は酷く攻撃的で、俺よりももっと不安定で、更に悪いことには誰かを傷付けることを何とも思っちゃいないらしい。俺がその「俺」の存在に気付いたのは、あの時が最初だった。
いや、それまでもその「俺」は幾度と無く表面に現われる時期があったと思う。数え切れないほどたくさんの、魔物たちとの戦いの中でも「俺」は現われては、剣を振るった。俺には到底出来ないようなスピードとパワーで蹴散らして、そして、小さく笑っていた。殺戮を心のうちどこかで快く感じて、そしてまた俺の中に戻った。自覚症状のない、真昼の夢遊病の様な物だ。誰にでもある、淫らとも言える程のナチュラルハイな状況、大抵の場合は興奮時に、誰の元にも訪れるその状態が意志を持って俺を包み込んで、そして身体を支配する、それが「俺」だったのだと、思う。
ゆっくりと半身を起こした時、目が重たかった。全身の関節が痛んだ。汗をびっしょりかいていた。
右手の拳が痛かった、じんじんした。こめかみのあたりが痺れているような気がした。俺は首を振った。
「行かない」
鈍痛を訴える右手に力が入らない。
「俺は行かない。……俺は、また、壊れてしまうかもしれない」
俺は、この右手で彼女を殴ったのだ、間違いなく。自分のしたことなのに、現実味に乏しく、まるで嘘のようだったのは、恐らくあれが、俺ではなくて「俺」の仕業だったからだと思う。とは言え、あの殴った右手に残った嫌味な感触は、その後も忘れられなかった。間違いなく、俺が殴ったのだ。無抵抗の、脆弱な、女の顔を、頭を、殴った。ティファに、バレットに、何を言われても俺は動けなかった。
スプリングの悪いベッドの上に力なく座って、身体が震えるのを停められずにいた。
恐怖と、同じくらいの憤怒が俺を痺れさせていた。どうしようもない脱力感が俺を重力に勝つ力すら奪ったのだ。永遠に立ち上がれないような気さえした。
しかし、次の瞬間俺は立ち上がっていた。ズボンがすれる音を耳にした。そんなつもりなどなかった。
いっそこのまま全てが終わってもいいと自暴自棄になっていた――たかが女を殴ったことくらいで、だ――俺は、次の瞬間に剣を手にし、唇を真一文字に結んで、大股で、自分の眠っていた部屋から飛び出した。
「……行こう」
掠れた声で俺は言った。「俺」は言った。突き動かされるように、タイニーブロンコに飛び乗って、俺は北へと向かった。
その時はわからなかったけれど、クラウドが生まれたばかりの頃の俺は本の虫で、色んな知識、特にジェノバについての知識はかなり積み込まれたと思う。今この世で一番ジェノバに詳しいと自負出来る。何の実用性もない知識だけれど。俺の体の中には、その当時、少なく見積もっても二人人以上の人格が居た。確認出来ている、と言うと妙だが、俺が把握していたのは俺と、もう一人の「俺」だけだったけれど、明らかに他にも何人か居たように思える。ただやはり複数の人格の中で代表格が、どこか乱暴な、セフィロスに黒マテリアを渡しエアリスを殴った、「俺」であることは間違い無かった。
それが即ち俺の中に巣食っていた「ジェノバ」で、セフィロスのラジコンだった訳だ。
セフィロスが星との同化を叶えるという目的を果たすためには、他にも幾つか雑多な仕事をこなす必要があった。その中の一つに、「クラウド=ストライフにセフィロスを憎ませる」というものもあった。
それを果たすために、あの時俺は、ベッドに座ったままではいけなかったのだ。
俺の目の前で、殺人を行う必要があった。俺が決定的にセフィロスを憎む理由が必要だったのだ。
セフィロスの野望のために、エアリスが犠牲になった。そして、俺はその野望を果たすのに、最も重要な役割を成していた訳だ。あのとき、俺の右手を振り上げたのはセフィロスに支配された「俺」だった。
あのとき、俺を立ち上がらせたのも。そしてあのとき、俺に、剣を抜かせたのも。
一部始終を俺に見せる必要があったのだ。彼女の背中に正宗が微かな音とともに滑り込み、一瞬で彼女の命を奪い、セフィロスが剣を抜いた為に支えを喪った身体を俺が抱きとめ、彼女の、暖かな血で俺の手のひらを濡らす必要があったのだ。そう、必要があったのだ。彼女は死ぬ必要があったのだ、
セフィロス、そして、俺のために。
犠牲などという言葉で片付けられる事じゃないと、今でも思う。確かに、彼女の死が、セフィロスを神に近づけた、星に大きな傷を付ける一歩手前の事態まで招いた。彼女の死が俺をセフィロスのために、あそこまで動かしたのだ、「俺」を。
同時に、彼女の死が、俺たちに無形の何かを与えた。彼女の死を無駄にしないために、俺たちは戦った。神羅と、そして、セフィロスと。
ほんの僅かな戦力と、ほんの僅かな時間だったにも関わらず、俺たちは何でか、全てに打ち勝った。彼女の死が無ければ、俺たちは間違いなく負けていた。だがそれでも、俺は彼女の死を、犠牲だと想うことは許されないような気がした。
彼女を殺したのは、誰が何と言おうと俺の過失のせいだ。
確かに、コピーを使い、正宗で彼女の身体を刺し貫くよう差し向けたのはセフィロスかもしれない。しかし、それすらも、俺の責任にある。
一秒先の事も、俺たちは見ることは出来ない。真っ暗な迷路の中を手探りで進むのと同じだ。だから俺たちは慎重になる。 ところが、慎重になっていたハズなのに、俺は気付けば、ある一つの道しか選ばなかった。ある角は右、またある角は左に、手探りで歩いてきた。それは「自分」のつもりで、ところが、巧妙に仕組まれた破滅の道を、俺は自ら進んでいたのだ。気付くチャンスはいくらでもあったハズなのに。
暗闇を照らす光は、確かに、在ったはずなのに。
今も俺の手は濡れているような気がする、彼女の血で。
生きていた彼女を思う事が、今の俺に出来る唯一に等しい贖罪だと思う。
……いい意味で「期待を裏切る」と言うのは、本当に素晴らしいことだと思う。
逆は御免被りたいが、例えば「どうせこの程度だろう」と思っていたものが、「ええっ、こんなに!」って思った時の「してやられた」という、何か肩透かしを食らわされながらも、転んだ土俵にコインが落ちていたというような、めっけもんな幸せ。
最初の印象――「花売り」という職業然り、あの長いスカート然り――からすると、とてもあの性格は。……こういうのを、詐欺だというんだろう。
「きゃ〜、クラウドーっ」
橋の下から声がした。見下ろすと、彼女は手をぶんぶん振っている、笑顔で。
「……返事してあげたら?」
ティファが、何故だか複雑な表情で俺に言った。ナナキ――レッド13はノーリアクションだ。
俺は軽く手を上げて、……義理のように答えたのだった。
ティファが、あんな活発そうに見えて意外と(失礼)繊細であるということは知っていた。共に旅をした三人娘の中では、ティファが一番大人しくて、彼女が一番元気で、そしてユフィは機嫌によって大きく変った(乗り物の中ではティファよりも大人しかった)。元気なのは悪いことじゃない。それは、認めよう。
だけど俺は、自分で責任を取れない元気さは嫌いだ。良くあるだろう、小説やマンガやドラマで出てくる「自立したい」と願う女性。そう願うことは大いに結構、が、そう言う事は自分で責任取れる範囲内でやってくれと思う。大抵、ヒロインが無理をして主人公に迷惑をかけるのだ。出来もしないことやりなさんなと思う。人間には無限の可能性があるというのは間違いじゃないけれど、それは他者を不幸のずんどこに突き落としてまで願いを叶えられるという意味で、実際には一定の範囲があるのだ。……とヴィンセントに言ったら、「お前は女性の気持ちというものを全く理解していないのだな」と言われた。いまだによく解らん。
で、とにかく「わたし頑張る!」と言って迷惑をかける女性は苦手な俺だけど……彼女は違った。「頑張る!」と言ったら本当に頑張って、「もういい」と、こちらが心配になるほどに。
あの見た目からしたら、本当に詐欺だ。
もう大分前の話しで、うろ覚えでしかないけれど、確か、ザックス=カーライルがこんなことを言っていた覚えがある。
「スラムに咲く可憐な花だな、ありゃ」
何かの任務の帰り、六番街で俺への土産を買って帰る途中、花売りの女の子を見たというのだ。
「お前よりひとつかふたつ上かも知れないけど、えらい可愛いコでな。安かったし、ついつい買っちまったんだ」
牛乳パックを胴斬りにした簡易花瓶に十輪もの色とりどりの花が咲いた。
「お、何だよ、もしかして妬いてるのかな……っ痛ッ」
その時話していた「俺よりひとつかふたつ上かも知れないえらい可愛いコ」というのは、ほぼ間違いなく彼女のことだろう。ザックスは、俺と割合好みの似たところがあったから、彼が「可愛い」と感じた彼女に俺も同様の感想を受けるのは納得の行く話。
そして、ザックスを「纏って」いた俺に彼女が惚れていたらしいというのは、要するに俺ではなくてザックスに惚れていたのだということであり、それはやはり納得の行かない話ではある。
「……ゴンガガで言ってたザックスって男」
ある戦闘の後だ。ユフィが気絶して、彼女が意識を取り戻すまで動けない状態にあって、俺は革袋の中身をチェックしながら何となく、俺は切り出した。特に興味があったわけじゃない、断っておくが、本当に。そもそも、その日ヴィンセントではなく、ナナキでもなく、彼女が戦列に加わっていたのは本当に偶然のことだ。ヴィンセントの銃の、俺にはよくわからない部位が破損して、新しい銃を調達するまで彼は戦列を離れざるを得なくなり、ナナキは前足の肉球をひどく擦りむいたとかで数日間歩くのもままならなくなってしまうというアクシデントが重なったせいだ。
俺が好き好んで、ハーレムを形成したわけでは、もちろんない。
それに俺は「彼女が昔好きだった男」というのが気になったんじゃない、「ザックス」という名に、何処か居心地の悪さを感じたのだ。ところが彼女は俺が切り出すと、じーっと俺を見て、プッと吹き出した。
「……何だよ」
「クラウド、妬いてるの?」
「は?」
俺は革袋を手にしたまま間抜け面で彼女を見た。彼女はにこにこ笑って、俺の隣に腰を下ろした。
「んー? だって、わたしが昔好きだった人のことが気になるんでしょ?」
「……そうだな」
間違いはない。確かに、「ザックス」が気になるのだから。とは言え、それは、もう説明するのも面倒だけど、変な意味で、って訳じゃない。
「安心して。もう、ザックスのことは忘れたから」
けろりと言う彼女に、少し意外な気がして俺は言ってやった。
「冷たいんだな」
彼女はふふふ、と笑った。
「正確にはね、忘れたコトにしたの。そりゃ、今もザックスの顔思い出せば、なんか切なくなっちゃうけど。……でも、あんまり昔の恋愛引き摺っちゃうのも可愛気ないでしょ? ……それとも、クラウドはそーゆー、翳のある女の子の方が好き?」
「……そういう話には、興味無い」
俺は革袋の口を閉めて立ち上がると、ユフィの頬をぴしゃぴしゃと叩いた。
「う〜〜〜〜〜ん……」
「出発するぞ」
考えて見ると、彼女と二人きりで話したことなんて、そうそうない。昼間は大体三人行動だったし、彼女と共に戦ったのなんて、その時と古代種の神殿を含めても、数えるほどしかない。だからその分、鮮烈に残っているわけだ、何でもないような遣り取りが。そして、それが今、かけがえの無い記憶だと思える。
最後に二人きりになったのは、……あの夢の中で、だけど、あれを数えなければ、ゴンドラの時だ。タダ乗りした、あのゴンドラ。普通のカップルなら、ああいう雰囲気は、ものすごく美味しい物なのだろう、比類無いほどに。甘い言葉を囁きあって、思いきりナルシストになっても許される空間なのだろう。
ただ生憎、俺と彼女は普通のカップルじゃない、というか、そもそもカップルじゃなかったから、早速、俺はさっきの演劇の事で彼女にケチを付けられた。
悪竜王を倒すために兵士とキスをしたのが気に食わなかったらしい。
「……どうかと思うけどねぇ、あれは」
溜め息交じりに、窓の外の花火を見ながら彼女は言った。今、花火を見ながら、と書いたけど、本当に見ていたかは疑問だ。なぜなら、花火を見るにはあまりにも、遠いところに焦点が合っていたから。
だが、衆目のある前で彼女にキスをするなんて芸当は俺には出来なかった。百回ビンタされても、多分断っただろう。まだ男にキスをする方がマシだ(その頃は、自分がゲイだっていう意識は途絶えてたけど、それでもそう思った。だから兵士が実は女だったと知った時は正直蒼ざめた……。だから、あんなクルクル回って退場などという恥ずかしい事が出来たのだ)。
「まあ……、いいですけどね別に」
彼女は、大きく大きく溜め息を吐いた。
「……キスして欲しかったのか?」
何と無しに俺は訊ねる(こういう所がヴィンセントに「分かってない」と言われる所以なのだろう)と、彼女は一瞬怯んだように顎を引いたが、すぐに気を取り直したように。
「そりゃあね。ロマンチックじゃない、あんな素敵なストーリーのヒロインに抜擢されて、王子様にキスしてもらえるなんて。……まさか、最後で舞台の上にポツンと残されるなんて思ってもみなかったわよ」
なら、一緒にクルクル回って引っ込めばよかったのだ。
「まぁ、いいわ。……いつか機会があったら、今度はちゃんとしてね」
「……機会があったら、な」
俺がそう言うと、ぷつんと音を立てて、会話が途切れた。
「…………」
何か言ったらイケナイのかも知れないと思って、俺は黙った。エアリスが、ゆっくりと唇を開いた。
花火が小さく炸裂して、ゴンドラの中を染めた。
「…………」
そこから先…………、彼女が口を開いてから、ゴンドラが乗り場に着いて止まるまで、俺は彼女の言葉に耳を傾け、そして応えた。俺は多分、……信じられないことだけど、彼女にその瞬間だけ、恋心を抱いていたのだと思う。それまでの彼女とのコミニュケーションは何だったんだと思えるほど、突発的に恋をしたのだと思う。良くある話しだけど、「何でもない」と思っていた子がふと見せた仕種に惚れてしまうという、あれだ。
そんな事あるはずないと思っていたけど、俺はその時、それを味わった。短い間だけ、俺たちはどうやら「普通のカップル」になっていたらしい。
俺たちが交わした会話は、何ともナルシスティックな物で、恥ずかしいから思い出したくないけど、ちゃんと憶えてる。……俺が憶えてる事で、一層憎しみを作りだそうというセフィロスの思惑もあったのだと思うが。
ガタンと揺れて、ゴンドラが止まった。立ち上がった彼女は、もう俺が恋をした彼女ではなくて、普段の彼女に戻っていた。そしてキーストーンを奪ったケットを追いかけてる頃にはもう、そんな思いを抱いていたことなど綺麗さっぱり忘れてしまっていた。
ただ、あの瞬間、彼女のことを好きだったという事実を、残酷なほどに俺は今もまだ憶えている。そうして、ふとしたときに思い出しては、喉に何か刺さるんだ。
車を降りて、風を感じる。風と話は出来ない。話していたね、君は。
オニオンとハムとレタスとチーズ、それをマヨネーズとマスタードとバターを塗った、耳を切り落とさない食パンで挟んである。
「……貧乏性なのか」
「面倒だっただけだよ、うるさいな」
俺とヴィンセントの分は半分に切っただけ、クラウドには食べやすく、四分の一に切った。
耳付きではあるが、味自体はそう馬鹿に出来た物ではないと自分で思っているのだが。
確かに……パンの耳が嫌いという人は多い。あんなものハトの餌にしちまえばいいんだと言う人もいる。だが、それなら、フランスパンなんて食べる時あんた真ん中だけ食うのかよと聞きたくなる。フランスパンなんて耳、というか皮のパリパリしてる部分が美味いんじゃないか。
それでも「食パンとフランスパンの耳は違う!」と言われるかもしれないが……、俺からしたら同じだ。トーストを焼く時だって、例えば八枚切りにした食パンの両端の二枚はいつも俺が食べていた。変わり者扱いされるけれど。俺だけだと思ってたら「あたしンち」のお母さんもそうだって。仲間がいてよかった。
「美味しいか、クラウド」
ん、と頷く。たっぷりの睡眠のおかげで、目はぱっちりと開いている。俺も、ヴィンセントからもらったガムのおかげで睡魔に敗れることはなかった。
「ねー、まだ遠いの?」
食後、ビニールシートの上に寝転がって、クラウドが恨めし気に訊ねた。
「と、聞いているけど、ヴィンセント?」
俺も、あたり一面野原の此処が一体何処かなんて解からない。四時間以上は走ったハズだけど、まだノースコレルエリア北部とアイシクルエリア南部を結ぶ海峡を渡ってはいない。
海峡を渡りさえすれば、あと一時間で着く距離だが。
「……そうだな。思ったよりも時間がかかってしまったからな。……ここからは少し飛ばそう。……あと三十分で着けるよう努力するよ」
海峡を渡るのが結構厄介なのだ。浅瀬と言っても、五メートルからの水深はある訳で、バギーはちょうどジェットスキーみたいな感じで海峡を渡るのだ。シド・ハイウインド以下五人の有能なるエンジニアたちが改造してくれたのだが……、
それが揺れるのだ。言っちゃあ何だが、本当に、シャレにならないくらい揺れるのだ。
どれくらいかと言うと、そう、乗って二分で、俺が吐くくらいに。
そんな訳で、昼食はほとんど食べられなかった俺である。
……そんな困難な海峡を通過するのに、三十分程度で着けるもんか。俺が言うと、ヴィンセントは何でもないかのように、言った。
「……お前が吐こうが何しようが構わんがな、車を汚されるのは困る。それに、クラウドの身体だって心配だ」
ヴィンセントはサンドイッチを包んでいたサランラップを丸めてゴミ袋に入れると、立ち上がった。
「そんなこと言ったって、あの場所に行くにはどうしたって海を渡らなきゃ駄目じゃないか」
「……発想の転換だ」
クラウドを起きさせて、ビニールシートをたたみはじめる。丁寧に、裏側に着いた土を綺麗に払って、折り目正しくたたみ、トランクに入れる。
「海が駄目なら、空を飛べばいい」
海峡の手前で来る前を停めるまで、何を言っているのか全く解からなかった。
「うみだーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーッ」
ダッとばかりに駆け出すクラウド。海なんて、ニブルヘイムの近くにだってあるのに。
まぁ、あそこの海は内海だけど、ここは外海だ、スケールがちょっと違う。
「濡らすからッ、濡らすから行くなッ」
慌てて押さえて、むーっと膨れるクラウドを宥める。
「帰り、な。帰り必ず寄ってくから。その時遊ぼう、な?」
「けちー」
だって、一応、十三歳(サイズは大体……十二歳くらいか)のスーツにしては、ちょっと高すぎるくらい高いスーツなのだ。お兄ちゃんの着てるスーツが吊るしの安い服だったのに。……だから理解してくれ、弟よ。
そう心の中で謝っていると、ヴィンセントがクラウドのズボンを履き替えさせている。
「……なにしてる」
「いいから。これに穿き替えろクラウド。っと、海で遊ぶわけではないぞ、海には帰りにちゃんと寄ってやる」
「にゃうー……」
上はワイシャツ、下は宿に浴衣が無かったらと荷物に含めたパジャマ。
「……なんでー?」
「濡れるかもしれないからな」
「……?」
「ザックス、皺にならないように、これを持っていろ」
ヴィンセントは面倒臭そうにスーツの上を脱ぎ、ネクタイを外し……。
「ちょっと待て、あんた何する気だ」
「知れた事。……時間短縮とクラウドの乗り物酔い防止策を講じるだけだ」
はぁ、と小さく溜め息を吐いて羽根を生やす。
「……あんた、絶対カオスに嫌われてると思うぜ」
あれだけの力を持つ生命体だ、きっと悪魔の世界では一目置かれた存在に違いない。
なのにこんな……、完全に個人的な事に使われて。
とんでもない奴に憑りついちまったって心境に違いない。
「そんな事は無いと思うぞ、我らの幸せの為に役に立てているのだからな。……クラウド、車に乗れ」
しっかりとシートベルトを締めさせて、俺も締める。
そして、ヴィンセントのスーツとワイシャツをそっと助手席にかけて、ネクタイを、何と呼ぶんだろうな、扉の所にある握り棒に巻き付けた。
「準備はいいか?」
後ろでヴィンセントの声がした。俺は指でOKサインを送った。
……ああ、どうとでもなれ。
「クラウド……、しっかり捕まってろよ……」
クラウドは何が起こるんだろうとわくわくした顔。……恐怖に引き攣った顔に変わらなければいいが。
ヴィンセントが車の後部バンパーに手をかける気配、そしてそれに続いて、
ゆっくりと、……そう、大体スキーのジャンプ台に立ったくらいの傾斜に、車が前のめりになる。
「な、なに、なになに!?」
「……クラウド、口閉じて、歯を食いしばっておけ。……舌を噛まないように」
前のめりがだんだん激しくなったところで、急に車は元の、地面と並行の角度に戻る。
ただ……視界がやけに開けてる、……ちょうど、百八十四センチとヴィンセントの腕の分だけ……高くなっているのだ。
……来る……!
次の瞬間……、ジェットエンジンのかかった飛行機のように、……どれくらいだろう、少なくとも百六十キロくらいは一気に出たと思う、一瞬でそれだけ加速すると、弾むように地面から跳ね上がった。
「うにゃぁぁぁぁぁぁああああああああああ」
クラウドが悲鳴を上げる。……俺も正直、上げたい。涙を流して悲鳴を上げたい。上下左右という感覚が無くなる、雲が……どんどん飛んでいく。
さっき、飛行機という表現をしたけど、……飛行機と根本的に違うのは、水平飛行の時間が一瞬たりとも無いという事だ。俺とクラウドを乗せた「箱」の描くラインは、放物線。
しかも、かなり、イビツな放物線。ちょうどこの後部座席の真下あたりにいるヴィンセントが羽ばたくたびに、グラグラ揺れるのだ。難しい事はよくわからないけど、Gが俺たちの身体を容赦無く押し、座席に縛り付ける。
そして、……物体を上方に投射した時、描く放物線上でのスピードは、放物線の最高点に置いて、一瞬だが確かに、ゼロになる。よく、……そうだな、トムとジェリーとかのアニメーションであるでしょう、崖の上にネズミを追いかけてって、ギリギリまで追いつめる。ヤッとばかりに飛び掛かるネコを、ネズミは小馬鹿にしたように軽くいなす。
すると哀れな猫は崖から足を踏み外し、崖の下にまっ逆さま。ただ、その「まっ逆さま」になる前に、アニメだと、しばしば空中で猫は空中浮遊を見せる。もちろん、誇張表現だが、そこで足をばたつかせたりするわけだ。そして数秒のタイムラグを置いて、ひゅー……ドカン!
もちろん、数秒もあるわけじゃない、ないけれど、凡そ二百キロで一気に上り詰めたあと、加速度を失った車は五十、三十、二十……、どんどんと減速して、物理学上では、最高点において、ゼロになる。……物理学なんて、兵隊やってた頃にほんの一年齧っただけだから難しい事はよくわからないけど、確かそうだ。
で、俺たちを乗せた車……というより箱、物体は、最高点に到達した瞬間、間違いなく一旦停止した。
全ての力から解放されたかのように、ぴたり、と。
「…………」
「…………」
「…………」
「……にゃっ」
意外と長い空白を、クラウドの声が締めくくった。実際、空中に停まっていた時間は本当に何秒もないのだろうが、十キロくらいしか出てないなら、ほとんど停まっているようなものだ。……そこから、だんだんと再び加速は始まるわけで。ゆっくり前につんのめり、箱は落下を始めた。胃がでんぐり返る、口を閉じてないと出てきそうだ。俺は歯を食いしばり、心のどこかで「今、とんでもない顔してるんだろうな」なんて、場違いな事を考えながら、フロントガラスにだんだんと迫ってくる地面に思わず目を閉じた。
「ぶつかる…………ッ」
クラウドの声が掻き消される。
たんっ、と軽い音を立てて、少しの衝撃とともに、箱は着地した。時速八十キロくらいだろうか、ゆっくりゆっくり時間をかけて減速をしていく。
ちょうど電車のように、時速が五キロくらいになってものろのろと未練がましく走り続け、やがて停まった。
そして、最後の最後、大きな衝撃が、どすんと来た。
……ヴィンセントが車を地面に降ろしたのだ。
「……着いた。……生きてる」
「……にゃ〜〜〜」
なぜクラウドのズボンを穿き返させたのか、俺はようやっと理解できた。……なるほどな。クラウドは完全脱力している……。
ヴィンセントはさっさと車に乗り込んで、俺からスーツとシャツを受け取って着はじめた。
「あと十分程で着く。降りる支度をしておけ」
少し乱れた髪の毛を、ミラーを映して櫛で直し、キーを廻す。
…………なんつうお父さんだよ、全く。俺はクラウドの頭をくしゃっと撫でてから、水を含んだそのズボンを脱がせてやりつつ、こんな非日常のしばしば混入する日常に在る幸せを感じる。そうして、こうなるまでのことを、やっぱり考えるのだ。
推論だが、ある程度の確信を持って、思う。
彼女を殴ったあと、ヴィンセントに腹に一撃食らい気を失い見た夢に出てきた彼女は、彼女じゃなかった、あれは、ジェノバが、セフィロスが見せた幻だった。
俺を例の場所に連れ出し、憎しみを植え付ける必要があったからだ。あの幻に起こされて、「俺」に突き動かされ、「俺」に縛られ、セフィロスのコピーが彼女を刺し貫く様を見た。
俺も同様にコピーだったから、あの時、俺は剣を振り上げた。今でも夢に見るくらいだ、あの時、俺が、彼女を、護れていたなら。
誰かが囁く、「だけどね、彼女は犠牲だったんだよ」 その、甘い囁きに俺は縋り付きたい。
縋り付いて泣きじゃくれば、きっとその囁きは俺を責めたりせずに、きっと言うだろう、「君は悪くないよ」
けれど、悪いのは絶対的に俺だった。
俺は自分の愛した人を五人も、自分の過失から殺してしまった。
母さん、ザックス、ルーファウス、セフィロス、そして、彼女。仲間たちは皆俺に言った。「お前は、少なくともセフィロスと彼女は、救ったのだ」と。
だけど信じない。そんな言葉は何の力も持たない。
ヴィンセントが俺に何も言わなかったのが、変えがたい事実を物語っていた。他の誰が、お前のせいじゃないと言ったとしても、それは皆だからそう思えるのだ、俺以外の人間だから、そう思うことができるのだ。
ヴィンセントは理不尽な罪を犯し、誰かのための罰を受けた、今も多分、明るく振る舞いながらも、受け続けているのだと思う。俺は推測しか出来ない、彼じゃないから、彼を救うことも出来ない。
彼自身その事を知っているから、俺に何も言葉をかけなかったのだと思う。この罰は俺が抱えていかなきゃいけない。
彼女が星と一つになってから、毎年彼女の誕生日には、彼女の家に行くのが習慣になっていた。行って、何をするというわけじゃない。
この一年にあった事を報告して、手近なところに腰掛けて、何もしないで半日そこで過ごす。そうしている間は、何となく、彼女が側にいるような気がするのだ。
「彼女と出会ってお前は」
ヴィンセントはいつかのように、そっぽを向いて、俺に訊ねた。「不幸になったと思うか?」
俺は答えなかった。
彼女の家は、遠い。何度通っても遠いと思う。というか、立地的に、行き辛い場所にある。
ボーンビレッジからサンゴ谷へと通じる眠りの森は、ビレッジの住民たちの尽
力によって、一年中目を覚ましていてくれるようになった。昔はルナハープという目覚し時計が必要だったのだが、その苦労もなくなった。
ただ、サンゴ谷へ下る道にはまだハウンドファットやモールダンサーがしつこく生息している。
「……退け」
不機嫌そうにヴィンセントが呟く。
……タークスじゃないんだから、スーツの中に銃を入れるのはやめようよ。
そう言いかけたけど、何気に俺も背中にエモノを背負っていたりするわけで。
クラウドに血を見せるのは避けたくて、俺たちはなるべく打撃は与えないようにそいつらを遣り過ごした。あるものはヴィンセントの銃が脳天を掠め、怖じ気付いて逃げだし、またあるものは俺のバスターソードの真っ芯で捉えられ、百五十メートルほど宙を待った後、落下して気絶した。バックスクリーンへの特大アーチだ。
「……すごーい……」
もうスーツのズボンに穿き替えた後のクラウドはぽんぽんと手を叩く。
そう言えば、クラウドに俺とヴィンセントが実際戦っている姿を見せるのはこれが初めてだった。
戦いと言っても、こんなの遊びみたいなものだ……いや、失礼。正直、もう大空洞に出てくる魔物も俺たちの相手は出来ないだろう。実際、全ての魔物が大空洞から生まれてくるらしいことを突き止めて、俺たち二人は一掃しに行ったのだから。
……ただ、大した事無いと思いつつも、クラウドが感心してくれるのはやっぱり嬉しい。
「もうすぐ着くからな。……手を離すなよ、クラウドは可愛いから、攫われちゃうかも知れないからな」
いや、案外攫われても、魔物たちと仲良しになって帰ってくるかも。事実、ウチのイン&ヤンとかファニーフェイスとかはもう、クラウドにメロメロなのだ。
「見えるだろう、あれがそうだ」
ヴィンセントが指をさした。 カーブを描いた坂道を下る途中から、あの大きな木が見える。あの下が、彼女の家。
音という音を吸い込んで、この遺跡は存在している。
俺やヴィンセントの強さも、この空間の持つ異常なまでの静けさの前では些細なものの様に感じられる。
ここへ来る道にも、北側の洞窟の周辺にも、魔物の群れが生息しているのに――格好の塒(ねぐら)にりそうな建物がいくつもあるのに――、彼らもここには足を踏み入れない。古代種が結界でも張ってあるのかも知れない、この何かを拒むような雰囲気も、それならば頷ける。
妙な緊張感が漂う。クラウドは俺の手を、爪を立てるほどしっかりと握っている。
野性の本能で、この先に何かがあるというのを解かっているのだろう。大丈夫だよと言って、安心させるように一歩歩き出す。別に危険なものが潜んでいるわけではない。
巨大化した銭苔の一種と思われる植物の下部に来ると、俄かに湿度が上がる。水の匂いがする。黒く濡れた木の根や葉を、クラウドがきょろきょろと見回す。
更に進み、きらりと明るい空間に出る。
「……着いたな」
ヴィンセントが目を細めて言った。
静かな泉に、差し込む光、奇妙な形の貝殻。泉の淵に、仲間たちの誰かが供えたらしい花束が置かれていた。もう一ヶ月以上あのままになっているハズなのに、今もその花は輝きを失っていない。
この場の持つ、神秘的な力のために。
「さぁ、クラウド、着いたぞ。……俺たちの、友達の家に」
クラウドはきょとんとした顔で、俺を見上げた。俺は微笑んだ。来るのが一月以上も遅れてしまったことを、まず詫びなければならない。
「ごめんね、……エアリス」
今年は、二月七日には来られなかった。一泊二日で来るにはハードな場所だ、学校を休むわけにはいかなかったのだ。無理をしてでも第二週の週末に来ようかと思ったのだが、生憎その時はクラウドの体調が優れなかった。
「誰かいるの?」
クラウドが訊ねた。
「……いるよ。……見えないけど、確かにそこにいる。……ここ全体が、エアリス=ゲインズブール、俺たちの大切な友達なんだ。……今日はその友達に、お前を会わせる為にに来たんだよ」
紹介するよ、俺は言って、クラウドを一歩前に出した。
「……俺の弟であり、ヴィンセントの息子であり、……俺たちの宝物、恋人、唯一の存在、クラウド=ヴァレンタインだ。……見た目は変わってるけど、すごく優しくて、いい子だよ」
「見た目は変わってる」のところでクラウドが一瞬俺を振り向いたけど、しょうがないかとまた真っ直ぐ前を向く。何処を見たら良いのか解からないような感じだったけど、やがて、前方の泉に視線を落とした。
「……はじめまして、エアリス」
ぎこちない口調でクラウドは言った。
星と語る、古代種のしていた事の真の意味は、俺たちには分からない。ただ、俺は「星と語る」という言葉の中に、今はここにはいない、けれど間違いなくここにいる、エアリスや、ザックスを想う。
こんな風に、語り掛ければ、ひょっとしたらどこかで聴いていてくれるかもしれない。
誰も、こときれた後にどうなるかなんて解からない、だけど、だからこそかも知れないが、俺たちは信じているのだ、意識は流れとなって、まだ生きていると。この、星の中を変わらず巡り続けている、と。
だから、俺たちはエアリスの家に、毎年遊びに来る。一年間あったことを報告するために。
今年は、何よりもクラウドが生まれ、……同時に俺が「ザックス」と名乗るようになったことに尽きる。俺に、本当によく似ているだろう、まぁ、同じ身体だから当たり前だけど。
……この間会ったユフィが随分大人びててビックリしたけど君はどう思った?
アイツ、本当に結婚しないのかな。そう、知ってると思うけど、シドもバレットもティファもナナキもケットも、みんな元気だ。
……君は、どうしてた?
言葉が宙に吸い込まれて、命を失っていく。星の流れの中に絡め取られて、宛先不明の手紙になる。
星の中をたゆとうエアリスの元に、ひょっとしたら届くかもしれないと思う。俺たちの声を耳にして、小さく笑ってくれるかもしれない。溜まっていた言葉を掛け終えて、俺は座った。
クラウドもとなりに座る。ヴィンセントが俺の頭を軽く叩き、クラウドのスーツのズボンの下には何か敷けと、俺のハンカチを出させた。……自分の使えよ。
……エアリス。 こんな、アンバランスな関係の俺たち、どうだろう。カッコ悪いかな。
一瞬でも恋をしていたと言っていいんだろうか。
ゴンドラがまわりはじめて暫くしてから始まり、ゴンドラが停まった瞬間に終わった恋。
閃光のような眩しい一瞬だったと思う。一瞬、俺の記憶の、細く長い線の中で、小さな点でしかないあのゴンドラ半周ちょっとの時間は、短くて儚いから、より強く俺の残っている。甘い感傷に流されそうになるけれど、それは俺でもエアリスでもない、他の誰かの糸によって、疵の様に残されたのだ。
その痛みは永遠に忘れてはいけない。
「……じゃあ、そろそろ行くよ、エアリス」
俺はクラウドを立たせ、尻の下に敷かれていた俺のハンカチを軽くはたいてポケットにしまい、二歩、後ろに下がった。
「クラウド、ご挨拶は?」
「……えーと……」
「……さよなら、でいいんだよ」
「……さ、よなら、エアリス」
いつかクラウドも慣れるだろうし、理解するだろう。こんな風に、記憶を辿ることによって人を甦らせることの意義を。そういう事を理解するには、生まれて一年も経っていないこの子は無理なのだろう。
だがクラウドは続けてこう言った。
「……また、会いに来ます」
「ああ。……エアリス、さようなら。……また来年、遊びに来るよ」
ヴィンセントも軽く頭を下げて、くるりと背を向けた。
「さてと。明日はどうする?」
ボーンビレッジの宿屋で、スーツを脱いでベッドに座り、訊ねた
「うみっ」
クラウドが挙手して叫んだ。
「……解かったよ。……でも、寒いぞ?」
「平気っ、うみっ、海行きたい海っ」
わかったわかったと俺はメモをする。
「あんたは? ……行きたいところとかあるか?」
ヴィンセントは紅茶を入れながら少し考えて、首を振った。
「俺も別に無いんだよな……。でもここまで出てきて、海だけ寄って帰るってのもつまらないよな…………。発掘もあんまり面白くないし……」
「ねぇねぇ、ザックス」
クラウドが再び挙手をした。
「俺ね、あれ、もう一回乗りたいな」
「あれ? ……どれのこと?」
「ヴィンセントの、車持ち上げて飛ぶやつっ、あれ、すっごい面白かった」
俺がげんなりすると、ティーカップを盆に載せてやってきたヴィンセントが微笑んで言った。
「あんな事でよければ、何度でもやってみせてやるぞ。……そうだな、帰りはニブルヘイムまで一気にあれで行くか。一時間もあれば着いてしまうぞ」
失禁してズボンと座席をびたびたにしてくれたのに、またアレを味わいたいというのだろうか。クラウドってマゾヒストなのかもしれない。俺だって反射的に尻の穴をきゅってしてなかったら、パンツを濡らすくらいしてたかもしれない……。
「……そうか、何故最初から気付かなかったのか……。カオスを使えば日帰りで往復出来るではないか」
「……なぜ二つ」
クラウドにカップを渡し、自分もカップを取って、一人ヴィンセントは「エアリスに悪いコトをしてしまったな……」などと言っている。
……盆の上にカップは、ない。
「ああ、済まん。忘れてしまった」
二百パーセント、嘘だ。
「…………」
舌を打って、俺は自分の紅茶を入れに立った。その後ろ頭にヴィンセントの声がかかる。
「ティーバッグが二杯分しかなかった。水で我慢しろ」
「な……、じゃあなんであんたが飲んでるんだよ! ……父親だろ!?」
「父親だ。父親の言うことは聞くものだ」
「こんな時だけ都合の良い……!」
「『父親』を持ち出したのはお前だろうが」
俺たちの口論の下で、クラウドはふうふう言いながら紅茶を啜っている。クラウドに文句を言う訳にもいかず、俺はどうにもやりきれない。結局、二杯分しかティーバッグを置いてないくせに三つあるグラスの最後の一つに水を注いで。
俺はベッドの上に座った。
「……全くもう……」
ぶちぶち言いながら、それでも、澄んでいて美味しい自然の恵みそのままの水を飲んだ。臍まげて、ひとり、窓から彼女の眠る住いへと、繋がる森を眺める。
「あの時、なんで君はあんなことを?」
俺が聞いたら、エアリスは笑って応えた。
「彼、ああ見えて結構、明るい人だと思うの。……なんて言えばいいのかな……、いまの彼は、『抑えてる』っていうか。彼はああいう風に、暗く暗く振る舞うことで、逆に自分を鼓舞してるのだと思うわ」
俺は首を傾げた。
「……まぁいいや。……それで?」
「……ホントのところ、あなたが彼のことそんなに好きじゃないって解かってたの。クラウドはああいうタイプ、苦手なんでしょ?」
「……まぁ、な。暗い奴は苦手だ。……俺もそんな明るい方ではないと思うけど」
「あなたが、彼を苦手だって感じる理由は、あなたたち二人が、全く逆のタイプの人だからだと思うの。似たもの同士って、確かに楽なの、お互いのことが何となく、解かるから。……でも、逆のタイプ同士は、お互いがどんな人間か分からない。極端な話、悪いところしか見えてこないの。……でもね、暫く経つと、変わってくるのよ。良いところが見えてくるようになると」
はぁ、と俺は溜め息を吐いた。
「興味無いね。……まるで俺がアイツに惚れてるみたいなカンジになってきたじゃないか。俺はそういう趣味はない」
あらそう? エアリスは意外そうな顔をした。
「コルネオを騙した時のクラ子ちゃん、随分楽しそうだったから、ひょっとしたらそうなのかなって思ったんだけど〜」
……俺は正直鳥肌が立った。あんなの、いやだ。
いや、「あんなのじゃなければいいのか」とかそういう、下らないコトを言うのはやめてくれ。
俺は本当に、男色の趣味はないんだから。
「それでね。……ザックスがゲイだったって話、したことあったっけ」
「……なんでそんな話を俺が聞かなきゃいけないんだ?」
「まぁまぁ。ちょっと面白いから聞いて? ……ザックスってね、何でも包み隠さずに話す人だったの。そういう点では、クラウドと全く正反対。……クラウド隠し事多いでしょ」
「……続きは?」
「彼、いつも私を見ると走って寄ってきて、一度に十輪以上も買って行ってくれたの。……お母さんにその話をしたら、『是非一度ご馳走したい』って言い出しちゃってね」
「……ザックスって奴が?」
「違うわよ、わたしのお母さんが。……お母さん、料理の腕はプロ並なの。だから、すごくいいアイディアだと思って、わたし、ザックスを誘ったの。うちにご飯食べに来ない? って」
その魅力的な誘いを、ザックスは断ったのだという、丁重に。
「『ごめん、俺、この花、自分の為だけに飾ってるんじゃないんだ』って。……上手いわよね。要は『俺、彼女がいるんだ』って。……で、……まぁ、モテる人だったし、しょうがないかなって……。もちろんすごいショックだったけどね。……でも、ザックスは続けて言ったの。さっきの言葉だけで結構傷付いてる乙女の心に『……俺の彼氏が、君の花が好きなんだ』って」
「……それで?」
「女の子相手ならまだ、諦めはついたのよ。ああ、きっとわたしよりも可愛くてスタイルの良いコなんだろうな、って。ところが、それが男の子だって言うの。何か、腹立っちゃって。……気になるじゃない?わたしより可愛い男の子って、どんなコだろう!」
大袈裟な素振りでエアリスが言った。
「ひょっとして、自分が可愛いって思ってるのか?」
ぼそ、と俺は言った。
エアリスは、もう俺の暴言に慣れたのか、
「クラウドだってそうでしょ、可愛いかカッコ良いかの違い。人間はたまに、ナルシストになる時があるのよ」
と言った。そんなもんだろうか。
「……まぁいい。……それで?」
先を促すと、はぁ、とエアリスは溜め息を吐いて、続ける。
「わたし、ザックスに言ったの。その子に会わせてって」
「大胆なことするんだな」
「その時はそうは考えなかった。そうね、男の人が惚れるくらいの男の人の顔、見てみたいなって。まぁ、好奇心だったのかしら。……当然、ザックスは色々言い訳して断ったわ。……でも、わたしコッソリ後つけて、見つけたの。ザックスが定食屋さんで、もう、わたしの予想を大きく裏切るようなコとご飯食べてるたのを」
彼女の予想とは、……まぁ、あまり麗しくない予想ではあったが、二メートルを越える身の丈の、筋骨隆々とした屈強で色の黒い男だったのだそうだ。
「……バレットじゃないか」
「うーん……、でも、そうね、そんなカンジ。……それだったら、男の人も惚れるんじゃないかなって」
「絶対惚れない」
実際に定食屋でザックスという名の男の隣に座っていたのは、その当時のエアリスよりも更に背の低い、痩せた神羅兵の少年だったそうだ。彼女はそのゲイのカップルがいなくなったあと、顔見知りの店員に聞いたんだそうである。
「あのふたり、よく来るの?ってね。そしたらね、その店員さん、『ああ、あの二人なら、よく来ますね。黒髪の男の方が、金髪の男の子にちょっかい出して。……でも金髪の子も小さいけど、なかなかですよ。グーで殴ってましたもん』」
エアリスはその現場を思い浮かべて、少し笑ってしまったそうだ。
「あの、カッコ良くてクールで、回りの女の子の六割が憧れちゃうような男の人が、あんな小さくて痩せっぽっちなコにグーで殴られてもまだ好きでいるほど、メロメロになっちゃうなんて、可笑しいじゃない」
「……よく解からないな。実際、俺はそのザックスって男がどういう奴か知らないんだ。そんな『カッコ良くてクールで』って言われても、イメージわかないよ」
「だーから、そうねぇ。ヴィンセントがショタコンだったりしたら、笑うでしょ?」
「笑うけど、例えがよく解からない」
「……とにかく。……それでもわたし、諦めなかったのよ。逆に何か、変に強気になっちゃってね。あの子相手なら勝てる!みたいに考えちゃって。で、それからもザックスにはいろいろね、それとなく……」
「それとなく?」
「アタックしたのよ。何通かラブレターも書いたし」
「どんな内容の?」
「……クラウド、あなたそういう風にね、女の子の秘密のコトを詮索するの、やめなさい」
それは失礼。
「まぁ、とにかく、頑張ったわけ、わたし」
エアリスは不意に言葉を切った。 あとの結末は、以前に彼女自身から聞いていた。ザックスは戦場に赴き、行方不明になったまま帰らなかったのだ。
「引き分けか」
「不戦敗よ」
なんとなくしんみりとした空気になってしまった。
「……で、それがどうしたんだ? ……俺に、君が好きだった男がゲイだったなんて話をして、どうしようって言うんだ」
クスッとエアリスは笑った。
「その、ザックスが好きになった子っていうのが、本当にザックスと世界で一番逆に位置するような子だったの。笑っちゃうくらいに。……まぁ、詳しくは知らないからいい加減なこと言っちゃいけないのかもだけど、見た目は少なくともね。で、わたしがもし、自分と正反対の女の人」
「ちょっと待て。……何の話し始めるんだ」
「いいから。……自分と正反対の女の人居たら、まず、好きにはならないと思うの。きっと、ああいう悪いところがあるんだろう、こんなひどいところもあるんだろう、みたいに思っちゃうと思うの。だけど、ザックスとその子は、見た目正反対で、多分中身も正反対なのに、それでいてすごく、仲は良かったみたいのなのね。その理由は多分、ザックスもその子も、自分には無い良いところを見つけられたからだと思うの」
「……だから何だよ」
いい加減少しウンザリしてきて、俺は続きを促した。
「で、そこで彼、ヴィンセントの話に戻るわけ。……あなたと彼は確かに正反対だけど、良いところを見つければ、きっとすごい仲良しになれるだろうな、って」
「下らない」
俺は立ち上がった。
「もったいないのー。二人ともカッコイイのに」
「……意味が分からない」
――空を飛ぶのにもいい加減慣れた。帰りのクラウドはジーンズだが、もう濡らすことはあるまい。ちゃんと約束通りクラウドを海で遊ばせて今に至るわけだが、
隣のクラウドは、少し眠そうだ。
だけど窓に噛り付いて足元を海岸線が流れていくのを眺めている。……俺は胃のあたりを気にしながら、なるべく遠くを見る努力をする。
エアリスと交わした言葉は少ない。少ない中に、本当に色々な意味が篭められていたのだと、今になって分かる。そして彼女は信じられないほど先見の明るい人だった。いや、……ちがう、彼女はある程度、俺を見抜いていたのだ、
だからあそこまでヴィンセントと俺をくっつけようとしていたのだ。定食屋でザックスの隣に座り、彼をグーで殴った神羅兵というのは、間違いなく俺だ。記憶に残っている。ザックスはいっつも焼き肉定食を頼んでいた。
アルコールが入り、ニンニク臭い息で、しかも店のカウンターで、キスをして来るものだから、そう、たしかにグーで殴った。エアリスは、俺がまだ十四のときに既に、俺のことを知っていたのだ。
つまり、俺がゲイであることも知っていたのだ。
そして彼女は、俺が妙な病気を心に抱えていることを知っていたのだと思う。
更に、自分に、限られた時間しか残されていないことも、知っていたのだと思う。彼女は、心配だったのだ。壊れそうな俺のことが。始めは小さな疑問だけで済んでいたことかもしれない、それぞれはかけ離れた個別の事実。俺の精神状態が不安定であることと、セフィロスの存在の関連など、彼女は始め、知る由も無かった。しかし、俺のことを見ていくうちに、理解したのだろう、クラウド=ストライフは、このままだとセフィロスに冒され、壊れてしまうであろうことを。
彼女はクラウド=ストライフを助けたいと思った、救いたいと思った。
しかし、それが叶わぬことであることに彼女は感付いていたのだと思う。
自分ではクラウドを救うことは出来ない、と。 彼女が救えたクラウド=ストライフは、クラウド=ストライフのある一人格でしかない。自分を元ソルジャーだと信じ込んでおり、彼女が好きだったようなザックスの真似をしてクールに振る舞う、クラウド=ストライフの欠片でしかない。……もしも彼女がクラウド=ストライフ本体を救おうとするのであれば、俺の嘘を全て暴かなければならない。
クラウド=ストライフは元ソルジャーなどではない、クラウド=ストライフは、ニブルヘイムの地下実験室の記録の通り、ザックスと共に逃走した、神羅兵に過ぎないのだ……。
優しい彼女にはそれが出来なかった。仮に出来たとしても、彼女はその後バラバラになってしまうであろう俺の心を再び組み立てるだけの時間は、彼女には残されていなかった。セフィロスと俺の心の関係に、決定的なものを感じ始めていたのだ。
だから彼女は、俺が壊れた時、俺を守り、再び俺が元に戻れるよう、サポートをする人間を探した。
……他に守る物がある者は駄目、しかも、男性で。……なるべくなら、ザックスに似た人がいい。
そうして、彼女はヴィンセントを選んだのだ。
ヴィンセントに、エアリスから何らかの働きかけがあったのか否かは、俺には解からない。仮に無かったとしても、ヴィンセントは俺のことを拾っていただろう。俺が魔晄中毒になった時の事を、ティファが話してくれたことがある。「ヴィンセントは、わたしが戦列を離れることを、すんなりOKしてくれたの
」と。……それは、ヴィンセントの冷たさ、無関心の表れでは無く、その時の俺には自分では無くティファの方が必要だと考えたからだと思う。
それに俺の「崩壊」についてこられるのは、多分仲間のうちではヴィンセント一人しかいなかっただろう。女に生まれてくれば良かったと駄々を捏ねて散々困らせてもなお、俺を抱きしめて放さなかった。
……考えれば考えるほど、俺は自分の頭を蹴っ飛ばしたくなる。
エアリスを犠牲にして俺は生きている。
人間誰しも、誰かに迷惑をかけながら生きているものだ。しかし、当然ながらかけていい迷惑と、駄目な迷惑がある。人を殺して生きていくことが、許される事だろうか。
俺はひとり、こんな幸せな思いをして生きていて良いのだろうか。俺は、……エアリスを探し続けているんだと、思う。ただ、俺は隣で、今はもううたたねをはじめてしまった俺の弟もどきを、命を懸けて護らなければならない。……俺が例えば、自殺でもして、彼女のところに行ったなら、俺は、多分怒られると思う。クラウドの存在を言い訳にしているつもりはない、純粋に、彼女だって、きっと、クラウドの事が好きだと思うのだ。
正直、この事に関しては、俺はどうしたらいいのか全く解からない。
解からない解からないと言って誤魔化しているだけでは駄目だ、だから、考えている。
朧気ながら、俺の今、しなくちゃいけないことをすることが、最初なんじゃないかとは、思う。
即ち、全身全霊を込めてクラウドと、ヴィンセントを護るということ。それが、エアリスを少しでも幸せにする、唯一の方法ではないかと、思ったりもする。
すうすうと寝息を立て始めたクラウドに俺の上着をかけてやる。俺は、睡眠以外の目的のために、目を閉じた。